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岩天井に空を描いて(5)


 滅茶苦茶に張り巡らされた糸という糸。無数の糸が囲む様は、まるで巨大な蚕のようだ。糸の全てにはびっしりと鈴が張り巡らされ、一本の糸でもゆらせば膨大な鈴の音が雨あられと降り注ぐだろう。

 狂気のような鳴子の鈴の数が示すように、その一帯の封鎖加減は半端ではなかった。これ以上は近づけないというところまで連れてきてもらったカールの手で、俺がうへと思いながら見ていると糸の前に立っていた男達がじろっとこちらを睨みつけきたのでカールは無言で撤退した。

 やがて人目のつかないところにくると

「やっぱり封鎖か……」

「……」

 俺の苦い呟きにカールは返事をしなかった。

 あのとき、近づいてきたざわめきにようやく我に返ったときは、もう俺達は遺跡を立ち入り禁止にした主要なメンバーの怖い顔に取り囲まれていた。

 それでいっさいがっさい吐かされて、さすがに仲間を人質にとられていたという部分に情状酌量の余地はあったようだが、バードは軽率だったな、と苦々しい一瞥と共に、仲間を失った人間にかける奴の性根を疑う言葉をくらった。

 それでも歯を喰いしばって崩れることをよしとはしなかったが、見る影もなく憔悴したバードのパーティと、こちらも二人消えてしまったうちのパーティ、気落ちするなというのが難しい状況だ。だが、その中で一番気丈な態度を見せたのは意外にリットだった。

 黄色い髪のリシュエント・ルーは、三人は絶対に無事だと強弁して一歩も譲らなかった。その頑なな言葉にカールは一瞬迷ったようだが、うなずいた。そんなことを思い出して、俺は重く塞がる胸を抱えながら

「……どう思う?」

 やるせなさが吐き出させた問いかけに、カールはしばし沈黙したがやがて

「……無事だと、考えてはいないのか?」

「全部が全部、奴の仕業ならうなずく。だけど、昨夜のことは、本当に全てが奴の仕業か?」

「……」

「メイスだけなら、わかる。だけど、なんで、ライナスやまったく関係ないパーティのロイドまで巻き込む必要がある」

 光が消えた後の森に、残されず共に姿を消してしまったメンバーは三人。そこにコルネリアスの思惑があったとは思えない。まるで無作為に選び出したようなメンツだ。奴が作り出したものではない白い枠を光らせたのは、本当にあの黒い魔導師か? なんのために? まったくなんのために?

 事情を聞いたトレジャーハンターの連中はその現象を罠と片付けてほとんど絶望視している。目の前で光と共に姿が消えるなど、ウィリス・レスの悪意だとしか思えない、と。なれば答えは己ずと出ている。バードが示した二桁の中に三人の名前を入れるだけ。

 あのくそ魔導師のせいか? 嫌で嫌でたまらない奴だが、それでも、なら、希望があった。人殺しはしないとメイスは幾度も口にしていた。だけど本当に? いや、ともかく希望はある。魔導師のせいならいい。呼び出した件、奴が姿を見せていない点、奴のせいだと思うのは簡単だ。しかし、奴だとて万能ではあるまい。ウィリス・レスの罠の一部だったと、トレジャーハンターの見解が間違っていない可能性は――、

 無事だ。

 なんの兆候もなく突然堤が破れそうになって、俺はとっさにその言でほとばしりそうになる自分を押しとどめた。無事だ。無事だ。みんな無事だ。例え最悪が待っていても、わかったときに崩れろ。わかるまで無事だ。そこで止まるな。進んでいけ。

 そんな俺の葛藤を見抜いたのか、カールは何も言わず封鎖された全てからきびすを返した。そうして人気の少ないところまで戻ってきて俺達が寝泊りしているテントの幕をあげると、テントの中でリットが膝をついた妙な中腰で身体をあげていた。

 どっちも意表をつかれたことに、こっちを驚いて見た目が濡れていた。緑の眦に浮かんだ、新しい涙が綺麗で、ぎくっと縫いとめられるほど大人びて見えたその顔に、カールの手の強張りが感じられる。リットは特に非難や気まずさを浮かべず、ただこっちに向かって何か言いかけようとしたが、その前にカールがさっと腰を引いて立ち上がってしまった。

 はらりとその手からテントの幕がこぼれてリットの姿が見えなくなると、珍しく動揺したような動きでカールはそこからも離れた。

 どこへもいけなくなって、俺とカールの間にも、物凄い気まずさが溢れたとき、さっと誰かが歩みよってきた。いつもは高く結い上げている豪奢な金髪が肩に頼りなく垂れ下がっている。レイアだ。

「ちょっと……いいかしら」

 うつむきがちに姉ちゃんはそう言った。いつも威勢よく生き生きしていた顔で物騒な言葉をぽんぽん吐いていた姉ちゃんが、憂いの表情でぽつりと言うと、また気が重くなる。カールの顔に了解を見たのか、踵を返してついてこい、というようにもう一度振り向いた。

「なにか、できることはない?」

 テントから外れた、もう火が消えて隅の方で少しの熱がくすぶる焚き火の前に腰掛け、レイア姉ちゃんは問いかけた。

「……」

 レイアは返答を待っていたようだが、答えないカールにじれたように

「あたし、ロイドは無事だと思うの」

 ようやくカールが、なぜだ、と聞いた。

「あの時、あたしロイドの腕を掴んだから」

 ちょっとびっくりする俺とカールの前で

「……なんともなかった。ロイドが、いそいで振り払おうとしたけど、なんともないし そのままロイドだけが消えた。……バードは迷ってる。あの子が言ってた例の女魔導師の仕業なら、無事だと思ってる。でも、ミイトが攫われたときと比べて、今回のは変だって。ほとんど無差別だって。向こうにいるのが話の通じない「モノ」なら、本当に無事かわからない。……消えなかった、あたしは。掴んでいたのに。バードなんか一人であの枠を通り抜けたときは何も起こらなかった。バードはウィリス・レスの悪意じゃないかって考えてる。けど、でも――悪意なら、全員連れていけばいい。やっぱり、なにか、はっきりとした違いがあったんじゃないかって思う。あたしとロイド、ロイドとバードを、あの時分けたのはなにかって。あんたと、ミドルポートと、白の魔術士を分けたのはなにかって。あたしはロイドをよく知っているけど、そっちのメンバーのことはよく知らない。なにかない? あんた達になくて、あの三人にはあったもの。いや、白の魔術士と、ミドルポートの共通点でもいいから」

「……」

 レイアはなにかしらの作為、意味を姿を消した三人から読み取りたい。それが無事であり、ウィリス・レスの毒牙にかかっていないことの証明になると――。……。

 俺を低く積みあがった薪の山に置いて、カールは腕を組んだ。深く、考える顔。レイア姉ちゃんの主張する論理が、あってるかは難しい。ただ真剣で必死な彼女に、カールも真剣に答えようとしたんだろう。俺もそんな態度に打たれて考えてみる。ロイド、ライナス――そして、メイスにあって、俺たちになかったもの。うーん……。

 ……。

 物凄く接点がないぞ、これ。

 物凄く頑張ってしぼりだしてあげてみるなら、どいつもちょっと小柄? しかし、残ったメンバーにリットがいる。関係ない。つーか、小さいと言えばあのメンバーで俺に勝るものなど……。

 ふと、不安定な薪の上で意識を飛ばしていたため、俺はころっと後ろにバランスを崩して、薪の山をころころと下がり後ろに落ちてしまった。あ、いかん、と思いつつ転がって戻ろうかでもレイア姉ちゃんがいるしなあ、万が一のことを考えると迂闊に動きたくない。

 カールはこっちに背を向けて思索にふけっているので、俺のちょっとしたヘルプに気付いていない。レイア姉ちゃんも背を向けているので、まあ、こっそり戻っても大丈夫かな……。

 んなことを考えているとふと、気付いた。

 そういや俺、レタスだよな。

 なにをいまさら、がくるのは百も承知だが、理由がある。消えた直後のことを思い出したんだ。

 あのとき、俺はいつものようにメイスのナプザックの縁につまって、視線を配っていた。しかし白い光に包まれたとき、消えたのはメイスとメイスのナプザック。なのに俺だけは残った。

 最初は衝撃でうっかりナプザックの口から転がりおちたかと考えていたが、よくよく思い返してみるとあんとき俺は結構しっかりナプザックに収まっていたし、地面に落ちたときも転がり落ちて、ではなく下を支えていたものがふっとかき消えて落ちたんだ。

 ロイドが消えるとき、レイアを腕を掴んでいたが消えてしまった。しかししかし。レイアは人間で俺はレタスだった。なのにぽんっと俺だけ排除するようにこっちに置いて、メイスとナプザックは消えた。ナプザックが消えたのは、メイスが持っていたからだろう。ライナス、ロイドの持っていた荷物も消えていたし。なのに普通なら間違いなく荷物とみなされるだろう俺はレイアと同じく排除された。

 多分、共通点は生命。レタスなおれもあの光の中ではレイアと同列に扱われ、そして分けられた。なにか――違いが――やっぱりあったのか?

 むんず。

 ひょい。

 ん?

 唐突に指の感触が葉にめり込んで、俺の視界はレタス一個分くらい上昇した。え?

 ぐるっと回されて移動した視界に、黄色い髪が見えた。――リットだ。リットは俺を片手で鷲づかみにして、前の二人の様子を伺うとタタタタタときびすを返した。え?

 ぶらぶら揺れる手につかまれたまま、俺はちょっと唖然として並んで座ってまだこっちには気付かないカールとレイアの背中を見送った。ええっと…。

 リットは子リスのようにひょいひょいと茂みを飛び越えて、俺たちが寝泊りしているテントに戻ると、幕をくぐって床に俺を急いでおいた。んで、なんかナプザックの脇から取り出した丸めた羊皮紙を手に取り、しかめっつらで凝視する。それから再びザックの脇からなにかをとりだした。握った小さな指が隠してしまうような大きさの、紫色の小瓶だ。簡潔に感想を言うと、なんか毒々しい。俺はなすすべもなくその手を見上げて、変な紫の小瓶の口をリットがスポンと音を立てて茶色のコルクを抜くのを見上げて

 とろり、とその口から溢れた液体が素肌(素葉?)に落ちてきて、俺はその冷たさにぎゃっと悲鳴をあげかけて、最後の理性で押し留めた。とろっと気が狂いそうな緩慢さでそれが俺の肌をつたい、葉の隙間からしみてくる。水ではない。もっと濃いなにかの液体が葉の表面を這っている。その感触はというと……あーっ! 耐え難い! 芋虫にたかられたときの感触を思い出させて滅茶苦茶いやだこれ!

 それでも身震いもできず俺は耐えの一心で見上げると、リットの手に殻になった小瓶が握られているのが見えた。紫の小瓶、ではなく紫の液体が入っていた小瓶であったことを悟って、で、え、いったいなに――、

 カチンっ!

 それは、なんだかひどく、硬い音だったし、その音と共に俺の全身に走った感触も固かった。そして、俺も固まった。いや、比喩ではない。突然自分の体がカチコチになった。いや、比喩じゃないって!

「うわっ!」

 息を詰めて見守っていたリットも驚いたような声をあげて身を引く。その後、俺のそばに手をついておそるおそる身をかがめ俺を間近でのぞきこむように凝視する。な、な、な、

 突然、ばっと幕が翻って差し込む光の中に、息をきらしたカールが立っていた。オ、オソイ……。カールはテントの中を一瞥して、俺に目をとめて思わず口を開きかけ、そして急いで閉じた。その後ろからレイア姉ちゃんも顔を出して、気味悪そうに

「なに、それ? 紫キャベツ?」

 色々あんまりな言い草にも、俺は手も足もどころか葉っぱ一枚そよがせられない。この感覚――最初にレタスになったときと近いけど、あの頃より動くのはもっと無理がある気がする……、そんな硬直するしかない俺を、思い切ったようにリットが持ち上げて、小脇に抱えながらレイアをびしっと見据えた。

「バードちゃん、呼んできて」

「え?」

「一大事。いいから呼んできて」

「な、なんでよ」

「これ!」

 戸惑うレイアに、リットは俺を伝家の宝刀かなにかのように突きつけた。

「メイスちゃんが僕に、託してくれたの!」

 なぜか紫になりながら、まったく身の覚えのない我が身の成り行きに俺はレイアの唖然とした顔に突きつけられたまま、とりあえず固まっていた。


 




 闇夜にびしっと小さな音がして、松明のそばに立っていた男の肩が揺れた、と思った瞬間、何かが抜けてしまったようにその身体は折りたたまれてふらり、崩れ落ちた。

 隣にいた男が慌てたように駆け寄った途端、そいつの身体も突然生気を失い横に倒れる。びしびしと、乾いた音だけの襲来に、数人の見張りたちは襲来者の正体も見つけられないまま倒れ伏した。

 それを見て取って地面を這って茂みの中に一人先行していたリットが、みんなを手まねきして呼び寄せる。

 その片手にあるのは手ごろな木の枝にゴムをつけただけの、即席のパチンコに木の実をつがえただけの代物だが、なかなかどうして馬鹿にならない威力だ。一撃で気絶させているが、飛ばすのが石で当たり所がわるけりゃ死ぬよ、と何気なく言っていたリットを思い出す。

 無造作にこういうことをされると、俺たちの中で一番戦闘能力高いのって俺でもアシュレイでも戦闘馬鹿のライナスでも巨体のカールでもなくリシュエント・ルーだという気になる。まあ戦争でも個人の諍いでもモンスター相手にも、飛び道具の殺傷能力の高さや有効さは保証されているが。

 見張りは消えても(すまねえなあ)張り巡らされた堅固な糸は変わらず残っている。夜の中に浮かんだトラップは、細く鋭く進入を阻む。ここを無音で突破するには、鈴ひとつひとつを真綿でくるみでもしなけりゃ無理なんだろうけど。

 リットは茂みから姿を見せて、こっちにうん、と頷いてみせて四角い棒を片手に立ち上がる。そんで、――こっちを向いた。カールが持っている、まごうことなき俺に。……。……。……。

 カチコチに固まった俺に意思表示はできない。ただカールをじっと見上げた。アイコンタクト。多分、やだよおという弱音が入ったと思う。

 少しカールが躊躇いを見せたが、困っているのを感じ取って俺は仕方なくカールを見るのをやめた。

 いや、いいんだよ。それしかないというならやろうさ。ただ、もう少し、穏便な方法あんじゃねえかな。やること自体は、いいんだよ。手紙が本当ならやろうさ。でも木の棒で人のことひっぱたくのはないだろ!

 リットの手に俺がそっと渡った。そっとそのまま逃げ出したかったが、ムラサキでカチカチでは動けない。

 リットの顔に浮かんだ断固とした決意に、俺はなんとなく走馬灯のように遠い近い数々の思い出がめぐった。色々めぐってふとウォーターシップダウンのガキどもの姿が浮かんだ。

 ストローボール大会の優勝者のあいつらは、今日も元気にボールを投げているだろうか。元気かお前ら。立派になったか。俺も固まって立派なボールになって――

「じゃあ、打ち合わせどおり。いくよ」

 感傷も知らずにリットは言い放ち、そして勢いよく前に突進した。リットの足に身体に張り巡らされた糸が絡まり引っかかりそして切り落とされて夜に揺れ、それは凄まじい速さで連鎖をおこし、死人も棺桶の蓋を蹴飛ばしてうるせえ寝れねえっ! と怒鳴らんばかりの度肝を抜く大合唱になった。

 覚悟していたとはいえ、実際に鳴り響くと耳が聾にでもなりそうな凄まじい音色だ。千の音の実が連なるように、気の狂いそうなかしましさでリンリンリンと鈴が鳴る。

 その中をリットは素早く駆けて、あの最初の枠の前に来た。白い憎らしい枠は自分はなにもしていない、とばかりに闇を被ってつんと沈黙している。憎い仇敵を前にしたようにリットはそれをねめつけて腰を低く落としてひねる。俺の脳裏に遺言という文字が浮かぶ。

 いっ、とリットが跳ねた声を出して、同時にぽんっと俺が空に投じられた。太い棒が後ろで風を切る音。最後の瞬間、俺は遺言が浮かんだ。食べものを、粗末にしちゃだめだ――

「――っけええええッ!」

 鋭く吐き出した息の音と共に、見事真芯をとらえた木の棒に意識を置き去りにしそうな速さでぶったたかれた。俺は取りこぼしてなるものかと遺言を抱えたまま、前方の枠目掛けて凄まじい勢いでぶっ飛んでいった。




 凄く意外だったのは、痛くなかったことだろうか。いや、あの世でそう思ったわけではない。どこだここは、という点ではあの世に行ったのとそう変わりはないかもしれないが。

 まあ痛くないというより、衝撃が伝わらなかった、というのが正しいか。ぶっ飛ばされた衝撃は確かにあったんだが、痛みや自身の損傷には繋がらなかった。

 リットが振った木の棒にぶったたかれ、かつて味わったことがない身体にかかる荷重に任せ、色々なもの取りこぼしていきそうな速さで俺は飛んだ。前にとんだ。

 飛びながら思う。なんでこんな目に遭うんだろうオレ。そして、リットのスイング良すぎ。そりゃ、確かにあまり高さがない枠内すべてに通すなら、普通に投げては最後の枠にたどりつくまで飛距離が足りまい。俺はいまムラサキで固まっているので自力走行も無理。キックもコントロールの面では失敗の確率が高い。でも太い棒でひっぱたくって、下手したら死ぬぞ。

 だったんで、痛くないのは意外だった。ついでにうーん、疑っていたわけではないが、最後の枠にさしかかったときに、マジであの時と同じ現象が起こったのもびっくりだ。細い枠が命を再び宿し、白い光に包み込まれた。これも紫の効力か。むーらーさーきー。

 しかし、こんな状況でおかしな言い方だが、光に包まれた後、起こったことに俺が感じたのは、これは真っ当な通り方ではない、ということだった。

 紫に固まってバットでぶっ飛ばされて光に包まれて、これで真っ当もくそもない気がするが、突き進むこの感触はまるで蹂躙だ。バリバリと硝子細工を踏み砕いて無理矢理に道を明けていくような、周囲の空間が怒り、または拒絶を示して怨嗟と共に唇をかみ締めて身を引いていくような、抵抗をぶち破る悪辣さが「こちら」にあった。

 ともかくそんな感触だけを覚えて曖昧な白い光の後で現れたものは――、正直な話、どうしようもないものだった。オイオイ、少し前の自分を反復してそう思ったとき、後ろからバリバリとやっぱり怒りと拒絶の隙間を通るような、穏やかならぬ音がして、――俺が自身が光を放った。紫色の光。

 もう、どうしよう、と思った辺りで、一際激しく空間が怒って鳴り響き、何もなかった場所に急に激しい瞬きを繰り返すよう、何かが明滅した。

 現れたり消えたりぱしゃぱしゃとその何かは激しく入れ替わる。それは四人の人間の姿だ、と気付く頃には、現れたり消えたりを繰り返しながらもやがて消える回数が減り、最後はくっきりと輪郭を保った姿でだんごのようにまとめて

「うわっ!」

 となだれ込んできた。バード、レイア、リット、カール。俺は四人の様子を急いで眺めてほっとした。みな、無事らしい。

 さすがにだんごは痛かったのか、それぞれ顔をしかめてそして辺りの様子に気付いたとき、四人はいっせいに立ち上がり周囲を見回した。俺が四人より一歩早く観賞していた、どうしようもない、とんでもないこの場の風景を。

 現実を奪われた俺達にかわりに白い光が与えたもの、それは凄まじく巨大な空間だった。

 小さな港街ならすっぽり入るほどはあろうか。港街に例えたのは、そこに広がっていたものがそのまま「街」に他ならなかったからだ。

 小さな瓦礫、壁の後、家と見られるものが平らな大地にぽつぽつと立ち並び、道らしく隙間が横に走っている。閑散としてはいるし、どう見てももう廃墟だが、初めは明確な街として作り上げたのは確かだろう。

 四人が今立って俺が転がっているのは硬いむき出しの岩。巨大な一枚岩がいくつも重なっている大地は四方の壁も同じ作りになっている。岩肌自体は特殊なものではないが、どこから光源を得ているのか、むき出しになった岩肌はほんのりと明るみを帯びている。外ではない。

 遠くを眺めると薄い水色の層が目に入る。岩の大地にひたひたと透明な水が寄せているのだ。その水がどこからやってくるのかはわからないが、港街の半分はもう水に薄く覆われている。壁や家も水に浸かっているところが多い。沈みかかった、街だ。子どもが玩具を置き去りにして去った砂浜のように、味気のない寂しさが街全体を包んでいる。

 それにしても凄まじい広がりだ。四方きっちり岩で封じられているというのに、無限の海すら連想させるんだから。左後方の水がまだ届かない小高い丘になっているところに、四角い箱が横たわったような長方形の妙な建物が見えた。それすらもなんだか、子どものおもちゃのようだ。

「……なにここ?」

 震えるレイアの声に応えるようなタイミングで、ふらっとバードが進みだした。横顔を見上げる俺に気付く様子もなく(普通気付かないだろうが)、それこそ何も理解できぬ子どものようにただ広がったものを見つめている。やがてじわっと瞳が潤み、すごい、忘我の口が紡いだ。

 その呟きにその表情に、俺はああ、と思った。これがこいつの業だ。

 何もかも忘れ何もかも放り出して、狂喜してドラゴンに向かった俺の熱。冒険者の業というより、バード自身の業だろう。

 俺よりよっぽどできた奴だったバードは、これまで必死に、懸命に、それを押し殺していたのかもしれない。我を忘れて我も知らずに、飛び込んでいった馬鹿な冒険者たちを探しながら、その馬鹿さに焦がれたのかもしれない。責任を負って、仲間の身を案じて、魂が焦がれるものを目の前にしながらじっとじっと自制し続けていたのかもしれない。

 だけど。

 人格も優しさも通り越して、こいつの魂が求めるものはこれなんだ。竜殺しもトレジャーハントも根は同じなんだと思う。そんなことを考えるレタスな俺は、ひょいと伸びてきたカールの手に拾い上げられた。武骨で、丁寧な手だ。この姿になってから色々な人間に持たれたが、カールの手が一番落ち着く気がする。ごろごろ。

 無視されず拾ってくれた嬉しさとその手の感触に思わずなつきそうになった俺だが、カールは俺を拾いあげる屈めた態勢で不意に何かに気付いたように動きを止めた。

「……井戸がある」

 その言葉にバードがびくんっと飛び上がって振り向いた。カールにまわされて俺も見た。

「本当だ……!」

 建物に向かって光に照らされた雲のようにぽつんとあるのは、確かに角のない石のレンガを一つ一つ積み上げた丸い井戸だった。汲み桶らしきものは辺りに見当たらないが、積み上げられた石垣の中はぽっかり口を開いている。

 飛びつくように一同が駆け寄り、カールが跪いて転がっていた岩の欠片を拾うと、井戸の中に落としてみた。投じられた小さな石と共に、その暗い穴に視線も思考も吸い込まれるようなわずかな沈黙の後、カッと硬い音がした。結構、深い。

「枯れてるみたいだね」

「ずいぶん長い間、使っていないようだな……」

「ちょっと!」

 息を呑むようなレイアの声があがる。姉ちゃんは井戸の縁を怖い顔で睨んでいた。「ここ、見て。何か書いてある。バード!」

 レイアの肩越しにちらっとだけ見えたそれはどうやら古代文字のようだ。二匹のミミズがくねくねと絡まりあったりのたくったりしてるような、全く不可解な文字で、まったくわからん。

 バードが、場を譲っているレイアをも押しのけかねない勢いで井戸に飛びつき食い入るように目を通す。おい資料もなしに読めんのかよ、すげえな。

 岩に噛み付きかねない様子だったバードは、やがて身をおこし凄く不思議な顔をしてぽつりと言った。

「――岩天井」

「え?」

「岩天井に空を描き、盤の下から清水を得、いかなるときも心を保て。安寧の地で我ら…――駄目だ、かすれて読めない。…を産むことなきように。」

「……を産むこと……?」

 レイアが口元に手を当てて考え込み、バードもじっと岩に視線を注ぐ。俺とカールもその井戸に気をとられていた。だからくいっと裾を引っ張った小さな手に一瞬反応が遅れ、俺とカールはほぼ同時に気付いてそちらを見た。リットが顔をあげて立っていた。

 そのぽかんとした表情は気を引いた。リットは小さいから、メイス以外の誰と会話するにも見上げなきゃいけない。しかしリットはこのとき、カールを見上げていなかった。表情も視線もさらに上に向けられて、その角度はほぼ真上だ。手だけが勝手に動いたように、くいっともう一度引っ張った。

「カールちゃん……うえ」

 幼い口調でリットは言った。顔は動いていず上に向けられたままで。その声もまた見上げた視線の先にふわっとあがっていきそうで、俺とカールも自然と上を見た。

 仰天し通しなものばかりでおいどれに驚けばいいんだ、と不服を言っていた頭が今度こそ驚きの悲鳴をあげた。仰天に続く仰天のオンパレードの中、最後に控えていたものは、威風堂々、文句のつけようがない、度肝抜きの御大のおでましだった。

 真っ直ぐに見上げた岩天井は、巨大なキャンパスになっていた。のっぺりした岩肌に、どうやって刻んだのかわからないが、一面の巨大な絵がのけぞりそうなほどに広がっていた。でかい。人の手でそれをなしうる困難さがわかりながらも、それは明らかに人の手以外の何者も介さない作品だった。

 迫り来る色彩の圧倒的な量に怯み、そして巨大さに何が描かれているのか一瞥では見てとりにくいが、真ん中に赤茶けた巨大なものがある。大きな何かの――あれは、竜だ。竜を視認すると、全体像の把握はすぐだった。そしてその忌々しさに芯から心が冷えた。なんの絵かわからなかったときも、あまり気持ちの良いものではないとその断片から薄々とわかっていたが、岩の天井に広がっていたものは、まごうことなき、――殺戮の絵だった。

 場面はどこかの崖。その上には煤けた空が覆っている。崖は濃い色使いで形どってあるのに、空の薄さは息苦しいほどだ。崖に一匹の巨大な竜がいた。赤茶けた竜は身をかがめて、その眼前に山と積まれていたものを咀嚼していた。山になっていたのは、人間だ。

 ぐったりした人の死体が竜の前で山になり、竜はそれを貪り喰らっている。なぜ死体が山になるほどその崖にあるのか。それは崖の上を見ればわかった。

 崖の上では幾人もの人間が荷台で運んできた死体の山を無造作に崖下に放り込んでいる。人を食う竜。食われる死体。死体を投げる――また人。身の毛がよだつ構図だった。

 見ていることすら耐えがたいのに、それでもうす暗がりに広がったその絵は圧巻で、飲まれそうで恐ろしくて、俺はひどく苦労してそこから視線を剥がし、その先には偶然バードがいた。

 先でバードは泣いていた。真上を、空を見上げる仕草というのは、外から見てひどく無防備で無力な様を感じさせる。空を向けば、つたう涙は隠しようがない。今度こそ自制した全てを振り切って、傷ついたように、あまりにひどいと感じたように、開けっぴろげな自覚もないだろうバードは泣いている。

 その様子を見て、俺はリットのメイスに対する思いを見せ付けられたときのように、やっぱり切なくなった。これだけ焦がれているのに。恐ろしく一途に恋をしていたのに、やっぱりそれは片恋でこの場所はどこまでもバードを受け入れようとはしなかった。想いの分だけ想いを返しはしなかった。しようがなくて無理に押し入ってきたら怒りを向けた。

 それでもどうしようもなく恋をしていたから、バードは泣いている。精神的なバランスがよくとれている奴だと思っていたが、内面はそれ以上に感じやすいのかもしれない。リットは手紙を受け取って嬉しくて泣いていた。メイスが少しでも自分を向いてくれたと。俺も泣くのかな、いつか。

 おぞましく、けれどそれ以上に圧倒的な絵の下で、静寂は等しくふりかかって。初めに動いたのは、やはりリシュエント・ルーだ。

 不安になったのか、落ち着きなくカールの足にまとわりつきはじめ、これは怖いよ、ようやく声が出た。カールは優しく見下ろした。リットはちらりと立ち尽くすバードの方を見て、はばかるような口調で、僕はどっか見えないところに行きたいそれにメイスちゃん――そう言って見回した小さな身体が固まった。あ―っと口から息と共に声が漏れて

「ミイトちゃんだっ!!」

 リットの声は強かった。振り向いたバードの顔がひどく青ざめていたのが俺の網膜に鮮明に焼きついた。リットはこの場に張った結界すべてを壊して、がらがらと崩れる世界の中で一点を指差す。

 リットの指はえらく遠くをさしていた。小高い丘の一点。射手だけあってとびっきり目のいいリットの視線と指の先。小高い丘の上に立つ、横たわった長方形――よくよく見ると、こちらに向いた側面に無数の四角いものがびっしりとついている。しかしリットの優れた目はさらに細かいところまでを要求しているようだ。うーん。より目になって(気分だよ)目をこらす。箱をぽいと横に倒したような、まったく見たことがない妙な建物、その一番上の列の窓の一つには、もう点かわずかな影だが、赤茶けた髪の――

「ミイトっ!?」

 悲壮に呼びかけて駆け出したバードの姿が、突然明滅した。

「――!?」

 いや、バードだけじゃない。動揺よりも早く、光は一気にバードからレイア、リット、カールに伝染した。――!? 互いを見つめ合い、あっと開いた口が閉じる間もなくその姿を無情にかき消す。バードの退場を半瞬も待たずにずっと俺を持っていてくれた、武骨な手の感触が下からかき消えた。ぽかんと放り出されこつんと落下して岩肌に転がる前に、四人の姿はもうどこにもなくなっていた。

 俺は本気で呆気にとられていたから、背後から迫る気配に全然気付かず、すっと持ち上げられてその感触に初めて震えた。

 さっきも言ったが、この身体になってから俺は実にいろんな人間に持ち上げられてきた。人の掌はそれぞれ違う。最初に会った農夫の固い手、ちょっとの間剣を教えた赤毛の坊主の荒れた手、黒髪の嬢ちゃんの柔らかく温かい手、グレイシアの細くひんやりと癒しを注いでくる白い手、カールの手が一番落ち着くと思った。だけど、慣れは多分、最善を凌駕する。少なくとも、レタスでいるときの俺の居場所はここだと、なによりその感触に馴染んだ身体が訴える。

「やっぱり、短いですねえ。無理しても」

 ため息がちな声が届いて、固まったままの俺はもう一度震えた。くるっとメイス・ラビットの白い顔が見えた。動けないまま、俺は我が目を疑った。感触は疑えなくても、目は疑った。メイスだ。メイスだ! 本当だろうか。俺の前にいるのは本物のメイスか――。

 メイスはちらっと俺を見下ろして、情けなさそうな顔をした。

「ああなんて美味しくなさそうな姿に」

 メイスだ。

 突然の再会の驚きも感極まった嬉しさも問答無用で摘み取られたような勢いで俺は白けて実感した。そんな俺の横で「おーい、メイスさん」とちょっと間延びした声が聞こえて、だんご鼻のロイドが普通そうに横から駆けて来た。ロイドはバードが消えた辺りを気遣わしげに見やり

「あれ、リーダーたち、ほんとに大丈夫?」

「大丈夫でしょう」

「それが、言ってた使い魔? ……なんか、紫になってるけど」

「はい、術のせいとはいえ、なんて美味しくなさそうな姿に……」

 メイスの興味が削がれるなら、俺しばらくムラサキのままでいようかなあとつい思う。

「――で、ですね、レザーさん。これからのことですが……」

 ロイドの前で普通に呼びかけて、見下ろしたメイスはふと不審を覚えたように、カチンと俺の体を叩いて

「聞いてます?」

 聞いてはいるけど……。俺はそのことを伝える術はない。

「ちょっと返事してくださいよ」

 だから俺は今カチンカチンの状態なんだよ!

 メイスはいつまでたっても動かなけりゃしゃべりもしない俺をさわさわと探った後

「あ――……ちょっと強すぎましたね」

 と呟いて口元で小さくなにかを唱えた。……

「あ」

 唐突に声が出て、俺はびっくりして、ロイドがひゃっと声をあげた。

「レザーさん、しゃべれなかったんですか」

「そーだよ!」それまでの鬱憤のせいか、メイスが顔をしかめるような大声を出して「ってかおまえら今までどうしてたんだあいつら四人が消えちまったのはなんでだここはなんなんだなぜ俺はムラサキなんだ」

「今までここにいました四人は無事に戻りましたここがなんなのか私にもよくわかりません紫なのは無念ですが魔法の副作用ですああ美味しくなさそう!」

 ほ、ほんとにしゃべんだ……とそれまでものすげえ引いていたロイドがようやくちょっと寄ってきた。この様子では結構こいつにしゃべったらしい。んー。俺が苦い思いでロイドを見ていると、おれの倍は早い口調で言い切ったメイスがくるっと同じ方向を向いて

「あなたも、もう戻ってバードさん達に説明でもしといてください。後は私達に任せて」

 言うとロイドはちょっと躊躇ったが

「や、ミイトを、置いてはいけないよ。向こうも心配だけど、向こうには二人いるしさ。一人っきりにはさせられない」

 メイスは不服げにロイドを見たが、それ以上は詰め寄らなかった。

「ミイト・アリーテもここにいるのか?」

「ですよ」

「あそこから消えた奴はみんなここに?」

「ええ」俺は急いで頭の中を整理して「ここって……ウィリス・レス、の奥なのか?」

 するとメイスはため息を吐きながら

「あの穴倉は、ただの罠なんですよ。全部が全部。重要なのは、あの枠だけ。あれが空間転移に作用する特殊な物質で構成されていて一己の生命にのみ感知を働かせ作動するんですよ」

「――?」

「メイスさん、むらさきさん、わかってないよ」

 ロイドが気を使ったのか口を挟んでくれた。すまん。むらさき言うな。するとメイスもそのことに気付いたようで言葉を選び選び

「つまりあれが――まあ、一種の装置、仕掛け、なんですね。最初の枠をくぐりそのまま最後の枠まで出れば、スイッチが入って作動するようになっていたみたいで、一番重要な最初の枠に木なんて生えてしまったから、ながらく解明されませんでしたが。隠す気もないくらい、すぐにわかるような代物だったんですよ」

「もう……悪意としか思えないような偶然だなあ」

 ……

 ???

 疑問ばっかり膨れ上がってきて、俺はそれぞれうんざりしているような二人を見る。

「……あのさあ、つまりあそこは移動させるためのなんらかの装置で、ある特定の人間だけがあの枠をくぐるとここに転移する、んだよな?」

「そうですよ」

「――で、お前らには反応して飛ばされて、バード達は無理だった。その――基準、っていうか、違いはなんなんだ?」

 すると二人はきょとんと俺を見た。「なにを今さらなことを言っているんですか、レザーさん。ちゃんと言ったでしょ?」

 へ?

「もしかして聞こえてなかったんですか? 飛ぶ前に魔力に反応してるって言ったはずですが」

 魔力?

「だいたい聞こえてなくても、消えた人間の共通点をちょっと考えればわかるでしょうが。ここは、魔術士しか来ることができないようになっているんですよ」

「それはおかしいだろ」

「だからレザーさんの場合は元々魔力の産物ですからね。バードさん達よりかはなんとかなっているんですよ。まあ、それだけ魔力のコーティングをしてれば誰でも入れそうですけど。バードさん達も一旦はいってしまえば大丈夫かと思ったんですが」

「ライナスに魔術の素養があるっていうのか!」

 俺はびっくりして声を出した。ペテンだと思っていたのに! 魔術士の格好をしているだけだと思ったのに!

 しかし、二人はきょとんとした。

「……ライナスさん……がどうかしました?」

「……そう言えばさっきのメンバーにいなかった気がするけど」

 ロイドが思い出すように言って、俺がえ? とさらに思った。あれ、なにかが噛み合っていないぞ。

「ライナスって……ここにいるだろ?」

「なぜあの人がここに?」

「だってお前らと一緒に飛ばされたんじゃないか」

 二人は顔を見合わせた。

「ここに飛ばされたのは、私とロイドさんだけですよ」

 え――?

 ミイト・アリーテのそばにでもいるんだろう、と思っていた認識が一瞬で崩れた。認識のついでにぐらっと足元も揺らいだ。レタスに足はない。壁、天井の壁画が盛大に揺れてぶれている。

「な、なに――?」

 ロイドが不安そうに呟き、けれど油断なく構えて周囲を見回す。なんらかの異変がまた起こり始めた。まだ頭の整理はつかない。だけど。

 行き場所ならわかってる。

「メイス! ミイト・アリーテのところだ!!」

 俺は瞬間叫んだ。ハイ、とメイスが返事をした時には走り出していた。後ろでロイドが戸惑ったような声をあげる。白い髪がざあっと後ろに流れて、岩の街を駆け抜けてメイスは瞬く間に丘の上の建物と距離をつめた。

 近くで見ると思っていたよりも高い。遠目に白く見えたので薄々察していたが、岩肌の材質とはまったく違い不自然なほどつるつるした、大理石のような表面だ。その表面にびっしり並ぶ四角いものはもう間違いようなく窓だった。

 そんな妙な建物を間近にして、メイスは走りながら器用に俺を後ろ手でナプザックに押し込んで、屹立する壁を目前にしてもスピードを緩めずに、あわや衝突という瞬間ぐんっと膝を曲げて――

 後ろからとりあえず追ってきているロイドに、この説明はどうつければいいんだろうか、

 と俺がそれを考えたのは、高々と宙に舞い上がってからだ。結構渾身の力をこめた跳躍だったようだが、ミイトが姿を見せた一番上の窓には到底届かず、それでもメイスは意地を見せて上から三つ目の窓枠にがっと手をかけて一息で中に踊りこんだ。

 窓の向こうに広がっていたのは、薄暗く不可思議な部屋だった。壁に沿って作られた床が一部ぼこっと飛び出して出来た部屋と同化しているベッド、数は少ないがそれでも本棚だったり椅子だったんだろうと推測できる家具、すべて同じ材質でできている。

 部屋は人が住むようなつくりになっていたが、長らくの間、誰も足を踏み入れていないことを示すように人の気配がまったくない。しかし。遺跡というには神殿とか祭祀場とか、そういう特別な場が多いんだが、ここはまるで生活の場そのものだ。――生活の場? こんな悪夢のような罠がある遺跡の奥に?

 色々余計なことをまるで場違いに考えていた俺とは違い、メイスは一歩もとどまらず部屋の奥にあった出口らしいところから飛び出て、長い廊下につきあたると、端まで駆けて行って階段を見つけた。

 階段を飛ばしまくって駆け上がった先、さっきとまったく変わらぬ廊下が奥まで続いている。この分じゃ一階も二階も同じだろう。かなり多くの人間の住居として作られたんだろうが、無機質で味気のない建物だ。無個性でどこがどこやら見分けがつかないその中を、メイスは一歩も躊躇わずどれも同じように見える入り口の一つに飛び込んだ。

 部屋の真ん中に、奴がいた。予定調和だと言うように、こっちを見ていた。さっきは立って窓際にいたミイトは石のベッドに静かに横たわっていた。両手は胸の前で組まれて、意識はないようだ。メイスが無意識にナプザックをはずして胸の前で持つ。メイスのちょうど顎の下から俺も顔を出す。

 メイスが見つめた。俺も見つめた。二つの視線を浴びて、悠然と奴は構えている。長いか短いかわからないその対峙の呪縛は

「ラ、ライナス・クラウド!?」

 階段を駆け上って必死についてきたんだろう、向こうの入り口から顔を出してぎょっと叫んだロイドの声に破られた。部屋の真中に立つ、手首足首まである裾の長い服をゆったりとまとい、杖をついて少年なのか青年なのかわからない男は、窓側の俺とメイス、戸口のロイド、どちらにも向くように身を傾けた。

 ――ま、まままままままままま魔導師の方、で、ですね?

 ライナスを前にして、ミイト・アリーテの緊張しまくった言葉がフィードバックする。それに畳み込むようにバード・トラバーンの声も鮮明に蘇る。

 ――ミイトは、他人の魔力を感じ取れる――そんな魔術師だと、気付かなかったわけがない。

 そうだ。ライナスに魔力がないなら、ミイト・アリーテが勘違いをするわけがない。だけど――違う。グレイシアはすでに見抜いていた。ライナスには――「本物」のライナスには、間違っても。

「ライナスさんには、魔力がない」

 メイスが厳しい声で言い放つ。

「そして魔力のないものはここに入れない」

 飴色の瞳がこちらを向く。ロイドが上ずった声をあげた。

「ミ、ミイトを攫ったのは、あんただったのか!」

「つまりあなたは、ライナスさんではない」

 その視線の先に立つ相手を見つめて、俺は以前覚えた違和感を思い出した。

『君たちが探していたという赤い光を放つ珠とは――』

『君たちがいくら赤い光を放つ珠を探していても――』

 前者はライナス。後者はロイドだ。まったく同じことを言っているように思える言葉だけど違う。俺たちの内情を知らないロイドは、一緒にいるリットもカールも同じ目的だろうと思ってこの言葉を吐いた。だが、ライナスは知っていた。リットとカールは赤い光の珠なんぞ捜す目的などないことを。なら奴は、なんで君「たち」と言った? ライナスなら、探しているのはメイスだけだと知っていたはずなのに。

 再会した後の、色々なライナスを思い出す。脅したり笑ったりふざけたり少しだけ真面目になったり。ライナスは、性格が悪い。というより多分ずれている。だからむっとするところもある。おいおいと思うところも多々ある。だけどあいつは俺の仲間だ。大切な、仲間だ。

『君たちが探していたという赤い光を放つ珠とは――』

 もう一度その言葉を反復させて、全てを断ち切った。あの言葉は、この言葉は、――「俺」の存在をはなから知っていた奴にしか吐けない台詞だったんだ。

「違いますか?」

 その呼びかけにライナス――の姿をしたものがにこっと幼く笑った。正解した、弟子をまさに見るように。

「馬鹿か、貴様ら」

 その口から漏れた声は、聴き間違えるわけがない。あのテントの中で響いた、女魔導師のものだった。

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