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恋に巨乳に客寄せレタス!(中)

「いやですお断りですレザーさんは私のものです」

 なんか前もこういうことあったなあ、と俺がどことなく黄昏ている前で、さすが話を聞いていないだけあってメイスは戸惑うこともなく鉄壁で完璧な拒絶をした。

「そこをなんとか! この村には、この村には客寄せが必要なんです! 喋るレタスが降臨したとあっては一躍うちの村は有名に! もうベッソンなんぞの威張り腐った腐れ都市の名前なんかにすがらずともうちの店にも客がばんばん」

 爺さん都会でなにがあった。それともただの田舎コンプレックスだろうか。……いや、そうじゃなくて。最初の相談は?

「いやですお断りですレザーさんは私のものです」

「お願いしますわしらに救いの神の客寄せレタスをそのレタスを村になにとぞなにとぞ。代金には――そう! わたしの虎の子、百ディナールを!」

 安っ!

 何千ディナール積まれても商品になる気はさらさらなかったが、あまりの安さに凍りついた、五リーロル平方の土地もかえねえだろ、それじゃ。

 がしっとメイスが俺を抱き寄せて、据わった目で

「わたしのものです」

 つっこみたい気持ちは多々あったが、さすがにこの村で百ディナールぽっちの金で身売りして、客寄せレタスになって生涯を終えるのは真っ平だったので、心なしかメイスに身を預ける。

「そこをなんとか――」

「あのなあ、じいさん」

 どうしようもない感じなので、俺が口を開くと爺さんは輝く目でおおお、と俺を見た。心なしか頬が染まっている。爺さんに頬を染められて輝く目で見られても嬉しくない。

「俺は、メイスと離れたら、そのうち喋れなくなってただの水晶に戻っちまうんだよ。だから無理。あきらめてくれ」

 でっちあげに爺さんの目の光が急にしぼんでいく。やがてオイオイ爺さんは泣き始めた。……あのなあ。

「客寄せもなく、唯一の解決策も無理で、わしはもうここで哀れな老後を惨めに孫の顔を見ることもなく今後の喜びもいっさいなく過ごしベッソンの奴は勝ち誇って都会ぶって……」

 最後の方はもうなんの愚痴だかよくわからなくなってたけど、ぶつぶつ言いながら爺さんがオイオイ泣く。オイオイオイ泣く。オイオーイオイオーイオイオイ……

 ……

 ああ、もう。

「……わかった。売られんのは無理だけど、娘の説得ぐらいはしてやる……」

 根負けした俺に、メイスの呆れた視線が冷たく突き刺さった。




「あたし、レタスにも水晶にも魔法使いさんにも話すことなんてありませんから」

 そうつげなく言い切ったのは、爺さんの一人娘。春の女神ルーシーの名を貰ったルーシー・エヴァンズだった。

 太っているわけじゃないが、結構どっしりと体格がいい姉ちゃんで、すごくよく働きそうな感じだ。日焼けのせいか愛嬌分だけ散らばった頬のそばかすに、鼻はちょっとかっこよく高く、明るい明るい若草色の目をしてる。

 笑えばなかなか可愛いんじゃなかろうかと思う俺だが、ともかくむすっとしてるので仕方ない。

 ルーシーはおしとやかさはともかく、快活な女神だったのに。まあ、恋多き女ではあったらしいけど。リディアが絶対不可侵の『母』であった分だけ、その女の部分がルーシーに全部投入された形になったと言われている。

 四季を司る神話では、ルーシーは冬の守護神ロドリゲスに一途な恋を寄せていることになっているが、どーかねー。ロドリゲスって神族の中では飛びぬけた堅物で知られている渋いおっちゃんだし。

 ロドリゲスが秋の女神アリシアを、アリシアが夏の使徒金の髪の美青年ウィンリをそれぞれ片恋したってのはありそうだが、ルーシーの片恋はこの前の季節を追って去る、季節を永遠の片恋に例えてくるくる回る四季の構図を完成するために無理につけくわえられた観がある。

 なにしろルーシーってのは、全ての男の恋人と言われるのも伊達ではないほどの、本命のいない女性なわけだから、いまさら堅物に一途に恋と言われても、と思うほどそういうのが似つかわしくない性格なんだ。

 すげーもてることはもてたんだけどな。聖母リディアの使徒の中では、世界全ての知を司る要職を務めたウィンリだってこのルーシーには骨抜きだった。インテリも美人には弱いってことか。

 まあ、そういう詳しい逸話を並べれば並べるほど、娘につける名前ではなくなっていく感じなのでやめといて。

 我らがルーシー・エヴァンズは、とりあえず俺とメイスの正体っつーかあれに、驚かなかったわけではないだろうが、それ以上に怒りでいっぱいになっているらしく、話はかなりすんなり通り、そしてすんなり跳ね除けられた。

「まあ、余計なお世話であることは百も承知だが……」

 俺がつぶやくと、百も承知なら持ち出してこないでしょ、と言う様なきつい目をしていたルーシーは、俺を見下ろしてちょっとそわそわして目をそらした。はいはい。俺は客寄せパンダならぬレタスになれるほど珍しいから別にもうどーでもいいよ。

「うちも親父さんに泣きつかれちまったから、少しは体裁整えなきゃなんねえんだよ」

「父さんのことほんとに思うなら、余計な期待を持たせるようなことしない方が、親切だと思いますけど」

 反抗的な言葉はそのままだったが、それでもしみじみ感が伝わったのか、ルーシーは口調を少し和らげて言って、それからこちらをじっと見てむずんと組んでいた胸の前の腕をとき

「レタ……水晶さんは」

「レザーでよろしく。俺名前がそれだから」

「……レザーさんは」

 はいな。

「男性ですよね?」

 ルーシーの目が厳しく細まった。まあ俺しゃべり方も声も男だし。

「……まあ。この状態であんま意味はねえだろうけど」

「男の方に話すことなんてなにもないです」

 とりつくしまもないぞ。

「やー。その、相手の…男のこと、とか? 男だからわかるってーか」

「ほらでた」

 なぜかルーシーが冷笑した。

「男だから男にしかわからないから女にはわかるわけがない男同士じゃねえと」やたら皮肉そうに空々しく並べて、ルーシーはずばっと切った。

「ばっかみたい」

 ……。あのさー。これなんか根、深くない?

「説明してみなさいよ、って言っても、男だからの一言。あげくは男にしかわからないものなんだ。でおわり。説明できるような頭も説明するものもないのに。男男って唱えてたら威張ってられるのよね。便利な魔法だわ。馬鹿がつけあがる」

 あー……。

 この嬢ちゃん、結構頭がいい。しかも男がうっとつまるようなきつさの頭の良さだ。

「一つ聞きたいんだが」

「なんですか?」

「不和の原因は?」

「浮気」

 あ、そりゃダメだ。

 俺はくるりと爺さんのいる厨房を向いて

「おーい。じいさーん」

「はいはいはいはい」

「諦めろ」

 飛んできた爺さんは俺の言葉に再度固まった。

「れ、れれれれれたす様――! な、ななななんでですか!」

「だって無理だろ」

 このルーシー嬢は浮気が絶対許せないタイプで、相手は結婚する前からの浮気性。たとえ今回なんとか許せても、破綻なんぞ目に見えてる。

「不幸な結婚生活送る前でよかったじゃねえか。悪いこと言わねえから、今後の展開考えるならここで手を打っといた方がいいよ」

 うんうんとルーシー嬢ちゃんは深く頷いていて、メイスはさっきからほとんど関心を見せずにジュースを乾している。

「あ、あのですね、レタス様はちょっとこちらに」

 ひょいと俺を持って爺さんは厨房へと引き込んでそこで声を潜め

「そのですねえ、娘はなんと申しましたか?」

「相手の男が浮気したって」

 やっぱり、と爺さんは顔に手をあてて

「違うんですよ、レタス様。あれは浮気なんてもんじゃないんですよ。たったあれだけで世紀の大罪人みたいに責めたてられちゃ、ベンジャミン坊だってたまったもんじゃないと、わしゃあ正直思ってましてね」

「けどさー」

 そういうのって、客観的なもんじゃないだろ。他人にはたいしたことじゃないように思えても、本人からすれば許せないってこともある。それを外野がたいしたことない、って言っても仕方ないと思う。

 俺のそういう口調に感づいたのか、爺さんは焦り始め悩み始め、その果てにぽんとなにやら思いついた顔で

「レタス様レタス様、ベンジャミン坊のところへ参りましょう。うちの娘の話ばっかり聞いてたら、それは不公平ってもんです。さあ思いついたら即日」

「え?」

 いきなり爺さんはエプロンをはずしてせかせか裏口に回ろうとするので、俺は慌てて

「ちょっと待てよ、メイスが」

「お嬢さんが入ると話しにくいってこともあるでしょう。男の話は男同士で」

 なあ。あんたのそういうところが、嬢ちゃんのああいう反感になったんじゃなかろうか。残されてなにやらルーシーに話しかけられているメイスを見送りながら、俺はなすすべもなく連れて行かれた。




「事の起こりは、胸だったんですよ!」

 爺さんから話を聞いて、こっちはルーシーより肝が据わってなく驚いて、それでもなんとか落ち着いて、あんた浮気したって聞くけど、って言うととんでもない! と急に俺の気味悪さも忘れた風に、ルーシー嬢ちゃんの破綻した許婚、ベンジャミン・ロージー君は言いなさった。

 まだ幼さが残る坊ちゃんタイプで、ルーシーと同じ愛嬌程度のそばかすを散らし、多少女性的だが顔は結構女好きしそうな感じ。こっちも背はそんなに高くはないが、肩は広くそこそこしっかり働きそうな身体をしていて、まあまともそうな奴だ。しかし、その坊ちゃんが言い出したことは、俺には理解不能だ。

「胸ぇ?」

「そう胸です、胸! 胸ってわかりますか胸」

 わかるから連呼するな。

「強いて言えば巨乳!」

 誰も強いて、ない。

 なんかぽんぽん飛び出てくる単語に頭が痛くなってきた。

「しかもその巨乳を僕は揉んだり触ったりあまつさえはちょっとな、なめてみたりしたわけですらないのに!」

「オレおうち帰りたい」

 爺さんに訴えると、爺さんはまあまあ、と手をかざしてなだめて、「ベンジャミン坊はちょっと頭が可愛いですが、まあうちの娘もあれですからね。これはこれでつりあいがとれてんじゃないかと。変にちょっと賢い男だとぶつかりそうですし」

 この爺さんも意外に娘の頭や、この坊ちゃんの頭具合がわかってんな、と思った。とりあえずメイスを連れてこなくてよかった。教育上よろしくない。

「えーと、つまり?」

「ちょうど今から一ヶ月前の話です。ルーシーが僕の家の宿に手伝いに来てくれた晩のことで、その日のお客さんの中に旅の一行がいましてね。全部で五人ほどで、そのうちの一人が女性だったんですが、すごく露出が高い格好をしていたんです。彼女に僕がちょっと目を奪われてしまって。そしたらそれをルーシーが見咎めて怒り出して、後は大喧嘩に発展。今日に至ります」

 このヒート具合とおうちに帰りたい具合をしょっぱなからさらしたせいか、俺のベンジャミンの株はすげー低かったんだが、見違えたような整然とした説明っぷりに俺はちょっと見直した。腐っても客商売家業というところか。爺さんも、捨てたもんじゃないでしょ、という目を俺に向ける。まあ確かに。いくら宿つきの奴でも、胸胸わめくしか能がない奴を息子にする気にはなれまい。

「巨乳は男のロマンです!」

 やっぱり捨てろ。

「だってもうあの冒険者の人、こう半分以上生乳さらしてたんですよ。聞いてください! 生乳ですよ生乳! 乳白色の! 輪郭が! 揺れるんですよ! 輪郭揺れますよ! それででかい!」

 あのそれ冒険者じゃ、絶対ねえから。そんな馬鹿げた風体した冒険者なんかいねえから。露出が高いということは、結局ダメージを負いやすいということになる。そんな格好で森や洞窟に入る馬鹿がどこにいる。おそらくその一行は、行商人か旅芸人かなんかだったんだろう。

「そんなものが目の前にぽろりと! ぽろりですよ! ぽろり! 出血大サービス!」

「オレおうち帰る」

 爺さんがまあまあと、頭を指で示してジェスチャーした。もうこれを可愛いとかいったら「かわいい」って言葉に失礼だ。

「若いってことですよ」

 若いって言葉にも失礼だ。そんな俺と爺さんのやり取りにも気付かず、

「それを見るのは当然じゃないですか! 見てただけですよ! 口説いたわけでも触らせてって言ったわけでもない! それであんな責め立てられちゃたまったもんじゃありません!」

 ふんと言い切ったベンジャミンに

「――おめーさあ、自分になんか問題あると思わねえ?」

「思いません。だって僕、男だもん」

 だもんじゃねえ。

「胸好きだもん。男だったら巨乳見るもん」

 俺が人間だったら殴って終わりにしたい。

「それともあなたは胸が嫌いだとでもいうんですか! 目の前にあったら見ないとでも!?」

「………………」

 ああこいつと少しでも一緒にされるってのがやだなあ、ほんとやだなあ、と思いながら「……見るけどさあ……」

「ほら! 僕は正しい! 絶対に正しい! そんな習性をとりあげて人非人だの畜生以下だの鬼悪魔のように非難するなんてルーシーの方がひどいんですよ!」

 俺は爺さんに抱かれて満身創痍の気持ちで宿に戻った。もう口をきく元気もない俺を爺さんはおろおろ気をつかっていたが、宿の一階の椅子に座ってルーシーがこっちを見て、すぐに様子を悟ったのか

「ごくろうさま」

 と馬鹿にするように笑ったとき。ああもうこれ馬鹿にされても仕方ないなあ、と疲労濃く部屋にいたメイスの手に渡ったとき、初めてメイスの手の中で安らいだ気持ちになった。

「ちょっとレタス様疲れてしまったようですな。すいません。後で新鮮な水が入った霧吹き届けますから」

 ぺこぺこ頭を下げながら爺さんが一階に降りていって二人になったとき、もうあんまり疲れていたから癒しを求めてメイスの手に体をこすりつけそうになった。俺が最後の一線を越える直前に、ふとメイスが俺を見下ろして

「ねえレザーさん」

「なに?」

「私ってレザーさんに恋してるんですか?」

 ……俺はおうちに帰りたい……




 あなた、気になっている男性っているの? 

 ……しいて言うなら、レザーさんですが。

 水晶じゃないわよ。人間の方よ。

 ……人間のレザーさんもまあ気になってると言えばそうですが。

 やだ、あなた水晶に好きな人の名前つけてるの? かーわいー!

 と女性には結構ソフトな対応だったルーシー嬢の暇つぶし会話はそういう多大な誤解から幕を開けたらしい。それで俺を語るメイスがレザーさんのことを考えると、胃が熱くなるとか、欲しくてたまらないとか、いつもの調子で大好物を熱っぽく語るとルーシー嬢はきゃーと大胆に喜んで、誤解して。……もう聞くだけで疲れてきた。うちの娘に変なこと吹き込まんで欲しい。

 メイスの話を聞いて誤解をといたときは、もうとっぷりと日が暮れて、窓の向こうには白い月がのぞいて、俺はお久しぶりの人間体にもどってるとこだった。

 もう気分的にはどっと倒れこんで寝てしまいたいところだが、せっかくの人間体なのでしたいことはいろいろある。憂さ晴らししてこよ。

「じゃ、俺、夜遊びしてくるから」

 言った後で、あ、こういう話の後でこの言い方はまずいかな、と思ったけど、メイスはあくび交じりにいってらっしゃーいと軽く言うだけだった。ま、いいか。数少ない俺の憂さ晴らしの機会だ。

 二階の窓から夜の村に飛び降りて、夜気に四肢を伸ばすとやっぱりじーんと嬉しさがこみあげる。いいな人間っていいなあ。

 身体を伸ばすだけで嬉しい中、俺はさてレタスのときは食えない腹ごなしでもして、剣の自主練でもするかと、月が照らす夜を歩き始めたが、ふと今出てきた宿の裏口から走りだしてきた人影が目に入ってきた。身を隠そうとこそこそ動いてるもんに、反射的に目がいっちまう。習性みたいなものだ。

 家の影になったところから月明かりの下に出てこなくても、その裏口から出てきたのが、あのちょっと食えない爺さんではなく、ルーシー嬢ちゃんであることはすくっとした影と、きびきびした動きですぐにわかった。堂々としていた姉ちゃんは、しかし今は明らかに人目を気にして動いているようだ。月のあるまあ明るい夜とはいえ、若い娘が一人でうろつく時分ではない。

「……」

 きな臭さと、無用心さを両方に感じて、俺はあんまり褒められたことではないだろうけど、そっと後をつけてみた。まあこんな小さな村だから、護衛の意味はあまりないかもしれない。そうするとちょっと後ろめたいが。

 ルーシーはてってと、人目がありそうな道を避けながらも、明確にどこかを目指して進んでいるようだ。その行き先に途中で気付いて、俺はその歩みと共に推測が確信に近づくにつれ、意外な心地を禁じえなかった。

 ルーシーが向かっているのは、どうやら俺が昼間、爺さんにつれていかれていった、ベンジャミン坊ちゃんの宿屋のようなんだ。

 気が変わってよりを戻しにきたんだろうか。こんな夜中に? それとも昼間だと恥ずかしいから?

 しかし宿にたどり着いて俺が見たものは、ルーシー嬢ちゃんが明るいともし火が漏れている表を避けるようにまわり、裏手の茂みから慎重に窓を数えている姿だ。お目当ての窓を特定したのか、ルーシーはしゃがみこんで道の小石を拾い、それを窓に投げつける。二、三度、小石が確かなコントロールで命中すると、その窓のカーテンが開き、誰かが部屋の明かりを背にして窓から顔を出した。

 影になってて見えないが、部屋の主が親しそうに手を振ると、ルーシーも嬉しそうに相手に手を振り返す。それから相手はちょっと身振りしてから、カーテンを引いて窓を閉めた。窓に映し出された濃い影がやがてきびすを返し、たいして待たせずに表から回って誰かがこっちにやってきた。

 ルーシーが何か小さな声でつぶやき、やっぱり嬉しそうに近寄る。隠れている身と宿の影であんまり見えなかったが、さっと月明かりがさしたところで見えたのは、背の高いどこか都会臭さを匂わせた若い男だった。相手がルーシーに微笑みかけると、ルーシーもちょっと嬉しそうにその腕につかまって、二人は仲良く歩き出す。

 それ以上は野暮すぎたので、俺は追わずにふーと息をついて。ふーとやっぱり疲れた心地で、表に回ってベンジャミンの宿に入り中に満ちていた賑やかさを避けるように端の席についた。

 食事場や酒場もかねた宿の一階は暖かい騒がしさがあり、一階の食堂部分はいつも静かな向こうの宿と違い、結構繁盛しているようだ。奥行きがある店の中央の暖炉の上には、埃を被った丸い盾のようなものが飾ってある。掃除の腕は、あっちが上だな、とぽつと思う。

 そして、さっきのことを思い出して、あんまりこういう話になると、メイスの耳にいれたくないな、と最初にまず思った。そりゃ多少の機微には通じてた方がいいだろうけど、こう説明に困るもんをぐだぐだ言って混乱させんのもあれだ。

 ふーと息をついて、あれ、俺最近自棄にメイスのこと考えてるな、とふと気付いた。特になんも変わったように思えなくても、一ヶ月前に知ったメイスのウサギの家族が人に食われたって話を負い目に思っているせいだろうか。

 メイスは俺の気持ちに変な顔をしている。きっと理解できないからだろう。俺も、わからない。負い目に思うべきなのか、思わないことが正しいのか。

 俺は今まで食ったウサギの数を覚えていないし、メイスも今まで食った野菜の数なんて覚えていまい。

 だからそういうもんなんだと、メイスのように割り切るものなのか。負い目に思うものなのか。リディアの教えのように、食い尽くして生きていくのか。

 答えの出ない問いをそれでも復唱していると、ベンジャミンが注文をとりに俺の席にやってきた。俺が適当な食い物と酒というと、俺=昼間のレタスなど思いもよらない無邪気な顔で

「あれ、お客さん。見ない顔ですね。……もしかして、先の宿におとまりですか?」

「……まあ、そうだ」

 するとベンジャミンはちょっと複雑そうな顔をして「あそこは部屋はいいけど、料理はうちの方が美味しいですよ。飽きたらうちにも泊まってくださいね」

 と言って引っ込んでいった。そうしていると、まあ、まともなんだけど。……可哀想だけど。胸胸のぼせてるとっぽい坊ちゃんより、あーいうの選ぶよな、ふつー。

 俺はベンジャミンとルーシーご両人の言い分を取り出してかみ締めてみた。

 正直、ベンジャミンの言い分も、わかる。本当に浮気したならともかく。胸見たくらいでなんだ、というのはあるだろう。実際誰に聞いてもたいしたこっちゃない、と思うだろう。

 しかしだからって多分、ルーシーがそれで傷ついたことは確かなんだと思う。客観的な事実など関係ない。ルーシーは真剣に傷ついた。のにベンジャミン坊やはあの通りだった。

 自分を傷つけた行為を当然だと言い張って実際ちっともわかろうとしない相手と、やっていけないと思うルーシーの判断はある意味仕方ない。むろん、ベンジャミンには悪気がない。ただそれがわからないくらいにガキなんだ。なんだか少し前の自分を見ているようで、気をつけよう、と思った。

 運ばれてきた酒になんとなく、まだ幼いベンジャミンに聖母リディアの祝福を、と祈ってその後は全部追いやり、俺は確かに美味い飯をつつきながら、久々の晩餐を楽しんだ。



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