155 やっぱりこの人たちは
「……だから、澪ちゃん来なかったんだ」
硬直して、プルプル震えだして、ほっぺたが赤く染まる。何を勘違いしたのかは知らないが、『澪がすっぽかした』と澪の落ち度にしようとした自分を恥としたのだろう。
「亮平、ちょっとここで待っててね」
未帆は、一段飛ばしで階段を駆け下りて行った。れっきとした校則違反である。咎める気は微塵も無い。ついでに言うなら校舎内を走るのも校則違反だ。
(これ、俺が未帆について行った方が早いんじゃ……)
よくよく状況を整理してみると、澪を上階に連れてくるより亮平達が下に降りた方が効率が良さそうである。(未帆をまちくたびれていたのなら)被害者になるはずの澪が、亮平達に合わせて階段を上るハメになるのはいただけない。
未帆の置きメッセージを破り、階段へと一歩踏み出した。1.5階下ったところ、つまり中間の踊り場、もう一押しすれば最下層に辿り着くちょうどそのとき、そのさらに下から怒声が響き渡ってきた。準備に来ていた生徒は皆帰ってしまったのか、やけに声が通っている。
「どこ行ってたのー? 私、未帆達が先に出て行ったのを見てたから、てっきり下駄箱で待ち合わせしてくれてると思ってたら、誰もいないんだもん。『約束忘れて帰っちゃったかな』って未帆の靴箱見たら、まだ靴が残ってたし……。……さーてーはー、亮平くんとー」
「ちがうちがうちがう! パイプ椅子倒しちゃって、その話をしてただけ」
「本当かなぁー? ほっぺた、赤いじゃん」
「これは……、えーっと、その……」
(こりゃだめだ)
この調子だと、亮平が現れた瞬間大噴火を起こしそうなので、迂闊に近寄ることが出来ない。噴火警報真っ只中だ。
そして、肝心の未帆澪戦争の形勢はと言うと、西森軍が劣勢模様。澪の『亮平とどうたらこうたら』とほほの赤さを結びつけることが出来てしまうため、濡れ衣でも言い返しがしにくい。元が『恥じらい』という共通点もある。事実、未帆は言葉に詰まっている。その言葉詰まりが、火に油を注ぐ結果となる。
「つ……、つまった……。なななな、なんで反論しないのよ!」
未帆が反論していても突破の糸口をくまなく探してきそうだった澪だったが、その答えすら無かったことに動揺を隠せていない。
ここで澪がギャモン勝ちする、といくら高倍率追求型廃人ギャンブラーでもここぞとベットしただろう。亮平もその内の一人に含まれる。ギャンブラーではない。
『未帆が盛り返してカウンター』予想が的中するのは、億に一つだ。澪が勝つパターンは容易に想像できるが、その逆は創造神でもできっこない。
「……うううううう……」
まさか、トドメの一撃が飛んでこないとは思わなかっただろう。うなっているのは盤面が敗勢でキャンセル待ちの未帆、と言うわけではない。ハッキリ負けになると、悪あがきすら選択肢から外れる。煮るなり焼くなりなんでもどうぞ、と首を差し出しにいくのだ。
澪は、その差し出された命を刈り取るだけ。野球なら5点リードの9回裏2アウトでのクローザー、将棋なら難解なわけでもない詰将棋を解くだけ。自然に勝利が転がり込んでくる。それでは、野球や詰将棋との差は何か。
澪には、勝勢から勝ちへと持っていく『方法』が舞い降りてこなかったのだ。『アウトを取る』、『相手の王様を取る』といった風な明確なゴールラインが定められていない。そこで、戸惑ったのである。
「話が脱線して……」
「脱線してるけど、いまはこれでいいの!」
澪も、みすみす優位を手放すような真似はしない。手に負えないものの、相手に渡すと嫌なものランキングの上位にくるような代物、『絶対的に有利だが、さらに上へと翔ぶことが出来ない』。リリースしようにも、使い手次第で地球の昼夜を逆転させるほどの力をもつ武器なのだ。形式的にでも上の立場ならば、そこから同格に落として素手で殴りあう世界には戻れない。
澪の目の届かないところで、未帆が亮平に対してアクションを起こす。これだけなら、いつものつるみで済ませることもできる。が、頬がぼんやりと色付く行為だと話は別、ということだろう。澪は、未帆が『実は……』と何の変哲もない事象による変化だと切り出してくるのを待っているに違いない。
(このドタバタが収束しないと、ずっと動けないぞ……)
なにせ、亮平が圧力の鎖でがんじがらめにされているのだ。ここで亮平が和解させようと飛び出したとして、何が出来るであろうか。いや、何も出来るはずがない。未帆には『理由を説明して欲しい』とせがまれるであろうし、澪には真実をとことん詰問される。勇気と無謀は、いつだってはき違えてはならないものだ。無謀は、不幸しか生むことはない。
澪からの追撃を恐れて単語を積み上げては砂山のように崩れ落ちる、地獄の吾子と鬼の関係になっている未帆と、一歩踏み込んでいきたいが未知の領域であるがゆえにどうすることもできなくなった澪。観戦者にとっても本人たちにとっても生き地獄な時間が、動画を低倍速で視聴している時のように流れていく。未帆と澪の周辺区域だけ、光速で経過がゆっくりだ。
ただ、この状態は不変ではない。未帆がいち早く反論文をまとめきれば未帆に、適当な手段を発見できれば澪に、形勢の針は傾く。
先を取ったのは、澪だった。
「み、みみみっみっみ、未帆……」
澪はそう言うと、緩慢とした動作で未帆に向けてバシッと人差し指を指した。『犯人はお前だ』と名指しする探偵を想起させる。ここには事件も、死体も、かっこいい探偵もいない。
(早く、この重っ苦しい空気を吹っ飛ばしてくれよ……)
亮平の密かな願いも乗せられた、澪の次の言葉は。
「……亮平くんは? まさか、帰らしてないよね? 未帆が学校に残ってるのだけしか確認してなかったから」
折れた。妥協した。未帆が胸をなでおろす様子がよく分かった。力んでいたらしい肩が定位置まで一気に戻り、それは澪にも伝達される。
「……やっぱりさっきの……」
「いいのいいの戻らなくてもいい! 澪ちゃんが思い描いてるようなことはしてないから! ……だって私が勘違いしただけだもん」
(こういうところがあるから、成長してるかしてないか、どっちとも取れないんだよな……)
一年で質が劇的に改善することはそうそうない。提示した前提条件を数秒で壊してしまうなどの主張する以前の初歩的なミスはメッキリ影を潜めたが、ヒビの入った足場の上を無我夢中で疾走して、気付いた時には片足立ちできるほどのスペースしか残していなかった、というような直ちに敗北に『は』繋がらない失策は定期便で運ばれてくるのである。その中には、漫画であるようなベターなものも含まれている。
未帆は、言い訳時に限りよく『相手側に立って考えてみる』という行為を抜かしてしまうらしく、本人しか知りえない情報も周知の事実だ、と思い込むことも多い。そのため情報漏洩が発生してしまう。現代社会は、やれサイバー攻撃だの個人情報流出だのデジタル犯罪が問題の内の一つとして挙がってきているが、未帆は自分から種明かしをしてしまうのだから救えない。
推察も停滞気味で、一度は妥協するに至った澪だが、格好のエサが目の前に垂らされて食いつかないわけが無かった。
「……何を勘違いしたの?」
「! ……勘違いしてフロア間違えちゃっただけ。人の流れを避けて待機してたから」
「本当にそれだけ?」
澪は、深部まで潜り込もうとして未帆の目を覗き込んでいる。怯む様子ならば、連続的に中攻撃のジャブを打ち込んでいくつもりなのだろう。
「そーれーだーけ! ……本当のことだし」
「……それくらいのことなら、なんで隠すような真似したのよ? 『邪魔になるから上にいて、このままじゃ澪ちゃんが来ないことに気付いた』って一言付け加えてくれれば良かったのに……」
未帆の失言は見過ごされたようだ。心の中の言葉がつい表に出てしまうと最悪取り返しがつかなくなるため、会話中に心の声を黙らせておくことが手っ取り早い。
しかし澪も、色々と詰めが甘い。それでは、獲物もテストの点数も天空の彼方へ逃げて行ってしまう。
「澪ちゃんが間隔取らずにしゃべるから、タイミング無かった」
「確かに、そんな気もするような……。とにかく、亮平くんとうんたらかんたらじゃなければいいや」
障害物もなく、スルスルと未帆への問い詰めが終わった。澪の目尻が下がった穏やかさから見るに、未帆の勘違いというものがどうでもいいことだったことで昂っていた精神が冷静さを取り戻している。
サヨナラの大ピンチを凌いだ未帆が、また真剣な顔に戻った。
「……ところでさ、なんでそこまで亮平くんのことが?」
「未帆も分かってるんじゃないの?」
「大体分かってる。でも、一回も直に尋ねたことは無かったなあ、って。亮平、上の階で待たせちゃってるから亮平まで届く可能性は無いし、ここで言ってくれない? ……もちろん、嫌ならいいから……」
あくまで、相手の意志を最優先する方針らしい。自我がつよつよな鉄砲玉ではないのだから、これが未帆と言えば未帆である。気を許せる親友であろうとも、残額の下一桁までネチネチと確認するようなことはしない。
「ほんっとうに亮平くんまで聞こえて行かない?」
『ほんっとうに』を強調させる澪。本人にはどうしても聞かれたくないであろう事項であるため、万が一にも情報が漏れないかが心配なのだろう。その当該者、亮平とは直線距離にして4、5メートルしか離れていないが。
「二つも上の階だし、大丈夫。もし亮平が降りて来てるなら、すぐ来ただろうし」
「そうかな……?」
右に左にブラブラと揺れ、指を口元に当てて上の空になった澪だったが、やがて深く会釈をした。
(……未帆はピンチを脱した代わりに、俺が挟み撃ちに遭ってるじゃないかよ……)
そして、これは亮平にとってバッドニュースとなる。
澪は、きっと亮平に聞かれたくない心情を、未帆の間と言う狭いコミュニティで発信するつもりなのだろうが、実際には亮平が盗み聞きに近い形で受け取ってしまう事になる。このことが澪に知れたらどうなるか、想像しただけで悪寒がする。
そうかといって、今ここで『ごめんごめん』とノコノコ二人の前へ出ていくわけにもいかない。どうして来てたのに隠れたの、と詰めるとボロが何処からでも出てくる身体では反論できず、濡れ衣を被せられたままになる。これでは亮平がボコボコにされるどころか、未帆や澪にも収まることの無い黒い塊がフワフワと心の中を飛び続けてしまう。共倒れになる。
(……とはいえど、踊り場にいたら、盗み聞きの罪でリンチされるし。足音立てずに階段を上がるしかないか)
物音がどちらかの耳にキャッチされれば、即罰ゲーム。命がけの一人デスゲームだ。
「……決めた。亮平くんに思ってること、洗いざらい全部話す。変に捻じ曲げたり、付け加えたり、とにかく亮平くんに話したら許さないからね」
澪が、『フッ』と短く息を切った。これから始まる澪の一人航海を予期した亮平は、後々の言い訳が立てやすいように耳を塞いだ。過剰な情報を取り込まなければ、尻尾を出すことも無い。
「……あ」
流れも伏線も何もなく、未帆の目が丸くなった。開いた口も塞がっていない。幽霊が浮かんでいるのが見えたとか、それくらいの硬直度合いだ。受けて立つ気満々で澪に向かい合っていたはずだったのが、もう視線が逸れている。それも地面に平行ではなく……。
未 帆 と 目 が 合 っ て し ま っ た
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※不定期連載です。内部で完結させ次第、毎日投稿になります。




