岩天井に空を描いて(2)
片想いなんて、世間には溢れまくった平凡な事象だ。
人の想いにいたっては、得も損もありゃしない。この領域にはいっさい平等という観点は存在しない。
これだけ想ったんだからきっと応えてくれる、とか同じ分くらい想いを返すべきだ、とかそうでなければ正しくない、とか全部が全部酒場のたわごとで、確かに情っつーか想いの世界には理屈が通じる融通さなどどこにもない。
しかし、人間は普段からとかく理屈っぽく生きているせいか、そう平等なことが通じないと、なんとなく理不尽というか釈然としない気持ちになる。頑張った分だけ報われなければ、ちょっといじけて世を斜に構えて見始める。まあ俺はさすがにこの年までいきていきたから、恋愛はしゃーねえや、と思うくらいにはなった。けど。
親子や友情にいたっては、「両想い」になってほしい、と平等を望む心があるんだろう、それでも。
特に、いつもはきゃっきゃっ好き勝手やってるリットが、メイスには妙にいじらしいところを見せた。うーん。こういう言い方はどうかと思えるけど、リットはメイスに「尽くしていた」んだろう。
リットはいっぱしの口を利く場面はあったけど、俺にもアシュレイにも甘えている面が強かった。リットは俺達から何かを欲しがっていた。けどリットはメイスに自分の何かを捧げたがっていたし、できれば甘えてほしいと頼りをそっと差し出していた。言動の節々にそんな可愛い期待が見えて、横から見ているこっちにはそれがいじらしく気の毒だった。――そう思うのは、やっぱりそれが片想いだったからだろう。
凡人な俺はリットのそんな様子に平等であるべきだ、と思っていた。俺よりもよっぽど大人だろうカールは、その理を飲み込んでいても、リットが喜ぶからそうなればいい、と思っていた。三者三様その通り。そしてどれもが望みどおりにはいかなかった。
そうそう現実と添い遂げることはない希望も、片想いというんだろーか。まったくせつない。
とそういうことをつらつら考えてると、目の前にさっと影が落ちた。影の主を探して見上げる前に「あっ、あ、あの」と主がすぐわかる声がかかり、やがて予想通りのミイト・アリーテがおっかなびっくり顔を出した。相変わらずびくびくと弱腰の態度だが、メイスの顔を見やってちょっと嬉しそうにはにかんだ。どうぞ、と言われるとぺたりと腰掛ける。
「ま、またお会いできて、その、本当に嬉しいです。お、お元気でしたか?」
「はあ」
「お、お世話になったのにご、ご迷惑かけっぱなしで、ドラゴンの森でお別れしてしまったので、私、私――」
最近日焼けしたような印象を覚えるミイトの肌がさあっと赤らむ。「私、きっと、し、白の魔術士さんがいなかったら、あの時――」
「あなたの術のおかげで怪我人が少なかったと聞きますが?」
「あ、あれは――」そこで妙なことに姉ちゃんの頬が少し元に戻り「あれは、その、あれは、違います」
頑なそうに呟いたミイトはそこでふっと何かがひっかかったように、顔をあげた。素朴な顔に驚いたような表情が浮かんでいる。
「え? だ、だって、あれは――」
「そういう作戦だと聞いたんですがね」
テントの中の会話に、第三者の声がいきなり飛び込んできた。ミイトが「ひっ」と唸って身をよける。幕をたくしあげてライナスが顔を出している。ライナスはメイスとものすげえびびってるミイトの注目に気付くと
「や、失礼。人目につくところはどうも居心地が悪くって」
と言いながらすっと膝が抜けるようにその場に座った。一瞬体がふわっと浮くような錯覚をさせる動きだ。ミイトがびくっとした。そのままライナスが自分の方に顔を向けたんで、二回びくっとして
「まっ、まままままままままま魔導師の方、で、ですね?」
風体を見て誤解したんだろう、肩をがちがちに強張らせて必死の思いで声をかけるミイトに、まあそのようなものです、と詐欺師はどっかり座って大嘘ついた。
「お仲間に聞きませんでしたか? あなたはあんなに渦中の人だったのに」
「は、は、はははははははいっ!」
ミイト・アリーテというのは、メイスには結構気を抜いて接していたんだなあ、と新たに現れたライナスへの、過剰反応としか思えない挙動不審っぷりを見て俺は思った。この姉ちゃん、殺人現場とか絶対いちゃだめだな。
ライナスはあんまり気にしていないのか、ミイトに目を向けたまま
「ミイトさん、あなたはあの時、一時的に魔力が使えなくなっていたんですよね」
ミイトはもう喉に限界がきたよう、酸欠の金魚のごとくパクパクパクと口を動かした。ミイトの有様も目を放したらやばいような気がしたが、いきなりライナスがぽんと吐いた言葉に俺は引っかかって、とりあえずミイトをそっちのけで考え込んだ。……魔力がつかえない? そんなことあるんだろうかと俺は密かにメイスを見上げると、メイスも得心がいかない顔をしていた。
「これは、僕らやバードにはすでに承知のことでしたよ。どうしてかというと……」そこでライナスは一旦口を閉じてミイトを見た。俺も見てライナスが口を閉じた理由を察した。ミイトは、ちょっと限界だ。しばらく間合いをおいてライナスが、大丈夫ですか、ときいてから
「うちのパーティのグレイシアが承知していたからです」
「いっ、いっ! い、いやしの……?」
「ええ。うちの真のブレーン、かな。彼女が主張しました。君が魔法をつかえないこと、またその分、君に蓄積された魔力を使えば暴動を一瞬で鎮められること――せき止めた川が放つ激流の強さ、ですかね。そのために君に刺激――いや、はっきり言えばショックを与える、と」
「……?」
「あの時の君の状態は、ぱんぱんに膨らんだ皮袋みたいなものだった。針の一刺しで破裂する。その勢いを利用しようとした、ということです。バード達にもそれを伝えて。……渋ったみたいですけど、うちのアシュレイが頭を下げるとなんとか」
僕らみんなで君の様子を伺って試して、いつ利用しようかと狙っていたようなもんです、と言ってライナスはぐっと体ごとミイトに向き直った。そして驚いたことに自分の肩より下まで深々と頭を下げた。
「申し訳ない」
向こう側を向いていたから、俺はライナスの背しか見えなかったが――。いまだに飲み込むのに苦労していたミイトは、もちょっと息をのみそれから顔をカーッと赤くさせ
「ごっ、ごごめんなさい!」
そしてミイトの口から飛び出てきたのも、やっぱり謝罪の言葉だった。
「私は馬鹿です! だからせっせっかく説明してくださったのに、よくわかってないと思います――けど。その、わた、わたしは、その、いっいいんです! い、いままで利用もされなかったんです、役立たずだから。で、でも、捨てられたくなくって、置いていかれたくなくって、一緒にいれないのがいやで、迷惑かけても知らないふりでそのままで、こ、こんかいだって私――私のせいでバードさんだって……」一瞬、ひどく一瞬だけだけど、絶望の色を瞳に浮かばせて、ミイト・アリーテは震える両手をおぼつかない手つきで必死に組み合わせた。互いの手が肘が、崩れないでと震えながら支えるように。
「わ、わたしに少しでも利用できるところがあるなら」
利用できたって言ってくだされば十分です――、そう言いながらミイトは俯いた。尻尾を垂れた捨て犬のように、自信のない肩だ。それは、見ているこっちが情けなくなるような、やるせない気分にさせる姿だった。利用されて、嬉しいなんて。嘘でもどうかと思うのに、本心だっていうんだから。
兄貴分のバードは放っておけないと庇護欲をかきたてられるんだろうが、俺はちょっとこういうタイプはたまらない。ミイトとは距離があるからいいけど、あんまり自分の近くにいられると、どうしてそんなに自信がないんだって、大人気なく怒鳴ってしまいそうになる。同属嫌悪だな。……くそ。
俯いたミイトはちょっと遅れて周囲の沈黙に気付いたよう、ハッと顔をあげて居場所に困ったようにおろおろしながら立ち上がった。
「な、ながながとお邪魔しました。あの、本当にあ、ありがとうございました」
一歩目でよろめいて二歩目でころげそうな足取りで、ミイトはテントを出て行った。ちょっと苦く俺がミイトの姿を覆い隠したテントの幕を見ているうちに、ライナスはこっちに身体の向きを戻していた。そして杖で出て行ったミイトを一度さして、くすっと笑った。
「彼女のような人種を、君は理解できないでしょうね」
なにを言い出すのかと俺が思わず注視する前で
「リットに、蹴られましたよ」
「はあ」
損な役回りだなあ、とライナスは言って
「君が好きみたいですね。別れたくないようで。――あなたも彼女が好きですか?」
「……」
答えないメイスに、ライナスはあっさり
「別に待たされたことを恨みに思っているわけじゃないのでご安心を。実は、二、三日中にある人物が来る予定でして」
「……ある人物?」
君もまあ知ってる人物です、とライナスが言った。メイスが知っててライナスが待っている……ある人物? 誰だそりゃ。ライナスの知り合いをみんな把握しているわけじゃないが、メイスとライナスの共通の知り合いとなればぐっと幅が狭くなる。つーかもうグレイシアかアシュレイしかいないんじゃないか、そんなの。しかしわざわざライナスがここに来てるのに、その二人が自ら出向くとは思えん。じゃあ誰だ? 完全に俺が首をかしげてる前でライナスは
「彼が来ないうちに、出発するのはまずい。だから二、三日ここにいても構わないんです。ただ、出発はスムーズにいきたいですし。なんとも思っていないなら、直に言ってやってくれませんか。そうしたら、リットもごねずに助かる」
それだけを言いにきました、とすっと独特の動きでライナスは立ち上がった。
二人が去った後、メイスが膝の上の俺に目を落とす。なにがなんだか、という目の色が読み取れて、俺もなにがなんだかだよ、と返した。どいつもこいつも勝手にやってきて、よくわからない引っかかりを残していく。
ただまあ、このライナスの嫌味も謎の人物の示唆もミイト・アリーテのやるせない態度もリットの片思いも、数日立てばさようならだと、俺はこの時点で思っていた。から、お前たちはどれも本腰入れて考えていなかったんじゃないか、そう言われれば反論できない。
その予想は次の日の朝にいきなり破られた。
リットの希望ではあったが、二、三日中じゃどう考えても進展なんかねえだろーとの夢は、慌しい足音と狼狽したような声に、無粋に破られた。何事かと顔を出した俺たちに青ざめたバードが告げた。
新米パーティが独断で夜中のうちに封鎖されていた遺跡に入り込んだ、と。
殴りつけたい気持ちはわかるが、こういうことは実はよくある。
冒険者ってのは一攫千金を夢見てなる奴も多いから、続けていくには前に言ったように客観的な判断と自制心が必須だが、まあなるだけならともかくなれるし、その中には他のパーティを出し抜いて成功を掴んでやろうとたくらむ奴だって腐るほどいる。
しかし、冒険者には冒険者のルールがある。特にトレジャーハントは一歩間違えれば貴重な文化遺産をぶっこわしかねない領域だから、余計その暗黙のルールは強いだろう。夢見て冒険者になったばかりのペーペーは不服だろうが、トレジャーハント連中が遺跡を立ち入り禁止にしたのだって、やっぱりそれなりの理由があるだろう。
バードも躊躇するレベル、ということで実力のないパーティが無闇に入れないよう立ち入り禁止にしたというのは、むしろかなり親切な行為なのかもしれない。それを振り切っていった以上、もう正直手に負えない。
「え? ほっとかないの?」
朝っぱらから急遽集められて、今後の方針をバードから聞かされた後、心底びっくりしたようなリットの声が俺たちの第一声だった。
薄情と思われるかもしれんが、これはまあ普通の反応だ。俺たちは誰もその暴走したパーティの親ではないし、忠告も現実もふりきって飛び込んでいった馬鹿の尻拭いを危険をおかしてする謂れはない。
だからバードが正午から捜索隊を出すことになったときいたときは、俺たちはそろって意外そうな顔をしたと思う。ライナスが杖をよっと抱えなおして
「パーティの中に身内でも?」
「いや、そういう単純なことじゃない」
言い切ってバードは一瞬顔をしかめて、他言無用で、と前置きをした後「この遺跡、入り口だけ見ても凄く興味深いもので、世紀の発見ってのもあながち嘘じゃなくて」
「なんにもわかってない馬鹿に下手に入られて、きちょーな遺跡壊されちゃたまんない? でもさ、どうせそんな素人、奥までなんていけないでしょ」
バードはしばし計り知れぬ葛藤をしたように、難しい顔で黙った後
「あのさ、最初のこの遺跡のランクはCだったんだ。だから、こんなに連中が集まった」
「……間違いだった?」
「いや、途中までは確かにCランクだった」
「奥に進むほどランクがあがったということですか?」
それもしょっちゅうある話だろう。そもそもランク認定なんて人が入れる限りで判断してるわけだし。特定のモンスター退治やドラゴンサークルならともかく、前人未到の遺跡にたいしてランク付けなどほとんど気休め同然――
「違うんだ」
その時のバードの声は妙にはっきりと耳に響いた。俺以外の奴の目線もバードに集まっているのを感じる。
「Cランクと認定された区画――それが、突然、ランクをはねあげたんだ。誤認なんかじゃない。区画自体のつくりががらりと変わった」
……。
「え」
そ、それってさ、とリットが口ごもる。
「多分、調査隊の誰かがそのいわゆる「スイッチ」をいれた、ってことだ」
…………
『ウィリス・レス!?』
瞬間、複数の声が重なった。あ、俺もちょっと声出したかもしれん。まず。
「え? ちょっ、うそ、まじーっ!?」
「本当ですか!?」
しかしライナス、リットは興奮で気付いていないようだ、よかった。
「本当よ」
バードの斜め後ろに座ったあの姉ちゃんが誇らしげに胸を張り、「やー、もう、ほんとお目にかかれるとはさー」とだんごっぱなの猫背の兄ちゃんも感慨深く呟き、あのミイト姉ちゃんは相変わらずわてわてしてた。
「それじゃ、正真正銘、世紀の大発見じゃないですか」
「うん」
バードが弱ったよう頷いた。そして悩み事を懐に深く抱えるよう、腕を組み合わせながら心持ち背を丸めて
「だから、暴走していった奴らが生きている限り、俺たちはどうしても、そいつらを引き戻さなきゃならない」
ウィリス・レス。
さてはて、こんな田舎でビッグネームだが、これ古代語で、今の言葉に直訳すれば「生きた遺跡」となる。まあ、呪われた遺跡という奴も多いけど。後は眠る遺跡かな。眠っているのは殺人鬼かS級モンスターだが。
この遺跡は、ともかく非常に珍しい。半端でないレベルで珍しい。今回のがほんとにウィリス・レスなら、かれこれ百年ぶりの大発見ということになるだろう。
そんじょそこらのレアモンスター以上に需要がねえというか、実在するのかと疑われてたりもするが、一応過去何個か発見されている。他の遺跡と比べてその大きな特徴は、変化する、こと。
つまり初めの段階ではそう難易度も高くなく、罠も少ない。だいたいC級か下手したらD級くらいに認定される。
けれどこれはどうもはっきりしていないんだが、遺跡には「スイッチ」、ハント用語じゃ「逆鱗」ともいうらしいが、それが存在している。それに触れる――触れる、という言葉がさす場合がこれまた多いんだが、声だったり何かの地点だったり気配だったり実際にどこかに触れてしまうことだったり――まあ、すると遺跡は「起きる」
一気にではない。スイッチは複数ある。一つのスイッチに触れるたびに、徐々に。そして遺跡が完全に目覚めたとき、それはもう想像するだに恐ろしい悪夢の迷宮の完成だ。一歩踏み出すたびに残忍な罠がある。道は導くためではなく惑わせるためにある。門は生きとし生けるものを押しつぶすために口を開いてる。遺跡の全てが処刑器具と化す。
こうするともう、その中に入り込んで生きて帰れるものはない。どうしても奥が見たければ外からぶっ壊すしか方法はない。もちろん、この遺跡に流された血は途方もない、前人未到の人食い遺跡だ。
そんな凄惨さを潜り抜け、歴史上、ウィリス・レスを攻略した例は二例。発見自体が少ないせいもあるけど、ドラゴンスレイヤーも太刀打ちできない、おっそろしい少なさだ。しかしそれはそのまま歴史をひっくり返しかねない、大発見にも繋がっている。
「――軍は、まだ出てないのか?」
ウィリス・レスだと知れれば、各国が一枚かもうと押し寄せてくるだろう。
「時間の問題だ。――それで遺跡の探索だ。攻略ならともかく。馬鹿はどこに行ったかわからない。スイッチに触れることは絶対に許されない。そのせめぎあいで選出されたパーティは十組」
「そこに君のパーティも入ってしまった…、と」
「そう」
瀕死のような顔をしてバードが言った。言動から察するに、バードのパーティはぎりぎりの線なんだろう。ぎりぎりOKだった。俺もそんな状況に陥ったらそんな顔をすると思う。まあだいたい事情は知れました、とライナスが言って
「えー……部外者の僕らにそこまで聞かせた下心は?」
バードがかすかに俯いた。が、覚悟を決めたように「ヘッドハンティングだ。そっちの、パーティの、白の魔術士に探索を手伝ってほしいんだ」
正直な話、バードが内情話し始めたときから、こーくるだろうな、と予想はついていた。いくら人が良くても、正午になったらその遺跡に入らなきゃいけない、というこの緊急事態に、部外者の好奇心満たすためだけに長々と語る奴はいるまい。カール、ライナス辺りも承知していただろうが、なっ、とリットが声をあげてとられまいとするようにメイスの腕にへばりついた。
「なんでさーっ! ミイトちゃんがいるじゃん!」
「わ、わたしは……」
可哀想なくらいミイト・アリーテが赤くなって、バード、ライナスが同時にリットに目をやった。思わず声をあげたリットもしまった、という顔をした。ミイトは拳を握り
「わ、わっ、わ、わたしは……」
「ミイトは今回パーティから外れる。レイアもだ」
バードの通告に大柄の姉ちゃんが唇をかみ締めて俯いた。ちょっと残酷だ。――が、無理ないか。
「ロイドの技術は必要だ。連れていかざるをえない。治癒が出来るのもうちではロイドだけだし」
「や、ち、治癒っていっても、ほんと、初歩だけど、うん、その」
おい、こっちの兄ちゃんも魔法使えるのかよ、と俺はちょっとびっくりした。まだまだ魔術士の数は決して多くない。一つのパーティに使い手が二人もいるとは、なかなか豪勢なメンバーだ。しかし、背負ったそれは重過ぎるのか、ロイドは気が遠くなってるような顔で答えてる。残される方も残される方だが、行く方も行く方ということか。
「本職の魔術士が、必要だ。何があるかわからないダンジョンには」
「あ、あの、そのですね、わ、わ、わたしはい、いけなくて、あの中には――」
汗だくで言った嬢ちゃんの首元で、パリッと光の線が折れ曲がって走った。発見されたばかりのウィリス・レスのスイッチがなんなのかは誰にもわからない。しかし、数少ない前例の中には、魔術の放出でスイッチが入ってしまった例がある。
生きた遺跡を生きた遺跡たらしめているのは、魔力によってだ。故に、その発動条件が他の魔力というのも頷けるだろう。
つまり、いくら膨大な魔力があったとしても、それを完全に制御できず常に周囲に魔力を放出しているという状態は、発動させようとしてるもんだ。もちろん、ミイトの魔力にスイッチが反応するかどうかはわからん。そればっかりは、もう運しかない。しかし希望的観測で進めるようなもんではない。連れて行かない、という選択には誰もがうなずくだろう。というかミイト嬢ちゃん、一度もまともに遺跡はいってないんじゃないかなあ。
「連れて行け。問題はない」
――。
すっと首筋に冷たい水が流れ落ちた。俺に置かれたメイスの手もこわばった。息も熱も鼓動もとまるような、この感覚。俺の視界の中でバードは話し続けている。何事もなかったかのように。ライナス、リット、カールもバードの話に耳を傾けている。ロイド、レイア、ミイトにも、なんら変化は見られない。
何事もなかったかのように、場は変化していない。だが、空耳ではない。絶対にない。すうっと冷えたメイスの手が確信を与えてくれる。しかし、変わらない情景。まるで俺とメイスだけが突然世界から切り離されたようだ。低い女の――あの女の声。
気付くと俺はメイスを見ていた。うつむきがちに、メイスは少し震えていた。だけど毅然と赤い目が膝元の俺に向いた。カールよりも、その目は明確に読みとれる。声を聞くまでもなく、バードの誘いにメイスは多分、行くつもりだったと思う。俺も危険さは承知で飛び込むしかないとは思っていた。
ナディスから久方ぶりに聞いた、その声。幻のように去ったその声の残響が、茹る空気に漂う。生きて、眠って、呪われた遺跡に、赤い光がこぼれている。探し続けてきたものは、片想いのこちらの思惑など知らず、問答無用に飛び込んできた。
――大当たり、か。
その輪郭を思考でさすりながら、どこか乾いた気持ちで俺はそう思った。
「わかりました。同行しましょう」
メイスがバードを見て、ひとつうなずいた。ただし――、と小さな口が告げる。
「そこのミイトさんも、同行させるべきだと私は思います」




