第55話 『カルナ・モーヴィス』
その日は、生憎の天気だった。真っ青な空は雲に覆われ、鼠色一色の空と、傘を差すかどうか迷う程の雨が降っている。
そして、場所は王都三大王族が一つ、ルシフェル家の邸宅。この日のルシフェル家は騒がしく、メイド達は忙しそうにしていた。
「そろそろね」
そう言葉にした女性。明るい茶髪に、肩上程の長さでサラサラな髪質。キリッとした目だが優しさに包まれた瞳をしていて、碧眼だ。
白色のワンピースを着ていて、スタイルもスリム。その女性は一室の絨毯の上に座り、目の前に居る小さな少女を眺めていた。
小さな少女は、明るい茶髪で、緩くふわっと癖っ毛な髪質。最初の女性と似た様なワンピースを着ていて、手に持つぬいぐるみで遊んで居る。
すると、ルシフェル家の邸宅に赤ちゃんの泣き声が響き渡った。大人達の歓喜の声も聞こえてくる。――新たな生命の誕生だ。
女性の居た部屋にメイドが慌ただしく入って来て、その誕生の吉報を伝えに来る。既に、声が聞こえて居たのでその女性は知っていたが、祝いの吉報という事だから、敢えてメイドからの言葉を待った。
「カルラ様!! 生まれましたよ!! 元気な女の子です!! 母子共に健康です!!」
その言葉に、カルラと呼ばれたその女性は安堵した。その様子を見ていた小さな少女は、分かる言葉と分からない言葉に首を傾げていた。
「貴方の妹の様な存在の子が生まれたのよ。カルナ」
小さな少女の名は、カルナ・モーヴィス。当時二歳のカルナには、まだ分かる言葉と分からない言葉があった。
それでも、妹とか生まれたとかの言葉は分かる。
「いもうと? うまれたの?」
「えぇ、見に行こうね」
カルラは立ち上がり、部屋を出て行く。その後ろをメイドとカルナが追い掛ける様に歩き出す。
新たな生命が誕生した部屋に入ると、そこには先客が二人居た。
一人は、綺麗な桃色の髪色で、毛先が緩くふわっとしているロングヘア。鼠色のワンピースを着ていて、お腹はポッコリと膨れている。いわゆる、妊婦だ。
もう一人は、金色のショートボブで、白色ベースの騎士服に緑色のラインが肩から入っている。
表が白色で裏地が緑色のマントを付けていて、まだ生まれて間もない赤ちゃんを抱いている。
「あら、お姉ちゃん。来てくれたのね」
「えぇ、先客が来ていたのね」
ベッドに座って、生まれたばかりの赤ちゃんを抱いているのは、カルラの妹のセレナ・ルシフェルだ。
「ニワさんに、シルヴィアさん。妹の為に、わざわざありがとう」
先客二人の名前は、妊婦の方がニワ・カジュスティン。赤ちゃんを抱いているのがシルヴィア・エイブリー。
エレナの母親とエシリアの母親だ。エレナはまだニワのお腹の中に居て、シルヴィアが抱いているのがエシリアだ。
「まさか、各王族に同い年が生まれるなんてね。ニワの子も、もうすぐなのよね?」
「はい、後一ヶ月程ですね。カルラさんのお子さんはもう二歳?」
「ほら、カルナ。歳を教えてあげなさい?」
カルラが優しくカルナにそう話すと、指でぎこちなくピースサインを作って、
「にちゃい!!」
「そう、もう二歳になったのね。うちの子と歳も近くなるし、仲良くしてあげてね?」
「ニワの子は、どっちになるんだろうね。男の子か女の子か。うちは女の子だったけど」
シルヴィアが抱いているエシリアをあやしながら、そう言葉にした。
卓斗達の元居た世界と違って、お腹の中にいる子の性別を判断する方法が、この世界には無かった。
生まれる時まで性別が分からず、男の子か女の子かどっちになるかという楽しみがあった。
「私の所は、既に女の子が二人生まれてるからね。どうせなら、女の子がいいわ。シルヴィアの子も、セレナの子も女の子だし」
ニワの子には、エイナとエリナが既に生まれて居た。お腹の中に居るエレナが三人目となる。
「そう言えば、セレナの子の名前は決まったの?」
「その質問、待ってたわよ、シルヴィア。もう決めてあるの」
セレナは自分の赤ちゃんに優しく微笑んで、
「――セレスタ」
この日、ルシフェル家に新たな生命が誕生した。セレスタ・ルシフェル。
泣き疲れて寝ているセレスタを、まだ二歳のカルナは不思議そうに見つめている。
頬を指で突いたり、小さな手を握ったりと初めて見る赤ちゃんに興味津々だ。
「あかちゃん!!」
「カルナがちゃんと、お姉ちゃんみたいにセレスタをお世話してあげるのよ? この子はいずれ、王になるかも知れないからね」
王族に生まれた者が、必ず通る道。それが、王戦だ。王族の家系に生まれた宿命を生まれたばかりの赤ちゃんは背負うのだ。
すると、セレスタが生まれた吉報に慌ててセレナの部屋へと入って来る者が現れる。
「セレナ!! 生まれたか!!」
息を切らして、部屋に飛び入って来たのはセレスタの父、シルヴァだ。
「はい、生まれましたよ。元気な女の子ですよ。名前はセレスタ」
「セレスタ……俺に、娘が出来たのか……そうか……」
シルヴァは、優しくセレスタを抱き抱えると、スヤスヤと眠る顔を見て微笑んだ。
「あかちゃん!!」
そんなシルヴァの元に、カルナが歩み寄って抱き抱えられているセレスタを見上げる。
「従姉妹の関係に当たるカルナには、セレスタの面倒を見て貰おうと思っている。ちゃんと、お姉ちゃんらしくするんだぞ?」
「うん!!」
今では考えられない程の、優しい微笑みを浮かべるシルヴァ。非常に微笑ましく、温かな空気が流れていた。
――そこから四年の月日が経つ。ここまでに色々とあった。セレスタの初めての経験を幾つも行い、幸せな日々が続いていた。
セレスタは四歳になり、カルナは六歳になっていた。二人の関係は本当に仲の良い姉妹の様だった。
時には鬼ごっこをして、隠れんぼをして、競走をして、基地を作って、二人は常に一緒だった。
お風呂に入る時も、寝る時もずっと一緒で誰がどう見ても姉妹にしか見えなかった。
逆に、実の兄であるオルヴァとは食事以外で出会う事は無く、セレスタから見ても、気を使う存在だった。
オルヴァとカルナは同い年だが、関わる事は殆ど無く、ルシフェル家で出会うのはセレスタとセレナくらいだった。そんなある日、
「兄上は全然、私と遊んでくれない……家ではずっとカルナちゃんと一緒だし、カルナちゃんの方が兄上って感じ!!」
オルヴァは六歳にも関わらず、剣技や魔法の修行に明け暮れていた。いずれは、ルシフェル家の王を受け継ぐ為に。
だが、その分セレスタが寂しい思いをしていた。当時のルシフェル家には、セレスタと歳の近い者はカルナとオルヴァしか居なかった。
実の兄のオルヴァはセレスタを放ったらかしにして、妹としては寂しい毎日だった。
そんなセレスタを見ていたカルナは、余計にセレスタを一人にして置く事が出来なかった。
本当の妹の様にも思えてきて、尚更自分が面倒を見てあげなくてはという使命感に駆られた。
「セレスタ、女の子の場合はお兄さんじゃなくて、お姉さんって言うのよ? 兄妹じゃなくて姉妹って言うの。私とセレスタはもう姉妹の様な関係だから、私の事はお姉ちゃんって呼んで良いわよ?」
「本当!? じゃあ、カルナお姉ちゃんって呼ぶ!! 私とカルナお姉ちゃんは姉妹なんだね!!」
無邪気な笑顔で嬉しそうに飛び跳ねるセレスタ。そんなセレスタをカルナも笑顔で見つめていた。
私が守らなければ、それが自分の使命であり宿命。そう自分に言い聞かせながら。
「今度、私のお友達にカルナお姉ちゃんを紹介するね!! エレナちゃんとエシリアちゃんって言うんだけど、皆で一緒に遊ぼ!!」
「うん。皆で一緒に遊ぼうね」
セレスタ達の母親同士は仲が良く、エレナが生まれてから度々会っていた。いわゆる、幼馴染というやつだ。
四歳になったこの頃から、セレスタは街へと出てエレナとエシリアと遊ぶ機会が増えて行った。そんなある日、カルナは初めてセレスタ達が遊ぶ場に同行した。
「カルナお姉ちゃん、こっちこっち!! 早く!!」
「待って!! そんなに走ったら転けるよ?」
その場所は綺麗な色取り取りの花が咲く草原だった。そこには、エレナとエシリアがセレスタとカルナを待っていて、笑顔で手を振って迎え入れる。
四人以外に人の姿は無く、このお花畑は彼女達だけの貸切状態だった。
「セレスタちゃーん!! 早くー!!」
「エレナちゃん、エシリアちゃん!! 紹介するね、カルナお姉ちゃん!!」
エレナは新しい友達に興味津々に見つめている。エシリアは人見知りを出して、エレナの背中に隠れていた。
カルナはこの二人を知っている。セレスタの口から度々出てくる名前というのもあるが、それ以前にこの二人も王族の王妃だ。
「こんにちは、エレナちゃんとエシリアちゃん」
「こんにちは!! カルナちゃんって、セレスタちゃんのお姉様?」
エレナの言葉に嬉しそうにセレスタが、
「そうだよ!! 私のお姉ちゃん!! 姉妹なの!!」
「初め……まして……」
エシリアは、恐る恐る口を開いて涙目でそう言葉にした。エレナとセレスタ以外の同年代の人には、なかなか打ち解ける事が出来ないエシリア。
そんなエシリアに、カルナは笑顔を見せて、
「初めまして。セレスタと仲良くしてくれて、ありがとう。エシリアちゃん」
「はい……!! こちらこそ……!!」
この日は四人で色々と遊んだ。エシリアもカルナに対して徐々に打ち解けていき、帰る頃にはその日の別れを惜しんでいた。
「じゃあね、エレナちゃん!! エシリアちゃん!! また今度!!」
「また……遊びに来て下さいね? カルナちゃん……!!」
「うん。また来る」
約束通り、その後も何度か四人で遊んだ。と言っても、月に一回程度だが。
それにも理由があった。セレスタがこうして、エレナやエシリアと遊んでいる間、カルナは強くなる為に剣技や魔法の修行を始めていた。
時々、息抜きでセレスタに同行して遊ぶが、遊んでばっかもいられない。セレスタを守ると決めたカルナは、強くならなければならない。
――それからまた四年の月日が経ったある日、カルナはいつもの様にセレスタを見送ってから、鍛錬場へと向かった。
するとそこには、いつもは別の場所で修行をしているオルヴァの姿があった。
「何でここで?」
「俺様がどこで修行しようが勝手だろ。それより、貴様も修行か?」
十歳になったカルナとオルヴァ。相変わらず、オルヴァとは食事以外で会う事は無く、こうして会話をするのは初めてに等しい。
「そう、私も修行。強くなりたいからね」
「フン、貴様らモーヴィス家は俺様達を守るのが仕事だからな。とは言え、俺様は守られる様な男じゃないがな」
「別に、貴方を守りたくて強くなりたいんじゃ無い」
二人は一切目を合わせる事なく、剣で素振りをしている。どちらが素振りを長く続けれるか、何も言わなくてもお互いのプライドが勝負をさせている。
お互いの素振りが千回を超えた頃、オルヴァが口を開いた。
「ハァ……ハァ……貴様、いつまで振ってんだ……!!」
「ハァ……ハァ……貴方こそ……!!」
そして二人は、疲れが頂点に達し同時に倒れ込む。仰向けに寝転がり鍛錬場の天井を眺めながら、
「貴様……俺様より強くなる必要は……ハァ……ハァ……無いんだぞ……」
「私は……ハァ……ハァ……守る側の立場、だから……誰よりも……ハァ……ハァ……強くないと、いけない……」
「貴様が……守りたい……のは、セレスタ……か」
カルナは深呼吸をして上体を起こし、オルヴァの方に視線を向けて、
「うん。私はセレスタをずっと守る。貴方が妹を放ったらかしにするから、寂しがってたよ。もう、八歳になって何とも思ってない様だけど」
「フン……俺様は忙しいんだ。妹に構ってる暇は無い」
「貴方、まだ十歳でしょ」
ここで初めて、二人は笑顔を見せた。生まれてから十年で、この会話が初めてになる。
同じ家に住んでいるにも関わらず。と言っても、家の大きさの規模が桁外れだが。
「貴様がセレスタを守れるかどうか、俺様が見てやろうか?」
「手合わせって事?」
そう言うと、オルヴァは立ち上がり剣を構えた。カルナも立ち上がり、剣を構える。
「俺様に勝てば、認めてやる」
「私に負けて、後悔しないでね」
そして、二人は同時に剣を振りかざす。同い年という事もあり、お互いのプライドのぶつかりは激しかった。
「やるな、貴様!!」
「流石、王の家系ね」
――お互い、高い技術と十歳にして高度な魔法を屈指して、相手に猛威を振るう。そして、
「ハァ……ハァ……」
オルヴァの首元に剣先を向けて、一本取ったのはカルナだった。オルヴァは悔しそうな表情をして、
「ハァ……ハァ……やるな……セレスタの事は、貴様に任せた」
「貴方こそ……お兄さんらしい事も、たまにはしてあげて」
オルヴァとカルナの間に、確かな信頼関係が生まれた。それは、ライバルとも呼べる物だった。
カルナはそれでも、まだまだ強くなる為にセレスタの居ない間とかは修行に明け暮れた。
時には、オルヴァと共に修行をしたりもし、セレスタも修行をしたりもしていた。
徐々にセレスタとオルヴァも兄妹らしくなり、カルナにとってもセレスタにとっても幸せな日々が続いていた。
そんなある日、カルナとセレスタは王邸に遊びに来ていた。目的は、セレスタの祖父ルイス・ルシフェルに会う為だ。
「お爺様!!」
「おぉ、セレスタ!! 来てくれたのか。何も無いがゆっくりしていってくれ。カルナもいつもセレスタの面倒、ありがとのぅ」
「いえ、望んでやっている事なので」
セレスタとカルナが王室のソファに座ると、ルイスの側近がお菓子などを出してくれる。それも、目的の一つだった。
「して、カルナよ。セレスタの最近の様子はどうだ? わしは国王の仕事で、こうして来てくれん限り見れないからのぅ。教えてくれ」
ルイスとしても、孫がこうして会いに来てくれるのは嬉しい事だった。
「そうですね。遊ぶ事も剣の修行も魔法の修行も、一生懸命で明るく元気にやっています。カジュスティン家とエイブリー家の王妃様達とも、友好な関係を築いていらっしゃるので、心配する様な事はありません」
「そうか。ジュディの娘とウォルグの娘とは同い年だからのぅ。仲良くやっているのなら、何も問題ない。シルヴァと同じ道を歩まん様にの、セレスタ」
ルイスが懸念していたのは、シルヴァとエレナの父親であるジュディ、エシリアの父親であるウォルグとの関係の事だった。
この三人は、会えば喧嘩をする程仲が悪かった。セレスタにも、そうなって欲しく無いとルイスは願っていた。
「私なら、大丈夫です。エレナちゃんともエシリアちゃんとも仲良くやっていますから。また、ここに連れて来ても良いですか?」
「おお、連れて来るがよい。その時は、お菓子を山ほど用意しておく」
「本当ですか!?」
セレスタは嬉しそうに笑みを浮かべた。楽しみがまた一つ増えたからだ。
いつか、エレナとエシリアをここに招待して、カルナも交えてお菓子パーティでも開きたいと思っている。だが、その夢は叶わずに潰える事になる――。
――再び月日は二年も過ぎ去り、カルナは十二歳になり、セレスタは十歳になっていた。
平穏な日々は、いつまでも続かない。この日のルシフェル家邸宅は、暗く重い空気が流れていた。
理由は、セレスタの祖父であり、ヘルフェス王国の国王でもあるルイス・ルシフェルが病に倒れ、絶命寸前だった。
「国王様……大丈夫だといいけど……」
「お爺様なら、きっと大丈夫。だって、王都の国王だから……」
カルナとセレスタは、部屋で待機していた。今は、大人達が必死に治癒魔法などを掛けて、一命を取り留め様としている。
こういう時、子供に出来る事は何も無い。ただただ願っている事しか出来なかった。すると、
「おい!! カルナ!! ここに居たのか。早く行くぞ!! セレスタも来い!!」
部屋で待機していたカルナとセレスタをオルヴァが呼びに来た。オルヴァの様子を見て、カルナとセレスタの表情も暗くなる。
ルイスはもう助からない。そう悟ったのだ。
「国王様の容態は?」
「言いたくねぇが、もう……」
廊下を走りながら質問したカルナの、予想はしていたが望んでいない言葉がオルヴァの口から出てきた。
セレスタも必死に涙を堪えながら走っている。大好きだったルイスがもう助からない。
まだ十歳のセレスタにとっては、あまりにも残酷な現実だった。王邸へと向かい、王室に入るとルシフェル家の人間が全員揃っていた。
その視線の先には、ベッドに横たわるルイスの姿が。顔色は悪く、意識も無い。
そんなルイスの姿を見たセレスタは、堪えていた涙が溢れ出す。
「お爺様……」
「セレスタ……」
そんなセレスタの背中を、優しく撫でるカルナ。そして、治癒魔法を掛けていた者が、
「御臨終です……」
王室は悲しみに包まれた。皆が泣き崩れる中、カルナはジッと亡くなったルイスを見つめていた。
その目からは、静かに涙が頬を伝う。ルイスは非常に優しい人物だった。
セレスタの世話役をしていた自分でさえも、孫の様に接してくれて、思い出が一気に脳裏に蘇り、涙腺は崩壊していく。
――ヘルフェス王国国王の死は、すぐさま国中に知り渡った。悲しみに包まれる中、事は王戦へと進んでいく。
後日、カルナはシルヴァの部屋へと呼び出されていた。
「お呼びですか、シルヴァ様」
「どうだ、セレスタの方は」
「少し、元気を取り戻しましたが、まだ現実を受け入れられない様です」
セレスタは、部屋に閉じこもったまま、カルナ以外の人物と会っていない。
ルイスの死が、相当受け入れられなかったのだ。
「そうか……だが、あいつには、いずれ王を継いで貰わなければならない。これしきの事でクヨクヨしていては、王は務まらん」
シルヴァの言葉に、カルナは引っかかる。「これしきの事で」という部分に、少し苛立ちが募った。
だが、相手はルイスの息子で、ルシフェル家の王であるシルヴァだ。何も指摘する事は出来ない。
「呼んだのはそれだけでは無い。セレスタももう十歳で、そろそろ王妃としての自覚を持って貰いたいと思っている。そこでだ、カルナ。――お前の、セレスタの世話役を解任する」
シルヴァからの言葉は、セレスタの世話役を解任するとの事だった。
カルナはいきなりの事で、動揺が隠しきれない。
「解任!? 一体何故……」
「なに、クビという訳では無い。言っただろ、セレスタには王妃としての自覚を持って貰いたいと。もうお世話する必要も無くなったという訳だ。それから、お前には俺の側近になって貰いたい」
「側近……ですか」
それは出世といえばそうだが、カルナからしてみればセレスタを守ると決意している。
シルヴァの側近になってしまえば、セレスタと遊ぶ事も、修行を一緒にする事も少なくなってしまう。あるいは、無くなってしまうかも知れない。
「何故、私なのですか……まだ十二歳ですし、それなら他にだってたくさん……」
「二回も言わすな。俺はお前に側近になって貰いたいと言ったんだ。時期、王権を賭けた王戦が始まる。次の国王も我がルシフェル家が必ず継ぐ。お前は、俺の側に居てもっと上を目指せ。実力も十分にある事も知っている。俺の息子を負かした事もあるそうだな」
「あれは、二年前の話です……今、オルヴァと戦っても勝てるかどうか……それに、私はセレスタと……」
カルナはまだ、セレスタと離れたく無かった。ましてや、シルヴァの側近など自分が務めれるか不安もあった。
それもそうだ。実力があると言えど、カルナは未だ十二歳の子供だ。
「俺の命令が聞けないのか? 数日後、各王族の王が集まり王戦の話が行われる。もちろん、俺は国王の座を狙って動く。あいつらもそうしてくるだろうがな。その為に、お前には色々と経験して貰いたい。今後の為にもな」
カルナには拒否権は無かった。既にシルヴァが決めた決定事項であり、ルシフェル家に仕えるモーヴィス家としても断るなど言語両断。
「分かりました……」
「よし。なら、早速セレスタを呼んできてくれないか?」
「セレスタをですか?」
シルヴァの言う、王妃としての自覚という物がどういう物なのか、この時のカルナには分かっていなかった。
カルナはセレスタの部屋へと向かい、扉の前で立ち止まる。世話役の解任を言い渡され、シルヴァの側近となった事をセレスタはどう思うのか。
もう、姉妹の様に日々を過ごす事は出来ないのだろうか。そういった不安が扉を開けるのに躊躇させた。すると、
「カルナお姉ちゃんか?」
扉の向こう側からセレスタの声が聞こえた。気配だけでカルナだと分かったセレスタは、扉を開ける。
「体調はどう?」
「うん。大分、マシになってきた。いつまでもクヨクヨしていたら、お爺様に怒られるからな……私も、前を向くと決めた」
すると、セレスタは徐に何かを思い出し部屋の机の上から何かを持ってくる。
「これ、カルナお姉ちゃんにあげる」
セレスタが渡したのは、桃色と白色の花の髪飾りだった。とても綺麗で可愛らしい髪飾りだ。
「髪飾り?」
「大分昔に、お爺様から貰ったんだけど、私にこういうのは似合わないから、カルナお姉ちゃんなら絶対に似合う。だから、これを付けて」
カルナは髪飾りを受け取ると、髪に付ける。普段からカルナも美少女だと街で噂される程だが、髪飾りを付けて尚更可愛くなる。
セレスタも嬉しそうに微笑み、
「うん、やっぱり似合う。とても可愛いよ、カルナお姉ちゃん」
カルナもこんな真剣に可愛いなどと言われたら、嬉しくなってしまう。若干、頬を赤らめてカルナも笑顔を見せた。
それと同時に、世話役を解任となった事に尚更、寂しさを感じた。
「それで、今日はエレナちゃん達と遊ぼうと思ってるんだけど、カルナお姉ちゃんも行こう」
セレスタからの誘いは、嬉しかった。ここ最近は、あまりセレスタと遊ぶ事は出来ておらず、エレナやエシリアとも久しく会っていない。
だが、カルナはシルヴァから命令を受けている。セレスタをシルヴァの部屋へと連れて来る様にと。
「うん、また今度ね。今は、ちょっと忙しくて。それから、シルヴァ様が部屋に来る様にと言っていたわ」
「父上が?」
二人はシルヴァの部屋へと向かい中へ入る。カルナは浮かない表情をしていた。その理由はもちろん、
「来たか、セレスタ。お前にも話して置く事がある」
「何ですか?」
「カルナのお前の世話役を解任させた」
セレスタは目を見開いて驚いた。カルナが自分の世話役を解任する日が来る事など、思ってもみなかったからだ。
そのまま、視線をカルナへと向けるが、カルナも浮かない表情のまま視線を落としていた。
「解任……? 何故ですか!?」
「カルナは今日をもって、俺の側近となった。時期、王戦も始まり、次なる王都の国王が決まる。突然で悪いが、親父が死んだ事もあり、事は急に進んだ。それを分かってくれ」
「カルナお姉ちゃん……」
十歳のセレスタでも、側近の意味は知っている。仕える者の側にずっと付く事。
即ち、カルナは今後シルヴァの側にずっと居る事になる。突然の事でセレスタは動揺が隠せない。
「ごめんね、セレスタ。私は、モーヴィス家の人間だから……ルシフェル家の人間を守るのが仕事なの」
「私も……ルシフェル家の人間だ……それに、カルナお姉ちゃんじゃ無くても、側近の候補はいくらでも……」
「ならん、決めた事だ。それに、お前ももう十歳だ。いつまでも世話されている様じゃ駄目だ。お前もそろそろ王としての自覚を持つべきだ。親父が死んだ今、王権争いが始まるのは直ぐだ。今回の王戦には俺が参加するが、その次なる王の座はお前が座れセレスタ」
ルシフェル家の人間として、シルヴァの娘として、王族の王妃としての自覚を、まだセレスタには分からない。
それでもシルヴァは、セレスタに自覚を持たせようとしている。
「しかし父上、私にはエレナちゃんやエシリアちゃんと争う事など……出来ません」
いずれは来るセレスタ達の代の王戦。それでも、セレスタは二人と争う事は望んでいない。
「セレスタ、お前はルシフェル家の王妃だ。お前だけの考えで動く事は出来ん」
「ですが……」
「ルシフェル家の人間として自覚を持て、いいな?」
セレスタは拳を強く握りしめ、
「はい……」
「それからお前も自覚を持てる様に、カジュスティンの王妃とエイブリーの王妃とは、もう会うな。関係を断たなければ、お前はいつまでも情に縋り付く」
「そんな……」
それは、あまりにも残酷な事だった。唯一の友達であるエレナとエシリアと会う事を禁じられたのだ。
十歳のセレスタにとっては、耐え難い現実だ。何よりも大事で大切な友達と会えなくなる事は、胸が苦しいの一言では表せない。
「シルヴァ様、流石にそれは……」
「――だまれ、カルナ。親子の会話に、側近が口を挟むな。お前なら分かるだろ? これから王戦が始まるというのに、敵対する王族の者と交流するなど、ルシフェル家への冒涜とも取れるぞ。いいか、セレスタ。お前はただの人間では無い。王族に生まれた特別な人間なんだ。敵対する王族の者に情など持つな」
父親とは思えない言葉に、カルナは憤りを感じる。だが、シルヴァもルシフェル家の為を思っての言葉だ。すると、
「――俺様も父上の意見に賛成だな」
オルヴァが部屋へと、そう言葉にして入って来る。カルナとセレスタはオルヴァへと視線を移す。
「オルヴァ……」
「兄上……」
「貴様はルシフェル家の人間。ルシフェル家こそが、王族の中でも最高位に値する王族だ。そんな貴様が、のうのうと他族の人間と仲良しこよしなど、許されるものか。特に、カジュスティン家とエイブリー家の者とは関わるな。王戦が始まれば敵対する王族になる。貴様も王の器なら、それを弁えろ。まぁ、父上の次の王の座は、貴様に譲るつもりはないがな」
シルヴァの考えに完全に染まってしまっているオルヴァ。ここ最近、再びカルナとオルヴァに会話は無かった。
着々とオルヴァもシルヴァの考える王の器へと、成長していた。
「オルヴァの言う通りだ。分かったな、セレスタ。今回の王戦で俺は王都の国王になる。例え、あいつらと戦うとなってもだ。情など必要ない。ルシフェル家の事だけを考えろ」
「分かり……ました……」
ただ父親に従うしかないセレスタを見たカルナは、胸が痛んだ。エレナやエシリアと関係を切る事がどれ程辛い事か、カルナは知っている。
三人で遊んでいる時のセレスタの笑顔は、眩しくて微笑ましくて、だが、今のセレスタからはその笑顔は一切見れない。
そして、今後も見る事は出来ない。そう悟った。だからこそ、余計に胸が痛んだ。
セレスタは、目に涙を浮かべながらシルヴァの部屋を飛び出して行く。
「セレスタ!!」
カルナが追い掛け様とした時、
「行くな!!」
シルヴァがカルナを呼び止めた。もう、カルナはセレスタの面倒を見無くてもいい。
望んではいないが、シルヴァにそう命令された。それでも、セレスタの悲しむ表情を見ると、放って置けない。
「しかし……!!」
「お前はもう、セレスタの世話役では無い。俺の側近だ。この件は、セレスタ一人に乗り越えさせろ。そうでなければ、あいつに王妃としての自覚が芽生えん」
歯痒かった。昔に決意したセレスタを守るという事も出来ず、辛い時に側に居る事も出来ない。
それはもう、姉妹の様などと呼べるものじゃ無かった。従うのが仕事で、仕える身の一族だが、大切なものを失った様な感覚に、ただただカルナは唇を噛み締める。
――数日後の夕方、セレスタが泣きじゃくった顔で帰宅した所に、カルナが居合わせた。
セレスタは玄関で座り込むと、大きな声を上げて涙を流した。カルナは、エレナとエシリアに先日の件の事を伝えたのだと、悟った。
その姿は、見ていられない程に辛く、声を掛けようとも思ったが、言葉が出てこなかった。
先日のシルヴァの部屋での話の件以来、カルナはセレスタと会話をしていない。
気まずいという訳では無いが、無意識のうちにお互いが距離を取っていた。
――そして、カルナとセレスタの間に微妙な距離感が生まれたまま、王戦が始まる。
「行くぞ、カルナ」
「はい」
シルヴァとカルナは、王戦の会議が行われる王邸へと向かった。王室には、カジュスティン家の王ジュディ・カジュスティンと、その側近のクレバ・サンチェス、エイブリー家の王ウォルグ・エイブリーと、その側近のウェルズ・エイブリーが居た。
ジュディは、赤い髪色にパーマが緩く掛かった様な癖っ毛に、耳が隠れる程の長さ。
背丈は、183センチ程で、綺麗な碧眼だ。ダンディな風格に、若干のチャラさが見える容姿。真っ赤な騎士服を着ていて、肩には金色の綱の様な物を付けている。
クレバは、銀色の髪色に前髪が目に掛からない程度の清潔感のある髪型。
背丈は、175センチ程で、紫色の瞳をしている。中性的な顔立ちでイケメンだ。黒色の執事が着ている様な服装。
ウォルグは、緑色の髪色に五ミリ程度の長さの坊主頭。凛々しい顔立ちで、黄色の瞳をしている。
背丈は、178センチ程で筋肉質なガタイのいい体つき。白色ベースの騎士服で、所々に緑色が入っている。
ウェルズは、緑色の髪色にツンツンしたオオカミヘア。鋭い目付きをしていて、黄色の瞳をしている。
背丈は、176センチ程で、ウォルグと同じ騎士服を着ている。
シルヴァが席に着き、カルナはその後ろに立つ。まだ十二歳のカルナが側近を務めている事に、他の側近達は不思議そうに見つめていた。
それもそのはず、クレバは二十五歳でウェルズは三十六歳だ。カルナだけが、圧倒的に若い。
そして、ジュディが開口一番に口を開く。
「こうして顔を合わせるのは久しいな」
「前国王が決まった以来か」
「ふん」
ウォルグとシルヴァは幼い頃からの腐れ縁だが、ジュディだけは違う。
ジュディは、カジュスティン家へと婿養子として嫁いでいる為、元々は王族の人間では無かった。
その為か、ジュディとシルヴァだけは特に仲が悪い。すると、王室にもう一人の人物が入って来る。
「では、私が仲立ちの元、王戦について話を進めます」
「ふん、お前が仲立ちとはな、グレコ」
その人物とは、聖騎士団の総隊長を務める、グレコ・ダンドールだ。この世界の中で最も最強と謳われ、恐れられている人物。
黒髪で右側の部分に赤色と青色のメッシュを入れていて、左目部分は前髪で隠れている。
右側の頬に痛々しい傷跡があり、目は細く冷徹をイメージさせる風貌だ。
黄色の瞳に、黒のラインが円形に三本入っている。背丈は、190センチ程で、肌の色は白く美青年だ。
スタイルはスラッとモデルの様にスリムだが、筋肉もそれなりにある。
白色ベースに肩から赤色のラインが入った、聖騎士団の騎士服を着ていて、黒色のマントを付けている。
「聖騎士団の総隊長様がご苦労だな」
聖騎士団の総隊長グレコをカルナは初めて見た。その威圧感、存在感、只ならぬオーラに足が震える程、気圧されていた。
ジュディの言葉にも、何の反応も見せないグレコ。もし、この人物と対立し、殺気を放たれたとしたらと考えると、カルナはゾッとした。
「相変わらずクールな男だよ本当。昔はトワとギャーギャー騒いでたのによ」
ジュディの口から出た「トワ」という言葉にグレコは反応を見せた。静かにジュディを睨んだのだ。
「その様な女など、とうに忘れました」
「女って事しっかり覚えてるじゃんかよ」
グレコは一瞬だけジュディを強く睨んで、すぐさま、目を瞑りながら溜め息を吐き、
「今その話は関係ありません。王権に付いてです」
「そうだ。ここで一つ提案なんだが……」
グレコの言葉に続いて、口を開いたのはカルナの前に座るシルヴァだ。
「前国王が俺の親父で、ルシフェル家の人間だった。なら、次の国王もルシフェル家である俺が就くべきだと思うが?」
王邸に来る前にも、シルヴァはカルナに対して自分が王の座に座ると豪語していた。
だが、それを他の王族の王は許さない。
「それは、容易出来ないねぇ。俺達だって王族の端くれだ。国王の座は、そう簡単には渡す訳にはいかない。あんたもそう思うだろ? ウォルグ」
ジュディはウォルグに意見を求めた。ウォルグは深く溜め息を吐いてから、頬杖をつきながら、
「うーん、そうだな……だが、無駄な争いは避けたい所だとは思うがな」
平和を好むのが、エイブリー家の王であるウォルグだ。そんなウォルグの甘い考えが、シルヴァは昔から嫌いだった。
そんなシルヴァと同じ事を考えていたのは、ウォルグの弟であるウェルズだ。
「兄上は甘い。そんな事ではエイブリー家の当主は、務まらんぞ」
「まぁそう言うな、ウェルズ。ジュディもシルヴァも元は友だった男だ。争いたくないのはお互い様だろ?」
「俺は、お前の弟の意見に賛成だな。ウォルグ、お前は考えが甘い」
そう話したのはシルヴァだ。シルヴァはウォルグに睨みを利かせる。するとウォルグは、
「なら、お前は俺らと戦うっていうのか?」
「当たり前だ。俺はいつでもその気だ」
シルヴァは一切表情を変える事無くそう言葉にした。ウォルグとジュディとは友だった事など、何一つ思わせない。
そして、その言葉に王室の空気が変わった事に、カルナは気付いた。
ジュディの後ろに立つクレバが、シルヴァを睨みながら体を前に乗り出して、
「貴方如きが、カジュスティン家に勝てるとでも?」
そう話すクレバには殺気が漂っていた。それに対抗して、シルヴァも殺気を漂わす。
緊迫した空気が王室に流れていた。そして、カルナもルシフェル家が馬鹿にされている事に対して、苛立ちが募った。
シルヴァが言われた事では無く、自分が仕えているルシフェル家が、大切なセレスタが馬鹿にされた気分になっていた。
「落ち着け、クレバ。ここは話し合いの場だ」
ジュディがクレバを制止すると、カルナも気持ちを抑えれず、
「そうだ。立場を弁えろ」
クレバを睨みながら、そう言葉にした。未だ十二歳のカルナに言われ、クレバは驚いた表情でカルナを見つめる。
クレバだけでなく、その場にいる全員がカルナに視線を向けていた。無意識に放たれたカルナの殺気に、本当にカルナが十二歳の少女なのか疑問に思っていた。
「静粛にお願いします。この場での戦闘は避けて頂きたい」
グレコのその言葉で、場には静寂が流れる。「最強」を誇るこの男を怒らせると、厄介な事なのは全員が知っていた。
「ま、話し合いで決まる様な俺らでもないし、シルヴァの意見に俺は賛成するねぇ」
ジュディの言葉に、シルヴァは当たり前だと言わんばかりに、フンと鼻を鳴らす。ウォルグは、再び深く溜め息を吐いて、
「多数決なら仕方ないか……グレコ、頼めるか?」
「では、場所を移します。皆さんを我が聖騎士団の闘技場へとご案内します」
全員は王室を後にし、聖騎士団が所有する闘技場へと向かった。グレコ、ジュディ、ウォルグ、シルヴァは闘技場に立ち、カルナ達側近は、観客席へと移動する。
「では、簡単にルールを説明します。三人様にはここで戦闘を行なって貰い、勝者を新たな国王と決めさせて貰います。ルールは、殺さずに勝つ事。もし、その危険性があった場合、すぐさま私が止めに入りますので。では、よろしいですか?」
三人は静かに頷き、闘技場に緊迫した空気が流れる。かつて友だった三人の、国王の座を賭けた戦いが始まる。
カルナも、観客席でシルヴァの戦いを見守っていた。応援するのは側近としては当たり前の事だが、正直カルナは迷っていた。
シルヴァが国王になる事に、素直に喜べないであろうと思っていた。
「こんな決め方で、王権を……」
「君は、その歳で側近を務めてるんだね。正直驚いたよ」
カルナの横に立つクレバが声を掛けた。この歳で側近を任されている事が驚きなのは、カルナも知っている。
自分が一番驚いた事だから、そんな事をわざわざ他者に言われると苛立ちが募る。
「歳は関係無いと思うけど。何もかもが実力が全てで……この為に私は、強くなったんじゃないのに……」
そう、カルナはセレスタを守る為に強くなった。側近になるなど微塵も思っていなかった。
ルシフェル家に仕えているといえど、セレスタが生まれた時から、ずっと面倒を見ていたから余計に自分には関係の無い事だと思っていた。
「ルシフェル家に居るのは、勿体無いね。その歳で側近を務める程なら、聖騎士団にでも入れば良かったのに。アカサキといいコンビが組めるんじゃない?」
アカサキという人物を噂には聞いた事がある。当時十四歳にして、聖騎士団第一部隊の隊長を務めている少女。
自分と歳が二つしか変わらないのに、隊長を務める程の実力。一度は会って見たいとも思うが、聖騎士団に入るつもりは無い。
「私は、ルシフェル家に仕える一族だから、それ以外に何かをするつもりは無い」
「そうか、真面目でいい事だけどね。でも、正直可哀想にも思うよ。君の主君は、国王には向いていない。君に言うのもあれだけどね」
クレバのその言葉に、カルナは何も言えなかった。内心で自分も思ってしまっていたからだ。――その時。
「そこまでです」
クレバの言葉により、王戦が終了する。闘技場には、膝をつくシルヴァ、ウォルグと勝利を手にしたジュディが立っている。
「ハァ……ハァ……悪いね、お二人さん」
「チッ……」
今この瞬間、新たな国王が誕生がした。カジュスティン家の王、ジュディが王都の国王になったのだ。
シルヴァは悔しそうな表情をして、闘技場を後にする。
「シルヴァ様……!!」
カルナも慌ててシルヴァの後を追う。傷だらけで王戦に敗北したシルヴァに声を掛ける事が出来なかった。
そして、この出来事がシルヴァのセレスタへの王への期待を強くさせる。
――その日からというのも、シルヴァは出会う度にセレスタやオルヴァに次の国王になる様に言いつけた。
カルナとセレスタも、同じ家に住んでいるのにもかかわらず、会う回数が減っている。
必然として話す事も無くなっていた。廊下ですれ違う時も、食事をする時も、二人は目すら合わす事は無い。
そして、四年後あの事件が起きる。
――カジュスティン家の王、ジュディが国王の座に付いてから四年の月日が経った。
カルナは十六歳になり、セレスタは十四歳になった。この四年間二人の関係は微妙な距離感のままだった。
カルナもシルヴァの側近として着々と成長を遂げ、その実力も、名も世間に広まっていた。
この日、カルナは自分の部屋で休憩していた。胸が騒つく様な感覚に襲われ、落ち着いて居られない。
「嫌な予感がする……」
そう言葉を零した瞬間だった。ヘルフェス王国中に、爆発音が鳴り響いた。
カルナはすぐさま窓から外を見やると、遠くの方で火の手が上がっていた。
「あっちは、カジュスティン家の領地の方角……まさか……」
カルナの嫌な予感とは、シルヴァが何か行動を起こしたのではないかという物だった。
この四年間、ルシフェル家が国王の座に就く事をずっと考えていたシルヴァがクーデターを起こしたのではないかと、だがその考えも杞憂となる。
「あそこの方向は、カジュスティン領か。何があった?」
シルヴァの声でそう聞こえたのだ。少なくとも、シルヴァが何かを起こしたという訳では無くなった。
だが、カルナにはもう一つ心配事があった。それは、セレスタの事だ。
カジュスティン家で何かが起こっている。エレナの身の心配と、セレスタがどう思っているかだ。
四年前から、セレスタはエレナとエシリアと関係を断ち切っている。ルシフェル家の王妃として、ルシフェル家の人間としての自覚を持つ為だ。
その時、ルシフェル家邸宅の玄関先から声が聞こえた。
「セレスタちゃん!!」
その声を聞いて部屋を出ると、そこにはエシリアの姿があった。血相を変えて、息を切らしてセレスタの名を呼んでいた。
カルナはエシリアの姿を久しぶりに見る。最後に見た時から、表情も背丈も大きくなっている。
「エシリア?」
セレスタもその声を聞き、シルヴァの部屋から出てくる。この二人も会うのは久しぶりだろう。
「カジュスティン家が大変なんです!! エレナちゃんが!! セレスタちゃん、助けに行きましょう!!」
エシリアはエレナを救出する為に、セレスタの元へ駆け付けた。それでも、セレスタは何も答えず黙ったままだ。
「セレスタちゃん?」
「悪いが、私は行けない」
そう答えたセレスタ。本当なら直ぐにでも助けに行きたい。エレナの安否をいち早く知りたい。
だが、彼女にそれをさせる事を、ルシフェル家の自覚というのが許さない。
自分の気持ちを押し殺し、エシリアの悲しげな表情を極力見ない様にしてそう答えた。
「どう……して?」
エシリアからしても、セレスタのその言葉は心を抉った。完全に突き離され、もうあの頃の様に笑い合える日は来ないのだと思わせた。
それでも、セレスタは言いたくも無い事を言わなければならない。父親が見ている前では特に。
「あそこまで火の手が上がっているとなると、生きている者は……居ないだろう。それに、聖騎士団が出向いている筈だ。私達が行くまでも無いだろう」
エシリアの目からは、静かに涙が頬を伝った。それを見てしまったセレスタは、心が痛んだ。
それと同時に、何も抗えない自分に苛立ちが募った。父親に逆らえず、ルシフェル家の宿命に逆らえない自分に。
「どうして、そういう事が言えるんですか……? エレナちゃんは……私達は友達でしょう!? 何があってもずっと友達だって、セレスタちゃんが言ったんじゃないんですか!? あの言葉は嘘だったんですか!? エレナちゃんを、見殺しにするんですか!?」
エシリアの言葉に、セレスタは何も言い返せない。本心ではそんな事思ってもいないのに、エシリアにそう思わさせている。
それが、悔しくて、悔しくて、悔しくて、もどかしかった。
「もういいです……」
エシリアは涙を拭って、ルシフェル家邸宅から走り去って行く。
「エシリア!!」
エシリアの走り去る後ろ姿を、ただ見つめる事しか出来ない。今直ぐ追い掛けたい気持ちを押し殺す様に、セレスタは静かに拳を握った。
「褒めてやる、セレスタ。自分らの問題は自分達で解決しなければならない。カジュスティン家で起こっている事は、俺らがどうこうする話じゃない。お前も、ルシフェル家の王妃としての自覚が芽生えてきた様だな。次なる王へ向けて、期待しているぞ」
追い討ちを掛ける様にシルヴァの言葉はセレスタの心を抉った。シルヴァはそう言うと、自分の部屋へと戻って行く。
カルナも、そんなやり取りを見ていて胸が締め付けられる思いで居た。
大好きな友達に、思ってもいない事を言わなければならない辛さ、大切な友達の危機に、何も出来ない事の辛さが痛い程分かる。
どう声を掛けていいのか分からないが、カルナはセレスタの方へと歩み寄った。
「失望……しただろうな……」
カルナが後ろにいるのが分かったのか、セレスタは小さな声でそう言葉にした。
「私は、最低だ……友である二人を傷付け、助ける事も出来ない……」
セレスタの涙が、床に落ちるのを見てカルナは、なけなしの言葉を掛けた。
「今は、こういう状況でも、いつかは必ず……分かり合える日が来る……それを、信じるしか……」
「――カルナお姉ちゃんに……カルナさんに何が分かるんだ!! だって、エレナはもう……!! 例え、聖騎士団が出向いているとは言え、あれだけの火の手が上がってると……もう……それに、ここまで来てしまったら、引き下がれないだろう!! カルナさんに、私の気持ちが分かるのか!? 分かる筈も無い!! こんな家に……王族になんか……生まれて来なければ……」
「セレスタ……」
セレスタがこんなに激昂している姿は、初めて見る。この日以来、セレスタがカルナの事を、カルナお姉ちゃんと呼ぶ事は無かった。
姉妹の様に共に日々を過ごした思い出など、消えてしまったかの様に。
――翌日、カルナはシルヴァの部屋で、昨日の情報を聞いた。それは、セレスタには聞かせたくないものだった。
「全員が跡形も無く消えた? それはどういう……」
「俺にも分からん。だが、このクーデターを起こした奴の特殊な魔法だろうな。存在を消すなど、厄介な魔法もあるもんだな。それに、グレコの不在を狙うとは……」
詳細の分からない謎の敵がカジュスティン家を襲った。聖騎士団の調査も虚しく、事件は謎に包まれたままだ。
「その事、セレスタは……」
「知っているだろうな。だが、あいつにとっては邪魔な煩悩が消えて、好都合とも言える。これで、国王不在となった今、我々ルシフェル家が国王に返り咲くチャンスが出たと言うものだ」
それは、あまりにも酷い言葉だった。流石のカルナでもシルヴァのその言葉には苛立ちが募った。
だが、シルヴァの望みは虚しく王戦は行われずに、ウォルグが代理で国王を継ぐ事となった。
それからというもの、カルナはセレスタの笑顔を見ていない。もちろん、会話すらしていない。
次に、カルナがセレスタとまともに会話をするのに、二年もの月日を要した。
――カジュスティン家が滅亡して二年。セレスタは支度を整えて、ある場所へと向かおうとしていた。
「本当に行くんですね、セレスタ様」
いつしか、カルナはセレスタに対して敬語で話し、名前の後に様を付ける様になった。
二人の関係は完全に、ルシフェル家の王妃とルシフェル家に仕える一族の者となった。
そして、カルナもシルヴァの命令を絶対と捉え、側近として数々の仕事をこなしている。
「あぁ、私は国王になる為に、もっと強くならないといけない。だから、副都で色々と学んでくる」
セレスタも、完全にシルヴァの教えに染まり、ルシフェル家の王妃として成長した。
もうあの頃のセレスタの姿はどこにも見えない。それは、カルナも同じで、二人がもう一度笑って話せる日は二度と来ないと、この時のカルナは思っていた。
「セレスタ様はルシフェル家の王妃。私は、ルシフェル家をお守りする一族の者。それ以外に何でもない……」
カルナはそう言葉にして、自分の気持ちを、願いを胸の奥にしまった。
「――私は……」
卓斗とエレナとエシリアが見つめる先、カルナは膝をついて思い返していた。
卓斗に言われた言葉、「俺らと一緒にセレスタを救わないか?」その言葉に、心を揺さぶられる。
かつて、自分が願っていた事。セレスタをルシフェル家の宿命から、シルヴァの束縛から救いたい。
だが、どうする事も出来ず胸の奥にしまった思いだ。だが、それを卓斗が掘り起こす。
「救える……の?」
「あぁ!!」
「相手は王族で、そこに仕えてる身の私は……裏切る事になる……」
「セレスタだって、ルシフェル家の人間だろ? だったら、ルシフェル家を裏切る事にはならねぇよ。セレスタを救ったら、ルシフェル家を救う事にもなると思う。だから俺らと一緒に、カルナさんが大好きなルシフェル家を、カルナさんの大切なセレスタを救おう!!」
卓斗はそう言って、カルナに手を差し伸べる。カルナはジッと卓斗を見つめ、静かに涙を流し、卓斗の差し伸べた手を取った。
カルナの過去のお話。
長くなってすみません(T . T)
最後まで読んで頂いた方、ありがとうございます!!




