岩天井に空を描いて(4)
全速力で駆け抜けた直後に、そんなことぶちまけられたバードのパーティは、ほんとすいませんでした、と頭下げたくなるような有様だった。ほんとすいませんでした。
で、四人の目撃者の話を総合すると、リットが木の上でああメイスちゃん大丈夫かなーと思っていたところに、いたって普通そうに(リット言)あの元凶魔導師がやってきたらしい。リットは当然びっくりした。
あー! お師匠様!! メイスちゃんずっと探してましたよどこ行ってたのさーうんぬん。リットはそのままあの女を引き連れて(ごめん、とリットは謝った)見てよ見てよ、カールちゃんお師匠様きたよー、とカールのところに行った。
そーだよな、甘かった。基本的にリットは一応コルネリアスと面識があった。しかし、ドラゴンの森での役割なんて知らないし、初対面のナディスではどちらかと言えば味方のポジションだった。(しかもリットとは何故かまあうまくやっていた)
おまけに師匠なんだからふつう、敵なんて考えるどころかああ弟子探しにきたんだなーと連れて行くのが当たり前だ。リットは謝ったが、そういう行動をとったのはリットの立場からすれば当然だろう。
その点、俺とのいきさつを知っていたカールはちょっと用心した。らしい。ライナスはちょっと離れたところからその黒い後ろ姿が見えて、上背から男性だなとなんとはなしに思ったらしい。(ライナスは居合わせてなかったと他のメンバーに思われていたらしいが、奴もちょうどそっちに行こうとしたところで目撃していたらしい)ちょうど飯の準備でもするか、と集まっていたのでレイアもカールと一緒にいた。レイアは単純に見覚えのない魔導師の姿に小首をかしげ、その後ろから、食材をとりにいっていた、ミイトがとてとてと駆けてきた。
近づいてきたミイトがあれ、とその黒魔導師を見上げた辺り。
腕をとったんだよね、リットが言った。こういう風にひょいと。んで、僕の方を向いて「遺跡で」って言って一瞬でミイトちゃんもろとも消えちゃった。
何かに対してヘッドロックでもかましてえような手口だ。かまわん連れて行けって言ったあの声。ああもう!
それからの話し合いは、まったくの混迷を極めた。途中でバードがウィリス・レスの件で呼び出されたときは、あの温厚な男が舌打ちまでして苛立った様子で出て行った。まあ、気も身体もたっぷり疲れるわ仲間は失踪するわ得体の知れない魔導師は出てくるわ、普通きれるか。
バードが出て行ったテントの中で、ちょっとの間、バードが去った方向を見ていた全員の中でライナスがいち早く向き直って
「ともかく、夜に遺跡に行ってみるしかないじゃないですか、結論は」
「……そうね」低い声でレイア姉ちゃんが同意した。「ともかく実物に会わないと殴り飛ばすのもできないわ。ミドルポート、あんたは嫌だって抜かしたから、あたしがやるわ。文句はないわね」
「ご自由に。ただ、僕を地名で呼ばないでください」
「無理ですよ」
その勢いをかつんと止める声に、視線が集まった。レイア姉ちゃんがキッと吊り上げた目で「かばう気?」
「まさか」
十分な迫力に満ちた低い声に、メイスはまったく動じなかった。「私はお師匠様が殴られたり蹴られたり引っ繰り返ったり落ちたりぶっ飛ばされたり食べ物を喉に詰めたりともかくあらゆる災厄にかかっても息がつまるまで笑うだけで終わります。でも、断言してもいいですけど、ここにいる全員で全力でかかってもお師匠様の圧勝ですよ」
「おっしょうさま、そんなに強いの?」
「魔導師でしょ? そりゃ呪文唱えられりゃ勝ち目はないけど、唱える前にぶちのめせば」
「絶対無理です。あの人は、そもそも術に呪文がいるかもあやしいんです。その考えでいったらまず全滅です。レザーさんもそれでやられたわけですし」
……。
……。
……!?
「えーっ!! レザーちゃん、おっしょうさまに負けたの!?」
「瞬殺だったそうです、話に聞くと」
「死んだの!?」
いや、死んではいませんが、と呟くメイスとリットのやりとりを俺は呆然と見ていた。……いや、あの、そのな……
なにあっさりばらしてんだよっ……!
「レザーが、負けた、女性に」
きょとんとして確認するように短く呟くと、ライナスは急にくっと横を向いた。……笑ったな、笑ってるな、その肩の震えは。絶対だな。短いそれの後、爽やかな笑顔のままでくるっとこっちを向き
「いやー、いつかアシュレイが悲願を果たしてそしたら便乗して寝首をかかせてもらおうかなあ、と思っていたんですが横入りでそんなダークホースが。そんなのだったらもっとよくみてればよかったなあ、あの人」
……ふつーに泣きたくなってきて、俺は本気で悲しくなってきた心を保とうとする。いや、別にボケライナスの言葉で傷ついたわけじゃない。お前は鬼かとか寝首をかくって意味違うだろうとか言いたいことは多々あれど、ともかく。
俺は精神的には決して強いほうではないんだが(じゃなきゃあんなぐたぐだ悩まん)だけど、どこかで鈍感というか、物凄く単純な部分が俺もよくわからないところにあるようだ。でなければ、こうも長年レタスではいられない。普通に狂ってると思う。
レタスになった後に初めて知ったこの精神的安定感とでもいうものは、俺にとって実に意外なものだった。最初はほんとにぞっとして耐えられない耐えられないって絶叫してたのに、いつの間にかのほほんナプザックにつまっているこの状況に適合している。
ま、思い返してみれば学院時代にずっと面倒見てくれた人の訃報が届いて、べそかきながらこんなに悲しいことはもうないから絶対これから泣かないとか誓ったけど、その後もけっこう泣いてたようないい加減なとこがあった、昔から。
ただその俺の鈍感さというか単純さは、要は「どうしようもないから考えないことにしている」に尽きたんだと思う。
それを無理矢理思い出せられたというか突きつけたられたというか仲間におもくそ笑われ今までのツケが堤を破って盛大にやってきてなすすべもなく臨界点までえぐえぐとこみあげてきたというか。声をあげられない蹂躙される悲しき植物の、葉の表面に光る雫が浮いていたら、それは流せない夜の涙と――もう意味わかんねえよ自分でも!
正直、ここで俺が男泣き(そんなかっこいいもんかはともかく)しなかったのはレタスであるおかげとしか言いようがない。何回も思い知らされたがレタスは構造上泣けねえんだよ畜生!
「じゃあレザーちゃんが最近姿を見せないのは、そのショックで世捨て人になっちゃったんじゃないの?」
「一理ありますね。彼、結構、自意識過剰だし」
……もう死にたい。
その横でメイスが世捨て人ってなんですか、ときいていて、んーと世を捨てた人っていうか、人間やめちゃったひと? との答えになんだか物凄く納得したように頷いていた。しにたい。
「あ、あのさー」
俺にとっちゃ悪夢のような一幕に、おずおずと声がかかった。ロイドだった。「レザーって、誰?」
「たいへん殴りがいのある人」
「うちのパーティで一番強い人。でもおっしょうさまに負けちゃったあ」
ぱかぱかと答えてくださりやがったライナスとリットの横で、カールはしばらく黙ったあと、こういう集団の中ではほんとに無口になる口を珍しく開いて
「奴が……歯が立たなかった、というなら、正攻法は、諦めたほうがいい」
カールはそう言って、メイスの膝の上の俺を見ないように、そっと横を向いた。カールの気遣いにも、俺は泣きそうになった。お前の店、客がすくねえよ、とかちらっとでも思った過去の自分を蹴り飛ばしたい。
「というわけで、レザーの負け話は次にあったときによってたかって問い詰めることにして、つまり戦いは避けた方がいい、ですね」
「下手につっついたらひどい目に遭わされますよ」
ひどい目=レタス とか俺がぼうっと描いていると
「小細工、とかも?」とそういう方面が得意そうなロイドが口を挟んだ。
「ま、そっちの方が怒りますね」
それを聞くとロイドは少し自分の手元を見つめてから顔をあげ
「あのさ、今の俺たちには一番重要な情報がない……んじゃないかな」
レイア姉ちゃんに睨まれたのか、ちょっと語尾は弱くなった。
「重要な情報?」
「敵の狙い、目的、のこと。普通さ、人は余計なことや関係なことに労力を使いたくないもんだろ? それを知らないと対策のとりようがないと思うんだ。メイスさん、なにか心当たりはない?」
「……遺跡、ですね。私達が赤の光を探していたのは、お師匠様を探すためです。お師匠様が求めている様子だったので、先回りできれば、と」
「君たちが探していたという赤い光を放つ珠というのは、ここの遺跡で発見されたものなんですか?」
ライナスが口を出した。メイスはそっちを向いて頷いた。
「おそらく」
そう、あの元凶くそ魔導師を探すために、赤い光を放つ珠を求めて――
あれ?
今一瞬、俺の中でなにかがひっかかった。なんだろう。おかしいところなどないのに、なにかが不具合だ。俺の思考の横でロイドがさらに続ける。
「でも、それは、変な話だよね。君たちがいくら赤い光を放つ珠を探していても、ミイトを攫う意味がない。もしミイトを攫うとしたら、場合は一つだけでしょ、こっちがすでに赤い光――物なのかな――それを持っていることが前提」
「あ……」
「脅迫なんじゃない? あたし達にそれとられたら困るから、ミイトを人質にとって手を引けって」
「そんなの、俺たちよりもっと高レベルの奴にやるのが先じゃない? 俺たち、せいぜい、見回りレベルだよ」
「……」
「そもそも、先の前提だって弱いよ。俺たち全員を圧勝できるんだ。例え目当てのものを持っててもわざわざ人質と交換なんてまどろっこしい真似しなくて、いつでも強奪すればいい。ミイトだけを攫って消えるってのはなんの効果があるのかわからない。こっからは元泥棒の経験から話すけど」トレハンには珍しくないが、ちょっとぎょっとするような前身をさらっと口にして、ロイドは続けた。「泥棒の中にもさ、強盗とケチな空き巣しかできない二つのタイプがある。俺は後者だったけど、そういう奴らが略奪をしない理由はまず、弱いから。精神面、体力面、どちらもね。度胸なしなんだよ、要は。だけど、これはない相手だ。すると理由は根が優しいから」
メイスが勢いよく首を横に振った。俺も主張できるなら力いっぱい主張する。ロイドは肩をすくめて
「まあ、犯罪者相手に言いすぎだとは思うよ、根っからの悪人ではない、ってレベルかな。――もしかしたら、その人、夜にはミイトを返すつもりなのかもしれない」
「まさか」
思わず、と紡いだレイアにロイドは探るような目をむけ
「レイア、俺はね、ミイトを攫ったのはその人の目的が、ミイト自身だったからだと考えてるんだ」
「まさか!」
「さっと目的のものだけ盗ってすぐ消えた。一番労力なく目的を達成している。理にかなっているよ」
「あの子を攫って、どうしようってのよ!」
不意に俺からメイスの手の感触が離れた。見上げるとメイスが口元に手をあてて、なにかを猛烈に考えている目の色をしていた。
「……お師匠さまは……一度、ミイトさんを……使っている?」
「え?」
「ドラゴンの森でミイトさんは魔力をつかえなくなった、と聞きました。なのにその直後に膨大な魔力による電撃で事態を沈静化した、と」
「そ、そうだけど……」
「なぜ? あなたは、あのとき、ミイトさんの状態はぱんぱんに膨らんだ皮袋みたいなものだと言った。なぜ、そういう状態になったんですか?」
「な、なんでって……」
詰問のようなメイスの強い言葉に、ロイドが口ごもった。僕は知りませんよ、聞いたことを言っただけです、素知らぬ顔でライナスが言う。メイスはほとんど無視してロイドを向いたまま
「魔力が空になれば魔術は使えません。うまく発動できなければ使えません。しかし、彼女には魔力があの時点ではあった。術も発動する条件はあった。なのにそれを堰きとめていた。そういうのは理論上、ありえないことです」
そこで一旦言葉を切り、誰の相槌も待たずメイスは自ら続けた。
「――彼女は一晩失踪しましたが、あれはお師匠様のせいです。それになんの意味があったのか。なぜお師匠様は彼女を攫わなければならなかったのか。お師匠様が彼女を利用するため、それでこの疑問が全部つながります。あのとき、ミイトさんには魔力がありました。堰きとめられていたのではなく。状況的に考えて彼女が魔力を使えなかったのは、飽和していたからです」
「飽和?」
「ありすぎたってことです。キャパシティを魔力を入れる袋と考えましょう。魔術の要素があるものなら、必ずそれを持っています。彼女は中でも一際大きな袋を持っていました。その袋の中が限界までいっぱいになっていて、取り出す隙間もなかった。それが魔力が使えない、という正体です。魔力は一晩身体を休めたり、使う端からでも空間に漂った魔力を取り入れ、または体内で作り出すことで少しずつ回復していきます。しかし、失踪の後、彼女はそれを遥かに超える魔力を持っていた。何故か。異空間にはね、魔力の濃度がまったく異なる世界もあるんですよ」
「……」
「お師匠様は、彼女を隠そうとしたんじゃない。結果的に隠すことになってしまった。それは魔力が満ちた異空間に一晩いさせなければならなかったから、です。失踪の一夜が、彼女の身に膨大な魔力を注ぎ込み――それを使って、暴動を鎮めさせた」
一気にまくしたてた後、メイスはじっと強い瞳で一同を見て黙った。
ロイドが戸惑った後に
「……うん、難しいけど、なんとかわかる。ただ――……、その師匠の目的が、暴動の沈静にあったとしたら、ずいぶん、回りくどいと気がする。わざわざ一人を攫って一晩置いといてさ。自分でぱっとしてしまえばいいんじゃないかな、それだけ凄い魔導師なら」
「あまりそうは思いませんね。いくら魔力があって術があっても、この分野には向き不向きがありますから。ミイトさんの魔力は膨大で集中が今ひとつ、あの暴動の無力化には非常に向いていた条件があったと思いますし、ミイトさんはその時、お師匠様に不利なことに気付き始めてどっちみちどうにかしなければならなかった。それにこれはお師匠様の性格から言いますけど、自分たちのことなど自分達でどうにかしろ、という意味合いもあったんじゃないでしょうか」
「そ、そんな奴だったら、初めから暴動を鎮めさせようなんてこと、思う?」
「目的の一致――じゃないですか?」
さっきまで素知らぬ顔をしていたのに、急にライナスが口を挟んだ。「ルーレイは「何者」かに操られてああいう暴動を起こしやすい状況をつくりだし、実際多くの仲間が「何者」かに操られて向かってきた。そこには「何者」かの目的、利益があった。ところが彼女は、その「何者」かに敵対して邪魔をしたかった。結果としてそれが僕らを助けることになった。これなら自分で手を出さないで、ミイトさんを使ったのも頷ける」
敵対していた何者か。それは、あの、竜だ。いや、竜に巣食っていたもの、だ。お前達はみな餌だと微笑んだあの魔導師。
……なるほど、両方の視点が追加されてようやくあのわけがわからなかった、ドラゴンの森での真相が霧の向こうから輪郭を見せてきた。
いきなりドラゴンの森へと話が移って、ロイドは困惑したようだ。それでも急いで飲み込んで消化したのか
「……その考えでも、いってみようか。つまり相手は一度、ミイトを攫っている。それも利用するために。今回も同じだと考えるのがごく自然じゃないかな。当てはまるね、これも。するとミイトは、異空間だかどこか、ともかく俺たちがいくら探しても、普通じゃ見つけられないところにいる、んだろうね、多分。メイスさん、それを探し出せる?」
「無理ですね。前は空間の歪みでわかりましたが、お師匠様が本気で隠そうとすればわかりません」
「相手は何かを要求するつもりなのかもしれない。だけど、その要求を相手はまだ突きつけてきていない。夜に来いってのも要求っていうより、指示だね。そしてどこへ連れていったのかは、まったくわからない。自力で探索は不可能だ。どうしても、結論はここにくると思う。今から、俺たちがするべきことはなんだと思う?」
しばらく沈黙が落ちて、リットが漏らすように呟いた。
「……寝る?」
「そう。装備を整えたら、夜に向けて体力温存。なにが起きるかわからない夜だから余計。バードが戻ってきたらすぐ休もう。次の行動は日が落ちてから」
ここで寝れるか寝れないか。それが冒険者としての一流と二流の最後の線かもしれない。ロイドは正しい。神経の磨耗を、眠りは防ぐ。腐っても冒険者だ。眠らなきゃいけないときに眠り、起きるときにはすぐ起きる。そういう芸当くらいできるだろう。
バードが戻ってきて黙ったままロイドの話をきき、一言も口を挟まずに賛成した。ただ、去り際にふとバードは独白のように一言だけ漏らした。
「ミイトが、あんなにあっさり攫われたのが、不思議なんだ」
「警戒していなかったんじゃないの?」
「ミイトは、他人の魔力を感じ取れる」
「俺の魔力も、ミイトが気付いて伝えてこうして使えるようになったんだ」
横からロイドが口を挟む。ただの人間だと思われていた相手からも、魔力を見つけ出せる、か。確かになかなかの感知能力だ。
俺なんて誰に魔力があるかないかなんてちっともわからんが、魔術士の中で他人の魔力に多少作用できる能力を持つ人間にはそれが一目瞭然らしい。グレイシアも、わかるらしい。うちのパーティの場合は、ロイドを見つけたミイトのようには行かず、誰も魔力を持ってないらしいが。
「その魔導師が、ほんとにとんでもない相手だったら、魔力の強さも、半端じゃないだろう。そんな魔導師だと、気付かなかったわけがない。現にドラゴンの森ではミイトだけ、その相手に気付いていたわけだ。なのにどうして、そんなにあっさり……」
続きの言葉は口の中に消えて。めいめいテントに戻って、誰にとっても心地よくないただ義務としての休息の後――
月の出ない森の中の夜は、おそろしく暗い。が、ここでも光藻が生きていて、空から注がれる白い月光のかわりに、その黄緑色の光は地面から浮かび上がって地上のものを照らし出す。モンスターうじゃうじゃのドラゴンの森ではできない所業だ。それでも明るいとは言いがたいが、光藻の放つ冷光が闇から物の形を取り戻し、人の歩みを助けてくれる。
人目を避けて近づいた遺跡の付近は、さらにしんとしていた。話したいことはあれど、誰も無言で足音を消し忍び寄る。こんな大人数で大丈夫かなあと思ったけど、バードのパーティの歩みは堂に入った見事なものだった。大柄なレイアだって猫よりも足音をたてないくらいだ。
うちのパーティは、ライナスはさすがに体が資本の拳闘士、身のこなしは負けず劣らずというところで、メイスも音をたてない。野性動物の身のこなしにさらに夜目がきくからな。リットはたまにカサとなにかを踏みしだき、カールは足取りは静かだがその巨体だ。無音というわけにはいかないらしい。
これだけの人数が一列になれば仕方ないが、歩みは弛緩した蛇の胴体のよう長くなる。ひのふのみで、七人(俺をいれたら八人)のパーティというのはトレジャーハンティングではアウトだろう。まあ遺跡探索に行くわけではないんだが。
ふと俺たちの前を進んでいたカールがゆっくり歩みを――カールが、というより先頭がスピードを緩めているらしい。やがて歩みは完全に止まった。七人の列ともなると、急にぴたっと止まったら、誰かが必ずぶつかりそうだしな。んー。再び先頭をきったロイドのやり方だろうが……さすが元泥棒。忍んでいく、ということを熟知しているって感じ。
目的地に近づいたのか。しかし、眼前にすると壁のようにそびえたつカールの後姿から、メイスの視点の高さでは先がまったく見えない。しばらく夜の沈黙が停止と共に俺たちを襲う。背がむずがゆくなるような空間だった。時間の感覚がひどくぼやけそうで、俺は胸中で時を数えることにした。やっぱ、感覚がもう鈍い。それから俺がなんとか三十を唱えたところで、カサとかすかな葉ずれの音。
「バード、おかしい」
ロイドが声を出した。ということは、と思っているとカールの背が動き出し、やがて俺たちは昼間にきたあの切り開かれた森の広間に出た。その時に見た切り株たちの真新しい切り口も影がかかって沈黙してる。横を見ながらそう思っていると前が列をつくるのをやめて、ばらっと左右に小さくほどけた。ようやくこの縦列を逃れられて心はほっとしたけれど
「見張りが――いない」
先頭のロイドが、しんがりをつとめていたバードに告げた。光藻の光が続く道先に、光藻のそれとは違う、オレンジ色の光が地面より高い位置に浮かび上がり、温かそうに松明は燃えている。その間中には夜の中でさらに深い夜に続くように、口をあけた洞窟。しかし、その左右に必ずいるはずの見張りの姿は見当たらなかった。
素早く目を走らせたバードがわずかに唇を噛んでうつむくと、ふとその肩に触れたものがいる。他の誰も持たないような大きな手――カールだ。静かな男はバードが顔をあげると、静かに腕を上げて横を指し示した。
その指の先には、すごく奇妙なものがあった。ちょうど首筋までしか見えないリットと、こっちは腰までしか見えないライナスの影だ。
……?
同時に二人はひょいと身をかがめて、こっちに顔をのぞかせた。すると、見えていなかったものが全部見えた。まるでひくいトンネルからのぞくような……トンネル?
「――!?」
バードが驚きの息を吐いて駆け出した。慌ててついていくと、バードは一直線ではなく迂回するように二人のそばに回りこむ。ああ、それはそうだ。ついていくメイスの肩越しに、見えているのは――。
ちょうどライナスとリットが立っている「側」にたどりついたとき、呆然とするしかなかった。
松明はついたままなのに、見張りの姿がない洞窟の前。それも不具合で異質な光景ではあったけど。これはもうそんなレベルのものではない。
バードの前にぽっかりと穴があいていた。真下から垂直に伸びて上で丸みを作る、扉やトンネルを思わせる形だ。遠目で見るとライナスの肩ほどもなかったように見えたが、近づいてみれば存外に大きくちょうど中背のバードがぎりぎりしゃがまずに通れるくらいあった。
まったく当然のことだが、穴は穴だけが独立して存在しているものじゃない。穴は何かに必ずあいて穴足りえている。それは洞窟の硬い岩盤だったり土だったり壁だったりともかく、みっしりと詰まっていた何かをくりぬいて虚ろは開く。
そしてこの場合、それは大樹だった。俺たちが昼間見た、白い枠を包み込み見上げるようであった立派な巨木は、そこに変わらず立っていた。太い太い幹の真中を扉のような形に、まるでプリンにスプーンを差し込んだよう綺麗にくりぬかれながら。
枠と同化して生える大樹。その真中にあいた穴、穴から見えるのは、白い枠の列と、ぽっかりと黒い口を開く洞窟。……。
ロイドが魅せられたように近づいて、ライナスとリットが身を譲った。ロイドは大樹のすぐそばにしゃがみこみ
「――すごい。こんなの、どうやって――」
小さな悲鳴があがったのは、直後だ。光藻だけが頼りの森の中、それはすうっと地上からわきあがってきた。真下からさらされて、全ての顔が浮き彫りに焼ける。
まるで刃の軌跡のように、地を割いたような錯覚を覚えさせながら、細く鋭くあふれ出した光は、血のようにメイスの瞳のように、鮮やかな赤だ。それは声もなく先頭の門のすぐ手前から始まり、滑らかに前方に走っていく。二条の光は、黒々とそのまま冥府にでもつながってそうな洞窟まで一直線に続いた。
「……」
吐く息だけが、雄弁で。静かな悪夢が立て続けに広がるような夜だ。夢か幻か全てが曖昧になりそうで、俺はやっぱり数を数えてみた。
「……なにやりたいんだろう、これ」
二十五、数えたところでごくっとつばを飲み込んで、リットが口を開いた。場違いに響いたそれは、この場で出すべき声じゃなかったのかもしれない。しかし、誰もとがめない。
「明白じゃないですか? 赤い絨毯がくるくる伸びて――最上級のご招待、ってところですかね」
「殴ってやる……」
レイア姉ちゃんが呆然としたまま、物騒なことを呟いた。
「やっぱり、遺跡か……」
バードが呟いた。しゃがんだロイドはしばらく辺りを調べていたが、行くよ、と言って立ち上がりかけたところをバードの手が肩に置かれた。
「お前は罠のプロだけど、対人はそうじゃない。俺が先に行く」
ロイドが何か言おうとしたけど、肩に手を置いたバードのもう一方の手がすでに抜き身の剣をぶら下げている様に口を閉じた。いつの間に剣を抜いたのか。地から吹き出す鮮やかな赤の光は刃をひどく侵食して、鞘に収まっていない抜き身の剣はひどく危ういものに見えた。メイスもそう思えたのか
「武器は、やめた方がいいですよ。お師匠様、相手に」
「そうかもしれない。でも、ごめん、そこまでは委ねられない。俺はこのパーティのリーダーだ」
メイスが肩をすくめた。
「遺跡に招いているというなら、その道を通らない方がいいのでは? 得体が知れないですよ」
「罠かな。ただ、それが相手の要求だってのは君たちが言ったとおりだ」バードは言って一つ息をとめて、枠の中の大樹の穴へと足を踏み入れそして光を放つ土の上にそっとおろした。
場の全員の息がつまるような一瞬だったが、その答えは沈黙だった。バードに踏みつけられた赤い光は、その靴の下からまだ漏れているがそれだけだ。バードが歩み始めた。巨木にあけられた大穴をくぐり、ゆっくりと。ロイドが急いで続いた。レイアも負けじと続く。
「行くんですかあ?」
嫌そうな声を出したのはライナスだ。うーん。行くべきか行かざるべきか。リットもむーと眉をよせ、先をいく三人を見ながら
「とりあえず、ここのところは大丈夫なんじゃない?」
「さあ、保証はないと思いますが」
ぴょんと跳ねるような動きでリットが真横に来たメイスを向いた。
「メイスちゃんは行くの?」
「ええ」
「じゃ、僕も行く」
リットの返事がそれなら、カールは決まっている。――まあ、命の危険とかはやらんだろう。みんな野菜になって出てくるかもしれん――ってやっぱとめるべきか。いや、それならまず俺が転がっていけばいいのか?
考えがまとまらないうちに、すたすたとメイスが進みだし、リット、カール、仕方ないなあ、と呟きながら最後尾にライナスが続いた。なので俺はメイスの肩越しに前に視線を戻す。
次々に狭い間隔で立ち並ぶ枠をくぐっていく三人に変化はない。赤い光が白い枠を下から照らし出して不気味ではある――が、全ては沈黙を続けている。最後の枠をくぐり、遺跡の前に立ったバードがこちらを振りむいて、口を開きかけた。
その瞬間だった。
夜を裂く激しい音色が沈黙を一瞬で殺した。なにか、生き物ではない何かが、それでも意思を持って絶え間なく唸るがごとく。空気が身体をかきむしりたくなるような不快な振動を紡いでる。異変はレイアの前を歩いていると、ほとんど上背で隠れてしまう小男、ロイドに集中していた。
ロイドはちょうど最後の枠の間中に立っていた。自分に異変を悟った引きつった顔つきが、白、いや微妙に赤が混じる光に包まれてくっきりと見えた。
その強烈な白光がどこから出ているのかというと、それまでずっと沈黙を続けてきた、硬質の白い枠からだ。内側に白い焔を投げ入れたよう、多量の光をほとばしらせロイドの身体を目指して溢れんばかりに放出している。
白い枠に囚われたその姿。まるっきりこれは罠だ。沈黙は獲物をおびき寄せるため。しかし描いた最悪のプランはそれ以上遂行されず、ロイド自身の顔には驚愕があるだけで苦痛はない。体中が光に包まれているが動けない、というわけでもないようだ。意識もはっきりしているようで、うろたえて首を横に振る。
「ロイ――!」
「来るなッ!」
思わず、と腕を伸ばしかけたレイア姉ちゃんに、ハッとしてロイドは吼えた。その迫力にレイアがその手を停止させる。巻き込ませないためだろう。だけどそれは、無益だったとしか言えない。免れたかと思った最悪のプランはしかし、多大なおまけを伴ってついてきたんだ。
ぶんっと無数の虫の羽音のような、腹に響きながら耳にも障る音が響いた瞬間、幾重にも連なった白い枠はいっせいに目覚めた。
沈黙を破り去り、全ての枠が白光をほとばしらせる。強烈なその光に夜は瞬く間に食い尽くされ、ほとばしる光は何倍も増してあっと気がつけば視界すべてが焼けていた。圧倒的な光量に目が悲鳴をあげ、それまで馴染んでいた闇を、痛みに震えて要求する。
「レザーさん! これはま――!」
メイスが何かを叫ぶ。甲高いその音色が終わる前に、それをかき消す唸りがぶんっと空気を満たす。そして消えた。光も、音も、そして俺をその高さまで持ち上げていたものも。
ナプザックに包まれていた感触が自ら身を引くようにすっと消えて、俺は地面に落ちた。数度転がった。夢から覚めたときのように、世界はあっけないほど元のままだった。しんとした静けさと、語らない硬質の枠、照らし出すのは黄緑色の光藻の光――
「ロイドッ!」
レイア姉ちゃんの悲鳴が響く。後ろのカールがライナス、と珍しく動揺を混ぜた声音で言うのが聞こえた。だけど届かない。俺の前にリットが立っている。愕然として見下ろす瞳。リットと俺の間には誰もいない。ナプザックも持って、中に詰まった俺だけをここに残し。
「メイスちゃん!」
黒い森に悲鳴があがる。梢のむこうから、人のざわめきと松明が近づいてくるのがわかる。だけど誰も動けない。全ての姿を奪い去った、圧倒的な光の後。闇が戻っても、光はその姿を戻してはくれなかった。光藻が照らす夜の森に。ロイドとライナスとそしてそして。
メイス・ラビットの姿が消えうせていた。




