特別話 1 『一夏の思い出』
――夏。
灼熱の太陽が大地を焼かんと照りつけ、地球上の温度を上げていく。体内の水分が枯れる程の暑さに、人間も動物も魔獣でさえも、お手上げ状態だ。
――これは、卓斗達が副都へ入団して、迎えた夏の頃の話。
「――暑ぅ……」
副都の教室で、机に上体を預けて、怠そうに寝ているのは卓斗だ。一人だけという訳でなく、教室に居る全員が暑さにやられていた。
「この世界にも夏とかあんのかよ……てか、日本より暑くねぇか……?」
「はぁ……喉乾いた……もう、無理……」
卓斗の隣の席で、スカートをバタつかせて、太ももに風を送っているのは、絶世の美女エレナ・カジュスティンだ。
「お前、元々こっちの世界の人間だろ……? これくらいの暑さ、慣れてるだろ……」
「馬鹿言わないでよ……暑いものは暑いの。ねえ、食堂に水でも飲みに行かない?」
「馬鹿、実戦任務に向かう人らと、それを見送ってる人らに怒られんぞ……」
今現在、この教室には卓斗とエレナ以外に居ない。実戦任務に向かうメンバーと、それを見送りに行っているメンバーは、外に居る。
卓斗とエレナは、あまりの暑さにより、動く気が失せて教室で見送りを済ませた後だった。
「大丈夫よ……直ぐに飲んで戻って来ればいいのよ」
もはや、喉に潤いを欲しているエレナの声は、若干掠れ気味だった。
そして、自分の言葉に返事をしない事に疑問を持ち、ふと卓斗の方へと視線を向ける。
「――――」
暑さで睡魔にやられたのか、卓斗はエレナと会話の途中で眠ってしまっていた。
「私との会話の途中で、寝てるんじゃないわよ……」
エレナは、卓斗の寝顔をジッと見つめている。そして、自分の中である葛藤をしていた。
「寝てるから……大丈夫よね……いやいや、もし起きたらどうするの……」
どの様な葛藤と戦っているのか分からないが、エレナは先程よりも汗を垂らし、顔を少し赤らめていた。
そして、深呼吸をして、一旦落ち着くと、
「ふぅ……何で、私ってあんたみたいな男を……好きになっちゃったのかな……」
エレナにとって、これが初恋だった。王都ヘルフェス王国の王族カジュスティン家の王妃として過ごしていた日々では、同じ年代の男の人と会う機会も無く、勿論、恋すらした事が無い。
だが、そんなある日、エレナは出会ってしまった。自分の身分も知らない、この世界の事も全然知らない不思議な男性、卓斗に。
当初は、王妃である自分を知らないなんて、あり得なかった。カジュスティン家滅亡の話も、この世界では有名な話で、自分を知らない人など、ほぼ居ない筈だ。
だが、卓斗は当然そんな事など知る由も無く、エレナを王妃扱いする事も無かった。
護衛だと強制的に押し付けて、行動を共にし、共に戦い、エレナの気持ちは、どんどんと恋心へと変化していった。
そして、決定的だったのが、神王獣との戦いの時だ。セラと三葉が瀕死に追いやられ、エレナは時間を稼ぐ為に神王獣と一人で闘った。
だが、あまりにも無謀過ぎる戦いに、死を覚悟した。その時、エレナの脳裏には卓斗の姿が浮かんでいた。
助けてくれるなら誰でもいい、という訳ではな無く、卓斗に助けを求めている自分が居た。
そこで、ようやく卓斗の事が好きなんだと、自覚する様になった。
自分を特別扱いしない卓斗が、仲間想いの卓斗が、エレナは好きだった。
「直ぐに怒るし、馬鹿だし、ムカつく時もあるけど、私はあんたが好きなのよね……本当、どう責任取ってくれるの?」
「――――」
まじまじと寝顔を見つめていると、一旦落ち着いた筈の、葛藤と再び戦っていた。
「起きない……よね?」
エレナは席から立ち上がると、卓斗の元へと近寄り、どんどんとゆっくりと、顔を近付けていく。
卓斗の寝息が掛かる程の距離まで顔を近付ける。心臓が張り裂けそうな程に、小刻みに振動している。
息を殺し、卓斗を起こさない様にエレナは更に顔を近付ける。――否、キスをしようとしていた。
唇と唇が触れようとした瞬間――、
「――っ!?」
突然、卓斗が起き上がったのだ。エレナは驚きとっさに、変なポーズを取って誤魔化す。
「あー……」
だが、卓斗の様子は少し変だった。大量の汗を流し、顔を赤らめて虚ろな目で、エレナを見ていた。
「ど、どうしたの……?」
「やべぇ……体が……怠い……」
その瞬間、卓斗は気を失いかけ、倒れ込む。エレナはそんな卓斗を抱いて受け止めると、卓斗の息は荒くなっていた。
「ちょっと、タクト!? どうしたの!?」
いわゆる、熱中症というやつだ。エレナはすぐさま、治癒室へとタクトを運ぶ。
自分の体重より重い卓斗を背中に抱えて、急いで治癒室へと向かう。卓斗をベッドに寝かせ、水で濡らしたタオルをおでこの上に置く。
「暑さにやられたのね。まぁ、寝てれば治るわ」
そう言ってエレナは、教室へと戻ろうとする。その時、突然卓斗に手を掴まれた。
「――っ!! 何!?」
「う……」
卓斗は無意識にエレナの手を掴んでいたのだ。そしてそのまま、グイッと引っ張られると、エレナは卓斗の隣に倒れ込む。
実質、一人用のベッドに二人で寝ている形になっていた。突然の事に、エレナは動揺が隠せない。
「ちょ、ちょちょ……!! 何やってんの!?」
エレナの体温はどんどんと上がっていく。むしろ、自分の方が熱中症になってしまうんではないかという程に。
だが、卓斗は無意識で未だに眠っている。エレナは、そんな卓斗の隣で、寝顔を見つめる。
「どうして、こんな事に……」
倒れ込む際に、腕枕状態になっていて、体と体が完全にくっ付いている。狭いベッドに二人で寝るとこうなるのは当たり前だ。
すると、卓斗は寝返りをエレナの居る方向にする。腕枕をしていない方の腕が、エレナを抱き締める様に回され、卓斗の顔とエレナの顔の距離は、今にも唇が触れてしまいそうな程に近かった。
「――ちょっと!?」
こうなってしまったら、エレナも葛藤には勝てなくなる。だが、相手が寝ている時に、キスをするのもどうだろうか。
ちゃんと、お互いの同意の上でした方がいいのでは無いか。何故なら、エレナにとってそれは、ファーストキスになるからだ。
「エレナ……」
すると、卓斗が寝言の様にエレナの名を口にした。その瞬間、エレナの中で何かが弾ける様な感覚に襲われた。
心臓を握り潰されているかの様な感覚、体の芯から暑くなる様な感覚、もうその瞬間にエレナに躊躇いは無くなった。
「あんたが悪いのよ……」
エレナは卓斗の唇に重ねる様に、自分の唇を近付ける。そして、――二人の唇は優しく重なる。
目を瞑り、卓斗の服を優しく握り、恥ずかしさと暑さでどうにかなりそうなのを堪え、エレナはそっと唇を離す。
初めての経験に、エレナは林檎の様に顔を赤く染め、卓斗を見つめていた。
そして、いつから自分がこんな変態的になってしまったんだろうと、後悔もしていた。
だがそれでも、何故かもう一度したいと願ってしまっている自分が居る。変態でも何でもいいから、この時間がずっと続けばいいと願っている自分が居る。
緊張と恥ずかしさと暑さで、汗は止まらない。顔も、胸元も、太ももにも、汗が流れているが、それさえも気にならない。
――もう一度。
最早、今のエレナにはブレーキなど無い。体が勝手に動いてしまう程に、求めてしまっている。
こんな考えられない行動でさえも、してしまうのが恋の恐ろしさなのかと、エレナは実感した。
そして再び、エレナは唇を重ね様とする。――その瞬間、
「――何やってんの、あんた達……」
治癒室の扉の方から声が聞こえ、エレナはとっさに上体を起こす。重低音の様に心臓が大きく鼓動していた。
そして、恐る恐る振り向くと、そこには顔を赤らめてエレナと卓斗を見つめるレディカの姿があった。
「――レ、レディカ!? い、いつから……そこに……」
「いや……さっき来た所だけど……二人で何してんの……?」
「え、え!? あー、いや、その……か、看病!! そう、看病してたの!! タクトが急に暑さにやられちゃって、倒れたから……その……」
レディカは疑いの目でエレナを見ていた。それもその筈。とっさに起き上がったエレナの服装は乱れ、上着ははだけて肩が露出し、スカートは捲れて、下着が見えそうになっていた。
そして、卓斗の腕枕していない方の腕は、エレナの腰を抱く様に添えられている。
その様な光景を見て、誰が看病だと信じるのだろうか。すると、
「――レディカ、エレナ達居たのか?」
その場に遅れて、セレスタが駆け付けた。そして、治癒室を覗き、その光景を見た瞬間、セレスタは治癒室の扉を閉める。
「ちょ、ちょっと!! セレスタ!! 違う!! 誤解なの!! セレスタ!!」
エレナの叫びは虚しく、治癒室に響くだけだった。そして、その声を聞いた卓斗が目を覚まし、
「んあ……あれ、俺寝てたのか……って、何してんだ、エレナ」
今の状況が飲み込めない卓斗は、目を擦りながらエレナを見やる。エレナは目に涙を浮かべて、
「あんたの所為よ!!」
――治癒室に、激しい平手打ちの音が鳴り響いた。
エレナの一夏の思い出は甘くもほろ苦い経験となった。
次回より、第三章に突入です!!




