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続)ドラゴンの森で(1)

 諸悪の根源、漆黒の魔導師コルネリアスも登場し、ドラゴン退治もはや佳境。数多の謎を飲み込んで、闇に赤い瞳が光り、幾つもの想いが交錯する。音ならぬドラゴンの鳴く森に、築け食物連鎖ピラミッド! 見えぬ糸を断ち切って、戦えレタスと崖っぷちウサギ! 



「空間干渉を行う際のアプローチの理論」

「ターレルが唱えた魔粒子揚力の法則を変則値+3の修正を加えることで干渉を実体化します」

「空間干渉時における異空間が人体に及ぼす影響の理論」

「ミロンの考察」

「外傷治癒における体内細胞の活性化の手順」

「1、透視と感知を同時に行い活性化する細胞を探り当てる、2、細胞に必要な力をハバド法で割り出す、3、それを元に送り込む力と自身の他の魔力を分断、4、感知を全身に広げながら力をまず三分の二送り込んだ後、残りを五等分にして十秒ごとに注入」

「北大陸フォースにあるすべての国家名」

 しばしの沈黙の後、メイスが切れ切れの声で

「アース、タシデ、シヴァ、……ヴィ、ヴィヨン……」

「……」

「……っ!」

 とん、と錫杖が地を一つ突く。と同時にメイスは震え上がった。

「ルナ、シレイタス、バルサ。後一つでお前の抱えてるものもろとも鍋の中だな」

 メイスの顔が真っ青になる。しかし声は容赦なく続けた。

「連邦政府が発行している大陸共通通貨最大単位から最小単位」

「ご……50ディナール、10ディナール、1ディナール、…………カイ! 1000カイ、100カイ、10カイ」

「世界最大の民間信仰、聖母リディア教布教にもっとも盛んな都市」

 ひっとメイスが言葉にならないうめきを発した。魔術関係では比較的すらすらと答えていたメイスだが、問題が一般常識になると、突然旗色が悪くなった。無理もない。普段から魔術書やらなんかは結構頻繁に読んで勉強家といえなくもないメイスだが、人の中で不自然だからと、俺がいくら言い聞かせても一般常識はあんまり覚える努力をしない。人間世界の常識なんぞはなから馬鹿にしてるふしがある。

 しかし真っ青な顔のまま、だらだら汗を流していつになく追い詰められている姿は捨ててもおけず

「ナディス」

 見かねて俺がぼそっと呟いた――瞬間。物凄い衝撃と共に突然世界がひっくり返った。ぐるんぐるん悠長に数える余裕はなかったが、少なくともニ、三回は確実に回転して気付くと葉や枝に盛大に引っかかれながら、茂みに埋もれていた。

 茂みに後ろからもたれる形でメイスは目を回している。メイスよりかは回転に強い俺は頑張りながらなんとか反転して見やった先、不吉が具現化したような姿でその魔導師は立っていた。何かを指図でもしたいのか、尖った顎を軽く振る。きつい目元は何かを見下す形が大変よく似合う。

「今すぐ鍋に入るか?」

 俺の名前は、レザー・カルシス。

 とある師弟のテストで巻き添えくらって、目下一緒に鍋に入れられそうになってる一介の不幸なレタスで。


 そしてその不幸の元凶は前方。




 状況を説明したくても、俺自身があまりよく状況を把握していない。どっから話せばいいもんか。俺が十七のとき、アシュレイに誘われて士官学校から出たところか。いやそれだと戻りすぎだ。えーと。恒例のエフラファのドラゴンの森に入った。グレイシアにばれた。みんなと別れた。メイスが動揺した。メイスのウサギの家族は人間に食われていたということを知った。俺もちょっと食われた。いろいろあった。んで。

 出た。

 月じゃない。化け物やゴキブリよりよっぽどたちが悪いものが。俺とメイスの苦難の全ての元凶黒ずくめの魔導師コルネリアスが。

 んで、ずーっと男だと思っていたら女だった。え? 誰かって……コルネリアスが。んでそりゃねーだろと俺はショックを受けた。

 そしてコルネリアスがなんかドラゴンのところに行くとか言い出して、ずんずん進み始めるから、俺とメイスはともかくついていくしかなくて。そしたら前方をざっざっと歩いていたコルネリアスが唐突に奇怪なことをつぶやき始めた。俺はなんだ、と思ったが、メイスはぴくんときて緊張を漲らせながら答え始めた。

 こりゃもしかして師弟間の問答とかそういうやつだろうか、と思って。――それで、とりあえずの状況の説明はついただろうか。

 憎い恨む戻せおい! の一念でようやく追いついた魔導師だが、再会してまだ一時間もたってない俺が、コルネリアスについて新たに知ったこと――っても性別すら知らなかったんだからほとんど知らないんだが、人格や性質はともかく、コルネリアスという魔導師は、結構ちゃんと「師」をやっているということだろうか。

 お師匠さま、お師匠サマ、おししょうさま。

 コルネリアスの人格が破綻していることを、メイスはことあるごとに言語を尽くして強調してはいたが、メイスはこの黒髪の魔導師のことをそうとしか呼ばなかった。自分が弟子であることにも、まあ納得しているようだった。

 だけど俺は正直、この二人が真っ当な師弟関係かどうかは疑問を持っていた。

 なにしろこの世界、一握りの文化水準が高い都市が学校を開いているくらいで、それ以外に魔術における正式な師弟制度などない。徒弟制度が生きている大工や技術者ならともかく、魔術の普及というのはあの魔術士の大空白時代から確実に退化しているらしく、今日では魔術は非常に狭い一部の人間の特殊技術になりさがっている。

 そんなものを習おうとする時点でまず大変だ。それでも地獄の沙汰は金次第ということで、金をとって弟子をとる、または私塾形式で教えている、なんて奴ならまあよく探せば少しはいるだろうから、金さえあればなんとかなるだろう。

 しかし、金もない卵たちが魔術を習おうとするなら道はたった一つしかない。必死に師匠となるべき人物を探す。それで必死で取り入って弟子にしてもらう。もちろん弟子なんて名ばかりで、ほとんど奴隷のような身分で、ただで骨の髄まで遠慮なくこきつかわれる。そんな日々の中で、必死で術を盗んでものにするんだ。

 しかも魔術ってのはひどく狭く秘密裏な知識とされているので、それなりに後継者とかも育てなきゃならん大工とかと違い、じーっとそれを抱えておっちんじまう魔術士が大半らしい。こきつかうだけつかって、ちっとも教えないとかいうひどい結末だって珍しくない。

 つまりツテも金もない者は、それなりに術を習得した先人に弟子入りするしかないわけだけど、そこから魔術を学ぶのは本当に辛酸をなめる出来事で、魔術士の弟子だと言ってもまともな弟子扱いをしている者などほとんどいない。

 大魔導師暁闇のウィルターの自伝なんか読むと、身寄りのない幼少時代はほんとに忍耐の二文字に尽きたようだ。ウィルターは幼少時に受けた仕打ちを死ぬまで根に持っていたらしく、自伝には物凄い感情的な言葉が連ねてある。

 まあ自伝って言っても弟子の一人が後に勝手に広めちまったもので、もともとはただの憂さ晴らしの記述だったせいか客観性や事実の正確さには大いに欠ける代物だが、その分、ウィルターの生の気持ちには飾りがない。魔術士の弟子だった者が味わった、何十年たっても消えなかった無念さ悔しさは、その当時の苦境も重ねて生々しく伝わってくる。

 ウィルターはすげえ気難しいじいさんになったが、それでも弟子入りを望む者はどんな貧乏人も絶対に拒まなかったし、術もちゃんと教えたっていう。それでまあ、手元からもばらばら名のある魔導師が生まれて、ウィルター爺さんは後の世も大きく名を残すことになったんだけど。

 ともかくウィルターみたいなのは例外中の例外で、まあ魔術士ってとにかく弟子とりを嫌がる。高名なら高名な分だけ。なまじ大成しちゃった奴が弟子とりに過敏になるのは、下手したらその弟子に自分の地位を剥奪されるんじゃないかと、常に脅えなければならなくなるせいだと聞いたこともある。

 そんな背景もあって、俺はまさかコルネリアスがメイスに真面目に教えているとは思わなかったが、それはどうやら認識違いだったらしい。うーん。認識違いと言えばもう数え切れないほどあるんだが。

 いっちばん最初の俺の印象(ってかずっと男だと思ってたくらいだからあれだが)とメイスの口から飛び出てくる数々の性格、ウォーターシップダウンの空にかましてくれたぶんなぐりたくなる仕業、そんな数多の要素から俺はコルネリアスという男―…女は、まあ、どっかのサーガに頻繁に出てきてはははは高笑いをかましながら勇者を迎える、快楽主義で誇大妄想狂、みたいなイメージがあった。最初会ったときはべらべら喋ってたし。

 でも

 改めて対面してみると、コルネリアスという男―…女は、無口だった。しかも始終不機嫌そうに顔をしかめ、連れなどいないとばかりにいっさいこっちを気にかけず、話しかけても呼びかけてもほとんど相手にしようとせず勝手にずんずんと先を行く。

 なんつーか、そういう態度とられると、いくら憎い相手でも接しようがないじゃねえか。振り向かない相手にしない後姿は、軽蔑と拒絶がきりりと引き立っていて、実際なんかもう、お前がそんな態度とんなよ、とでも言ってやりたいけど言えない空気を漂わせている。

 こんな陰気というか難しい女、間違っても高笑いなんかしそうにない。しかし、俺がこういうお笑いな目にあっているのもメイスがいやいや人型をとってんのも、ぜんぶこいつのせいであることは確かだ。一度たりとも希望したことのない目に遭わされて、それで、ほんと、なんなんだよ。

 そんな不可解な女はさっきメイスに出した問答で俺もろとも弟子を吹き飛ばしてからは、一言も喋らず前方を歩いている。モンスターに対面することも気にしない迷いのない足取り。健脚のメイスですら気をつけなければ引きはなされそうなほど、すさまじく早い。もう誰だろうがなにだろうが、自分の意思以外ではその進行を止めるつもりはない、と誇示するような歩き方だ。

 まったく奇妙なことだが、実際ここまでモンスターには一匹もあっていない。魔の森とか帰らずの森とも言われる第四層だっていうのに。まあこいつなら、どんなモンスターがでてきても…

 そこで俺は気絶する前を思い出し、うーんと思った。激痛も通り越して消えてしまった、白い世界の中で、輪郭もかき消されて焼けた食人草…。たらふく食らった食人草の腹を裂き肉を――はいいとして。

 前も言ったとおり、食人草がSランクのモンスターに分類されるのは、群れを形成するからだ。一対一なら腕のいい冒険者パーティが頑張れば倒せようが、うじゃうじゃいればもうお手上げだ。Sランクの森に集団で入った俺たちのよう、火をつけてダッシュで駆け抜けたカリスクのよう、数の力っていうものは真っ向からはどうしようもない、という面がある。

 それをたった一人の魔導師が?

 コルネリアスがただの魔導師ではないことは俺にかけた魔術のせいでいやというほど思い知ったが…。

 だいたい魔術士って人種は普通一人では行動すらおこさないものだ。なぜなら術を唱えている間、ひどく無防備になるから。その間に敵が突進してきたら、もうどうしようもない。

 ただし一旦唱えちまえば人間の腕力や体力ではなかなか勝負がつかない場合の決定打になるほど強力だから、パーティに不可欠な人員ではある。まあ、剣士や拳闘士、あるいは同じ後方の射手とかに庇ってもらって、術を完成させるってのが常套手段。

 うちは実は攻撃系の術士がいないパーティなんで、強力な法術士であるグレイシアが回復兼サポート役を一手に担い、その後ろ盾のおかげで俺たちは強い攻撃魔術がないかわり結構無茶な攻撃を仕掛けられる、常套手段ではないがそれはそれでまあバランスを保っているわけだ。もちろんその際、グレイシアのポジションは常に真ん中だ。

 ライナスが対人の油断を誘うために魔術士の格好をしているように(本人は否定しているがあいつはそういう奴だ)魔術士ってのは単身だとぽかっとやられて終わりになっちまう、一人では成立できないポジションなんだ。

 もし単身で頑張って戦うんだったら、木の陰に隠れて呪文を唱えるとか、そういうかっこ悪い感じにしか無理だろう。敵の前に単身で堂々と姿をさらす魔術士なぞいるわけがない。

 なのにそういう常識の札を全部ひっくりかえして非常識をさらす、こいつの存在はいったいなんだろう。いや、俺が気絶した後、俺とメイスをつれてとっととワープしたとか……

 でも目覚めたのは同じ泉のほとりだし、俺の肉をくらった(うげー)食人草の腹を裂く余裕もあったらしい。とすると、もう食人草を殲滅させたと見ていいのだろうか。だって逃げようにもあれは。

 ……あ、待てよ。ふと俺の頭に赤茶けたモノクルの姉ちゃんの姿が浮かんだ。あの姉ちゃんはえーと異空間とかにいったといってたな。

「メイス」

「……はい?」

「ミイト・アリーテの失踪事件ってあいつのせいか」

「……そうです」

 やっぱりか。するとそもそも俺が認識しているような世界の話ではなくなるのだろうか。あんな風に見えぬ場所に人一人を隠しておけるなら、まったく前提は崩壊してしまう。ずるりと滑り出してきた上半身だけの姉ちゃんの姿は、結構衝撃的で俺は再びうーんと考え込むはめになる。

 前を歩く、具現化した俺たちの最大の難関は、まったく謎だらけで俺はそれを考えるのに気をとられていたから、俺を持つメイスの声が低くその顔がびっくりするほど青ざめていたことに気付かなかった。




 どうしても、思い出せない。

 とあるレタスに思考の対象にされていることも知らず、朝の清々しい空気とは無縁に、右目にモノクルをはめた魔術士ミイト・アリーテは、彼女の仲間が見ればまたわかりやすい悩み方を、と苦笑する、両腕の柔らかい内側で頭の側面を挟み込み、うんとしぼりこむようにせばめる姿でうつむき、奇妙な呻きを喉奥であげている。

 白い髪の、あのこんな自分にも親切で優しかったあの少女の魔導師に会いに行ったときのことは覚えている。確実だ。見ず知らずの他人に優しくされることは滅多にないので、その記憶には珍しく自信がある。その後で戻って興奮しすぎてうっかり電撃を放って自分で食らったことも覚えている。痺れた。だけれど、その後。その後――。

 思い出せない。

 それを浮かべるたひに、ううんと我知らず喉奥がぐるぐると鳴る。普段からあまり効率がいいわけでもない頭は、かかる負担に当にヒートアップしている。

「ああうううううう」

「ミイト」

「あーううあ」

 かけられた呼び声に、バードさん、と言うつもりがあまり回転が早くない舌は「あ」と「う」しか頑強に発音しようとしなかった。

「あう?」

 再び意味不明な言葉を発した自分を見下ろして、理解しようもないはずなのに、うんうん、と現れたバードは笑顔で優しく頭を叩いてくれた。向けられた瞳は明るく穏やかだった。

 こんな言い訳のしようがない行動をとってしまったら、たいていの人間はゴミを見るような目で這い蹲る自分を見下ろしていたのに。じわっと、温かさと鼻水がこみあげてきて、ミイトは派手な音をたてて鼻水をすすった。

「ず、ずびばせん」

 鼻をすすり上げながら言った言葉は濁音に満ちていて、躍起になって袖で強く顔をこすると、今度は大きなくしゃみが出た。その合間に、身軽なバードはひょいと横に尻をつけ

「大丈夫だぞ」

 柔らかさと暢気さを混ぜあわせた安定剤を、焦れば焦るほどどつぼに嵌るミイトに投げかける。

「は、はい……」

 それに勇気付けられてようやく言葉らしきものがミイトの口からも出た。

「調子どーだ?」

「ちょっ、ちょっと鼻がづまってます」

 答えてから、あれ馬鹿なことを言ったかな、とミイトはぼんやり思ったが、バードのとび色の瞳がいつの間にか真正面にきていることに気付いて、ひゃあと諸手をあげた。いつの間にか正面に移動し、こちらをじっと見つめる彼の顔は、珍しく笑っていない。その顔はきりりと真剣に引き締められていた。

 バードは普段誰にたいしても気さくで優しげな分だけ、そういう表情を見せることは滅多にない。狼狽したミイトがあああの、と呼びかけようとしたとき

「ミイト」

 先手を制し、静かに相手が呼びかけてきた。声色さえも真剣で象られたようで、ミイトは縫いとめられて動けなくなる。普段は気さくさが溢れて顔立ちを柔和なものに変えるが、それを取り除けばバードは精悍な顔立ちをしている。その声音と顔立ちのまま、バードは告げた。

「ごめん」

 不可解な態度にすでにショートしかけていたミイトの思考が、言葉と同時に眼前につきつけられた黒っぽいものを感知した瞬間、完全に停止した。

 後ろ手に隠していたそれをさっと出したバードは、内心ごめんごめんと繰り返しながら、たっぷり五秒ほど停止した後、うひゃわひぎぃやあああああああ! と他に例を見ないほど個性的な悲鳴をあげる、すごく面白い顔の妹分をじっと見つめた。

 漣み立つその皮膚は下に海でも隠しているかのようだ。ミイトは頬の筋肉が柔らかいのか、よくこんな顔が作れるな、と思うほど顔が器用にうごめく。思わず感心してしまいそうな心地を抑えて、バードはじっと冷静にミイトの様子を観察していたが、世にも面白い妹分の顔を見つめるその顔がやがてわずかにしかめられた。

 珍妙な悲鳴を聞きつけたらしく、だんご鼻の青年と、背の高い薄茶色の髪の女が「何事か」という形相で茂みを鳴らして飛び出してきた。彼らは目の前に広がっていた光景を一瞬きょとんとして迎え、それが語る事情を飲み込んだ瞬間、いっせいにバードに非難の目を向けた。

「バードっ! あんたなにしてんのっ!」

 鼻息を荒くした大柄な女が、身にあわぬ敏捷さで瞬時に距離をつめ、バード・トラバーンのとび色の髪の毛に固めた拳の鉄槌を振りおろした。向かい合う妹分の鼻先に、木の枝からぶらさがる黒い毛虫を釣りのようにさげていたバードが、それもろとも沈んだ。女はそれでも容赦せず、沈めたところでその襟首を掴み一息に引き上げて

「いじめっこか? いじめっこかああん? てめえリーダーの身で妹分いじめてそんなに楽しいか愛情表現いじめなんですうとかいうキモがき思考は泉に写った自分にでもむけろやコラあ」

 大造りな感じはするものの、美人といってもさしつかえのない顔立ちに、夜叉のような影が刻まれ、生まれ故郷の西訛りが混じった声は地上げ屋のように不穏な太さで満ちた。

「ああ、ミイト。顔からでる水分が全部でてるから、ほらふいてふいて」

 だんご鼻の男は加害者糾弾よりも被害者救済へと向かい、よだれと鼻水と涙でふぐふぐとむせている魔術士を世話している。見苦しいを通りこして自分が出した水分で窒息しそうな凄い顔を、手ぬぐいでごしごしとこすった後に、やっと正気を取り戻したミイトの前、大柄な女に引きずられてバードが連行されてきた。おそろしい看守に見張られたバードは、きちっと三つ指をついて

「ごめんなさい」

 と頭を下げるまで、罪人の首輪よろしくむずんと襟首をつかまれていた。毛虫にかわって下げられた頭にミイトがあわわわと慌て始めると、そんな彼女とまだにらんでいる大柄な女に挟まれたバードに助け舟を出すよう、だんご鼻の男が

「だけどリーダー、なんであんなことしてたんだよ」

「いや、ほら、ミイトがあんまり気にしてるから、ちょっとショック療法でさ。思い出さないかな、って」

「そ、そうだったんですか!」

 ミイトは自分の言葉を疑うということをしらない、胸中で呟き一縷の後ろめたさを隠したまま、バードはうん、とうなずいてみせると、ミイトは一瞬激しくあわてたような顔を見せて、そのあと、彼女にしては珍しく迅速にショック療法の効き目をさがして頭の中を探りにかかったようだが、やがてがっくり肩を落とした。「すみません……」

「気にするなよ。つーかミイトが気にしてたから、こういう方法とったけどさ。別に俺たちはミイトの記憶なんか戻んなくていいんだ」

「え?」

「お前が戻ってくれば十分だ」

 ぽかんとした無防備な妹分を捕まえて「ごめんな」と繰り返しながら、ぎゅうと締めてみる。また面白い声があがるが、ミイト・アリーテに一番こちらの好意を実感させるのはあけっぴろげな接触だということは熟知していた。

「この子もちょっと二十一歳の自覚もたないとダメね」

「つーか、ミイトの自覚つっーか、俺たちがミイトを年相応扱いする自覚が大切だと思うけど」

「……確かに」

 呆れたように吐かれる外野の声を前に、バードは笑顔で大型の犬にでもするように、つかまえた身体を荒っぽく抱きこめている。けれど笑う瞳は時たま冷静の影を走らせる。ミイトがつけた耳元のイヤリングに幾度か視線が走る。毛虫に悲鳴をあげたミイトを見ていた時分に走らせた同じ苦味が、その瞳にちらついた。




 さわやかな風が梢を渡って茂みや枝先の木の葉を揺らす。その優しい感触にここが第四層であるという認識を知らず払拭されそうになる。何もおこらない森は平和で穏やかで。そして。

 まごうことなく、おかしかった。

 流されてしまいそうな空気すら、気味悪く感じて俺は身震いする。おかしい。おかしいおかしいとは思っていたが、ここまでくればもう致命的だ。俺たちはピクニックに森にきたわけじゃない。つーかこの面子でピクニックなど絶対断る。

 ここは、第四層だ。

 噛みしめて繰り返すと、認識がぞっと迫ってきた。目の前の作り物めいた平和が不気味だった。木の上に避難したり(高いところはドラゴンの森では比較的安全な場所だ)鳴子はって警戒してたり、まあひとところにじっと固まって動かないならともかく。こんなずかずか遠慮も杓子もなく森を横断していて、一匹のモンスターにも遭わないことを、あラッキーとかですまされる場所ではない。

 考えることはまだまだたくさんあったが、時がたつにつれ倍速するこのおかしさが今のところ一番差し迫った問題には違いなく、俺はどうしようもなく周囲を見回した。

 俺が今いるところの真上近くにある、なかなか立派な木の幹から変なものが伸びて影を落としている。普通の木がかなり幅のあるヘラを、枝代わりに真横につけたような感じだろうが。ちぐはぐなそれは、枝には違いなく、コルネリアスがどうやったのかしらないが、もともと生えていた太めの枝を変形させて板間のような場所を造成しそこに身をおいている。

 どうもあの女は、言うなれば短距離走をぱぱっと活発に動いて、たっぷり休憩をとるタイプの体力らしい。ずかずかずかと目を見張る速さで歩いた後、脈絡なく休みをとってしばらく動かない。

 結構そばの木なもんだから、レタスの視線の高さでは(一度試してみろ、笑えるほど低いぞ)板間から少しはみ出した黒い服の切れ端しか見えない。いやどっちみち、あれと会話できると思えん。今までことごとくこちらを無視しきった相手だ。

 その点、物事はとかく相対的なもんだから、ああいうのがそばにいると、メイスがすごくまともに思えるし、わかりあえる気がする、と思った瞬間、今まさに考えていた白い顔が飛び出してきた。

「メ――」

 呼びかけた俺をメイスは必死な形相でとどめ、ちらっともう影になっている真上の板間を気遣わしげに見上げた。それから俺をつかむと身をかがめたまま、おそろしく気を使っているそれで歩き出した。葉一枚揺らさないような歩き方だ。

「な――」

 メイスの真意が読めずに言いかけた俺に極限まで顔を近づけて、メイスは低くこもった、自分の耳にも届かないんじゃないか、というようなかすかな声で「話があります」と言った。

 つられて息を呑みそうな、真剣なメイスの顔つきに、俺はさっき考えていたこととリンクして、そうだよな、おかしいと思うよな、ここ第四層だぜ、と心の中で繰り返しうなずいた。メイスはコルネリアスから十分距離をとってそれでもまだ警戒して振り仰いだ後。覚悟を決めたようにおかれた俺を真正面から向いて

「レザーさん、ここまできたら、もうお話はひとつしかないと思います」

「だな。今すぐ対策たてんと」

「そうです。もう一刻の猶予もありません」

 ああ話が通じる奴との会話っていいな。思う俺はひょいとメイスの手にとられて、なんか妙に情感こもった手つきでなでられた。いや、俺撫でてる場合じゃないんだが。

「じゃあレザーさん。時間もないことですし」

「うん」

 これはいったいどういうことだろう、探る方法ってあるか、とまあそういうことを聞こうとした俺をさえぎって、メイスは言った。

「食べますね」

 ……あれ?




 ……

 普通の人間だったら、他の奴だったなら、そんな言葉を投げかけられたら「なにを?」とか聞けたかもしれん。まだ無垢なままなら。しかし。相手はメイスで。言われたのは俺で。「食」が出た以上、俺はもうしたくもない経験のせいで、誤解する余地もなくそこにたどりついた。

「……俺のこと?」

「もちろん。いいですね」

「いやだよっ!」

 第四層の不自然さとかそんな考えも一気に吹き飛んで、俺は絶叫した。なんだその断定口調。疑問系ですらない。

 いったいなんだ! なんで第四層の異常がそんな話になんだ!

 やっぱメイスの思考もわけがわからん。するとメイスは妙に泣きそうな顔になり、責めるように声を荒げた。

「わからないんですか!」

 お前がわからねえよ。

 俺の心の声は全く通じず、メイスはさらに泣きそうな目を強め

「どうせお師匠さまにもろとも食べられてしまうなら、せめて私が先にレザーさんを食べるのが筋でしょう!」

「はあ?」

「どちらもお師匠様の胃におさまるなら一緒に料理されるのではなく私が先に食べたってかまわないはずです。消化の時間ももうなくなりそうですしどうせ私の胃からはたいして消化もされていないレザーさんの断片が」

 人を主語にしてえぐい単語をぽんぽん出すな!

「ちょっと待てよ。なんだ? やつが俺とお前を食べる? いつの間にそういう話になったんだよ」

「最初になったでしょーがっ! お師匠様の出す問題に私とレザーさんが共謀してばれて!」

 ……ああ。あのぶっとばされたよくわかんないクイズか?

「あの時、シチュー鍋行きの条件全部満たしちゃったじゃないですかっ!」

 やけくそのように喚くメイスに、え? あれっていまだに有効だったのかと俺は思い出す。だってその前にぶっ飛ばされてたし、その後はふつーに進んでたし。

「いつもは問題責めなのにそれ以降なにも言い出してこないしお師匠様の食事時間帯は行動前なんですいつも! 目覚めたらその時が最後です!」

「いや、ちょっと待てよ」

「待つもなにも!」

 わめきたてるメイスに、しかし俺も軽く混乱してえ? 食われんのか? と思い

「それ、まじか?」

「お師匠様は一度口に出したことは滅多に撤回しないで淡々と実行する人なんですよ! やりますよ! やるんです! あの人は絶っ対にしますっ!」

「じゃあ、逃げろよ」

「逃げられるもんですか!」

 メイスが切羽詰って追い詰められてキーキーしてる。珍しい。思わず他人事のようにほけっと眺めていると、するとメイスは、まるで俺の考えを読んだように、急に剣呑な表情で俺にぐいと顔を近づけ

「……レザーさん、信じていませんね?」

「……いや、な」

「どうせあなたのことだから、またよくわからないこだわりでタカをくくっているんでしょう。ああ、お師匠様が女性だったからってことでしょう? 馬鹿らしい」

 冷たい目で言い放ったメイスの言葉は――実のところなかなか的を射てて、ぐさっときた。……確かに、俺はそういう無意識なところが……ないとはいえない。

 そういう俺にメイスはぐさりと追い討ちをかける。

「あなたは妙なところで詰めが甘いんですよ。それで抜けてる」

 これも反論できなかった。

 しかしメイスがこれほど正確に俺を把握しているとは思わなかった。メイスの中の俺のデーターなんて「美味しそう」ぐらいだと思ってたのに。

「確かに人間体のあなたは、同族と比べてなかなか強いです。そうですね、まあ、規格外の枠にいれてもいいかもしれません。――けれど、規格外の頂点とは所詮レベルが違うんです。お師匠様を舐めるなんて愚かな真似はやめてください。はっきり言ってお師匠様は、レザーさん、あなたより何倍も強いです」

「……やってみなけりゃ……」

「あなたは、もう負けているんですよ。やってみて。その姿になった時点で。認めたくないのかどうかしりませんが」

 これは射られた的の中でもちょっと致命傷だった。……それは俺があの日からずーっと目をそらしたかったことだった。卑怯だとか不意打ちだとかそんな言い訳この世界じゃ通用しない。そう。俺はあの日、実にあっさりと、大変間抜けに、コルネリアスに負けたんだ。それを意識しなかったのはメイスが言うように、まさか女相手にという意識がまったくなかったとも言えない。……情けない。

「なにを落ち込まれているのですか。あなたより強いものは強い。それだけでしょう」

 そりゃ、そうだ。

 メイスの言葉は明快であっさりして、ストレートに納得できた。自分の薄っぺらい誇りにしがみついていている状態に気付いて俺はちょっと恥ずかしくなった。

 自分の負けを知らない者は弱く、自分の負けを認めない者はもっと弱い。

 えーと誰の言葉だっけ。偉人か? それとも昔の月代わりの師匠たちの言葉かな。まあ、ともかく。そだな。俺はコルネリアスより弱かったから負けた。一度くらい負けといてよかったんだ、うん。そっからまた這い上がればいい。目標が見つかったんで這い上がるのだって闇雲じゃないし。

「納得していただけたようなのででは頂きます」

「まて」

 お前の胃からはいあがることは無理だ。

「レザーさんはあの時敗れて死んでいたと思えば少しは無念も晴れると思われますし」

「きけ」

「殺す、ではなくこう食すとなれば不思議と私の胸も先ほどのように悩まずに」

「お前俺が食われながら言ったこと無視かっ!?」

 するとメイスはちょっととまって、不審そうに顔を曇らせ

「……私にだけは食べられたくない……」

「そう」

 よかった。もうなんかあれ、俺マジで死ぬ気で紡いだんだから、一昼夜で忘れられるとさすがにへこむぞ。妙にほっとしていると、そんな俺の前でメイスは何故か顔をぶるぶる震わせ、私には食べられたくない…と高ぶった響きで繰り返し―

「私よりお師匠さまを選ぶというんですかあっ!」

「どっちも嫌じゃあっ!」

 ぜんぜん意味わかってねえだろお前! 俺の心からの絶叫にメイスはがしっと俺を抱きこんでちょっと理性とかいうのがぶっ飛んだ目で迫ってきた。

「あなたを食べるのは私です! ここまできて誰が他に渡すものですか! 極上のあなたを前に何度ぐっと理性でこらえてきたと思っているのですか。みすみす他の誰かに渡すつもりで我慢してきたんじゃありません。ウサギに戻る夢が潰えるなら、せめてこの世の最後にレザーさんを食べる夢だけは果たして――」

「だから俺の言ったこと無視するなよっ!」

「私と一緒にシチューの具になるより私の胃で一つになってから食べられましょう! 生きたまま煮こまれるより私が一息にくしゃりといった方が――」

「だからお前俺の言ったこと――」

 どちらが互いより大きな声を出して相手の言い分を打ち消すかに熱中していた俺たちの横を、ぶわっと何かが通り過ぎて、その何かは先に生えていた木をぐしゃ、と紙くずのようにつぶした。俺とメイスが一気に沈黙してそれがやってきた方向を見る間もなく、風を切るそら恐ろしい衝撃音が頭や足のすぐそばで連続で炸裂する。……。

「やかましい」

 風が来た方――木の上で、幹にもたれかかってコルネリアスはこちらを向きもせず、大変不機嫌そうに言い放った。ちょうどコルネリアスと俺たちを塞いでいた茂みや木やらはなぎ倒されて、その姿はここからよく見通せた。メイスが、蛇に相対した蛙のごとく硬直する。

 コルネリアスは依然としてこちらを見ようともせず、わずらわしそうに首をひとつふる。第四層で大騒ぎ。確かに馬鹿げたことだけど。

 なんで第四層の核心部に近づいているのにモンスターがいないのか。それの対処はどうすりゃいいのか。ドラゴンの森はどうなっているのか。

 盛大にすっぱり切れた茂みや幹に、千切れかけた枝が耐えかねて降ってくる。いまだに唸る風の音を聞きながら、物事は相対的だからそういうことを延々と考える自分が凄く馬鹿のように思えた。




 朝目覚めてみると、仲間のうち二人が忽然と姿を消していた、という状況に陥ったときのリーダーがすべきことはなにか、という発問がアシュレイ・ストーンのこの朝一番の議題だった。

 新参者の白い髪の少女と、長年のなじみの目に優しい暖色の髪の女神官。どちらもあの青い髪の弟分に深く関わっている相手だ。何かあったら、と胃がいっそ腹を立てるようにぎりぎり痛む。いつの間にか歯も食いしばっていた。磨り減った歯を離し口を少し開き、これからどうしようかと考えていると、湖面が風に揺れるよういらっと胸のざわめきを覚えた。それは覚えがある。性分にあわないものに対する苛立ちだ。

 正直、自分は分不相応な背伸びをしすぎなのだ。他人の期待に乗っかって応えるつもりなど元々さらさらないのだ。なのにパーティの頭を張って、あげくに膨れ上がった集団の

指揮にも一役買っている。その状態に対する齟齬が時折いらだちとなって沸く。

 それでも投げ捨てないのは、――初めて負けたあの日から、つりあげられた魚のようにいつもどこかに引っかかっている楔だ。飲み込んだ喉から抜けない針先だ。

 決断を下す前に、グレイシアが戻ってきた。レザーを抜かせば実はパーティの中で一番長い付き合いになるが、彼女があわてたところを見たことは一度もない。青い髪の弟分はそんなことはない、と否定したけれど、それが自分の目の前では立証されたことはない。今もそれは変わらなかった。おはようアシュレイ、と彼女は言った。

 まだ夜は完全にあけ切っておらず、自分とカールだけが目覚めて、互いに腕を組み陰気な顔を突き合わせる場に、彼女はゆっくりと近づいてくる。首だけ回してそれを確認し、驚きは顔に走らせず、端的な言葉をぽんと投げた。

「どこへ?」

「久しぶりね、アシュレイ」

 問いを無視して、微笑むと少し皺が寄る目元がむけられた。知り合った少女の頃から笑う彼女の目元には皺があった。不美人、というほどでもないが、ごく平凡な顔立ちだ。地味でどこにでも転がっていそうな笑顔。それでもアシュレイは青い髪の弟分とは違った意味で、この笑みに逆らえないものを感じる。

 緊張に細かく震えて儀式の錫杖をぎゅっと握りしめていた初々しい少女に心奪われて愛の告白をした青い髪の弟分は、確か十四だった。あの時は面白くなかった、と思わず苦笑した。そして揺らめいた胸中が普通に収まっているのに気づいた。

 安堵したというより、日常に引き返された感じだろうが。グレイシアは、言うなれば自分が消したいと思っている、幼い馬鹿な子ども時代の数々を知っている親戚の叔母や近所の住人、そんな存在に近い。

 非常に懐かしく親しみがあり絶対なのだけれど、どうにも苦手なことも隠しきれない。そうだった。グレイシアはいつもこんな雰囲気を持って――ふっと何か違和感がよぎって、アシュレイ・ストーンは神妙な顔をした。

「……あの子は?」

 ふと横からカールが口を出した。白い髪の少女をそんな風に呼ぶのかと、こちらにもかすかに違和感を覚える。

「あの子の師が引き取っていってしまったわ」

「師?」

「誰だ、それは」

「貴方達はその方のことをよく知っているわ。ここ数日の私は、彼女だったんですもの」

 だから久しぶりなの二人とも、と言ってなんでもない様子で、グレイシアはそばに腰掛けてきた。

「二日前から、私とその人は入れ替わっていたの」

 一瞬頭の中を様々なものがよぎり、慌てるかわりにアシュレイ・ストーンはため息を吐き出した。それは先ほど、彼の胸の湖面を騒がせた風だった。

「メイスさんに関わることで、頼まれたの。あの子、不安定だったから、断らなかったわ」

「――…あんたは正しいさ、グレイシア」

「私は、正しくないわ。あなた達に相談もせずに勝手にパーティを離れた。そして異物が入り込んでいるのを知っていて黙っていた」

「……なるほど。異物ってのは、他ならぬ我らがグレイシア・ロズワースか。そりゃ誰も疑わん。栄えある我らがパーティの一員でカースリニ大神殿の第一巫女だ。さて俺はルーレイにどんな馬鹿面さらしゃいいんだ?」

「黙っていましょう」

 あっさりと彼女は言った。そんな彼女を、常識としては責めなければいけない。でも必ず。彼女が動いた以上。理由があるのだ。そうしなければならなかった理由が。

 もう何もかも忘れて二度寝でもしたいとアシュレイ・ストーンは思って、赤銀の前髪を強めに引っ張った。

「見事なものだな、気付かなかった」

 隣でようやく口を開いたカールの的外れな言葉を聞きながら、はーと息を吐き出しアシュレイは横に倒れて二度寝するかわりに、両手を膝の上に乗せて態勢を立て直した。立派な方だった、と静かに口にするグレイシアに向かい

「それで?」

「とても公正な方だったわ。私が尋ねることに包み隠さずすべて答えてくれた。アシュレイ、この森は危険よ。もしかしたら、私達が考えていたよりずっと。もうすぐもっとひどいことになる」

「今の状況だって散々だが――。無断不在の分くらいは、俺も情報を提供してもらおうか。カール、寝ぼすけどもを起こしてきてくれ」

 無言でカールが立ち上がり、消えかけた焚き火の煙が一筋あがる寝床へときびすを返した。それを見送らず、グレイシアにじっと視線を定める。

「ドラゴン対決はやめて、とっとと引き返したほうがいいか?」

「まずそこが問題よ。私達が、集団でまとまってしまった。それが策略だったの。ワーウルフやあの突然のワープと同じ。難題よ、アシュレイ。私達だけじゃない。みんなを、引き返させなければだめ。行かせてはだめなの。アシュレイ」

 知らず身を乗り出した先で、錫杖を掴み、聡明な彼女は強い瞳で言った。

「この森に、ドラゴンはいないわ」

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