第41話 『長い夜』
「――私は……エレナと、な、仲直りが……したい」
静まる風呂場には、溢れ出る温水と、流れる温水の音だけが響いていた。立ち昇る湯気からは、薄っすらと二人の人影が見える。
一人は、長い金色の髪を上に結んで、頬をほんのりと火照らせ、自らが問いかけた言葉の返事を、待っていた。
ヘルフェス王国三大王族の一つ、ルシフェル家の王妃、セレスタ・ルシフェルだ。綺麗な碧眼を涙で輝かせ、今にも涙が零れ落ちそうな目をして、返ってくる言葉に怯え、小刻みに肩を震わせている。
もう一人は、赤色の髪を上に結んでタオルを巻き、艶やかな紫色の瞳を輝かせ、セレスタの言葉に目を見開いて驚いた表情をしている。
ヘルフェス王国三大王族の一つ、カジュスティン家の王妃、エレナ・カジュスティンだ。今は既に、滅亡してしまった王族の生き残りで、セレスタとの仲違いの原因でもあった。
――仲直りがしたい。
セレスタから、突然として投げ掛けられたその言葉。幼い頃に、エレナ、エシリア、セレスタの三人は王族の王妃同士ながら友達でもあった。
ヘルフェス王国の王権を賭けて、争いあった王族同士でもあった。そんな啀み合う王族同士でも、子供だったエレナやセレスタ達には関係のない事だった。
野原を駆け回り、木に登り、泥で遊び、花を愛でる。そんな他愛も無い日々を、幼いエレナ達は過ごしていた。だが、ある日を境に彼女達の関係に亀裂が入った。
『ごめん……もう私には、関わらないで』
――幼いセレスタからの、言葉だった。その日から、エレナとエシリアの前にセレスタは姿を現さなかった。そして、徐々にエレナとエシリアも会わなくなっていく。
「何で……今更……」
エレナから、そう言葉が零れた。何度も、街で見かけた事はあった。それでも、一度入った亀裂は埋まらない。
『そう……貴方は今でもその気なのね……』
かつて、セレスタとすれ違った時にエレナが零した言葉。亀裂は深く、光の届かない闇の奥へと――。
「エレナ……私は……」
セレスタの言葉は、微かに震えていた。勇気を振り絞って、エレナとの蟠りを解きたい一心で、返ってくる言葉の恐怖に耐えている。
「もしかして、エシリアかタクトに何か言われた? 仲直りでもすればって」
「あ、いや、それも……そうだが……」
「はぁ……やっぱりね。そんな事だろうと思ったわ」
エレナは浴槽の壁にもたれかかって、深く溜め息を吐いた。そんなエレナを見て、セレスタも同じく浴槽の壁にもたれかかって、
「――でも、私の本心がほとんどだ」
「え?」
エレナは思わず、セレスタの方を見やる。その言葉が返ってくるとは思ってもいなかった。二年前の滅亡の日の直前に出会ったセレスタとは、まるで別人だ。
「私は、エシリアやタクト達と話して分かったんだ。王族だとか、そんな事はもう、関係無いんだって。今更だがな……例え、対立する王族の友を持っていようとも王としての責務は全うできる。前までの私は、王族にとらわれ過ぎてたみたいだ」
「でもあんた、そんな事して父親は大丈夫なの?」
「あぁ、父上は絶対に許さないだろうな」
セレスタの父親である、シルヴァ・ルシフェルは、ルシフェル家を一番に、絶対と考える人物。跡取りであるセレスタに、厳しい教育を行ってきていた。
エレナ達とセレスタが仲違いになったのも、シルヴァ・ルシフェルが根源とも言える。
「――は? じゃあ何で!?」
「それでも、私は、エレナと仲直りしたいんだ」
セレスタは、真っ直ぐな瞳で言葉をぶつけた。過去の過ちを、正そうと。
「さっきから、仲直り仲直りって、むず痒いんだけど……分かったから、もう言わないで……」
「本当か!? 私と、仲直りしてくれるのか……?」
「だから……!! あーもう!! そう、仲直りしてあげるわよ!!」
エレナは、顔を赤く染めて口まで浸かり、ぶくぶくとさせている。改めて、こういった話をするのは恥ずかしいものだ。
だが、こういう日が来るなど思ってもいなかった。
「では、言っておかないといけないな。エレナ、二年前のあの日の時、助けに行けずにすまない……エシリアが、私の元に駆け付けて来た時、直ぐにでも助けに向かいたかった……言い訳だが、その時、父上が側に居てな。副都の入団の時、エレナを見かけて心底嬉しかった。生きててくれて、本当に良かった……」
「エシリアから、それは聞いた……あんたの事情も良く分かってる。それに、あの日の事はもういいの。あんたは悪く無いから」
少しの沈黙が流れた。だが、最初の気まずい沈黙とは違う。幼い時を遡るかの様な、心地いい沈黙だった。
流石は幼馴染で、一度和解すればその後の展開は早い。まるで、喧嘩などしていなかったとも思わせる程に。
「それにしても、あの男には感謝しなくては……」
「あの男って、タクトの事?」
「あいつが、友との在り方を教えてくれた。王族だとか関係無いってな。それから、私は色々と考えた。そして、今日エシリアに言われ、決心が付いた。私は、もう王族とか気にしない」
セレスタの表情は、最初の頃より随分と軽くなっていた。ようやく、鎖が解けて身も軽くなったかの様に。
「でも、あんたも王妃でしょ? まさか、王の事も放棄するつもり?」
「まさか。私は、父上のやり方じゃなく、自分のやり方で王になる。私は私だ」
「そうね、応援するわ。私は王には興味無いし、生き残りじゃ王にはなれなさそうだしね」
こうして、穏やかな会話をするのは久しぶりだった。懐かしくて、胸が暖かくなる。だが、それを二人は照れ臭くて、お風呂の所為にしている。
――すると、風呂場の扉が再び開かれ、第三者が入って来る。その人物は、先約で入っていたエレナとセレスタの姿を見て驚愕した。
「えぇ!? どうして二人が一緒にお風呂に!? 何があったんですか!?」
それは、エシリアだった。幼少の頃、仲違いをしてから今までずっと、ただ一人仲直りを願い続けた少女。
彼女もまた、ヘルフェス王国三大王族の一つ、エイブリー家の王妃。セレスタの後押しとなった言葉を投げ掛けた張本人だが、まさかその日のうちに行動するとは、思ってもいなかった。
喧嘩している様子も無く、笑顔を見せ合っている二人に驚きが隠せない。
「エシリア!! お前にも感謝しなくてはな。お前の言った通りだ、過去は変えられないけど、未来は変えられる。今まで、辛い思いをさせてしまってすまない」
「謝らないで下さい、セレスタちゃん。私は、凄く嬉しいんです!! こんな日が、また来るなんて……」
「ほら、エシリアも早く入りなさいよ。体冷えるわよ?」
六年振りの三人の王妃の仲睦まじい会話は、これから後、一時間程、行われた。
――三人の王妃がお風呂で談笑をしている最中、卓斗は副都の学び舎の屋上で夜空を眺めていた。
隣には、日本での幼馴染、悠利と蓮も同じく夜空を眺めていた。
「はぁ、疲れたぁ。なんかさ、この世界に来てから短期間で、色んな事が起こり過ぎて、ここまで早かったよな」
「俺は、たまに卓斗を見てると怖く感じる。特に、今日とかな」
「どして?」
「もしかしたら、日本に帰らないとか言い出すんじゃねぇかとか思ってさ」
悠利は、ここ最近の卓斗のこの世界への馴染みさに、そう思っていた。元々は日本へ帰る為の情報を得る為と、生きて帰れる様に強くなる為に副都に来た。
だが、今の卓斗を見ていると、日本に帰る事そっちのけでこの世界に干渉し過ぎている様にも見えた。
「そんな事ねぇよ。日本には帰りたい……でも、ここで、やらなきゃいけない事も出来たんだ。お前らなら、言ってもいいよな」
「やらなきゃいけない事?」
悠利と蓮は、座り込んで夜空を眺めながら話す卓斗に視線を向けた。
「俺のテラはさ、悠利は知ってると思うけど黒のテラって言って、エルザヴェートさんも言ってたけど、黒のテラは『世界を終焉へと導く力』か『世界を終焉から救う力』のどっちかに行き着く。そんで、フィオラが言ってたんだけど、黒のテラは、そのどっちかの力を手にする者に宿るって言ってた」
「フィオラって、越智達が前に実戦形式の依頼で探す事になった、フィオラの秘宝のフィオラ?」
「そう。蓮は知らねぇよな。その、フィオラの秘宝は、俺の体の中にあったんだ。フィオラ曰く、俺にこの世界を救って欲しいんだと」
卓斗からの言葉に、悠利も蓮も驚いた表情を見せた。それもその筈だ。世界を救って欲しいなどと、大き過ぎる頼み事だからだ。
「いずれ、この世界に終焉が訪れるんだとよ。その根源が俺かも知れねぇ。救うのが俺かも知れねぇ。それは、まだ分からないんだ」
「だからって、何で卓斗なんだよ……この世界の人間でもねぇのに」
「フィオラが俺を選んだのは謎だ。でも、俺は決めた。この世界を救ってみせる」
卓斗の覚悟に、悠利も蓮も何も言い返せなかった。それと同時に、会った事も、見た事も、話した事もないフィオラに対して、不信感を抱いた。
「――それじゃあ……卓斗くんが危ないよ……」
それは、話を偶然聞いてしまった、三葉達も同じだった。
「三葉!? 李衣に繭歌も!? いつからそこに……もしかして、全部聞いた?」
「そんなの……駄目だよ。どうして、この世界の人間じゃ無いのに、卓斗くんが世界を救う人にならなきゃいけないの? 確かに、ここまでこの世界に関わっちゃったら、滅びちゃうのも嫌だけど、それを救うのが、卓斗くんじゃ無くてもいいじゃん……」
三葉の目から、月明かりで輝く涙が、頬を伝った。その隣で、李衣も繭歌も複雑そうな表情をしていた。
「もし……もし明日、日本に帰れるってなったら、卓斗くんはどうするの……?」
三葉からの質問に、卓斗は言葉が出なかった。考えもしなかった事だった。明日帰る事になったら、自分はどうするのか、皆はきっと帰りたい筈。――それでも。
「帰らない……」
「何で……」
「俺は、日本と同じくらい、この世界の事も好きになってる。色んな人に出会って、色んな経験をして、そんな世界が滅びるのは見たく無い……」
その言葉を聞いて、三葉の涙は溢れ出す。この返事が来るのは何となく分かっていた。それでも、三葉は、
「嫌だよ……一緒に帰りたいよ……」
「滅びるのは見たく無いって言うけどさ、越智くんが、滅ぼす側になる事もあり得るんだよね?」
繭歌の言葉は、妙に心に刺さった。その可能性だって十分にある。現状、どうなるか分からないままでは、卓斗の言い分は矛盾でしかない。
「それでも……俺は必ず、この世界を救う!! この世界を無くしたくないんだ」
「はぁ、駄目だね。これじゃ説得は出来ないねー。悠利くんと蓮くんはどう思ってるの?」
李衣から突然、話を振られて悠利と蓮は困った表情を見せた。もちろん、三葉の味方だ。帰れるなら帰りたい。そこに、卓斗も居ないと意味が無い。
だが、卓斗の覚悟を踏みにじる様な事も、幼馴染としてはしたくは無かった。
「俺は……」
悠利が、口を開いた瞬間、三葉が重ねる様に口を開いた。
「――じゃあ……私も卓斗くんと残る……」
「え、ちょっと三葉!?」
涙を拭い、何か覚悟を決めたかの様に、
「私は治癒魔法が使える!! 卓斗くんが危ない目にあったら、私が助ける!! 怪我したら、私が治す!! だから……だから、この世界を救ったら、一緒に帰ろ? 日本に帰らないなんて……言わないで……」
顔を赤くして、病み上がりにも関わらず頭に血を上らせて大きな声をあげた。卓斗は、そんな三葉を見て胸が苦しくなった。
「俺の側に居たら、危ない目に遭うかも知れねぇぞ? 俺が世界を終焉へと導く事になったら、俺が三葉を傷付けるかも知れねぇんだぞ? それに、フィオラの秘宝を狙ってる奴らもいる……俺の側に居たら、巻き込まれるんだぞ……?」
すると、悠利が卓斗の肩にソッと手を置いた。卓斗が悠利に視線を向けると、
「もし、お前がこの世界を滅ぼそうってんなら、俺が目を覚まさせてやる。お前が、この世界を救う事になるってんなら、俺も力になってやる。だから、全部片付けたら、皆で一緒に帰ろ」
悠利の言葉に、繭歌も李衣も蓮も頷いた。皆、卓斗の覚悟と三葉の覚悟に賛同したのだ。
「まさか、三葉まで残るなんて言い出すとは思わなかったけど、こうなったら卓斗くんが、最後まで責任取らなきゃ駄目だよ? 必ず、この世界を救って、日本に帰るって約束できる?」
李衣の真剣な表情に、卓斗は笑顔で、
「当たり前だ!! 日本と同じくらい好きになってしまったこの世界を、絶対救ってみせる!! 約束だ!!」
卓斗達の結束は、思わぬ形で強まった。当初の目的だった、日本に帰る情報を得る事と、生きて帰る為に強くなる事から、世界を救って日本へ帰る事となった。
「バッドエンドには絶対にさせない。必ず、ハッピーエンドにしてやるから、ちゃんと見ててくれよ、三葉。俺の……」
――――――異世界物語を。




