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エッセイ 

利子を得るのは悪徳である、とすると今の銀行にお金を預ける人は皆、悪人となってしまう

作者: NOMAR


 利子を得るのは悪徳である。


 と、言うとこれを聞いた人はだいたい、


『は? 何言ってんの?』


 と、なるのではないですか? おかしなこと言い出したコイツ、と思う人もいるでしょうが、ま、ちょいと待って。


 借金に利子があるのが当たり前、という国に住んでいれば、借金にも銀行の預金に利子がつくのも当たり前、という考え方になります。あ、利息という言い方もあるけど、ここでは利子で統一させてもらいますね。

 で、この利子がある、という状態に慣らされてしまっているわけで、今の日本に住んでいれば、借金にも預金にも利子があって当然。銀行の普通預金だと利子が低いから定期預金にしたりとか、保険に変えたりとか財テクも考えたりとなります。

 でもここで、利子というのはあっていいものなのかな? と、疑問を投げてみます。


 1500年代の日本を見た宣教師、ルイス=フロイス。彼が見た日本の夫婦で、妻が夫に高利で金を貸しているのを不思議そうに書いて残しているのもあります。

 これは当時のキリスト教徒が夫婦の財産は夫婦で共有のものであり、妻と夫が別個に財産を持つという日本に驚いた為。

 ルイスさんから見ると、夫に金を貸して利子を取り立てようという妻が信じられなかったようですね。


 で、歴史を見れば日本では、貨幣が誕生する前から利子の概念がある。

 税として米を捧げる。この米は神に捧げたもの、とされる。

 飢饉の折りは神から、すいませんがピンチなんで貸して下さいと、神に捧げた米を借りる。後に神に米を返すときには、助かりました、と上乗せしてお返しする、というもの。

 この利子があって当たり前、という国に住んでいれば、あって当たり前の利子に疑問を持つのも難しいものです。


 ところが、利子とは悪徳である、とするものは世界にあるのです。

 これはイスラーム教、また、昔のキリスト教では教義の中にあるんです。

 イスラーム教の経典クルアーンには、


『リバーを貪る者は、悪魔にとりつかれて倒れたものがするような起き方しか出来ないであろう。それはかれらが『商売はリバーをとるようなものだ』と言うからである。しかしアッラーは、商売を許し、リバーを禁じておられる』


 という記述があります。リバーというのは『増大する』が語源で、利子という意味を含み、不当な利益、不当な取り引きなどの意味もあるので、日本語で同じ概念が無さそうなので、リバーとしときます。


 旧約聖書の中でも、


『もし同胞が貧しく、自分で生計を立てることができないときは、寄留者ないし滞在者を助けるようにその人を助け、共に生活できるようにしなさい。あなたはその人から利子も利息も取ってはならない。あなたの神を畏れ、同胞があなたと共に生きられるようにしなさい。その人に金や食糧を貸す場合、利子や利息を取ってはならない』

『同胞には利子を付けて貸してはならない。銀の利子も、食物の利子も、その他利子が付くいかなるものの利子も付けてはならない。外国人には利子を付けて貸してもよいが、同胞には利子を付けて貸してはならない。それは、あなたが入って得る土地で、あなたの神、主があなたの手の働きすべてに祝福を与えられるためである』

『利息を天引きして金を貸し、高利を取るならば、彼は生きることができようか。彼は生きることはできない。彼はこれらの忌まわしいことをしたのだから、必ず死ぬ。その死の責任は彼にある』


 と、あります。

 外国人には利子をつけてもいい、というあたり同胞には優しくても、異教徒には厳しいようですね。


 宗教とは人の住む社会を、共同体を守る為の決まりを神とか精霊とかの名前で広めて人に守らせよう、というのは原始宗教の中から見てとれます。


 紀元前4世紀頃にはアリストテレスが、貨幣を貸し付けて利子を取る行為を、『金が金を生むというのは、最も自然に反するもの』と言っています。

 金利を厳しく批判しているのは、経済成長が望めない共同体では、貧富の格差が拡大しやすい為。

 自由な営利活動、とりわけ金利を目的とした貸し付けは、金を借りても返せない民を生みます。つまり、利子は人々の困窮に拍車をかけ、秩序を崩壊させかねない危険性を持っているので、してはならないこととされました。


 アリストテレスの言う自然では無い、というのは自然とは有限である、ということです。

 金を貸して利子を得る、というのは物を作るでも無く売るでも無く、金を貸してより多くの金を得よう、というものです。これは突き詰めると貨幣が無限に発行され続けないと破綻するから、自然では無いというもの。


 何処が不自然となるのか? 例にネズミ講を出してみましょうか。

 ネズミ講はネズミ算的に会員が増えるときには順調に見えます。初期の状態では次々と会員を増やすことで運営は上手くいきます。

 しかし、人の数は有限であり人口が無限に増え続けることは無理があります。人の作る市場もまた有限。

 人の数、土地の広さ、貨幣の量、これらが無限に増え続けなければ、ネズミ講は拡大した先に限界を迎え破綻します。増え続けることを前提として成り立つシステムは、その限界に到達したところで無理が生じます。

 膨らませた風船がその限界で破裂するようなものでしょうか。


 人が頭の中で考えた無限を前提として成り立つシステムは、有限の自然の中では、やってみると初期は上手くいくように見えても、やがて破綻するということに。

 また、借金と利子を前提とした金融は、この無限の借金連鎖の果てに、ひたすらに貨幣を発行し続けることを課されます。そして膨大なる借金と脹れ上がる利子に、人は無限に金を返し続けなければならなくなります。

 紀元前の哲学者はこのように考えたようです。

 今の日本を見るとアリストテレスの言ったとおりになってるんじゃないかな? と感じます。


 さて、その悪徳とされる利子が現在、広まっているのは、というのも調べてみます。

 キリスト教圏では12世紀頃から、イタリアを中心に商売が活発となり、投資を求めて投資家が利益を見込んで金を出すようにと、利子が現れていきます。

 教会は良くないと言いますが世の中の流れに動かされ、制限付きで利子を認める方向へと変わります。

 始めにプロテスタントが、カソリックは頑張って抵抗してましたが、産業革命後の19世紀頃から利子を認めるようになっていきます。

 拡大する商業と経済の波に流された形になりますか。


 一方で利子は悪徳と現代でも頑固に一途なのが、イスラーム教です。


 イスラーム教では創始者ムハンマドが夫婦でイスラーム商会を経営していた商人でもあり、商売でお金を稼ぐことには寛容なのがイスラーム教でもあります。

 額に汗して労働に励むことは美徳とされます。創始者が商人らしいところです。

 ですが、その代わりにしてはならないお金の稼ぎ方には厳しいのもイスラーム教です。

 楽して稼ごうとするのはダメ。賭博は禁止です。また実体の無いものを売り買いすることも、賭博と同じしてはならないこと。


 実体が無いものの売り買いが禁止なので、先物取引、保険、仮想通貨なども賭博として禁止されます。

 利子を悪徳とするイスラーム教徒にとっては、今の主流の銀行を利用することは悪徳となってしまいます。しかし、これまで都合の良い銀行が無い為に我慢して使っていたようですね。

 そんなイスラーム教徒の為に作られた銀行、聖典クルアーンの教義に反しない銀行の誕生を、イスラーム教徒は待ち望んでいました。

 イスラム金融の誕生です。


 イスラム金融は無利子金融とも呼ばれ、イスラーム教で禁止とされる利子、の無い金融。

 1950年頃から何度も試行錯誤を繰り返し、ときに失敗しつつも近年、オイルマネーを背景にイスラム金融は拡大しています。


 利子が無いのにどうやって投資家を集めるのか? これがイスラム金融の課題です。

 ザックリと説明すると、イスラム金融で投資家は金を出すだけでは無く、共同経営者という立場になります。

 企業に投資しつつ、その金をどのように使うか、どんな経営をするのか、監督して口を出します。

 そして企業が利益を出せば、そこから共同経営者として働いた分を利益として得る。逆にその企業が上手くいかず破産することになれば、投資した金は返ってきません。

 リスクを負いつつ共同経営者として働いた分が利益として戻って来ます。楽して稼ごうとするのはダメ、金は働いて稼ぐもの、というイスラーム教に則した考え方です。

 イスラム金融の在り方を大雑把に説明するとこんな感じ。


 無利子金融の貸付方式では、経済的インフラの僅少な地域で長期的に経済を立ち上げることに適しているという説もあります。

 例えば事業が失敗しても、借りた者が多重債務を背負い込まないシステムは、資本を持たない者が事業を起こすのに適しています。


 長期的に見れば、無利子経済が有利子経済を駆逐していくだろうという考えもあります。

 無利子金融が資本主義の搾取システムを変え、貯蓄家を資本家に変えてゆき、経済を活性化させる点などから、無利子銀行制度が西洋の銀行制度に勝る、というもの。


 イスラム金融が拡大する背景には、近年の世界経済の低迷にも原因があるかもしれません。

 生産過剰によるデフレ、需要と供給のバランスが崩れ、市場の拡大の限界が見えてきています。

 従来の経済成長を前提としたやり方が限界へと近づいたようにも思えます。


 利子があることを前提とした金融は、リーマンショックのようなリスクを孕みます。ですが、経済が成長する内はリスクよりメリットが大きく順調に回ります。

 しかし、経済成長が限界に到達すると、メリットは薄くなりリスクばかりが目につくようになります。

 その中で無利子金融のイスラム金融が従来の銀行よりも安定だと、イスラーム教徒以外も利用するようになりました。


 私はイスラーム教徒じゃ無いから、関係無い、という方もいるでしょう。


 2017年、三菱東京UFJ銀行はマレーシアのイスラム金融情報サイトが主催する表彰イベント『イスラミック・ファイナンス・ニュース・アワード2017』で、『最優秀日本イスラム銀行』を受賞。

 世界の投資家や金融機関の関係者のインターネット投票により選ばれるこの賞を五年連続で授賞しました。

 三菱東京UFJ銀行は今後も、マレーシアやUAEなど東南アジアや中東諸国でのネットワークを生かし、イスラム金融サービスを提供していく方針だそうです。


 2019年、日本国内では地方銀行7割が減益し経営が厳しくなっています。

 人口減少で資金需要が先細り、アベノミクスによる超低金利政策で金利収入は減少の一途。企業が減り、成長見込みのある貸出先が少ないという苦境に立たされています。

 このため経営改善には、支店の削減、手数料の値上げなど、銀行利用者への負担が増えることになります。

 従来の収益モデルが崩れ、新たな銀行の収益システムを模索する中で、無利子金融は注目されることになりました。


 イスラーム教というひとつの宗教が背景にある金融を、胡散臭いと感じる人もいることでしょう。


 ここからは私見になります。


 科学とは変えねばならないものを変える力です。

 かつて人は自分の住む大地はパンケーキのような形をしており、その大地の周りを太陽や月や星が回っている、と考えていました。

 科学が発展し、今では自分の足をつける大地が地球という大きな球体である、と人は識るようになりました。


 また、日本では特定の地域に住む人達を差別していました。私が祖母のように慕ったある女性は、そういった地域の出身でした。


『おんぼは人間じゃ無いから、あばらの骨が一本たらんのやー、とか、いわれとったんよ』


 科学が進歩しレントゲンが病院に広まることで、特定地域の人達が生まれつき骨が一本少ない、などというのは迷信だと証明されました。

 科学とは間違った思い込みを正す力となります。


 一方で宗教とは、変えてはならないものを変えずに伝える力です。


 かつて日本では真神(まかみ)を敬っていました。真神、または大口真神(おおぐちまかみ)、御神犬、と呼ばれたのは日本に生息していたニホンオオカミが神格化したものです。

 日本武尊(やまとたける)が霧の中、道に迷ったのを白い狼が表れて道案内をして助けた、と伝えられています。


 このニホンオオカミは、20世紀初頭に絶滅しています。

 ニホンオオカミが絶滅したことにより、天敵がいなくなったイノシシ、シカ、サルといった野生動物が大繁殖することとなり、人間の生存域にまで進出し、農作物に留まらず森林や生態系にまで大きな被害を与えるようになりました。

 今では人がニホンオオカミの代わりにイノシシやシカを狩らなければ、自然の生態系も農地も守れなくなってしまいました。


 大口真神は古来、聖獣として崇拝されてきました。また、猪や鹿から作物を守護するものとされています。人語を理解し、人間の性質を見分ける力を有し、善人を守護し、悪人を罰するものとして、ニホンオオカミが信仰された時代がありました。

 ニホンオオカミが絶滅したことにより、人はやらなくてもいい作業に従事しなければならなくなった、とも言えます。

 

 自然のことに限らず、長期的に見た人の社会で、人がこれを守ることが社会の維持に繋がる、というものが宗教の中に見てとれます。

 歴史を重ねた宗教には、そんな人の知恵があります。

 逆に積み重ねた歴史の短い新興宗教が、胡散臭く見えるのも同じ理由でしょう。


 科学は間違った思い込みを正す力であり、宗教は変えてはならないものを残す力。どちらも使い方次第とも言えます。


 さて、利子が悪徳というのを改めて。


 金持ちがその資産を人に貸し、その利子で利益を得ようという行為。これが働かずに利益を得ようという、不労所得という怠惰になります。

 利子を認めるとその社会では、富める者は更に富み、貧しい者は更に貧しくなり貧富の差が開きます。

 生活に困窮する者が増えると、盗み、強盗などが増えて治安の悪化へと繋がります。

 そして経済成長が限界となったとき、借金と利子を前提とした金融は、膨らんだ借金が期間と共に利子が増え、返しきれない程に膨大となります。

 人は増え続けた借金という大穴に、延々と金を投げ込む為に働くことになります。

 怠惰という悪徳の果てにあったのは、『リバーを貪る者は、悪魔にとりつかれて倒れたものがするような起き方しか出来ないであろう』というもので、なんだか今の日本はその通りになっているのではないか、と感じます。


 楽して稼ぎたい、というのは誰もが持つ欲ではありますが、未来の子孫に借金を残すという行為は、まるで子孫の未来を売り払い、それで今の利益を得よう、という行為では無いかと思います。


 イスラム金融とはイスラーム教の聖典クルアーンの教義に従う金融です。そのため、賭博、ポルノ、武器、アルコール、といった分野への投資は禁止となります。くわえて豚肉関連もダメです。

 順調に拡大するイスラーム金融が世界をどう変えていくのか、なかなか楽しみな時代となりそうです。


 銀行に金を預けて利子を得ようというあなた、

 怠惰となってはいませんか?



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[一言] 先日、90年代から中東でのビジネスに関わっていたと云う方と少し話をする機会がありました。 その時イスラム金融について訊いた話を少し。 「非イスラム世界との貿易に必要とされて生まれた」 「商習…
[一言] 面白そうだったので少し調べてみたのですが、先ずここで紹介されていた金融方式はムシャラカと呼ばれ、比較的長期のプロジェクトに用いられる、少なくとも取引数最多では無い方法です。(ファンドによる出…
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