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ドラゴンの森で(8)

 それでも決定は夜までかかった。過半数の参加者を加えて、残りはとりあえずここに残留ということになり、朝になるとさらに参加者が増えていた。とにもかくにも、俺たちは進むことになった。

 大変貴重な回復術が使えるので、グレイシアは一人隊の真ん中につれていかれてしまったが、アシュレイの交渉したとおり、残りのメンバーは一緒で、隊の先頭、早い話が前線を務める。うちのパーティのポジション聞いて、参加決めたパーティ結構いるんだろうなあ。

 抜き払った小型ナイフで、茂みを切りながら進んでいたリットは、ふと思いついたように首を回して、ざっざっと続く面々を一瞥してげっそりとなって顔を戻す。

「なーんかでかすぎる金魚の糞みたい」

「少々はしたないので、巨大なフンコロガシの糞ということで」

「いやはしたなさかわんないし意味も通じないよ」

 俺はメイスのナプザックの中で運ばれ運ばれ。後ろのやつらの顔を暇つぶしに見やる。緊張してんなー。……まあ第四層だし。しかし、確かに威圧感というか緊張感が伝わって嫌なテンションになる。リットやライナスが微妙に嫌がってるのもわかる。冒険者が集団行動なんてするもんじゃないな。

 まさかレタスに見られているとは思わないだろう、面々の顔を見ながらそんなことを考えていると、ふとメイスがぴたりと足を止めた。

「とまった方が、いいですよ」

「どーしたの?」

「いや、とまった方がいいな」

 先を行くアシュレイとカールもとまっていた。

「どうしたの?」

「巨大食人草の通った後がある」

「食人草! うわ、あれの森は、もうやだよ」

 嫌な思い出があるせいかわめくリットに、その場にしゃがみこんで様子を見ていたアシュレイが

「……南に向かっているな。迂回できそうだ。道を少々変更するか」

 ちなみに巨大食人草というのは、植物の名がついているが、植物とは認定されていない。あれは単なる擬態ということで一応結論が出ていて、どうも本体は牙のあるでっけえ蛇……らしきもの、と言われている。

 その名の通りの植物への擬態が何パターンも可能で辺りの森にあわせてすーっと姿を変える。めちゃくちゃ巨大に裂けた口を地中や茂みに隠して、表面には茂みや木々っぽい(触覚…らしい)外観を出して、獲物が近づいてきた振動を察するやいなや、ぐわっと地中の頭をもたげて口腔をぐるりと覆う牙で鉄も骨も物ともせずに噛み砕き、中身を食べつくす。ぞっとしないモンスターだ。

 ……しかもこいつがSランクである最大のポイントは、群れをなすことだ。数十本…なのか匹なのか知らんが、その単位でぞっとしないことに巨大食人草の「森」を作りあげ、地上の生きとし生けるもの全部を区別せずにむさぼり食らう。動き出す最後の一瞬まで実際の植物と変わらないほど静止して、獲物がかかった瞬間、地中をすばやく移動していっせいに囲むのでまず逃げられん。

 しかしあいつら、あまりひとつのところにじっとしていられないらしく、頻繁に「森」の場所を変え、その移動の後を結構わかりやすく示しているため、避けるのはまあ慎重にいけば難しくない。前回、俺たちのパーティはあっきらかに進行方向で迂回する間に移動するかも、って感じで悩んだ末に引き返したわけだが。

 戦うとしたらたいていのモンスターに有効な火責めか、それと爬虫類の特徴を多く持っているので氷責めらしい。寒さに弱いんで冬は土の中で冬眠してんだってさ。

 ちなみに食人草、ドラゴンサークルではお馴染みのモンスターだ。カリスク英雄譚にも登場し、火の魔法だ、氷責めだ、カリスクがその忌まわしい口を全部ぶったぎっただの「聖カリスク、食人草の「森」と戦う」なんて大層なタイトルもついてサーガの一節にもなっている。

 根も葉もない嘘ではなく、現実にも一応あうことはあったらしいんだが、そんな突破方法は全部物語。

 サーガではなく現実のカリスクが食人草の森に遭遇し、実際どうしたかというと、……火をかけたらしい。いや、言われている火の魔法とかかっこいいのではなく、食人草の通った後を見つけて追跡し辺りに火をつけ風の魔法でその方向に煽って燃え上がらせた。火に巻かれてダッシュで逃げ出す食人草の混乱のどさくさまぎれに駆け抜けて突破したらしいが……そこいらの生態系大丈夫だったのとか、なんだその方法とか、今じゃ結構批判もある。

 サーガよりもう二、三歩踏み込んで結構史実に近い歴史家ナクセルのカリスク伝では、仲間の魔道師が独断で勝手に火をかけた、って言われてるけど、どーかねー。まあ一歩間違えばカリスク一行も火にまかれて死んでただろうが……しかし、だから勝手に森を焼いていいってあれでもないだろうが、ともあれ。

 さすがに数々のドラゴンサークル突破の架け橋になったカリスク方式も、ここの部分はいっさい採用されていない。だって火ぃかけたら、普通に他の冒険者も焼け死ぬし。当時はドラゴンの森に入るなんて狂気沙汰の真似をした人間はカリスク一行しかいなかったため、とれた荒業だが……。

 そんな冒険者の先達は偉かったのか、ぶっ飛んでいたのかともあれ。後継の俺たちはふがいないので、ぞろぞろとカリスクたちが見れば大集団で食人草の森は避けて進んでいる。

 食人草があったこと、進路を変える旨を、後ろに報告して進路を変えるのに数十分。……これ、休憩いらねえんじゃねえか? さすが集団。足がとろい。いつもさっさと行動の冒険者たちがだれなければいいが、と思いながらようやくまた進みだすと、いくらかいかないうちに再びメイスが立ち止まった。一瞬、メイスは鼻をくん、と鳴らして

「先方から、何かきますよ」

「なにが?」

「大きな……」

「敵がきたぞ! 魔術師、詠唱にはいれ!」

 どうやらメイスの直感を今までのことで全面的に信頼しているらしい。よく通る声でアシュレイが吼えた。向き直った先、数リーロルほど向こうの梢の、空に描かれていた緑の輪郭が突然欠けた。ばきばきと幹がしなる音がする。その下に――…ああっ、ナプザックの中からじゃほとんど見えん!

「亡霊黒蜘蛛だ!」

 俺の焦燥など知るよしもなく、後ろの冒険者たちの間に未知ゆえの恐怖が生む混乱が広まるのを防ごうと、アシュレイが名を大仰に叫ぶのが聞こえた。俺はメイスのナプザックが揺れたのと根性でなんとかもう少し顔を出した。アシュレイの後姿が見える。ついでにこれまたでっけえ、悠に横幅一と半リーロルはありそうな見事に育った亡霊黒蜘蛛だ。黒光りする身体にしゃかしゃかと足を四方に動かして、卵のような縦に長い丸みを帯びた頭の輪郭がおぞましく、その中に一対の赤い網膜が見える。ちなみに名前はあれだが幽霊とは関係ない。

 アシュレイが単身、前に飛び出してご丁寧に八本ついた足の一本に刃をたたきつける。継ぎ目にうまく刃をもぐりこませた。関節から薄茶色の液体が地面に流れ出して、アシュレイのふるった白刃が仰々しく光を返した。

 一刀で切り落とされた硬い足が身体から離れた後も地面でびくんびくんとのたうちまわり、辺りの地面にてらてら光る茶色い体液を散らす。確か毒はないはずだが……気持ち悪いことは気持ち悪い。

 それにちょっと目を落としていると、でかい斧だというのにすさまじい速さで振り回すカールの一閃が二本の足を地に落とした。圧縮された風が軋むようにうなる。引退したやつの腕じゃないな、相変わらず。

 その後ろから一歩間違えれば二人を射かねない神業で、立て続けに放たれたリットの矢が、菱形の線が敷き詰められた蜘蛛の無機質な赤い瞳に、一本は刺さり一本は硬い胴体に当たってはじかれた。

 その隙をついて、のけぞる蜘蛛との合間を一気につめたのはライナスだ。変わらずにやたらうれしそうに、どんな屈強な冒険者でも触れることを思えば一度は躊躇する、八本の足を無造作に動かす蜘蛛の胴体へと飛び乗り、やっぱり嬉しそうに立て続けに杖で殴りまくった。……効いてるなあ。いや、こういう甲虫というか、硬い外殻を持っているモンスターには、すぱすぱ切る剣よりライナスのような杖の方が効いたりする。なんでかって言うと、硬い外殻を前にして切れる剣ははじかれるわけだけど、打撃ってのは一見はじいたように見えるが柔らかい内部に結構衝撃を与えるからだ。

「放つぞ!」

 後ろからルーレイの声が響き、アシュレイが「下がれライナス!」と怒鳴ると、猫の子のようなしなやかさで蜘蛛の身体を蹴ってライナスが前を向いたままに着地した。

「こういう胴体が硬い相手は殴りがいがあります」

 うきうきしたライナスの声が紡ぐやばさをかき消すように、後ろからオブラートがかかった大合唱が響き、辺りの空気が揺らめいた。魔力なんかちっともない俺にもひどく大きな力が生まれてそれが押し寄せてくることがどこかで感じ取れる。

 背後から小さな太陽のように飛び出してきた白光は、カッと手前の地面にぶつかり辺りを白く焼く。きつい光が和らいだときには、そこに残っていたのは蜘蛛の切り取られた足数本と焼けつくされえぐられた生々しい大地だ。魔術の総合作用で威力が増したんだな。

 アシュレイは押しのけられもぎ取られた無残な茂みや木々と地面に残った黒い炭をちらり見やり

「まあ、手際はましか。即席にしてはな」

「ルーレイの力だな」

「口ばっかりじゃないのが、奴の厄介さに拍車をかけるのさ」

「だがAランクだ。」

 俺からはよく見える後ろの冒険者たちの顔がほころぶ。ま、確かに数の力は侮れない。だから反面怖くもある。そんな折、ふとメイスのぽつりとこぼされた言葉が耳に残った。

「もし、人間の中の正義で見ないならば、こちら側とあちら側、どちらが、正しいのでしょうね」




 一日目は順調にいった。悲しいことに月模様もあの糸のような三日月が示してたとーり、新月なのでもう元に戻る心配は当分ない。むなしいが。

 しかし集団行動、束縛は仕方ないといっても眠る場所まで指定されんのはどうか。いやどーせ俺はメイスのナプザックの中で、日中もほんと、なにもしてないわけだが……動けないし、しゃべれないし、気が狂いそうだ。こんな生活が何日続くんだろうか……メイスと話がしたいが、どこにいっても人の目があるし、メイスは注目されてるし。うー。

 仕方ないんで木の後ろに隠れて、メイスは心なしかつまらなさそうにぶちぶちと、雑草を食べながら無言だ。

 口元に近づけてぼそぼそくらいならいいかなあ、魔道師なら多少一人でぶつぶつ言っているように見えても変では……と、俺がメイスに持ち出そうか迷ってるうちに、ふと木の陰から、旅のせいですすよごれた白い服をまとった誰かが姿を現した。

 一瞬グレイシアかと見上げたが、違った。白色なのか銀なのか少し判別しがたいマントをまとい、歩きやすく裾を縛った服を着て、緑の瞳に小さなモノクルをかけた一人の女だ。両耳に魔術道具なのかパールの耳飾をさげているが、それ以外には飾り気はまったくない。若く見える。

 見覚えがあるな。……確かトレジャーハント専門で名をあげてる冒険者バードが率いるパーティの魔術担当者だ。名もきいたことあるぞ……ミイトだったか。ミイト・アリーテだ。

 見た感じ、ちょっと物腰が頼りなげだが、名をきいたことがあるぐらいだから、そこそこ名が知れた冒険者の一員だろう。名の知れた冒険者はとてもそうは見えないように、おどおどと近づいて

「あ、あの、白の魔道師さん、少しお邪魔してよろしいですか?」

「……すぐ終わりますか?」

 クローバーを引っこ抜く手を止めて、メイスは一片の愛想もなく言ったが、てっきり「嫌ですー」ですませると思ったので俺はびっくりした。

「え、あ、あ、はい。すぐです。あのですね、白の魔道師さん」

「私、魔道師じゃないのですが」

「え、あ、あ? あ、まだランクじゃないんですか?」

「ええ」

 慌てなきゃしゃべれんのかこの嬢ちゃん、とわてわてと手を振り回すとやけに幼く見える相手にちょっと思うが、その目の色に敬意と畏怖があるところを見ると、メイスの評判を聞いて萎縮しているのだろう。

「あ、ま、まあ、ともかく。そのですね、白の魔道師さん……じゃない魔術士さんにとっては私なんか雑草みたいなものですが」

「雑草は雑草で違った美味があるのですー」

「え? わ? あ、ありがとうございます」

 慌てた後に、ぺこりと頬を赤くして頭をさげるが……多分、あんたを褒めたわけでも慰めたわけでもないだろう。

「と、ともかく全然駄目なんですけど、わ、わたし、魔術にたいする勘だけはちょっとあって、バードさんにそこいらを見込まれて仲間にいれてもらったりしてるんですが、その、こういう状況だとバードさんにも言いにくくて」

「はあ」

 バードっつーのが誰かもわからないだろうメイスは生返事だ。

「そ、それでちょっと相談にきたのですが。その、こう、いろいろありましたが集団になった以上、言いづらいものでして。と、特に私なんかの意見だとほんと、自分でも自信がないくらいですからとてもみなさんには。そ、そのですねえ、この集団には、ほ、ほんとに私のただの勘なんですが……なんだかとても大きな違和感をずっと感じているんです」

「違和感」

「い、異物感、とも言っていいでしょう。あの、奥歯にですねえ、いつでもほうれん草のきれっぱしがひっかかっているような感じで」

「ちゃんと噛み潰さないからそうなるのですよ。――まあ気持ちはわかりますが」

 珍しくメイスが結構まともに誰かと会話してる。……いや明らかにかみ合ってないが。

「なにか、すごい、なにかすごいものが、潜んでる気がするんです。すぐ横に。いえ、ほうれん草のきれっぱしみたいに中に! この中に何かがいる。……ような気がずーっとですね。とてつもない異分子、みたいな。ち、ちっちゃいものじゃないんですよ、感じるのはかすかなんですけど。す、すごくすごいんですけど、それ以上すごく隠してる、みたいな……。な、なんでしょう、ほんと、わからないかもしれませんが」

 感覚的なものを表現しようとしているためだろう。本当に曖昧な言葉……というか感じをわかってもらおうって風になってるが。不意に俺の上からかすかな微笑が漏れた。

「異分子というなら、それは私のことかもしれませんよ?」

 その言葉にぎょっとして、ばれないようにぐるりと回って見上げてみる。メイスは冷ややかに微笑んでいる。しかしミイトはモノクルの縁をちょっといじりながら

「いえ、あなたは違うんです。ちょっと違いますけど、あなたの変化はなんというか、危険とかその怖さを感じないで。い、いえ、ほんと私の感覚なんであれですけど。あ、あなたじゃない何かがいるみたいなんです。あの一昨日の夜に空に真っ黒な穴があいたときに感じた感じで、あれが例えるなら私が引っかかってるほうれん草のきれっぱしの大元のとこっていうか、その、きれっぱしがずっと歯に引っかかって、今もひっかかってて」

「わかりました」

「わ、わかったんですかっ!?」

 説明している方が驚いてどうする、と思ったが、ほうれん草の切れっぱなし連呼では確かに意味がわからない。すると不意にピリ、となにか音がした。なんだ? と思っていたが、モノクルがずれそうな勢いでミイトは身を乗り出してきたので意識から消えた。

「あなたの感覚、なんとなくわかります。私も気をつけておきます」

 その言葉にミイトははあ、と大仰に息をつき

「あ、ありがとうございます。よ、よかったです。思い切ってきてほんと。これでもいろんな人見て、あの、全部の歯を点検するみたいにしてみたんですけど。ほんと、個だと全然わからなくて、で、でもほうれん草は引っかかってて。あ、あなただけが違うって確信もてたんです。これも感覚ですが。ほんと、ちょっと胸の荷がおりました」

 聞いてくださってありがとうございます、と両手を合わせて深々と頭をさげる相手に

「あなた、多分、大きな潜在能力がありますね。どこかで正式に習ったら大魔道師級になるキャパシティがあるんじゃないですか?」

 その言葉にミイトは顔をあげて首をかしげて、そしてある瞬間にきょとんとした顔がひっと弾けてえええ、とのけぞり

「わ、わたしがですか!?」

 反応が二、三拍遅れてる。そこでパシッとまた何かが弾ける音がした。…なんだ? さっきから。胡桃の殻を割るような音が確かに聞こえた。誰か食べているんだろうか。俺の小さな疑問は気にされずメイスが

「ええ。感覚がする、というのはあなたの中にまだ力が眠っている証拠でしょう。それも鋭くて大きなものが」

 その言葉にやっぱり嬢ちゃんはしばらく反応せず、やがてぽーと火にかけたやかんのように頬が染まっていた。

「わ、わたし、そんなこと言われたの初めてです!」

 ……これが未来の大魔道師。メイスの動物的勘は信用するが……。

「わ、わたし、が、がんばってみます! あ、ありがとうございました!!」

 盛大に頭をさげると、未来の大魔道師は慌てて立ち上がり、慌ててきびすを返し、つまづいてそこの木に頭をごつんとさせて、よろよろと去っていった。……。

 俺はもう黙っていられずに

「本当か?」

「ええ。多分、何十年に一人くらいの大きな才能ですよ」

「いや、そうじゃなくて、さっきの異分子がどうのこうの……」

 メイスは一瞬、俺を見下ろした。一瞬、何か言うかと思った。でも開きそうだった口をきゅっと閉じられた後に開いて

「この中で異分子というなら、私以上にその名があてはまる者はいないんですよ」

「だけどさっきのミイトは」

 お前じゃないって、と続けたかったが、誰かの足音が響いて中断させた。すると、今度こそグレイシアが現れた。

「さっき、ミイト・アリーテがこっちから帰ってきたけれど、もしかして話をした?」

「……ええ」

「私も一度話をしてみたいと思ったのに、行き違いね」

 それからグレイシアはまた俺とメイスを見下ろし、それからメイスに微妙な笑顔で

「大丈夫よね」

 と確認するように言った。何が? 俺にはさっぱりわからなかったが、メイスの顔に刻まれた皺がこくなる。皺なんかつくるやつじゃなかったのに。

「そろそろ休んだ方がいいわ。明日も早いし」

「だな。明日も大変そうだし」また話す機会がなくなったなあ、と少し嘆息しながら俺は頷いた。するとグレイシアは何かを思いついたように

「そういえば、さっき、白い鳥を見たのよ。吉兆かしら」

「鳥? こんな夜に?」

「予感はたまに鳥の形をして現れるの。なんの予兆かはちょっとわからないけれど」

 言ってグレイシアも軽く笑って去っていった。一拍してメイスの手が近場のクローバーに伸びてろくに土も払わずに口の中におしこめる。そしてそれ以上、もう一言も口を利かなかった。

 その夜、俺はふと目覚めた。薄暗い中でそばにいるはずのメイスがいない。寝ぼけ眼で見回し、見上げると太く高い木の上に、嘘のようにどうしてか全身からぼんやりとした光を発しているよう、くっきりと浮かび上がるメイスの姿と、その伸ばした両腕の間に輝くような白い鳥が羽ばたいているのが見えた。

 メイスが白い鳥をじっと赤い目で見据えている。それを見てぼーとした頭で、ああ、予感だ、メイスの予感だ、と考えて夢か現かわからないまま、目覚めて朝になって、結局なにもわからないままだった。そしてかすかな余韻を残していた考えを完全に吹き飛ぶようなことが次に起こった。

 昨日のわてわてした片眼鏡の魔術師、ミイト・アリーテが失踪したんだ。



 目覚めたときから騒ぎはそう大きくはなかったが、それは事件の規模故ではなく、おそらくルーレイの手際とバードの良識に寄るものだろう。まだなんも事情を知らずに今日も変わらない進行が始まるのかと思っていた俺たちの前にふらりとアシュレイがやってきた。

 何かを片頬でかみ締めたような左右非対称の顔をしていた。長いつきあいなので何かあったな、とぴんときた。アシュレイは人の目を気にしているのか「ちょっと来てくれ」とだけメイスに言い放ち、連れて行ったさきはこの隊の首脳陣がいる、あの申し訳程度に布を張ったテントだ。

 ルーレイとほか見覚えのある冒険者パーティのリーダーが数人と、丸い目がちょっと童顔に見える、若々しい顔をしたバード・トラバーンがいて、バードが他のメンバーに何かを主張していた。その中にアシュレイがつかつかと切り込むように入っていって、さっと身体を傾け後ろについていたメイスを見せて

「彼女がうちのパーティの魔術師だ。昨日、そちらのミイトと話をしたと言っている」

「バード・トラバーンだ。よろしく」

 ひゅっとバードが一歩つめてまず言った。人好きのする顔をしている。

「……メイス・ラビットです」

「さっそくで悪いんだが、うちのミイトが昨日そちらに言ったそうだが、本当か? モノクルかけてくるくるした赤茶色の髪をしてる。」

 単刀直入ではあったが、バードの口調は落ち着いていたし、言葉も明瞭だった。

「ええ、こられましたよ」

「何か、様子におかしなところはあったか?」

 次にきたのはバードではなくルーレイだった。少し離れたところで取り巻きっぽい連中の中から言った。

「いや、どもったり多少挙動不審なのはいつものことなんだけど」

 ルーレイの口出しを不快に思ったようなこともなく、バードが付け足した。確かに挙動不審といえば不審だった。が、あれが常態とするならば。

「……彼女はこの隊に異物感を感じる、と言っていましたよ」

「異物感?」

「異物、異分子。多分そういうことを言いたかったんでしょう」

「隊に、不満があったと?」

「違います。魔力を持つ者が感じられるわずかな異物感、そう言ったものを言いたかったんですよ」

「さっぱり分からない」

 両の掌を返してルーレイが傍らにいた黒髪の男にそう言った。しかしオーバーリアクションというかわざとらしい奴。

「早い話がこの隊の中に魔力をもった不穏なものが潜んでいるのかただ「在る」のかはしりませんが、まぎれていると、彼女は見抜いていたんですよ」

「不穏なもの、とはどういうことかな?」

 それを聞いた連中が騒ぎ出す一歩前を制して、ルーレイが静かに聴いた。騒ごうと口を開いた連中も、口を上下に動かしてやむなくそれを閉じた。白々しいやり取りがメイスの気に障ったのか顔をしかめて

「どうしていちいち懇切丁寧に言わなければわからないのですか」

「わかんないんじゃなくて、誤解が生じる可能性を少なくするためだよ。」

 バードが穏やかに言って、すまなさそうに目配せした。……ほとんど喋ったことはないが、なかなかいい奴そうだな。メイスも渋々と

「害なす可能性がある、ということですよ」

「馬鹿な。その魔術士は、何を言っているんだ。ここにいる者はみな、身元がはっきりして、すぐにどこの誰のパーティの者か分かるぞ」

 だからあの小娘が姿を消したときもいち早く察せられたんだろう、とやっぱり黒髪が言った。別にお前の手腕ではなく、バードがしっかり仲間に目を配っていたからだと思う。

「かけだし魔術士の杞憂だろ、どうせ。案外、それで被害妄想にかられて逃げちまったんじゃねえのか」

「いや。うちのミイトは小心者で自分の意見もはっきりいえないところがある。自分を信じるのも。それが自分でこちらに相談に行ったってことは、君には多分自信がなさそうに言ったんだろうが、ミイトの中ではかなりはっきりとした確信だったんだ。検討に検討を、慎重に慎重を重ねた末の」

「だからってあのくりくり頭が未熟なのは有名だぜ」

「ミイトは未熟なところもあるが、無能じゃない」

「待て」

 つとそれまで腕を組んで黙っていたアシュレイが声をはさんだ。そして集まる視線をひきつけて、こっちを――メイスを見た。

「さっき言ったな。不穏なものが潜んでいると――見抜いていた、って」

 声を強めた最後の一言はなかなか効果的だった。

「あんたの意見も、ミイト・アリーテと同じなんだな?」

「ええ。暗闇に出没した「私たちだけ」を正確に第四層まで運んだあの塊。あの時、とても近くで――いえ、内部で力が動いたのを感じました。巧妙におそらく自らを隠していますが、彼女には察せられたんでしょう、本能で。あの人、別に他の魔術士と比べて未熟というわけではありませんよ。未熟に見えたとしたら他の魔術士が制御すべき力と比べて持っている魔力が相当多いんですよ」

「それ、ミイトに言ったのか」

「ええ」

「……なるほど、どうりで興奮していると思った」

「一笑にふすわけにはいかない、数は隠れ蓑にもなるからな。腹中の虫か。痛いところだな、ルーレイ」

「分かった。真偽はともかく、手は講じよう。かわりにこのことは他言無用だ」

「情報統制か、まったくもってらしい、な。他言無用にしてどうやって他の連中に注意を喚起するんだ?」

 アシュレイが凶暴に口元を歪めて言ったが、ルーレイは静かに 「必要はない。こちらで調査を」

「必要ない? 危険と隣り合わせのこの状況で? 仲間が一人消えてるんだぞ」

「疑心暗鬼、未知のものへの恐怖こそが、人にとって最大の危険だということだ」

「そうして何かあった時、危険を知らなかった誰か「少数」が犠牲になるっていうのか。危険をつかみながら、何も知らせなかった上を少数やその周りはどう思うだろうな? そこで終止符だぞ、ルーレイ」

「そうはならんさ」

 確かにそうはならない方法はある。――知らなかった、だ。

 アシュレイもそれがわかったのか喉奥でハッと声を出し、

「ルーレイ、俺がお前を気に入らないのはお前が小山の大将だからでもなんでもない。気にくわないのは、お前が、従えというわりに相手をこれっぽっちも信頼しないことだ。自分以外はみんな馬鹿だと思っているところさ。軍隊なら将をはれても、冒険者パーティのリーダーなら失格だな。俺も、バードも、仲間を信頼している。じゃなきゃやってられねえ」

「それが集団としては落とし穴となる」

「さて、どっちが落とし穴かな。落ちてみるまでわからない。サル以下だ」

 冷然と言った後、アシュレイはわずかに目元を緩めて、バードの方を向いた。

「悪いな、遠回りした。ミイト・アリーテの件だが。こっちに聞かせる意味でも、もう一度説明頼む」

「ああ。ミイトが帰ってきたのはもう夜中だ。メイスさんのところに行ったときすでに夜だったからな。ちょっと興奮して俺が迂闊に声をかけたもんだから、雷を一発かました」

「雷?」

「感情が高まったり、突発的出来事にあうと魔力がもれてそれが雷撃って形の発露をとるんだ。産声あげたときからぱりぱりしてたっていうから筋金入りだ。下手に刺激すると、空気中にばちばち雷撃放つんだ。その方面で有名なわけだけど……」

 ……そういや俺が聞いたのも雷がなんとかいう二つ名だったような気がする……。そこで俺はパシッだのピリッだの昨夜二度ほど聞いた奇妙な音をふっと思い出した。……もしかしてあれは電撃の音だったのか? 言われて見ればそういう音だった気がする。

「とにかくそれで自分で雷撃をうけてしばらく痺れていたわけだけど、その後、復活してもう寝とけ、って言ったんだ。するとちょっとすることがあるからその後から寝る、って言われて俺はそのまま別れて。……それで今朝にいたるまでいっさい目撃されていない。自分の意思でどこかに行くときは必ず誰かに伝言を頼むか置手紙を残していく奴だ。リーダーとしての立場から何かあったとしか考えられない」

「モンスターに殺された可能性は?」

 メイスの口調があまりにあっさりしていたので、俺もぎょっとしたが聞いていた連中も全員大小驚いてこっちを見てきた。さすがにバードの顔が曇ったが、自分を御したように

「その可能性は薄いんだ」

「なぜですか?」

「なんか専門家ってみなされててうちも参加したんだが、昨日から俺たちが泊まる範囲から十から十五リーロルほどでトラップを仕掛けておいた。トラップって言っても、殺傷能力はないし馬鹿みたいに簡単なものだけど、枝や幹に透明な糸を張り巡らして鈴をつける。見てきたが、糸はどこも切れていなかったし、昨夜は誰も鈴の音は聞いていない。これがドラゴンサークル以外なら飛空モンスターの線を疑えるんだが、ドラゴンサークルは」

「竜以外の飛空モンスターは存在しない。なるほど。全く可能性はないとは言い切れませんが、その線は薄くなりましたね」

「さっきまで面つき合わせて話していたときは、有力な仮説がなかったんだが、ひとつ出てきたな。あの晩、寝る前にミイト・アリーテがしたかったこと」

 ミイトは本当は確信していた事柄があり、それを確かめにメイスのところに来た。自分と違って周りの定評がある魔術士の確約を得て、ついでに褒めてもらって興奮していた。……まあもしかして蓋を開けたら寝る前にトイレに行っていました、とかいうオチがあるかもしれんが、人間心理としては。

「――探ろうと、したんじゃないか。その異分子を」

 そうして姿を消したとすれば。

 共通の答えがのしかかった瞬間、重苦しい空気が速やかに流れた。俺も昨日現れた赤茶けた髪のあわてんぼう姉ちゃんの姿を思い出して心中穏やかではいられなかった。

「そして異分子にかどかわされた。こう仮定するなら、異分子は意志を持つ者になりますね」

 やっぱりメイスが口にする。俺はまあ、この無神経さが仕方ないと割り切れるだけのメイスへの知識はあるが。アシュレイがさすがに戸惑い顔でバードに目をやったが、バードは表情は冴えないがいいんだ、と首を横に振った。

「時刻が迫っている」

 口を開いたのはルーレイだった。

「なんの?」

「出発だ。長引けば不審がられる。バード、君のパーティーはどうする?」

 その言葉にアシュレイの目元に険が走った。ゆらりと炎が揺らめくように、気配が動く。触れちゃいけない男の逆鱗にばんばん触れているようだが。ルーレイのやり口やもっていきようが我慢ならないのは、つとめて冷静になろうと見ていた俺も全く同じだった。

 バードは力なく肩をすくめ

「悪いけど、抜けるよ。ここでしばらくあいつを探してみる。それであんたたちの帰りを待ってるよ」

「容疑者引き連れてる今じゃ、隊にいるのかいないのかどちらが安全かわかったもんじゃないしな」

 そう嫌味たっぷりにアシュレイが言って、バードの腕を引きメイスに戻るぞといってきびすを返した。たれ下がっている幕を払いのけて、アシュレイはしばらく歩いてやがて幹を盛大に蹴っ飛ばし、威力を物語るように幹がしなって上についた葉を鳴らした。ひらり、ひらり、と何枚か青々とした葉を落としてくる。そこでアシュレイはついに声を跳ね上げて

「だから群れなんか糞くらえだ! 切り捨てることばかり考えやがる」

「じゃあ、あんたは進まないのか? アシュレイ」

 ふとバードが冷静に言った。その言葉にアシュレイはそっぽを向いて、向いてそれから少し俯き苦く言った。「進むさ」

「言うと思ったよ」

 バードがにこっと笑った。笑うと本当に人好きがする顔になる。アシュレイは苦いそれのまま

「軽蔑した、か?」

「安心したのさ。俺はあんたを、人のために人のやりたくないことができる奴だと思ってたし、それで正しい判断も下せる奴だとも思ってた。俺の人を見る目ばっちりだ。だからみんな、ルーレイよりあんたを選ぶのさ。ま、こっちのことは気にするな。これでもリーダー長年やってるし、頼りになる魔法使いがひとり欠けてるが他のメンバーの面倒見るくらいの器量はあるし。迷子捜しながら俺たちはのんびり待ってればいいだけだしな」

 言葉を交わすアシュレイとバードをちょっと遠目に見ながら、ナプザックを抱えて俺に口元を寄せてメイスがぽそっと呟いた。「ずいぶん、楽天的な方ですね」

「ああ見えても、あいつ、相当心配してるぞ。」

 俺も声をひそめてメイスに先ほどのあの無神経さを指摘しようかと少し思ったけど、今は危険なのでやめておいた。するとメイスはひょいとナプザックを、口元にのぞく俺にとりあえず外の様子が見えるよう斜めに肩にかけた後、二人にすたすたと近づいていって、そしてやにわ、アシュレイをにらむように眺めた。

「なにか、私に言うことはないんですか?」

 単刀直入に言われてアシュレイはは? と首をかしげてみた。「あなたが、私に言うことです」

「突然連れてきて、悪かったってことか?」

「違います。あなたはそれ以外、私に言うことを思いつかないのですか?」

 メイスは手厳しく尋ねたが、アシュレイは黙ったままだった。……言うこと? 俺も首をかしげている横で、メイスはしばしアシュレイをにらんでいたが、やがてふうとうつむいて息をついた。そして顔をあげたとき、敵意のようなさっきの態度は消えていた。……どーしたんだ。

「出発まで少し間がありますよね。この大所帯ですから」

 いきなりそんなことを言われたので、目を瞬かせる二人に

「可能性はそう高くもないと思いますが、念のため、ミイトさん…ですか、彼女が消えた場所を一度見せていただけませんか?」

「あ、ああ」

 さっきの冷淡な(冷たいわけじゃないんだが)態度からそんな発言が出ようとは思っていなかったのか、バードは少し意外そうにしたがうなずいた。アシュレイもいささか躊躇って

「何か、心当たりがあるのか?」

「ないことも」

 素っ気無くメイスが答える。……魔力で感じられる手がかりでもあるんだろーか。メイスの意図がわからずに俺が考えたのはその程度のことだが、バードやアシュレイも似たようなことを考えたのか、茂みをまたぎ木の枝をくぐって何人かのパーティに出くわしながらも、昨日野営した場所に案内すると剣士らしい茶色い髪に丸鼻をした男が切り株に腰掛けていて顔をあげた。少し疲れた顔をしている。

「あ、バード、どうだった?」

 尋ねて、それからアシュレイとメイスの姿に気づいて首をかしげる。バードは男に向かってなんでもない、という風にうなずいてみせて

「やっぱり、いなかったか」

「ああ」

 疲労の原因はこれだろうな、という声を紡いだ後、やっぱり気になるようにアシュレイとメイスを見た。

「他の奴らも集めてくれないか。ちょっと話がある」

「ああ」

 鷲鼻の男は、答えて腰をあげ、やっぱり気になるようにもう一度、遠慮も呵責もなくアシュレイとメイスをまじまじと見る。……臆面もない、というか素直な奴だな、なんか。素直な相手は、色々興味深そうに見たがやはり素直に言われたとおり、おそらく四方に散らばってまだミイトを探しているのだろう仲間を集めるために茂みの奥へと姿を消した。

「ここだ。……とはいってもこの付近、というだけだが」

「結構です。」

 メイスは素っ気無く呟いて少し離れた木の幹に、俺の入ったナプザックを外しながら近寄ってその木の根元に俺ごとナプザックを置いた。アシュレイとバードは注目していたが、多少離れているところなので、俺は小声で「メイス、なにする気だ?」

 するとメイスは一瞬動きを止めて俺を見た。妙に、冷めた目をしているな、という気がした。

「あの人はね、レザーさん。色々と最悪ですが、人殺しだけはしないんですよ」

 は?

 意味が分からないことを呟くと呟いたっきり、メイスは俺をそこに置いたまま立ち上がり、きびすを返してアシュレイたちのところへと言った。あの人……?

 俺が疑問符を掲げる合間も、メイスがアシュレイたちの一リーロルほど手前で立ち止まり、横を向いて手を広げる。その手元に青白い光がぼんやりと灯り、一瞬遮断されてまた灯った。

 そんな風に数度瞬きを繰り返すと、光が最初のぼやけたそれとは比べ物にはならないほど強く目を焼くようになった。メイスの口元がかすかに動いている。何かを唱えている。そして。

 実に奇妙な光景が目の前に広がった。ふわっとどこからか風が吹き付けたと思った瞬間に、メイスの目の前の空間が……波立った。空中に波もくそもないが、確かにそれは波立ちだった。波紋のようにある一転を中心に、くわくわと広がる透明な波が見える。ゆいーんと高らかな音がする。

 俺に手があったら思わず目をこするような光景は、俺だけにではなくアシュレイとバードにもしっかり見えているようで、ぎょっとした顔が広がっている。もはやメイスの前だけじゃない。俺の近くも、アシュレイたちの近くにも、ゆいーんという高くてけれど柔らかい不思議な音と共に波紋が広がり、空間が波立つ。ゆいーん、ゆいーん。

 ……。

 やがてふとメイスが目を開いた。赤い瞳が導かれるようにある一点を見つめ、そうしてメイスは視線を向けた方へと歩いていった。メイスが立っていたところから数リーロルほど離れた、なんの変哲もない一本の木の前だ。

 そうしてメイスはしゃがみこんで空間をつついた。つついたところから波立つ。メイスがまた口を開いて小さく動かした。左手に今度はオレンジ色の光がともった。燃えるような色だった。それに包まれた白い手を無造作にメイスは空間に近づけると、ずぼっというようにメイスの手が「消えた。」

「なっ……!?」

 アシュレイの声が聞こえるが、俺はメイスから目が離せない。目の錯覚ではない。白い指先が確かになくなっている。それもちぎれたとか切られたとかそういうのではなく、ふっと隠れてしまったように……透明な袋に入れてしまったようにただそこにはない。

 メイスは気にした様子もなく肘を曲げて手を動かしているようだ。あったならば。メイスの手が消えた空間から波紋が狭い間隔で幾重に広がる。もう、あの音は聞こえない。そうして突然に、ばりっとメイスが何かを剥がした。

 ……いや、正確に言おうとしても、何かを、としか言いようがないんだが。

 あえて言うなら波立っていた透明な空間だろうか。それをメイスが剥がして、さっきは消えていたメイスの手が現れた。現れて、剥がれたそこから緑と青を混ぜたようなよく分からないものが回り蠢くぞっとするような妙なものが見えた。

 メイスがそのよくわからないところへと再び手を突っ込んで、引き出したとき、その小さな手には何かを握っていた。くたりと垂れた手首だった。手首だけだった。その先はやはり空間にかき消されて何もない。

 今まで全く動じずに淡々と動いていたメイスが、やはり静かに立ち上がり両手を添えその手首を体重をかけて引っ張る。

 ずるり、と倒れこむように出てきたもので最初に目に付いたのが、赤茶色の髪の毛。そうして元の色が白か銀なのか判断がつかない灰色のローブ。耳の端にモノクルの止め具が引っかかっているのが見える。

 ひっ、と誰かが息を呑む音がした。おそらく、バードだろう。だがそちらに目をやる余裕なんかない。俺は息を飲んでメイスの手元をただ凝視していた。

 メイスがよくわからない場所に手を突っ込んだ。

 そしてよく分からない場所から引き出してきたものは。

 失踪したミイト・アリーテの上半身だった。




 出てきたのはミイト・アリーテ、全部ではない。上半身だけだ。最初は手首だけだったのが、うつぶせの形の上半身まで見えているが、下半身は依然としてかき消されて何もない。全くにシュールだ。悪夢みてえ。

 その手首を捕まえているメイスが、少し息を弾ませてアシュレイとバードを見やった。俺も視線をつられて見やると、バードが蒼白になり、アシュレイはさすがに驚いた顔で、けれどまだ声は届く余裕を残してみていた。

「手伝ってくださいませんか? 気絶した人間の身体は重いのですよ」

 すぐに動いたのはアシュレイだ。メイスのそばへと迷いなく寄っていき、さすがに半分だけ現れているミイト・アリーテを間近で見下ろしたときは眉をしかめたが、出した声は冷静で

「これは、このまま引っ張っていいのか?」

「ええ。別に、無事ですもの」

 それでアシュレイがかがんで脇の下に手を入れると、一気に斜め上に引きずりあげた。ずるりと残りの身体が出てきて、最後に旅用の丈夫な革靴が現れた。全部出てきたわけだ。

 そこまで引き上げてもたれかかってきた身体の重みに、そう上背があるわけではないアシュレイが反動で少し後ろに下がる。メイスの方は引っ張り出したミイトにはほとんど興味がないように、とっとと剥がした空間に向き直りなにやら作業してそして唇でやはり何かを唱えた。すると、辺りの空間も波打つことはやめて、なんにもない空間へと戻った。……

 ミイトを抱きかかえたアシュレイは手の脈をとり、まだ硬直しているバードに「生きてる」と投げかけると、それが岩になった相手を解き放つ呪文でもあったように、転げそうな勢いでバードが駆けてきた。

「ミイト!」

 アシュレイから受け取って揺さぶりかけて、そしてメイスの方を見やりここだけは奇妙に冷静に

「揺さぶっても大丈夫か?」

「平気ですよ。してるとしたら、空間酔いくらいでしょう」

「空間?」

 慌てて揺さぶったり頬を叩いて呼びかけているバードを尻目にアシュレイが訝しげに眉を寄せた。

「異空間に隠してあったのですよ、その人。その人が姿を消して、もし生きている可能性があるなら、身体をどこに隠したのかな、と考えて現実的な隠し場所は異空間が一番手っ取り早いと思いましてね」

「現実的な隠し場所、ねえ」

 さすがに呆れたようにアシュレイが言ったが、その先でやたら揺さぶられているミイト・アリーテが声をあげたので中断になった。

「ミイト!」

 耳に下げた雫型のイヤリングがそりゃ盛大に振れるほど揺さぶられて、ミイト・アリーテは掠れた呻き声を出してその後、「ゆ、揺さぶらないで……」と案外はっきりとした声をあげた。

 そしてはっと顔をあげるなり、バードの手を振り払い茂みに向かってうずくまる。しばし嘔吐の際にでる引きつれた声がその場を満たした。一連の行動に一瞬バードは止まったものの、すぐに事態を了解して歩み寄りかがんで丸めた背をさすってやってる。

「おーい、だいじょーぶかー」

 バードは目覚めたミイトの動きから結構平気そうだと悟ったんだろう、急に気が抜けたような、能天気そうな声に戻っている。吐けるだけ吐いたのか背を向けたミイトははひ、と答えてハンカチで口元をぬぐいながら立ち上がり、大変立つ瀬がなさそうに青ざめた顔をこちらに向けた。動きを見る限り、確かに結構元気そうだ。

「た、大変な醜態をさらしてしまい……す、すいません、に、に匂いますか? す、すみません、す、すぐ埋めるんでっ!」

「いや埋めなくていいから。」

 たぶんこのあたふたぶりなんぞ知らなかったんだろうアシュレイが、さらに呆れたような顔になった。

「気分が悪い以外に怪我はないか?」

「は、はい。わ、わたしすぐ酔ってしまう体質なんでこんなことは慣れっこで馬車旅ではいつもげーげーとそれはもう同乗者の方の大切な旅を不愉快の一色に染めてたまに御者の人に放り出されたり」

 勢いがついたように言い出すミイトに、ぽんと横から手が伸びて頭におかれた。ぴたりとミイトがとまる。

「はい、おちつこう」

「は、はい」

 さすがリーダー。メンバーの扱いには慣れている。

「ミイト、なんで気分が悪いか考えてみ?」

 基本的にバードの言うことは慌てることなく素直に受けるのか、ミイトはバードの広げた手を頭に帽子のようにかぶったまま、えーとと呟きながら少し考えた後、こくりとうなずき

「は、はい。覚えています。な、なにか上下がない世界にいってしまってぐるぐると目が回ってダウンしていたんです」

「よし、じゃあ次はなんで異空間なんかに行ったか、だ」

 その言葉にミイトは再びうつむいて考え始めた。しかし今度は簡単には記憶の糸をつかめなかったようで、目に見えてミイトは苦しみ始めた。そして必死に頭を絞っているうちに気分の悪さが舞い戻ってきてしまったのか、青い顔で失礼と言ってさっきの茂みに駆けて行った。バードも手馴れた様子でついていってはいはいと背を撫でている。なんか兄弟みたいな二人だ。

 バードが肩越しに振り向いて

「すまん。どうも、覚えてないみたいだ」

「だな」

 アシュレイが気がなく答えると、あ! と誰かが声をあげた。見やると、アシュレイの後方からさっきの鷲鼻の兄ちゃんと一人の女がいた。多分、探しに行った冒険者仲間だろう。

「ミイト出てきたんだ!」

「どこ行ってたのよ! 探しまくったわ。またそこいらでしびれてるのかと…」

 わいわい言いながら囲み、肩を叩いたり野次を投げたりしながらも、みな嬉しそうだった。仲間っていいなあ、としみじみと思う。その中に囲まれた――おそらく失踪の記憶がないので、実感もないんだろうミイトはぽかんとしていたが、やがて事態を把握してみるみる瞳に涙がたまっていく。……仲間っていいなあ。

 その姿を遠巻きに眺めながら、アシュレイはバードにだけ目配せをするとメイスについてくるように目をやり離脱した。しばし言葉もなくアシュレイとメイス(+俺)は歩いていたが、やがてアシュレイが歩きながら

「今のは、ルーレイに報告すべきか?」

「感情を排除して考えてみたらどうですか?」

 その言葉はなかなかのパンチを持ってたみたいだ。事件が終わったあとは個人的な会話になるだろう。俺はそわそわし始めた。仲間たちの個人的なことへの盗み聞きは極力したくない。しかし耳をふさごうにもふさげない身だ。アシュレイが苦笑して

「さっきも驚いたが、頭がいいな。あんな場でえらく冷静なものの見方ができる。最後の方はルーレイも全くあんたの年だの外見だの気にしなくなってたぜ」

 ま、魔術士ってのは半ばエリート集団だがさ、とアシュレイの不思議なところは普通の言葉が皮肉めいて聞こえるときもあるのに、どう考えても皮肉な言葉が皮肉に聞こえないときもあるところだろうか。いや、聞いちゃいけないんだが…。特に誰かと一対一だと思っているときは、人間は色々な面を見せるもんだから、本当に。

 ……

「レザーが相棒に選んだ理由も分かる」

「……レザーさんには、選択肢がなかったんですよ」

「あるさ。たとえ本人がどういっててもあいつにはある。いや、誰にでもある。だから責任なんてものが存在するんだろう。自由には責任が必要なように、責任には自由が絶対につくのさ。あんたはなかなか口達者だが、誰かに向けた「仕方がない」が言い訳以外に使われる例を知っているか? ――だから、俺も責任がある。ルーレイのところに行くさ」

「どうして、言わないんですか?」

 つとそれまでなるべく会話には無関心でいるように、感情が入るのも出るのもシャットアウトしていた俺をも、引っかかせる声の響きでメイスが言った。

「なにを?」

「あの人たちは、あなたの確約があると思って、私に疑いの目を向けませんでしたけど。あなたは私が得体の知れない相手だと知っている。おまけに魔術士です。それも疑われそうな評判を持っている。そして最後にミイトさんと話したのは私。その内容も誰に証明してもらったのではない。本当のところ、私とあの人がどんな内容の話をしていたのかなんて、誰も分かったものじゃないんです。彼らがその矛盾をつかない点はただあなたの仲間であるから、というだけですが、あなたは本当は仲間じゃないことを知っているのに。誰が異分子である? 害をなそうとしている? どう考えたって、そんなの私じゃないですか。私以外いないじゃないですか。どうしてあなたはそういわないんです? 私は、異分子です」

 ……メイスの紡いだ言葉は、いささか切羽詰ったものを感じさせた。俺は、ミイトとの話を聞いていた。メイスと一緒にいた。もちろん、メイスがさっき言ったようにミイトとの会話で嘘をついたこともなければ、事件になんの関係もないこともはっきりと分かってる。……なのにどうしてこんなことを言うんだ?

 アシュレイは驚いた様子も見せずにただじっと目を向けてきた。真剣な光がともっている。

「あんたは異分子じゃない。レザーと俺たちの仲間だ」

 言ってそれからぽそりと付け足した。「少なくとも、俺は、そう思う。」

「私の仲間は別にいます」

「カテゴリーは、仲間じゃないぞ」

 その言葉にメイスは思わぬほど傷ついた様子を見せた。……傷ついた? 俺は自問自答したが、それでも確かにメイスは傷ついているように見えた。そうして顔を伏せてアシュレイから離れるように去っていく。少し険しい顔でアシュレイがこっちを見ているのが、俺の入っているナプザックからはよく見えた。きびすを返し際に囁いたメイスの小さな声は、アシュレイには聞き取りにくくとも、俺にははっきりと聞こえた。

「あなた方が、そんなことを言ったってなんの説得力もないんです」

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