第127話 『それぞれの戦い』
「ハァ……ハァ……神谷くん……怪我は、ない……?」
「楠本さん……?」
鯱鯨の強烈な突進を、華奢な体つきの繭歌が一人で受け止め、更には抑え込んでいた。背中で受け止める様な体勢で、蓮の立っていた目の前で、ギリギリ勢いが止まった感じだ。
だが、蓮はその事よりも驚いている事がある。女の子が一人で巨大な生き物の動きを止めた事よりも、その繭歌の姿だった。
左腕の肘から手先にかけては氷が覆われ、龍の様に長い爪も付いている。そして、繭歌の片目は眼球の白い部分が黒色に染まり、瞳が真っ赤に染まっていた。
まるで、繭歌の様で繭歌ではない様な感覚と、感じたことのない不気味さに、蓮は驚いて繭歌を見つめる事しか出来なかった。
「どうしたのさ……そんな、驚いた表情なんか……して……ハァ……ハァ……」
「いや……楠本さん、その格好……」
「あー、これの事……? でもまぁ、話は後にして、先ずはこれを倒さないと……」
繭歌の後ろで、勢いを止められた鯱鯨は雄叫びを上げながら踠いている。繭歌は、クルッと鯱鯨の方へと向くと、鼻先に氷が覆っている方の手を当てがう。その瞬間、
「――っ!!」
巨大な体の鯱鯨を軽々しく吹き飛ばす。その衝撃波に、蓮も吹き飛ばされそうになるが、何とか堪えていると、
「神谷くん、巻き添えを喰らわない様にだけしておいてね。僕のこの力は、まだ使い慣れてないからさ」
「それは一体……」
「これは、『魔装』ってやつだよ。あまり、使いたく無かったんだけどね……相手があれじゃあ、使うしか無いって思ってさ」
蓮はただただ驚いていた。この世界の人間でない繭歌が、ここまで強くなっている事に。すると、繭歌はボロボロに破けているマントコートを脱ぐと、更にテラを溜め込む。
「一気に行くよ」
すると、体の左半身が徐々に氷に覆われていく。顔の半分には氷で出来た龍の顔の様な仮面が付き、背中には氷の龍の羽が生える。その姿はまるで、人型の龍の様だった。左半身の体だけだが。
「凄いテラ量……これなら、勝てるかも知れない……」
「かもじゃないよ。絶対に勝てるから」
そう言うと、繭歌は地面を勢い良く蹴って、一気に鯱鯨の元へと走り出す。足跡が付いた地面は凍り、繭歌は右手に氷の槍を作ると、鯱鯨の体に突き刺す。
激痛が走ったのか、鯱鯨が暴れ出すと繭歌は少し距離を取る。すると、鯱鯨は大きな口を開け、そこに水色のテラを集中的に集める。
「濃度の高いテラだね。まともに喰らえばやばいかもね」
集まったテラは徐々に円形になり、繭歌の体など丸呑みにしてしまう程の大きさまで膨張する。そして、鯱鯨はそのテラの球を繭歌の方へと放つ。
「やっぱり、そう来るんだね」
大きな球体が繭歌の目の前まで迫った瞬間、繭歌が左腕をその場で横に振りかぶる。すると、一瞬にして球体は氷漬けになり、粉々に砕け散る。
そして、右手を押し出す様に前に出すと、粉々に砕けた氷の欠けらが銃弾の様に鯱鯨の方へと飛んでいき、鯱鯨の体の全体に刺さっていく。
大量の血を流し、暴れる鯱鯨を繭歌は嘲笑うかの様に笑みを浮かべる。
「大きな体なのにさ、こうも脆いって面白いよね。私みたいな小さい人間にさ、簡単に傷付けられて、どんな気持ちなのかな。って、その状態じゃ言葉の理解も難しいか」
すると、鯱鯨の体から大量の紫色のテラが溢れ出す。そして、巨大な体は徐々に小さくなり、元のスヴァロの体へと戻っていく。
「――ハァ……ハァ……ぐっ……まさか、この俺が女のお前にここまでやられるとはな……」
「元の姿に戻ったんだ。じゃあ、君が僕に勝てる確率はかなり下がったね。獣人化のままの方が良かったんじゃないかな」
「言ってくれるな、おい……俺も驚いてるぜ、お前が『魔装』を使えたなんてな……」
全身に氷の欠けらが刺さったスヴァロは、虚ろな目をして繭歌を見つめる。この事は、スヴァロにとっては信じ難い事だった。女である繭歌に、自分の方が劣っている事が信じたくなかった。
「僕も驚いたよ。獣人種族の獣人化があんなに強力だなんてね。この力が無かったら、僕も神谷くんも今頃は死んでいたかも知れない。けど、もう大丈夫。僕の方が強いから」
そう言って笑顔を見せた繭歌に、スヴァロは苛立ちどころか、楽しくなってきていた。ここまで、女との戦闘で楽しいと思えたのは初めてだった。自分よりも強い女を前に、スヴァロも笑顔を返すと、
「フン、お前と会えて良かった、マユカ。そろそろ、決着を付けようぜ!!」
「うん、そうだね。じゃあ……行くよ!!」
そう言うと、二人は一気に走り出す。スヴァロは全身の傷の痛みに耐えながら剣を握って走り、繭歌は片方しか生えていない羽で勢いを付けて走る。そして、お互いはすれ違う様に、スヴァロは剣を振り抜き、繭歌は氷の覆われている腕を振るった。
互いに背を向け合う状態になり、暫くの沈黙が流れた。蓮も、その状況に息を呑みながら、見守っている。すると、
「――……がっ……!!」
だんだんとスヴァロの体が凍り始める。体の外に氷が覆っていくというより、皮膚が徐々に凍っているのだ。
「外から氷漬けにしても、割られてしまう可能性があるからね。悪いけど、中身から凍らせて貰ったよ。その内、君は動けなくなる。安心して、死ぬ訳じゃ無いから。永久の睡眠に入って貰うだけだからさ」
「――――」
繭歌のその言葉を聞き届け、スヴァロはピクリとも動かなくなった。そして、繭歌の左半身を覆っていた氷が一瞬にして砕け、元の繭歌の姿に戻る。
「ふぅ……何とか、乗り越えられたね」
「楠本さん、大丈夫? 結構怪我もしてるし、テラの消費量も多いと思うけど……」
「僕なら大丈夫、まだ動けるよ。早い所、皆と合流しないとね。僕達もヴァルディアを探そうか」
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「――イルビナと言ったか? お前達の言う連携とはこんなものか?」
獣人化第二形態となったマヘスは、片手でイルビナの胸ぐらを掴んで持ち上げている。イルビナは苦しそうにマヘスを睨み付けるが、力が入らず抵抗は出来ないでいた。
「ぐっ……離し……て、下さ……い……!!」
「苦しそうだな。直ぐに楽にしてやる」
マヘスが何かをしようともう片方の手を動かした瞬間、突然紫色のテラで出来た鎖が伸びて来て、イルビナに巻き付き、引っ張っていく。
イルビナが引っ張られていった方向には、ステファとジョンが居る。
「大丈夫か、イルビナ!!」
「ステファさん……助かりました……」
ステファはマヘスの方へと視線を向けると、強く睨み付けた。そんなマヘスは、まるで弱者を見つめるかの様に、蔑んだ目で睨み返す。
「怒っているのか? 大切な仲間を傷付けられそうになり、俺に憎しみを感じたのか? お前達の連携が俺の力に達さなかったのが悪いんだろう? 悔しいなら、俺を倒してみろ」
「挑発のつもりか? 生憎だが、私は感情で動くタイプの人間では無い。怒りはあるが、冷静は保てる。それに、まだ私達の連携は完成していない」
「完成していない、か。なら、早く完成を見せてみろ。その連携なら、俺に勝てるんだろう? ユニ様を助け出せるんだろう?」
「そう焦るな。お前の望み通り、聖騎士団第二部隊と、元聖騎士団第二部隊隊長の私の連携を見せてやる」
そう言うと、ステファは不敵な笑みを浮かべた。その瞬間、突然としてマヘスの周りに土の壁が囲う様に地面から生え、出現する。
「そうか。なら、見せて貰うとしよう――」
円形の土の壁は、マヘスを閉じ込める。すると、突然として土の球体から雷が雷鳴と共に放電し、大爆発が起きる。
「――っ!! この魔法は……」
「――遅くなった、隊長!!」
ジョン達の元に駆け付けたのは、王都に援軍を呼びに行っていた、オッジとサーラだった。
「オッジ!! サーラ!! 待ってたぞ!!」
「総隊長も呼ぼうと思って、探してたら時間が掛かったんだー。オッジがどうしても総隊長も呼びたいって」
「どうせ援軍を呼ぶなら、『最強』を連れて来た方が、手っ取り早いだろ? わしらだけでは、獣人種族を相手にはキツイと思ってな!!」
「そうか、グレコも来たのか。なら尚更、形勢逆転って奴だな」
ステファはそう言うと、煙の立ち込める場所を眺める。雷がバチバチと音を立て、その場に静寂が流れる。
「まだ来るか……」
その瞬間、煙を掻き消す程の強風がステファ達を襲う。その根源は、マヘスだった。オッジとサーラの攻撃を受けても尚、無傷で平然と立ち尽くし、腕を振るって強風を出したのだ。
「――っ!!」
すると、ステファの目の前に突然マヘスが詰め寄る。両腕で顔を覆って強風を凌いでいたステファは隙だらけだった。
「この程度では、まだまだ甘いな」
マヘスは無表情でそう言葉にすると、ステファを殴り飛ばす。勢い良く吹き飛んでいくのと同時に、強風が止み始める。
「ステファさん!! チッ、くそ野郎が!!」
ジョンとオッジが両サイドからマヘスに向かって拳を振りかざした。だが、
「所詮は、お前達もこの程度か……」
マヘスが両方に向かって腕を伸ばすと、空気砲の様な物を放ち、空間が歪んだ様に見えた瞬間、ジョンとオッジは吹き飛ばされる。
「はひぃ!? ステファさんも隊長も呆気なく……」
「副隊長ー、どうするー? 私達だけじゃ勝てる気がしないけどー」
サーラは無表情でマヘスを見つめながら、そう言葉にした。この人数で戦っても尚、勝機を感じれなかったのだ。
「諦めるの早過ぎです!! ユニさんを助ける為にも、私達が頑張らなくちゃいけないんですけど……ちょっと、私も諦め……いやいや!! そんな事言ってる場合じゃ……!!」
「副隊長ー、言ってる事が滅茶苦茶だよー」
「はひぃ……すみません……」
すると、マヘスがイルビナとサーラの方へと振り向く。異様なオーラを放つマヘスに、二人は表情が強張る。
「お前の目を見てはいけないのは分かっている。どういう仕組みかは知らないが、最初に目が合った時に異変を感じた」
そう話すマヘスは、サーラだけを見つめていた。イルビナの『鏡』の能力の秘密とは、イルビナと目が合った者とのダメージを共有させる事。その為には、目を合わせる必要がある。
マヘスはその事に気付き、それ以来イルビナと目を合わせる事はしなかった。
「そうです。目を合わせる事が、私の能力のトリガーです。そこに気付かれてしまったのは、最悪です……」
「フン、哀れな能力だな。トリガーが必要な能力など、あるだけ無駄だ。お前の言う、トリガーってのを俺が知ってしまった以上、お前は能力を使えない。つまり、生身のお前じゃ俺には勝てない」
「本当にそうなんですよ……勝てないかも知れません……ですが!! 私達、聖騎士団第二部隊は決して諦めたりしません!! ちょっと気持ちが揺らいじゃったりもしましたけど、もう諦めません!! 絶対に貴方に勝って、聖騎士団第二部隊の強さを証明して見せましゅっ……す、す!!」
「あ、副隊長、噛んだー」
「はひぃ……!! 大事な所で噛んじゃいました……」
「けど、副隊長が噛んだって事は、気合いが入った証拠だからねー。私も頑張るー」
サーラはイルビナに笑顔を見せると、噛んだ事に涙目になっていたイルビナも笑顔を見せて、強い眼差しをマヘスに向ける。
「ドジそうだからって、私を舐めないで下さいね!!」
イルビナが手に持つ剣にテラを溜め込むと、白色に光るテラが刃に纏っていき、大きな刃と変化する。
「フン、光のテラを所有するお前を潰せば、治癒魔法を使える者は居なくなる。お前を一番に叩くのが合理か」
一瞬目を瞑って息を吐くと、マヘスはイルビナの目の前まで一瞬にして詰め寄る。その凄まじい速さに、イルビナは反応が出来なかった。
そして、マヘスは拳を握って思いっきりイルビナに向かって腕を振るう。だが、
「――っ!?」
マヘスの拳がイルビナの頬を捉えた瞬間、バチッと大きな音を立ててマヘスの拳を弾く。
マヘスが不思議そうにイルビナを見やると、頬の部分に微かに雷がバチバチと放電していた。
「雷のテラも宿しているのか……? 二属性だと……?」
「いえいえ、これは私のテラじゃないですよ」
「私のー」
そう言ってサーラは、マヘスに向かってヒラヒラと手を振る。その姿を見て、マヘスは苛立ちを募らせる。
「そうか、お前は雷のテラだったな。いつの間に仕込んでいたんだ?」
「仕込むも何もー、私は好きな時に好きな場所で雷を発生させる事が出来るんだよー。例えば、こういう感じにねー」
その瞬間、マヘスの胸元が突然と青白く光り、バチッと音を立てて雷が放出する。衝撃で後ずさるマヘスだが、大したダメージはなかった。
「素振りも見せずに魔法を放つか……だが、まだまだ甘いな」
「――それは、お前だ」
その時、マヘスの背後から声が聞こえ、振り向こうとした瞬間に、全身に紫色の鎖が巻き付く。
「この鎖……まだ動けたか」
マヘスが顔だけで背後を見やると、そこにはステファとジョンとオッジが立っていた。
「あの程度で、私達を倒したとでも思っていたのか? 甘いな、お前」
「なに?」
「考えも実力も、まだまだだな。そして、お前は終わりだ」
その瞬間、マヘスの居た場所が青白く光り出す。目眩しを受けたマヘスは、目を瞑る。
「――っ!!」
光が収まり、マヘスが目を開けると、目の前にイルビナが近寄っていた。マヘスの視線とイルビナの視線が重なり、
「目、合いましたね?」
「なっ……!?」
イルビナが白い光を纏った剣を振り抜くと、マヘスは剣で防御し後ずさる。
「サーラさんの雷で目を眩ませ、その隙に私と目を合わせる。これも、連携の一つです!!」
「チッ……クソが……!!」
してやられたマヘスは、苛立ちを募らせて、強くイルビナを睨み付ける。
「そして、貴方はもう終わりです。私の能力が掛かった以上、私には勝てませんよ?」
イルビナは不敵な笑みを浮かべると、白い光を纏った剣を、自分の腹部に目掛けて突き刺す。言わば、切腹といった所だ。
「イルビナ!!」
「ぐっ……ハァ……ハァ……」
口から血を吐き、虚ろな目をするイルビナと同じく、マヘスも口から血を吐き、その場に膝をつく。
「がはっ……これが、お前の……能力……ダメージの、共有か……!!」
「今の……貴方と、私は……ハァ……ハァ……運命共同体、ってやつですよ……」
イルビナも全身の力が抜け、その場に倒れ込もうとすると、その場にステファが駆けつけ、イルビナを受け止める。
「イルビナ!! しっかりしろ!!」
「ス、ステファ……さん……私、頑張り……ました……よ」
「頑張り過ぎだ、馬鹿!! もう少しやり方があっただろう!!」
膝をついていたマヘスも限界に近付き、その場に倒れ込む。すると、紫色のテラが溢れ出し、元のマヘスの姿へと戻っていく。
「この俺が……真性種如きに……負ける……とは――」
マヘスは力尽き、ピクリとも動かなくなる。だがそれでも、まだ息はあった。
「イルビナ、まだ動けるだろう? 自分で治癒魔法を掛けるんだ」
「はい……」
イルビナは、手に水色のテラを纏わせると、剣が刺さっている場所に当てがう。
「ステファ……さん……剣を、抜いて……貰って、いいですか……?」
「あぁ、痛むぞ?」
ステファはそう言うと、優しく剣を抜く。治癒魔法を掛けながら、イルビナは痛みに耐える。
「ぐっ……!! ハァ……ハァ……治ったら、直ぐに……行きましょう……」
「今はいいから、ゆっくり休め」
ステファ達と繭歌達の獣人種族との戦闘は、無事に何とか終了した。