122 戦争勃発?②
「あぶ、ない……」
背中が吊られる感触に次いで、左腕が引っ張り上げられた。それが合図だったようにトラックが目と鼻の先を通り過ぎていく。
(……)
冷や汗が未だに止まる気配を見せない。恐怖を感じなかったあのひとときが幻だったかのように思える。膝も小刻みに震え、呼吸音も荒くなる。
「……バカ! アホ! アンポンタン! 亮平くんどころの話じゃ無くなってたんだよ? 分かってる?」
酒井さんの、いつもの威勢がきれいさっぱり消え失せていた。澪は、目玉が飛び出すのではないかと疑うレベルで目いっぱいに瞳孔を開いている。未帆の左腕をがっちりとホールドしている手には力が相当こもっている。筋肉や脂肪が伸びきっていないのにもかかわらず圧迫感を受ける。酒井さんの右手が掴んでいる未帆の福の背中部分は生地が伸びてしまっただろうが、いまはどうでもいい。
(そりゃ、百回怒られても気が済まないようなこと、しちゃったんだもん……)
目の前で友人がいきなりつんのめり、トラックと運悪く出会い頭で衝突しそうになる。咄嗟に行動できたからいいようなものの、一歩間違えれば死んでいる。そのような大事を起こしておいて、何も言われない方が間違っている。そして、それは同じ一人の人間を取り合っているとか寒気耐性がどうとかの次元で測れるものではない。
「ごめん」
(何考えてたんだろ、私)
『死ぬ瀬戸際だったから何も出来なかった』ではなく、死ぬ瀬戸際だからこそできる事は必ずあったはずだ。それを、未帆はどう亮平に弁解するかを考えようとしていたのだ。優先順位が違う。今のこの一瞬一瞬を必死に生きるための最大限の努力を行わなければ、とても仕方がなかったとは言えない。
酒井さんは違った。亮平ほどの反射は持っていないにしろ、緊急事態宣言がいきなり爆音でならされたような中を、適確に正解を導き出していた。
一、二分ほどたったのち、ようやく二人は動き始めた。
「……謝られても、終わったことは終わったことだから。ほら、話戻そ?」
酒井さんも、流石についさっきの事故未遂には気が動揺していると見ていい。ただ、人が死にかけた30秒後ぐらいには再起動が完了したらしく、なるべく未帆が負の鎖で過去が束縛されないよう、話題を変えてくれようとしている。
相変わらず降雪は続き、ふわふわと宙に浮いた雪の結晶が少しづつ地べたへと溜まっていく。ここに未帆が倒れ、鮮血が辺りの新雪を赤く染める……。亮平と二度と会えなくなる覚悟を決めていたとしても、周りに与える迷惑は甚大極まりない。何より、亮平が一番悲しんでしまう。亮平のいたずらをされて困っている顔はどのように評価してくれるかが気になって仕方ないのでドキドキするが、亮平の悲壮感漂う顔は死んでも見たくない。
「う、うん。えーっと、何の話だっけ……」
亮平のことに関しての話だったような気はするが、思い出せない。一連の流れの中の恐怖感で、直前の記憶が吹き飛んでしまっているらしい。ボケが激しいとか、そういう老化現象が既に現れているのではない。この年で老化現象などは起きて欲しくない。
「ほら、クリスマスがどうたらこうたらの話。西森さんって、クリスマスはどんなイメージ?」
未帆を急かすかのように早口になった。ウソをついているのか、本当かは分からない。ごまかしていそうなのは事実だが、真実を突き止める状況証拠がない。
「どうって……。サンタクロースがクリスマスプレゼント持ってきてくれてた日ぐらいじゃない?」
『くれてた』と過去形になっている理由は、中学生になってからパタリとクリスマスプレゼントが止まったからだ。サンタクロースの正体が親だと分かっている身としては、義務教育の間ぐらい続けてもいいのではないかと思ってしまう。
「全く、何にも分かってないね……。クリスマスは、二人きりで過ごすとその二人は結ばれるって噂話を聞いたの!」
そんなことは聞いたことが無い。カップルが街をうろついているところはたまに見かけることはあったが、まだカップルになっていない二人が結ばれるというのは寝耳に水だ。
「本当に? どうせ嘘なんじゃないのー?」
「嘘だと思うなら、何も聞かなかったことにすればいいんじゃない? 私は勝手に行動するから」
「ううう……」
嘘だったのなら、未帆の勝ち。しかし、もし本当なのだとしたら、酒井さんの勝ち。そして、仮にクリスマスの結ばれるという話が嘘だったとしても、酒井さんが言葉巧みに亮平に近づくかもしれない。総合的に見て、無視を決め込むのは未帆の方が不利だ。
「あーもう、信じるから! だから一人置いてけぼりにしないで!」
酒井さんが、『ほれみろ』と言いたげな顔になっている。悔しいが、現状では未帆が酒井さんより上にいる理由がない。未帆は劣勢なのだ。
「そうそう、基本的に現実は早い者勝ち、なんだからね?」
まだ言い終わらないうちに、酒井さんが一目散に亮平の家の方角へと駆けだしていった。意表を突かれ、出だしが遅れる。
「ちょ、ちょっと待って! 抜け駆け禁止!」
相変わらず、雪は降り続けている。だが、凍えそうだという感覚は消えていた。酒井さんに亮平のことで何一つ負けたくないという競争心が、そうさせていたのかもしれない。
二人は続けて、しんしんと雪が降りる住宅街を駆け抜けていった。
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(1週間に1回のペースで投稿していこうかどうか迷っています。現在定期連載凍結中です)




