第134話 『女神龍』
『何だ……あの化け物は……』
『世界の終焉が訪れたのか……』
『案ずるな、こちら側にはフィオラ様が居る』
空を見上げる民達の視線の先には、大きな翼を広げ、旋回する龍の姿があった。その大きさ、禍々しさ、その存在が世界の民達、騎士達、魔獣にさえも恐怖を与えた。
『やっと、姿を現したね、『女神龍』。君が生んだ獣人達は、本当に厄介だよ』
真っ白なワンピースを着た白髪の少女は、『女神龍』と呼んだ龍を見つめ、不敵な笑みを浮かべていた。
『フィオラ、どうしますか? エルザヴェートでさえ、手に負えない状況で、ナデュウまで姿を現わすとなると……』
『問題ないさ、セシファ。私達に敵う相手は居ないよ。ナデュウも、エルザヴェートも、私達で止めるよ。シャル、ティアラ、準備はいいよね?』
フィオラに呼ばれた残りの二人も頷き、四人の少女は『女神龍』を見つめた。
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フィオラ達が見つめていた龍、『女神龍』は、姿を変える事なく卓斗達の目の前に姿を現した。
「何だよ……この、龍……」
卓斗がかつて対峙した、悪辣なる龍であるシャルよりも、遥かに恐怖を抱いてしまっていた。最早、絶対に勝つなどと言っていたのが、可笑しく思えてしまう程だった。
「ナデュウちゃん……!!」
ユニの呼び掛けなど、ナデュウの耳には届かない。今、ユニの目の前に居るのは、ナデュウではなく『女神龍』なのだから。
「これが……フィオラと対等の強さを誇る、ナデュウだってのか……正直、舐めてたな……」
『女神龍』が、卓斗とユニに向けて再び咆哮を上げると、その風圧により二人は吹き飛ばされてしまう。地面は抉れ、崩れた城の瓦礫さえも吹き飛ばしていく。
「ぐっ!?」
「きゃっ!!」
地面を勢いよく転がるが、卓斗はすぐさま体勢を整えると、ユニをキャッチする。
「痛っ……鳴き声だけで、この威力かよ……大丈夫か、ユニ」
「先輩……ナデュウちゃんは、私の事を忘れちゃったんですかね……目の前に居るのは、ナデュウちゃんじゃないんですかね……」
「心配すんな。目の前に居るのは、れっきとしたナデュウだ。ちょっと、意識を失って姿が変わっただけだ。俺が、すぐに元に戻してやるから」
「強がってますね、先輩。私を支える手が、震えてますよ?」
ユニの言う様に、卓斗の全身は恐怖で震えていた。卓斗だけでなく、ユニも同様に。
「馬鹿。強がりってのは、強い奴がする事なんだよ。弱い奴の強がりは強がりって呼ばねぇ。ただの負け惜しみだ。でも、俺も今回ばかりは負け惜しみかもな……」
「格好付けるなら、最後まで格好付けて下さいよ。ダサい先輩なんか、見たくないですよ」
「痛い事言うなよ……けどな、負け惜しみも、裏を返せば負けず嫌いって事だ。負けたくねぇんだよ、俺は。負ける訳にはいかねぇんだよ、俺は。だったら、勝つしかねぇだろ?」
「それが実現出来たら、本当に格好いいですよ。先輩、私は先輩を信じてます」
ユニは立ち上がって卓斗の方へと振り向き、真剣な表情でそう言葉にした。
「先輩ってのは格好いいって所、見せてやるよ」
「はい!!」
『女神龍』は、その恐ろしい眼光を卓斗に向けると、突進するかの様に走り出す。一歩踏む事に大地は大きく揺れ、地面にヒビが入る。
「俺が目を覚まさせてやるよ、ナデュウ!!」
卓斗は、押し寄せる恐怖に耐えながら、手に黒刀を作って『女神龍』を待ち受ける。
そして、『女神龍』が目の前に迫った瞬間に、卓斗は手の平を翳して『斥力』の力を発動する。だが、
「なっ!?」
『女神龍』は、痛くも痒くもないのか、無反応で突き進んで来る。
「効かねぇとか、ありかよ!!」
卓斗を食い千切らんと、『女神龍』は大きな口を開けて、噛み付き掛かる。
「喰われてたまるかよ……!!」
卓斗はタイミングを見計らって、『女神龍』の頭を土台にして頭上にジャンプをして避けると、背後を取る。
「ちょっと痛ぇぞ、ナデュウ!!」
落下する力を使って卓斗は、『女神龍』の後頭部に向けて、黒刀を突き刺そうとする。だが、
「――っ!!」
突然として、『女神龍』の背中から紫色のテラの腕が伸び、卓斗を握り締める。
「がはっ……!? 腕……?」
「先輩!!」
「来るな!! ユニ!!」
卓斗を助けようと走り出したユニの方へ、『女神龍』は大きく咆哮を上げた。ユニは衝撃波で吹き飛ばされてしまう。
「ぐっ……!!」
勢いよく転がり、壁に衝突すると砂埃が立ち込める。すると、今度は卓斗を掴む腕が大きく振りかぶり、卓斗をユニの方へと投げつける。
「まじかよ……!!」
物凄い勢いで壁に投げ付けられた卓斗の元にも、砂埃が舞う。
「がはっ……ゲホッ、ゴホッ……めちゃくちゃ痛ぇ……」
「大丈夫ですか、先輩……」
二人の額からは血が垂れ落ち、全身にも激痛が走っていた。『女神龍』の強さに、絶望感が増していく一方だった。
「あぁ、なんとかな……けど、あの腕みたいなのは何だ……? 背後にも隙がねぇってか……それに、なんで黒のテラが効かねぇんだ……」
思考を張り巡らせる卓斗を他所に、『女神龍』は、悪辣と言わんばかりに二人へ狙いを済ませ、一気に走り出す。
「チッ、どうする……アカサキさんと総隊長が助けに……いや、外でもまだ戦ってる筈だ……セラ達が来るか? いや、その可能性も低いか……くそ、どうする……!! 俺に、あいつを止める事は出来るのか……ナデュウを救う事は……」
答えが出ないまま『女神龍』は、どんどんと二人に近付いて来る。
「先輩……!! どうするんですか!?」
「俺の攻撃が効かない以上、避け続けるしかねぇだろ。けど……くそ……!!」
卓斗は先程の投げられたダメージにより、足を負傷していた。か弱いユニが卓斗を担ぐ事も出来ない状況で、二人に為す術は無かった。
「動け……!!」
『女神龍』が目の前に迫り、口を大きく開けて噛み付こうとする。その時、
「――っ!?」
卓斗達と『女神龍』の間に突如現れた少女が、大きな巨体の龍を簡単に殴り飛ばした。
「お前……」
その後ろ姿を見た卓斗は、複雑な心境になっていた。二人を救ったその少女は正しく、
「――助けた訳じゃないから、勘違いはしないでよね、お兄さん?」
「ヴァルキリア……!!」
そこに駆け付けたのは、『大罪騎士団』の『傲慢』を司る、ヴァルキリア・シンフェルドだった。卓斗とは敵対する人物に、窮地を救われた事に、複雑な思いだった。
「先輩、この人……」
「あれ、私とどっかで会ったっけ? ごめん、お姉さんの事は覚えてないかな」
ユニはマッドフッド国での『大罪騎士団』との戦いの際に、ヴァルキリアを見た事がある。幼い少女が国を襲った事もあり、印象に残っていた。
「てめぇ、何しに来たんだ」
「酷いね、たまたまタイミングが良かっただけで、下手すりゃ死んでた筈のくせに、図が高いんじゃない? 昨日も言ったけど、行かなきゃいけない所があるって」
「『大罪騎士団』が、ヴァルディアになんの用があんだよ。黒のテラなら、ここには……」
卓斗の言葉を遮る様に、ヴァルキリアは人差し指を立てると、
「黒のテラは関係ないよ。私が用があるのは……」
ヴァルキリアはそう言うと、『女神龍』を見つめる。
「ナデュウだってのか?」
「うん。殺さないといけないんだ」
「殺す!? そんな事させない!!」
ヴァルキリアの言葉に、ユニが激昂した。龍の姿をしていると言えど、ナデュウには変わりない。ユニの友達には変わりない。友達を殺させる訳にはいかなかった。
「なに、ナデュウの仲間にでもなったの? さっき殺されかけてたじゃん。言っとくけど、邪魔するって言うなら、お姉さん達も殺すよ?」
「やれるもんなら、やってみてよ!! ナデュウちゃんは、殺させない!!」
「ユニ、落ち着け。今は、俺らもこいつに構ってる暇はねぇんだ。ナデュウの暴走を止めねぇと。ヴァルキリア、なんでナデュウを殺すんだ? 別に黒のテラを持ってる訳でも、お前らの邪魔をしている訳でもねぇだろ? だったら……」
「お兄さん、私は別に黒のテラを持つ者だけを殺してる訳じゃないんだよ。この世界に存在する全てを、殺すの。遅かれ早かれ、ナデュウもお兄さん達も、全てを殺す。そして、この世界の秩序を正すの」
十二歳とは思えない発言に、卓斗は言葉を詰まらせた。日本で言えば、まだ小学六年生の女の子が、世界を滅ぼそうと企むなど、前代未聞で、無謀とも言える。だが、この世界では違う。何歳だろうと、性別も関係なく、実力があれば世界をどうだって出来る。卓斗は、それも理解していた。それでも、複雑な思いには変わりない。
「女の子なら、もっと女の子らしくしてろよ……」
「嫌だなー、お兄さん。私ほど女の子らしい子は居ないと思うよ? じゃあ、今からは邪魔しないでね」
ヴァルキリアはそう言うと『女神龍』の方へと走り出す。殴り飛ばされた事に怒りを露わにしたのか、『女神龍』は咆哮を上げる。
「うるさいね」
ヴァルキリアは咆哮の衝撃波に吹き飛ばされる事は無く、右手に神器グラーシーザを作り、一気に振りかざした。
目視不可能の斬撃が『女神龍』の顔に直撃し、思わず怯む。
「はい、隙が出来たね」
ヴァルキリアは『女神龍』の胴体の下に滑り込むと、頭上にある腹部に向かって神器グラーシーザを振りかざす。だが、
「――っ!!」
突如、『女神龍』の腹部を守るかの様に、紫色のテラの大きな手の平がバリアとなって、ヴァルキリアの攻撃を防ぐ。
だが、『女神龍』は、ヴァルキリアを見失っているのか、辺りを見渡している。
「ヴァルキリアが下に居る事に、気付いていないのか……? だったら、あの手は……」
その様子を見ていた卓斗は、何かに引っかかっていた。自分の身を守る為の魔法なら、何故ヴァルキリアの存在に気付いていないのか。
すると、突然として右方向から爆発音と共に、一人の男性が卓斗達の目の前に転がってくる。
「なんだ!?」
「アラさん!!」
その場に転がって来たのは、ナデュウの側近であるアラだ。その体は痛々しい程にボロボロだった。
「ユニ、この人は?」
「ナデュウちゃんの、側近の人です」
卓斗は突然転がって来たアラを見つめる。だが、アラは卓斗達を見向きもせず、爆煙の上がる方向を見つめている。
「ハァ……ハァ……あんな、化け物が……真性種に居たとは……」
アラの視線の先の、立ち込める煙から一人の女性がゆっくりと歩いてくる。それは、卓斗もよく知る人物だった。
「セ、セラ……?」
その姿は、禍々しい濃い紫色の煙が吹き出し、太ももには『堕天』の呪印が刻まれていた。瞳の色も紫色に変色して光りを放ち、虚ろな目をしていた。
セラはアラの方へとゆっくりと歩き、手を伸ばす。
「ハァ……ハァ……くそ、貴様に構ってる暇は無いんだ!!」
「――――」
ジリジリと近づくセラに対し、アラは完全に恐怖に呑まれていた。すると、二人を視界に捉えた『女神龍』が、咆哮を上げる。
セラは『女神龍』の方へと視線を向けると、目標を変えたのか、そちら側へと歩き出す。
「ナデュウ様……!! そっちには行かせん!!」
アラは全身の痛みに耐えながら、ゆっくりだがセラを追いかける。『女神龍』もセラの方へと走り出し、大きく口を開ける。
「ちょっと、今は私と戦ってるんだけど……!!」
置いてけぼりにされたヴァルキリアは、苛立ちを募らせながら『女神龍』を追いかける。
セラは、右の手に紫色の槍を作ると、『女神龍』の足に向かって投げ付ける。
「――っ!!」
セラの放った槍は、『女神龍』の足を守ろうとしていた、紫色のテラの手の平を貫通して突き刺さり、その場で大きく転がる。
いとも簡単に『女神龍』へダメージを与えたセラを見て、卓斗はただただ息を呑んでいた。
「――私の相手を取らないでくれるかな、茶髪のお姉さん!!」
倒れこむ『女神龍』を飛び越え、ヴァルキリアはセラに向けて神器グラーシーザを振りかざす。
「――――」
セラは滑らかな動きでヴァルキリアの攻撃を躱すと、顔面を右手で掴み、そのまま地面に叩きつけた。
「ぐっ……!!」
そして、背後から追いかけていたアラの腹部に蹴りを入れて、吹き飛ばす。
「がはっ……!!」
「おいおい……セラのやつ、どうかしたのか……? なんか、様子が……」
誰が見ても異様とも呼べる雰囲気と、セラの圧倒的な強さを目にして、卓斗は何かに気が付いた。
「まさか、暴走してんのか……? 何で……」
すると、その場に遅れてアカサキと三葉が到着する。
「おい、三葉!! セラのやつまで、何で暴走してんだ!?」
「あ、卓斗くん!! 私にも分からない……突然だったから……でも、アカサキさんが言うには、『堕天』だって……」
「『堕天』……って、確か……」
卓斗も当然、その言葉は知っている。かつて、六大国協定会談でエルザヴェートから聞いた話だ。
だが、その際の話の理解では、黒のテラを所有する者が、その力に呑まれてしまう状態だと、理解していた。
ならば、黒のテラを所有していないセラが、何故『堕天』しているのかが、分からなかった。
「何で、セラが『堕天』を……」
「『堕天』は、体内テラに全てを乗っ取られている状態、即ち、死んだ者にしか発動権はない筈です。何故、セラさんが生きていた状態で発動しているのか謎ですが……」
アカサキの言葉に、卓斗の脳裏は疑問符だらけとなった。死んだ者にしか発動権がないのであれば、セラは死んでいる事になる。
「そうか……黒のテラの暴走は、死を早めるって事なのか……だったら、セラは死んでるのか……? まじかよ……」
卓斗はセラの方を見やる。三人の強者をたった一人で、その上一瞬で蹴散らしたセラの背中を見て、卓斗の背筋は凍っていた。死んでいるなど、思えないし思いたくなかった。
すると、セラは突然振り返り、卓斗と目が合う。
「――っ!?」
その目は、獲物を見つけた時の獣の目にも見え、卓斗は一瞬にして恐怖に支配された。
「――セラ……!!」