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ドラゴンの森で(5)

 ドラゴンサークルは第二層までは比較的問題がない。どんなへぼ冒険者でも第一層まではいける。第二層もそこそこの冒険者がそこそこの装備とそこそこの注意を払えばまあクリアできる。

 第三層で多くが脱落する。敵はオーガの集団。凶暴でこっちの姿を見るだけでぶちきれて襲い掛かってくる。毛むくじゃらのゴリラの化け物みたいなもんだろうか。二本足で歩くので遠くを見渡せるし、動きこそ対処できないほど早くはないが怪力の持ち主で、全体的にバランスがよく弱点もほとんどない。結構強敵だ。

 いや、本当を言うと、第二層のワーウルフだって侮れない。というか、モンスター認定レベルから言えば第三層のオーガとどっこいどっこいだ。なにしろ、ワーウルフだ。第一層のゴブリン、ピクシーという最下級の奴らに比べると、モンスター認定レベルからいっても、跳ね上がる。

 鋭敏な感覚と優れた身体能力、おまけに知能まであるやつらが、普通の狼に劣っている点は群れを組まないことぐらいだろうか。確かにうじゃうじゃあんなのが集団で出てきたらたまらない。人間の身体能力で向かうには困難な相手だが、これがあまり脅威とみなされていずに、ドラゴンサークルでも多くの突破者を出す原因はオーガと違ってワーウルフには攻略方法があるためだ。それが一番ポピュラーでドラゴンサークル攻略の通説となっているんだが。

 方法はいたって簡単。要は、会わなきゃいいわけだ。

 どんなに強かろうが速かろうが会わないならこっちのダメージは雑魚遭遇以下だ。別にこのクエストの目的はモンスター退治でもなんでもなく、ワーウルフは途上の障害物でしかないのだから、障害物というのは真っ向からガッツリ組み合うより避けて通った方が断然効率がいい。

 ほら、誰だっけな、――カート地方に昔でっかい王国があって、時の国王ルイ・ローゾとかいう馬鹿がめちゃくちゃな政治やったもんだから国中の半分が参加したとかいう大反乱起こされた。それで壊滅しかけた王国の、最後の戦いに首都目指して解放軍が同じ場所から二人の将軍を出発させて攻め立てた。

 二人の将軍のうち一人、解放軍でも有数の猛将と呼ばれたグランド・ガンテは、真っ向から戦いまくってついでに降伏した奴まで殺しまくって殺しまくって、それが裏目に出て降伏しても殺されるならと猛烈に反発されて思わぬ足止めをくらったが、もう一人の将軍、勇将なんて味方うちからさえお世辞にも言われたことはない、リョーク・ホーテはこりゃー勝てそうにないなと思う強い敵は避けて逃げてともかくあらゆる手を使って戦わずにこなし、運良く相手が降伏したら命も金も保証するのを基本方針に進んでいったから、そもそも壊滅寸前の王国への不満はありあまるほどにある向こう側もぱかぱか降伏して、スムーズかつスピーディーに首都について王城にも着いちまって、あっさり勝って後にちゃっかり新しい王にまでなっちまったとかいう対照的な二人の将軍の伝説が示すとおり。

 サーガにはなりにくいかもしれんが、現実や合理性を追求するとどうしてもそうなる。あんまり知られていないが、聖カリスクだって伝説のフィオナ山の竜を倒した時は、ドラゴンサークルにひしめき合う強敵のモンスターたちを逃げて避けてほとんど戦わずに竜にたどり着いた。

 ひどいサーガになると、竜にたどりつくまでに戦いまくって数々の困難を切り抜けて、あげくにはモンスター四天王とかいうすげーのが出てきてカリスク一行を苦しめる、冒険者観点から見ればもはやお笑いでしかない展開になっているのもある。

 ちなみにそのサーガでは死闘の末(ひとつのクエストで何度死闘を繰り返せるんだ?)それらすべてに勝利して進みぬいた、とかあるけど、あんまり華々しくもウツクシクもない現実は、そんな悠長なことはしてられない。冒険者ってのはある意味ひどく現実的な職業だ。過酷なクエスト過程に夢や妄想が入り込む隙はほとんどない。

 つーか、夢を壊すせいかこれも知られていないのだが、その当時、ドラゴンサークルをそんな風に攻略したのはカリスクが初でそのおかげで竜と戦えてあげく勝っちまった、といっても過言じゃない。

 昔の人間はもっと夢見がちだったから、カリスクのような「卑怯な真似」など思いもつかなかったんだろう。しかし、現在のドラゴンサークルの攻略法も細かいところは違えど大まかはカリスクが編み出した方法と同じなのだから、聖カリスクってやつは、発想力も考え方も、いささか生まれる時代を飛び越えた類の人間だったのだろう。

 そんな先人の偉業にあやかる俺たちの、第二層の攻略方法もなにを隠そう、聖カリスクが編み出したものだ。

 そもそも戦えば困難なワーウルフも、先ほど言ったように群れないのでそんなに数がいない。ドラゴンサークルの中に自分の縄張りを持ってぴりぴりしているわけで、自分の縄張りに入ると執拗に追跡するが、縄張りから逃げ切れば追っては来ない。

 ……まあ、あの足から逃げ切れるのは、アシュレイも無理としてメイスぐらいのもんだろうから、よっぽど縄張りのぎりぎりのところにいなきゃ難しいだろうけど。

 だから会わなきゃいいんだ。会わなきゃ逃げる心配もない。とは言ってもやつらは普通なら鋭敏な鼻を持っているので、冒険途中の臭い冒険者なんてすぐかぎつけるのだろうが……

 ふとメイスの顔がぴくりと動いた。いくら魔法使いとはいえ、さすがにクエスト行動中に両手がふさがっているのはまずいので、俺は再びナプザックにいれられている。ため、メイスの白い産毛がまた白い肌の上でちらちら揺れる首筋くらいしか見えないのだが、そのメイスがちらりと振り向いた。苦い物でも舐めたように、しかめた顔をしている。

「……どうした?」

 感覚が鋭いアシュレイたちに悟られないように、俺は吐息のような本当に小さな声で問いかけた。

「妙な匂いがしてきますー。向こうの方法から」

 メイスが独り言を装って言った。それを聞いてリットが

「どんなの?」

「えーとですねー。かすかに焦げ臭い、鼻の奥がしびれるような」

「なんだ。それなら大丈夫。第二層が近いってことだから――にしても君、鼻いいね。僕なんかまだちっとも匂わないけど」

「先に真紅の大鷹がついているかもしれないな。なら、大量のミズク香が使われているはずだ」

「集団なんて足とろいじゃん」

「あれでなかなかルーレイのところは早いらしい。それに先発隊というものもあるだろ。ルーレイは天才肌じゃないから、堅実さがある。不安定な才能なんかよりよっぽど強みだぜ」

「でも第二層で集団だとろくなことなくない? すぐ見つかっちゃうよ」

「いや、むしろ彼らは戦えばいいんですよ。ワーウルフは大部分が鼻に頼って動いていますから、ミズク香で鼻がやられているなら、動きも鈍くなる。集団で連携すれば一匹程度、倒すことも難しくないし、倒せば丸一日は無事に通れます。僕らもそれにのっかって進んでもいいかもしれませんし」

「それいいね。着いたタイミングで倒しててくんないかなー」

「なら、お前が誇った第四層半ばまでの功績がばんばん突破させられるぞ」

「いいの。僕、今回は攻略狙ってんだから。やっぱり中途半端を誇るのは三流の証だよね」

「それは、お前だけじゃないだろう。」

 珍しくカールが口を開いた。それを受けてアシュレイはふっと笑い

「わかりきったことだ。――と本当だ。におってきたな」

「あいかわらず食事の味わかんなくなりそーな匂い」

「食料が減らなくてよさそうね」

 大げさに鼻をつまんで見せるリットに、グレイシアがくすりと笑って言う。程なくして、踏みにじられた草木の痕跡がいっそう顕著になった。するとふと、仲間たちが立ち止まって躊躇う様子を感じたが、メイスの背のナプザックの中なので前が見えにくい。

「メイス」

 ささやくように名を呼ぶと、ワーウルフと同じくほとんど鼻が麻痺してしまったのだろう、顔をしかめっぱなしだったメイスが片腕をはずしてナプザックを身体の斜め横にかけてくれた。

 メイスの肩越しに、多少見づらいが前が見える。見て、俺も驚いた。

 茂みのあちこちに先行していた冒険者パーティが、手持ち無沙汰に腰掛けたり食事をとったり仮眠をとったりしてたむろしている。早く抜けなければならない第二層を前に、これだけ多くのパーティが留まっているというのは、明らかにおかしい。

 確かに多くのパーティが森には入っているが、これまでほとんど遭遇しなかった中でここでここまでの数に会うとは。アシュレイたちも出発が遅い方では決してないので、もしかして森に入ったやつら全員ここに留まってんじゃねえか。

 うずくまったり腰掛けたりしているやつらは一様に不機嫌そうか、手持ち無沙汰な顔をしていたが、俺たちの姿を見つけるとよく眠っていた奴もぱちっと目をあけて、俺たちが通り過ぎるのをまじまじと見やり、仲間同士でつつきあって囁き始めた。

「おい、アシュレイだぜ……」

「新顔が……」

 たいてい仲間内でぼそぼそ言っているに過ぎなかったが、そのうちの一人がアシュレイに声をかけた。

「おい、アシュレイ。この先行ったところでルーレイの大馬鹿野郎があんた待ってるぜ」

「ルーレイが?」

 アシュレイが立ち止まり、周囲の注目に負けない鋭い一瞥を加えた。何があったのか一度聞こうと思ったのかもしれないが、押し留まり俺たちの方を振り向くと

「仕方ない。俺はあんまり好きじゃないが、ルーレイに会いに行くか。用もないのに、呼ぶ奴じゃあない」

 他の面子は特に反論もなくうなずいた。メイスだけは自分に集まる注目を冷たい目で見返していたので、反応しなかったが。

 注目の中、アシュレイがさっさと歩き出す。奥に行くほど冒険者は多くなっていく。……どうも俺の予想――森に入った奴ら全員ここに留まっている、ってのも当たりみたいだ。程なくして薄い布を木と木の間に一枚貼り付けただけだが、それでもクエスト途中でそんなもの目にするのは珍しい、テントが見えてきた。噂の方が先に到着していたのか、布がぴらりとめくられてその下からルーレイ、本人が出てくる。

「来たか」

 四十代に届くか届かないほどの中年だが、まだ鮮やかなほどくっきりと濃い茶色い髪に、どことなく騎士学院の教官を思い出させる身のこなし、昔どっかの国の将軍だったって噂もあながち間違いじゃない、と思われる世間からは浮きまくりばかりの冒険者の中でもまた浮いている、ルーレイ・アーウェンだ。鷲のような鼻と目をした険しい顔つきを、さらに険しくさせて足早に近寄ってくる。

「遅かったな、アシュレイ」

「俺たちにとっちゃ普通のペースだ」

 そこで半身を引いてアシュレイが背後の仲間を見せるようにした。ルーレイはちらりと目をやり、それからいささか狼狽を隠しきれない様子で

「レザーは? 姿が見えないが」

 実は見えてる。

「今回はあいつ抜きだ」

 つまらなげに答えたアシュレイの言葉にルーレイが目を見張る。「来ないだと……。何があった」

「仲間内のことをあんたに話す義理はないね」

 実はここにいるんだけど、とむなしく胸中で独白しながら二人のやり取りをただ静観した。本当に、アシュレイという奴は仲間以外には無愛想な相手だ。こいつが無類の笑い上戸だといったらみんなひっくり返るだろーな。学院の時はもっと同期の連中とも打ち解けてて、アシュレイ笑わせ大会とかも開いたけど。次の日、腹が攣ったって言ってベッドから起き上がってこれなくて、その次の日はみんな殴られていたが。

 なんか現実逃避にぼーっとそんなことを考えていると、その合間にも現実はとっとと進んでいた。

「このたむろとお前のお呼びは関係がありそうだな」

「大ありだ。……しかし、レザーが来ないとは」

 頭が痛そうに額を抑えるルーレイに、リットがあちゃーと声を出して傍らのグレイシアに

「あんなの言ったら、どんどんアシュレイちゃん機嫌悪くなるよ」

「なってもそれに振り回される人じゃないわ」

 小さくグレイシアが返した。全員の性格を相変わらずはっきり把握している。理性的なその意見に俺の意識も少しはっきりした。手も足も(で)ないが、ほうけている場合じゃない。ルーレイは後ろにそびえるカールと、そんで俺を背負うメイスを見やった。

「隻腕の斧使い、か。引退したと聞いていたが、クエストに出る姿を見られるとは嬉しい」

「見られても嬉しくはない」

 大変率直な返しに、あはあはとリットが笑った。ルーレイは特に気にした様子はみせずに、つーか多分、本題のこっちに入るためのワンクッションだったんだろう、メイスをひたりと見据える。

「カールは知っているが、こちらは誰だ」

 なんとなくついてきて、俺たちのやりとりを見守っていた後ろの冒険者たちも賛同に無意識にうなずいた。

 その漂う気配と筋肉の緊張具合から、前を向いているため俺には見えないが、メイスは冷たい顔をしているのだろう。いつもはリットのようにへらへら笑っているのに、やっぱり妙だ。いや俺以外の人間と一昼夜べったり行動を共にしたことがないので、いい加減神経が張り詰めているのかもしれない。繊細とも、ちと違う。こいつもワーウルフのように鋭敏な感覚を持つ奴なんだ。

 さすがにもう短くはない付き合いなので、そこいらの事情はわかる。わかるが、レタスの身で衆人の前ではにっちもさっちもいかない。

 そんな役立たずな俺の前で、すっとグレイシアが自然に歩を詰めて、メイスの肩に手を置いた。けれどメイスは見向きもせずに手をあげてそれをはらった。いや、それはちょっと…。

 グレイシアは後ろからだから俺にも見える。さすがに怒り出してもいいそんな拒否にも、不快さも傷ついた様子も見せずに、ただ少しだけ仕方なさそうに笑った。

 メイスの反抗的な態度のせいかもしれないが、なんとなくおされるような緊張感が漂う中で、カールもライナスもリットも一歩詰めて外界から守りを固めた気がした。アシュレイはそんな仲間の様子をちらりと見て、しばらく考えた後、渋い顔で

「お前も名は聞くだろう? アサナ街道の夜盗、ニーチェの村の盗賊、サンドルフォードのクラーケン襲来」

 周囲にざわめきが起こり、メイスに集まった視線はいっそう露骨なものになり、ライナス、リットも顔をしかめて今度ははっきりとメイスを背に視線を集める連中に向き直った。

 ルーレイは感心したようにアシュレイとメイスを見比べて

「この町に向かったとは聞いていたが……これはまた、よく引き入れたな。どういう繋がりだ」

「レザーの知り合いなんだよ」

「なるほど。不在なら己の空けた穴を埋めるものを用意しておく。義理堅い男だ」

 その言い草に思わず俺はかちんときた。俺は本当はここにいないはずの男だから、自分のことで何を聞いたって腹を立てるのはお門違いだ。しかし、それにだけは腹が立った。

 俺は一度だってメイスをそんな風にしようとは考えなかった。なにが義理堅いだ。自分が抜けるかわりに素人を危険にさらすことが義理堅さだっていうなら、薄情なほうがよっぽどいい。ルーレイは買っているつもりだろうが、俺はそんな自分はごめんだ。反吐が出る。

「俺はレザーをよく知らない相手に、あいつのことを語られると、腹が立ってくる気性でね。もういいか? 聞く相手は何もお前だけじゃない」

 アシュレイが薄く笑って、ルーレイの方に向き直った。その背から気迫があふれ出す。ルーレイの方を向いたせいで、ここからは見えないが、おそらくその目と口元は獣のように物騒に光っているだろう。半端な奴ならこれだけで震え上がるが、対峙したルーレイもさすがに当代の英雄と数えられるだけあるのか、表面上はまったく動じずに

「聞いてくれ。このクエストに関わるすべての人間が聞くべき話だ」

 そう言ってルーレイは指さした。アシュレイは不服げだったが話を聞くだけは付き合うことにして、連れて行かれた先は森の中のさらに小高い丘だった。

 辺りには第二層にはもっとも有効とされた、カリスクの時代から変わらない、ワーウルフの鼻封じの香草、真っ黒いミズク草が山のように積み上げられ、火がくすぶり草原を癖の強い匂いで満たしている。

「ここから数十リーロル先はもう第二層だ。用心しろ」

「奴がいるのか?」

 アシュレイが呟く。他の仲間も目をこらす。俺もメイスの肩越しにそれを見やった。黄緑色と枯色の草原に、ライナスの髪のように黒の割合が濃い灰色の塊が見える。俺たちが目にするタイミングを図っていたのか、ルーレイはああ、とうなずき「ただ奴じゃない。「奴ら」だ」

 その声の前に視線がひきよせられた。ルーレイの声を聞きながらついていけない思考を置いといて頭だけが冷静に「それら」を数える。灰色の点が一点、二点、三点……十点、二十点、三十点……

 普通の狼とその姿は明らかにかけ離れている。さらに長い手足、高めの草原から容易に顔を覗かせられる長い首の上に載った顔、盛り上がった両肩、顔の半分が裂けた真っ赤な割れ目からのぞく鋭い歯は骨すらも容易に噛み砕く。暁の空に浮かぶ半月のような赤い残忍な目。

 複数の人間が同時に唾を飲み込む音がする。

 数十リーロルと離れていない草原に姿を見せたのは、いるはずのない無数のワーウルフの「群れ」だった。




 さすがにしばし絶句した後で、アシュレイがルーレイの方をゆっくりと向いた。ルーレイは少し満足そうに

「誰も第二層を通り抜けられない理由がわかったろう?」

「どういうことだ? ひとつのエリアになぜこんなにもワーウルフが」

「ここだけじゃない。どの地点でも目撃されている。普段は層全体をあわせても数百匹たらずのワーウルフが数千匹はいる計算になる」

 その言葉に全員が黙り込んだ。俺は喋れないが今だけは喋ろうと思っても喋れない。なんだ、その事態は。どの文献ひっくり返しても、今までのドラゴンサークルすべての記憶を見ても、聞いたことがない話だ。

 各自めまぐるしく思考を張り巡らしているのだろう中で、ふといつも控えめなグレイシアが踏み出し、崖に向かって数歩詰めた。そうして振り向き、足元にゆっくりとしゃがみこんで何か拾い上げる。

「リット、この石をあの狼たちの中心に投げてみて」

「矢じゃなくていいの?」

「あまり刺激したくないの」

 リットは少しの躊躇いもなく石を受け取って「らじゃー」と元気良く言うと、ぐるぐる腕を振り回した後、フォームは普通にそれを投じた。背後で焦ったような声があがるが、狙いは見事に狼たちの群れの少し横に落ちる。

「さすが百発百中だな」

 迷いなく飛んでいった石にルーレイが呟いた。俺たちの間じゃリットの二つ名は「屋台荒らし」だが。もうエフラファの射的場から総立ち入り禁止くらってるから。たまに変装して商品とりにいこうとするがすぐばれるらしい。

 石が飛んできたワーウルフたちは恐慌は見せなかったが、多少の動きを見せた。ざっと草原をかきわけるように全体が移動する。警戒態勢、というほどではないが。

 そこでずっと眺めていたグレイシアの肩がぴくりと動いた。ふと、俺を入れたナプザックを持ったメイスも何かに反応したように一歩踏み出した。

「……魔力が動いたわ」

 目を閉じているグレイシアの横にメイスは並ぶ形で草原を見やり

「足音がひとつしか聞こえませんでした」

 その言葉にふっとグレイシアが振り向いて笑い「あなた、魔法使いにしては面白い見極め方をするのね」

「なにがわかった?」

「幻術ですよ」

「幻術だわ」

 アシュレイの問いかけにメイスとグレイシアの声がほぼ重なり、グレイシアはくすりとまた笑い、メイスは少し仏頂面で顔をそらす。

「こんな短期間でよく見抜いたな。」

「少し考えればすぐわかるわ。どんな手を使ってもこの面積の土地でこれだけの数の個体は共生できない」

「そうだ。ワーウルフは同じ個体なんだ。ただ、それがなんらかの術にかかり、ああ出現しているというわけだ」

 アシュレイが苦くうめき

「幻惑術ならなんの問題もないが……」

「ああ、ある意味では、本物以上に質が悪い術だ」

「ドラゴンの魔力か?」

「……わからない。でも、判別しがたい力。もしかしたら他意はなくて溢れた魔力が妙な風にからまってワーウルフたちにかかってしまったのかもしれない。意図的にしたならその意図がわからないし、妨害にしても効率があまりよくないわ」

 クエストに順調なんて言葉はない、と言いきったのは大冒険者スモルカ・ロシーニか。にしてもまさかこんなところでそんな妙な現象にあおうとは。本格的に、魔法が苦手になりそうだ。

 アシュレイがつとルーレイの方を向き

「それで、こんなものを前に、お前は俺たちに何の用だ? まさか一緒に頭を抱えて欲しいってわけでもあるまい?」

「しばらく考えた。だが、いくら考えても手はこれしかないと思っている。アシュレイ、お前ならこの層を前にしてどうするか?」

「撤退だな」

 アシュレイは実にあっさり言った。――が、的確な判断だ。

「その得体の知れない幻術とやらがもっと広がったらどうする? ここも当に危険地帯だ。戻ってエフラファの住人に危険を呼びかける。命は惜しむよな? 高名なルーレイ・アーウェンともあろうものなら」

 冒険者ってのは大前提として命知らずだ。そして根本的に命知らずな奴になる資格はない。俺たちは軍隊や兵士ではないので自分が死なないことが最重要目的だ。これまた矛盾した気質なんだが。

「撤退以外に手はある。今回はいつになく参加人数も多い。一点を鋭く硬い槍で突くように、人海戦術でいけば大部分が通過できる」

 その言葉をアシュレイは鼻で笑った。

「お前がどっかの国の将軍だったって噂は、本当みたいだな。思考回路がぴったり奴らとあてはまる。俺たちは軍じゃない。――ルーレイ、いくつの死体を勘定している?」

「数十の」

「俺たちを加えるのは諦めな。根っからの冒険者気質の奴らばかりだ。お前とはあわない」

「お前に兵士として加わって欲しいとは思わない」

「なんだ?」

「旗だ」

 その言葉にアシュレイは一瞬とまって、そして爆笑した。ただしひどく毒と棘が混じった暗い嘲るような笑いだ。

「言うにことかいてそれか。俺に山の上の大将やれってか?」

「私だけでは一団をまとめるのに精一杯だ。今参加している冒険者の中で、もっとも名が売れて畏怖対象であるのはお前とそしてお前のパーティだ。さらに――」

 ルーレイの目がさっと俺の方、つーかメイスの方へと向いた。気づいてメイスが一歩引く。

「彼女の名は神秘性を増す」

 その言葉を最後にしばらく声は続かなかったが、やがて空に細い二本の腕が突き出され、あーあ、とリットが鮮やかにルーレイを無視して仲間に向き直り

「せっかく久々のクエストなのに。なんか興ざめしちゃった。帰ろっか」

「そうですね。まあ珍しい例に会えたということで良しとしますか」

 どちらも白々しく、敵意を含みながらリットとライナスが言葉を交わす。若い二人の反抗にもルーレイは癇に障った様子もなく

「レザーがいない今は適切かもしれんが――結論を急ぐな。まだ早いぞ」

「いや、潮時さ」

 流れる風のようにとらえどころなく、アシュレイが離れていこうと歩き出すと、ふとルーレイが妙な確信に満ちた表情で言った。

「アシュレイ、ここから竜が見えたぞ」

 ――。

「竜を実際目にした冒険者は何十年ぶりか。恐ろしくも素晴らしい姿だった」

 思わず俺は見やる。必死に。黒や灰色の点が混在する平原の向こう側、さらに奥深い谷と山。あそこに。――……あそこに。

「どの冒険者も撤退せずにここに留まっているわけがわかるだろう? 「冒険者」だからな。まあ、ゆっくり考えろ。どうせ時間はある」


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