遺物
私は粗末なパイプ椅子に座って、目の前の哀れな警備員を見下ろした。
両手両足を縛られ、目隠しをされ、猿轡をかまされた初老の男は、体を必死に芋虫のように動かしている。本人は真剣なのだろうが、見ているこっちからすれば見苦しいことこの上ない。猿轡にかませたロープの間から唾液がこぼれ、目隠しから滴る涙と鼻水で見るに堪えないありさまになっていた。
とは言え、こうなることも無理はない。私はバッグから500mlペットボトルのスポーツドリンクを取り出し、一口飲んだ。私の背後の部屋からは鈍い打撃音とくぐもった呻き声が聞こえてくる。今殴られているのはこの男の同僚かもしれない。
彼が戻ってくれば忙しくなる。私は肩まである髪を後ろでまとめてポニーテールにした。服は黒っぽい運動用のジャージ。服はこのままでいい。
がちゃりとドアの開く音がした。振り返るとスキンヘッドの大男が立っていた。優男風の柔らかな相貌にスーツを着こなしているが、拳にはタオルが巻き付けられ、乾いて黒っぽくなった血がこびりついている。
「確認が取れた。出発するぞ。その男は適当に始末しろ」
「わかった」
私はそう返事をして、バッグからFNS40自動拳銃を抜いた。サプレッサーが取り付けられ、亜音速の特殊な弾薬を使っているため銃声は小さく抑えられている。
男の言ったことを聞いて激しくのたうつ男に、銃口を向け引き金を引く。分厚い布に何かをたたきつけたような、減音された銃声とともに撃ち出された弾丸は寸分たがわず男の顔面に命中した。肉を弾丸が突き破る音より、骨を弾丸が割る乾いた音のほうが大きかった。肉と骨の破片と流れ出した血が、コンクリート打ちっぱなしの床を汚した。真鍮の薬莢が地面を転がって、風鈴のような綺麗な音が響く。
「仲間はもう場所に向かっている。俺たちの持ち場に急ぐぞ」
男の運転する赤い日産セレナで、私たちはすぐ近くのマンションに向かった。後部座席は荷物でいっぱいなので、私は助手席に座っていた。22階建てのおしゃれな最近立ったらしい新築。駐車場に乗り入れ、関係のないスペースに無断で停める。
男は向かい側に止められた黒のインプレッサを一瞥してから、歩き出した。
二人でマンションに正面から乗り込んでいく。私はバッグからカードキーを取り出し、オートロックを解除。エレベータに乗り込み、19階へ、そこからは階段だ。万が一を考えば、エレベータは即応できない分危険性が高い。
屋上に向かう階段に人の気配を感じた。男をアイコンタクトを取り、私が先行した。
私服警官らしき男が一人、ベージュのスーツを着込んでいるが、左脇が膨らんでいる。いかにもジョギング帰りといった服を着ている私を見て、ここの住人とでも勘違いしたのだろう私服警官が私に声をかけようとした。
「今日は屋上は立ち入り禁―」
私は彼がそう言い切る前に、私は彼の片手をつかんだ。手首の関節を軽く極め、そのまま乱暴に階段から投げ落とした。
鈍い打撃音と共にコンクリートの床にたたきつけられ、低いうめき声をあげて何とか起き上がろうとした私服警官に、背後に控えていた男がのしかかるように近づいた。振り下ろすような右ストレートをのどに叩きつけ、気道を潰す。そうして声が出なくなったところでフックを顎を殴って、脳を揺らす。これだけで私服警官は意識を失った。
「馬鹿か、単哨なんて殺してくれと言ってるようなもんだ」
男が拳銃を抜きつつ言った。独H&K社製、Mk24、減音器が装着されている。
「行くぞ。ここからは時間が勝負だ」
私も拳銃を抜く。セーフティを解除し、初弾が装填されていることを確認する
屋上に出ると情報通り、警察の狙撃手が二組、周辺の建物からの狙撃を警戒していた。身体が締め付けられるのを嫌う狙撃手は防弾ベストなんて着ていないから、撃ち殺すのは簡単だった。
念のため、大急ぎでクリアリングして、他の警官がいないことを確認してから階段に倒れたままになっていた私服警官を適当に屋上に転がして、準備完了。
眼下の街を見下ろして、一息、深呼吸。呼吸を落ち着けて、精神を統一する。
やることはいつもと同じだ。
何も変わらない。
私は手を誰かと握手するように差し出した。強い風が私の髪をなびかせ、私の手にひんやりとした感覚を与える。
閃光が私の手のひらで弾けた。青写真のような画像が私の脳内を駆け巡る。静電気のような刺激が私の手のひらから腕にかけてを走り回る。発光する粒子がまるで蛍のように私の手のひらに集まってくる。
一瞬だった。私の手には、銃身を握るような形で巨大な銃が現れていた。
バレットM107、50口径の重機関銃弾が10発、ほとんど弁当箱のようなサイズの弾倉に詰め込まれている。その巨大なマズルブレーキは反動を軽減させ正確な照準を可能にする。
隣を見ると男も同じ対物ライフルを持っている。
銃器なんて、どうだっていい。
何を使うかは重要ではない。何を成すかが重要なのだ。
目の前、屋上からの風景を見下ろす。マンションの前には幹線道路が走っている。何の関係もない人々が何も知らずに走り抜けていく。黒のワンボックス、白の軽自動車、派手な赤いセダン、ほろ付きの軽トラ、そして―――黒のトヨタ・クラウンの三台からなる車列。
「所定の敵を。俺がS1、S2 、S3を。お前はS5、S6、S7を」
「了解」
私は座射の姿勢をとった。このマンションはほかの狙撃手の潜む拠点よりも高い位置にあるから、狙うのは簡単だった。S4―私たちが潜む、狙撃手が潜んでいた場所は、絶好の立地にあった。高倍率のスコープの中心に、S5地点のスナイパーをとらえた。必然的に少しだけ見下ろす形になる
「カウントは5だ。ゼロのタイミングで撃て」
「……」
ゼロ、と男がつぶやくと同時に、私は引き金を絞った。拳銃の銃声とは比べ物にならない砲声が、私の鼓膜を叩く。
私と男が対物ライフルの引き金を引くのと、ほとんど同時だった。
幹線道路を走っていたワンボックスが轟音とともに火柱を上げた。まるで爆撃を受けたかのように車体の破片をまき散らし、衝撃波で周囲の車が吹き飛んだ。
すぐ隣を走っていた三台の黒のクラウンも、その餌食となった。三台中、前を走っていた二台が横転し、最後の一台の弾き飛ばされてガードレールに激突して止まる。
その爆発音にかき消されるように響いた銃声、それとともに吐き出された12.7mmの大口径弾が、特別警戒中だった警察の狙撃手に襲い掛かった。
寸分たがわず弾丸は狙撃銃を構えていた男の顎に炸裂した。大口径弾の強烈な螺旋運動によって、命中とともに肉を弾き、骨を砕く。そのまま貫通した弾丸は男の頸椎を抉りながら抜けていった。
照準を切り替え、その隣にいる観測手を撃つ。双眼鏡を持った男は死体になった狙撃手を見て絶句しているような様子だった。動かないうちに、私はまた引き金を絞った。胸に命中し、文字通り大穴が開いた。抉られた肉は後方に散ったのが見えた。
私はスコープから目を放し、S6、別の狙撃チームに狙いを切り替える。車列を爆破した犯人を探して銃口を振る哀れな二人をあっさり射殺する。あくまで自分たちは狙撃する側、攻撃されることなど、夢にも思っていなかったのだろう。
最後の狙撃チームに照準を切り替える。潜んでいる場所は大体ここと同じくらいの高さ、観測手が何か無線に向けて叫んでいる。ほかの狙撃手がやられたことに気付いたらしい。今更、何をやっても遅いのに、迎撃を試みるらしい。
私は最後の観測手を撃った。どてっぱらに一発。内臓をかき回す、特上のボディブローを叩き込まれ半回転するような形で吹き飛んだ。飛び散った血が、隣の狙撃手にかかった。反動で銃が浮き上がる前に、私はこちらを見る驚いた顔の狙撃手を確かに確認した。
即座に構えなおした。スコープの先にはこちらを狙撃銃で狙う男があった。
私に向けられた銃口が火を噴く瞬間を、私は確かに視認した。まるで華が開くように、7.62x51mm弾のマズルブラストが広がり、一瞬で消えていくのを見た。
風を切る弾丸が私の耳元を抜けていった。強力な風であおられた7.62x51mmの比較的軽量な弾頭はわずかに逸れ、虫の羽音を数十倍に激しくしたような音と共に私の耳をかすめ、後方のコンクリートの壁に突き刺さった。
「……」
引き金を絞る。50口径の巨大な弾頭は、風に多少揺らぐことはあっても、この程度の距離で外すことはない。元々警察の狙撃手を殺すには多少オーバーキルだ。確実性を求めた結果とはいえ、本当ならば相手をひき肉にする必要はない。赤い霧が舞うのを確認して、私は銃を放した。最後まで見る必要はなかったし、凄惨な死体も見飽きていた。
男も同じように、銃を地面に放った。弾はまだ残っているが、やることが終わったら去る。眼下の幹線道を見下ろすと、活動を始めた仲間が軽機関銃や突撃銃を撃ちまくって逃げ惑う市民やパニック状態になった警察官を一方的に射殺していた。
一気に階段を駆け下り、そのまま駐車場に向かう。ここに来るのに使った赤のセダンはそのままで、代わりに黒のインプレッサに乗り込んだ。見た目は普通だが足回り、エンジンを強化した改造車両だ。防弾版も追加して、万が一の場合に備えている。男が運転席に、私は後部座席に乗り込むとすぐ男はアクセルを踏み込んだ。パニックの市民が逃げ出せば、すぐにでもここらは渋滞で動けなくなってしまう。
後部座席で私はまた新しい武器を練り上げる。発光する粒子が形作るのは、小型の短機関銃、P90TR。5.7mmの専用弾を使用し、低反動に高い貫通力を両立し、閉所でも使いやすい。追跡された場合にはばらまいても余裕のある50連発弾倉を利用できる。使わないに越したことはないが、準備だけは怠らないほうがいいだろう。
マンションの駐車場を出てしばらくして、男は懐から携帯を取り出し、何やら操作した。
バックミラーに、強烈な赤い光が映った。
駐車場に置き去りにした日産セレナが爆発したのだ。155mm榴弾と120mm成形炸薬弾を束ね、これに加えて航空用焼夷弾を併用している。生じた衝撃波が周囲の建物の避難中の人々を死傷させ、車と弾殻の破片がその被害を拡大させる。白リンを利用した焼夷弾が周囲を焼き尽くし、マンションもろとも焼き払う。私たちがそこにいたことは気付かれてしまうだろうが、私たちの残した証拠やデータも消し飛んだ事だろう。
一言も会話のないまま、インプレッサは疾走した。警察に追われることもなく数時間走って、途中で大型ショッピングモールの立体駐車場に入る。そこでインプレッサは乗り捨てて、事前に用意しておいたトヨタのランドクルーザープラドに乗り換える。
県をまたぎ、すれ違う車も少なくなってきたところで、男がようやく口を開いた。
「……妙な仕事だったな」
「そうかもしれませんね」
男はカーラジオのスイッチを入れると、女性レポーターの声が流れ出す。
「こちらはテロのあった場所に来ています。警察によるとまず走行中の車両が相次いで爆発し、それに次いで銃器で武装した男たちが無差別に銃撃したとのことです。死傷者は100名以上に及び……」
そこでレポーターの声が途切れた。その後、いささか興奮したように話が再開した。
「新しい情報が入りました。国際テロ組織『×××××』が犯行声明を発表しました。移動中であった政府重役の暗殺に成功した、とのことです。現在政府は事実確認を急ぐとともに、負傷者の収容に全力を挙げていくとのことです」
「……本当に、妙な仕事だ」
男はラジオの音量を下げつつ言った。
「テロを代理で引き受けるなんて、俺たちになんの利益があるっていうんだ?
奴らのイデオロギーには崇高な行為かもしれんが俺たちはそんなもんに共感しちゃいないだろうが……」
「……そうかもしれませんね」
私は窓の外の風景を眺めつつ言った。
「なんだ、お前はあいつらが言うようなイデオロギーに共感してるっていうのか?」
いささか不機嫌そうな男が言った。逃げ切ってさしあたりの危険もなく、気が緩んでいるのだろう。
「共感はできません、しかし、彼らの行動は『理にかなっている』と考えます」
「……どういう意味だ」
男が眉をゆがませたのをミラー越しに見た。
「彼らにとって価値観と、私たちの価値観、そしてこの国の価値観は異なります
彼らの社会を、この国が破壊した。その報復に乗り出す。当然のことです」
「それでも、奴らの言いなりになって代理でテロを起こす理由にはならんだろう。それに標的になったのはこの国の上層部だけじゃなく一般市民も多く含まれていたはずだ」
「だからこそ、ではないでしょうか」
「……失われた身内の命を、相手の死をもって報いたといいたいのか。尊い仲間の命が奪われたから、相手の命を奪うことで報復を果たすということか」
「違います」
私は断言した。
「むしろその逆です。人命が本当に平等に尊いでしょうか? それよりむしろ、平等に無価値というべきではありませんか? 平等に価値があるのであれば、生物が争うなんてことはありえないでしょう。
彼らも、自分たちが失ったものと同じくらい重要なものを、相手から奪おうとしているのではないですか? 多様な価値観という甘言に踊らされ、形骸化した『価値観』に生きている者たちに彼らと同じものを奪うことはできない。
そういった社会で、価値あるものは個の命です。いわば、生命の価値がインフレを起こしているといっていい。
無価値であったはずの生命が、その範疇を超えて重要視されている。被害者より加害者の人権が重視される、この国の現状を見れば明らかではありませんか? 大義よりも、個の生命が重要視される、歪んだ社会ではありませんか?
私たちの価値観で言うならば、人命より大切なものを奪われた者たちが、その報復として同等に大切なものを相手から奪おうとしている。それがたまたま人命であった、というだけでしょう」
男がため息をついた
「お前の言うことはわかりそうでよくわからん」
「それで構いません。こんな事も私が勝手に考えているだけかもしれません。
貴方が私の考えが分からないように、だれもテロ組織の人々が考えていることなんてわからない。
他人の腹の内なんて知りようがない。自分の腹の内だって、本当はよくわかっていない人が多いんじゃないでしょうか。
自分が感じていることが、本当に自分が考えている事なのか、本当に自分がしたいことなのかなんて、自分でもわからないでしょう。
究極的に人間を理解する事なんて、できる訳がない」
男の運転するランドクルーザーは途中で山道に入り、隔離された山中の別荘に乗り入れた。頻繁に利用されている痕跡はないが、大きな駐車場があり、車十台ほどのスペースがあった。男は車をその隅に停める。
「とんだ貧乏くじを引いたもんだ。とっとと帰るぞ」
男はそう言って、両手を目の前にかざした。
対物ライフルを練り上げた時と同じ、光の粒子が宙を舞った。今回はその比ではない量の粒子が、乱舞する。流線型のフォルムを形作り、あっという間に造形されていく。
ベル412ヘリコプター。この国で飛んでいても違和感のない、民生のヘリコプターだ。双発のエンジンに、4枚のブレード。航続距離もそこそこ長く、目的地までは優にたどり着けるだろう。
「これで仲間の迎えが来ているところまで向かう」
「前回は船に潜水艦で脱出でしたが、今回はヘリですか」
「ああ、ヘリパッド付きの偽装貨物船が近くに来てる。国境警備の連中や警察の目を盗んで着陸したらヘリを分解して、あとはのんびり船旅だ。拠点まではゆっくりできるとさ」