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岩天井に空を描いて(7)


「心外な」

「でも師匠様すごいよね。この変態っぷりをよくあそこまで真似たよね」

「心外な」

「あ、ってことは僕、師匠さま蹴っちゃったのかー。悪いことしたなー。君のかわりに蹴られちゃったんだから、後で謝っといてよ。ナグリー」

「ナグリー?」

「偽者呼ばわりが気に喰わない殴るの大好き変態ライナス君の愛称」

「いやですよ」

「じゃあナグルー」

「変わってない!」

「ボクサツ!」

「殴りますよ」

 べー、とリットが舌を出した。昨日からずっとこの調子だ。俺たちが穴倉から出る前から続いてたようだから、昨日からの話ではないのかもしれないが。

 今度は正真正銘のライナス・クラウドは、ちょっと不機嫌そうだ。そりゃそうだ。自分の知らないところで偽者がうろうろしていたと聞かされたら。リットはすっかり面白がっている。

「まあ、でも今考えれば三割増し紳士だったかも」

「あのですね」

「滲み出る変態性は本物じゃないと」

「だから」

「口ではあれ言ってても、実際誰も殴ってなかったしね。やー、ぼく迂闊だったな。一日一殴りしないと禁断症状でるライナス君がさ、誰も殴んないでまともな意見吐いてるし」

「カール! 目上の者に対する礼儀が――」

「あの」

 いつまでたっても終わらない、リットとライナス(本物)の言い合いに前に座っていたバードが申し訳なさそうに口を開いた。申し訳ないのは本当にこっちだ。

「そっちも、色々あってびっくりしてるだろうけど、ちょっと話していいかな」

「いいよいいよ、ごめんね、うちのナグリーが」

 リットは絶好調だ。

「ともかくこっちもさっぱりだから、うちのミイトに話をさせるけど」

「は、はい」びくんっと震えてミイトが意を決したように、でもへっぴり腰で前に出てきた。一晩休んだ後、風邪を引いた様子もなく元気そうだ。この姉ちゃんは結構タフなのかもしれない。「そ、そのですね、わ、私たちがバードさんたちを待ってたときですけど、ライナスさんが私のところに来まして」

「僕じゃないんですから、僕の名前つかうのやめてくださいよ」

「す、すいません。え、えっとお師匠さま、がやってきまして、ご自分はホントはライナスさんじゃないこと教えてくれまして。私、もうびっくりしちゃったんですが、目の前でこうぱあっとお姿が変わられて。それで以前、勝手に私の力を使ったことがあるって言われて、もうそ、その驚いて。しばらく話し合ったんですけど、お師匠さま、私に一つ頼みごとをしてきたんです」

「……魔力を使わせて欲しい、ですか」

「そ、そうです! さすが白の魔術士さん! わ、私の魔力を使わせて欲しいって仰られて、わ、わたし変だなあってだってどう見てもお師匠様の方がずっとずっと強い力を持っていらっしゃるのに。でも、お師匠様は、この力で竜は殺せないと仰りまして。遺跡のこととか色々教えていただいたんですが、もう、もうどうしていいか。そうしたらお師匠様がバードさんとロイドさんは決して危ない目に遭わせないと約束してくださって、ああそれならなんでもお手伝いすると――」

「ミイト!」

 不意にびっくりするような主から声がした。あのバード・トラバーンが遮ってきつく叫んだんだ。誰もが驚いて沈黙し、ミイトは大きく怯えの色を見せた。

「そんな――そんなのにだなあ」

 腕を組んで堪えきれずに言うバードに、しかし急に

「……でもさ、実際、ししょーさま、手助けしてくれたわけでしょ、ちゃんと」リットだ。どこかしら責めるような目をバードに向けている。「君はミイトちゃんを子ども扱いしたいのかもしんないけど、誰だって大きくなるし、なったら守られるばっかじゃなくて守りたいって思うのは当然じゃないか」

 この突然の流れに、けれど誰より困ったのはミイトだったようだ。急いで割り込むように身を乗り出し「い、いえ、わ、わたしが悪いので、わたしは考えがなくて、い、いつも――」

「ううん、ミイト。そっちの子、その言い分が正しいとあたし思う」不意に、静かに、けれど生半可では折れない芯が入ったような声でレイアが言った。「置いてけぼりにされた気持ちも一緒だもの。あなた達の言っているのは正しいけど、あなた達がどうしてついていきたい、と歯噛みするのと同じくらいどうしてついていけないってあたし達が歯噛みする気持ちは強いわ」

 激しい姉ちゃんの静かな、静かな分だけ激しい言葉に、近くに座っていたロイドもたじろいだようだ。バードはただ、あわあわと言葉を紡げずにいるミイトを見ている。

 その横顔がなんだか見るのが苦しくて、俺が視線をそらすとメイスが俺を見ているのに気付いた。なんだよ、と思いつつちょっとだけ、耳に痛い気がした。

 いつもは僕は知りませんよなライナスも、さすがに気になったのかリットを見やったが、つとめて空気をかえようと

「――で、その、話がちょっとそれるかもしれないんですが、竜の子――ですか? 失礼ながら、本当に、そんなものが?」

 まあ僕はウィリス・レスがあったという方もいまだに信じきれてない有様なんですが、とライナスはもっともなことを言った。

 メイスがライナスを見て頷くと、ミイトもえ、ええと頷き

「わ、わたし、見てないんですが、お師匠さま教えてくださいましたよ。竜は怨念から生まれるんだって」

「……怨念?」

「空気を漂って、集まった怨念が、実を含ませるものを分解してやがて固まって再生して、何より強い身体を作って、それが竜になるって。あそこは――あそこは、迫害された人々が作った隠れ場所で、あそこで生まれた竜はとても邪悪なものに変貌してしまうから、って」

 ふとバードが口を開いた。そこからは滔々と、井戸に刻まれていた文句が流れ出た。

「――……岩天井に、空を描き。盤の下から清水を得て、いかなる時も心を保て。安寧の地で、我ら――を生むことなきように」

「竜」

 そうだな、とバードは口元で呟いた。「竜を生むことなきように――」そうだな、とバードはもう一度言い聞かせるように呟いた。「誰かが迫害された時代に――迫害された人々があの遺跡を作って生き延びた。全てをやり直してそこで生きようと決めて、憎むことはないように生きる術を井戸にまで彫りこんで戒めた。だけど」

 バードは目を閉じる。遠い昔を、細い糸で、少しずつたぐり寄せるように。

「岩天井に、空は描けなかったんだな――……」

 天井いっぱいに広がったあの絵を実際に目にした俺たちは、なんとも言えずに粛々とそれを受けた。確かにあれの動機は、あの井戸に彫りこまれた文句のように、悟って静かに生きる人間の心境ではない。むせ返るほど生々しい、苛烈すぎる感情だ。

「その人たち……どんな人たちかわかる?」

 リットがぽつっと聞いた。バードは腕を組んで目を閉じた。

「遺跡の年代はもう特定されてる」

「いつ?」

「大陸共通歴400年代前後」

 ……。その意味を受け止める場で、バードがそれに、と続けた。

「気付いていた? 崖の下の死体はみんな、顔から流す血が描かれてた」

 大陸共通歴400年。五十年間続いた魔術士の大空白時代。横行したのは捕らえられた魔術士の目を生きたままくりぬく残酷な処刑方法。それ故に赤眼の宴、とも呼ばれた。大地に積み上げられた血に濡れた眼はすべて鳥達に食わせた。

 間違いない、とバードは鳶色の瞳を開いた。

「あそこに隠れ住んだ人々は、虐げられた魔術士の一族だ」




 メイスと意見が一致した。ここを発つ前に、ミイト・アリーテにもう一度会いに行くことにした。うまく呼び出せるかなあ、とテントの近くまで行くと、運良くミイトが薪でも集めに出たのか一人で歩いている姿が見えた。

 呼びとめると、ミイト・アリーテはやっぱりびくっとして振り向いたが、こっちを見るとちょっと笑った。

「も、もう御発ちになるそうで、お、お気をつけてくださいね」

 そう言ってからミイトは気が弱そうに肩をすくめ

「あの、白の魔術士さんがご不快に思うのは当然です、ま、巻き込んでしまってすみません」

 ――すみません、それは私が頼みました

 地下空洞(もうはっきり判明した)の湖に浸かってミイト・アリーテはそう言った。そして俺たちにだけ話して口を閉じた。ロイドにも口を閉じさせてバードには決して知らせなかったそれ。

 そう。まさしくバードや俺たちがまったく意味のわからないまま、あの遺跡に連れてこられた原因は、この嬢ちゃんにあった。

 いつにもまして何をやりたいのかわからなかった奴の思惑は、実は奴の思惑だったんではない、というからわからなくて当然だったんだ。

 一連の出来事の中で、奴には二つの思惑があった。まずは、ミイト・アリーテの力を使って竜を殺すこと。もう一つは俺たちを遺跡の中に連れて行くこと。

 しかし、前者は紛れもなくコルネリアスのものだったが、後者は違った。それはミイト・アリーテの目的だったんだ。うーん、これもわかりにくいか。もっと前に遡ると、あのテントの中で俺とメイスとミイト・アリーテが居合わせた時から始まるが。

 ――利用できたって言ってくだされば十分です、

 それを聞いたライナスの皮をかぶった狸は、じゃあ利用させていただこうとまあそう思ったんだろう。そして攫って話をつけた。(偽ライナスが拉致現場を見ていたというのはもちろん大嘘だ)

 ロイド、メイスの予想通り、コルネリアスはミイトを利用した。ただ、そこに一つだけ誰も思いもよらなかった要素が付け加えられた。それは無償、ではなかった。なんとコルネリアスは、協力を要請した際にその正当な代償をミイトに払おうとしたんだ。

 人を恐喝するような魔導師がいまさら何をと思う。そこにどんな気まぐれがあったのかは知らない。ただともかくコルネリアスは力を貸す見返りに報酬を約束した。ミイトは直接コルネリアスの言葉を伝えなかったが、せいぜい大きなことを言ったんじゃないだろうか。まあそれも理解できる。腹立たしいほど力を持った魔導師であることにかわりはない。レベルは大魔王だ。叶えてやれることは多いだろう、それも多くは決して望まないミイトのような人間相手ならほとんど確実に。ところがミイト・アリーテは報酬としてその大魔王も思いもよらなかったものを望んだ。

 遺跡を目にしてミイトの口にした願いは、一目でいい、バード達にこの遺跡を見せること、だ。

 無欲無私の勝利、と言おうか。魔王もこれには絶句した。そりゃする。魔力のないものには決して道を開かない遺跡だ。不可能を叩きつけられて頭を悩ませたかと思うと、この一連の出来事で唯一すかっとする。

 ミイトの願いは強かった。特にバードがどれだけ焦がれていたか、それが自分の力不足によって(だけとも言い切れないと思うんだがミイト自身は痛切に感じていたようだ)クエストを諦めなければならない状況だったもんだから。

 魔王はそれをはねつけなかった。はねつけられないでしょうね、お師匠様なら、とメイスも納得顔で言った。確かにプライドがかかった問題ではあるだろう。第一間抜けだ。一度約束したのにやっぱりできませんでした、というの は。

 試みで魔力を持つメイスとロイドはすんなりやってきたが、やはり残りは無理だった。ロイドとメイスはそこにいて(おそらくバードの到着を心待ちにしていた)ミイトから事情を聞き、色々説き伏せようとしたがロイドがまず折れて、メイスも仕方なく従った。

 それで残された指示と材料と奴の魔力で作り出したとかいう鳥をつかってメイスが渋々あのムラサキの魔法薬を作りリットに届けさせた。メイスが消えて内心すっかり気落ちしていたリットの感激っぷりは並ではなく、少しでも気にかけてくれたと嬉し泣きして――んで、あの夜に繋がる。

 渦中にいたときはまったく訳がわからなくてイライラし通しだったが、蓋をあけてほいほい取り出されてみれば姉ちゃんの自分への負い目とバードへの思慕が原因だったとは。

 俺が何度繰り返しても呆気にとられることの成り行きを考えていると、メイスは前に立つミイトをじっと見つめてやがて口を開いた。

「お師匠様が、あなたを連れて出て行かなかったのはなぜですか? ロイドさんは頼んで連れて行ったのに、あなただけを置いていくというのは妙だと思うんですよ」

 もう用済みになったから――、一瞬ひどく意地の悪い解答を俺は思い浮かべたが、ミイトはほっとして

「あ、あの、私から、言いました。私を連れて出ないでくださいって」

「どうして?」

 ミイトは少し躊躇った後、すまなさそうに「わ、わた、私が、そう言っても、きっとあの方は放っておかないだろう、おけないだろうと思って…」もごもごといった後「だ、だから私が離れず一緒にいれば、き、きっとみんな助かるだろうと思って……」

 ――え。

 俺の思考は隙をつかれてとまった。でもパズルのピースはカチカチと合致していく。大崩壊のとき俺たちの上に大岩が降ってこなかったのはなぜだ。気を失っておぼれるだろうにうまいこと水が抜けて助かったのはなぜだ。空気のある清浄な場所に運よく入り込み、すぐに助けが来たのはなぜだ。どれ一つとっても死んで当然のような状況の中、全ては偶然に繋がったのか。空耳かと思った、誰かの思惑通りになったのが悔しいとでも言うようにチッと誰かがした舌打ちの音。

 お、お二人とも、私のそばを離れないでください――

 理解した瞬間、心が火を吹いた。

 身がよじれるほど恥ずかしさに全身が襲われた。俺が人だったなら赤面をおさえてたまらなかっただろう。

 あの時の言葉。そばを離れないで、と言った言葉。それは、あの時俺が思っていたように心細くて懇願したそれじゃなかった。守って、とそんな要求じゃなかった。

 以前抱いたミイト・アリーテへの歯がゆさを羞恥と共に思い出す。バードもそうだ。俺たちが思っているよりも――いや、俺たちが思いたいよりずっと、思い上がって何も見えていないのか。

 コルネリアスが消え、崩れ落ちる遺跡の中。大の男だって泣き出したいような状況に自ら残り、すまなそうに、気弱そうに、びくびくと肩を震わせながら。だけれど身体を張って子を庇う母のように。

 ミイト・アリーテはずっと、俺たちを守っていた。




 他のトレジャーハンターたちが盛んに喋っている、会話の断片が風に乗りあちこちで聞こえてくる。

 遺跡は崩れてしまって岩の下だ。だけどそれを掘り出せば、まだ残っているものがあるだろう。バードのパーティはしばらくこっちに留まって掘り出しを手伝うらしい。どうしようかと今後を話し合うとトレジャーハンターたちを横目に歩きながらメイスが

「多分、あの遺跡は、魔力を持っていない者が無理に入ったから、ああいうことになったんだと思いますよ」

「……本当か?」

「それだけ強い結界でしたからね」

 それだけ強固な壁に閉じこもって、自分達を守らなければならなかった。魔力を持っていただけの、変わらないはずの同じはずの人間達。

 悪名高き魔術士の大空白時代。大陸的にもとても不幸な時代だった。各地で天災や旱魃の嵐が吹き荒れ、どこもかしこも不満と不和が募って、神に見放された時代とさえ言われた。  

 そう教えられたことを並べているうちに、言い訳じみている、と反復して思ってしまった。今並べたのは全部、迫害した側の歴史認識だ。為政者も民間人も今はみんな恥じて、魔術士を根絶やしにしようとした行いが間違いだったと公に認めている。だけどそう、やる側も可哀想で事情があって誰にもどうしようもできない不幸な時代のせいだったと、それは責任転換の時代認識だ。背景が不幸だろうがなんだろうが、やったのはそいつら自身の意思で。あの天井画を描いたのはそいつらの手だったことに、なんの違いもありはしないのに。仕方なかったんだ、そんな言葉をじりじり待ち望んで並べられた戯言だ。

 青い青い空は、あの天井には描かれなかったのに。

 ふと我に返って言った。

「だけど、それは、ミイト・アリーテが知る必要はないな」

「そうですね」

 メイスが頷いた。遺跡が崩れ落ちたのは不幸だろうか。学者連中にはとても残念なことだったろう。だけど崩壊が作り出した奴の意思なら、誰も責めるべきではない。あの嬢ちゃんは自分で自分を責めるから、結果的に自分の望みがバードが焦がれた遺跡を壊してしまったかもしれない。そんな出来損ないの皮肉を聞かせることはない。恥じているが、このことからだけは守らせてくれと俺は願うように思った。

 すると不意に後ろから声がかかった。振り向いてみると、駆け寄ってきたのはバードだ。

「もう行くんだって? みっともないとこ、見せたままだったな」

 そう言ってバードは笑った。話が終わった後から接触がなかったが、今のバードはけれど意外なほどさっぱりしているように見えた。

「っていうか、みっともないとこしか見せてないか」

 いや醜態の数をあげればうちのパーティも負けていないと思うが。メイスのいぶかしげな顔にもバードはたじろぐ様子もなく

「礼を言うの忘れてたから。ミイトを助けてくれてありがとう。本当に感謝している」 

 そう言って頭を下げるバードの姿勢は清々しくていいな、と思う。どうやっても見苦しいところがない奴だ。メイスははあそうですかと薄い返事で

「あの後、そちらは?」

「なんとか誤魔化しておいたよ。怪しさは爆発だろうけどね」それでも儲けものさ、と言うほど他の冒険者達を誤魔化すのは簡単ではなかったろうに。そして言い終わってバードの目が少しさまよって、一瞬、心細そうな色がよぎった。

「ミイトも、レイアも、もっともなことを言っていると思う」

「あなたが間違っているとは思いませんが」

「形はね」さらっと言ってバードは今度はしっかりした目を向けた。「俺の形は正しいさ。だけど行為には心がない」

 ……。

「俺はさ、軽いんだよ、万事が万事。昔っから。学者の次男坊だったんだけど、つまづいて家を飛び出してこの業界にきてさ。家にいたときから自分がどっか駄目だってわかってた。ここにきても、なんとなくね、ここまですんなり来ちゃったけど、きっといつかツケをはらうときがくるってわかってて、長引くからどんどん駄目になるなあって漠然と思っててでも何もしなくて。――ミイトに会った。一気に――ツケの払いがきたなあって思った」

 メイスが顔をしかめた。「言っていることがよく、わかりませんが」

「だから君に話している」

 まったくひるまずバードは笑って真剣な顔になった。

「俺は、俺はどんな遺跡や文化的価値のあるものより、ミイトや仲間が大切だ」そして笑う。影もなく。「嘘だよ。それは――嘘なんだ」

 バードは薄い笑みを絶やすことなく続けた。俺は忘れていた、あのとき、あの場で、ミイトのことも全部忘れて遺跡に魅入ってた、と。

 ……。

 ……。

「だけど、俺は秤にかけられたら、ミイトや仲間を選ぶよ。選びたい。選ぶ俺でいたい。真実よりそのことの方が俺にとって本当なんだ」

 バードは全てを知っているのだろうか。ミイトの本当の願いも。その心も。誰かに宣言するように大きく響いたバードの声が木霊する。メイスは少しの間、バードを見つめて

「私に言っても、仕方ないと思いますが」

「うん」

 少年のように笑ってバードは、言いに行くよありがとう、ときびすを返して俺たちの前から去っていった。変な人ですね、メイスが言った。




 茂みを抜けるとリット、カール、ライナスが立っているのが遠くに見えた。三人はすっかり旅支度を整えている。

 リットはこっちの姿にパッと顔を明るくさせて、カールは小さく頷いて、ライナスはちょっと照れくさそうに微笑んだ。俺はライナスを見た。ライナスに関わることでは本当に珍しく今回はこいつには非がない。しかし奴はこいつの姿を借りて、よくもいけしゃあしゃあと言ったもんだ。二、三日後には「本人」が来るなんて。

 リットは嬉しそうにメイスに駆け寄ったが、その瞳に切ない影はもうなかった。テントで泣いてたあの時以来、リットは実にきりよく湿っぽさを吹き飛ばした。女の子ってやっぱよくわかんねえ。瀕死の病人みたいな顔色の次の日に、病気なんてしたことがないと言うような陽だまりの笑顔を見せる。

「メイスちゃん、元気でね。見つかるといいね。また、絶対会おうね」

 心をこめて手を握って、そして一番最初に言いたいことを全部言ってしまった人間がよくやるように、リットはそれから言葉が出ずにちょっと困ったように首を傾げた。そして急に話すことを思いついたように

「あのさ、メイスちゃん」

「はい」

「メイスちゃんって、レザーちゃんの親戚かなにか?」

 ――は?

「レザーちゃんってさ、何度か多分、会いに来てたでしょ。僕らの旅の間にもさ」

 うわばれてるよ、と俺は聞きながら思っていやそれより、とリットのとんちんかんな推測に思考をもどした。俺とメイスが……なんだって?

「消えるときもレザーちゃんの名前呼んでたし、ずいぶん親しいみたいだから」

「……身内のように、見えますか?」

 メイスもさすがに眉根をよせて言う。確かにリットには言っていないが、親は早くに死んだし早死の家系だ。俺に身内なんぞおらん。リットはメイスの顔をゆっくりと見て

「うん、なんかな、なんか似てる気がするんだよ、でも、違うのかな」

「ええ、違いますが――……似ているというと――性格面ですか?」

 やめてくれ。

「や、んー、中身は違うと思う。顔、や、なんか見た目っていうか、雰囲気かな」

 ま、あんまり気にしないでよちょっと思ってただけだしとリットは言って「元気でね。見つかるといいね。また、絶対会おうね」ともう一度、最初に言った言葉を繰り返した。多分、本当に伝えたいことってそうたくさんはないもんだから。俺もカールをちらっと見上げた。カールは少し口元をつりあげた。感謝している。俺が伝えたいのはそれだけ。

 元気にリットは手を振って、俺たちより一足早く三人は去っていった。ライナスが現れた目的は、最初の偽者が言った用件とほとんど同じだった。

 まったくあいつはどうやって知ったんだ。どうしてこっち側の事情にあんなに通じている? いや、それ以上に。今まで放り出していたけど、なぜ奴は今回、竜を殺しただけにとどめたのか。手当たりしだいに竜を食っているわけではないのか。なぜ竜を自分の力では殺せないのか。ミイトも言ったとおり、魔術士としての腕はミイトより何倍もたつだろうに。それにこの遺跡。同じ魔術士として本当に奴はなんの関係もないのか。――ナイフで切り裂かれた、白い喉は血も出ずにそのままで。

 力を求める誇大妄想狂の魔導師か。企みを練り続ける冷静な策略家か。それとももっと――もっと何か得体の知れない、怖いものか。そんな疑問は一つにまとめられた。

 一体、あいつは何者だ。

 そんなことを俺が唱えても答えなど出るわけはないので、抱えた疑問はストレートにメイスにぶつけてみることにした。

「私が今まで言い続けてきた人間ですよ」

 メイスのにべもない言い草に、いや人格とか行動とかというよりルーツとか正体とかさ、と俺が根気良く言い募るとメイスはちょっと考え始めた。そんなこと、今までどうでも良すぎて考えなかった、とでも言わんばかりの態度だ。ここいら、バックボーンをまったく考えないメイスと俺の違いだな。

 それで俺は以前見てずっと収まりの悪いところに引っかかっていた、コルネリアスの白い傷跡の話をした。しかしメイスの反応は薄かった。

「瞬時に魔力で治したんじゃないですか。あの人、夜の属性のくせに治癒術も馬鹿みたいに使えますよ」

 それは俺も考えたけど。そしてコルネリアスは詠唱もいらず術を使うこともあるが。それでもあの時見た光景は飲み込めない。まだ釈然としない俺の横で

「確かにここ最近、血を見た記憶はありませんが、見たことはありますよ。普通に傷ついたら血が出てましたよ」

「え?」

「言葉を覚える前は毎日が流血沙汰でしたからね。噛み付いたり引っかいたりとにかく暴れましたその血の味がまずいのなんのって」

 私だってなにもせずにここまできたわけじゃないんですからまあ向こうがかすり傷のとき私の方は血まみれでしたがね、となんかさらっと入ってきた壮絶な話に俺がとまると、ふとメイスは思いついたように

「なんなら、巣でも行ってみますか?」

「へ?」

「巣――いや、家ですよ」

 俺はその言葉を吟味して

「……誰の?」

「お師匠様の家ですよ」

 どうせいないから今までは考慮にいれていませんでしたが、調べたいなら何かあるかもしれませんよ。

 そういうメイスの声がなんだか急に空っぽになってしまった頭に木霊する。

 家?

 なんだそのあまりに似つかわしくないアットホームな単語は。いやそのままだ。いえ。イエ。家。おうち。そりゃ、確かに、多分、誰にだってある、もしくはあったことがあるだろう。俺だって、まあ、ある。もう何年も戻っていなくても。あることは、そりゃ。家はあるだろう、かつてあって失われてない限りは。しかし。え。

 じゃあ行きますか、とメイスが俺をナプザックにいれる。ぐっとしゃがんだ後、非常識なスピードでメイスは駆け出した。小さな身体の正面は風を切り、髪は後ろに勢いよく流れる。久しぶりなハイペース。がたがた激しく揺れる狭いナプザックの中。

 混乱していた俺はなんだかひどく焦った口調で、でも関係ないことを口にした。

「あ、あのさ、お前が洞窟からリットに手紙あてたのはなんでだ。カールにあてりゃ、よかったじゃないか。カールの方が事情を知っててやりやすいだろ」

 するとメイスは走りながらひょいと俺を振り返って言った。

「だってリットさんは、私が出てくるまで、心配していると言ったじゃないですか」

「―――」

 今度こそ何一つもわからないのに俺はぐうの音も出なくなって。わずかな隙間からのぞく、遠ざかっていく遺跡が眠っていた緑の森を見ながら、たどたどしく今までの出来ごとを反芻することにした。い、――家、は置いとこう。わからんから。

 揺れながら考えていると、虐殺に思考が向いて気分が悪くなった。あまり後味のいい出来事ではなかった。でも、それは当然のことだ。そういうことがあったというのは、俺は昔から知っていた。ただ、知ってはいても、普段は考えない。考えていたらやっていけない。過去のどの地点でも今この瞬間にも惨禍に遭う誰かは必ずいる。きっといるから、考えていたら生きていけない。

 ただ、俺は岩天井を覚えている。鮮明に覚えている。描いた憎悪にヒビがはいり、その向こう側からのぞいたのは。

 遠い遠い遥か昔。描かれた以上の凄惨な出来事があったのかもしれない。岩の中でいくら嘆き悲しんだだろう。咎なく追われた人々は。あの部屋で誰かが狂いながら嘆いていた。狂いながら呪っていた。憎しみを幾度も幾度も再現して、ついには自分の空にそれを再現してまで。

 臥薪嘗胆。憎しみを忘れまいと、古の王は薪の上で眠り生の胆を嘗め続けた。それは確かに空恐ろしい執念だ。だからあの天井画は誰をもぞっとさせた。自らを自らで滅ぼしながら生きた証は怖かった。

 だけどヒビが入ったあそこから、岩の住居にのぞいたのは。最後にあそこに広がったのは、それでも人の強さを見せつけるように復讐も報復も全てを流して、

 描こうと望んだ、希望の空だった。













 話しこんでいるうちに日は沈み、ついでに蝋燭も尽きて部屋はがらりと装いを変えた。月が差し込む部屋は思っていたよりも明るかったので、あまり動きたい気分ではなかったアシュレイ・ストーンは、相手が動かない限りはそのまま放っておくことに決めた。相手も自ら動いて明かりをいれるつもりはないようだ。

「港方面での動きは意外だった。草の根の活動というものは、馬鹿にできないものだな」

「各地の港もずいぶん厳しい見張り体勢ができている。――どこかごく一部が全体に指示を出しているのかもな。……自主的にしては統制がとれすぎている」

「さて、そうかもしれないが、それを突き止める時間はないな。ともかく海が封じられたのは大きい。「荷物」を運ぶには最適のルートだ」

 生きた人間を扱うということはどの局面においてもやはり簡単にはいかないものだ、呟いて男は少しの間、考えを巡らせ何かを計算したのか「急がないとな…」と呟いた。その顔は、より影が濃くなっている。

 影射す部屋でその密談は、何事もなかったかのように淡々と進められたが、もう何度もぶつかっている問題点にさしかかると相手は苦笑して

「とにもかくにも、人手が足りない。君のお仲間が早く戻ってきてくれることを祈るよ」

 彼はすぐに見つけてくれるかねえ、と嘆息気味に言うと、ハイエナのよーなとこがある奴だからな、とアシュレイはいたって無頓着に答えた。平和推奨とでも書かれた面を被ったあの犯罪すれすれの男は、昔から仲間の居場所をかぎつけるが妙にうまかった。

 期待してるよ、と相手は言って、背もたれに身体を預けたと思った途端、素早い動作で身を乗り出す。急に間合いをつめられてアシュレイは隠し切れなかったかすかな不快感に眉を寄せる。

「それで、あの子は結局行方知らずか?」

「……ああ」

 肯定の声にわずかにすねたような響きが混じり、君にもわからないとはどこに雲隠れしたんだか、と続ける男に反発心が煽られ刺々しく

「むしろあんたが把握しているべきじゃないか」

「あの子を誘惑してうちから引き剥がしたのは君じゃないか」

 すっとぼけた口調に、アシュレイが渋面になる。それに相手は楽しげになり

「お家の大事にくらいは、自主的に戻って欲しいもんだね」楽しげなままぼやきを口にして、月明かりの下、男は友好的な微笑みを浮かべ、敵意に強張る相手を見据えて言った。

「あの子は返してもらうよ、アシュレイ君」

「帰る気がないから、出たんだろう?」

 すると相手は笑い声をあげた。

「竜でも倒せば帰ってくるさ。あの子は英雄になりたいんじゃない。英雄ごっこがいつまでも好きなだけだ。だから結末は同じさ。英雄の道筋をたどってハッピーエンドで帰ってくる」

 この話題を赤銀の髪の青年に投げかけることが心底楽しい、とでもいうように身体を揺すって笑う相手を、仲間の撲殺魔を見倣い頭の中で顔に三十発ほど拳を食らわすことで、アシュレイ・ストーンは気を落ち着かせ

「どうかな。そうそうなんでもあんたが思ったとおりにはいかないと思うぜ」

「茨に囚われた姫君が可哀想かい? アシュレイ君」

「――」

「なぜおとぎ話では、姫君はいつも囚われていなければならないのだろう? なぜ愛玩される動物はいつも檻の中にいれられなければならないのだろう? 自由な姫君がいてもいいじゃないか、自由なものを愛していいはずじゃないか」

 問いかけながら男は笑った。

「逆なんだよ。愛するものを檻の中にいれるんじゃない。愛されるものとは、檻の中のものなんだ。なにもかもが。認めたまえよ、アシュレイ君。私も君も、こちらの望みを知りながら、健気になぞるあの子が好きなんだよ」

「殺すぞ」

「私が君に殺されれば、面白いことになりそうだ」

 赤銀の髪の青年が口にした、その声音の冷たさは本気の熱だ。両眼が夜の中の獣のように殺意を含んで光を走らせる。それでも男は態度も口調も崩さなかった。その展開をむしろ楽しむように、笑いながら掌を天井にむけて返した。

「時間ぎれだよ。日は暮れすぎた、家出息子も、帰る時分だ」

 最後の言葉は、月の下の夜に、優しく投げられ彷徨い散った。

「いい加減、家に戻っておいで、レザー」





 <岩天井に空を描いて>完

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