第76話 『母親の願い』
フューズ達の危機に、突然として現れ救ったのは、王族カジュスティン家を名乗る女性トワと、ヨウジという男性だった。
「その騎士服……」
フューズはその騎士服に見覚えがあった。白色がベースで、肩から袖に掛けて青いラインが入っている。まさしくそれは、
「あ、やっぱり分かる? そう、これは副都の騎士服だよ。って言っても、私達はもう卒団してるんだけど、色々あって聖騎士団には入団しなかったから、騎士服がこれしか無くて、アハハ……」
そして、フューズはトワを見ていて、もう一つ疑問に思った事があった。それは、トワのお腹が大きく膨らんでいた事だ。
太っているという訳ではない。トワの腕や脚、首元などは華奢で細かった。
「そのお腹……」
「あ、これ? ウフフ、私の子供なんだ。もうすぐ生まれるんだよ?」
「妊婦なのか……? その若さで……まだ十代だろう?」
フューズがそう言うと、トワは十代と言われた事に嬉しくなり、手を頬に当てて、体をくねらせて、
「十代に見える!? 本当!? ウフフ、嬉しいなぁ!!」
「お兄さん、全然十代じゃ無いよ、こいつ。もう二十歳のおばさんだから」
ヨウジがそう言うと、トワは頬を膨らませながら、
「ちょっと!! 何で本当の年齢言っちゃうの!? それにおばさんじゃないから!! 二十歳はまだまだお姉さんだよ!! じゃあ、ヨウジくんも二十歳だから、おじさんになっちゃうね!!」
「いいよ、俺はおじさんでも。っていうか、ニワちゃんに子供居んだから、トワは叔母って事じゃん」
「あ、そっか!! じゃあ、エレナちゃんが喋れるくらいまで大きくなったら、叔母さんって呼ばれるの!? そんなの嫌だぁ……」
すると、トワはその場にしゃがみ込み、地面を指で弄りながら不貞腐れる。
「私……まだお姉さんなのに……エイナちゃんと、エリナちゃんは私の事、叔母さんって呼ばないけど……エレナちゃんが叔母さんって呼んだら、私……叔母さんになっちゃうよ……」
「あの……君達……」
戦場だと言うのに、ほのぼのした会話をする二人に、フューズは呆気に取られていた。
「あ、ごめんね!! ここは私達に任せて早く逃げて!!」
「いいんだよ、お兄さん。怪我人だろ? それに、奥さんだって気を失ってるし、娘さんも怖がってる。早く逃げな?」
すると、二人は敵の大軍を前に立ち並び、意識を集中させる。先程までの、ほのぼのとした空気が嘘の様にピリついていた。
「トワ、お前はあんまり無茶すんなよ、妊婦なんだからな」
「馬鹿言わないで。今は、戦争中だよ? 妊婦であろうと、戦わない訳にはいかないのよ」
「あのな……それで、怒られんの俺なんだからな。お前ん所のお母さん、怖いんだよ……本当……」
「大丈夫だよ。怒られるならヨウジくんじゃ無くて、私の旦那さんだから……!!」
そう言うと、トワは走り出した。極力、お腹の中の赤ちゃんに衝撃がいかない様に走る。
そんなトワを見て、ヨウジは深く溜め息を吐いた。
「はぁ……ったく、もしお腹の子に何かあったら、顔向け出来ねぇだろうが……」
ヨウジもそう言って、トワの後を追った。フューズは、二人が敵と戦うのを見てる事しか出来ない。
逃げる事で精一杯だった。フューズは、友理奈を抱き抱え、ヒナの手を引いてその場から逃げる。
「礼を……言いそびれてしまったな……」
――時は戻り、卓斗がシドラス帝国に来た日から三年前。
この日はフューズの友であるエドラの結婚式が行われる日。エドラと第三次世界聖杯戦争の事を、懐かしむ様に話していた。
もう二度と、あの様な戦争は起きてはならない。そう願いながら。
「あれから十三年……その者達と会う事は叶って居ない……王都に行けば会えるかも知れないがね」
「まぁ、王都なんか、なかなか行けないからな……同盟も結びにくいのが本音なんだろ?」
「あぁ……力不足で申し訳ない……」
すると、その場に遅れて友理奈とヒナが到着する。友理奈は青色のドレスを着こなし、ヒナはピンク色のドレスを着ていた。
「おお、流石はシドラス帝国国王の家族、奥さんもヒナちゃんも美しいな。新郎新婦である俺達より、目立ってるんじゃないか?」
「そんな事無いですよ。今日の主役は、エドラさんと奥さんなんですからね? エドラさん、ご結婚おめでとうございます……ゴホッゴホッ……」
友理奈が突然咳き込み、フューズは心配そうに歩み寄る。ここ最近、友理奈の体調は万全では無く、不調が続いていた。
ヒナも心配そうに母親を見つめ、背中を優しく摩っていた。
「大丈夫か、ユリナ」
「えぇ、大丈夫よ……これくらい、すぐ治るわ……」
治癒魔法を掛けても治る事は無く、風邪にしてはあまりにも期間が長過ぎる。それは、日に日に酷くなっていた。
「優秀な治癒魔法使いを探すから、あまり無茶はするな。今日だって、家に居て良かったんだぞ?」
「今日は祝いの日よ? 家に居てジッとしてるなんて、出来ないわよ……心配しなくても大丈夫だから」
フューズの最近は、治癒魔法が優秀な者を探す事が仕事になっている。だが、誰を連れて来ても友理奈の症状は収まらない。
日に日に弱っていく妻を、見てられない。フューズも心苦しかった。一刻も早く、妻を楽にしてやりたい。
家族三人で、安心して日々を過ごしたい。毎日、ただそれだけを願っていた。
――結婚式が始まり、新郎新婦が晴れやかな姿で登場する。そのウェディングドレス姿にヒナは目を奪われた。
「綺麗……」
女性が人生で一番輝き、美しい時が結婚式の時だろう。真っ白なウェディングドレスを身に纏い、会場に居る全ての者の視線を掻っ攫っていく。
「ヒナも、いつかウェディングドレスを着る日が来る……素敵な旦那さんを見つけるんだよ?」
「お母さんは、私のウェディングドレス姿って見たい?」
「当たり前よ。貴方を育てる上での、一つの区切りだからね。その日が来るのを、楽しみにしてる……」
「じゃあ、お母さんも早く病気を治さなくちゃね」
ヒナがそう言うと、友理奈は笑顔を見せた。いつの日か、ヒナが晴れ舞台に立つ時、見守りたいと願う友理奈。
その為には、一刻も早く病気を治さなくてはならない。病気なんかに、負けてられないのだ。
――それから、数日が経ったある日。友理奈の病気の症状は酷くなっていくばかりだった。
立っているのも辛く、寝込んでいる事が多くなっていた。
「お母さん、大丈夫?」
「ヒナ……私は……大丈夫……」
「今、お父さんが治癒魔法使える人を探しに行ってるから。帰って来るまでは絶対に死んじゃ駄目だからね!!」
友理奈は虚ろな目でヒナを見つめて、笑顔を見せた。弱っていく母親を見ていると、涙が溢れてくる。
――その頃、フューズはある情報を元に、とある国へと向かっていた。その情報とは、黒のテラが身体に危険を及ぼすとの事だった。
フューズはその黒のテラを何とかするべく、テラを封印する能力を持つと言われる『賢者様』を探しに、ガガファスローレン国へと向かっていた。
馬車に乗ってガガファスローレン国へ向かう途中、フューズは妻が大事に持っていたヘアピンを握りしめていた。
この世界では見た事の無いヘアピン。友理奈がこちらの世界へと飛ばされて来た際に持っていた物だ。
「ユリナ……待っていろ……」
そして、馬車は目的地であるガガファスローレン国へと到着する。国を囲う様に、何十メートルにも及ぶ塀が建てられていて、外から見れば、要塞にも見える。
入り口は正門に一箇所しか無く、そこに門兵が二人立っていた。フューズは入国許可を貰い、中へと入る。
ガガファスローレン国の国内は、非常に殺風景だった。真ん中に大きな闘技場があり、その近くにはレンガで建てられた建物が幾つか並んでいた。
この国には、一般の民達は住んでおらず、フューズと行き交う人々は皆、騎士だった。その鎧には血の跡や、打撃の跡、斬り傷などが入っていてた。
闘技場の奥には、王邸の様な豪華な建物が建ってある。恐らくここに、ガガファスローレン国の国王が住んでいるのであろう。
だが、フューズの目的は国王に会う事では無い。妻の黒のテラを封印して貰うべく、『賢者様』を探さねばならない。
そんなフューズを、ガガファスローレン国に住む騎士達は鋭い眼光で睨んでいた。
血生臭い臭いと、一切気を抜けない程の殺気で溢れていて、フューズも早くこの国を出たいと思っていた。
「す、すみません。少しいいですか?」
「あぁ? 何だお前。見ない顔だな」
「一つ、お伺いしたいのですが、ここに『賢者様』と呼ばれている人は居ないでしょうか?」
「賢者様? あー、あいつの事か……そいつなら、もうすぐ出番で準備してるんじゃねぇか?」
「出番?」
フューズが首を傾げると、声を掛けた男は面倒臭そうに頭を掻きながら、闘技場を指差す。
「お前、何も知らないで、この国に来たのか? まぁいいや。闘技場で行われる騎士団同士の戦いの事だよ。その賢者様ってのも、もうすぐ出番だから、闘技場に居るんじゃねぇか?」
そう言うと、男は立ち去って行く。フューズは立ち去る男に向かって頭を下げると、闘技場へと向かった。
闘技場へ入ると、観客達の歓声が聞こえて来た。「殺せ」などの野次が飛び交い、フューズは思わず息を呑んだ。
最上段から下を見下ろすと、真ん中にステージがあり、二人の騎士が本気の殺し合いをしていた。
一人はまだ若い青年だ。そしてもう一人は、屈強な体をした老人だった。
すると、フューズの隣に居た観客の会話が聞こえてくる。
「お前、どっちに賭けた?」
「俺はもちろん、賢者様だ。連戦連勝の最強爺さん。今回も賭け金は頂きだな」
屈強な体をした老人が、『賢者様』だと分かり、フューズも賢者様を見つめる。
すると、賢者様の剣が青年の胸元を貫き、勝敗が決した。その瞬間、沸き起こる観客達の歓声。
賢者様と呼ばれる老人は、そのままステージを後にする。フューズも、闘技場の入り口へと向かい、賢者様を待つ。
賢者様を待つフューズの隣を、先程の青年の死体が運ばれて行く。未来を担う筈の若者が、この様な最期を迎えた事に、フューズは胸が痛んだ。
すると、賢者様と呼ばれる老人も仕事を終えて、入り口の方へと歩いてくる。
「あ、あの……!!」
「何ですかな?」
屈強な体をした白髪の老人は返り血を浴びて、鎧は汚れていた。そして、その老人に見つめられると、フューズは思わず恐怖を感じてしまった。
よくよく考えれば、今先程人を一人殺したばかりの人だ。そんな人物を目の前にして、恐怖心が溢れてくる。
「用が無いのなら、私は行かせて貰う……」
「待って下さい!! 貴方が『賢者様』ですよね?」
「周りはそう呼ぶが、私の様な老軀、賢者の名に相応しい者では無い。既に廃れた知識欲……私から教える事も何も無い」
フューズは老人に向かって深く頭を下げ、
「貴方にお願いがあって来ました!! 貴方の知識を貸して頂きたいんです!! 妻を……私の妻を助けてやって下さい!!」
「助ける? 話が読めんな。この老軀の知識を借りて、どう助けるんですかな?」
「妻の体を蝕む病魔を、追い払って欲しいんです……妻のテラを……封印して下さい……!!」
深く頭を下げたまま、フューズは老人にそう話した。フューズの熱意が伝わったのか、老人はフューズの肩に手を置くと、
「分かった。この老軀の知識、存分に使うといい。して、奥様のテラとは?」
「本当ですか!? ありがとうございます!! 妻のテラは、黒のテラです」
「――っ!!」
黒のテラと聞いた老人は、目を丸くして驚いていた。すると、老人は、
「ならば、早急に行くとしよう。其方の国とはどこに?」
「シドラス帝国です。案内します」
――二人は友理奈とヒナの待つシドラス帝国へと向かう。その道中、フューズは老人の話を聞いていた。
「貴方は、何故『賢者様』と呼ばれているんですか?」
「私は、物事を深く知る事が好きでね。知識欲なら、誰にも負けていない自信はあった。そして、知識量も……色々と旅に出て世界を周り、知識を蓄えた。その時、周りは私を『賢者様』と呼ぶ様になった」
「では、何故ガガファスローレン国であんな事を……」
「知識を蓄える一環として、騎士団に入る事を決めた。だが、それが間違いだったんだな……ガガファスローレン国はあってはならない国だった。そこで知った知識に、私は絶望した……ガガファスローレン国はいずれまた、戦争を起こす。だが、私はガガファスローレン国から抜ける事を許されていない。抜ける事すなわち死ぬ事だからな」
老人の話を聞いて、フューズは悲しくなっていた。そんな国があっていいものなのか。
殺し合いをさせ、国から抜ける事も許さず、未来の見えない国が存在していいのか。
そんな話をしているうちに、シドラス帝国へと到着した。王邸のフューズの部屋へと入ると、友理奈は更に辛そうにしていた。
「ユリナ!!」
「お父さん!! お母さんが!!」
老人も寝込む友理奈の元に近付き、症状をみる。『賢者様』と呼ばれる老人の知識に、フューズは期待感を抱いていた。――だが、
「この症状は……私にも分からない……見た事無い症状だ……」
「見た事無い……?」
豊富な知識量を持つ『賢者様』でも、友理奈の症状を把握する事は出来なかった。
それもその筈、友理奈を蝕む病気とは癌だからだ。この世界に癌という病気は存在しない。
つまり、日本から来た友理奈の病気など、この世界の人間は知る筈も無いのだ。それは、この世界の神だったとしても。
「それじゃあ……ユリナは……」
「一度テラを封印してみる。それで、症状が収まるかも知れない……」
老人はそう言うと、友理奈に両手を翳す。すると、黒色のテラが手に纏う。
すると、友理奈の体中から黒色のテラが溢れ出してくる。友理奈は苦しそうに悶えている。
「うっ……ぐっ……!!」
「ユリナ!! 大丈夫だ!! もう少しの我慢だ!!」
「お母さん……!!」
見るに耐えない光景に、ヒナは涙が止まらない。フューズも涙を流していた。
すると、老人の手に纏っていた黒色のテラが消え、掌の上には、ふわふわと友理奈の体から出て来た黒色のテラが浮いている。
老人がそのまま掌を握ると、小さな黒い玉へと変わっていく。
「ハァ……ハァ……あな、た……」
「ユリナ!!」
「これで、奥様の黒のテラは封印した。もう戦う事は出来ないが、一命は取り止めた筈だ」
だが、友理奈の症状は収まるどころか酷くなっていた。そして、友理奈本人も、分かっていた。
――もう時間が無い事に。
友理奈は最期の言葉を伝え様と、ヒナとフューズの方を見やる。
「あなた……この世界の、事……色々と、教えてくれて……ありがとう……幸せ、だった……よ。日本……にも、招待して、あげたかった……な。迷惑……かけて、ごめんね……? ――愛……してる」
「ユリナ……」
そして、友理奈はヒナの手を握り、
「ヒナ……あな、たの……成長を……最後まで、見届け……られなく、て……ごめん……ね? ヒナ、は……私の……様に、強く……逞しく……成長、するん……だよ? それか、ら……お父さん……みたいな、人……と、結婚……するん、だよ……ヒナ、――愛し……てる……」
「お母さん……!!」
そして、友理奈は虚ろな目で二人に微笑み、
「大好き……だよ……、――――」
友理奈の最期の言葉を聞き届けたフューズとヒナは、泣き崩れていく。老人も自分の知識が足らなかった事を責める様に、拳を強く握っていた。
「ユリナ……すまない……!! お前を……守れなくて……すまない……!!」
「この玉は……どうするかね? 奥様の形見として、持って置くか?」
「賢者様……そうさせて貰います……わざわざ、ありがとうございました……」
――そして、現在のフューズは、過去を振り返りながら、ウエディングドレスを見に纏うヒナを見つめていた。
「ユリナ……ヒナはこの三年で立派に成長した……お前の為にも、ヒナに政略結婚などさせない……」
シドラス帝国の全員が、ヒナとディーンの結婚を阻止するべく、一致団結している。
新郎役を務める卓斗も、シドラス帝国の民の優しさと、温かさを噛み締めていた。
「ヒナ、お前の母ちゃんの為にも、この結婚は阻止しなくちゃならねぇ。絶対にお前の母ちゃんは、この結婚の事を望んじゃいねぇだろうしな」
「当たり前よ。私も、お母さんが愛したお父さんみたいな人と、結婚したいから」
母親の願いを背負い、ヒナは強く生きている。自分も母親の様に、誰かを愛し、愛される日が来るのを待って。
ディーンとの結婚は、そんなヒナの望みとは程遠い。それは、フューズも友理奈も一緒だ。
愛のない結婚など、する必要は無い。
――その時。
「――その結婚、ちょっと待ったぁぁぁぁぁ!!!!」
野太い声の叫び声が、会場全体に響き渡った。全員が声のする方を見やると、そこには、
「来たわね、くそ王子……」
「あれが……?」
イストライル国からシドラス帝国へと向かっていたディーン一行が到着した。




