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ドラゴンの森で(7)


 人から離れて夜の森のしじまに身を沈めると、いつも心が落ち着いた。落ち着いて物事を考えることができた。グレイシア・ロズワース、薄い紅色の髪をした彼女は、木の幹をそっとさけて、道もない山中をしっかりとした足裁きで一人歩いていた。

 気の置けない仲間たちにも、彼女の外見から動揺を見出すことは難しい、と言われる。けれど彼女自身は、自分の中の動揺を見つけることは難しくはないと思っている。

 突発的な出来事にもあまり取り乱す様子を見せないので、人にはたいそう落ち着いている、と思われることが多いのだが、内心は他人に思われるほど落ち着いているわけではないのだ。ただそう、外見に出すのが下手であるのだろう、そう落ち着いていつも思う。

 けれど、今、彼女の心は落ち着きはらっていた。たったひとつの事実を掲げると、ほっとした気持ちが胸に広がってくる。かすかな嬉しさと共に胸の中でもう一度復唱した。

 あの人は変わらない。

 どこまでも、なにがあっても、あの魂は鋼が曲がっても鋼であることをやめぬように、変わらない。不変を尊ぶことは時に危険だが、それでも純粋に嬉しさだけが残っていた。落ち着こう、と浮かれ始めた心を制するためにその場に足を止めてみて、理性の方向に頭を使うことを試みた。

 すると自然と先ほどの会話に出た魔術のことが浮かんでくる。

 少女が抱えて現れたときから、察知はしていたしそれとなく探ってもみていたので、驚愕のかわりに冷静な目を向けられるようにはすでになっていたが、間近で感じても、奇妙な魔法だと思う。

 法則も何もかもが大幅にアレンジして大胆な転換をなして、その結果半ばオリジナルになっているほどややこしく癖が強い。力技にもみえるが、魔力を覆うベールの編み目は気が遠くなるほど繊細で、慣れ親しんだ相手の気でなければ即座に気づけるものではない。

 その紡ぎ手を、先ほどの会話の半ばから考え続けていたが、思い当たる名はどの神殿にも学院にも存在しない。どれだけ記憶を掘り返しても、見つかりそうにないと思えた。あれほどの力を操る者が人に認知されず野に放たれているのか。グレイシア・ロズワースは、そこで立ち止まり、世界の広さを感じたように、ふう、とため息を吐いて探るのを一旦諦めた。

 空を見上げると木々の切れ目から先ほどまでは厚い雲に覆われていた、空にひっかかるような形をした細い三日月がのぞいている。それをなんとはなしに見あげて、のどに引っかかっている名をこぼした。

「コル、ネリアス……」

 呟きが終わるか終わらないの後に、彼女の眼前をさっと黒いものがよぎってすべての面を覆いつくした。心臓が跳ねる暇もなく。そしてもちろん、声をあげる間もなかった。



 茂みにこっそりと潜んでいた俺の耳に、小さな悲鳴が飛び込んできた。グレイシアのものだ。文字通り転がりだした瞬間に、ぐるりと回って首の後ろを草がくすぐり、そのままひとつ回転する勢いで踏み出した両足をつき俺は立っていた。

 いつの間にか、月がでていたらしい。もう新月だと思ったんだが、目測を誤ったようだ。

 慌てて立ち上がり、駆け出す。駆ける合間に剣を抜き、茂みを飛び越えた瞬間、一本の木を背にしてグレイシアが杖を前に呪文を唱えている姿が目に飛びこんできた。

 それを囲むのは一見では判別しがたいほど夜に溶け込んだワーウルフの一団だった。戦慄を味わうと同時に、すさまじい敏捷さでこちらに身を返した一匹に剣を振り下ろす。生々しい手ごたえの後、ワーウルフは地面に倒れて血を流して、そしてふっと何も残さずに消えた。間違いなく幻術だ。

 ワーウルフの二、三匹がこちらに向かってうーと低く威嚇する。それらをにらみつけて高い位置から吼えた。「どけっ!」

 獣に張り合うなよ、とのツッコミはきそうだが、こいつらの戦いは結構気迫勝負にかかっている。その一喝で、グレイシアの方を向いていたワーウルフもこっちにひきつけた。とりあえずは、よし。次の問題はワーウルフ五、六体を一度にどうやって相手するかだが……考えている暇がなかった。

 飛びかかってきた奴の鼻面に剣をたたきつけ、その後ろに隠れるようにしていたもう一体の柔らかい腹を蹴り上げる。一応木を背後にしているため、四方からの襲撃は免れている。横から生まれた気配に一匹剣先にひっかけたまま、そっちにぶん回した。重い。が、クリーンヒット。ワーウルフがワーウルフにぶつかって派手に地面に叩きつけられる。

 幻術というのは結局騙しの術なので、自分のイメージが反映されて実体になりそれと戦わされるような術だ。さっきのは幻術ならではの、俺の予想を反映したからこそできる戦いでもある。実体のワーウルフをぶっ飛ばすなんて腕力は人間にはない。

 ひとつ息を吐いて見下ろすと、もうすでにワーウルフの数は次々に消えて、残った一匹、俺が鼻面を切りつけた奴だけが地面にぐったりと身体を投げ出していた。

 しゃっと突然、気配が振ってくる、と思ったら、すぐ手前にメイスが軽やかに着地した。メイスが俺を見て何か口を開きかけたが

「レザー、助かったわ」

 かけられたグレイシアの声にかきけされたよう、メイスは口を噤み、そして少し目を見開いて怪訝そうにグレイシアを見やった。

「この人……?」

「気を使わなくて大丈夫よ。この人から、事情は聞かせてもらったわ」

 グレイシアが微笑みかけたが、メイスは笑わなかった。笑わずに一度だけ俺を見て強く顔をしかめた。

「ワーウルフが襲ってきたの?」

「ええ。あの騒ぎが聞こえ――ないのでしたね。あなた方は」

 あなた方、にいやに強いアクセントが置かれていたのは俺の気のせいではないだろう。

「負傷者が出てそうね。私は先に行くわ」

 グレイシアがきびすを返し、茂みの影がかかるこの中に白い裾がひらりと揺れる。一瞬、メイスに視線を移し、なぜかぎくりとした。

 少なくともそこにいたのは、俺が今まで知っているメイスではなかった。今までは漠然とした「何かがおかしい」が急速に強い疑惑に変わって、怖いような真実味を覚えさせた。

「メイス、どうした?」

 近づいて腕をつかんだ。何か取り返しのつかないことに遭遇してしまったような妙な焦りがわいてくる。

「別に、どうも。それより、結構本格的に襲ってきていますよ、あの狼たち。あの混乱ならレザーさんが紛れていても気づかれないでしょうし」

「メイス。」

「話をしている時間も惜しいでしょう。いきましょう」

「メイス、こっちを向け」

 背後を気にするようなそぶりで、けれど俺から顔を背けていたのだろう、メイスがようやくこっちを向いた。

「お前がいやなら、本当にいいんだ。エフラファまできてくれただけで感謝している。あれは俺の仲間で俺の事情だ。お前には関係ないんだから」

 だから無理に背負わなくていい、と続けようとしたが、その前にメイスの白い頬に怒りの炎が燃え上がった気がした。

「だから私の事情も、あなたには関係ないと言っているでしょう!」

 振り払った腕で制するように手を突き出して

「触らないでください。私は、人間が嫌いなのですから」

 振り払われた手を引っ込ませることも考えがつかなかった。それくらい俺は強いショックを受けていた。

「俺も嫌いか?」

「ええ。あなたが人間であるなら」

 メイスがきびすを返してひゅっと膝を曲げたかと思うと、夜の梢にその姿は消えていた。俺は一瞬立ち尽くして、あわてて駆け出した。

 多くの冒険者が集まっていたルーレイの野営地がある、平原と森との境目に急ぐとすぐにワーウルフのうなり声や冒険者同士の声の掛け合いや怒声が聞こえてきた。

 誰かが自棄を起こして地面に投じたのか、松明がだいぶ大きくなっている。しかしあいにくワーウルフは火にはおびえない。そして、これだけ明かりが大きくなっていれば、ここにいることがばれるわけにはいかない俺にとって、のこのこ飛び出してはいけない。

 だが不意の奇襲にしては各自なかなかうまくやっているようだ。剣士や格闘系に前を固めさせ、魔法、法術使いが後ろで呪文を唱えている。成功した魔法があちこちで炸裂する音がした。

 ちょっと見ただけでこの戦況の功労者はルーレイ率いる連中だとわかる。なるほど、荒くれ曲者冒険者をよくまとめたもんだ。これは誇っていい。

 薄闇に松明が照らして浮かび上がらせる混戦模様に、俺は俺の仲間たちを探す。その速さだけですぐにアシュレイを見つけた。あんな身のこなしができる奴はこれだけの冒険者がいてもあいつぐらいのものだろう。

 ライナス、リット、カールも以前見たときよりも一段、二段も腕を磨いた様子でそれぞれ敵にあたっている。カールの巨体の後ろで俺より一足早くたどり着いたグレイシアが数人のぐったりした相手にかがみこんでいる。

 安定した状況を目にして、俺が自身が出て行けないもどかしさを抱えながらもほっとした瞬間。森に巨大な咆哮が響き渡った。

 平原方面から寄せる黒い毛皮が、夜の海の荒々しい波のような幻影を伴って、手近な茂みから次々に飛び出してくる。

 不意をつかれた形で誰もがぎょっとその方向を見やった。その隙をついて今いるワーウルフが地面を蹴り、冒険者たちの――

 ほとんど無意識に飛び出していた俺の眼前に、たっと白い残像が舞う。メイスだ。

 水面に着地しても波紋すらほとんど生まれないんじゃないか、と思うほど静かに軽やかに着地してまた膝を曲げ、木々の茂みから降ってきたメイスがひとっとびでリットとライナスの後ろ、カールの横に着地した。

 すでに唱えていたのだろう、手が青く光り、さっと振るとそれは雫のように震えて夜に散り、そして驚愕のうめきと共にあたりの狼たちが全員空に浮いた。

 数十匹だ。さすがに辛そうにメイスが顔をしかめて、おしよせる狼たちにさっと手を振ると、空に浮いた狼が投げ出されるように放られて、仲間たちに激突する。その脇から動じずに飛び出してくる狼が再び空に浮くが、メイス一人で相手をするには文字通り、荷が重い。

 一度立ち止まった足を踏み込ませる。ばれるとかばれないとか、そういう状況じゃない。ぐっと膝に体重をかけて茂みから俺が完全に飛び出した瞬間だった。

 誰かが声をあげた。無意識に横目で走らせると、グレイシアだった。グレイシアが狼が飛び込んでくる場所とは違う一点を指し示している。

 その空の端、何もない虚空が熱せられた空気のようにぶれて、次の瞬間、夜の中にさらに濃い闇を含んだ直系数リーロルほどの巨大な穴が出現した。

 なんだあれ? 正体は全く予想の範囲外にあったが、ぞくぞくと嫌な予感に包まれて危険を知らせる声を無意識に放とうとした。けれど喉を開きかけた瞬間に、先を制するとばかりにそれが吸い込まれるような自然さと速さで地面に衝突した。

 そしてあの時とは煙の色が正反対だが、ウォーターシップダウンのあの会場で凄まじいボリュームで土鍋が煙を吐き出した時とよく似ている、爆発的な広がり方で息を呑む暇もなくぶわっと風が寄せる。闇と共に。

 そしてすべてに同じ闇が落ちた。



 自分を揺らす感覚に目覚めると、顔のもの凄い間近に厚い皮製の布地が見えた。そして細々とした着替えや折りたたまれたナイフの柄がもぐったりもぐりこまれたり。見慣れた光景だ。メイスのナプザックの中だ。それが頭の中にひらめいた瞬間、一気に俺は覚醒した。

 ほかに何か見えるものはないかと、必死に目をこらしてみるが、ちょうどメイスの背後なので俺には白々とした光りに照らされる木々や茂みしか見えない。

 俺の視界には誰もいないが、メイスの真正面――俺にとっては背後に複数の気配を感じてた。そのため声を出すわけにはいかず、ふんばってさり気なく身体をゆすると、メイスが気づいてくれたようで、腕が伸び俺をザックから取り出して両手に抱えてくれた。メイスの顔をちらりと仰ぐが、前をついと向いたまま、メイスは俺に見向きもしなかった。かわりに横にいたリットが間近で

「あれ、それ食べんの?」

「いいえ」

「だよねえ。食べてる状況じゃないか…」

 ふう、と疲れたようにリットがため息をつく。横にライナス、カール、グレイシアの姿も見えた。……無事みたいだ。ほっとすると、仲間達の向こう側に、結構多くの冒険者の姿が見えた。

 なんなんだ? 一体、と思っていると、グレイシアがちらりとこちらを見やり

「アシュレイたち、そろそろ戻ってくるころかしら」

「……さあねえ。なにしろわかんないし。なんもかんも。」

「そう遠くまでは、いかないはずですよ」

 ライナスがいい、こいつもふう、と息をついた。

「今度のクエストって、変なことばっかり」

「クエストとは、そういうものだ」

「本気で言ってますか、カール」

「……度は越しているがな」

「まあ、突然黒い闇に包まれたかと思ったら……その、全員でこんなどこかもわからない場所に飛ばされているんですものね。新手のワープ罠としても聞いたことがないわ。こんな誰一人怪我もなく飛ばされるというのも」

 いささか不自然にグレイシアが言った。どうやら、残りのメンバーにばれないように俺に事態を説明してくれているらしい。……全員飛ばされた?

「今度のクエストは、ずいぶん語り草になりそうですよ」

「僕、帰ったら手記だそうかな」

「そういうのは詩人に任せた方がいいと思いますよ」

 あながち冗談でもなさそうにつぶやくリットにライナスがいい、持っていた棒を地面にたててよりかかった。こいつもどうやら疲れているらしい。……そういや俺もどことなく身体が重い気がする。

 ともあれ、昨日の記憶の最後をひっくり返してみる。メイスが応戦したが、すさまじい数のワーウルフたちが押し寄せてきて、いよいよな状況になって、俺が飛び出した矢先に、空に黒い塊が出現して、地面に衝突した。して、それが触れた瞬間――ブラックアウト。

 他の奴らも、似たような状況なんだろうか。視界の範囲で眺めてもみんなどことなく疲れた顔をしている。しかし、辺りにワーウルフの影はひとつもない。

 不意に茂みの向こうから、ルーレイとそのとりまき集団らしいのと、アシュレイ、他にも見覚えのある、結構名を売っている冒険者の数人が足早に歩いてきた。その姿にそれまでそれぞれだれていた他の冒険者がわっと立ち上がって集まる。聞きつけて、別の茂みから出てきた奴らもいる。……これ全部が飛ばされたのか? ざっと見ても五、六十人というところか。五、六十人を瞬間移動させた? どんなランクのダンジョンでもそんな罠聞いたことないぞ。ましてやドラゴンサークル。森のど真ん中に誰がそんなもん仕掛けるんだよ。いよいよ奇妙なことになってきた。

 その前でルーレイが一歩進み出て、アシュレイに何か言うように指示したようだが、アシュレイはなぜ俺が、とばかりにそっぽを向く。あいつは、こういう本当に訳がわからない状況でも、いつもと変わった様子を見せそうにない。さすがだ。ルーレイは不服そうにアシュレイをいったん見たが、やがて進み出て

「親愛なる仲間諸君。私たちが見回ってきて、ここがどこか見当がついた。驚くだろうが、最後まで聞いてくれ。この非常時では統制は大切だ」

 なーんか引っかかる言いまわしだが、ともあれみんな真剣にルーレイの言葉に耳を傾けている。

「ここは、私たちがいた場所第二層と距離としては離れていない。しかし、意味は段違いだ」そこでいったん言葉を切って、ルーレイは信じてくれとばかりに真剣な目を向けた。「ここはドラゴンサークルの第四層だ」



 その言葉に一瞬なりとも虚をつかれなかった者はいないだろう。かくいう俺もそうだ。しかし驚きはおいて、俺はルーレイを見やる。なんかこのクエストはじめてからあんまり好感がもてなくなっていったが、少なくとも嘘を言っているような顔ではないし、それは他の奴らも同様だった。

 膨大な戸惑いを広げる仲間の前で、ルーレイがアシュレイの方をちらりと向き

「これは私だけの見解ではない。この中でも第四層まで到達した冒険者はそういないだろうが、もっとも第四層を知るパーティのアシュレイ・ストーンもそう、結論を出した。」

 矛先を向けられてアシュレイはすげえ嫌そうな顔をしたが、その後、冷たい顔で

「ここは第四層だ。これはまだ推測だが、マップで言えば第四層の境界線から少しいったところ、Eの3横ポイント辺りだと思える」

 その言葉に多くのパーティがマップを広げる。ルーレイよりもアシュレイの言葉の方が重い。奪い合うようにマップに目を落として、そいつらの顔がこわばり、あるいは青ざめていく様子をじっと見てアシュレイはもう一度口を開いた。

「悪いが、俺はここのルーレイとは違ってどこの傘下にも入ってなけりゃ自分で広げてもいない。だから自分の身と自分のパーティしか構わない。緊急事態なら、なおさらだ。それを踏まえて言うぞ。第四層を、甘く見るなよ。ドラゴンサークルに攻略方法があるのは第二層までだ。この次には、竜がいるんだ。その意味をよく考えろ。Aランクのモンスターがそろっている。前回、俺たちのパーティーはキラービーと戦い、巨大食人草の群生にあって、引き換えした。Sランクすら、このエリアでは珍しくない。忠告だ。絶対に一人にはなるな。生き延びることを極限まで突き詰めて考えて行動しろ」

 それだけ言うとアシュレイはすたすたと俺たちのところに戻ってきた。

「ワープして第四層かあ。これから、どうしよっか」

 俺たちに注目している冒険者パーティはリットのその呟きに呪縛がとけたように、自分たちのパーティで輪を作って大声で話し合い始めた。ライナスがそのさまにちらりと目をむけ

「こんなに騒いで大丈夫ですか?」

「黙れと言っても、恐怖をあおるだけだ。それにこの森の連中なら、これだけの異分子が一気にきたら、嗅ぎ付けないはずがない。手遅れさ」

「第四層か。お前が言うなら、本当だろうな」

「夢みたい」

「悪が上につく夢のようですね」

「ぼやいている場合か。グレイシア」アシュレイがそう呼びかけてそれから俺の方――というかメイスに向かって手招きした。メイスがおとなしく寄っていくと、円をかくように集まって

「こんな事態だ。いろいろあるだろうが、早急に方針を決めるぞ」

「踵を返した方がいいでしょうね。今すぐに。明日目覚めたら竜の胃の中にワープ、では洒落になりませんよ」

「さーんせい。もうなかなかできないオンパレードだしさ。集団ワープだよ。もう理解できなくて頭パンクしそ。帰ってカールちゃんとこでご飯食べよ。ねー、カールちゃん」

「カールは、どうだ?」

 アシュレイの問いかけに、いつも静かな宿の店主はゆっくりと目線を下げて

「帰るべきだ。――帰れるものならな」

 アシュレイがふーと細い息をついた。「その通りだ。俺たちは昨夜、第二層を突破できずに立ち往生をしていたんだ」

 わお、と口の形だけでリットが呟いた。ライナスが前髪を二本の指でかきわけて

「番犬がいたため家の中にはいれず、家から出るときも番犬のためままならない、と」

「しばらく森で暮らす? 一ヶ月くらいすればドラゴンサークルも消滅するし」

「問題はこれ以上、おかしなことが立て続けにおこるこの森にいて果たして危険でないかどうか、だ。一刻も早く抜けたい、その気持ちは一緒だろう」

「万一強行突破するとしたら……」

「ルーレイの傘下に入る」

 嫌そうだったがアシュレイは即答した。

「でもさ、ルーレイちゃんたち、そもそも戻るわけ?」

「さあな。集団の考えることはわからない。もっとも不可解だ」

「それはそうだねえ……」

 どこかうんざりしたように他のメンバーが同意する。

「戻るか、待つか。どちらにするかだ。戻れば確実に犠牲が出る。ここにいれば昨日のようにワーウルフの襲撃や得体のしれんワープだのに巻き込まれる可能性が高い。」そこでふとアシュレイはこっちを――だからというかメイスを見た。「昨夜の戦いは、凄かった。あんな魔術は初めて見たが……消耗の方は?」

「大丈夫です」

「えー、すっごい。ワーウルフ、数十匹、ぐわって持ち上げてたよね。僕てっきり爆発でバーン系が魔法全部だと思ってたから」

「そういうのよりは、ああいう術の方が魔力の消耗は少なくてすむの。ただ、とても器用な真似――と言っていいかしら。敵の位置や気配を鋭く悟る、優れた五感が必要でとても技術がいるのよ」

「噂も、誇張ではないですね。あんなことさえなければ、あなたはヒーローでしょうに」そう言ってライナスはちょっと口元に手をあてて「失礼」と言った。

「今後のこと、どう考える?」

 アシュレイはそう問いかけられて、メイスが怪訝そうな顔をした。

「なぜ私にそのようなことを問いかけるんですか?」

 その言葉にちょっとした間合いがとれ、リットとライナスは不思議そうに首をかしげ、やがてアシュレイは襟元が急にきつくなったように指を服に突っ込んで

「仲間だからだ。当然のことだ」

 その言葉をメイスは不思議そうに聞いた。聞いてしばらく考えるように目をさまよわせたあと、ふう、と息を漏らして少し目を伏せた。それは俺にも今まで見たことがないような表情だった。

「戻るか、待つか、でしたね」

「ああ」

「他に、選択肢はないのですか?」

「?」

「戻るか、待つか、――進むか」

 俺は動かぬよう気をつけてメイスの顔を見上げた。

「私しか保証する者はいませんが、この怪異は間違いなく、この中心、第五層の影響でおこっているものです。その原因さえ突き止めればこの怪異はおさまる、とまでもいかなくてもある程度読むことは可能になる。それにドラゴンサークルは、ドラゴンさえいなくなれば消滅する。帰るのに労苦を費やす必要もなくなる――違いますか?」

「リスクの大きい賭けだな」

「大きすぎますか?」

「いや、推敲の余地はあるかもしれん」

「多分、怪異の原因がこの奥にある、というのは本当よ。どこのパーティの魔術師も気づいているわ」

 ひかえめにグレイシアが後を押した。

「けれどそれも、今の状況で僕らだけでやるにはどうも、ですね」

「……――帰るのも、進むのも、ルーレイにくっつけと?」

「リスクを減らすためには」

「待つならルーレイちゃんにくっつかなくていいじゃん」

 アシュレイが眉を寄せて、それから顔をあげた。「三分だ。三分で各自答えを出せ。多数決をとった後、納得いかないなら話をする。三分だ」

 言って自らアシュレイが背を向けた。ライナスがひょいと杖をつかみ上げて手遊びにくるくる回している。リットも投げナイフをとりだして、街中の大道芸人も顔負けの手管で空に放りくるくるまわし始めた。

 カールは、と見ていると急にメイスが歩き出す。断絶のあの時から、全然話ができてなかったが、嫌いだ、と言われたあの時の記憶に柄にもなく胸が痛んだ。メイスが木の後ろに来てすっと俺を持ち上げた。

「レザーさん」

「メイス」

 呼び合うと、流れた空気に俺はどこかほっとしていた。メイスも硬い顔を崩さなかったが、ほっとしたようだ。少し肩が下がっている。

「なにやら仕事が待ってそうですし、雑草の味も飽きてきましたし、ひとかじりほど許していただけませんか?」

「やだ。絶対やだ」

「あいかわらずケチですねえ。私があんなに貢献したのに」

「ケチじゃない! 戻ったら下半身か上半身だ! スプラッタだぞ!」

「大丈夫。食べるときは後腐れなくすべていただきますよ」

 Sランクのモンスターよりこいつが怖い。そこでメイスは可愛らしく笑い

「まあその話は後にするとして」

「後にしない! ここで終わる!」

 声を抑えてそれでもわめいたが、ふとメイスがひどく真剣な目を落としたので、何かを言おうとしているな、と思って俺は黙って見返した。

「レザーさん、昨夜のワープですけどね――……」

 そこまで言ってメイスが急に口を噤んで、さっと顔をあげた。その先にグレイシアがたっていた。

「どうした? グレイシア」

 俺が呼びかけると、グレイシアはゆっくり歩みよってきて、俺とメイスを複雑そうに交互に見やり

「冗談よね」

 と無理したように小さく笑った。「あのね、そろそろみんなが終わったみたいだから、呼びにきたの。でもお話があるなら」

「終わりました」

「え?」終わったも何も俺を食う話しかしていないような気がするが、メイスは戻りましょう、と言ってつんとグレイシアを置いていく勢いで歩き出した。

「メイス」

「ここまで来ると、他の人にも声が聞こえますよ」

 それだけ言ってメイスは茂みを抜けた。姿に気づいてアシュレイが赤銀の髪を少し振ってこちらにむき

「もう、いいのか? 他の奴らは結論を出したみたいだが」

「私は私のした提案を示します」

「じゃあ、五人の意見で」

「待った」

「待て」

 珍しくカールとライナスの声が重なった。二人は互いに気にした様子もなく

「今回ばかりは、アシュレイ。君の意見と票も加えられるべきですよ」

「そうだ。」

「リーダーの不可侵と君はこだわるかもしれませんがね、レザーもいない以上、君の見識からの判断がないと厳しい」

「お前が自分の意見に振り回されるのが嫌だとしたら、全員の最後に言えばいい」

「そーだね。レザーちゃんもいないし、こういう事態だし。アシュレイちゃんもお口にチャックはなし」

 グレイシアは何も言わずにうなずいた。アシュレイは一瞬渋い顔をしたが、多数の意に仕方なくうなずいた。

「わかった。じゃあ進行はお前がやれよ、ライナス」

 大変そうだな、ほんと。リーダーって。

「では、いつもの順でいきますか。リット、君の見解は?」

「進むー。この際、やだけどルーレイちゃんと一緒でもいい。せっかくここまでまあ無傷できたし。オーガちゃんたちと通れなかったワーウルフ集団の平原と、精神的なもん考えるとどっちもどっちって気がするんだ。あの時は茂ってる森だったからまだましだったよ。真っ平らな何にもない平原であの群れが押し寄せるってのもね。それにさあ、やっぱりここまできたらいきたいって気持ち、ある。正直」

「さてメイスさんが進む……で、見解も先ほど話していましたが、付け足しはありますか?」

「ありません」

「さて、僕ですが、様子見というのが好きなんですけどね。慎重に見極めて好きなだけ殴る、というのが僕の美学ですし。しかし昨夜はその見極めがあだになってこの状況にいる」そこでライナスは自分の杖をつくづく眺めた。「オーガやワーウルフって殴りがいがないんですよね」

 どうかと思うコメントだが。

「進むが三票。カール、君の番です」

 そこでカールが皆に視線を集められて硬く低い声で

「家の戸締りは、厳重だ。今すぐ帰らなくてもいい」

「進む? 待機?」

「……ドラゴンの鱗でも飾ればうちの宿にはもう少し客が入るか」

「あれ、もしかしてカールちゃん、気にしてたの?」

 リットが驚いたように声を出し、それにカールがかすかにうなずくと

「なんだあ、それならそうと言ってくれればいいのに。じゃあ今度屋台で「安産祈願」じゃなくて「商売繁盛」のお守りとってあげるよ」

 エフラファ一流行っていない店の店主は再びかすかにうなずいた。……いやいくら客がいらないと思っててもなぜ安産祈願なんだ? リット。

「私は、進むわ。判断理由はみんなと同じように、特に付けたしはないけれど。動機の部分でみんなと違うところは法術師としての興味がある、かしら」

「さて、リーダー、意見は?」

 まるでばらばらの意見が出て均衡している、とでも言う風にライナスが真剣にたずねた。アシュレイがつと顔をあげ

「ルーレイが、気に食わん」

 あがった顔は凄くひんまがっていた。あー……

「意見っていうから今までためにためてたの言うぞ言うからな。そもそも俺はこのクエストを心待ちにしていたんだ。楽しみとか言う問題じゃない! まさに心待ちだ一年に一回の命の洗濯だ何ヶ月前から思い描いていたと思う! それでたどり着いたらこの手紙一通! わくわくしてた旅はなんであんないけすかねえ野郎との旅に変更!? 俺の生きがいをどうしてくれるっ!!」いつもの冷たい顔も吹き飛んでアシュレイが激昂している。……あの、……すまん……。そしてやにわ切羽詰った顔で

「海はどっちだ!」

「あっち」

 さっきのライナスやカールの返事のように、全然動じていないリットがつと茂みの向こうを指差すとアシュレイは勢いのままにくるりとそちらを向きはーっと強く息を吸い込んだ。次の瞬間、大地が揺れたような錯覚を覚えさせる、凄まじく巨大な声が放たれて

「レザーっ、こっの大馬鹿野郎っ!!!!!!!!!」

 ……ごめんなさい。いたたまれない心地に追いやられたが、その隙をつくようにアシュレイはさらに絶叫した。

「でも好きだああああああああああああっ!!!!!!」

 身体をくの字にまげて最後の一滴まで搾り出すように放ったアシュレイの声がくわんくわんと辺りに響く。

「あれ、メイスちゃん、レタス落としたよ」

「あれは彼の発作なので。びっくりさせてしまいましたかね。まあ、変人のラスボスですから」

「いえ……」

 ……メイスが俺を拾い上げてくれた。……いや、いろんな意味で……ゴメンナサイ。

 はーっはーっとアシュレイが荒げた息を吐き出す。俺の仲間は動じていないが、周りにいた冒険者は目を丸くさせている。……お前、何もしなけりゃクールで通るのに。

「そんなレザーとの旅がルーレイとの旅。辛すぎる。――が、ドラゴンに会えるなら、このクエスト達成の目的のみ、耐えられそうだ」

「満場一致ですか」

「おあとがよろしいようで」

 にこ、とライナスとリットが笑い、ちゃっかりアシュレイの方を向いている耳をふさいでいたカールが手を離してうなずく。すると後ろでばたばたと誰かが駆けてくる音がした。ルーレイだ。

「なんだ、今の声は。何かあったのか?」

「今のは、俺の情熱だ」

 ルーレイ・アーウェンをここまで間の抜けた顔にさせた奴はアシュレイが始めてじゃあないだろうか。大真面目に断言したアシュレイは

「ちょうどいい、お前に話がある」

「あ、え、あ、ああ」

 いまだになんか冷や汗をかいてルーレイがうなずいたりはっとしたりした後、アシュレイに引きずられるように連れて行かれた。……その間の抜けた顔を思い出すと、なにか決定的な方向性は決まったような気がするが。

 そうして俺たちは誰も予想もつかなかったが、徒党を組んで冒険者最大のクエスト、ドラゴンサークルに挑むことになった。


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