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レタスになった男

 例えばけっこう唐突な話で恐縮だが、この広い世の中の、巷に溢れた千種万様人波の中で、「不幸」である奴なんて大量に存在すると思う。それが自称でも他称でも、長い人生とにかく色々あるもんだ。

 俺は他人にはよくおせっかいだと言われるし半ば自覚もある男だが、そんなややこしい人生送ってる奴らに、ああだこうだと言うほどの馬鹿じゃない。馬鹿ではなかったはずだ。少なくとも今こう言ってる少し前までは。

 そんな馬鹿ではなかった少し前からの俺とは変わり、今、俺はそんな奴にこう言いたいと思う。

 何があっても強く生きろよ、って。

 うん、余計な世話だ? お前に何が分かるんだって? 

 ああ、所詮は俺は俺で他人は他人。どうせ人のことなんか俺には分からない。分からないが、悲哀なら俺はちょっと今、誰にも負けない感じなのだ。それを踏まえて聞け。

 前記したが、世の中には不幸な奴が大量に存在する。そりゃまた多分目にしたらうんざりするくらいうじゃうじゃと。

 だが、広い世の中の、広さに負けずに溢れた大量の不幸人の中でも、俺みたいな奴は少ないと思う。

 ん、お前はどんな奴だって?

 世の中の不幸な奴の一人であり、特殊な不幸な者の一人さ。

 そういや一応言っとくが、思い込みが激しくて客観的に実際的に別に不幸だとは到底思えないのに不幸だ不幸だとやたら吠える奴も世の中にはいるだろうが、俺はそんな奴じゃない。

 そして断言するがどう見てもどう思ってもどう考えても俺が不幸でないわけがない。何事もどんな状況も自分の気持ちの持ちよう次第だって? 正論だが限度がある。俺の陥ったような境遇に堕ちてそれでも不幸じゃないなんていう奴がいたら―――率直に言おう。今すぐ俺と替われ。

 疲れるから誤解せんで欲しいが俺がこうまでしつこく不幸主張するのも、こうまで嘆かなきゃやってられん、自分が保てん、って理由なだけで、流行悲劇のヒーロー気取ってるわけでもない。気取る必要もないほど気取る気力も奪うほどに俺を襲ったものはまごうことなき悲劇だ。そしてそれもまごうことなくヒーローになりようのない悲劇だ。

 これを悲劇と言わずしてなんと言おう? 喜劇って答えるなよ、さすがにきれそうだ。

 これは悲劇だ。立派な悲劇だ。聖カリスクの名にかけて。

 そう、自分がレタスになったなんて事態に陥った状況は。



 俺はレタスだ。レタス、って名前なんてオチじゃもちろんない。ほんとの名前は、レザー・カルシス。が、レタスにどんな名前があろうが―――むろん「レタス」がトマトだとかパセリだとかに置き換わろうが、所詮意味なんて存在しない。

 なぜなら今の俺はレタスで、他の奴にとってはレタスに個々の名前が与えられることは不必要なものだから。

 あんただって疑問に思ったことないだろ。どうして人間にはみんな同じ人間って種類なのに個々に名前があって、レタスにはレタスってだけで個々の名前がないんだろうって。つまりそういうことだ。 

 俺の身体はレタスだ。当然、全身緑色の瑞々しい葉を持っている。水を弾いて新鮮に濡れ、葉の厚い部分を折ればぱきりといい音がしそうなそれ。それをめくられるとどうなるかは知らんが、とりあえず死ぬかな。喰われれば当然死ぬ。

 俺はレタスなわけだから、鼻も目も脳みそも当然この葉の塊の中にはないが、それでもどこで見ているのかはとんと分からんが、外の世界は視界としか呼びようのない光の世界へと入ってくるし、今こうしてぶつぶつと考えることも出来ているので、やはり普通のレタスではないんだろう。普通のレタスではたまったもんではないんだが。

 もちろん、聖カリスクの名において断言するが、俺は生まれた時から(いや、生えたときからか?)レタスだったわけじゃ当然ない。どんなことがあろうと、俺は人間の子として人間の赤ん坊の姿で生まれてきたんだよ、畜生。

 それがどうしてレタスになったかって? どうせ笑いを堪えながら聞いてるんだろうが、――ああ、俺だってレタスが真面目ななんてないなレタスにはこんな身の上話したら大爆笑だよ、悪いけど。

 ともかく俺は人間だった。で、まあ、若気のいたりというか若者にはありがちな暴走というか、ちょっくら世界が見たくなって勝手気ままに旅をしていた、職業聞かれれば―――どこかのお偉いさん国家から見れば「世界の屑」とも言われてるんだが、そんな不評もどこ吹く風、お気楽極楽の渡り鳥、自由気ままを愛する冒険者だ。

 自分じゃなかなか気に入っている職業について、なかなか気に入っている毎日を送り、順風満帆とまでは言わないが、俺は不幸なんて文字からは程遠かった。

 そんな人生の延長のある日、街から街へと移動する街道を一人歩いていた俺は、いきなり街道の中頃の人気のない細い道で出会い頭に変な魔導師にあって、魔法をかけられてレタスとなりころっと地面に転がった。

 ああ、もう。泣きたいよ。

 そしてレタスだから、泣けねえよ。

 地面に転がった俺を放って、魔導師はそのまま耳の奥に入り込んだが最後、到底そこから離れようとはしないえっらい癇に障る嘲笑を残して消えやがった。

 俺は動けなかった。動けない理由は実に明白で、レタスは動けないからだ。手も足も筋肉だってない。まあそこまで完全レタスとなったわけではなく、今でこそ多少、全身でうーんと踏ん張ることで横に転がり少しは動けるようになった。しかし、そのときはレタスになった当初だったから、動けない。

 というか、その時は俺、自分がレタスになってるって気付かなかったんだよ。自分の身体の具合はあきらかに妙で、動けないにしても声も全く出せないのはおかしいとは思ったけど、その魔導師に身体機能が麻痺する技でもかけられてばったり地面に倒れていると思ったんだ。それはそれで間抜けな図だが、当然と言えば当然の考え方だと思う。

 それでしばらくして、俺が倒れた(とその頃はまだ思っていた)道をころころと野菜一杯つめた荷馬車を転がす田舎によくいる純朴そうな爺さんが通った。

 通って爺さんは俺の前に止まり、まるでそれは最初から決まりきった動作でもあったようになんの疑問も持たずに曲がった腰をもう少し曲げて手を伸ばし、それからひょいと俺を掴み上げてぐーんと弧をかいて後ろの荷台の上に放った。荷台にごろごろ積み上げられた野菜の上に激突して、痛かった。レタスは傷みやすい野菜なんだよ、気をつけろ。

 それで、俺は市場に並べられた。売り物のレタスとして。

 俺の同業者には職業柄、海千山千の奴がいるので中には語り草になるほど情けない真似とか間抜けな事態に陥って大恥かいた奴もいるが、レタスになって市場に並べられたほどの情けなさと羞恥を味わった冒険者なんていないと思う。

 その頃にはうすうすと俺も分かってきた。レタスだと断言したわけではないが、なんか俺ー、今、人間っぽくなくない? ぐらいはな。隣に人参と白菜が並んでる状況でさ。

 それからしばらくして俺は一人の嬢ちゃんに買われた。背中まで垂らした真っ白な髪の、にこにこと笑みで細めた目が背筋がひやりとするほどに赤い、変な嬢ちゃんにこれください、と名指しで。

 その嬢ちゃんの名前? その時は分からなかったが、今は知ってるんで言う、メイスだ。

 金をちゃんと払って俺を受け取ったメイスは、しばらく俺を両手にしっかり抱えて歩いていたが、やがて市場から離れた田舎道でメイスは何事か小さく唱えた。

 それから言った。

「初めまして、レタスさん」

 そう、やっぱり俺はレタスになっていた………



「俺、やっぱりレタスなのかよっ!」

 出た声はじんじんと自分の耳朶レタスにはないがをうち、その事実を絶望的に俺に悟らせた。自覚ほど痛い理解はこの世にはない。が、嬢ちゃんは笑顔で絶望をつきつけて

「そうですよー。美味しそうなレタスです」

 かつてこれほど嬉しくない褒め言葉を言われたことがあったか。レタスの俺はそいつを(心もち)見上げた。

 まだ、十四、五くらいの、雪のように白い髪とぱっちり見開いた濃い赤の瞳の対比がえらく目をひく嬢ちゃんだ。動きやすそうな裾の短い服に包まれた小柄な身体にその短い裾から飛び出した細い手足、あやしい趣味を持つ親父が見ればよだれをたらしそうなくらい可愛く整った顔立ちをしている。

 そこで俺は自分が声を出したってところにふと気付いて

「あれ? 俺、声出せるのか? さっきまで泣こうが喚こうが……」

「はいー。あなたの意志が声として具現化できるように、私が魔術をかけました。もちろん、声帯などはレタスの構造には存在しないので魔力の発動に頼っていますが、人間であった頃の声を出すのと似たような感覚になるはずですよー」

「魔法使いか、あんた」

 さっき小さく唱えたものがそのための魔法だったと気付く。唇から呪が漏れた時は、こんな嬢ちゃんが魔法使いだとは思わなくて気付けなかったが。

「はい、魔法使いのメイスといいます。よろしくお願いします、レタスさん」

「レタスじゃなくて、レザー・カルシスだっ!」

「はーい、レザーさんですね。」

 素直に頷き、メイスと名乗った嬢ちゃんは、そこでぴたりと止まって手の中の俺を見つめた。

「レザーさん、こたびはご愁傷様でした。この件に関しては私にはあまり責任という面での関係はございませんが、体裁のためにもどうかお悔やみを言わせてください」

 言われても仕方なかった………しかもなんかひっかかる言い草なんだがそれ。

「お師匠様のなされたこととは言え、こんなひどい目に遭わされて」

 ………

「―――お師匠さま?」

「はい。」

「って、あの長ったらしい黒髪の魔導師のことか」

「はいー。我がお師匠様、コルネリアス・ウィンパーさまです」

「あの、道端で出会い頭唐突に偉そうな話し方でいきなりいちゃもんつけてきて、ごく常識的な受け答えをしたら自分の研究資金に有り金よこせって言ってきたから無視して行こうとしたらいきなり人にこんな魔法をかけた奴か」

「ああそれお師匠様がよくやられる手です。チンピラのいちゃもんと見せかけて目の前で堂々と術を唱えて相手が気づいたときにはすでに術中にはまっているという。せこい、こすい、性格が悪い、三拍子そろったそのような真似をする方がお師匠様以外にいるものですか」

 嬢ちゃんは断言する。俺は色々、ともかく聞いておかなきゃいけないことを放り出して、俺を持って歩く嬢ちゃんを見てひとつ聞いた。

「なんであんた、あんな奴の弟子やってんだ?」

「いやー、私もあのようなお方にお仕えするのは、端的に言ってすごく嫌というか頼まれても断るというか、出来ることならばともかく逃げたいのです、脱兎のごとく。あ、これいい格言ですよね、一番速い動物を兎としてくれたんですから」

 話が少しずれた気がしたが、中間ではぐんと湾曲を描いても直線が結局元の軌道に戻るように

「しかしまあ、不可抗力といいますか。ただの脅迫といいますか。私もあなたと同類なわけで、あなたも多分、人に戻りたいとお望みなように私もそう望み、その願いを叶えられるのはお師匠様以外にはいないというので、もはや涙ながらに弟子という名をかりた奴隷作業に従事しているわけなのです」

 ……

「あんた……もなんか術をかけられてるわけか?」

 確かに変わった外見をしている。赤い瞳に白い髪なんて珍しいもんだ。しかし、レタスにくらべりゃ全然どうってことない感じじゃないか?

「はいはい。かけられていますとも」

「だが……どうも俺には人間の格好してるように見えるんだけどな……」

「人間の格好をしている時点で、私はすでに術にかけられた状態なのですー」

 ……

「私はそもそもこのような造詣から言えば猿に近い、両手足が長い不恰好な人間などではなく、生まれたばかりの子うさぎでした。人のうさぎの分類から言えば穴うさぎとなります。森の中で暮らしていたのですが、人の狩人に巣を荒らされてその混乱で母親とはぐれ、怪我をして死にかけていたところをお師匠様に拾われました。そしてお師匠様がその晩お食べになるシチューの具になりかけました。」

 ……

「やはり私としましても生き物の本能としての生への欲求はあり早い話が死にたくありませんでしたので、命乞いとしてお師匠様にお頼みしたところ、弟子になるなら助けるという返答だったのできっと使い魔かなにかの類であろうと思い頷いたのですが、まさかこのような醜い人間にされてしまうとは思わずに」

 ……

「それは確かに弟子になるという約束はしましたが、それはあくまで弟子になる、と言っただけで人間になるとは言っていませんので、うさぎを捨てることを承諾した覚えはありません。あなたがレタスでいることが嫌なように、私もこのような人間であることが嫌なのです。ですから、お師匠さまに仕方なく従事しておそらく万に一つの慈悲の方面に向けたその気まぐれを待つか、このまま魔法の修練を続けて自分の力でかけられた術を解いてみせるか、ともかくどんな手段を使ってもいつかきっとうさぎに戻り生まれ故郷の森へ帰ろうと固く誓ったのです」

 ……泣けるいい話なのか、もはやどう言っていい話なのか分からんが……

「そのためには率直に言いますと、他の方に目をやって同情している暇などは到底ないのですが、お師匠様の力を探り目にした市場の台の上で、あなたがあまりに美味しそうな外見……いえいえ、麗しい姿をなさっていることに目を奪われて、一目見てしまえばもう生の本能としての欲求の溢れ出る食欲を――……。つまり平たく言えば同類相憐れむと申しましょうかー、このような感情は」

 なんか取り繕うように言ってメイスはこちらをじっと見た。赤い瞳が一瞬、きんと光りごくっと小さく白い喉が鳴ったような気がした。

 えーと、この嬢ちゃんの正体はうさぎで、それで俺は今レタス。

 ……

 ……

 ………

 …………ってことは、ひょっとして俺って、狙われてるのか? ピンチ?



 歩くことで停滞していた空気が風となってぶつかってきて、赤い世界になすすべもなく染められた髪を後ろへなびかせる。

 百年ほど前に全国規模で整備された街と街を繋ぐ街道はここが主要な都市からは外れた田舎のせいだろうか、獣道に近い細くずさんなもので、人の通る後によってのみ道としての体裁を維持しているようなものだった。割れ物の水晶の玉のように後生大事に両手で俺を抱えてメイスが歩いていくのはそんな道だ。

 ただ道こそ悪いものの、辺りの風景はなだらかな起伏の丘が続き、視界を阻むものがなく遥か彼方まで見通しが良い。晴れた空の下ではあつらえたようにぴったりの散歩道になるのだろうが、もう夕暮れ時のせいか、街道を渡る人影は他にない。

「お師匠様の行方は私もよく分かりません。一緒に行動していたとしてもふと気がつくとどこかに行かれている有様で。それでやっと見つけ出したら、今度は私がどこに行っていたのだと怒られる始末ですよー。自分の都合の悪いことはことごとく忘れるもはや他の存在に迷惑をかけるためだけに生を受けたと言っても過言ではない、素晴らしくも人間の傲慢さを結集して純度の結晶のごとくに体現されたような方です」

「一言でいって人でなしか」

「人でなしとは悪い意味ではありませんよー。私も人ではありませんし、それにレザーさんも今はレタスでしょう。人であるということに、善の意味を含めるということがそもそも間違っているのです。」

 言ってそこでちょっとメイスは立ち止まり、しゃがんで道端に健気に生えているタンポポをいきなりぶっちぎってむしゃむしゃ食べだした。これがほんとの道草を食う、か。笑えん。

 そして次はおおはこべに手を出し始めた育ち盛り結構なこの草喰う嬢ちゃんに、いきなり私はうさぎです、なんて主張されても普通なら疑い深い冒険者は、ちゃんとした根拠と確証がない限りはなかなか信じられるものではないし、ほいほい信じていいものでもない。

頭が軽くて夢見がちな者が多いと思われるこの家業。夢見事を追っているからこそ、物事にたいしてシビアになるって理屈はどうも世間には分かりにくいようだ。

 しかし、それだって絶対というわけではない。臨機応変という言葉もある。俺のこの場合はもう信じるしか道がない。

 まあうさぎをどうやって人間にするんだよ、って人間からレタスにされた俺が言っても虚しいだけだ。魔道の知識はあまりないが、人間をレタスにするよりかは、うさぎを人間するほうが幾分か簡単だろう。

 ただ、外見上に残るうさぎの特徴が、その赤い目と白い髪だけと言うのが疑問だったんでちょっと前にメイスに聞くと、

「ははあ、世間の人が考えている兎少女という代物ですね」

 とメイスは頷いて

「どういう精神構造をしているのでしょうね、人というものは。人間に変化して、身体全てが人間にかわって耳ももちろんそうなのに、どうしてまだ別に耳だけうさぎのまま残っているんですか? 人間の姿になったら四つ耳があることになっちゃいますよー。それもなんで頭から生えてるんです、耳が。人でも頭から耳が生えていたら不気味でしょう?」

 ごもっとも。

 ウサギ耳だの猫耳だのの可愛い嬢ちゃんに夢を見るのもやめた方がいいのかもな、人類の男ども。

「でもよ、嬢ちゃん。嬢ちゃんがうさぎから人間にされたのはいつごろだ?」

「かれこれ二年ほど前ですねー。どうもお師匠様は研究として人外の魔道の上達率を調べたかったようなのです。それで私が人間にされて、魔法を習うはめになったのですが、研究か何か知りませんが、個人的なことで他の生き物に迷惑をかける姿勢はどこを捜してもアラしか出てこないような物体であるお師匠様のもっともいただけないところですね」

「その二年間、結局、嬢ちゃん戻してもらってないんだろ?」

「はい………」

 初めて能天気、というかどことなくずれた明るさを持った嬢ちゃんの顔が少し曇った。けれど軽く頭を振って持ち直し

「ですからー、最初の方は私もお師匠様に頼ることのみを考えていたのですが、そのうちに考えを改めまして、嫌々習っていたこの魔法を使って、傲慢で尊顔で悪魔のようでってか悪魔の方がおそらく質が良いでしょうお師匠様に頼るなどというこの世にこれ以上に不可能なことはないというような絵空事で自分を偽るほんとにどうしようもないことはやめて一刻も早くうさぎの姿に戻り生まれ故郷の森に帰っていくため日夜この腕を磨くことにしたのですー」

 この嬢ちゃん、たらーとした語尾の伸ばしといきなりの早口が入り混じるなんとも聞きにくい話し方をする。おかげで暴言とかをうっかり聞き流しそうだな。

 そこでふと、今まで俺の質問にいささか余計な無駄口を挟みつつも律儀に答えるだけだったメイスは立ち止まり手の中の俺を見下ろして、

「そこで物は相談なのですけれどねー、レザーさん」

「なんだ」

「私の日夜惜しまぬ努力に寄って、実はだいたいの構成が出来ましてね。なんとか、それらしい術が使えるようになったような気がするのですよー」

「凄いじゃないか」

 自信がないのか今ひとつ変な言い回しだったが、俺は頷いた。能のない相槌だが世辞ではない。魔法なんてこれっぽちも使えない身としては、こんな嬢ちゃんがぱっぱ使えるだけでも凄く思えてしまう。

「それで私は今日、市場に並べられていたレザーさんを見てはたと思いましたー。色といい艶といい葉の広がり具合といいなんて美味しそうなレタス――、あ、いえ」

 ……さっきはなんとなくうやむやになったが――俺、冒険者って職業柄そこそこ修羅場を渡ってきたこともあるが、これほどの脅威は感じたことはない。十四、五の娘に自分が食われるかもしれんと本気で心配する冒険者も珍しいだろう。

メイスは可愛らしいしぐさで誤魔化すように口元に手を当てて、それから言い直した。

「私と同じくお師匠様に同じ変身の術をかけられた方。これはなんてちょうど良い実験体なんだろうと」

 言い直した意味がなかった。

「なんだっ、一体なんだっ、その不穏な言葉はっ!」

「え? 不穏ですかー? たわいもないオーソドックスな研究方法じゃないですか」

「研究される側からすれば全然たわいなくないっ!」

「あー、なるほどー。つまりこれは、うさぎの肩肉を並べられた食卓が人間にとっては、のどかな夕餉の一シーンとなる原理ですね」

 微妙に分かりにくいがまあ、なんとなく分かる理屈だった。しかしこの立場で頷いてはいられない。正論も自分の命がかかれば無理にでも覆さなけりゃならん。

「あんたが自分で自分にかければいいだろっ」

「そんな。まだやっと骨組みが出来たくらいの、不安定な魔法なんですよー。魔法の副作用はその分だけ強大ですから、副作用でなにが起こるか分かりませんのに。もし術が失敗して私になにかあったらどうしてくれるのですか」

「もし術が失敗して俺に何かあったらどうしてくれるのですか」

 皮肉に口調を真似して言い返すと、メイスはなんら思うところもなさそうなのほほんとした顔で

「今日、初めてお会いした方にそこまで義理を持つ必要はありませんねえ。放っておけばあなたはあのままどなたかに買われて食卓にサラダとして並べられていたのが関の山でしょうし」

 どちくしょう。この嬢ちゃん、師匠のこと滅茶苦茶ぼかすか言ってるが、自分だってけっこう、いい性格してるだろ。

 俺が腐ったのが分かったのか、メイスは少し取り直すように

「でもですねー、物は考えようですよ。もしあなたが術でどうにかなっても私は無事なら、私は魔法を使えるわけですから、それを治す手立てもありますが、もし私がどうにかなってしまった以上、私達二人ともお手上げですよ。あなたがただのレタスではないと分かるのは私だけなのですし」

 一理ないこともない。

「それに自分にかけて成功しちゃったら私、あなたのことなんかすっかり忘れて故郷の森に駆けていっちゃいますよー、なんたってうさぎだし」

 そう、うさぎだもんな。

 ここまで一緒に話しながらきて、この嬢ちゃんがそれくらいはするだろう薄情さを持っていることは俺にもだいたい分かっていた。

 そこでふっと急に辺りが薄暗くなったので話を打ち切って先を見やると、夕日がもう大地の端に消えかけている。

 悠久の空は、東に沈みゆく太陽の欠片がひっかかった部分だけはまだ赤々と染められていたが、早くも頭上には藍色に少量の黒を混ぜたような薄闇が広がり、そこにせっかちな一番星が光っていた。刻々と高さによって色使いが変化する空は、やがては闇に飲まれるのだろう。

 あー、なんか色々あったなあ……今日……。

 俺がちょっと遠いものを見るように感慨にふけっていると、メイスがきょろきょろ辺りを見回し始めたので、

「メイス、あんた少し急いだ方がいいんじゃないか。次の村まで結構あるだろう」

「え? そこまで急がなくてもいいじゃないですかー。今日はたくさん歩いたんですから」

「……だって、それじゃどこに泊まるんだよ」

「泊まる? ああ、人間の巣で一夜を過ごすことですね。そんなことするわけないじゃないですか」

 そこで俺はぎょっとした。この薄闇にも可憐に見える細い肩の嬢ちゃん一人(レタスの俺がついてもなんの役にも立たんため実質上)で、この少し視界が悪くなればどんなタチが悪いものが飛び出してきても文句は言えない街道筋で

「まさか野宿するのか?」

「いくら人の姿形をしていると言っても、常識で考えてください。動物の寝床はこの大地ですよ」

 迷惑そうに言ってすたすた街道からそれて行く。――おいおい、仮にも野生動物なら危機意識を持て。野原は狼でいっぱいなんだぞ。



 レタスであるってどんな感じだって? 

 一言で言うなら、そうだな、多分、俺は俺自身の感覚と一旦切り離されて、そして別のどこかへとちぐはぐに繋がっているんだと思う。

 表面の素肌(葉)からは衝撃も温度の差も一応伝わっては来るんだが、覚えていたそれと照合すればどこかしら違和感がつきまとう。何か身体全体をすっぽり真綿にくるまれているよう、全ての感覚から自分が少しずつ鈍くなっているのが分かる。

 おそらくそれは元からレタスにはそんなものを感じる受容器がないのに、ある人間の感覚に無理矢理当てはめた結果なんだろう。

 だが、それでも痛いものは痛い。でこぼこ道を転がっていくのも落とされるのも、受身もとれないこの状態は、身体全体でその打撃を受けなければいけないので、メイスの両手で抱えられて進んでいくのは正直助かった。

 こいつ自身が結構にやばい魂胆を抱いていることは察せられるが、結局のところ喋れないままでは喰われるだけだった運命から救ってくれたということで、メイスは俺の命の恩人に違いはない。

 それもあっての俺の忠告にもその優れた耳を一向に貸そうとせずに、野宿を決行するメイスは今は楽しい食事の真っ最中だった。

 新芽のクローバーです、と言いながら可愛い嬢ちゃんが野原に座ってそこに生えてる草をぶちぶちちぎって食う光景は結構シュールだ。ハードな冒険途中で死ぬほど飢えた時に悲しく口にしたこともあるが、雑草ってなー、人間でも食えないことはないが、アク抜きもしないであのままだと滅茶苦茶苦い。

 その頃には説得を諦めた俺は、ふんばり自力でなんとか転がって、なるべくメイスの傍から離れるように奮闘していた。情けない話だが、なんでそんなことしているかと言うと、メイスが怖かったからだ。

 この嬢ちゃん、話は聞かない癖に食事になると急に雑草を頬張りながらなんだか俺のことをじっと見始めた。

 その時の向けられた赤い瞳は、情熱的といってもいいくらい熱っぽくて、感動したようにわずかに潤み――だけど、夢見がちなんてものじゃない欲望の火花を散らすような激しい光――そうだな、分かりやすすぎて例えにもならないかもしれないが、ちょうど腹を空かしたガキがテーブル一杯のごちそうを見やる時の目だ。

 意図を充分すぎるほどに察した俺の怯えが分かったのか、メイスは取り直すように笑って

「ほら、人間の方でも梅の干し物を見てそれを視覚で感じ取るだけで白いご飯が美味しいと錯覚される方がおられるでしょう? それと似たようなものですよー」

 と、滅茶苦茶怖いことを言いやがった。一気に血の気が(レタスには血が通ってないが)引いた俺の前でメイスは呑気に飯を続ける。

 この嬢ちゃん、外見にだまされず強く用心しといたほうがいい。可愛い嬢ちゃんの傍らで寝て(字面だけならなにやら魅惑的にとれるが意味なく)、朝起きたら葉っぱ一枚食べられていましたとか言ったら、今の俺にはホラーだよ。

 メイスがむしゃむしゃと幸せそうに食事に勤しんでいる合間に転がって距離をとったレタス、もとい俺は一息ついた。

 この頃になると訓練のおかげかうんと思い切りふんばると、反動が生まれて自力でちょいところころと転がれるようになっていた。進歩だ。なんて虚しい進歩だ。それでも俺は転がるさ。

 俺は転がって、少し起伏があったのか弾みがついて二、三回転余分にしてまた場所を移動した。

 それから(気分だけ)息を吐き出して、夜空を見る。メイスは動物にはありがちだが火が嫌いらしく、わざわざおこすこともなく辺りはほとんど真っ暗だ。

 人を襲う動物を避けるにはまったくよくない手だが、逆にそれは人工の狼防止にはいいかもしれん。街道筋は野生の猛獣は寄ってきにくいし、人間にしてみればまさか暗闇の草原で可愛い嬢ちゃんがクローバーに舌鼓を打っているとは誰も思うまい。

 下界は暗く静かだったが、空は明るく賑やかだった。誰かが無造作にちぎったような雲がいくつか散ってそれのどれかに隠れているのか、新月でもないのに月は見えなかったが充分に観賞には値する。闇を背景にばらまかれた星星が、なんだか繋がれてレタスの形に見えた。――追い詰められてんな、俺も。

 夜風が街道を渡って行く音が聞こえる。それを聞きながら茫洋と思った。

 俺、レタスになっちまったんだなあ……

 うっすらと無意識に描いていた未来も、積み重ねてきた今までの過去も自分がレタスになったというだけ(だけ、で言い切れるようなものでは決してないが)で全てが虚しく儚いものへと変わる。

 いや、なんで比較的さっきは落ち着いてた俺がいきなりこんなに落胆してるかって? さっきまではショックで頭が麻痺していたけど、今更急にひしひしと絶望の実感がせりあがってきた? うん、それもある。

 だけど、本当の理由は……。見ちまったんだよ。まだここまで暗くなる前に、メイスが小川に水を飲みに言ったときに、流れの緩い川面に映し出された薄暗さの中でぼんやりと立つメイスの姿と、それに抱えられてる一個の塊。無情な水鏡が映し出すのはそれだけで。

 人間ってのは、人にああだこうだと言われても、結局自分の目できちんと見ない限りはあまりにも突拍子しすぎると思われる現実をなかなか信じられない。俺もどこかで自分がレタスであるということを信じていなかったのかもしれない。

 しかし俺は確かにレタスだった。辺りの暗さであまり細部までは見られなかったが、少なくとも人の形はしていない。人であった自分自身がただの一抱えの塊みたいな姿になっているってのは足元が揺らぐような、抱えていた多くのものを両手から取りこぼしてしまったような、存在全てに結構痛い衝撃だよ、これは。

 ああ、俺は今や元の自分の頭ほどの大きさもない、ただの葉っぱだ。メイスに喰われている道草どもとそうたいした変わりはない。

 人間であることをわざわざ誇りに思ったことなんてなかったが、人の一歩を進むことすら滅茶苦茶難儀なこの状態では人間ってのがどれほど自由でなんでも出来たのかが分かる。レタスは泣けない。悲しい。

 そこで悲嘆に暮れていた俺は、ふと背筋ないがをぞくぞくと走るような奇妙な感覚を感じた。俺はぎょっとして思考の世界から視界を取り戻し、そして目の前にあったものに悲鳴をあげた。

「メイスっ、メイスっ、メイスーっ!!」

 横たわる月のような目が間近で俺を見つめて、甘えるように鼻を鳴らして近づき、次の瞬間、顔の下についた赤黒いざらざらした舌がにゅっと出て、無遠慮に全身を舐めてきた。ヤギだ。ここまでアップに巨大に見えたことはないがヤギだっ! そして俺はレタスだーっ!

 ひたすら喚く絶叫にも気にせずに、舐めるのに飽きたのか、にやりと笑うような目でぱかりと口を開けたヤギが迫ってくる。あの世に直接続いているような、暗いそれを眼前にしてあわや俺の人生、ヤギに食われて終わりかというところで、

「レザーさーんっ」

 その時ばかりは呼びかけに答えて響いてくる、その声が女神のように思えた。メイスがこちらめがけて駆け下りてくる白い姿が目に入る。

「こらーっ、いくら美味しそうだからって私も実験のために食べるのを我慢している私のレタス――もといレザーさんに手を出すとは何事ですかーっ」

 すまん、女神には見えなくなった!

 しかしとりあえず菜食主義者として傍目には温厚と思われるヤギは、その剣幕に恐れをなしてきびすを返した。メイスはそれを遠くへ追い払おうとわざと声をあげて後を追っていく。

 危機は去った。俺は脱力してヤギを追い立ててメイスの後姿を見やった。

 そりゃ、俺も冒険者なんてやってたんだから、今まで命の危機は色々とあったが。あったが、これほど往生際悪く死ぬのが嫌だと思った危機はなかった。

 レザー・カルシス、職業冒険者。その最大の危機。ヤギに食われかけた。それで危機の回避方法。可愛い嬢ちゃんがそのヤギを追っ払ってくれたので危ういところで命が助かった。

 虚しい、虚しすぎる。ここまで男として、いや人類として虚しい真似に陥れるのか、人は。

 ……

 ………

 ……………さてと。落胆はこれくらいにして、実際の話、これからどうするか。本気でそろそろ覚悟を決めなきゃやばい。

 これでヤギ一匹でも今の俺にはどれほどの脅威なのか分かった。あいつらを前に俺は手も足も出ずにせいぜい数回横に転がるのみで喰われるだけだ。

 今は少し別れて行動してる冒険者仲間が聞いたら笑う、間違いなく。笑い事にならないことほど、大きく笑うやつらだ。特にアシュレイの奴は笑い上戸だしな、もう今までの経験であいつを笑い死にさせる自信が俺あるぜ。いやいや、アシュレイを笑い殺す前に奴らと人間として再びまみえることが出来るのか……。

 とにもかくにも、俺はレタスとして一生を終える気は断じてない。早急に対策をねらなきゃならん。俺はころりと半転して(体勢を立て直す気分だ気分っ)考え始めた。

 さっきは上手い具合に中断になったが、覚悟を決めてメイスが生み出した技を実験体として受けてみるか? ぞっとしないが、もしかしたら戻せるかもしれない。可能性がないわけではない。リスクは大きいが。

 それともやっぱりかけた以上は解けることは確実な、ええとコルなんとかって言ったメイスの師匠、この事態の元凶のあの黒髪魔導師をメイスと一緒に探すか?

 しかし仮に無事に見つけたとしても、メイスが二年かけても解いてくれないものを、俺が出て行って一朝一夕で解いてくれるとは思えん。

 メイスの言葉の端々から奴の性格が推し量られるし、実際のんびり街道を歩いていた俺の前に出てきたあの魔導師は、大事なところを締めているネジが十数本は景気よく四方にぶっ飛んだような奴だった。下手してサラダにでもされたら、――まじで笑えん。元から笑う気なんかないけどさ。

 すると、道端に転がりうんうん考えるレタスに向かって、さながら喜劇のピエロを照らし出す舞台の照明のように、つと辺りが明るくなった。

 空には綿帽子をちぎったような小さな雲が、背後からぼんやりと照らされて夜には闇に姿をかき消されてしまう雲の輪郭が見えていた。

 さっきまでその雲で隠れていた月が顔を出したんだ。綺麗な月だが、夜空に浮かんでいるのはふにゃりと欠けた下弦の月で、俺にはさっきのヤギの瞳を彷彿とさせてぞっとしなかった。だけど、満月でもないのにほんとに明るい月だ……

「――ッ」

 不意に、身体がずくんと疼いた。それから耐えられないほど半ば凍えるような熱さが全身をかけあがり、一瞬で頭にあった思考を焼いた。その衝撃は劇的な苦痛と俺の中の空白を作り出す。強引に揺さぶられて、俺の存在がぶれた。

 すると、そのぶれた部分をとっかかりにして、まるでまとった服を――いやもっと地肌に近い――まあ、蛇でもない限り分からないだろうが、こう脱皮するような、自分の身体に地肌と変わりないほどぴったり被っていた表面を無理矢理剥がし残骸を脱ぎ捨てるような感覚がした。

 熱と共にそんなものが一瞬のうちにすっと通り抜けて、身軽になった俺の身体が妨げるものは何もなく竹のようにすくすくと伸びていき、さっきより遥かに自分の視点が高くなっているのに気付く。

 異変に戸惑っているうちに、変化は終わっていた。そして俺は俺が今、人の姿に戻っているのだと分かった。目の前で自分の意思で動かす手が確かに人間の手であることを数回軽く握ってみて確信した。

 月の光が落ちる夜の草原の只中、俺は片肘をついた中腰の格好で、今日の朝にはその姿であった俺自身に戻っていたんだ。

 そのことを悟って、俺がその突然の僥倖に歓喜する暇もなく、がたんっと物音と卑猥な笑い声が響いた。

 声の発生元は間違いなくメイスが駆けて行った方向だった。

 腰に手をやると、ちゃんと柄には剣があった。それを抜きはらい物音と声があがった方に俺は駆け出した。



 赤い瞳と白い髪の可愛らしい少女は、自分の髪につと伸びてきた荒れた手に嫌がって身を引こうとしたが、強く肩を掴まれた。そのまま、顎をぐいと掴まれて顔を無理矢理上に向かされる。

「ちと若いが、こりゃ上玉だぜ。」

 息がかかるほどの近くで、どこか据えたにおいを放つ男の顔が笑う。

「逃げたヤギがこんな嬢ちゃんを連れて戻ってくるなんてついてんな。一石二鳥って言うのかよ、こういうの」

「いいえ間違いです。私は鳥じゃないですー。こちらもヤギさんです、どちらも鳥じゃないです」

 手を振り払い、言い放った少女に男達は顔を見合わせてどっと笑う。それをメイスは見回した。

 どこからか略奪してきた後なのだろう、馬車や家畜をぞろぞろと引き連れた、まだ血の匂いも新しい獣の毛皮がつぎはぎされた服をまとった十数人の男達が自分を囲んで、その顔には一様にすぐさま意図が察せられる笑いを浮かべて見ている。

 男達の誰もが少女の上背を遥かに抜く巨躯であるのにたいして、同じ生き物とは思えないほど少女は小さく見えた。囲まれた中にぽつんと一人いる様は、確かに猟犬達と獲物の図に違いはない。

「あなた方は野盗という職業の方ですね。実に人の傲慢さや強欲さを慎みという言葉を忘却して発散し現している方々と聞いていますー。私達のような野生動物に近いとたまにあなた方を評して言われるのですがとても迷惑な話ですよ。私達は自らが食べるのに充分なもの以外は狩ることも食すことはありません。常に美味しそうなレタスのレザーさんが目の前にあっても、このように理性があるのですからねー」

 少女はいつもの調子で少し早めの口調で言った。それから赤い目を細める。

「今までの態度からあなた達の意図は私に危害を加えることだと断定してよいみたいですね」

「危害なんて加えねえよ。大事に大事に可愛がってやるさ」

 メイスは眉をよせ口の端だけで笑った。

「遠慮しますよー。あなた方は理想の端くれにもかかりませんもの。口も臭いますし。私の理想はぴんと髭が立派に張って俊敏な足にとても小さな音でも聞き分けられる優れた耳の優秀な雄兎ですから」

 瞬間に伸びてきた腕を背後にとんでかわしたメイスが、口元で小さくなにかを唱える。男達が色めいた。どれほど倫理、道徳が抜けても備え持った場慣れの直観力で事態を感じ取り、それぞれの獲物を抜いて警戒心を露にする。

「魔導師かっ!」

「いいえー、魔導師というものは、魔法使いのランクアップした敬称なのですよ。私はまだまだ魔法技術が低いので魔法使いです。魔導師という敬称を名乗ることは、与えられる方についての人格的な問題は全く必要とないらしくて、私のお師匠様も使われているくらいですから、純粋に力量のみで魔を導く師、という名に相応しい方が用いられます。――あ、魔法演唱を中断してしまいました」

 ぽやっとそんなことを言った少女の眼前に煌めいた白刃が次の瞬間、静まりかえった夜に厳しい音をたてて弾き飛ばされた。広がる暗い布がざわりと視界を一瞬奪って、闇に霞む人影が動く。

 銀の弧を描き空を舞う刃がまだ地面に落ちぬうちに、その影は次の行動に移っていた。

 風の精霊をも切り裂くほどの早さで抜き身の剣が男の腹に叩き込まれる。血が飛ばないので、峰を返しているのだろう。鈍い音がする。

 小さなうめき声の他は悲鳴もあげられずに、一陣の風のごとき黒い影が襲来して回りこんだ後は、まるでそれ自体はただの合図であるかのように、一拍遅れた必ず同じタイミングで男達の身体が崩れ落ちる。

 唐突な乱入者に出鼻を挫かれて思わずメイスが動きをとめてそれを静観していると、急に小さな彼女の身体が後ろから掴み上げられた。

「うっ、動くなっ!」

 腕を外側に不自然に締めつられて、ぴり、と痺れるような痛みが走る。人の物とは思えないような動きを見せた黒い影はその声に気付いて振り向き、すっとその勢いが消失した。今にも新たなターゲットに飛び掛ろうとしていた体勢を平常に戻して、手にした剣をぶらりと降ろす。

 背後で呆然と息を吐き出す音がした。動きからはとても人を予想されるものではなかったそれが、陳腐な脅しで本当に止まるかどうか自信がなかったためだろう。思わぬ運びに自分を掴みあげた男がなんとか調子を取り戻すように、へ、へへと笑う声が、耳にかすった。メイスにとってそれは不快だった。彼女はちょっと考え込むような顔して、すぐさま口元で小さく呪文を唱える。

 月明かりに照らされた夜に、パッと白い光が散った。メイスの自由であった左手に生まれた、ちょうど鶏卵ほどの大きさの光の塊を、彼女は自分を捕まえていた男の顔面に叩きつける。

 甲高い悲鳴とともに自分を拘束していた腕が緩むと、そのまま足の近くにあった男の膝を踏み台にしてメイスはひょいと上に跳んだ。

 まだ意識があった盗賊達がうげっと奇妙な声をあげる。空に舞い上がった少女は軽々とその彼らの背丈を飛び越して、ゆうに二リーロル(約五メートル)を何気なく跳躍した。

 背後に負うようにした月光に照らされて、華奢な輪郭だけがくっきりと浮き彫りになり、白い髪が月の光と同じ色に染まって月と少女の髪との境界線が分からない。

 こちらを見下ろす小さな顔の中の赤い瞳は壮絶に輝き、戦慄するほど異質な美しさに魅せられる。

 人がなしえることではない所業を呆然と野党達が見上げる中で、生まれた空白を影だけが消費せずに動いていた。

 ぶんっと夜を裂いて振りかぶった剣の動きに男が気付いたか気付く直前かの瞬間に、メイスを捕らえていた相手は鋭い一撃を食らって突風を食らった木のようになぎ倒された。大の男一人を半リーロルもの後方に吹っ飛ばしたその男の力量もまた人間のわざとは思えなかった。

 メイスが生み出した光は、目くらましとして破裂させた強烈さはすでに失い薄れていたが、まだほのかに辺りを照らし出し、影の主の背中を辛うじて浮かび上がらせる。

 剣を振るう人影は急激な動きに飛び跳ねる濃い青色の長い髪を無造作に一つにくくり、少しくたびれた旅のマントを翻す剣士のようだ。しかし、次の瞬間に光は消えて、またも男の姿を影で隠す。

 闇が戻った場で、彼はくるりと片足を軸にした、ダンスのような軽快な動作で残った男達の方に向き直った。そこで彼は夜の中でにやっと笑ったようだった。笑みを含んだ声が告げる。

「別にお前達は、動いてもいいぜ?」

 後はしごく簡単だった。

 数分後には数にして十数人はいた男達は抵抗らしい抵抗もできずに全てその場に崩れ落ち、累々と人の身体が重なる中でただ一人立つ影がしゃっと剣を鞘に収めると、鞘に収められていく際の刀身が月にあたって白い光を跳ね返した。

 それから月を背にしてその顔がよく見えないが――どうも先ほど閃光に照らされてわずかに見えた長めの髪を後ろで一つに束ねている、すらりと背の高い戦士はこちらに歩を進めて寄ってくる。メイスの目にも彼の身のこなしには全く隙も無駄もないことが、その間のわずかな動作だけで察せられた。

「メイス」

 立ち回りの後なのに息一つきらした様子もなく穏やかに、どこかで聞いた声で呼びかける。なぜ名前を知っているのかとは思わずに

「ええっと…………えー、なんだか分かりませんが、余計な介入、どうもありがとうございました。あなたにとってはただの自己満足の結果の行動とはいえ、私の助けになったことも確かにそれは結果としての事実なのですから、私もあなたの自己満足の副作用として出た利益を得た身である以上はその自己満足をもっと高める手伝いをするぐらいのことはすべきだと思いますので、私メイス・ラビットはお礼を言いますー」

 その言い草に、影がかかる顔が苦笑したようだ。

「いいさ。ヤギから助けてくれた礼でちゃらだ」

「はい?」

「レザーだ。俺はレザー・カルシスだ」

 その言葉に思い切り胡散臭そうな目でメイスは影を見据えた。

「レザーさんはレタスですよ」

「元は人間だっ!」そう怒鳴るように叫び、けれどそこで嬉しさが隠し切れない様子で苦笑が漏れる。「戻ったんだよ、ほらこの通り」

「闇夜に眼が利かないからと言って騙そうとしてもそうはいきませんよー」

「騙しやしない。ほんとに戻った」

 そうして腕を振った男を前に、初めてメイスはようやく少しは信じたのか、ショックを受けたように俯き、それからそのからくりを見極めてやろうとじっと目を細める。

「どうして元に戻っているのですか? お師匠様に魔法をかけられたのに」

「分からんが、なんだかいきなり勝手に。でもほんとに助かった、そりゃたいした人生でもねえがヤギに食われて終わるような最期は死んでもごめん――………」

 呟きかけた途中で頭上ではまた再び雲がかかったのか月明かりが途切れて、うっすらと辺りはまた光のない闇夜に戻った。

 そこで闇と薄闇との交代に気を取られたわずかな間に、メイスは眼前の人物が忽然と消えていることに気付いた。よく見ると足元にぽつんと丸いものが落ちているのが目に止まり、それまでの猜疑と落胆を全て消し去ってほわっと笑う。

「ああ、レザーさんですー。ほんとにレザーさんだったんですね。疑ってしまいましたよ」

 転がったレタスは一瞬の呆然とした沈黙の後

「なんでだーっ!!!!!!」

 とわめき散らした。

「確かに戻ったのにっ! 人間にっ、戻ったのにっ! 確かにっ!」

 わめいてわずかに左右横に転がるレタスをそっと白い手が包み込んで持ちあげる。

「ええっとですねー、多分、おそらく―――キーワードは月、ですね」

「つ――月?」

「魔導師には大まかにわけて二つの属性があるのですよ。通称、朝と夜の属性。朝は白魔術や法衣魔術と言ったものが得意な方に多く見られる属性でして、夜は攻撃魔術や呪い毒と言った黒魔術を得意とする方の属性です。当然ながら当然のごとくうさぎの耳が長いことのように当たり前のことですがお師匠様は夜の属性でして、夜を支配するものと言えば当然闇と月ですね。夜の属性の魔導師は、月の魔力を貰って力を増幅させるのです。あなたにかけられた魔法を構成しているのはお師匠様のその魔力からですから、月の光を浴びて妙な相乗効果がおこりそれできっと一時的に術をかけられていない状態に戻ったのでしょう。だから、月が隠れればレタスに戻る、っと。…………んー、とっさに考えたにしては、なかなか理が通っていますねー。なさそうな話でもないですし、これぐらいで納得してください、レザーさん」

「納得できるかぁっ! そ、そんなのってあるかっ!!」

「いいじゃないですかー、月が出ている晩は元に戻れるなんて羨ましい。私はこの二年間、一度も元に戻ったことなどないのに」

「ぬか喜びだっ! あの魔導師の陰謀だっ! ちくしょうっ! ちくしょう! ちくしょう!」

「落ち着いてください、レタスさん」

「レザーだっ!」

「レタスのレはレザーのレと同じだから間違えますよー」

「たったの一字で間違えようがないだろっ」

「うーん、ちょっと運動したり魔法使ったりしてると、なんだか眼が覚めてしまいましたね。仕方ないですから盗賊さん達を連れて次の村まで行きましょうか。役所につき出したら、野菜が買えるお金がもらえますー。キャベツ、ニンジン、ハクサイ、小松菜、と。」

「おいっ、きいてんのかっ、人の話っ」

 騒ぐ手元を完全に無視して、メイスが小さく何か唱えると、倒れ伏した男達の身体がいっせいに見えぬ釣り糸に引っ掛けられたかのようについと空を浮かんで馬車の中に詰まっていき、これ以上収納できずにあぶれた残りは天井に無造作に載せられて、そこで馬は何事かに気付いたように顔をあげゆっくりと足を動かしはじめた。

 格段に重いそれを引いているわけだが、馬の歩みにはそのような様子は見受けられない。からからと音を立てて地面に轍を残す馬車の車輪もまた重みで深く食い込んでいるような跡はなかった。

 レタスを抱いて夜の中を歩き出す少女の後ろから、家畜達は自主的についてくる者もいれば、何か思うところがあるのか街道から離反してどこかへ向かう者もいる。それでも多くの量の戦利品が馬車を筆頭にして少女の後を辿った。

メイスはどことなく機嫌が良さそうに

「レザーさんは冒険者とお聞きしましたが、実はとてもお強いのですねー。あの人数をあっという間に倒されてしまって。あれほどお強い剣士は私、この目で見たことがありませんよ。もしかしたら、レザーさんただの冒険者ではないのではないですか? 最悪という題材で極悪という七色の絵の具を使って描かれた絵のような存在のお師匠様ですが、なんの気まぐれかきっとただの気まぐれですがあまり一般人には魔法使ったりしない人ですし、自分以外の出る杭は打ちまくるという非常に狭量な精神を持たれた大成したことが不思議なくらいの器の小ささを見せる人ですからねー」

「なんで俺なんだっ、なんでまたレタスなんだっ、なんでだなんでなんだよっ!!」

「お顔が結局よく見れませんでしたー。今度の月夜はカンテラ持って見ましょう。存外、かっこいいのかもしれませんー」

 呟きながら夜の街道を少女が軽い足取りで進む。しばらくすると興にのってきたのかふんふんと調子を取り始め、やがて澄んだ声でゆっくり歌いだした。

「レタスのレ~はレザーのレ~と同じだから、間違えます~、私に~仲間ができました~基本ポジション話し相手で~ちょうどぴったり実験台~月夜の晩には護衛してくれて~そして最後は非常食~ユーアーザーベストパートナー美味しいレタスのレザーさん~」

「生贄にするなっ、喰うなっ、そんなもんは仲間と言わんっ、レタスじゃないっ、そして歌うなーっ!!!」

 月が隠れた夜の中で、誰もいない街道をレタスを抱いて機嫌よく歌を紡ぐ少女と、それに抱かれたわめくレタスが進み、その後をのろのろとついてくる馬車と引く馬と家畜達の一行がゆったりと続いた。



 この広い世の中にゃあ、不幸な奴なんて大勢いると思う。自称でも他称でも、長い人生とにかく色々あるもんだろ。なあ。

 今、俺はそんな奴に一言こう言いたいと思う。

 なにがあっても、強く生きろよ、って。

 ――あ、……え?

 い、言うなっ、それを言うなーっ!!

 同情なんていらんっ!! そんな目でみるなっ!

 言うなっ、言うなっ、聞きたくないっ! そんな言葉聞きたくないっ! 言うなっ、言うなーーっ!!!!


 ――強く生きろよ。



 『お前もな』



                      完



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