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坊主と剣とレタスマン

ついに予告どおりの戦隊物になったレタスマン! 元に戻る手立てもないままに旅を続けるレザーとメイス。それが小さなある街に来て? レザー・カルシス二十四歳。師匠ぶりたいレタス頃。

 俺は怖いもの知らずだぜ、

 なんて別に変な虚勢張ってたわけじゃねえけど。俺は今まで怖いものはと聞かれてぱっとすぐに思いつくようなものは何もなかった。お気楽極楽冒険者暮らしは暗い恐怖の影を背負うには似合わない。

 だけどここ最近、俺は極端に怖いものが増えた。

 まずは青虫、次にヤギ、馬、牛、羊、――ああ、ともかく草食動物全般。そして俺の連れメイス。

 ざーっと並べても虫けらと家畜とそれと十四、五歳の嬢ちゃんと、どんな臆病な男でも、怖がるには足りないそいつらが俺は今、心底怖い。

 なんでだって?

 それは俺が今、レタスだからだ。



 俺の姿? テーブルにのったレタス。それだけ。……ああっ、それだけだっ、この俺、レザー・カルシスの姿は。しかし俺はただのレタスじゃない。あってたまるかっ、レタスが冒険者をやるかっ!

 俺は人間だった。そして特に道理にあわないことをしたわけでもないのに、自然災害のような魔導師にかつあげされて拒否したらレタスにされた。なぜだ。俺が何をした。

 俺をこんなにして捨てた悪魔がいるならば、拾う悪魔もいた。

 それが俺の連れで、同じテーブルについている(ってもテーブルの上にのせられた分と、椅子に座っているのはいささか訳が違うだろうけれど)雪のように真っ白な髪に、神秘的な赤い瞳をしたえらく可愛い嬢ちゃん、名前はメイス。

 メイス・ラビットとか名乗ってるが、うさぎのメイスとでもいう意味だと考えてくれればいい。なんでうさぎだって? うさぎだからだよ。俺が人間であったようにな。

「人間という愚かな生物はその身にありあまる欲望と傲慢さに支配された手に負えないことではこの世で類を見ない害獣ですが、食べ物にたいするそれについてはあまりの愚直さにいささか感動するところがありますよねー。人間の作った野菜という人工的な植物、これは私達にとっては麻薬同然の美味ですから」

 にこにこ笑って嬢ちゃんが俺に言う。メイスは人の目なんぞ気にしない。気にしないゆえに、レタスに話しかける可愛い嬢ちゃんにたいして変な目が辺りから注がれているのが俺には分かった。

 俺の怖いものの、最後に名を連ねるこの嬢ちゃん。確かに俺だってレタスに平気で話しかける嬢ちゃんを見たら多少は怖いな、と思ったかもしれんが、俺は今その話しかけられるレタスであるわけだし、別に話すことも出来るのでそういう意味でメイスが怖いわけじゃない。

 だったらなんで怖いんだって? ……――あんた、うさぎの好物が何か知ってるか? 

「でも遅いですねー。私の山盛りサラダ。手際が悪いのでしょうか、一見の客相手とはいえすぐに潰れますよこんなことを繰り返していたら」

 こいつは結構な暴言吐きでもある。店の中で潰れる、って単語はよせ。人里に出るのはあまり好きではないのにメイスはうきうきと、そして少し焦れたように厨房を見やる。その瞳が輝いていた。期待に。すると見計らったように

「お待たせしました」

「お待ちしましたー本当にー」

 ちょっと皮肉めいたそれを受けて、確かにいささかやる気がなさそうな、ひょろりと細い男が盆に載せてきた皿をメイスの前に配膳する。

 透明なガラスの器に盛られた山盛りのサラダ。内わけは、真ん中にトマト、ニンジンスティク、カリフラワー、きゅうり、とあり、それらが置かれた飼い葉の寝床みたいなキャベツの千切り、――んでガラスの内側を飾るようにして覆うのは瑞々しいレタスの葉っぱ。ああ、同士よ……さらば……。

 きゃー、と歓声をあげてメイスが(とりあえず人前では手づかみはやめているらしく)フォークをかかげてそれを迎えたが、さあ食べようとした瞬間に可愛い顔がむっと曇り、のほほんした普段の様子からは珍しく刺々しい目でそれを持ってきた男を睨んだ。

「ちょっと待ってくださいっ、私、何も余計なものはかけないでと言ったじゃないですか」

 言うと確かにサラダの上にはたっぷりの美味そうなドレッシングがかかっていた。あー。自然を愛するうさぎには駄目だ、こりゃ。

「え? そうでしたか」

「そうですよー。私、ちゃんと言いました。二回は繰り返していいましたよ。いくら人間が他の動物と比べると嗅覚も聴覚もお話にならないほど衰えさせた救いようのない五感を持っているからと言っても私はそのことは常に頭にいれてそれを踏まえた上での意志の伝達を心がけています。」

「けどお客さん、うちの特製ドレッシングは絶品ですよ」

「あなたがたの味覚は時に異常に狂うものです刺激的な味を求めすぎてそれが美味であると舌の感覚の鈍さによってしか悟れなくなっています。そもそも好みというものは幅が大きく人の間ですら違いがあり互いの価値観は尊重されてしかるべきものだと一応は建前としてそれがまかり通っている以上は私の言い分は正当なものです。しかも自らの明らかな非をドレッシングの美味さとかいう非常に個人的な偏った視点を相手に押し付けることで誤魔化そうという魂胆は店の誠意を疑われるものですー」

 よほど目の前のご馳走が据え膳食わぬになったのが腹立たしかったんだろう。しかし相変わらずのたりー喋り方と急な早口。立つ細い男の細い目が急に開き、そこから決して穏やかでない光が覗いていた。

「つまり、お客さんはうちにいちゃもんをつけるってわけですか」

 やばいな、と俺は瞬間に思った。こいつ、ただの馬鹿な店員じゃねえ。

「いちゃもんをつけるというその言葉が何よりその行為を表していることになりますねー、もちろんあなたがたの。正当な、しかも根拠と理論を並べた私の反論にはいっさいに耳を貸さずにただ私が反論したという行為のみでそのような決めつけ行為を行っている。店としてのモラルどころか人格を疑いますー」

「分かりました。あなたの言い分は聞きましょうか、店の奥で存分に」

 すっと、男が一歩身を引いた。身体からちりちりといやな空気が漂う。メイスは人間相手にへつらうような性格はしていない。なおも何か言いかけたメイスがしかし声を出す前に

「わっ!!」

 と俺は大声で叫んだ。予期せぬ方向からの謎の声にさすがに男は面食らったように俺のあたりを見る。しかしあるのはレタス。躊躇いが浮かんだ。

「逃げるぞ、メイス!」

「えー」

 と言いながらもメイスの行動は早い。目の前に置かれたサラダを未練がましそうに持ちあげたと思った瞬間、男の顔面に投げつけてテーブルを蹴った。レタスの俺を抱えて軽やかな動きで他のテーブルも飛び越え、店の外へと飛び出る。罵声が響く背後。しかも複数だ。

「あの街道宿、なんだ、一体」

「奥に殺気のある人達がいましたねー。ただの街道宿ではないみたいです」

「ちょっときな臭かったが、他の客がいるから、安心してたんだけどな」

「街も近くにありますしねー」

 言ってそのまま街へと走る。背後で誰かが追いかける音。俺はメイスに抱えられているから見えないが、足音を聞くと五人だ。食い逃げ(そういや食い逃げだな、まあ、まだ食ってはないがひっくり返した時点で台無しだろうし)の嬢ちゃん一人を捕まえるにはいやに物々しいじゃないか。

 しかし、さすがに俊足を鳴らすうさぎだ。メイスの余裕の速さにその足音の距離が縮まることはない。

「しつこいですー、あの人達」

「裏道だ」

 ついには街に入ってメイスが角を曲がると、その角の折れ曲がった壁にぴたりとくっついて見えなかった、ちょうどメイスと同じくらいの年だろうか、ひょろりと細い一人の坊主が、待ち構えていたようにメイスの手をひったくった。

「こっちだよっ」

 行って走り出す。なんだ? なんだ?

「裏道を知ってる。あいつらから逃がしてあげる」

 目深に被った帽子から赤茶色の髪が漏れている。そのまましばらく走ると、その狭い裏道をどんっと塞ぐ塀があった。おい。と思うと、坊主は端に詰め上げられた木箱をどかしてどかんっと踵で一発蹴った。ばったりと一部分のレンガがはがれる。なるほど。俺もガキの頃、こういう真似したな。子どもぐらいしか通り抜けられない大きさってのがツボだ。

 メイスと赤毛の坊主は身をかがめて潜り抜け、それから蓋をして男達の足音が聞こえないことを耳をすませて確認すると、坊主はふうと息をついた。

「もう大丈夫。」

「はあ」

「礼言えよ、メイス」

 思わず言ってしまうと、坊主が青い目をまんまるくさせてこっちを見てくる。やべ。しかし、坊主は不意にその顔いっぱいに歓喜を浮かべてメイスを見て

「やっぱり君――いや、あなたなんですね、噂の大魔導師ってっ!」

「は?」

 いきなり言葉まで敬語に正されて、言われたメイスがきょとんとする。

「いいんです、そのレタス型の水晶玉を持っているのを見てぴんと来ました」

 ……レタス型の水晶? ……誰がなんのためにそんなくだらねえ代物作るんだよ。

「あの、あなたがまだ幼少ゆえのためかそれともただ単に元がどうしようもなくそうなのかは知りませんが、愚かで短絡的な早とちりと勘違いでどうやら誤認されているようです私はあなたが示しているような者ではないですしこれは水晶ではなく本当のレタスですー」

「レタスじゃないっ!」

「水晶なんかじゃたまりませんよねー」

 俺の叫びを聞かないメイスが愛しげにすっと俺を持ち上げて、ってちょっと待ってっ、口を近づけるなっ、匂いをかぐなっ、なっ、なっ、舐めるなーーーーっ!!!!

 恐怖で蒼白に(ああっ、レタスに血の気なんか通ってねえよッ)なった俺からメイスは顔を離してくれた。こ、こええ……ほ、ほんとに食われるかと思った……なにしろサラダを食い損ねた後だ。

 俺の恐怖の一幕を、しかし目の前の赤茶色の毛糸のような髪をした坊主は無視してまだ納得していないように

「でもあなたでしょう、カナンの街道で、大金持ちの旅商を襲った野盗を一人で退治して役人に引き渡した魔導師って」

 俺とメイスはどうせレタスだよッを見合わせた。実は身に覚えがあんだよ、それ。それから素直って言えば素直な(ものは言いようだよな)メイスが

「確かに私も関わっていますが、それは私がしたというよりかは、このレタスのレザーさんがほぼ大半をなさってくれたことですよー」

「えっ、そのレタスが?」

 やかましわい。俺はそのとき、レタスじゃなかったんだよ。しかし、驚いたのもつかの間、メイスが何を言っても感心しそうなこの坊主は

「さすが大魔導師の持ち物ですね。喋るだけじゃなくて、野盗も退治するなんて……」

 だからそれどんなレタスだよ。――ああ、俺みたいなレタスかよ。そーかよ。

 すっかり不貞腐れた俺に向かって、しかし、この坊主はじっと真剣な瞳で俺を見た。レタスをじっと真剣に見つめる坊主。それもまた変だ。それからやにわメイスに向かい、がばっと手をついて頭をさげて言い放つ。

「お願いしますっ! 一生のお願いですっ、大魔導師さまっ、そのレタスを、俺に貸してくださいっ!」

 ………なんだ? 今度は出張レタスか? 俺。



 頭を下げたそいつにたいして、メイスは俺をきちんと抱きしめて、なんつーかな、大好物の菓子を取り上げられそうなガキのごとくの厳しい、一切の懐柔を許さない目でそいつを見て言った。

「いやです」

「お願いしますっ!」

「駄目です。これは私のレタスですー」

「俺はレザーでお前のレタスになった覚えはないっ!」

 しかし二人を俺の叫びを無視して「お願いします」「いやです」を繰り返すのみだ。なんか埒があかなくなったので、俺は

「おい、メイス。多分、そいつの目的は俺を食うことじゃねえと思うぜ」

 お前と違ってな。言外にそう含めたが、通じてないだろう。ってか、誰も喋るレタスなんぞ食いたいとは普通思わん。

「えー、ほんとーですかー」

 すっげ嫌そうな顔で懐疑的にメイスは赤い目で坊主を見る。

「もちろんですっ! 大魔導師様のレタスを食べるなんてそんなバチ当たりなことしませんっ!」

 ばちがあたるというか……、言っとくが俺食ったら人殺しの人食野郎に成り果てるからな、覚えてろ。

「ほら、言ってるだろ。つまらん心配するな」

「えー、でも狙われるのを心配してしまうほど、レザーさんって素敵なんですよー。匂い立つ芳香に形といい色といい葉の広がり具合といい、さっきの味見の時はちょっと陶然としてしまったほどの素晴らしく食欲をそそるお姿で。先ほどのサラダでレタスを見ましたけど、ほんとにレザーさんはなんて他と格の違いを見せるのだろうと」

 うっとりとメイスは言った。死ぬほどこえぇと俺は思った。しかし坊主は

「あ、それは分かります。魔導師様の持っているレタスが素晴らしいってことは」

 変なおべっか言うなっ、レタスとして優れていてもこいつの食欲増幅させるだけだっ! しかしただの馬鹿げたおべっかではなかったらしく

「うちでもレタス育ててますけど、それほど見事なレタスは父ちゃんも見たことないんじゃないかな」

 農家のガキか、こいつ。そしてレタスを育てているか……。

「なんだか訳ありのようですし、私のレタスを貸すかどうかはともかくとしてお話くらいならば聞いていきましょうか、もちろんあなたが言い出した以上はあなたの家でお構いはもちろんあなたの作られたレタスでかまいませんから」

 メイスはにっこり笑った。俺はもう嫌だった。



 焦げたようにちりちりとした赤茶色の髪に青い目のひょろりとしたこの坊主はピーターって言う平凡な名前らしい。連れてこられた家は傾き七十五度という感じでまあまだなんとか風除けにはなる、という程度。ここいらの街道はこれほど貧乏だとは聞いていなかったが。

 メイスがぱきぱきと嬉しそうに生のレタスをひとつ丸々抱えて頬張っている。そのさまに明日のわが身かと頭をよぎった俺の考えはもちろん懸念だ。懸念だっ、懸念だっ、懸念にしてくれ頼むからっ!  苦悩する俺を見てメイスはにっこり笑い

「レザーさんほどではないですが、なかなか美味しいです」

 頼むから懸念っ!

 もはや泣き出しそうに(だからレタスは泣けない)絶望する俺の前で奥の部屋があるかしいだドアからあの坊主が顔を出した。それでも出てきた部屋が気になるのか、ちらちらと見ている。

「誰かいるみたいだな」

 俺が話し掛けると一瞬、びっくりしてメイスがぱりぱり食うそれと俺を一瞬、見比べてそれからはい、とうなずいた。気になるんだが、その動作……。

「父ちゃんがちょいと流行り病で……。最近はもうよくなってきたんですけど」

 そしたら急にドアの向こうからどさっと何かが落ちる音がした。坊主は飛び上がって慌ててきびすを返す。俺もまだ我関せずの精神でレタスを食ってるメイスを促して坊主が開け放したドアからそちらに行くと、えらく日焼けした肌の中年の男が床で呻いていた。――これは……

「と、父ちゃん、動いたら駄目だって」

「馬鹿野郎……もう治りかけてんだよ」

 言うもののその額にはびっしりと汗が浮かんでいる。不意にメイスが頬張るレタス(俺じゃないほうだっ)を口から離して何事か唱えると、坊主が苦労してベッドの上に戻そうとしていた親父さんの身体がふいっと浮いた。坊主もぎょっとしたが、親父さんもぎょっとしたようだ。メイスはその傍に寄り

「どこが痛いんですかー?」

「え、えと……あの、全身の関節が痛むんですけど」

 坊主が言った瞬間、メイスは何事か唱えるとふわりと親父さんの身体を柔らかな薄緑色の光が駆け抜けた。びっくりして口も利けないようだった親父さんはとろんとした目になって、やがて安らかな寝息をついて眠りだした。

「父ちゃんっ!?」

「大丈夫ですよー、痛みを一時的にとる作用でそのために身体を眠らせて鋭気を養うだけですから」

 メイスの言葉に狼狽しかけた坊主はおさまり、おそらく初めて魔術なんて見たんだろうな、恐縮して何度も礼を言って親父さんに毛布をかけなおし、俺達は部屋を出てテーブルに戻った。それで俺は切り出す。

「親父さんのかかってる、流行り病ってあれか。ガザンナの風毒」

 言うとびっくりしたように坊主は俺を見て

「や、やっぱり大魔導師様のレタスは違いますね。よく知ってらっしゃる」

「いいか、坊主。俺はレザー・カルシスだ。俺を今後レタスって呼んだらたとえ雨が降ろうが槍が降ろうが頼みはいっさい聞かんぞ」

 言うと脅しがきいたのかただ単にレタスに凄まれたのが怖かったのかびくっとしてうなずいた。……こんなガキを本気で脅すようになるとは俺も落ちたもんだがレタスって呼ばれるのだけは我慢ならん。

「なんですかー、その風毒って」

 メイスは知らないらしい。まあ、人里にあまり現れないならこういう噂にうとくなっても仕方ない。

「少し前に天下の奇病だって流行った原因不明の病気だよ。治療法も見つかってなくて不治の病かと騒がれたんだけど、身体中の関節がぎしぎしときしんでおよそ二ヶ月ろくに起き上がることも出来ない状態になるんだが、不思議なことに二ヶ月ほどたつとけろりっと治っちまうんだ。誰でも。おかげでその病気でまだ死人も出てなくて、仕方ないんで放任して二ヶ月間、我慢してみんな治してる」

「へえー。奇妙な病気ですね。期間が決まり、後に障害もないなんて。まるでどこぞの誰かが広めたみたいです」

「は?」

 変な言い回しにメイスは、レタスの葉を一枚口の端でかじりとって笑い

「いえね、魔道にも実はそういう方法があるんですよー。理屈を申しますと、人に限ったことではなく生物の中で、身体の中には大量の個々の「細胞」というものがすんでいまして、通常の治癒はさっき私がやったみたいに身体全体に力を送るものなのですが、一握りの朝の属性の魔術師は身体ではなく、身体の中にあるその「細胞」というもの自体を見極めてそれに力を送って治すんですよー。細胞はたくさんあって身体に害があるものや、逆に良いものもいますので、それのどれに力を送るべきかを見極めるのが大変なのですが、朝の属性の魔導師達はそれを日夜がんばって学び会得しているのです。けれど、その力を逆に使うおうと考える者も愚かさという体臭が染み付いた人間の中には当然現れるわけでして。守るための力も誰かを傷つける武器となるように、力とはそれ自体は純粋に悪も善もないただの力ですからねー。つまり逆に身体から細胞を取り出していろいろと自分の都合の良いように力を加えると、それは病原菌――病気の元となる魔となって、後はそれに自己増殖の構成でも組み入れればあっという間に天下の病気として広まるわけです」

「……」

 その説明に俺は眉をひそめた。レタスには眉がないが……。

 一般的に魔道の知識は世間に流布されてないから俺もどんなものかはよく分からなかったが、ともかく、それってほんとはとんでもないことじゃないか。病気を、しかも思い通りに作ることができるなんてよ。

 俺の懸念を読んだのかメイスは笑って

「大丈夫ですよー。魔導師がそこまでの力を持っていたら国家が放っておきません。それかその力を恐れられてとっくに殺されているでしょう。――実際には、そういうことも昔あったらしいですけどね」

 俺はそれを知っている。人は異質なものを排除したがるくせがある。今よりももっと迷信深かった頃ならなおさら。

 異質なもの=魔術の力と結びつき、魔術の排斥の風が突如として吹き荒れた、魔導師、魔法使いが虐殺された、当暦594年から百年間続けられた血塗られた歴史の暗部。魔術師の大空白時代とも言われる。魔術師の数が現在極端に少ないのもそれのせいだってさ。

「今では朝の魔導師達の領域の部分にしかその術も伝わっていませんし、それにそれだってごく少数のもっとも頂点に立つ人々だけですから」

 ぽつりとどす黒いものが心に落ちた感じがしたが、ともかくそれには少しほっとした。あいにくと俺達の話は坊主にはちんぷんかんぷんだったらしい。途中から聞くのを諦めてもじもじと待っていたようだ。

「ああ、悪いな。それでカザンナの風毒にかかって親父さん、もうどれくらいたったんだ」

「一ヶ月と三週間少し……ぐらいです」

「なんだ。なら、もうそろそろ治るころだろ」

「はい……」

 言いながらも坊主の顔は晴れない。なんだってんだ。

「だけど父ちゃんが働けなくなって、今年は作物の収穫がうまくいかなくて、おれたち、借金しなけりゃどうにもならなくなったんです」

 金の相談か? しかしレタスに借金の相談してどうするんだ?

「それが、あの大魔導師様とレ……レザーさんの出てきた宿屋で」

 おまえ、レの次に何を続けようとしたか言えよ。

「あそこ……――ボルゾイ一家しか金を借りれるところがなかったんです」

「なんだ、そのボルゾイって」

「ここいら一帯を取り仕切っている奴等です。あいつら近くの山に縄張り張ってる盗賊達とも手を組んでてて、虎の威をかってすごくあこぎな商売をしてるんです」

 あっさり読めた。犯罪者って一握りの奴以外はほとんど頭が悪く創造性がないもんだから、どこいっても大抵同じことしてやがる。――ま、同じことをしてるって点では冒険者も似たようなもんだけどさ。

「んで、何倍になって返せっていわれた?」

「……十倍」

「頭悪い要求だな、それ」

「道理であんな店がまかり通っているんですねー。じゃなきゃとっくにつぶれていると思いましたよあんな低レベルで低次元で宿と名乗ることもおこがましいような私が形容するならば形容態度は私のお師匠様のごとくとでもの異名をつけたい街道宿でしたもの」

 こいつの言い表し方はともかくその「お師匠様」が最低を現す形容詞として使われる。否定はしないけどな、俺をレタスに、うさぎだったメイスを人間にした元凶黒魔導師コルネリアス。メイスの師匠でもあるらしいが、二人の間に師弟の尊敬や情愛が通っていないのは一目瞭然だ。

 しかし、さっきの一幕はメイスにだって多少は問題があると思って

「まあ、確かに悪かったがよ……。店の態度としては普通だったんじゃないか」

「普通じゃありませんよー。痺れ薬を入れるなんて、どこの街道宿がやるんですか、そんなこと」

「痺れ薬?」

 思わぬ単語に俺は声をあげた。

「どういうことだ?」

「あのサラダから麻痺の作用があるリルクの葉の匂いが漂ってきましたー。だから私、抗議したんですよ、余計なものをのせるなと」

 ってことはメイス、ドレッシングのみに腹を立てていたわけじゃないのか。動物特有の鋭い五感ってのはなかなか侮れない。

「しかしどうしてお前に痺れ薬を盛るんだよ」

「あなた、有名なんですよ」

 不意に坊主が口を挟んだ。

「あいつら、盗賊と手を組んでいるって言ったでしょう? カナンってここから遠くないじゃないですか、あいつらあなたが倒した盗賊達と知り合いだったらしくて、――あなたの評判は俺達町人にも話が伝わってるくらいだし。それにあなたは凄く目立ちますし」

「そうですかー?」

 自覚のないメイスが首を傾げたが、確かに頷ける。滅多にない赤い目、白い髪に、しかも十四、五歳の嬢ちゃんの一人旅、――で、オプションとしていつもレタスを持っている。目立つなというほうがおかしいのかもしれない。

「じゃあ入った時から狙われてたってわけか」

「でもあの野盗は本当に私が倒したのではないんですよ」

「お前が役所に突き出すから面倒なことになったんだろ」

「だって私には金銭欲なんて人間のもっとも訳が分からない物欲なぞ皆無ですがー、野菜を買うお金がもらえるということに関しては生存欲と結びつきますのでいささかの心が動くのは生きとし生けるものにとって当たり前のことでしょう」

 金銭欲も元を正せば生存欲なんだが、まあともかくとして。俺はメイスにこそっと

「お前の魔術って、十五人くらいの野盗を倒せるものなのか」

「まさかー。私は厚顔無恥でデリカシーなどというものはもはや口にしてもその頭のどこかに存在しているとは夢の合間にも思わないようなお師匠様とは本当に幸いなことですから属性が異なりまして私は朝の属性の魔法使いですから、あまり攻撃的な魔法を得意とするところではありませんし、実際に夜の属性だとしてもなかなか難しいですよー。術を唱えている時間稼ぎやなにやらで」

 ……ってことは、色々とやばいな。しかしメイスはけろっとして

「ただ逃げるのは得意ですから、真っ向から戦おうとさえしなければたいして脅威とは思いませんがね」

 確かに。うさぎだった頃の跳躍力をそのまま持つメイスの足は、脅威の一言に尽きる。あんなもんでぴょんぴょん飛ばれた日にはさすがにどんな荒くれ者でも捕まえられまい。

「しかし、こいつの望みは真っ向対決で叩きのめして欲しい、だろ」

「別にいいじゃないですかー勝手に話を進めて言わせるだけなら。私、引き受けませんもの。お師匠様が正直者や正義ぶってる奴は必ず馬鹿を見るということわざは実に人の世の理をよく表した言葉だとおっしゃっていますし、あのようなどこからどう見ても正直者でも正義という言葉とも無縁なお方の自己肯定の言葉とは言え嘘から出たまこととか下手な鉄砲も数打てばあたるというようにたまには的を射たことをおっしゃることもありますからね」

 薄情な嬢ちゃんめ、とは思うものの力が及ばない以上は、こんなか弱(くはないが外見上は)な嬢ちゃんを無理言って立ち向かわせるなんてやばい目にあわせることなんて出来んし……。

 坊主はメイスの俺への呟きが聞こえたんだろう。

「お願いしますっ! 頼みます大魔導師さまっ! 俺の借金のことじゃない。あいつら、ほんとに迷惑してるんですこの村じゃ!」

「いやですー。なんの義理も利益もない、あなた方のそんな不幸を救うために自分の身を害する必要性はまったく感じません。自分の身に降りかかる火の粉ぐらい自分で払ってください。彼にも一個の人としての立場を主張するならば。というわけでここまで聞いた分としていくつかレタス頂いて退散しますー」

「お願いしますっ、俺の作ったレタスはみんな差し上げますからっ!!」

「仕方ありませんねー。人情などというものは私の中には存在しませんが私は人などという自己中心的な性格ではありませんので弱味に付け込まれたという形で引き受けましょうか」

「ありがとうございますっ!」

 その態度にも頓着しない存外大物なのかもしれない坊主はぶんぶんとメイスの手を握って感激した。

 メイス、メイス、メイス・ラビット。いたいけであったはずの子うさぎだった時点からのお前の性根は疑うなんてそんな酷なことはしない。だから断定する。お前のその性格は、どう考えても師匠似だ。



 そんなこんなで夜になった。その間、メイスはずっとテーブルに山と詰まれたレタスを食ってやがった。――こいつ、まさか食い逃げするんじゃないかな、と疑惑を抱きながらも俺はそわそわと窓を見やる。窓の外は塗りたくったような闇だった。それからぱりぱりと頬張るメイスに

「おい、メイス」

「はいー」

「外連れてってくれよ」

「月は出ていませんよー、今日は曇りです」

「ちょっとの間だけでも晴れるかもしれないだろ」

「晴れてもすぐにその姿に元通りじゃないですか」

 まったくやる気がないメイスの答えにこれは駄目だと思って、テーブルに載せられた俺は転がって椅子に落ちた。痛い。また転がって椅子から床に落ちた。痛え。

 それでもめげずに俺は転がっていく。人が歩けば軋む廊下もレタスの軽さではどうしようもなく、ころころと。そしていきなり、ぐわりっと衝撃が来た。横合いから腹を抉られるような……。

「あれ?」

 坊主の声がした。それから駆け寄ってくる音がしてひょいと持ち上げられる。

「いてえだろっ!」

「わっ、レザーさんっ!」

 あんまりびっくりしたんだろう、坊主が俺を取り落として俺はまた床に跳ねた。痛え。

「ごっ、ごめんなさいっ、まさかそんなところに転がってるとは思わなくて」

 慌てて拾いなおした坊主から土の匂いがした。そういや農作業に行ってるとか言ったな。

「お前、この時間まで働いてたのか」

「え、あ、はい」

「ちょっと俺、外に用があるんだ。連れてってくれるか」

「あ、なら俺も行きますんで、一緒に行きましょう」

 ガキってのは素直だから、そのうち俺にも慣れたらしい。すげえな。俺だったらこんなレタス見つけたら即効でヤギの群れに放ってるよ、気味悪くて。

 坊主は俺を抱えて疲れてんだろうに、早足で自分の部屋に戻ってなにかがしゃがしゃと取り出してくる。見るとどこかの道端で拾ってきたんだろうか、柄の部分には布切れを巻きつけた刃も多分全部潰れているぼろぼろの細い剣を持ってた。

 外に出たが、メイスの言ったように月はなかった。雲が憎い。

「どうして外に出るんですか? レザーさん」

「俺は月の光を浴びたら本来の力が出せるの」

 もはや面倒なので人間に戻る云々は省略した。坊主は感心したようにはーと息を吐き、それから空を見て残念そうに

「でもそろそろ新月ですしね、曇りが多いし、なかなか見れないと思いますよ」

 ――なんだよな。俺が戻れる可能性の月夜もなくて、それで盗賊とも繋がりのある一家の相手をする。ますます絶望的だ。放って置くのもなんだがレタスなんかで安請け合いするぐらいの事態でもないんだよ。すると坊主は俺を近くの切り株に置き、ぼろぼろの剣を振り始めた。―――疲れているだろうに。

「剣士になりたいのか、お前」

「うん? ……ううん。・……いや、ほんとはなりたい、かな」

 振るいながら、ぼんやりと呟く。細身の剣も支えられないらしく振り回されかけている。そもそもあってないな、あの剣はこの坊主に。懸命に努力しているのが分かるが、はっきり言って基礎が全然なってない。

「でも父ちゃんが大変な時期ですし。それに今、剣士になろうってのじゃなくて、強く、なりたいんです。自分の困ったことくらい、自分で解決できるくらい強く」

 十四、五のそこいらのガキが殊勝なこと言うもんだ。

「今度は人に頼っちまったけど。情けなく思ってます。自分の厄介事を人に解決してもらっても、それは本当の解決にならないって思うんです。少なくとも俺の解決じゃない。」

「――腰。」

「え?」

「腰が入ってない。ぐっと踵から足を踏ん張っておろす剣に体重をかける。素振りはぶんぶん振ってりゃいいってもんじゃない。一撃一撃をしっかりと振れ。数より質だ。それで質も勝ってりゃそれから数だ。」

 坊主は一瞬、きょとんとしてそれから慌てて言われたようにやり始めた。素直なガキだ。レタスに教示されてもその通りにやってる。

「視界は一点に定めて。敵から絶対に目をそらすな。ともかく体勢だ。体勢を崩さないように足場の確保を常に頭に入れとけ」

 ばらばらだったそれが少しは見れたものに変わっていく。いくつかの助言を得た坊主の根性は並じゃなかった。ほとんどぶっ倒れる寸前まで剣を振り続けた。うん、見込みはあるのかもしれん。

「俺、一度だけ都市ミルカに父ちゃんに連れてってもらったことあるんです」

 寝転がってはあはあと息を切らしながら坊主は言った。

「そこで剣術大会を見ました。凄かった。優勝者はアシュレイ・ストーンって言う、鮮やかな赤毛のまだ若い剣士だったんですけど、その人、もう何年もそこで優勝し続けてる世間じゃ有名な冒険者なんだそうです。本当にその腕は全然格が違ってて、他の出場者となんか比べものにもならないくらいの。その人は優勝して王様から優勝祝いの金ぴかの剣を貰っていましたけど、でもその後に言ったんです。自分はこの大会に優勝したけれど、自分がどうしても勝てない相手がいるんだって。だからいつもここで優勝して自信をつけてそいつにまた挑みにいくんだけど、もう何回もずっと負けてるって。でも諦めないって」

 坊主の目が星みたいにきらきら輝いていた。

「ほんとなら、こんなに強いのにまだ上がいるのかって絶望するかもしれないけど、俺はそうじゃなかった。そんなに強い人でも勝てない相手がいて、でも勝てなくても何度でも挑んで行くんです。そのたびにきっと、その人もっと強くなってるんですよ。俺、感動しました。だからその時は剣士になりたかったけど。――でも今は、どんな生き方しても、その人の言ったことが実践できるんじゃないかって気がしてます」

 星は出てなかった。俺の待望の月も出てなかった。夏の生暖かい空気が辺りを包むだけ。けど綺麗な夜だった。俺は腹をくくった。



 目の前のメイスはびっくりした顔をしている。

「えっと……」

 動揺しているのか、流れる泡の波のように白い髪をかきあげて

「本気ですか? レザーさん」

「ああ、本気だ」

「でも、本当に保証しませんよ」

「分かってる」

「どうして急に……」

 心底困惑したようにメイスは言って、説得してくれる誰かを捜すみたいに辺りに頼りなく視線を彷徨わせる。けれど俺の断固とした言葉を再度聞くと仕方なしに支度に取り掛かり始めた。

 坊主に指示して黒いカーテンで窓を覆い、部屋を暗くする。坊主の親父さんはびっくりしてたらしいが、頑張って言い含めてくれた。まあ、あの病は痛いって噂だしな。そんなに騒げはしまい。

 朝がきたのに影が落ちた部屋の中で、これまた少し斜めのテーブルの上に、太陽が覗く朝日を浴びた水に手をひたした、メイスの白いそれがきらきらと光っているようだ。こんな手順が必要な魔術をじっくり見るってのも初めてだな。あの性悪魔導師に術をかけられた時はぶつぶつ言っててなんだと思った瞬間だったから。

 まだ濡れたそれでメイスはすっと俺に指一本をつきつけた。

「本気、なんですねー。レザーさん。嫌ならまだ言ってもいいですけど」

「俺はくくった腹は変えない主義だ」

 答える俺。そりゃ心配がないわけじゃないが、心配してもどうにもなりやしない。なるようになるんだ。

「でも、どうして急に?」

「あいつらと渡り合うにはお前だけじゃ無理だ。そもそも数が違うしな」

「……私はー、月夜になるまでしばらく待ってから行こうかと思ったんですけどー」

 意外にメイスもただレタスを齧ってるだけじゃなく少しは考えていたらしい。しかしなあ。

「お前は目立つし、顔も覚えられてる。いきなり問答無用で狙われたくらいだからな。街に逃げたのも分かっているし、ここを突き止められるのも多分、時間の問題だ」

「……分かりました」

 一歩下がってメイスがかしっと胸の前で手を組んだ。しばらくの息をしているのかも疑わしいほど静かな沈黙の後、不可思議な言葉が口元から流れ出る。

「ティルティット、タトベリヌ、クワダガンフ、リーラリシュ……」

 高く決して大きいわけではないが不思議に聞き取りやすく心地良い抑揚の声だ。まるで子守唄にも近いそれが、ゆいんゆいんと空間に響き渡り、それからメイスの水に濡らした両手が発光し始めた。それと共に雪色の髪がふわりと横になびいて浮かび上がる。

 瞳を閉じ、暗闇の中で浮かび上がるメイスの姿は、俗世とは完全に切り放たれこの世のものとは思えない様で神秘の一言につきる。整った顔にも無心の表情が浮かび、薄暗い中、呪文を唱える嬢ちゃんは言葉を失うほど綺麗だった。端の方で小さく座り込んだ坊主もぼけーっと吸いつけられるようにそんなメイスを見ている。

 ティルティット、タトベリヌ、クワダガンフ、リーラリシュ……と何度もそれを繰り返す、幾つもの声が重なって波紋を描くようにこの中に満たされた空気が震える。

 メイスの瞳が見開いた。壮絶な赤だ。白い肌に白い髪、どこまでも白く浮かび上がった中で、その瞳だけが雪原に垂らした一滴の血のように赤い。

 すっと突きつけたそれが俺を包み込んで俺の身体にもまた光が宿った。光は宿ってきゅんとまるで吸い込まれるように俺の中に消えて、メイスは再び伸ばした指を動かし――

 誰かがぱちんと指を鳴らしたように、急にその空間は次元の狭間へと戻ったように元の沈黙が帰って来た。――ん?

 不審に思って俺はメイスを見ると、メイスは困ったように

「あのー、やっぱりちょっとやめません? レザーさん」

「なんでだ。失敗か?」

「いえ……あと、一呪文かければ発動しますけど……その……。」

 珍しいことにメイスが口ごもる。

「他に方法とか、ないですかねー」

 よっぽど自信がないんだろうか、メイスが気弱になってやがる。

「これが一番、確実に近い方法だし、リスクは承知だ。とっととかけろ」

「……」

 なんだか情けなそうな顔をしてこっちを見るメイスに再度促そうとして――

 瞬間にドアがいきなり吹っ飛ばされた。蝶番と木々の破片が吹っ飛ぶ。そんで湧き上がる見知らぬ男の声。「あの雌ガキだっ、あれが魔導師だっ!」

 一瞬、愕然としちまった。まさか俺がドア一枚隔てただけの相手の殺気も察知できなかったなんてよっ! もしかしたらメイスの展開した魔法空間のせいかもしれん。あれが広がっていたときは外界から完全に切り離された気がしてた。いやそれより!

「レザーさんっ!」

 俺を抱きかかえてメイスがテーブルを乗り越える。この家にいるのは、誰だ。メイスと坊主と寝床から出られない坊主の親父!

「メイスかけろっ!」

「でも」

「いいからかけろっ!」

 メイスは咄嗟の判断は早い。素早く口が最後の呪を紡ぐ。瞬間に俺の身体はメイスの腕を飛び出してぐんぐんと伸びた。正直、月を浴びて元に戻るときよりももっと気分が悪くなる――透明な瓶に入れられて思い切り上下に揺さぶられたような。

「ピーターさん、明かりを!」

 メイスの声に急いで坊主が窓に駆け寄り、しゃっと閉めたカーテンを開け放つと、そこから白い光が漏れてきて辺りを照らし、俺達をも浮かび上がらせた。目の前に物騒なダガーを抱えて立つのはあの宿屋でサラダを運んできた細目の中肉の男だ。奴らもいきなりの光に目がくらみ一瞬、動きを止めている。

 その頃には俺の目線はずいぶんの高さになってた。見下ろすと身体はきちんとある。左手で急いで顔をさぐる。――瞬間に凍りつく。探った手が震え出した。

「やった戻った!」

 ぴょんと両手をあげてメイスが飛び跳ねた。それから続けた。恐怖の言葉を。

「身体だけっ!」

 言うなっ、言うなっ! 何も言うな―――っ!!!!

「ばっ、ばけものっ!? れ、れた――」

 それだけは言わせるかーっ!!!

 鞘から抜き払いざまの俺の渾身の一撃はぎょっと声をあげた、乱暴な侵入者の腹に見事に炸裂し、細目中肉の男は無事その言葉を最後まで口にせずに倒れた。危なかった。

「な、ななななんだっ!? いったい、なんだっ! あれっ」

「やかましいわっ!」

 怒鳴って薙ぎ払う。椅子を蹴飛ばしぶつける。どつき倒す。やかましいわやかましいわやかましいわっ! てめえらなんかに俺の苦悩が分かってたまるかっ! 

 俺の八つ当たりでそいつらをのすにはものの数分とはかからなかった。開いた窓からたたき出して、招かれざる客はこの家からいなくなり俺達だけになった。

 ――それから、誰も何も喋らない恐ろしい沈黙が落ちる。光が入り込む部屋の中、やがて坊主が傍目にもがくがくと震えてすげーおそるおそると言った風に

「……あ、あああああああの……レザーさん……」

 顔を探った俺の手に残ったなんか植物っぽい感触。……レタスだ。

「微妙ですが頭部はおいしそうですよ! レザーさん」

 ぐさりと背中から刺さったメイスの元気なそれになんとか耐えて首元をさぐる。首はあった。そこからだ。その上から鼻も目も口もなく、変な葉の感触が頭まで続いている。俺はナルシストじゃないが、自分の顔がこれだけ恋しいと思ったことはない。

 そうだよ……俺はな、身体だけ元に戻って頭の部分はレタスのままなんだよ……まるで、首から下は人間の身体で、上にちょこんとレタスを乗っけたがごとく。レタスの仮面でも被ってるようなもんか? もっと生々しいだろうがよ。

「メイス……。行くぞ」

 口に出した俺の言葉はずいぶん低く響いた。空洞に鳴るようなそれに、さすがにちょっとびびったらしくメイスは口ごもり

「えーと……、どこにですかー?」

「あの街道宿に決まってんだろ」

 はっはっはっはっ。俺の人生全てが終わった今。

 ――こいつらを叩きのめしたくらいじゃ、全然八つ当たりが足りないんだよ。



 俺はレタスだ。一個の丸いレタス。別に下に人間の身体がついてるわけじゃない。ただのレタス。

 メイスのかけた技はどこまでも不完全だったらしく、夜が来てメイスの言うところの朝の魔術師の力が衰えたところであっさり切れて、俺は元のレタスに戻ってしまった。

 ほっとしたような、やっぱり物悲しいような。まあ、一瞥されても化け物っとかレタス男っとかの悲鳴が聞こえないただのレタスであるだけマシかもしれん。

「まさか盗賊団まで潰すとは思いませんでしたよー」

 さすがに呆れたようにメイスが言った。ふん。これからの人生全てをあんな姿で過ごすと思った俺の悲哀はあれくらいじゃ気がすまん。

 あんな世にも軽快な姿になってしまった俺はもはや心の底から自棄になって突っ走った。街道宿なんか全部ぶっ壊してやった。そいつらから聞き出して奪った馬に飛び乗って盗賊団のアジトに突っ込んで無茶苦茶暴れた。人間、絶望するとなにするかわかんないよな。

 叩きのめしたそいつらは、後顧の憂いがないようにとついて来たメイスが前にも使った魔法で運んで全員、役所に突き出した。坊主が言ってたメイスの評判が伝わってるのは本当だったらしく役所はすぐに受け入れて、死ぬほどどつき倒して脅しまくった直後だったから、奴らも混乱でさくさくと白状してくれたらしい。

 俺はさすがに役所に顔出してないからメイスから聞いただけだが、これで取調べでどれくらい前科があるか次第で縛り首か、牢獄何十年間行きだろ。ふんふんふん。同情はしねえぞ。散々他の奴に味合わせてきた一端ぐらいは自分の身で思い知れ。

 湧き上がるメイスへの熱烈な礼を背にして、俺とメイスは共にあの村を出てまたあてなく街道を歩いて行く。

 俺は結構、この姿になってからストレスがたまってたらしくて、心の底から暴れ倒して今はすーっとしてる。メイスもなんだか機嫌が良い。改善の余地があると分かったらまた元の姿に戻る術は再構成するんだとさ。

「やっぱり自分で試さなくて本当に良かったですー。レザーさんはやっぱり私にとってかけがえのない実験体……もとい非常食……もとい、仲間ですねー」

 本音をぽんぽん言うメイスにも少し腹がたたん。……本当に少しだけは、な。

 なだらかで平坦な風景が広がり、風は優しく横合いから吹きメイスの白い髪をさらって、太陽は街道を機嫌よく照らし出し、俺達が進む道もまた遠くまでよく見通せた。心地良い陽気に包まれていると俺はうつらうつらと眠気を感じたので、ここで一眠りすることにした。



 煌々とした月夜に、治った父親の手によって立て直された小屋の前で、一人の少年が懸命に剣を振るう。薄汚れた、ぼろぼろの剣がしゅっしゅっと風を切る音と梟の声だけが静まり返った夜のしじまに響いている。

 一心にひんやりとした夜に汗を飛ばす少年は、そこではっとしたようにその手を止めた。暗い夜の影に一人の男がいつの間にか立っていた。月を背にしてすらりと背が高く、そのシルエットだけで、どこか圧倒されるような男だ。腰には剣を下げているのが見えて、剣士だと分かる。

「あの……?」

 おずおずと問いかけると、彼は無造作にすたすたとこちらに歩を詰めて、無言で背後から一本の剣を差し出した。

「成長途中に身に合わない剣を持つのはよくねえ。お前にいいのを選んどいた」

「え?」

 鞘に染まったそれは、月明かりで見るだけでも小振りだが立派なものだと分かった。

「本当は刃物なんか軽々しく持たせるもんじゃないけど、お前は使い方を間違えないと思うから」

 闇がうっすらとかかり、その顔は見えないが優しく微笑んでいるようで、思わず受け取ってしまうと、腕にかかる重さは不思議なくらいすとんと自分に馴染んだ。

「借金はもう大丈夫だな」

「あ、はい。あの、盗賊達のしたことは全部、無効ということで。借金の方も」

 そう言ってどうして知っているのか、と顔をあげるが

「親父さんの病気もそろそろ治った頃だな」

「はい、けろっとしてて、ほんとに……」

 それから再び男の口に出すことの不思議さにじっと顔を見やるが、月夜を背に影がかかって判然としなかった。そこでどこかで聞いた覚えがある声だと思い当たりはっとした。

「じゃあな。精進しろよ」

 きびすを返した拍子に後ろで一つにくくった髪が翻った。背の半ばまで伸ばした濃い青の髪だ。

「あのっ……、色々、ありがとうございますっ! 俺っ、頑張りますっ! レ……レザーさんっ!」

 呼びかけに長身の男は一瞬足を止めて、それから無言で片手をあげた。抱いた剣の重みが急に沁みるように伝わってきて涙が溢れた。

「俺っ、強くなりますっ! あの大会優勝者アシュレイ・ストーンみたいにっ!」

「ちいせえぞ。アシュレイ・ストーンを目指したら最高でもアシュレイ・ストーンにしかなれない。アシュレイより、そのアシュレイが叶わないって言ってる奴より、強くなれ」

「はいっ!」

 無我夢中で貰った剣を抱きしめて、頷く少年を闇に浮かぶ月は煌々と照らし出して。

 真っ昼間にレタスの化け物が疾走したと言う恐ろしい怪談がそれを目撃した村民の間で口々に囁かれ、もはやレタスが作られなくなったのどかなニーチの村の、誰も知らない夜に起こった、それは小さな秘密の出来事。



 完


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