第132話 『齟齬』
「――ユニー!! どこだ!! 助けに来たぞー!!」
ヴァルディアの古城は、エリオ砂漠にガッポリと穴が空いた地下にあった。卓斗は、古城見下ろしながら叫んでいる。
小さく見える古城へ続く階段の手前にいる卓斗達だが、その穴の深さに、息を呑んでいた。
「落ちたら死ぬだろ、これ……本当にここがヴァルディアなのか?」
「私が案内したんだから、ヴァルディアに決まってるでしょ? 『鬼神』の支配下にある私が、騙す様な真似をすると思う?」
「それ、自分で言っていいのか……? 別に、アカサキさんには支配下とか無いと思うけど……」
「貴方には分からないのよ。『鬼神』の本当の恐ろしさが」
卓斗とアカサキをヴァルディアへと案内したスカアハは、獣人化を解いて人の姿に戻ると、ヴァルディアの古城へと続く階段を降りて行く。
「ちょ、おい!! これ降りんのか!?」
「降りないとヴァルディアに行けないけど?」
「いや……お前の獣人の力でなんとか……」
「何言ってんの? 目の前に見えてるのに、私がわざわざ獣人化する意味は無いと思うけど」
地上何百メートルもの吊り橋よりも遥かに恐ろしい階段に、卓斗は思わず怖気ていた。微かに吹いている風にさえ、吹き止んでくれと苛立ちが募る。
「ほら、タクトさん、諦めて降りますよ」
そう言ってスカアハについて行くアカサキ。卓斗も意を決して階段へと一歩踏み出す。
「まじかよ……こんな階段ありかよ……」
何百メートルも長い階段を慎重に降りていき、ようやくヴァルディアに到着した頃には、卓斗の顔色は青ざめていた。
どんな強敵と戦うよりも疲れ果てた卓斗は、ヴァルディアの古城の目の前で座り込んでしまう。
「どうしたんですか、タクトさん。ヴァルディアは目の前ですよ?」
「ちょっと……休憩……もう、足が……」
落ちまいと足にずっと力が入ったまま降りて来た為か、卓斗の膝はガクガクと震え、腰も抜けていた。
すると、その場に卓斗達が知らない女性が現れる。
「――貴方が、ユニの言っていた先輩さん?」
その場に現れたのは、シエル・レアコンティだ。卓斗の声が聞こえ、ユニの慕う先輩を一目見ようと駆け付けたのだ。
「まさか……お前が、ナデュウか!!」
突然動ける様になった卓斗は、立ち上がってシエルを睨み付ける。
「騒がしい子ね……私は、シエル。ユニの母親よ」
「は……? 母親……?」
シエルのその紹介に、卓斗もアカサキも首を傾げていた。王都の人間である筈のユニの母親が、何故ヴァルディアに居るのかが、疑問で仕方がなかった。
「それは、おかしいですね。ユニさんは、王都の生まれの筈ですが?」
「詳しく話すと長くなるから、簡潔に言うと……ユニはヴァルディアで生まれ、王都で育った。私は王都の人間で、獣人種族と結婚してユニを身篭った。訳あって、ユニは生まれて直ぐに王都に行って、私はヴァルディアに残った。という事」
「貴方の話が本当なのだとすれば、ユニさんが獣人種族の皆さんに王妃様扱いされているのも納得ですね。そもそもヴァルディアの人間だと、そういう事ですね?」
「そういう事」
「ですが、貴方が何故ヴァルディアに居て、獣人種族とご結婚を? 王都の人間ならば、何故?」
シエルがヴァルディアに来たのは今から十八年前の事。アカサキはその当時、まだ二歳でこの世界にも来ていなかった。その為か、シエルが副都の一期生で教官も務めていた事など、知る由もなかった。
「アリサさんに頼まれて、極秘任務でヴァルディアに来ていたの。訳あって、今もなお王都には帰れてないけど」
「アリサさん……カジュスティン家の元王妃ですね。それで、極秘任務ですか……」
「獣人種族と王都の同盟。それが、私の受けた極秘任務」
「同盟? 王都と獣人種族は同盟を組んでたのか?」
卓斗の質問に、シエルは頷いた。だがそれは、疑問が生まれるだけだった。同盟を結んでいる筈ならば、何故、今争っているのかが。
「じゃあ、何で……同盟国のユニを連れ去るんだよ……そんなに、『一角獣』の力が必要なのかよ……」
「それは……」
すると、その場に遅れて『最強』の男、グレコ・ダンドールが到着する。
「――随分と久しいな、シエル」
「グレコ……さん!!」
シエルとグレコは、副都の一期生で旧知の仲だ。極秘任務により、突然と姿を消したシエルの行方は、グレコでさえ知らないでいた。
「こんな所に居たのか。極秘任務とは聞いていたが、とっくに死んでると思っていたぞ」
「ごめんなさい、当時は仲間にも極秘だったから……」
「だが、安心しろ。もうお前の極秘任務とやらは必要ない」
「必要ない……?」
「俺に隠し通していたつもりだろうが、お前がアリサ様から極秘任務を請け負っていたのは知っている。まさか、獣人種族との同盟とは思わなかったが、獣人種族は今日で滅亡し、同盟は剥奪だ」
グレコのその言葉に、スカアハは反応して睨み付ける。だが、言葉にはしなかった。グレコのその威圧感と存在感に、睨み付けるのが精一杯だったのだ。
「怒ってる様だが、お前ら獣人種族が俺の部下と戦闘を行った以上、同盟は剥奪だろう? ユニ・ディアの生まれ故郷がヴァルディアだろうが、副都に在籍する以上、王都に住んでる以上、我が聖騎士団が救出する。――シエル、お前もユニ・ディアと共に王都に戻れ」
「でも、どうしてグレコさんに、そんな権限が……」
「お前の慕うアリサ様はもう居ない。当時の国王様も、トワ達も居ない。それに俺は今、聖騎士団の総隊長だ。お前の知る、ガイデン・アスバトス元総隊長ももう居ない。この件を今の国王様も知らないなら、俺がこの件を担う」
グレコのその言葉は正論とも呼べた。シエルをヴァルディアへ送り込んだ、アリサ・カジュスティンとルイス・ルシフェルは既に存在していない。当時のナデュウも死んで代替わりをし、シエルがヴァルディアに居る意味はほとんど成していなかった。
「分かりました。私はユニの側に居れるなら、なんでもいいです。でも、今のナデュウは殺したら駄目……」
シエルがそう言葉にした瞬間、その場が一瞬ピリついた。グレコが一瞬だけ殺気を放ったのだ。その恐ろしい殺気は、一瞬だったが、卓斗やスカアハの背筋を凍らせた。
「十年以上もヴァルディアに居て、情でも湧いたか?」
「違う……今のナデュウなら、どの国とも分かり合える可能性があります。今のナデュウが死んで、次のナデュウが生まれたとしても、性格や考えが変わってしまう……今のナデュウは、ユニを……」
その時、シエルの言葉を遮る者の声が聞こえる。
「――喋り過ぎだ、シエル・レアコンティ」
「……っ!! アラ!!」
その場に駆け付けたのはナデュウの側近、アラだった。その表情は、かなり強張り、グレコ達を強く睨んでいた。
「貴様ら真性種が……!! ナデュウ様には一歩も近付かせん!!」
すると、激昂するアラの視界にスカアハの姿が映った。
「そこで、何をしている……スカアハ!!」
「私は……」
スカアハは事情を説明しようとするが、アカサキの無言のプレッシャーからか、何も言葉にする事が出来なかった。
「裏切ってただで済むと思うなよ、スカアハ。真性種諸共、俺が殺してやる」
「アラ……違うの……!! 私は……」
「言い訳はいい。ナデュウ様が危険に晒されている以上、俺はナデュウ様だけを守る」
すると、その場を黙って見ていた卓斗が、徐に口を開いた。
「その、ナデュウと話をさせてくれ。話し合いで解決出来るなら、俺はそうしたい」
「ならん。ナデュウ様に死相が出ている以上、お前らを近付ける訳にはいかん」
「死相? ナデュウ死ぬのか?」
「貴様には関係ない。ここから先には、俺が絶対に通さん!! ――獣人化完全形態」
すると、アラの全身に紫色のテラが纏い始める。その凄まじいテラは、轟音を轟かせている。
「――っ!! また獣人化……!!」
アラの姿は、真っ白な毛に覆われた大きな狼の様な姿だった。真っ赤な瞳をギラつかせ、鋭利な牙を見せつけるかの様に威嚇をしている。
「アラの獣人化……『狼王』、久し振りに見たけど……やばい……」
「ほう、さっきのゴリラとは違って、なかなかの殺気だな」
グレコもアラの獣人化に興味を示していた。その狼王の眼光は、体の体温を一気に冷やすかの様に冷徹な殺気だった。
そして、狼王は耳を劈く様な雄叫びを上げる。狼の特徴的な遠吠えだ。すると、ヴァルディアの地面にはヒビが入り、地上へと続く階段もギシギシと揺れ始める。
「なんつー鳴き声なんだよ……!!」
耳を抑えながら耐える卓斗の脳内に、突然としてグレコの声が響く様に聞こえる。
《聞こえるか、オチ・タクト》
「……? この声、総隊長か……!?」
《俺とアカサキで隙を作る。その隙を突いて、お前はユニ・ディアを探しに城へと入れ》
「え? 総隊長達は!?」
《声に出しても俺には聞こえないぞ。奴の鳴き声で掻き消されているからな。故に、お前の意見は俺には聞こえない。だから、俺の言う通りにしろ。俺とアカサキにここは任せて、お前は先に進め。道筋は俺が作る》
卓斗は視線をグレコの方へと向けて、力強い眼差しで頷いた。すると、アカサキが一気に狼王の方へと走り出した。
アカサキは、右手に水のテラを加えた球体を、左手には雷のテラを加えた球体を作る。
「アカサキさん!!」
未だに遠吠えをあげる狼王はアカサキに見向きもしないでいた。間合いを詰めたアカサキは、狼王の胸元に両手を当てがう。その瞬間、突然として大量の水がアカサキの手から溢れ、みるみるうちに狼王を水の牢が閉じ込めていく。
耳を劈く様な遠吠えは漸く収まり、辺りには水が溢れる音と、アカサキが左手に作った雷の音だけが鳴り響いていた。
水の牢の中では、狼王がジタバタと踠き回っているが、アカサキは悪戯な笑みを浮かべて狼王を見つめると、
「無駄な足掻きですよ? タクトさんを行かせるまでは、大人しくしていて貰いますね?」
そう言ってアカサキは雷のテラを加えた球体を水の牢に当てがう。すると、目が眩む程の雷が放電し、水の牢に雷が纏っていく。閉じ込められている狼王にもダメージがあるのか、すっかりと大人しくなっている。
「タクトさん、今です!! この人を抑えておける時間も長くはないですから!!」
「え、あ、うん!!」
卓斗はヴァルディアの古城へと向かって走り出した。ユニを助ける為に漸くここまで来た。仲間を助ける為に、卓斗は力強く走り出す。だが、
「――悪いけど、ここは通せない」
走り出した卓斗の目の前に、シエル・レアコンティが立ち塞がった。同じ王都の人間で、味方の筈なのに。
「ちょ、ユニのお母さん!! 何で邪魔すんだよ!!」
「私も、貴方達側の人間。でも、まだそれを実行する時じゃない」
「は?」
すると、突然卓斗は腰に違和感を感じた。ふと、腰に視線を送ると携えていた筈の剣が抜かれていた。
そして、金属音が鳴り響き、視線をシエルの方へと向けると、グレコが卓斗の剣を手に持ち、シエルと剣を交えていた。
「総隊長!?」
「――どういう風の吹きまわしだ、シエル。俺の言葉に、頷いたんじゃなかったか?」
「ユニを王都に返すのは賛成です。私も、ユニと王都に帰りたいですから。でも、ナデュウはまだ殺したら駄目って言いましたよね」
「俺達を、王都を裏切ると捉えていいのか?」
「そういう意味じゃなくて……!! もう、本当……昔からグレコさんは頭が堅いんですよ……!!」
「フン、懐かしんでいる場合か? ――オチ・タクト!! 構わず行け!!」
グレコの言葉に、卓斗は再び走り出した。シエルは何とか卓斗を止めようとするが、『最強』の男、グレコが立ち塞がる。
「――っ!! グレコさん、聖騎士団の総隊長になって、更に堅物になったんじゃないですか? 貴方なら、私の言っている事も理解してくれると思っていましたけど」
「十年以上も王都を離れたお前に、言われる筋合いはない。俺は聖騎士団の総隊長だ。任務はどんな事があろうと、全うする。例え、かつての仲間であるお前と斬り合う事になってもな」
「かつての仲間って……そんなんだから、トワさんにも振り向いて貰えなかったんですよ」
シエルがそう言葉にした瞬間、突然シエルは吹き飛ばされる。地面を勢い良く転がり、地層の壁にぶつかる。
「俺の前で、そいつの話をするな。お前と言えど、容赦はせんぞ」
グレコは冷徹な視線で、煙の立ち込める場所を見つめた。静かな怒りを募らせながら。
それを横目に、卓斗はヴァルディアの古城へと走り、中へと入って行く。
「早くユニを見つけねぇと……!!」
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外が騒がしい最中、ヴァルディアの古城の一室は、やけに静まり返っていた。未だにベッドで眠るナデュウの側に、ユニはジッと見つめていた。
というのも、『冥域』からの使者であるハフフェルの言葉が、ユニの脳内にずっと残っていて、それが気になって仕方がなかったのだ。その言葉とは、ナデュウがもうすぐ死ぬというものだった。
「ナデュウちゃん……」
ナデュウと話をしてみて、どこにでもいるしがない女の子だと知り、ただナデュウという宿命を背負っているだけで、ナデュウの人生が狂わされているのを、ユニは心苦しかった。
今代のナデュウは、争いを嫌い、平和を望み、獣人種族という宿命を忘れて過ごしたいだけの、ユニと同じ女の子なのだ。だが、歴代のナデュウの記憶や、獣人種族としての宿命が、ナデュウの自由を奪っていた。
「きっと……先輩なら、分かってくれる……大丈夫だからね、ナデュウちゃん」
ユニの望みは、ナデュウが普通の女の子として生活をする事。友達と遊んだり、どこかへ出掛けたり、ユニは友達として、そう願っていた。その時、
「――やっと、見つけた。助けに来たぞ、ユニ」
自分の体が突然とお姫様抱っこで抱き抱えられ、驚いたユニが視線を上げると、そこには卓斗が助けに駆け付けていた。
「せ、先輩……!!」
「ったく、心配かけやがって……ほら、直ぐ行くぞ」
「ちょっと待っ……っ!!」
ユニの言葉を聞かずに、卓斗は部屋の外へと走り出す。漸く助け出す事に成功し、後は皆で無事に王都に帰るだけだった。
「先輩……!! 来てくれたのは、嬉しいんですけど、ちょっと待って下さい!!」
「ハァ、ハァ、ハァ、あ? 何で、待つ必要が、ハァ、ハァ、あんだよ」
「ナデュウちゃんと、私が離れると……!!」
「関係ねぇ、ハァ、ハァ、俺はお前を、助けに来たんだよ」
『一角獣』の力を持つユニが、ナデュウの側を離れてしまうと、ナデュウの体力の衰えは早まってしまう。ナデュウの体力は、ユニがヴァルディアへ来る以前に限界に近い状態だった。このままだと、ナデュウが暴走してしまう恐れが、ユニの懸念だった。
「待って下さい……!!」
「待たねぇ、ハァ、ハァ」
「――先輩!!!!」
ユニの突然の叫び声に、驚いた卓斗は思わず走る足を止めた。そして、ユニは卓斗の腕から降りると、
「このままだと、ナデュウちゃんが暴走しちゃうんです!! 暴走しちゃえば、ナデュウちゃんは……死んじゃうんです……!! 確かに私は、ここの人に連れられて来ましたけど、ナデュウちゃんは悪い人じゃないんです。先輩と話せば、きっと上手く行くんです!! お願いです、先輩!! ナデュウちゃんを……助けてあげて下さい!!」
「ユニ……?」
「ナデュウちゃんは、私の友達なんです!! だから……だから、お願いします!!」
目に涙を浮かべながら、ユニは必死に卓斗へ訴えた。どうすべきか、考えていたその時、二人の背後からとてつもない殺気を感じる。
「――っ!?」
卓斗が振り返ると、そこには足元まで伸びている長い金色の髪で毛布一枚だけを羽織った服装の女の子が、濃い紫色のテラを全身に纏って、卓斗とユニを見つめていた。
「あれ……この子は……あん時の……」
その女の子を卓斗は見た事があった。それは、月明かりが照らすエリオ砂漠にある、唯一の森にある湖のほとりで話した女の子だった。
「ナデュウちゃん!!」
ユニの叫びに、卓斗は衝撃が走った。共に平和を願って語った女の子の名前が、ナデュウである事に驚きが隠せない。
「は!? ナデュウ!? この子が!?」
「ユ……ユニ……と、せ……先輩、さ……ん……」
ナデュウの声はとても弱々しく、今にも意識を失いそうな状態だった。だが、ナデュウを纏う紫色のテラは、より一層強さを増していく。
「まさか……暴走が……どうしよう……先輩……」
互いの歯車は上手く噛み合う事は無く、微妙なすれ違いで最悪の結末を迎え様としていた。