岩天井に空を描いて(6)
「ひねりもなく、よくも同じ手にはまる」
その言葉が漏れた後は、もう奴はライナスなどではなくなっていた。ゆっくりと、まるで蝋人形が溶けていくように、ライナスであった部分がみるみる変化していく。隠されていた部分が突出するように、背がぐんと伸びた。うわあとロイドがまた声をあげた。
俺はもう腹立たしくてたまらずに、その姿を見ていた。グレイシアに化けられたと思ったら今度は仲間に化けて人をコケにしくさって。気付かず心配していた自分にも腹が立っていた面が強いと思うが、仲間を愚弄されると血がのぼってしょうがない。
「本物とも見分けられない身で」
鼻で笑った魔導師に見透かされて俺はカッとしたが
「挑発されないでください。お師匠様、今回使われたのは幻術でしょう。肉親でも気付きませんよ」
むしろ親しいなら親しいほど気付かないものです――
冷静なメイスの反論に俺は確かに頭が冷えた。幻術。なるほど。いくら姿形を完璧に模写しても、あいつは、格闘家だ。独特な動作やその癖は真似しようと思ってできるものじゃない。しかし見ている俺たちがライナスはこうだ、と思っていたことを「そのまま」見ているから――
ある意味で俺たちと接していたのは「本当」のライナスだ。本人ではないが。すると最初にメイスがあれがライナスさんでしたっけ、と訝しげな顔をしたのも頷ける。あまり気にならなかったが、あれは幻術が生み出した落差だったのか。
ずっと追ってはきたものの、ちっとも会いたくなかった姿に、女魔導師はもうあんまりこっちを気にした様子でなかった。こいつを見ていると負けん気だけは人一倍溢れるので、口しか出せないという状況も忘れて俺がどうしてくれようかと思っていると、不意に思い出したように再びあの激しい突き上げがおこりはじめた。それだけじゃない。
ぐんっと一つ脳がぶれたような気がした。!? 俺は咄嗟にメイスとロイドを見た。それぞれ愕然とした顔をしていた。ぐいぐいっとレタスに変化するときのように、意識を揺さぶりそのぶれで隙間を作り出し、そこから割ってはいってくる!
「――!!」
割り込んできたものは凄まじい容量だった。器が限界を覚えて悲鳴をあげても容赦がない。目が熱い、頭が痛い、無理だ無理だもう無理だそれでもぐいぐいとなだれ込み砕け散りそうなほど、いっぱいに溢れて溢れてはみ出して――
天井画だ。
視界いっぱいに広がったのは、あの天井画だ。いや、焦げた臭いが鼻を突き刺して、俺は間違いを悟った。天井画ではなかった。それは、現実だった。もうもうと立ち上がる黒煙、音ならぬ咆哮をあげて、首をもたげ、うねる赤褐色の竜。その動きが生む風がぶわっと寄せてくる。しなやかに身体をくねらせて何よりも獰猛に、瞳は赤い光をこぼれさせて。
しかし、「現実」が注視しているのは、竜ではなかった。視点は竜を通り越して遠く遠くへと飛び執拗に敵を睨む。高いところで、何かが光った。それは目の光だった。誰かが竜を見下ろしている。誰かが光景に嘲笑っている。強烈に、それだけを見つめ返す。視線で焼けるものならば、当の昔に焔があがる。総毛立つその光景はもぎはなされるように遠くなって、そして引き離された、――いや、引き戻された、その先には。
途方もない、憎悪が待っていた。
発狂寸前の悲しみはキリキリと殺されそうなほど胸を締め付ける。充満する黒煙よりも強烈な臭いを放って立ち上る。ああなんてこと、ああなんてひどい、どうしてそんなことがそんなことが――!! 夕日の中のように、血をぶちまけたように。真っ赤だ。わずかに黒を含んで、真っ赤だ。ひどいひどいと泣きながら憎悪は赤く赤く痛みだけを鮮烈に残して。
完全に取り込まれそうで俺は必死に自分とその思考をわけた。誰だ。いったい誰だ。この憎悪の持ち主は。
絶望がパッと切り替わり、その後では信じがたいことだが、元の岩でできた部屋が広がっていた。嘘のような世界の中で、部屋の片隅でロイドがうずくまって、固く目を閉じている姿が映る。お師匠様、とメイスの声がした。部屋の中央に、女魔導師は何も変わらず立っている。奴は一度だけ、こちらを見た。
「手を出すなよ」
言った直後に、女魔導師は笑ったようだった。ばさっと黒いローブを翻すと腕が肘まで見えた。「最後の逆鱗には、私が触れてやる」
魔導師の、まとった黒が滲んだ。
いや、辺りの空間に粉のような灰のような、視認できる粒子が徐々に溶け込んでいる。黒のローブだけではない、手入れの痕跡が見られないその重たげな髪からも、ゆっくりと粒子が煤のように黒く噴き出している。
「魔力の――放出――」
不意に全てが息を止めた。
全身を襲った感覚に、俺はようやく悟った。ここは、腹の中だ。とっくに異形の腹の中だ。まだまどろんでいた化け物の覚醒に、全てが息をとめた。
そして現実が一瞬だけ止まった隙間、やってきたのは激しい振動ではなく、凄まじい目覚めの咆哮だった。棍棒で執拗に頭を横殴りにされるような、ずしずしと埋め立てていく重すぎる音の嘆きだ。滑らかな岩が、壁が、空の代わりにした岩天井が、全身を使って叫んでいる。狂人の嘆きだ。そこまで嘆くには狂うしかない深淵だ。身も世も狂い、引きずり込んで火柱を吹き出す。焔は轟いて天にまで駆け上る。
「死人が嘆くな」
闇がより濃い闇に切り裂かれるように、完全に許容量を超えた音の中、コルネリアスの低い声がなぜかよく聞こえた。気付くと何もかわらない部屋の中、その落差にどっと汗がわく。
「ここは最後の死人の部屋だ。だからここから生まれ出る」
視界の先には何もかわらないコルネリアス。
びしっ、と部屋に縦の衝撃が走った。見えていないのに、俺にも見えた。誰かが巨大な刀を上から下に一振りしたような軌跡だ。一刀両断されたそこが一歩遅れてずずっと切り口を滑り落ち左右に分かたれた。
這いずるような動きでその隙間から光が漏れてくる。光と言っても白や金ではない。蠢く赤色。血溜まりよりも濃い、竜の目の色だ。空気が濃すぎて、空間がしまりすぎて、とても身動きができる状況じゃない。その中を、コルネリアスだけは歩みよる。ひるがえる黒衣の裾と赤い光。ドラゴンの森での出来事がよみがえる。手中におさめて、身をしぼりとって、一滴ひとかけら残さず、その女は竜を喰らった。
だけど、その手におさめられることはなく、柔らかい実が砕けるように。鈍い音と共に這い出た光源は滑らかな床の上に落ちた。光は蠢いて、震え、そして瞬間、パッと霧散した。
床に残ったもの。それは、まるで真っ当に産道を通ってきた、とでもいうように全身を濡らし、湯気のかわりに赤い光を衣のようにまとわして、床で蠢いていた。小刻みに震える、その頭がもたげられる。両目の部分は大きな瞼にすっぽり覆われて、細い切れ目はまだ開きそうにない。
「りゅう」
メイスが呆然とした声音で言った。「竜――竜の」
――胎児。
震撼しながらメイスの続きの言葉に答えた。見ているものが信じられずに瞼の端が痙攣する。
いやがおうにもひきつけられる、最大級のこの世の謎は、小さいながらもすでに光る鱗をまとっていた。大きさは一抱えほど。鹿の子どもと、そうは変わらない。小さなえらが少し震え、ぽつっとそれまでどこあるかもわからなかったのに、浮かび上がるように口が開かれた。音なき声を、竜はすでに発したようだ。そして他の生物と変わらずに、蠢きながら立とうと身体をぶるぶる震わせ、つたなく生きようと力をこめる。
細い首筋を震わしながらもたげ、一本の線にしかまだ見えないような瞼がぴくりと動き――
瞬間。青い光が鎌のような形に走った。それは上から下へと、地の近く薙ぎ、もたげられた小さな竜の喉をまるで無造作に切り裂いた。
びしゃっと、ぱっくりあいた細い喉から透明な液体が一瞬勢いよく飛び出た。地に散る雫と共に、ばたりと竜の身体もひれ伏す。完全な致命傷だった。
世界中の学者が切望する、おそらく人が見たのはこの世で初めてじゃないかという竜の子どもは、吹き消される蝋燭の火のよう、瞼を開いて世界を見る前に呆気なく息絶えた。
閃光が放たれた先には、氷のような目で手をかざしたコルネリアスがある。奴は、息絶えた竜など一瞥もくれず、らしくもなく落ち着きをなくしまるで緊張でもしているかのように、周囲から油断なく何かを感じ取ろうと構えていた。
だが、場がコルネリアスに返したのは沈黙だった。やがて意外そうな色が女の顔に浮かび、地面に崩れた小さな竜へと奴はようやく目を向けた。
「呪わず、逝くのか」
この鬼のような女に、初めて、何かがひらめいた。気がした。
だけど次の瞬間には女もそして――竜の死骸も消えて、その首から流れた体液だけが床にわずかに残っていた。呆気にとられた感覚の飽和がこの部屋に残って、そして次の瞬間、揺り動かすような震動が襲ってきた。
「レザーさん!」
メイスが掠れた声を、ようやく絞り出した、というように叫んだ。
「メイス!」
俺も叫び返し、正直、意味のない応答の間にどうするべきか、と視線をかわす。がくっとメイスが震動に膝を折りかけてたて直し、そのことで覚悟を決めたよう
「さっきよりずっと強い! お師匠さまが逃げた以上、ここ、危ないかもしれません!」
メイスがさっと身を翻して戸口に向かう。おいおいおい!
「待てよ! 俺、どうするんだよ!」
「なに言ってるんですかとっくに戻ってるでしょう!」
え?
あ、ほんとだ。見下ろすと二本の腕があった。身体も足もある。人間だ。座り込んでいる体勢だったが、どーりでレタス時より視界が高くなったと思った。良かった、ムラサキじゃない。なんてことを言っている場合ではない。
そうとわかると俺は慌ててミイト・アリーテに駆け寄って抱き起こし背に担いだ。完全に気絶した人間ってぐにゃりとして重心がはっきりせず非常に持ちにくいんだが、ミイトはどうも眠っているような状態なのかそこそこ安定してまあ長身にしては軽い方だ。
しかし、そこで俺はもう一人の存在を思い出した。ああああ団子っ鼻の兄ちゃんは!? うずくまっていたような気がしたが――どこだ!? 部屋を見回しても姿がないので、ざわっと汗がわく。
「あ、あの」
一気に吹き出た焦りは、突然耳元で囁かれた声にとまる。
「ロ、ロイドさんは、大丈夫です。もう先に出たと思います」
え?
思わず振りむくと、眠っていた姉ちゃんはぱっちりと目を開いて
「わ、わ、わたし達だけ出ればもう大丈夫です。く、崩れるって言いましたから、早く出ましょう」
出ましょうってあんた。
姉ちゃんの言葉に俺は一瞬ぼけっとしたが、先でメイスがレザーさんっ! と叫ぶのでほとんど反射的に駆け出した。ミイトも必死にしがみついているようだが、どうも力が弱い。一人では立てない状態なのか。しっかり抱えなおすと小さな呻きが首の後ろで漏れた。
走り出すと人一人はやっぱり重かった。駆けのぼるなら心臓が破裂してたかもしれん。切れる息を懸命に吐き出しながらいく俺の前を、メイスはタタタタと進んでいく。薄情、と一瞬思ったが、考えてみればメイスは一人でなら窓から外に飛び降りればいいだけの話だ。律儀に階段を下って出て行こうとする辺り、それなりに俺と一蓮托生をしてくれているつもりなのかもしれない。
四角い建物を急いで飛び出した。なんとか建物を脱出したが、待っていたのは揺れる大洞窟というもっと悪くなる状況だけだった。いまや洞窟全体が激しい轟きを放って身を震わしている。地が揺れる音が響く。硬そうな岩だが、いつまでもおとなしく揺られているだろうか。
「出口は!?」
「知りませんよっ!」
ちょっと尖ったメイスの声にオイ、と思ったがそこは抑えて
「あるのか? ないのか?」
「ありません!」
「おい」
ガラガラと視界の端に崩れていく家々を見ながら呟いて、どうしようかなあ、と呆けて考えた。答えが出たのは、これまた視界の端にまだ建っていた家が、天井近くから降ってきた巨大岩の影にぐしゃっと沈んだ瞬間だ。だめだ、ここは。
恐慌するか悟るしかないその光景を一緒に見ていたのか、俺の首に回されていたミイト・アリーテの手がきゅっとさらに強く巻きついてくる。それで覚悟を決めた。
「メイス! こい!」
「レザーさん!?」
一度だけメイスを顧みてから、俺は低地を目指して駆け出した。地上からさらに離れていくようで心情的にはいやだが、寂しい砂浜を連想させる水の中に感傷を踏みにじって飛び込んだ。顔にとびかかってくる水滴をわずらわしく思いながら、ばしゃばしゃとより分けて奥に進む。
歩きながらミイト・アリーテを背からおろして両腕で抱きかかえた。マントをはずしてくるんでやると、見上げる不安そうな目とぶつかった。
「水が怖いか?」
いえ、と気弱そうな声と同時にがぼっと足が深みへとはいって、しみいってくる冷たい水の感触と共にミイト・アリーテの重みがふっと消えた。
今度は浮いて離れていかないように抱きとめて、さらに進むとメイスがすぐ後ろにきていることに気付いた。白い髪が水面上に散らばっている。その上背では足がつくのはぎりぎりのところなのか、もうほとんどメイスは泳いでいた。
「俺の肩につかまっとけ」
メイスは特に反論せず肩に両手をおいてつかまりながら
「対岸に出口がある、とかいうわけじゃないですよね」
と不服そうに言う。
「出口がないって言ったのはお前だろ」
すると口元を水に沈めてぶくぶくと泡を吹きだし「私は、逃げないのは苦手なんです」
「だ、だいじょうぶです、多分」
言い出したのは俺の顎のすぐ下にいるミイト・アリーテだ。そうかなあ、と俺ですら思うのに、頭までまだ沈んでいないはずなのにいつの間にかぐっしゃり濡れた顔でミイトは必死に
「お、お二人とも、私のそばを離れないでください」
わかってるよ、とちょっと意識して和らげた声を出した。なにはともあれ、一蓮托生の相手を不安にさせるのはよくない。それから俺は気になって駆け下りてきた丘を振り仰いだ。ある程度落ち着ける水の中と違い、盛大に揺れていた。
「もつかな」
「無理ですよ。お師匠様、崩れるって言ったんでしょう。じゃあ崩れますよむしろお師匠様が崩しますよそういう勢いですよそういう流れですよ久々にあったらいつもいつもろくな目に遭わなくて」
メイスはふてくされている。そしてせわしなく動くので水が俺の方に寄せて、ミイトがおぼれかけている。濡れているのはこういうわけかと、水がかからないところまでミイトをちょっと引き上げつつ
「お前、さっきより前にあいつに会ってたのか?」
「いいえ。ロイドさんとここにきたら」そこでメイスはちらっとミイトを見て「ミイトさんしかいませんでした」
俺はちょっと反芻した。洞窟の前に来い、と言った女魔導師。転移する道へと誘った赤い光。しゃあしゃあと様子を見守る偽ライナス。
「あいつ、なんでこんなことに俺たちを巻き込んだんだ?」
「す、すみません、それ、私が頼みました」
は?
まったく意外なところから来た声に、俺が水滴を寄せて顔の向きを変えるより早く、何かがはじける音がして、俺は見た。
蛇が獲物に飛び掛るような、獰猛な素早さで天井画には大きな亀裂が縦横無尽に走っていく。おぞましい忌まわしい、だけど多分、真実の画像にヒビが入っていく。もう持たない、と思ってミイトを強く身体に押し付けた。
「崩れる直前にもぐるぞ、うんと息を吸えよ」
ミイトは俺の服に顔を突っ込んだ体勢からちょっと動いて
「あの方――…ちゃんと竜を、殺せていましたか――…?」
天井のヒビは広がり続けている。何を気にかければいいのかわからなくて、上を眺めたまま、口は勝手に答えた。早く息を吸えよ、じゃなく。「ああ、躊躇いなくな」
見上げたままだけれど、そうですか、と呟いてミイトがうつむいたのがわかった。小さく息を吸う音。それがもぐるためのものじゃないとわかって早く息を吸い込めよと思う。なぜだか、はっきりと、続きの言葉は聴きたくなかった。
「あの方、本当は――……」
ひときわ大きな音がした。天井のヒビがばっとはじけて岩が散る。広がった天井画が裂けていく。砕けた天井画は一部が向こう側にへこみ、もう一部はずいっとこちら側にせり出して、その亀裂を広げていく。ミイト・アリーテがはっと口を開いて今度こそ溜めるために息を吸い込む。それを確認して最後に見上げた。口を開いて。
張り詰めながら最後まで互い互いを庇うように、それが崩壊する直前を、俺は見た。無数の亀裂にしたがって岩天井がひいてはあの絵がいっせいに割れた先に見えたもの――。
「――ッ」
冷たい水の中に、ミイト・アリーテを強く抱きしめたまま一息にもぐった。激しい音は水の中でも続けざまに聞こえて、深く深くともぐって音を聞いて。そしてとても奇妙なことなんだけれど、闇の中で後ろを向いて誰かがチッと舌打ちしたような気がして。
それから記憶が途切れた。
目を開いた、
と思ったのに、あれやっぱ開いてなかったのかと苦労して開こうとして、目の前に広がるものが瞼の裏に広がるものとまったく同じ、深い闇であることに気付いた。瞬きを繰り返しても光景がかわらないという、この妙な感覚は慣れないな。
そんなことを考えてふとこれまた暗闇と同じ色をしていた俺の脳裏に、恐ろしく鮮烈な青がパッと散った。ヒビがはいる天井画の向こうからのぞいた空の色。一瞬で意識が覚醒した。
「おい」
特に意味のない言葉を思わず呟いた後、膝の上の重みに気付く。咄嗟に手を伸ばすと、濡れた髪の感触がかえってきた。それに心臓がはねて、とっさに首と口元を探り当てて両手をあてる。息と脈、どちらも正常だった。
ほっと息をついてから、メイスではないことがもうわかっていたので、俺は見えないとわかっていても見回す。しばらく首を回していると、闇の中からタッタッと足が軽く岩を蹴る音がした。
「レザーさん?」
メイスだ。
「無事か?」
「はい。ちょっと見てきたんですけどね、どこも瓦礫で埋まってとてもとても」
「どこにいる?」
声の方で方角はわかるが、岩の反響具合を考えるとちょっと怪しいので言うと、メイスは不便ですね臭いがわからないというのはと言いながら少ししてぽわっと小さな光を手元に生み出した。闇の中にメイスの姿と俺とミイト・アリーテを浮かびあがらせる。
光を得てもう一度ミイトを見た。意識は戻っていないが、外傷もなし。苦痛に顔をゆがめていたりもしない。ただ、全身濡れているので寒そうだ。
「どうなってる?」
「ここは湖の底のようですね。途中で水が抜けてしまったみたいですよ」
「そっか」
意識を飛ばす瞬間、このままじゃ溺れ死ぬかと思ったんだが、よく三人とも助かったもんだ、と息をついて、さてどうしようかと次の問題がある。
「閉じ込められてんだよなあ……」
「そうですね」
俺はミイト・アリーテを膝からそっとおろして立ち上がり、ちょっと指をなめて(全身濡れているのでほとんど気分だが)濡らした指をかざしながら歩く。さっきから思っていたが、ここの空気はあんな大崩壊の後なのに清浄だ。結構簡単に風の通りを見つけることができた。
巨石があるというわけではない。中にはでかめの岩もあるが、大半は土砂と瓦礫だ。さてと、と俺が立ち止まってみている横にメイスが来た。
「……岩をどかすしかないか」
「そうですねえ」
メイスが呪を唱え始めた。巨大な岩がぐらりと持ち上がる。でかい奴はメイスに任せて俺もちまちまとのけ始める。ここはもう、考えるより動くしかあるまい。
しかししばらくもくもくやっていると、不意に岩の向こう側に何かが崩れる音がした。耳をすませるとさあっと隙間から糸のように細いが光が忍び込んでくる。それは次々に数を増し、俺は慣れてしまった感覚に急に襲われて(これはいつも急にくるが)急いで持っていた岩を地面に置くと同時に屈んだ態勢からひゅっと存在が入れ替わって、物凄く低い視点になった。
メイスは一瞬とても高く感じられるところから(人間に戻った後だと余計高く思える)俺を見下ろしてすぐに光の方に目を向けた。お互い、悲しいほどなれっこだ。
メイスが目を向けた方に俺も向く。ガタガタと岩が勝手に動いていき、光が増す。光は、あの赤いそれではない。メイスがつくり出した光球でもない。白くて、ただ白い、日の光だ。
「おーい、生きていますかー」
光さす向こう側から聞こえてきた声にメイスと俺は顔を見合わせた。
「しっかり探してよー、にせものー」
「だから、なんのことですか」
ほっとするリットの声と一緒に何かを言っている、少年なのか青年なのか微妙にわからんちょっと高めの声――。
焦がれる外からさしこんできたのは光とそして、ライナス・クラウドの声だった。




