続)ドラゴンの森で(2)
ミイトの具合はあまり良くないようだ。というより、どうもしっくりいかない、というのが正しいか。
眠気覚ましに、ピリリと辛味があるライ草を口の中で転がしながら、バード・トラバーンがそう考えた時、ちょうど辛味の繊維をすりつぶしてしまったらしく左頬に鋭い刺激が走った。
むずがゆさも含まれる刺激に片眉をしかめながら、不安定な木の枝の上で身体の重心を入れ替える。考えには浸りながらも、見張りの仕事は忘れず、視線は常に移動する。異常なし。
見張る目とは切り離した部分で考えながら、妹分について再び思考を向ける。
あの、なんだかよくわからない一幕の後、ミイトは戻ってきた。見たところ吐くだけで外傷もなく。吐き気も一刻ほどすればすぐに治まった。おかげで離脱することもなくクエストに再び参加できる。ついには第四層の半ばとかつてない大健闘だ。
アシュレイはあれで潔癖な男だから、個を切り捨てるルーレイに怒りを覚え現状も腹立たしいようだが、自分はそこまで怒れない。というより、そこまで気を配れない。
集団を扱おうとするならば、良かれ悪かれ結局、操るしか方法はない。群の常は無秩序で、人間と同じように、頭がなければ一歩も動くことができない。
そこでバードは片目を眇めた。集団のことなど、自分達を取り巻く状況としてのみ把握していればいい。結局自分は、自分の器は、自らのパーティだけでカツカツだ。いやたった一人の妹分だけでももう息切れがし始めている。
自分自身にそう言い渡し、周囲を見張りながら、黒髪の、ドジで、間が抜けて、でも一生懸命の、妹分の姿を思い浮かべた。すると胸にライ草よりも複雑な刺激が走る気がした。
もう誰かの妹分と扱われる年でもないだろうけれど、二十一歳のミイト・アリーテは頼りない。そして常に慌てている。それはいい。それは常だからだ。しかし。今は常と明らかに違うところがある。
放電しない。
自家発電、とどうしようもない感じの二つ名をつけられたミイトは、並べると虚しくなるし比べれば可哀想になるが、アシュレイのパーティの魔手の要、癒しのグレイシアと同じように、呼吸をし体内が脈づくにあたって、自然に微量の魔力を指先や皮膚から放出している。
グレイシアの場合は再生力なので比較的問題がない。せいぜい敵に近づけば嫌でも微量の癒しを与えてしまうくらいだろう。
グレイシアの踏みしだいた草はその後で以前より生き生きと身をもたげ、その繊手で退けた枝は折れても蕾や葉を生やす。
現象としてはよく知られているし解明もされているが、その有様を目にすれば聖女と仰ぐものが出てもおかしくはない。本職は女神官というのもさもありなんだ。
あれで美人だったらもう神様に問答無用で石を投げるべきだが、天もそこまでは二物を与えなかったらしい。それでも十分人に羨望される存在だろう。
しかし。
仕組みや現象は同じなのに、ミイトの場合は羨ましさもなにもない。同情されるか、哀れまれるが、悪ければうとましがられるのがオチだ。
なにしろミイトが放つのは微量の電撃だ。静電気ほど軽いものではない。ひどい時は触れれば肌が焼け焦げる。一体それが疎ましい以外の何に役に立つというのか。そういや避雷針アリーテとか呼ばれていたこともあったっけな、と思わず遠い目になってしまう。
出会った頃は、悲惨だった。放電を防ぐために自分で必死に知恵を絞ったのだろうが、ゴムを縫い込んだもっさりと厚い毛布のような服をすっぽりかぶっていて、その風体の見苦しさといったらなかった。
ぼろきれのようなフードからのぞいていたのは、焼け焦げた頬だった。焼印を押し付けられたように火傷だらけで、ひどい箇所では水ぶくれが幾つも膨れ上がり潰れ、皮膚は爛れて醜い皺になっていた。それらはすべて自分の雷で焼いた、ミイトの持つ忌々しい力の刻印だった。見るに絶えない顔の中で、瞳だけがきょとんと無垢だった。あの時の姿をバードは忘れることができない。
成長するにつれ、制御がなんとかできるようになり、痺れることはあっても自身を焼くことはなくなった。触れる他人には、片目のモノクルが伝導を防ぎ、その分の雷は飾り気のないミイトが唯一耳に下げたイヤリングが吸い取っている。もうミイトの雷に焼かれるものはない。しかし、放電は依然とあったのだ。確かに。
感情が昂ぶったり動転すれば、制御からはみ出し放たれて許容量を超える。故にミイトは二日に一度は自分で痺れている。それが常だ。いつものことだ。
それが、ない。
どころか、魔道具に蓄積されているはずの雷すらない。ミイトは間違いなく、おそらく生まれて初めて雷を発していないのだ。それを喜ばしいととるか、奇怪で不吉の前兆ととるかは、冒険者に問われる資質であり、バードは間違いなく後者を――間違いなく正しい選択を――選び取った。
それとなく具合を聞いてみたが、ただでさえ動転しやすい性格に、自分の身にふりかかったことに心底狼狽しているのだから、迂闊につつくこともできない。ミイトは、自身が生まれてから常につきまとっていた放電していないという事実すら気付いていない。
どうしたもんか。
すっかりくしゃくしゃになって繊維だけが残る葉をぺっと吐き出して、まだ視線を向けてなかった場所に目を走らせる。すると、ふと緑の淡さと濃さが交じり合う視界の中に、自然の中ではあまり見られない、刃のよう凶暴に光を返す赤銀の髪が見えた。
アシュレイだ。
細身の青年は、暖色の髪の女を伴っている。グレイシアだ。なにかあったのか、目を細めると横切ろうとしたアシュレイがこちらを急に向いてどきりとする。視線を察知されるような距離でも角度でもないのにまっすぐに射貫いてくる。
茶色の瞳には、引き絞られた弓のよう、緊張感と威圧が漲る。ルーレイが利用したのもわかる。彼には確かにカリスマというものがある。
冒険者仲間の一部は、青い髪をした彼の弟分の方に高い評価を下している者もいるが、それでもアシュレイがリーダーを務めている限り、結局彼ほどの器はないということだろう。人は発揮されていないものに幻想を抱きやすいという奇妙な一面を持ちがちなものだが、発揮されないということは結局ないことと何もかわりはしない。そこでふと別の考えがかすめた。今のミイトの放電も――そう、なのだろうか。発揮されていない、それはないということなのだろうか。
「バード」
思考がそれ以上進む前に、近寄ってきたアシュレイが呼びかけた。それから目を鋭く細め、いま時間はあるだろうか、というしぐさをしてみせた。
目の鋭さから事態の重さをはかる。見張りをどうしようかと考えたとき、ちょうど茂みの中からだんご鼻のロイドが見えた。
バードは一も二もなく枝にぶら下がり、アシュレイの前に飛び降り顔をあげた。
「なにがあった?」
「どうしようかね」
と、幼すぎるという風体から説得には向かない、と判断されたリットが膝を抱いてつぶやくと
「どうしましょうかね」
と、信用できないという中身から説得には向かない、と判断されたライナスが引き継ぎ、風体も中身もあらゆる観点から説得には向かない、と判断されたカールが、どうしようもない、という意をのせて沈黙を通した。
リットは手癖のようになっている、ナイフ研ぎを続けながら
「なにはともあれ、がっくしきたー」
「ま。狼の時点で気付くべきだったかもしれませんが」
「そんなのフェアじゃないじゃん。だってここ何年もずーっとフツーのドラゴンサークルだったわけでしょ? それでいまさら? 言うの?」
僕が言ったんじゃありませんよ、と柔和な表情は崩さないが、それでも失望を隠しきれないようにライナスが、ぶーぶーと口を尖らせる少女に弁明めいた口調で告げた。いつもなら手を緩めることはないが、それも正論だと思ったのかリットはちょっと考え
「よし。ルーレイちゃんのせいにしよ」
「あ、それはいいですね」
「そもそもルーレイちゃんが見たーとか無責任なこと言うから悪いんだもん。まぎらわしーよ。中年ボケなんだよ。そろそろハゲるよ。ルーレイちゃんのせーいだールーレイちゃんがわーるーいー」
ナイフの刃を振りながら、チャッチャと歌う。なんの解決にもなっていないが、あーすっきりしたと黄色の髪の少女はさっぱりした顔だ。
「不満は一度はなった矢だ。迂闊に口に出すな」
突然背後から声がかかり、彼らをおいていったリーダーが草を踏みしだいて現れた。その後ろから踏みしだく草を元のように茂らせるグレイシアが続いた。
おかえり、と言いかけたリットの前に、
「洒落でした、じゃすまなくなるぞ」
アシュレイがどっと座り込み、苦々しい様子で片眉をしかめた。
「もう、ルーレイのところへは……?」
「まだだ。もう少し根回ししときたかったが――時間ぎれだ。出発の準備に入ってやがる」
「故意か偶然かはしりませんが、彼は敵に回ると実にいい動きをしてくれますよね」
「優秀だってことさ」
嫌いぬいてはいるが、正当な評価は濁さない赤銀の青年は、膝に手を置いて内密な話をするようぐっと身を乗り出した。
「出たら必ず暴動がおきると思ってろ。大まかな筋書きはもう変えられん。自分の意思で踊って少しでも余裕を持つしかない」
「まさかそこまで意思があると……?」
さすがに眉をひそめたライナスとリットに、カールまで心なしか耳をすましている。アシュレイも少々判断に困るように、傍らで静かに控えるグレイシアに目をやった。
「悪意は思考ではないわ。でも、悪意というそれ自体が、そういう働きを身に潜めているの。そういう働きこそを悪意と言っていいかもしれない」
「翻訳して!」
「あるわ」
「この中で一番信頼していいのはバードだ。グレイシアを離れるなよ」
立ち上がるよう膝に手をおいて、それからふとアシュレイは仲間を見やった。
「共に行こう」
カールが投げた言葉に一瞬沈黙した後、いや、と短くつぶやいた。「たぬきとたぬきの化かしあいだ。威圧的なのは逆に使った方がいい。カールはグレイシアとリットを頼む。こっちに必要なのはむしろペテンだ。――頼むぞ」
立ち上がりながら視線を向けた先で、相手は杖を抱くようにしてにこっと笑ってみせた。
「お任せあれ」
立ち上がりがてら、ライナス・クラウドは恭しく告げた。
避雷針アリーテ、放電の魔術士、どうにも締まらない二つ名を持つ女魔術士ミイト・アリーテは片眼鏡越しにいぶかしげに周囲を見回した。
なぜだか、今日は日がもう高くなっているのに、隊は一向に進行の準備をしない。いつもなら日が明ける少し前にルーレイの取り巻きがやってきて先触れを告げていたのに、思い出してみればそれもなかった。
出発の準備も終わってしまって、見張りを交代したロイドの見張りがさらに終わっても、バードは首脳陣となにかもめているのかまだ戻ってこない。陣もまだ動き様子を見せない。
武器の手入れをしている仲間たちに離れる旨を告げた。先日のこともあるので一人歩きは、と渋る仲間たちに陣の中を歩くだけだから、と断ってミイト・アリーテは陣の中を一人歩きだした。
約束通り陣から少しでも離れることないように、気を使って行くと所々でいろんな冒険者たちがパーティごとに固まって、武器の手入れやら相談をしている姿が見えた。クエスト途中でこの大所帯というのは、見慣れぬ光景だがミイトには少し嬉しい。
たくさんの人の中にいる自分、というものは昔は見果てぬ遠い夢だった。なのに今この集団の中の一員です、という顔をして歩いていても、誰も咎めてはこない。すべてバードと仲間たちのおかげだ。
まだ戻ってこない、明るい色の髪の青年の姿が頭に浮かんできた。初めて会ったとき、バードはとても何かを言いたそうにして、けれど言えずこちらを見つめてきていた。いや、言うではなく、何かを伝えようと、戸惑いと躊躇いが瞳の中で戦っていた。それがひどくミイトの印象に残っている。
言いたげなだけならば、他の人間もそういう顔をよく向けてきた。蔑みや嫌悪は視線にすると雄弁だからだ。だけどバードが向けていたのはそれとは違っていた。彼は、何かを伝えたいと願って一途であったように思える。
あの時、バードがなにを伝えたかったのか、今でもミイトはわからない。でもわかりたいと思う。わかって、あの時、バードが伝えたかったこと、それが要請や要望なら叶えるためになんでもしよう、とミイトは思う。祈りや願いであったなら、自分もそう祈ろうとミイトは思う。彼は世界であり、人が世界というものはきっと彼の周りにあるものなのだ。
そのために、ミイトは今、あの白い髪の魔術士に会いに行こうと腰をあげた。腰はとても重かったが、それでも振り絞ってあげてみた。
集団にいられることを嬉しがりながらも、ミイトはまだ仲間以外の人間に積極的に会うことは怖い。けれど、あの人は優しい人だった、と思い出して歩き続ける勇気を絞る。
人は怖い。人は石を投げる死んでしまえと目で睨むその口で言う汚いと蹴り飛ばされる。人は優しい。人は頭を撫でてくれる手当てしてくれる生きていていいよと目で微笑むその口で言う大丈夫だと慰めてくれる。
ひとは、わからない。
でもバードや仲間が優しいように、あの人も優しかった。才能があるなんて。分不相応な言葉なのに。あの人は真面目に教えてくれた。あんなにすごい魔術士なのに。みんなの口に上るような魔術士なのに。
彼女ならば、と思える。そんな彼女に記憶を戻すために詳しく聞きたいと思う。今朝の変事について何かを聞きたいと思う。けれどそれ以上に、機会を逃さずあの少女に会うべきだと思う。あの少女に会えばきっと何か自分が望む方に世界が変わるような気がする。あの少女が持っていた赤い目は、何かを伝えたがっていた、昔のバードの目と、少し似ていた。
そんなことを考えていると、少しの間、方向がわからなくなって、もう中腹まで高々と上がった太陽をぽかんと見上げてしばし呆けた後、これでは方角がわからないと理解した。
それで口を閉じ顔をさげてその先でわいてきた鼻水をすすりあげた。袖だけでは間に合わず、仲間にもらった手ぬぐいで顔をこすってみて、ふとあれ変だなと気付いた。
どうも少し前から鼻の調子がよくない。もともとはこんなには鼻をすすりあげるようなことはなかった。風邪をひいたのか、体調を知らず悪くしているのか。けれどそのどちらとも違っているように感じられる。なんだか、これは。これは――
気にとめるな。
こすりすぎてひりひりしてきた鼻の頭を指でそっと撫でながら、そう気にとめることはないと頷いて歩む。言われたのだ。いや、囁かれた。それは副作用にすぎない。気にとめるな、気にとめるな。
誰に言われたのだろう。じんと鈍くなった鼻の先に視線を合わせて考えながら歩いていると、陣の中央、アシュレイのパーティがあると聞く巨木の影が見えてきた。無意識に足は覚えていたようだ。
ミイトはあ、と口を開き、そして次の瞬間、耳をかすめた矢鳴りに、射抜かれたよう停止して慌てて近くの茂みに身を隠す。
茂みの影からそうっとのぞく。そこには、瓦解した集団があった。誰もが一様に臨戦態勢に入っている。でも彼らが向かい合っているのはモンスターではない。剣は矢は杖は呪は、間違いなく互いを向いている。
その光景に咄嗟に口に浮かんだのは呪であり、手は印の形に結ばれていた。危険信号が明滅すると、ほとんど反射的に呪が飛び出し魔術の構成に入る。冒険者になるとき叩き込まれた、最低限必要な習性だった。自分の価値はわかっている。それしかない。自分にはそれしかない。
攻撃されている。なぜだろう。呪をとなえる。
生身の剣が抜かれている。傷つけるために? 手が印をきった。
なにがおこっているのだろう? そこに、なにが?
印をきるときにまわした肩が、低くせり出した近くの枝にあたり、がさりと木の葉が鳴った。抜き身の剣を持つ冒険者数人がこちらに気付いた。
向けられたのは、よく知った目。敵意と害意。声もなく、何も教えてくれずに、彼らが地を蹴る。抜かれたままの剣が光る。呪は間に合わない。間合いをつめられ、その剣先が風切る刹那。
「ミイト!」
混乱の世界を切り裂く、鮮烈な声がした。それでもその響きには悲鳴じみたものがこもっていて、ああバードさんが困っていると、無意識に力を抱えようとした瞬間、もう手を伸ばせば触れられそうな間近にいた男たちが、突然ふっと消えた。
ハッと知らず詰めていた息を吐きだす。男たちは地面に沈んでいた。どこから飛来したのか一本ずつ矢を背に生やして苦悶のうめきをあげている。唖然とそれを確認した瞬間、視界がばっとふさがった。人影が目の前に飛び込んできたのだ。強く腕をつかまれて茂みの向こうへと追いやられた。
っ、と舌を打つ音がして、視界を遮った影は巨木の方向に
「恩に着る!」
と叫んでミイトの腕を掴んで駆け出した。まだ頭がついていけないミイトが、その人影はバードだと理解した瞬間、バードは激しい声で
「ミイト、仲間のところに戻る。何も聞かずついてこい。絶対はぐれるな!」
急速に事情が変わった。世界が裏切りを開始した。経験ゆえにミイトは悟り、はい、とだけ答えて手の中の力を戻そうとして気付いた。手の中にもてあますようなものはなにもない。力は、初めからなかった。
ここでようやく、ミイト・アリーテの血の気がひいた。
さあ、ついに四層に入ったからといって、都合の良い悪の大ボスよろしく、すぐさまドラゴンが都合良く現れてくれるわけではもちろんない。なぜなら森は広いからだ。そしてドラゴンはそこまででかくないからだ。
ドラゴンは確かに地上最大の生き物ではあるといわれている。が、サーガやなんだかで世間様が考えているよーなのよりかはちまっとしているのがほとんどだ。そりゃ森の上を飛んでりゃどこにいるかすぐわかるが、活性化するこの時期は飛ぶことも少なくなる。
何年も同じ場所に安住する生き物ではないので、前もって居る場所を割り出すのも宛てにならない。中には飛ばない種類もいるので、そいつはもう冒険者泣かせも甚だしい。
つまりこんなうっそーとした森に適当にいる、たった一匹の相手を見つけるなんて砂金探しのようなもんだ。しかもただの森ではなく、会いたくないS級A級モンスターならうじゃうじゃしてる手に負えない森。短距離短時間で素早く脱出しなきゃならない場所で、暢気に長逗留して探している余裕なぞあるわけがない。
故に第四層の核深部までたどりついても、見つからずに他のモンスターにやられたり力尽きてほうほうのていで逃げかえったりするケースってのが結構あり、第四層に入ったからといって、決して竜と肉薄するわけではない。
人類最初のドラゴンスレイヤー聖カリスクはその点、運が良かった。倒すべき竜が山の噴火口という実に目立つ場所に堂々と陣取っていたからだ。これもカリスクの成功要因の一つといわれている。
人間ってのは不思議なもんで、一度同じ人間の誰かができちまうと、それまで到底不可能だといわれていたことも、ぼこぼこ二番手三番手の達成者がでてきたりする。だから、そんなカリスクに続いて歴史に現れ、今日に名を残す各世代のドラゴンスレイヤーも、達成したときは比較的ドラゴンのいる場所がわかりやすいクエストだった場合が圧倒的に多い。
そのように、このクエストははまりこまなきゃ引き返すことも難しくないが、マジで達成を目指すとなると最大級の難易度を誇るっつークエスト。本気でやるなら、全か無かだ。達成者を数えるなら、すべての歴史書をひっくり返しても、十本の指で足りてしまう。
それでも冒険者はドラゴン退治の夢をいつでも見てる。ドラゴンスレイヤーの称号に焦がれない冒険者はいない。冒険者の身にはそれは最大で最高の栄誉であり夢だからだ。
俺の中にももちろん根付いている、その血を感じ取りながら、因果なもんだねえと自嘲をこめて息をつく。
まあつまり、何が言いたいかというと。
ドラゴン探すのは、大変なんだよ、と。
そりゃ長い歴史の中で、場所がはっきりわかんなかったのに、倒した例もないではない。ドラゴンは砂漠の中の一粒の金だが、砂金を探し当てる奴もいるからな。でもそれは本当に運で偶然ばったり見つけたのばっかりだ。
そんなかの一人、オルガ・シータはその自伝の中で、――猛り狂うその巨悪な肉体がおびただしき鱗をつけ我が前で脈動せざるを見たとき、俄かに我が目を信ずることかなわず。我が頭の隅に我ときりはなされし我の部分が我にその正体を告げたとき。我は身が震え我が前に臨した光に口腔乾き果て、気づくと我は無数の銅鑼が耳元でかきならされたような陶酔の中にいた。眩暈がせんばかりに胃の淵からせりあがってくるものはまさしく――驚喜。
あんまり馬鹿らしい文だったんで、逆に覚えちまったが、つまりラァァァキィィィとガッツポーズって感じだろうか。このおっちゃん装飾過多な伝記からうすうす推し量れるように、ちょいと年くってから運良くドラゴンスレイヤーになったから、もう浮かれて浮かれて大変だったらしい。
各地でクエストの話を喋りまくるわそれをもとに自分の伝記を書き各国に送りつけるわ、それがもう現実とは似ては似つかない美化脚色しまくった三文サーガ並みだったわ、カリスクの再来とか名乗ったとか、もういろいろやりまくって絶頂のままに生涯を終えた後、仲間の一人にえーあいつ物凄い死闘を繰り広げて竜を倒したとか言ってましたがすいませんあれ嘘で実は寝てるところ忍びよって殺しました、とかいう真相をばっくれられたりしてる。
まあだからといって、オルガがドラゴンスレイヤーであることはかわりないし、運は実力だし、それに根は明るく変なこだわりがない奴だったらしいんで、ほら吹きオルガとして冒険者からは一番愛されている陽気親父だ。
本人もそれで本望だったんじゃないだろーか。著作は確かに嘘だらけだが、箇所箇所で真相をちらっとほのめかしたり、嘘の裏でほくそえんでいるオルガの意図がのぞいているような意味ありげなところがある。
最後までなんにたいしてもはぐらかしをつづけて、酔狂と即興で世の中を渡りぬいた、冒険者魂を見事に表した奴ともいえるかもしれんし、こういう生き方をしたいと思う冒険者も多い。
つまり俺も結構この親父が好きだ。英雄肌ではないかもしれんが、常識や変なプライドに縛られないあっけらかんとした現実主義や実務主義は、確かに聖カリスクと通じるところがある。
さてはて。
そういうわけで。そういうわけで。長々と薀蓄というか。雑談というか。閑話休題というか。語りながら示したわけだが、ドラゴン探すのは大変よ。ともかくそういうことを俺は長々と尽くして語りたかったわけだが。問いを成立するための証明はした。だから俺は問いかける。
―――
そんな俺の眼下に、なんでそんな見つからないドラゴンが雄たけびをあげているんだろうか。




