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恋に巨乳に客寄せレタス!(下)

 メイスは今日も元気にごくごく野菜ジュースを飲んでいて、俺は昨夜とは別のことに頭を悩ませていた。

 爺さんと娘はもう知ってるし、他の客はいないので、朝食の席でも遠慮なく動いて、昨日飯くったときに気付いたことを確かめていたんだが。

 路銀が、足りない。

 昨夜、食事の代金を払うとき、あ、やべと思ったんだが遅かった。財布の中はだいぶ乏しくなっていた。

 なんも働いていないメイスと俺がどうやって路銀を稼いでいたかというと、答えは簡単。稼いでなどいない。

 数ヶ月前に俺とメイスが最初に会ったとき、役所に突き出した盗賊の懸賞金と、ニーチェの村の盗賊倒したときの懸賞金を少しずつ使っていたにすぎない。

 どっちも札付きの悪党だったせいか、当座の金には困らない金額だったんだが。メイスはもう経済観念なんてないし、俺も食われる怖さに好き勝手に野菜とか食わせてたから、思う以上に出費がかさんでいたらしい。野菜って最近、高いんだよな。

 こりゃまずい、と俺は慌てたわけだが、メイスは金が少ないと聞いても、そーですかー。じゃあしばらく雑草ですね、と全然堪えた様子がなかった。

 確かにメイスにしてみれば、前の生活に戻るだけで、特に痛みもない。そりゃ野の草くって外で寝てりゃあ一銭もかかるまい。

 しかし俺はそれはダメだとさらに焦った。せっかく宿に泊まる習慣をつけたところなのに。これじゃ全部おじゃんだ。振り出しに戻る。

 早急に金の工面をしなけりゃならない。ああ、エフラファでの分け前もらってくるんだった! ドラゴンの鱗の一枚でもあれば、こんな苦労なんぞ。過ぎた後悔は一瞬で消却して(無駄だから)俺はうーんとうなる。

 幸い、しばらく月が出る夜が続く。その間になんとかするしかない。男の価値は甲斐性だ。となると、急いでベッソンまで出るべきだ。都会なら仕事も多いだろう。

 今後のことを心に決めて、急いでたつべきだと考えると、目先の出費が気になった。

 まあここの代金ぐらいはまだ払えるけど、できれば節約してーな。相談とかのってるし、もう正直あの二人は見込みねえけど、タダかせめて半額になんねえかな、と俺がせこいこと考えてる横で、金の悩みなどないメイスがごくごくごくとお気に入りのジュースを綺麗に飲み干して「おかわりー」と機嫌よく叫んだ。出費を恐れる俺が慌ててパス! と叫びかけたとき。

 厨房から転げるようにして、爺さんが駆け出してきた。その手にはジュースを持っている。中身は大きく波打ってこぼれそうだ。爺さんはこっちに突進してきて、メイスではなく俺の前にどんっとコップを置くと、突然ひざまずいて拝み始めた。だから、なに。

「あ、こら飲むな!」

 我関せずコップをとって飲もうとするメイスに怒鳴ると、爺さんが涙をいっぱいに溜めた目で

「レタス様! お助けを! お助けを!」

「なに」

「こ、ここここれを――」

 爺さんが震える手で差し出したのは、一枚のぼろけた羊皮紙だった。そこにはちょっと字の間違いと癖があったが、十分読める文で

【ベンジャミンの宿に泊まっている、素敵なクレスと行ってきます。心配しないでください。お元気で。】

 そして最後に「ルーシー」と署名してあった。爺さんはおおおおおと声をあげて天を向き

「駆け落ちじゃーっ!!」

 と叫び、俺の目の前で、物凄い勢いで机に突っ伏して、泣き始めた。




 知らせを聞いて駆けつけてきたベンジャミンは、いつものとっぽい様子が、髪を乱し服を乱し息をきらしていたということでさっぱり消え、逆に垢抜けて男らしさが結構あがったように見えた。

 ひっつかんだ上着をそのままに、何も言えずに渡されたルーシーの置手紙を一瞥し、そのままガタンと近くにあった椅子に座り込んでしまった。

 紙を鼻先に、汗が滴るぼさぼさの前髪をかきあげる。呆然とした様子で、それでもせわしなく何かを考えているらしい瞳が、やがてもう一度紙を見て絶望に染まり、怒りと苛立ちがこもったうなり声をあげた。無念の吐息が熱い。

 ……。

 馬鹿なやつ。惚れてたんだったら、胸とかいい張ってるなよ。

 というのは多分、激情をあおるだけなので口を噤んだが、十分激してたらしいベンジャミンはうち震える光を瞳に宿し

「殺してやるっ……!」

 とぶっそう極まりないことを本気の声音で囁いた。普段馬鹿な子ほど怒らせると怖い……じゃないが。

 もしかしたら、ベンジャミンのたかのくくり方は、こういうところにあったのかもしれない、とふと俺は思った。こんなに好きなのに、なにを言っているんだと。そう思ってルーシーの非難を軽く考えてたのかもしれない。伝える努力の大切さを知らないガキだなあ。

「ルーシーがわしを捨てたー! 老い先短いのにーっ! 老い先短いのにぃぃぃっ! ルーシーィィィっ!」

 もうどうしようもない感じになってきたその場で、爺さんは俺を拝んで

「レタス様ああっ! 大魔導師様あああっ! ルーシーを連れ戻してください! わしの娘ーっ! わしの娘ーっ! わしの虎の子二百ディナールさしあげますからあっ!」

 あ、虎の子、増えてる。 

 その申し出はちょっと揺らいだ。狂乱の態の爺さんも気の毒だし、やりゃあ、宿代ただになるだろうし、当座の金も入る。あー……。

 だけど自分の意思で飛び出した娘を、無理矢理連れ戻す?

 俺は昨夜見た嬉しそうなルーシーの顔を思い出して気が重くなった。

 そりゃベンジャミンはともかく、父親をあっさり捨てていった点は褒められたもんではない。駆け落ちとなると苦労するかもしれん。しかし、それもその人間の人生だ。それで幸せになれるのかもしんねえところを、俺のような赤の他人が阻んでいいものか。うーん。

 悩む俺の横でメイスは勝手にジュースを飲み干して、それから

「これ、そのカケオチ、とやらじゃないと思いますよ」

 男三人がそれぞれわめいたり呪ったりうーんうーんとしてる中に、初めて口を出したメイスの言葉は意外の一言で思わず全員とまってメイスを見た。

「カケオチ、って、つまりあのルーシーさんがここに書いているクレスさんとやらに恋愛感情なるものを抱いていたということですよね」

 ベンジャミンの歯がぎりっと鳴ったが、俺はまあ、そんなもんだ、と答えた。するとメイスは少し考え込むようにしながらも

「それはないと思いますね」

「なんで」

「んー。うまくは説明できませんが、昨日お話してたときのことで、そう思います」

「ちゃんと説明してください! どうしてそう思うんですか!」

 ベンジャミンがメイスに詰め寄って噛み付かんばかりに声を荒げた。メイスはちょっと困ったようにしてやがて

「女だから」

 ここにきて初めてベンジャミンの勢いがとまった。ぐうの音もでない兄ちゃんを前に、メイスはひょいと俺の方をかがんで

「男性に理不尽なことを聞かれたらこう答えろとあの人言ってましたけど」

 ……

 うちの娘に変なこと吹き込んでいくんじゃねえ。




 んー。俺は昨夜のこともあるから、あんまり納得いかなかったんだけど、まあとりあえず探して爺さんたちに知らせる前にちょっとルーシー本人に話を聞いてから、連れ戻すかそっと行かせるか決めてもそんな支障はないだろう、という辺りで自分を納得させることにした。

 そのため、手分けして探した方がいいと、邪魔な爺さんとベンジャミンを追っ払った。

 なぜならメイスは絶対にルーシーを探し出せるからだ。メイスの鼻を舐めてはいけない。ルーシー嬢の手ぬぐいを失敬し、俺たちは血眼になる二人からそっと離れて、メイスの鼻を頼りに村の後ろの方にある小さな森に入った。

 駆け落ちとなれば街道沿いに都会のベッソンにでも向かったんじゃねえかと思ってた俺は、森かよ、と思ったが、メイスは迷いなく臭いを辿って歩いていくので、信用することにする。

「なー、メイスー」

 臭いを見失わないように、いつもの健脚ではなく、てくてく歩くメイスに話しかける。

「なんですか?」

「俺さー、昨日、ルーシーがベンジャミンの宿に泊まってる兄ちゃんと仲良さそうにしてるの見たんだよ」

「そーですか」

 わかってねえのかなあ、と思う。

「昨日、ルーシーとなにはなしてたんだ?」

 ともかく誤解をとくのに必死だったせいで、他の会話は気にしてなかった。

「私がレザーさんの話をした後ですねー。あの方、ふふって顔をあげて私にも今すっごく気になる人がいるの、って」

「それダメだろ!」

 どこが駆け落ちじゃないんだ。むしろ予告だろ、それ。やはりメイスに女の勘なんて無茶か、と思いかけたとき

「あの人ですねえ。それ言ったとき、悪巧みしてるお師匠様そっくりの顔をしてたんですよ」

「……」

 見くびっているのは、俺の方だろうか。ともかくうげっと胃にくる名前を聞かされたせいもあり、俺がちょっとおとなしくメイスの探索に任せていると、急にメイスが立ち止まって不思議そうな顔をして

「あれ?」

 とつぶやいた。なに? と聞きかけたとき、俺の耳が茂みをかきわける音を捉えた。俺も見た。ざわっと進行方向の右斜めの茂みが揺れて、それが飛び出してきて。

「あれ?」

 つぶやいて見やった先、俺たちの横を駆け落ち中のルーシー・エヴァンズが一人ですたすた駆け抜けていくところだった。




 とっぷり日が暮れた小さな田舎村の宿は、昼の騒動で下の食堂もしめきって静まっている。二階の客室にはわずかな明かりがともされてはいるが、それもしばらくしてかき消えた。

 そこから再び一刻ほどたった頃、そっと茂みから音もなく出てきた一団が建物が落とす影に添うようにして近づき、裏口へと忍び寄った。カギ穴に取り出したカギを入れてまわすも、扉は開かない。扉に張り付いていた人影が苛立ったようにノブを回すが、一向に開こうとはしない。なにかの悪態を口の中で紡ぎかけたとき

 急に二階の明かりがつき、ぱっと窓が開いた。窓から顔を出したのは、一人の少女だ。彼女は自身の役割をたっぷり楽しんでいるように、狼狽する人影を見下ろし

「それじゃ、扉はあかないわ。それはうちの鶏小屋のカギよ」

 と嫌みったらしく言い、裏庭に這っていた人影がうろたえながらも、きびすを返し逃げかけた瞬間。

 突然その前に黒い突風が駆け抜けた。

 一番後ろにいた二人の人影が悲鳴をあげて崩れ落ちると同時に、音もなく突風は後ろに回りこみ、稲穂でも刈るようにさらに背後から二人を鞘つきの剣で殴りつけた。

 あっという間に最後の一人になってうろたえる人影に、大またでひょいと近づいて手を後ろにひねる。甲高い女特有の声が漏れた。

 数拍ほどの合間に裏庭の五つの影が始末されたのを見て、窓からそれを見下ろしていた女はきゃーと歓声をあげて、部屋の中に向き直り

「おばさん、もう大丈夫よ」

 とおっかなびっくりの顔の老婆の手を、ルーシー・エヴァンズは力強く握った。




 ベンジャミンの宿の一階には、覆面を引っぺがされて、椅子にぐるぐるに縛り倒された五人がど真ん中を陣取っていて、ルーシー・エヴァンズと爺さん、俺とメイス、ベンジャミンの年取った母親、後村人数人が集まってそれを囲んでいた。

 賊の中には昨日俺が見たルーシーと一緒にいた男がいるし、残りは気絶してんだけど、ブロンドの髪の女だけは憎々しげにこちらを見上げていた。おそらくこいつがちょっと前に泊まったという、冒険者風の女なんだろう。俺も話を聞いたときに気付くべきだった。

 俺は行商人か旅芸人だと思ったけれど、それならベンジャミンだってわかったろう。ただの旅芸人や行商人が冒険者を装う理由などどこにもないし、だからって言ったとおりそんな露出が高い冒険者などいない。その時点でなんか変だな、と気付くべきだった。勘が鈍ったかな。

 おそらくわざと挑発的な格好をして、注意を自分に集めていたんだろう。それに引っかかり、あっさり目を奪われたベンジャミンとは違い、ルーシーはその不自然さに気付いていた。そしてそれを忘れていなかった。だから一人で嗅ぎつけたわけだ。数日前から、ベンジャミンの宿に泊まっている若い男が、あの時女と一緒にいた一味の一人だと。

 婆さんの話では最初に泊まった時はもじゃもじゃの髭を生やしてたんで、てっきり中年だと思ってた、と言ってたが、ここはまあルーシーの観察力の鋭さだろう。

「なにかあるな、と思ってたらこいつから近づいてきて、あたしが前は家族同然につきあってたってきくと、食いつくでしょ。確信よ。それで中から手引きされても困るし、追い出すためにも偽の鍵もわたしてやったってわけ」

 ほーと一同感心してルーシーを見やると、ルーシーはそれ以上は威張らずに、てへと笑った。すると可愛かった。

「し、しかし、こんな田舎宿にそんな手間暇かけて忍び込んで、いったいなんの見返りがあるっていうんだい?」

「それは俺に心当たりがある」

 手を上げて進み出て、俺は一人意識がある賊の女の様子を、本人に悟られぬように伺いつつ、ゆっくり指をめぐらせて

「あれ」

 俺が食事をしたときに見た、暖炉の上にある埃をかぶった盾のようなもの。それを指して俺が言った瞬間、確かに変化が見えた女の顔に確信する。

「どうやって手に入れた?」

「あれ……ですか。なんでも私の祖父さんがどっかの森で拾ってきて、綺麗だったから飾ったとききますが」

 婆さんの答えに、俺は暖炉に近寄って壁からひょいと取りあげ、袖で薄く埃を被った表面をこすってみる。そこからぴかっと、時の摩擦に削られない輝きがのぞいた。見覚えのある光沢にメイスが

「あれ、それ……」

「そう。ドラゴンの鱗だ」

 まさかこんなところにそんなものがあるとは思わずに、俺がうなる。

「おや、そんなものが値打ちものなのですかい」

 のんびり言う婆さんに、知らないってことは、と冷や汗をかく。

「あら、狙いはそれだったの。私もなに狙ってるかはわからなくて、調べる暇もなかったけど」

「――おそらく前泊まったとき、こいつの正体に気付いてそっからずーっと狙ってたんだろうな」

 ブツはまったく警戒されてはいないものの、夜中まであいてる食堂の中に飾ってある。誰でも入れるところにあるが、逆に常に人の目がある。意外にとるには難しい場所だったかもしれない。

 中に入りこんで客として泊まっていたからって、手引きだって実のところ結構難しいと思う。用心棒とか雇えるとこならともかく、こういう田舎の宿は身元が確かじゃないものも内部に引き入れなきゃならないわけだから、内側からだって鍵がなければあかないようになっているところが多いんだ。

「放火かなんか騒ぎをおこして目をくらまして、そのごたごたにまぎれて、盗むつもりだったんでしょうけど。私が駆け落ちしようって持ちかけたらそれでいくか、みたいな色があの男に浮かんだからね」

 それで泥棒とわかりきってる男といっちまうんだから、無謀さか勇気か。人目につかない森につれていかれて縛られ取り残された後、忍ばせていたナイフでちゃちゃっと抜け出したところを、俺たちにばったり会って出し抜くためにちゃかちゃか根回しをして。無謀でも並大抵の度胸でないことは確かだ。

「お前な、うまくいったからいいものの、ちょっと無茶しすぎだよ。相手は悪党だぞ」

「こそ泥程度の小悪党だから大丈夫だと思ったのよ」ふんとルーシー嬢ちゃんは言ったが、すぐにちょっとバツが悪そうになって「うん、ま。危険なのかはわかってた。ごめんなさい。もうしないわ」

 あんまり見くびるようだったら、一言物申そうと思ってた俺だが、ルーシーの顔には反省の色があった。

「やっぱり捕まったとき、怖かった。小さくても大きくても悪党なんてこっちから寄るもんじゃないわね」

「そうだよ。お前、まったく」

「だって、腹が立ってたんだもん」

 あ、こっちもだもん、だ。腹立ちの原因はここにいる全員が知っているので、それ以上は誰も何も言えない。うまくいけばルーシーの苛立ちは賊の様子に全然気付かないベンジャミンの鈍さですめばよかったんだが、やっぱり胸についても腹が立っていたらしい。確かに。こんな回りくどいことしなくても、一言ベンジャミンに話せばよかったんだし。それをせずにたった一人で対決したあたり、並ならぬ女の意地が見える。終わった後、ざまあみろ、とベンジャミンを笑うつもりだったんだろうか。さすがに捕まった怖さやらなんやらにそんな気も萎んだようだ。

「ルーシーちゃん」

 不意に、当のベンジャミン君の母親が口を開いた。白髪が目立つ、生活苦が滲みでるような婆さんだ。

「私も女だから、何度目移りする馬鹿亭主をフライパンでぶんなぐったかわからないし、悔しさはよーくわかるよ」

 もしかしてベンジャミンのあれは、父親の血か?

「でもねえ、あの子にはあんたが必要なんだよ。それは今回の件でもよーく、よーくわかった」

 縛られた盗賊を途中でちらっと見た辺り、すごく実感がこもっている。確かに。メイスを抜かす全員が思わず頷いた。

「あの子もねえ、あんたがいなくなったと知ったら、血相を変えて飛び出していって、まだ帰ってこないで探してる。ようやくわかったんだよ」

「そーだぞ。ルーシー。うちに来てお前の手紙見たときは、もうおっちんじまうんじゃないかって思うようなショック受けてたし、珍しく男らしく見えたぞ」

 二人の親に諭されてルーシーが何かを言おうとしたとき――

「ハン」

 と、侮蔑に満ちた嘲笑がその場を打った。

 視線が集まるのは、椅子に縛られた賊の女だ。金の髪をこれみよがしに振って、その場を馬鹿にするようにねめつけた。

「あんな男にはあんたが似合いでしょうよ」

 つりあがった眼はルーシーに固定される。「あたしがちょっと色目をつかったら、盛りのついた犬みたいに食いついてきて。程度が低いったらないわ。――ああでも、あんな屑男でもあんたみたいな女はごめんじゃない? 鼻っ柱だけ高くて、男はうんざりするわ」

「盗人に馬鹿にされるような女はここにいねえよ」

「なによ」

「人を侮辱する前に、お前になにが誇れるか言ってみろ。言えないなら――黙れ」

 きつく見返す女を睨み返してやると、ふとルーシーが

「いいです。そんな人、まともに相手しないでください。そんな価値もない人だから」

 女は俺からルーシーに標的を移し

「そんな女にたぶらかされたあんたの男が――」

「あんたがもう一言もベンを語るな!」

 瞬間、その場が飛び上がるような迫力の声が響き渡ってびっくりした。びしりと全てを打ち据えて、ルーシー・エヴァンズはずかずか詰め寄った。「あんたにベンジャミン・ロージーのなにがわかるって言うの!? そんな節穴の眼で人のものを見て知ったかぶって語って。あの人はね、あんたが語れるような底の浅い人間じゃないっ!」

 ルーシーの剣幕にびびって静まったその場に、不意に村の男が顔を出して

「おい、ベン坊がやつれて帰ってきたぞ」

 と言い放った。ここに集まっていない男衆は、ルーシーが見つかったっていうのに、帰ってこないベンジャミンを探しに行ってたんだが、ようやく発見したらしい。ジャストタイミングというか、バッドタイミングというか。その言葉の数瞬後に入り口から嵐のように飛び込んできたのは、すごい風体の男だった。

 髪も服も肌も木々やら葉っぱに思いっきり突っ込んだように、お前どこ探してたんだよ、というベンジャミン・ロージーは、その中身も野生に帰ったようにすごい眼でルーシーの姿を認め、それからぎろっと部屋を見回し、――んで。

 盗賊とか縛られてる女とか、そういう重要なもんを全部スルーしてなぜか俺に視線をとめた。びしっと指がつきつけられ

「こいつか!」

 なにが。

「こいつが間男か!」

「誰がだっ!」

 さすがに俺はたまらず声をあげた。人をいきなり失礼なもんに断定すんな。

 すると怒鳴った後のこの登場に、さすがにびっくりしていたルーシー・エヴァンズは急に気が抜けたように、あは、と短く笑って「あなた、まだ気付いてなかったの」と言ってそれからあははは、と笑い出してしまった。

 ――んで。ベンジャミンに事の次第をよってたかって理解させるまで結構かかった。混乱しながらようやく飲み込んだらしいベンジャミンは、怒るか焦るか落ち込むかと、俺の予想に反してそれまでの感情を全て拭いさったように、あはははと高らかに笑い出した。

 それでいきなりルーシーに抱きついて、その身体をくるくる回しながらなおも笑い続ける。やがて笑うのも踊るのも疲れたのか、ルーシーの肩にこつんと顎をのせて「よかった」と呟いた。

 その息子に後ろからひょこひょこと婆さんが近寄っていって

「ベン、これでわかったろう? もう、馬鹿なことをするんじゃないよ」

 母親にそう言われて、ベンジャミンは身を離して

「はい、お母さん」と快活に答え、ぐっとルーシーの腕を掴んでさらに向き直った。さっきから衆目の中、大胆につきる行動に、間近に迫られてルーシーの頬も赤くなる。

「ルーシー、僕――」

「な、なに……」

 さっきまで「間男ってなんですか?」とすげえ答えに困る質問をしてきたメイスの目を塞いだ方がいいかな、いやさすがにそれは子ども扱いがすぎるか、と俺の逡巡が決着がつくよりベンジャミンは一息早く、輝くような笑顔で

「君の胸で我慢するよ!」

 小さいけど。

「…………」

「…………」

 最後に戦慄の一言までつけくわえた大馬鹿野郎の存在に落ちる圧倒的な沈黙の中、ルーシーの頬が照れの赤から剣呑のどす黒さに染まっていく。

 それに馬鹿の末路が予想できて、もうどうしようもできまいと、せめて馬鹿なベンジャミンに聖母リディアの祝福……は、やっぱり、もういいんじゃないか、なくて。聖なる母にも手に負えきれないものがあるだろう。

 俺が結局祈らないでいると、はあ、と凍りついた空間に老婆のため息が漏れ、彼女はとことこと俺の前にきてひょいと手から竜の鱗を受け取ると、凍りつく空間にも気付かずにこにこしてる馬鹿息子の背後に回って、色ボケ亭主を数々沈めてきたんだろう、細い腕からは想像もできない見事なスイングでその後頭部をガツンといった。

 いっ、と一言発したきり、崩れ落ちる息子を無視して、婆さんははあ、とまた苦労が伺えるため息をついて、未来の娘に向き直り

「ルーシーちゃん。これ持参金にあげるから許しておくれ」

 と倒れ掛かってきたベンジャミンをさらっと避けた(ベンジャミンはそのまま床に倒れた)ルーシーに向かって竜の鱗を差し出した。

 毒気を抜かれた様子のルーシーは鱗を受け取り、ちょっと考えた後、すたすたと傍観者ポジションの俺達の前に来た。そしてしゃがみこんでメイスにはい、とそれを渡した。

「それ、あげるわ。お礼よ」

 金銭欲がないメイスはきょとんとそれを受け取ったが、俺はびっくりして

「ちょっとまて。それは――」

 ルーシーが俺を見上げた。わかっているわ、という風に。あ、と俺もわかって口を噤んだ。竜の鱗の価値は高い。こんな田舎じゃ、多すぎるほど。下手したら人生を狂わすほど。

 平和な村にこんな泥棒騒ぎがおこったのも、これのせいだし、それは金銭にかえても同じことだろう。金はいろんな自由や権利のかわりに、大きなリスクも要求する。それはどろどろして質が悪くて平和でのどかな田舎村には疫病も同じだ。

 ルーシーはおそらく薄々これの価値に気付いて、だから流れの旅人のメイスに渡すんだ。俺は無意識に口元に手を当てた。

「よかったですね、レザーさん。お金がなかったんでしょう?」

「……そうだな」

「あたしは、あそこの泥棒たちを役所に突き出して報奨金を貰いますから」ふふん、とルーシーが泥棒たち、と言いながらたった一人を見やり、相手はもう何も言わず悔しそうに俯いた。

 まったく賢いルーシー・エヴァンズは、泥棒を見やった後、顔を戻してなぜか俺を意味ありげに見上げてメイスに向かい

「あなたのレザーさんは、かっこよくていいわね。どのレザーさんでも、いつもそばにいてくれてるようだし」

 まったく賢いルーシーには、ぐうの音もでやしない。

 このしたたかでたくましい嬢ちゃんに、聖母リディア――や、春の女神ルーシーの祝福を、と。

 あげる白旗のつもりで、俺は胸中でその前途を祈っといた。




 というわけで、鱗をザックに詰めて俺とメイスは再び明るい街道を進む。とりあえずこれを換金すればもうしばらくは路銀を気にせずすむ。一気に換金はやめて、宝石とかにしとこ。現金にすれば到底持ち歩けまい、と俺がベッソンについた後のことを考えてると

「ねー、レザーさん」

「なんだ」

 歩きながらメイスが話しかけてきた。

「この後、ベッソンで換金した後ですね、本当にお師匠様を元に戻したいなら、グレイシアさんのところを再び訪ねてみたらどうです?」

 メイスの思わぬ提案に、俺は急に心臓が強く打つのを感じて

「な、なんで?」

「エフラファのときに、お師匠様と一番接触期間が長かったのは彼女ですよね。それにあの方、お師匠様の計画の大部分に通じていたようなふしがありましたよね。同意でしているとか。まさか行き先までご存知とはいかないものの、多少の手がかりはあるかもしれませんよ」

 少なくとも、こうあてもなくさまよっているよりかは、とメイスは結んだ。

 ……

 …………なかなか反論が見つからず、俺が黙るとメイスは不意にたまに見せる鋭い光を煌かせ

「妙に渋っていますね」

「あ……いや……」

「カースリニ大神殿の第一巫女と仰ってますから、当然、居場所はご存知ですよね」

「……」

「しかもあの方、レザーさんの事情に通じておりますから、話もしやすいですし」

「……」

 畳み掛けるメイスに、ぐうの音もでない。

「何か反論でも?」

「……ない」

 次に会うときは人間体で、とかいう口にしたらむなしい男の決心とか意地は、結局口にしたらむなしいだけだけど。ばっかみたい、と呟いたルーシーの声が耳の奥に痛く反響する。決まりですね、とメイスはそっけなく言ってまた歩き出した。俺は沈黙しかない。するとまたしばらく歩いたところでメイスが

「ねー、レザーさん」

「……なんだ」

「恋愛ってよくわからないものですねー」

「…………まったくだ」

 重い俺の胸とは裏腹に、先行く街道の先に浮かぶ太陽は、春の女神ルーシーに祝福されたよう、奔放に、快活に、輝いていた。






<恋に巨乳に客寄せレタス>完

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