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親と子どもと人身売買(上)

 船に乗って海を越えて船酔い気味の小娘つれて。やってきたのは港町ムーア。祖父の影に悩む少年、陽気で豪快な船乗り爺を向かえ、立ち向かうのは少女失踪事件。ナンパ(?)をされる娘たちに父親がわりは気が気がじゃない。親には親の、子には子の、互いに言えぬ苦労がある。複雑に絡まる糸の中をかいくぐり進め里親レタス! あっさり風味の港町事件簿。


 風をきって波に揺られて尖った舳先は意気揚々と、青い海をかきわけ進みぬいていく。

 ぱんぱんっと気持ちいいくらいに張った帆は、風をどんどん抱きとめて船は飛ぶように。不意にマストの上の見張りが声をあげた。陸だァッ! 海を愛する船乗りたちも、その単語は愛すべきものらしい。それがよくわかる爽快な響きだった。

 やがて叫びの通り、進む青い水平線の先にちまちました茶色の突起が見えてくる。ほー、やっぱり海路は早い。舳先よあれがムーアの町だ、って感じだろうか。

 今まであんまいいことなかった船旅だが、今回は始終天気がよく波も悪くない。なかなか快適な船旅だった。

「……あると、いいな」

 情報が。と、その気分の良さにか珍しく自主的に口をひらいたカールが言う。うん、あるといい。カールと旅をしているとたまにみっともなく喚いちまうようになったし、自制もちょっと効かなくなったが、おかげでかストレスがたまらない。

 今まで胸中で怒鳴るだけだったもんなあ。気兼ねなく話せる相手がいるというのは思う以上に鬱屈しない。やっぱり人には理解者が必要だ。

 甲板で男二人のんびり行き先を見やりながら和やかに

「あんなに船に弱いとはしらなかったなー」

「……ああ」

「エフラファに海路で来たことなかったんだな」

「……ああ」

「ま、あんまり気に病むな。病気じゃねえし、陸におりりゃ、治るって」

 他から聞けばたぶんあんまり和やかな話に聞こえないだろうが、ともかくそんな風に話しながら、船内でへばってる住人を思い出す。確かに気の毒だとは思う。船酔いってのは大事がないがきつい。

 前回の船旅では壊血病だ野菜欠乏だでおっそろしい目にあったもんだが、今回はともかくカールのとこに避難できたから事なきをえた。目を気にしなきゃならんリットも船酔いでダウン中で気の毒とは思うが、気兼ねせんで助かる。

「あがる前にもう一杯薬湯のませときな。メイスは――ま、いいだろ。そこまでまいってないし」

「……ああ」

 段々近づいてくる町を見ながら、潮くさいが爽快な風を受け、休暇は終わったなあ、と珍しく平穏なレタスの日々に、しみじみ俺は別れを告げた。




 シュプールの街から船に乗り、港町から東にしばらく行ったところに、最近発見されたばかりのトレジャーハント専門冒険者に話題沸騰中の遺跡シナトがある。

 んで、ここは途中の港町ムーア。シュプールの街ほどではないが、ここも南の地方特有の、陽気でからっとした雰囲気を持っている太陽がまぶしい港町だ。貿易途中の大型船も結構立ち寄る、まあ大きいと言ってもいい。

 様々な人間や様々な荷物が忙しなく行き交う石畳の波止場に、カールにすがって降りてきたリットはちょっと揺れていた。

「じ、じめん、ゆれてない?」

「……いや」

「じゃ、じゃあカールちゃん、ゆれてない?」

「……いや」

 基本的に、リットが揺れてる。メイスもちょっと青い顔で横を向いて「……船はやっぱり苦手ですね」と呟いた。

「い、いま投げたら伝説の八の字カーブ投げができるかも」

「……やめろ」

 懸念にカールの眉が寄った。頭の中が揺れているのか、ナイフを取り出した物騒なリシュエント・ルーの手を包んでとめる。リットはうーと唸って、地面が揺れていない、という事実をしばらく疑っていたが、やがて手渡された水袋から一口二口飲んで少し落ち着いたようだ。頬に血の気が戻ってくる。

「海嫌いだあ、僕」

 そういうことを言い出し始めると、リットもいつもの調子が戻ってきたと言っていい。「船乗りにはならないよ」

 腹いせのように停船している船を一瞥して、きびすを返しざま、ちょっとよろめいたが立て直して、なんとか真っ直ぐ歩き出した。荷物を背負ったカールが小走りで後を追い、メイスと俺もちょっと顔を見合わせて続く。

 横へ縦へ前へ後ろへ、ぶつからないことなど不可能なように、ぞろぞろと波止場は盛況で、あちこちで怒鳴り声や小さな悲鳴や掛け声が聞こえる。

「港町って、人多いんだねえ……」

 ようやく周囲に目を向けるまでに余裕を取り戻すと、色々ものめずらしいものが急に目に飛び込んできたように、リットが感心して呟く。

「……ここで情報集めもいいかもしれん……」

 とカールも答えた。

「そーだね。船さえ乗らなきゃ、少しはいてあげてもいいよ」

 この言葉をリットはも一度振り向いた先の海に投げつけた。何に対抗しているんだお前は。

「あの船出航するみたいだよ」

 まだ刺々しさを残したリットの声に、なんの気なしに見やった先。もう帆をマストにまとめたロープを緩め、今にも出航しそうな中くらいの大きさの船と船着場の間にかけられた桟橋の辺りに、三人のばらばらな人間が立っているのが見えた。

 ガタイがいい男達が多い中では珍しい撫で肩で、ひょろっとした人のよさそうな中年船乗りの親父が、桟橋を背に立っている。今まさに船に乗って旅立とうしてる感じ。

 その前にはこれまた船乗りのような格好をした、十四、五才ほどの小僧と、もう白髪が日に焼けて傷み黄ばんでる結構年食ってる爺さんが並んで、ひょろっとした親父に向かい合っている。

 まあ、普通に見たら父親、その息子、祖父という三代船乗りの図だろう。長期の航海にでも向かう父親を見送ってるって構図だろうか。

 こんな港町ではよくある光景だろうが――リットはなんとなく目を離さない。俺もなんとなく目を離さない。なんだろ。フツーの図ではあるんだが。

「どうしました?」

 メイスだけが不思議そうに問いかけた。やがて人のよさそうな父親が手を振って桟橋からデッキにあがり、もやい綱が解かれ、碇が引き上げられ、帆が張られると船は意気揚々と進みだす。

 看板から手を振る父親に向かい、爺さんとガキも手を振りかえす。やがて船が沖へと出ていき、父親も最後に大きく手を一振りすると、舳先からきびすを返し――

「なにかありましたか?」

「いや、さ――」

 リットが頭をかきながら振り向いた先、メイスの方を見なかった俺はそれを見ていた。それまで和やかな雰囲気に包まれていた光景が、まるで魔法が解けたように。父親(らしき)船乗りがデッキから消えた瞬間、突然物凄い早さでガキがきびすを返して背後に突進した。

 が、爺さんもそれに負けない速さで懐に手を突っ込んだと思った瞬間、背を向けたガキに向かってしゅっと投げられた縄が蛇のように的確に足にからみつき、ガキは顔面から石畳に倒れこんだ。その縄の先を握った爺さんが愉快そうに笑って縄をたぐっていく。なにやってんだ?

 瞬間、ガキが腰からナイフを引き抜いて張られた縄を断ち切り、ダッシュで駆け出しあっという間に人ごみに消えた。ちっと爺さんが舌打ちする。

「なんかフツーの光景っぽいんだけど、妙な緊張感感じてさー」

 言ってリットがもう一度目をやってあれ、と言った。わずかな間に爺さんもかき消えて、そんでその波止場には何もなくなっている。

 ……なんなんだろうか、あれは。俺と一緒に一部始終見ていたろう、と思わず視線を投げかけると、レタスの視線を感じ取れるという、ある意味すげえ特徴を持つカールも目を伏せてわからないと首を横に振った。




 港を外れれば少しは喧騒も収まる。どんな街でもまず考えなければならないのは足場だ。

 多少の金銭と場所を考慮の末決めた場末の宿の食堂で、リットがあまり飯をとらなかったのが気になったのか、食事が終わるとカールは少しここにとどまるように手振りで示して、一人のっそり外に出て行った。

 んでいつまでたってもカールが帰ってこないので、黙っているとか待機とかにはあまり耐性がないリットが痺れを切らして

「もう待ってらんない、行こ」

 と言って席を立った。

「だいたいさー、カールちゃん威圧はあるから僕一人じゃバカにされがちなところ押さえになるのはいいんだけど、あの通り口下手だから肝心なことあんまり聞けないんだよね。もう情報収集ならアシュレイちゃんとライナスが行きゃいいじゃん。アシュレイちゃん顔売れてるし、ライナスあの通り詐欺師だからさ」

 ……ん? 何気ないリットの愚痴に聞き逃しそうな何かがよぎったような気がして俺が考えると、メイスが

「一体あなた方はなんの情報を集めていらっしゃるのですか?」

「へ?」

 呟いてリットがとまりくるっと振り向いて

「あれ? 僕なんか言っちゃったっけ? まずいことさ」

「……まずいかどうかは知りませんが。そういえばナディスであったときも情報収集とか仰ってましたよね」

 あ、あはははははー、とリットは笑ってまいっか、とあっさり吐いた。

「実はさ、僕らの旅ってアシュレイちゃんに頼まれたもんなんだよね」

 …………そうなの?

「たださあ、メイスちゃんに会うとはまさか思わなくて。あのね、怒んないでね。悪気あって内緒にしてたわけじゃないんだよ。たださ、アシュレイちゃんがメイスちゃんのことあの後も気にしてて今度メイスちゃんに会っても考えなしに面倒なことに巻き込むなよ、って言われてさ、まー、会うとは思わなかったからはーいって気軽に答えちゃってどうも」

 さすがにバツが悪そうにリットは言って

「ナディスで一緒にいるくらいいっかーと思ってたら聞いたらメイスちゃん達も情報収集でしょ。一緒に行けばいいじゃないってグレイシアちゃんも言ってくれて僕も嬉しかったからさー、ついつい」

 だからアシュレイちゃん怒ると思うんだよね、聞いたら。

 アシュレイの怒りを買うのは得策ではないとリットも身にしみているらしく、おっかなびっくり言った。確かにアシュレイは結構執念深い。

 メイスは読みがたい表情でリットを見ている。リットはそれに気付いてちょっと慌てたように

「で、でもさ、同じくらい熱心に探してるよ。赤い光の玉とかお師匠様とか」

 や、それは一緒にいりゃ十分わかるが……。アシュレイが? 内心首をひねってると、メイスが俺の聞きたかったことを言ってくれた。

「それで別件で集めてるという情報――」

 急にメイスが言葉半ばで切り、背後を振り向いた。焼けた肌の男が立っている。船乗りだろうか。その顔に浮かんだにやにやした表情に、俺は理解しリットも理解したようでいやそーな声で

「人目のつかないとこいこーか」

 にやけたバカはついてきて。

 路地裏でいい的になった。

「だからね、騙してたわけじゃなくてさ、そのね、だから――」

 珍しく必死になりながらリットが弁を振るう先。路地裏から出たばかりなのに、十六、七歳ほどのバカどもが、野次と共に近寄ってきて軽口叩きながらメイスに触れようと手を伸ばしてくる。

 リットの手が風のようにぶんとうなって、向こう側の壁にバカどもをナイフで縫い付けた。

「踊り子さんには、手を触れないでください」

 剣呑な目で言い放ち、あーナイフが勿体無い、と言ってメイスの手を引いて歩き出す。

「シュプール行ったときから思ってたけど、ここいきすぎ。ホントもてるよね、メイスちゃん」

 メイスも薄々どういうことなのかは察しているらしく、片目をゆがめて

「今まではこういうことなかったんですがね」

 いや、けっこーあったぞ。お前が気付いてないだけで。ただまあ。最近もう俺には見慣れすぎてよくわかんないんだけど、確かにメイスは綺麗(?)な容貌をしている(らしい)が、まだちょっと若すぎるという面はある。そういうのが趣味な親父にはたまらないだろうが。ともあれ最近カールがいないとこでのモーションは多かった。カールがいると面白いくらい誰も声かけねえけど。リットもそういやナディスとかではそーでもなかったかも、と呟いて手をつないだまま振り向いてまじまじと見た。

「――肌かな」

 リットの指摘はなるほど、と思わせた。強烈な太陽の下で、どんな美人もグラマー姉ちゃんも健康的な小麦色の肌をしている。そういう中で病的なまでに白いメイスの肌はよくも悪くも目立つのかもしれない。

「やっぱカールちゃん探そ。番犬の役割ばっちりだもん」

 言ってぐいと手を引いてから、そこでようやくリットは自分がメイスと手をつないでいることに気付いたよう手元に視線を落とした。リットもいっぱしの冒険者なので両手はそれなりに開けるように注意しているはずだが……。無意識に握っていた手をメイスの手ごとちょっと持ちあげてから、――まるで思いも寄らぬ贈り物でも貰ったように。

 不意に明るい髪のルーはえへへへへーと照れたように頬を染めだけど嬉しそうにメイスにはにかんで笑いかけた。

 ……

 そこそこ長いつきあいだが、リットのこんなところは見たことがない。みょーにメイス好きだよな、リット。……というか本人の言うように「同い年の女の子」というのがやはり嬉しい感じがする。周囲は一回り二回りも年上で、溶け込んでいるように見えても、片意地張っているところがあったかもしれん。

「カールちゃんが見つかるまで、僕が守るからねー」

 うきうき歩き出すリットと、あまり状況をよく把握してないけどついていくメイスの前に、角から突然ばっと影が飛びだしてきて行く手を塞いだ。ターバンに、腰布に、裸の足。上着も着ているが、留め具はなく上半身の半分はさらされている。そこから見えたのは、年若いがなかなか見事に鍛えて引き締まった身体だった。――あ。

 十四、五才の船乗り見習いというここでは珍しくない格好をした坊主だが、ちょっと生真面目そうなその面には見覚えがあった。あの、この港についたときに、父親らしき船乗りを見送っていた坊主だ。

「ま、待ってください」

 片手を掲げて坊主はなんか必死に言った。

「三匹目の虫~♪」

 まだナイト気分が抜けないのか、リットがひょいとナイフを取り出すと、先の小僧は顔をこわばらせ

「まっ、待ってください!」

 とさっきと同じ言葉をかなりの切実さをこめて繰り返した。リットがナイフを下ろしたのを見届けると小僧はほっとして、それから改めて前方に気付いたように顔をぱっと染める。艶光するような見事な小麦色の肌だが、顔色の変化がよくわかる。すなおそーなガキだ。

 俺がちょっと今までのバカどもと違ったものを感じていると、小僧はうんと覚悟を決めたのか、怖いくらい真剣な顔で頷き、口を開き――

「げ、げへへ。姉ちゃん達、い、いかしてんじゃねえか」

「……」

「……」

 ……

 物凄いノーリアクションに、坊主は焦ったようにあ、これ違うかな、と呟いて

「こ、今晩、付き合えよ。お、俺の総資産は五十ディナールはあるぜ!」

「……」

「……」

 ……お前はどんなお手本を見ているんだ。すると続く無慈悲な沈黙に(女のこういう沈黙ほど相手にしたくないものはない)坊主は無残な顔をして

「え、えっとお、海の男には惚れるなよ!」

「……」

「……」

 ……

 口を開けば開くほどかわいそうな感じになっていく坊主に、なに? とようやくリットが聞くと、半分泣き出しそうだった坊主はびくっとしてから一大決心をしたように

「さ、さっきから色んな人撃退している君達を見て間違いないと思ったんだ!」

 と自分自身に言い聞かせるように大声で宣言して腹をくくったようで、

「へ、へい彼女達!」

 まあ、今までのよりましか。がんばれ。

「そこいらのか、カフェで、お、俺と一緒に――」握った両の手を広げて坊主は一気に言い放った。

「人身売買の話しませんか!」




「俺、ロイって言います。この港町で船乗り見習いしてます」

 実に簡潔な自己紹介の端から、ちゃんと聞いていたのかというタイミングで、リットがぽんと手を叩き

「あ、君。波止場で見送ってた子だ」

 リットはやっと思い出した。小僧はぎくっとしてみ、みてたんですか、と言った。うん見てた、と言うリットに、う、うーと言葉に詰まる。

 もっぱら話してるのは二人で、メイスはしゃくしゃくサラダを食っている。そろそろ野菜くれるからって知らない人間についていっちゃいけんぞ、と教育しどきだろうか。

「んで、なに? 人身売買とか言ってたから、女衒とかそういうの?」

「……? ぜ、ぜげんってなんですか?」

「しらない。カールちゃんが教えてくれなかったから、そーいう手の言葉だとは思うけど」

 なんか大人って穢れてるな、と後ろめたく思ってしまうような会話だった。カール、お前も大変なんだな。

「いえ、その、人身売買ってあれです、人間をお金で売り買いするという……」

「そりゃ知ってるよ」

「知ってるんですか」

「うん」

 ……なんか話し進まないんだけど。

「ここで起こってるわけ?」

「いや、もうすぐおこりそうなんです」

「……?」

 人の顔色を読むのには長けているらしい小僧が慌てて

「や、うちの爺ってこの港の顔役っていうかまとめ役っていうか、役職とかはねえんですけど、そういう存在で。世界中の港場で溢れてる情報全部に精通してるよーな爺でそれがここいら最近あっちこっちの港で人身売買を行ってる輩がいるって情報掴んで」

 リットはうさんくさそうに相手を見て

「じゃあ、その、爺さんに合わせてよ」

「だ、だめっ!」

 飛び上がるように小僧が言った。腹に一物隠しとけるようなタイプではないが、確かにちょっと挙動不審ではある。

 ふうん、とリットが身を引いて隣のメイスに目を向け

「メイスちゃん、もういい?」

「食べ終わりました」

「じゃあ、ごちそうさまー」

 あっさり席を立ったリットに、小僧は一瞬呆気にとられて、それからハッとしてその手にすがりついた。

「ま、まってください!」

 女衒にすがりつく親のように必死な小僧を見下ろして

「なんで。君最初に言ったじゃん!」

「え?」

「君、僕らに最初に言ったでしょ」

 すると小僧は慌てて考えて

「げ、げへへ、姉ちゃん達――」

「ちがーう。人身売買の話しませんかって」

 話、したでしょ、

 というリットに小僧はハッとしてそれから、世にも情けなさそうな顔をした。

「もう話せること、ないんでしょ。話終わったから僕らはもう関係ないよね帰るよ」

 リットの意図がわかるのか、小僧はもうやけくそのようにわかりました、わかりましたから、と言って

「ちゃ、ちゃんと全部、事情お話します……」

 がっくり肩を落とした。




「――つまり君は自分を女装させて、おとりにしようとするお爺さんから逃げて、おじいさんとは別口で解決してやろうってたくらんでるわけ」

「は、はい。親父が長期航海で留守にした瞬間、あの爺、それ実行しようとして、俺、今必死に逃げてるとこなんです」

 場所を俺達が泊まっている宿に移して話を聞きだしたところ。そういう単語から話の骨格が見えてきたわけだ。爺に話をさせるのを嫌がった点、爺から必死に逃げてた点、基本的に一致する。嘘はついていないだろ。しかしリットは冷淡に

「やめたら? そういうの。おじいさんと一緒にやればいいじゃない」

「い、いやですよ! 誰が女装なんて!」

「――で、自分は女装が嫌だから、関係ない女の子をおとりにさせて危険をさらそうと」

 小僧の顔が赤くなった。

「君が言ってるのってそういうことでしょ。結局」

「そ、それは俺が命に代えても守って――」

 瞬間小僧の顔の横をさっと白刃が走って横髪を数本落とし、首元には鋭利な刃が突きつけられた。ハッと見開いた目に、微笑むリットが映る。

「さあ、君は、どうやって守るの?」

 くすっとこれ見よがしな笑声をもらしてからリットは言った。小僧は硬直している。「君が命をかけてもね、外部の力に対してなんの確約もできないのさ。だって君は今、自分の命さえ守れなかったでしょ?」

 青ざめた小僧はけれど、その言葉に硬直からとけたように

「ふ、ふつうの子なら無理でしょうけど、君達くらい力があれば大丈夫だと思ったんです!」

「僕に力はないよ」

 ふとリットが言った。そうしてナイフを自分の手元に引き寄せ、その刃に指を添えた。「僕は臆病なんだ。だからナイフを振り回す」

 メイスの視線に気付いたのか、片目をつぶって

「本当はね、こういう風に武器を簡単に振り回すのはかえって危険なんだ。よくカールちゃんに言われてる。でも僕は怖い。力がないのも、弱者だってのも、食われる側だってのもわかってるから。だから小さな力を振り回すんだ」そうして小僧を見た。「やっぱり、納得できないね。他人を危険にさらす理由としてはさ。子どもっぽすぎる」

 その言葉の正しさはわかるのか、小僧はうつむき

「じょ、女装って言うのも、それがホントに嫌っていうか、そうじゃなくて。いや、やですけど。ああでもしたら今度は女装孫って言われるし……」

「マゴ?」

 耳にひっかかったリットに、小僧はびくんっとした後、諦めたように

「俺、港じゃ、みんなにマゴって呼ばれてるんです」

 ――……。

「それ、あだ名?」

「いいえ。爺の孫、って意味です。ただマゴ。――……それで全部通用しちまうような世界なんです、俺のところって。俺の名前なんて誰も覚えてないし。それくらい、とんでもない爺なんだ、あいつは。親父は結構堅実で地味な漁師なのに。爺はもう海賊退治とかどこぞの領主の船に体当たりで押し勝ってやったとかあ゛あ゛あ゛」

 胃に穴でも開きそうな声で小僧が言う。

「君、船乗りやなの?」

「いえ、海は大好きで。これ以外の仕事って考えられないけど、なんというか、こう地味に海に寄り添って生きていきたいというか、親父のよーな堅実な船乗りが俺の夢で。だけど親父のいない今! ここで踏ん張らないと俺はずるずると縄を巻きつかれて爺の道へ引きずり込まれそうで……!」

 苦悶を吐き出しにした小僧に、多少はさっきより心証が良くなったのかリットはうーんと前髪をかきわけて

「つーかそもそも、おじいちゃんの勘ってだけっていう話だし女の子が攫われるってのもなんかあれだし……」

「爺が来るといったら嘘でも嵐がきます」

「いや、こないでしょ」

「来るんです……っ! そういう怪物爺なんです」

 ワナワナと指を震わす小僧に、リットはちょっと考えて「――じゃあ、まあ、もう少し話聞くくらいはしてあげるよ。関わるかどうかはまだ決めないけど」

「は、はい――」

 小僧が頷いてなおもなにか言いかけたとき、急にドアが開きぬっとカールが入ってきた。あ、とリットが顔をあげ、小僧も気付いてちょっとぎょっとして、リットとカールを見比べ

「お、お義父さん!」

 と声を出して椅子を蹴った。……? ……おとーさん?

 その言葉の意味を俺がテーブルで考えてる間に小僧はざっと向き合い

「は、初めまして、波止場で娘さんに声をかけましたロイ・ジュードと言います。稼ぎはまだ少ないですが、いつか堅実な船乗りになってみせます!」

 ……お前は一体、誰に騙された、とようやくおとうさん、の意味を理解する俺の前、小僧はいきなり船乗りのナイフを抜き払い

「お、お義父さん! あなたを倒して娘さんを頂きます!」

 カールは少し目を見開いていきなりなガキを見下ろした後、こくっと頷いて横の椅子をひょいと持ちあげ一息にテーブルに振り下ろした。テーブルが砕ける音とともに、椅子の余計なもんがもぎとられて一本の棒になった。

「か、カールちゃん、素手! 素手!」

 そ、そうだ。――じゃない根本からとめろリット!

 カールはリットを向きこくっと頷いて棒を未練なく投げ捨てる。

「い、いきます!」

 飛び散る破片、砕ける椅子、派手なパフォーマンスに多少顔を青くさせたまま、けど健気でかわいそうな小僧は怒鳴って宿の床を蹴る。刃を返している辺りは、ちゃんとしている。他にも構え、スピード、タイミング。……あれ? なかなかどーして。

 結構やるじゃん、と思った俺の前で、小僧は実に一分間の健闘の後、それでも手加減したカールの肘打ちをくらって床にふした。




 一分と聞くと即行でやられたという印象があるかもしれんが、勝負というのは一瞬でつく場合がほとんどだ。一分越えた、という辺りは圧倒的な体格の差、経験の差を考慮すれば快挙といっていい。

「君、ちょっとはやるんじゃないの」

 なんで僕のナイフにあんなに反応しなかったのさ、というと、手ぬぐいを額にのせてた小僧はあ、あれは油断しきってました、と力なくうめいた。――なんか、どっか抜けてるガキだ。

 とりあえず小僧が気絶してる間に事情を説明して、危うく役所呼ばれそうになった宿の主人に謝って、椅子とテーブルとんかんカールが直して、気付けば夜になってたので、おりしも月夜。俺は部屋に戻してもらって、元の姿で階段で気配を消し様子を伺う羽目になった。…―なんかリットと旅しだしてから、俺はこそ泥のような気分になってくる。

 あんまり長く伺っているのも危険なので、小僧がまあ平気そうな様子を見届けると、二階に戻って窓から路地裏に下りた。……やっぱりこそ泥のような気分になるなあ……。

 ひょいひょいと夜の町に繰り出して俺が夜でも騒がしい港を回り、すっかり詳しくなっちまった月入りの時間に合わせて、カールの部屋に戻ったところ、カールは部屋にはいなかった。あれ、と思って見回したところで時間切れで床の上のレタスになると、しばらくしてカールがドアを開いて入ってきた。

「どこ行ってたんだ?」

「……看病だ」

 小僧に対して責任を感じてるようだ。しかしあれはリットが悪いと思う。

「俺、港の方回ってきたんだけどさ、どうやらあの小僧のこと、ほんとみたいだぞ」

「……」

「しかも三人に聞いたとこで逆になんか聞かれてきてさ。それ以上、無理だったけど」

 情報通ってのも嘘じゃねえかもな、と言うとカールも

「……昼間、波止場で聞けば必ずその名にぶつかった。オースティン・ジュード」

「そんなに詳しいなら、一度聞いといた方がいいな」

 基本的に陸路の俺らとは違って海には海のルートがあるからなあ、といい終わるのも待たずに、一階から悲鳴があがった。カールがさっと手を伸ばして俺を持ちあげ、階下へと風のように駆け下りる。

 細い階段を駆け下りると、テーブルの上の小僧がリットに抱きついていた。

 間髪いれずそれに向かって俺が投げられた。

 小僧の頭にぶつかって跳ね返ったところをメイスの白い手がひょいと捕まえてくれる。……。友情を疑っていいか?

 メイスが私のレタスを勝手に投げないでください――とカールをじろっと睨んでる前、小僧がびびったように戸口を見ている。リットに抱きついたまま、振り向く小僧の先には戸口近くに立った一人の老人がいた。あ、昼間の爺さんだ。

「な、なななんでここが」

 ガキが脅えて言うと、爺さんはにいっと笑い

「孫がずいぶん迷惑かけましたな」

「んーまあね」

 抱きつかれたままのリットが答えると、ぱっとたぶん無意識なんだろうがガキがリットから離れて向き直り

「なーんーでーこーこーがー!」

 とすげえ大きな声で怒鳴った。メイスが顔をしかめる。爺さんは

「お前がアホなガールハントをしてるときいて、まあ面白いからそっとしといてやろうかと思ったが……」

 お、女の子に声かけるときは爺ちゃんがそうしろって言ったじゃないかー!とかわいそうな叫びをあげる顔を無視して

「なんだか、港で嗅ぎまわっとる者がおるようで。そいつがただ者じゃあないということでちょいと挨拶にな」

 あ、ばれた。そりゃ情報通ならこっちが聞いた時点でキャッチしてるか。

 爺さんはゆっくり見回して、とりあえずカールに目を留めた。「ちょっと違うようだがなあ」と小さく呟いたが、とりあえずカールの前にやってきて、軽く挨拶に頭を下げて問いかけてきた。

「情報を探してるのか?」

 こくっと頷くと

「わしもこう見えても昔とった杵柄、世間様のことはいくらか通じてる」

 カールとリットの顔を交互に見ながら爺さんはふてぶてしくも、それでもロイよりかよっぽど女が寄ってきそうな魅力のある悪人面とでもいうか、そういう顔で歯を剥いて笑った。

「というわけで諸君。渋茶でも飲みながら、人身売買の話をしようか」

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