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ルーツと故郷と師匠の巣(上)

 山を越えて谷を越えて川も越えたしやっとつく! 師匠の住処にやってきたのは、ご存知うさぎと人間レタス。のんびりまったりつかの間の里帰りもほんとにつかの間。悪徳魔導師の巣の中で巻き起こるのは欠陥住宅騒動! おぼろげながら現れてくる師匠のルーツに湧き上がる新たな疑問。そしてうさぎとレタスにふりかかるとんでもない事態とは? クライマックスに向けて転がるレタスは最高峰へ!




 メイスは宿や家のことを巣という。

 まあうさぎの家は巣なわけだし、人前で言うなよとは言い聞かせていたが、間違いとまでは言えないのでそこですませていた。そういうメイスが巣に行ってみませんか? と言ったとき俺は家だな、と勝手に変換して考えていた。

 しかし。

 それは、巣だった。俺たちの概念から照らし合わせても間違いなく。まさか俺もあんな規格外の奴が、赤い屋根の家に白いエプロンつけた新妻がアナターと向かえるマイホームパパをやっているとは思っていなかったが(ああもう女だってのがいまだに受け入れがたい)しかしここまでまんま巣なイメージはなかった。

 シナトの森でバードのパーティ、そしてずっと一緒に旅をしていたリットとカールと別れ、俺たちはひとまず船に乗って内海をわたり中大陸の東フェリア地方にたどり着いた。

 ひょいひょいと、連れがいなくなったメイスの足取りは速かった。まあその気になれば夜の闇も三階の窓に跳躍するのも、ものともしない必殺うさぎ人間だ。おまけに人目もつかない森や山の中。まさに本領発揮といったところだろう。

 名前も真面目についていない深い山岳地帯を丸三日、メイスは通いなれた道を行くよう見事な足さばきで突進した。そうしてたどり着いた禿山。いや、岩山。

 ぼろぼろの岩とかたい砂しかない正直動物もまともに来ないだろう、絶対これ名前ねえよと確信する、見るも無残な高山の中腹、ぽっかりと口をあけていた、子どもが屈んで入るくらいの黒い穴が巣だという。コウモリの巣かよ。

 ここに住んでいらっしゃるとかいう御大は、俺をコケにしてコケにしてコケにしまくってコケにしくさってくださっている恨み骨髄元凶魔導師コルネリアス。その巣の前に立っているのは、人の姿をしたうさぎメイス・ラビット。んでそのナプザックの口につまっている俺は――レタスな人間、レザー・カルシスだ。





 期待すまいと思っていたが、くんとしゃがんで暗がりに向けて鼻を鳴らしたメイスが

「長いこと、誰も入っていませんね」

 と言ったのを聞くとがっくりした。メイスはすたすたと中に入っていく。狭いのは入り口だけだったようで、一度頭を下げて身をかがめ通り過ぎると、急に天井は大の男が立ち上がってもなんの問題もない高さまで伸びた。

 自然の洞穴を利用しているのに間違いはないだろうが、真下は滑らかな平らだ。こういうところは人の手が入っていると思わせる。

 するすると闇に入り込むとメイスは特に戸惑いも逡巡もせずすっと動いて、カチリと硬いものがぶつかる音と共に薄暗がりの中にぽっと温かい光が点された。メイスの手には細い蝋燭が握られている。

 俺の入ったナプザックには触れていないから、元からここにあった蝋燭と火打石を使ったのか。それをメイスは掲げてあちこちに近づけた。するとその先々でぽうっと明かりが灯り、そのたびに薄暗さは縮こまって隅に追いやられていった。

 そうして暗がりから浮かび上がるように現れた洞窟の内部は、そりゃもう殺風景の一言に尽きた。ちょっと前にシナトの森の遺跡で見た住居も内部はすべて石造りの家具で味気ないものを感じさせたが、もう、ここは。真面目に住む気があるのか、というレベルだ。巣だ。ここは巣だ。

 内部はほとんど完璧な長方形のつくりをしていたが、はいって左端がほぼ正方形の箱をわざわざくっつけたみたいにぽっかりとこちらに突き出ていた。その突き出た壁にそって視線をやると細い奥行きがあるのがわかる。

 唯一家具と言えなくもないのが、端っこの壁にあるシナトの森の遺跡で見たような石のベッドと、真ん中にあるやたら重そうな木のテーブル。手作りなのか雑なつくりだ。テーブルの上の棒切れのような燭台と、壁一面にずらりと取り付けられた棚、それ以外は何もない。

 すっかり俺が呆れて眺めている端で、メイスは持っていた松明を無造作に壁のくぼみにおき、ふ、と一つ欠伸をした。

「私、少し寝ます。レザーさん、何か調べたいならご自由に」

 言って硬そうな石のベッドにこてんと横たわった。

「ちょ、おい――」

 俺は思わず呼びかけたが、すーっと規則正しい寝息がもう聞こえてきている。確かに結構、夜を次いでやってきたから、眠いのかもしれないが、えーと、あれ、なんだ、この変な感じ。メイスの行動はなんか調子が狂う。

 無造作にはいってきて、無造作に明かりをつけて、無造作にナプザックを机に置いて、無造作に寝転がって、まるで気を抜いているというかぞんざいというか、そう、まるで自分の家にでも戻ってきたような――

 そこで壁の方を向いて眠るメイスを見て気づいた。コルネリアスの家、ということは半分くらいはメイス自身の家でもあるのだ。




 メイスが眠ってしまってから、仕方なく俺はまったくよくわからないこの洞窟をちょっと探索してみた。

 メイスがあんな態度をとったので、なんか人様の家を勝手にのぞきみしているような居心地の悪さにかられたが、とりあえず見てまわった。

 最初に入ったときは、圧迫感や閉塞感を覚えさせるほどではないが、狭いなあと率直に思った洞穴だが、さっき気づいた奥の壁の通路は細く結構奥まで続いているようだ。

 入り口から向かって部屋の左壁が、ほぼ正方形の箱をわざわざくっつけたみたいにぽっかり突き出てる。なあんか違和感あるなあ、と俺は思って部屋を見渡すが、しかし奥までは松明の明かりが届かず、依然闇に沈んでいるのでメイスが起きてからにしようと、俺は長方形の居間(って言っていいのか)に引き返してそこいらを巡回するにとどめた。

 が、そうすると面白いほど何もない(いや面白くない) 岩の表面はうっすらと石の粉がつもっていて、転がるだけで汚れる。けほっ。

 ただ壁一面に妙な傷がついている。かなくぎ傷のような鋭い何かで執拗に引っかいたもので、自然のものでは決してない。一度見つけてしまうと結構あちこちに広がっていて、率直に言って不気味だ。

 しかしそういう唯一の発見も、俺が待ち続けて飽きてようやく目覚めたメイスにすぱっと却下された。寝ぼけ眼のメイスに必死に訴えると、メイスはそっちを見ようともせずに

「それ、私がつけたんですよ」

 と凄いことを言った。

「来た当初はもう目のつくもの、閉じ込めるもの全部に噛み付いたり引っかいたりしましたからね。おかげで爪は剥がれるわ歯はかけるわで」

 ぼろぼろでしたよ、と壮絶なことを寝起きで言って、よっとメイスは身をおこすと

「それで、レザーさん、他には何かを見つけましたか?」

「いや……」

 口ごもるとメイスは奥の通路を示して

「あそこは?」

「まだ見てねえけど」

「一応貯蔵庫をかねてますから、なにかあるとしたらあそこですよ」

 まあ、何もないですけど、とひょいとメイスが俺を持ち上げて、すたすたと奥に進む。ちょうど人が一人通り抜けられるくらいの幅の通路が確かに奥にある。メイスが一番近くの松明をとってひょいと傾けるとぽぽぽぽと火が壁伝いに走っていった。へえー。

「うまくできてんな」

「昔は、光る苔が生えていたんですがね」

 あ、光藻だ。

「私がむしりとって食べるようになったから消えまして」

 オイ。

 消えるじゃねえだろ、お前が食ってんだろ、と思わず白眼視すると

「だってここ草もまともに生えてないんですよ! まずかったけど飢えたらなんだって。飢えのあまり魔道書のページかじってたらどつかれましたからね」

「……エサ……や、飯は貰ってなかったのか?」

 魔道書の角をかじってるメイスを想像して俺は半分絶句して尋ねた。

「お師匠様がよこすものは三ヶ月は何も手をつけませんでしたからね」

 ……すげえ。野生のプライドなのか警戒心の表れなのかよくわからんが、野生時代のうさぎそのまんまのメイスの思い出話って実に生々しく壮絶だ。

 想像して身震いする俺をもってメイスは左右光に照らされて浮かび上がる通路を進み、よく見えるようにひょいと俺を持ち上げてくれた。あ、棚になってらあ。

 ちょうどメイスの頭一つ分上くらいのところに、薄っぺらな岩の板が壁から均等に突き出して、そこに厚い本がずしっとおさまっている。他には謎の小瓶(……いやなことを思い出す)になにか乾燥させたものを詰めたもの、得体の知れない突起がたくさんある丸いガラス瓶をつけた謎の道具、実に様々なものが並べられてあり、奥に行くと薪がいっぱい詰めこんであった。

 うん、これは、篭城できるな。薪は、洞窟が艶やかな黒い岩で出来ているので湿っているような感じがしたが、湿り気など欠片もなくよく乾いていた。外側のぼろぼろしたガレ場の印象では、水がしみこみやすいと思えたが、なるほど一見すげえ巣だがこれは十分一年通して住めるだろう。

「……おまえ、ここで何年すごしてたんだ?」

 メイスはちょっと考えて、はっきりしません、と言った。「月日という概念ができたのがここ数年のことです。お師匠様は二年と仰いましたが、気持ちでは三年を超えていた気がしますし…」

 ふと、蘇ったのは冬の記憶だ。踏みしめる雪の中、昔、リットと狩りに行った。木立からピョンピョンと、そいつらは飛び出てきた。夏は枯れ草色、冬は真っ白で。メイスは昔、その中の一匹だった。野の草を食べて、小川の水を飲み、物音がすれば急いで茂みに身を隠す。小さな小さな被捕食者だった。

 今、メイスは人の言葉を話す。人の作った野菜を食べて、屋根のある家で眠る。突然の転換を、岩をかきむしり食事を拒否してそれでも生き延びたいと苔をむしり本をかじって。壮絶な話だ。そして想像もできない話だ。

 そうしてコルネリアスはメイスを作り変えた。奴には個人的に敵意もある。憎しみもある。だけど俺の今の言い方にはそれはいっさい含めなかった。事実だ。コルネリアスは、あの黒衣の女魔導師は拾い上げたメイスを作り変えた。おそらく根本にとても近いところまで。

 本人が苦労したのは確かだろう。それは不遜で苦労や不可能なんて言葉などいっさい知らないと、不敵な笑みをちらつかせるあの魔導師でも困難なことだっただろうが(メイスの話からでも苦労のほどはわかる)それは見方を変えればとんでもなく傲慢なことだと、責められるものになるだろう。

 メイスは人間じゃない。

 でもウサギでも、もうない。

 俺がレタスに変わったような、簡単な変化では全然ない。俺は外見を変えられただけ(あえて「だけ」と言うぞ)だが、メイスは存在が――存在って言葉が内面のものを多く含むなら、存在が変えられている。

 それは多分、すでに完成されている本の中の、一文字一文字綴られた文字を消して新しい字を書き込んでいくような、ちょっと正気の沙汰ではない所業だ。とても人に許される領域のことじゃないと思う。あいつの黒い瞳には、この世の全てが自分の玩具と映っているのか。

 ――元に戻ったら私、あなたのことなんかすっかり忘れて故郷の森に駆けていっちゃいますよー

 出会ったときに、メイスが笑顔で俺に言った言葉だ。戻ったら、メイスはどうなるんだろう。人語を理解し魔道書も読む、中身はそのまま、今のメイスなのか? それとも全てを忘れて中も元のうさぎに戻るのか?

 いや、本当にメイスは――

 先の思考を俺は飲み込んだ。凄く目の前にメイスの赤い目に白い顔があった。

「どうしましたか?」

 いやなんでもない、と口が他人のそれのように勝手に呟いていた。メイスは不審に思った様子もなく

「私、食事をしにいくので――」

 言ってメイスは俺をひょいとつかんでザックにいれた。お供せよ、か。

「この山、草食動物もいないんですけどね、一応――」

 とメイスはすたすた飛び出していく。最近ここが定位置な俺だが、向きだけは自分で変えられる。前の方を見ればメイスの首と肩が邪魔だが(髪は最近しばってくれる)似たような視点でものがみえるし、後ろは障害物はいっさいなく視界もすっきりして景色を見るときなんかにいい。背中合わせでメイスの死角も俺で補えるし。

 俺はちょっと迷った末に、後方を向くことにしてナプザックの中でよいしょと回った。レタスのどの面に視点があるんだ、というのは禁句。

 んー、というか多分、この状態、俺が「その気」になればパノラマで(どうせ球体だよ馬鹿野郎)見えるんじゃないかなあ、と思う。だって目があるわけじゃないんだから。

 なのになぜ一方向しか見えないのかというと、そりゃ俺が人間のとき一方向しか見えていなかったから――だろう。つまり人のままの感覚では、パノラマの感覚というのがちっとも理解できない、受容できない。小さな瓶にいくら大量のぶどう酒を注いだところで、少量のぶどう酒を注いだときと同じ量しか瓶は受けつけない。そんな感じかな。

 巣――家――やっぱ巣の入り口から、メイスは膝を曲げて大きく飛び出した。後ろを向いていた俺は、ぽっかり口をあけた巣からぐんっと引き剥がされる。メイスの身体能力は凄まじい。

 ぐーっと空に放り出された視点が、ある地点で浮き上がるのをやめて今度は吸い込まれるように落下する。細い膝が曲がると同時にその勢いが地面に受け止められ、再び伸ばそうとする動きにさらに加算されたとき、無限に飛び上がっていけるような力でメイスは再び空の住人になる。確かにこの視点は人のものじゃない。

 だけど茂みに身を伏せる、うさぎのものでも決してなくて。もうとっくに巣の入り口は遠ざかって見えなくなっていたけれど。

 俺はメイスがどんどん二つのものから遠ざかっていくような気がして、もう夕暮れが近づいた冷えた秋の外気をやけに感じた。





 数日、何も起きなかった。人も獣も少なくて、空だけが大きく雄弁な、山暮らしが続いた。メイスは日中洞窟に残っていた魔道書を読み、昼飯時に一山越えた食事場の日当たりのいい丘で草を食べて夜になったら岩のベッドで眠った。俺も夜にはちょくちょく元に戻った。

 山の中の暮らしというのは、なんだか切り立っていて、静けさが大きい。生まれた家もかなり山に近かったが、草木すらまばらな高山というのはまた別世界だ。外界から切り離されたここは、時の流れすらもどこか異なる。

 夜は特に異世界だ。どこまでも闇と静けさが支配しきって、星は迫るように輝く。そこら辺で適当に拾った木の棒に、メイスからもらった糸をくくりつけて、石をどかした先でもぐりこもうとする長虫を地面からほじくりだして、準備を整えると流れが緩やかな川床に投じた。適当な釣竿が視界の前で揺れている。

 元の姿に戻ったら町では飯を食いに行くが、こんな場所では自分で調達するしかない。幸い山は実りの季節で木の実自然の芋と食べるには苦労しないが、木の枝に魚はぶら下がっていないので、いそいそと俺は釣りにきている。俺は一番好きな食い物が川魚なので、ま、なんとかこういう芸当くらいはできる。

 川釣りは海釣りよりも腕がいるときくが、こんな場所で釣りなんて真似をする者はそうはいず、魚も油断しているせいだろう。大量ではないが、闇夜に垂れた釣り糸は時たま反応して跳ね回る魚を引っ掛けてくれた。一人で食べるぐらいの分はすぐ釣れそうだ。

 何年も暮らしていたのなら、とりあえず近くに水源があるんだろうと思ってメイスに聞くとビンゴ。山の裏手の谷底に流れていて、細いが綺麗な川だった。手ごたえを感じて引いてみると、餌だけとられていた。ので新しく付け直していると

「お師匠様もここでよく魚を獲っていましたね」

 獲れすぎたら、さばいてあの洞窟に干しまして、私その臭いが本当に嫌でしたね、と顔をしかめるメイスに所帯臭いなあ、と思いつつあんな奴でも雑事はマメなのかともう一匹つりあげたのを区切りに、糸をたらすのをやめあの巣からちょっと持ってきた薪に火をつけ小さな焚き火を作る。釣り上げたばかりの魚に口から細い木の棒を突き刺す、と俺もマメなことをしていた。

 すると手伝おうとはしないメイスは、赤い光を宿した目を細めて

「昔はその行為が一番謎でしたね。どうして人間は火を通したものを食すんですかね?」

 私は火を通した野菜なんてとても食べられませんよ、というメイスにああそれは確かに謎かもしれないなあ、と少し納得した。貯蔵という概念が他の生き物には(冬眠前のリスとか蟻は別だろうが)あまりないのだろう。

 そこで俺はふと気がついて振りむき

「だけどコルネリアスって、生で魚食ってなかったか?」

 ドラゴンの森で泉のほとりに座った奴を思い出して言うと、メイスは口元に手をあてて

「昔は、そんなことありませんでしたよ。ずっと焼いて食べていました。ここ最近ですかね、ああいう風に生で食べだしたの」

 まあここの魚はずっと昔から食べていたので、飽きてきたのかもしれませんが、と続けたメイスに

「昔ってどんくらいだよ」

「子どもの頃から、と本人は言っていましたが」

 子どもの頃。

 手元の魚が突然ダイヤを吐き出したような、凄まじく場違いですっとんきょうな単語に俺は思わず背筋がぞわっとした。しかし落ち着いて考えればおかしい話ではない。案山子だってタニシだってアメンボだって(あ、案山子は違う)一応なんかから生まれて幼虫から育ってきたんだろう。現にここには奴の住処があるんだ。生きている以上、必ず生活があり、生きてきた以上、必ず過去がある。

「……そういやあいつって、いくつぐらいなんだ?」

「なにがいくつ、ですか?」

「年だよ」

「知りません」

 メイスはほぼ即答だった。まあ話していない限りは知るまい。んー。俺は一生懸命姿を思い浮かべて

「30――いや、20後半……ってとこか?」

 呟いて女の年を若めに言う癖がぬけてねえと苦くなった。二十代はないだろう。むしろもう四十までいっといて欲しい勢いだ。

 だが外見上、そこまで年がいっているとは思えない。とにかく背が高いので年が上に見えがちだが、目元や口元に皺が浮かぶような肌でもなかった。

「お前ってさ、コルネリアスの背景、どれくらい知ってんだ?」

 するとメイスはちょっと考え込んだ後

「背景…というのには正直、興味がないんですが、なにか弱みか急所はないかと思って、探ったことはあるんですよ。でも、無理でしたね。あの巣には何も見つかりませんでしたし、本人は自分のことを滅多に喋らないし」

 ただ、とメイスは呟いて「昔、私がお師匠様とここで暮らしていたときは、全然思わなかったんですが、外に出て他の人間を観察するとですねえ、お師匠様の巣って、他の人間の尺度から照らし合わせるとちょっとおかしいですね」

「物凄くおかしいよ」

 思わず俺は心の底から言った。メイスははい、と呟いて

「なんというか、なんと言いますか――隠れて住んでいた、って感じじゃないですか?」

 かくれ? それも川魚が真珠吐き出す並みの言葉だなあ、と思ったが、俺はここへの道行きを思い出す。人も通らない山や丘を越えて誰も酔狂にも登らないだろう禿山の中腹にこっそりと……

「お師匠様は――魔導師の一族に連なる者ではないでしょうか?」

「魔導師の一族?」

 はい、とメイスが言った。

「子どもの頃からってのは多分、裏を返せばお師匠様がこの巣を作ったわけではないのでしょう?」

 ……なるほど。コルネリアスが作ったわけではない。しかし、一人ぼっちの子どもが間違っても迷いこんでくるような場所ではない。すると、どう考えても第三者の存在が介入してくる。それに魔術士というのはたった一人でなれるものでは決してない。その第三者が魔術を使えた可能性は極めて高い。しかし――、一族?

「今でこそ、魔導師は一世代の個々の存在と見られていますが、魔力は血の繋がりで現れることも多いそうですし、一族や集団があってもちっともおかしくない。あのシナトの遺跡に住んでいたのは群れでしたね? あそこに住んでいた人々が元々一族であったのか、それとも迫害が彼らに「一族」を形成させたのかはわかりませんが――単体では立ち向かえない危機に際して群れを作るのは本能的に正しいことですからね――するとシナトがそうしたなら、当時、同じような行動に走った魔術士は各地にいたと思いませんか?」

「――だけど、ここはとても集団が住むような」

「もっと狭い範囲で言う一族、ですよ。シナトは少々規模が大きすぎます。逃げのびるなら群れも小さめに形成した方がいい」

 もっと狭い範囲で言う一族。それはつまり――

 家族だ。

 手元のすっかり焼けた魚がリンボーダンスを踊って川にじゃあさいならしたような単語だと思った。

「まあ、お師匠様の巣にはシナトのように迫害者への対抗策が見当たらないのが気になりますが、どちらにしろここいら一帯は今も昔もやすやすと人間が入る場所ではありませんからね。シナトほどは徹底的に警戒しなくて良かったのだと説明もつきますし」

 俺は少し反駁するための準備を整えた。

「――けど、大空白時代って、四百年も前のことだぞ」

 迫害も逃げのびる理由ももうおとぎ話だ。

 もちろん実際に逃げのびていたのは四百年前でしょう、とメイスは言って

「ただ、ここに住みつくようになった理由、なら不足はないと思いますがね。ここにはお師匠様しかいなかった説明もつくと思いますし。世捨て人という言葉がありますよね。私、これレザーさんのこと言っているのかと思っていたんですが、どうも集落や群れを捨てた人間を主に指すようですね。シナトの遺跡に、生き残りはいませんでした。自らの意思で出て行ったのか、あそこで最後の一人が息絶えたのか、それはわかりません。が、もし迫害の時代を生きのびて、そしてもう隠れ住む必要がなくなった。多くのものは出て行くでしょう。けれど、不思議ですね。これは動物でもいえることなんですが、それでも「そこ」に居残る少数というのはどこの世界でも必ずいるんですよ」

 焔に照らされてメイスは言った。深い人里離れた夜の下。メイスと二人っきりで向かい合って話すと、孤独と心細さと近いせいだろうか。メイスが語るものはひどく理解しやすいものに思えた。

 メイスはそれから一拍置いてわずかに躊躇ったように

「あの人、ほいほい使っているので私も人里におりてからしか気づかなかったんですが、空間転移なんて理論はあっても実現の例はほとんどないんです」

 と前置きしてそこで踏ん切りがついたのか顔をあげ

「お師匠様の魔術は他の魔術士と比べて異質なところが多すぎます」

 ときっぱり言った。

「魔術の大空白時代はそれ以前の時代から確実な魔術の衰退を招いたと言われます。魔術士の根絶と共に、魔術に関する全ての文献も焼き払った時代でしたから、それ以前の研究や有用な魔術のノウハウが多く失われた時代でもありました。お師匠様の魔術は力も規模も質も他の魔術士と比べて違いすぎる。けれど空白の向こうにある、失われたはずの知識を直に受け継いでいるとしたら? 現代の魔術士と全く異なるそれらを継いだ身であるなら?」

 魚の焦げ臭いそれが鼻をくすぐって、ようやく俺は棒に刺した晩飯を焼きすぎていることに気づいた。

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