143 つかの間
「小屋だ……」
体が極度に冷却されていることで電気信号の伝達速度が遅くでもなったのだろうか、間近まで寄らなければ言葉にならなかった。
小屋が見つかったからと言って、まだ安心するには程遠い。折り返して未帆を自力で救出するか、あるいは救援を他人に求めるかのどちらかの選択肢を選ぶことが出来なければゲームオーバーになるからだ。小屋のカギがかかっていて入れない、という事態も起こり得る。むしろ、カギがかかっていなかったらそれはそれで所有者が問題である。『亮平が生存』パターンはまだ数多く残されているであろうが、『未帆が生存』のパターンは亮平と比べると著しく減少する。細いロープの綱渡りの先にしか、光は差し込まない。
亮平は、小屋の外壁を時計回りに伝っていった。ものの数秒で、小屋の扉に辿り着く。鉄のドアノブがついていた。真ん中にカギを差してロックするタイプのものだった。
『ドアノブが凍り付いているかもしれない』、『カギがかかっているかもしれない』……。
亮平は、襲い掛かるネガティブシンキングを振り払ってドアノブに手をかけ、そして回した。『ギイッ』という古びた屋敷で鳴るような木の軋む音が聞こえ、そして扉が内側に押し込まれた。カギはかかっていなかったのだ。
九死に一生を得た亮平は、一息も置かずにすぐさま小屋の中を確認した。無駄にしていい時間など、一秒たりとも無い。
蛍光灯が天井からぶら下がっているが、見るからにひび割れている。スイッチを入れても、点灯することはないだろう。バケツやソリも乱雑に放置されている。
(ソリか……。未帆をソリに乗せて運ぶことが出来れば……)
何の目的でソリがあるのかは分からないが、亮平にとっては天からの恵みに等しい。人一人分を運搬することの出来る移動手段を手に入れたのだから。
だがしかし、それでも亮平にとっては不十分だ。亮平は死に物狂いでこの小屋までたどり着いた。裏を返せば、もう未帆の下へ往復するだけの体力は残存していないということだ。体の冷えのせいで、時間経過で体力が回復するとも限らない。
ふと、小屋の隅に『みかん』と書かれている段ボール箱が積み上げられている事に気付いた。引っ越しの映像でよく映る段ボールだ。人間、切羽詰まった時ほど視野は狭くなる。一段落着いて初めて、周りのことを認知し始めるのだ。さも当然と、亮平は段ボール箱の中身を漁った。
段ボール箱の中に入っていたのは、冬にベッドの上でくるまっていそうな毛並みの毛布と、謎の黒い肩掛けバッグ、そしてだれのものとも知れない防寒着が一着。肩掛けバッグを持った感じが非常に軽かったので、空っぽなのだろう。防寒着のサイズは、何の巡り合わせか亮平が着ることの出来るサイズである。未帆を助けに行く時に拝借させてもらおう。
(毛布は、……三枚か。一枚は自分自身に使うとして、残り二枚は未帆のためにとっておこうか)
入念に低体温症の元となる水分をふき取るのなら、三枚全てを使った方がいい。しかし、未帆をこの小屋まで連れてくることも考えると、最低限一枚は温存しておきたい。アクシデントに備えると、二枚残しがいだろう。
亮平は上着を一旦脱ぎ、付着している水分を毛布でしっかりと拭い取った。タオルの方が吸水性は良いのだろうが、背に腹は代えられない。続いて地肌の水分も同様に吸い取る。
後は、暴風雪と寒気が入らない小屋の中で体力を回復させるだけなのだが。
(未帆が後どれだけ耐えられるかと、往復する分の体力が回復する時間との天秤だな……)
体力回復に時間を割きすぎれば、未帆は凍り付いてしまう。かと言って見切り発車で未帆の下に戻れば、この小屋まで帰還できずに共倒れ。見極めは困難を極める。
亮平は仰向けになり、大の字で天井を見上げた。万が一眠りこけることが無いよう、周期的に立ち座りを繰り返す。
(さて、未帆を小屋に連れ込んだ後、どうしようか)
既に計画は、未帆の救出後に移っている。失敗するイコール終わりなのだから、考える必要性は一切ない。
(未帆は半袖で頑張ってたから、服はきっとびしょ濡れ。上から丁寧に拭くだけだと、あんまし意味が無いかもな……。それこそ、服全部脱がさないと……)
今は緊急事態。倫理的視点はいらない。躊躇したがために一生の後悔を背負うことはまっぴらごめんだ。
(もっと体力があれば、こんな心苦しい時間を過ごすこともなかったろうに)
今もなお風雨にさらされ続けている未帆。その未帆に対して現状何も手を貸してやれないことに関して嘆く亮平。泣いても笑っても、刻一刻と時計の針は動いていく。
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五分ほど経過しただろうか。亮平はもう、爆発を耐え忍ぶことは出来なかった。現実問題、未帆が屋外にさらされる時間におおよそ比例して生存率は下がっていく。
(……必ず、ここに戻ってくる。未帆を連れて、ここに戻ってくる)
小屋内の段ボールに乱雑に詰め込まれていた防寒着を拝借し、ソリを持ってドアノブを回す。
(未帆、待ってろよ)
八条学園に初めて未帆が狙われた日が目の前に蘇る。なかなかに恨みを買っている亮平ならいざ知らず、亮平についてきているだけの未帆を襲った。ヤクザも堅気には手を出さないと言うくらいだから、この時点で万死に値する。
事実、亮平は留まるところを知らなかった。一人を瞬殺し、残りも順次ノックアウトさせていった。未帆が居て、その未帆が誰の護りも受けずに肩を抱えてブルブル震えている事にも気づかずに。
八条学園の面々を片付けた後になってようやく、亮平も過ちに気付く。むやみやたらに戦わず、未帆優先で常に未帆に注意を向けるべきだった。なりふり構わず応戦している隙に未帆を人質のようにされていたら、いったいどうするつもりだったのか。たまたま未帆に魔の手が忍び寄ることはなかったものの、一歩間違えれば奈落に叩き落されていたかもしれないのだ。
また、修羅場に対する経験値が亮平と未帆では天と地ほども違う。亮平ならば何ともない行為でも、未帆にとって抵抗感、恐怖感が強いこともある。ドンパチしている様子は、正に多大な『恐怖感』を未帆に与えてしまっていた。この出来事がきっかけで未帆が鬱や引きこもりになってしまっていたかもしれない。幸いにして、それまで以上に亮平に強く引きつくようになったという、最大予想から見るとほとんど影響のない範囲で収まったが。
襲われるのと、低体温症で瀕死。後者の方が危篤状態なのは承知の上で、それでも『未帆が危機に瀕している』という状態は変わらない。そして、亮平の未帆を案ずる感情は何ら変わりない。
今未帆を助けられるのは、亮平だけだ。その亮平が諦めても、どうにもならない。僅かに差し込む木漏れ日を探し求めんとしないで、どうするのか。
亮平は再び、吹雪で荒れている屋外へ舞い戻った。行きの希望的観測のみではなく、明確な目標、『未帆を小屋に運び込む』を抱えて。
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