第120話 『鯱鯨』
「――俺はスヴァロ。不法侵入したお前らを喰いに来た!!」
エリオ砂漠で、砂嵐に飛ばされてアカサキ達と離れてしまった繭歌と蓮の元に、獣人種族のスヴァロが姿を現していた。
ジト目の赤色の瞳に映る繭歌と蓮を、スヴァロは舐め回すかの様に睨み付ける。
「悪いけど、僕はかなり負けず嫌いでね。ネトゲでもゲームセンターの格ゲーでも勝つまでやり込むタイプなんだよ。だから、昨日のお返しは君にさせて貰うとするよ」
繭歌はそう言うと剣を抜き構える。その剣は、銀色の刃に峰の部分が水色で、ギザギザの円形の水色の鍔、水色の柄の繭歌特注の剣だ。
スヴァロは戦闘態勢に入った繭歌に、刺々しい牙を見せびらかす様にして不敵に笑みを浮かべると、腰に携えていた長刀を抜く。
「訳の分からねぇ言葉だけどよ、要はやられたらやり返すって事だろ? おもしれぇ……骨の髄まで砕いて喰ってやるよ!!」
「まぁ、僕は君の様な馬鹿そうなタイプが一番苦手なんだけど、攻略はし易いからね。一瞬で終わらせるよ!!」
両者は砂漠の地を勢い良く蹴って走り出す。一歩毎に砂が舞い散り、普通の地面より足場はかなり悪いが、繭歌は力強く砂の大地を踏みしめ走る。そして、お互いは力強く剣を振るい、刃と刃が交わった瞬間に、二人の地面から砂飛沫が飛び散り、繭歌とスヴァロは剣を交えて睨み合う。
「男のくせに力弱くねぇか、お前」
「――僕、女だけど」
その言葉にスヴァロは目が点になっていた。髪は短く、自分を僕と呼んでいる為か、完全に男だと勘違いしてしまっていた様だ。
残念ながら繭歌の胸は、男性と変わらない程にしか膨らみが無く、見た目で女性だという判断基準はスヴァロに無かった。肝心の服装のスカートはマントコートで見えなかった為、スヴァロの中で繭歌は男の子という判別になっていた。
「女だと!? 何の冗談だ、お前!!」
「この状況で僕がそんな冗談を言う訳が無いよね。性別を間違われて、かなり傷付いてるんだけど?」
証拠と言わんばかりに、繭歌はマントコートから脚を出してスヴァロにスカートを見せびらかす。黒色のタイツを履いているが、紛れもない女子の脚に、スヴァロは度肝を抜かれた。
「な、なな、なんだと……!? マジで女なのかよ……いやいや、女装してるだけって可能性も……」
「馬鹿なの君。どうすれば、女装してるかもって答えに辿り着くのさ。体を触りでもしないと分からないつもり?」
「ふん、触りゃ一発で分かる。でもよ、お前の場合は胸じゃ意味がねぇよな」
スヴァロからのペチャンコ弄りに、繭歌は目を細めて軽蔑した目でスヴァロを睨む。
「胸じゃ駄目って、どこを触ろうとしてるの? 僕の国ではそれを、セクハラって言うんだよ……!!」
繭歌が剣にテラを込めて、刃を交えたまま横に振るうと、氷の斬撃が津波の様にスヴァロに襲い掛かる。
間一髪、スヴァロは後方へ跳ねる様にして避けたが、長刀の刃の先は氷漬けにされ、繭歌とスヴァロの間には氷の斬撃が壁の様に留まっていた。
「本当に触るつもりはねぇよ!! それでお前が女だったら、俺の男が廃るだろうが!! まぁ、そこまで怒るってこたぁ女なんだろうが、そうなれば俺の戦い方は変わってくるぜ。こう見えても、俺は女には優しいんだ」
「あんまり僕を舐めない方がいいよ。そこら辺にいる男の子より、僕は強いと思うからさ」
繭歌が目の前にある氷の斬撃の壁に手を当てがうと、何本もの氷柱をスヴァロに向けて放つ。
「女のお前がメインになる必要はねぇぜ。確実に男のそっちの奴がメインだろ、普通」
スヴァロは氷がハンマーの様に付いている長刀を素早く振るい、氷柱を全部弾く。
「君は女と男の差別が酷いね。男が強いって概念は変わりつつあるんだよ。ものによっちゃ女の方が強い事もある。この世界だと特にそれを証明出来るよね」
「悪りぃけど、それは絶対ない。男と女の強さを考えた時、男は肉体的な強さ、女は身体的な強さなんだよ。戦闘で女が男に勝つ事はあり得ない。少なくとも、俺は女には負けねぇ!!」
スヴァロは長刀をその場で振るうと、刃に付いていた氷を取り、繭歌の元へと一気に走り出す。
「本気で来てくれないんだね。じゃあ、後悔させてあげる!!」
スヴァロが長刀を横に振るうと、繭歌はしゃがみ込んで避ける。そのまま、下から上に目掛けて剣を振り抜く。だが、
「――っ!!」
繭歌の刃はスヴァロの体を捉えた。だが、肉や骨を切った感触が繭歌には無かった。更に、スヴァロの体を刃が捉えた瞬間、スヴァロの体は液状に溶け、辺りには霧が出ていた。
「俗に言う分身ってやつかな。霧で僕達の視界を無くす戦法なんだね」
深い霧により繭歌達の視界は完全に真っ白な世界しか捉える事が出来ないでいた。顔の前に手を出してみても、白く霞んで見えにくい程の濃霧だ。
「楠本さん、大丈夫?」
「神谷くん、隣に居るんだね。この距離でも顔が見えない程の濃霧……僕の側から離れたら駄目だよ。霧なら霧で、僕にもやりようがあるからさ」
繭歌はそう言うと意識を研ぎ澄まし、集中力を高める。そして、足音が背後から聞こえた瞬間に、地面に剣を突き刺す。その瞬間、
「――がっ!?」
一瞬にして霧は氷漬けになり、スヴァロは氷に閉じ込められてしまう。繭歌と蓮の周りは凍らない様に器用に扱い、外から見ればエリオ砂漠の中に大きな氷の結界がある様に見える。
「霧は水蒸気だからね。凍らせる事は造作でも無いよ」
「成る程……じゃあ、彼からしてみれば楠本さんは天敵という事になるんだね」
氷のテラを扱う繭歌にとっては、水の種類にもなる霧を凍らせる事など簡単な事だった。
「それに、ただの物体を凍らせるより、液状のものを凍らせる方が耐久度は高いからね。早々に割られる事は無いと思うけど……」
「――確かに割るのは難しいな」
繭歌の背後から突然スヴァロの声が聞こえ、全身の身の毛がよだち振り向くと、スヴァロが氷の中を自由に動き回り、長刀を繭歌に向けて突き刺していた。
「なっ!?」
繭歌はとっさに体を反らして避けるが、長刀の刃は繭歌の左肩を掠め、その部分が血で赤く染まる。
「霧を凍らせるってのは、いい考えだったな。俺じゃなきゃ、簡単にやられてた所だ」
「君には氷が効かないって事なのかな。なら、さっき僕の魔法を避けたり弾いたりしていたのは、この為の演技だったって事でいいのかな?」
「演技って訳じゃねぇよ。要は、この霧は誰が作ったものかって事だ。自分の魔法で自分の首を締めてちゃ、本末転倒だろ?」
「成る程ね……つまり、この濃霧の中だと君の魔法は何の影響も受け付けないって事だね」
繭歌はそう言うと、肩を掠めていた長刀の刃を素手で掴む。手の平は切れ、血がポタポタと足元に垂れる。
「だったらそれなりの戦い方に変えるだけだよ」
繭歌は地面に刺さっていた剣を抜くと、霧を氷漬けにしていた氷が一瞬にして粉々に砕け、その場に氷の欠けらの雨がヒラヒラと降り、スヴァロの方へ向けて剣を突き刺す。
「霧を使っての間接的な攻撃で凍らせる事は出来ねぇ。俺を凍らせたいのなら、本体の俺を凍らせるしかねぇ」
スヴァロは顔を反らして剣を避けると、一歩前に踏み出す。そして、この濃霧の中でボヤけて見えなかったスヴァロと繭歌の視線が重なる。
「こっからが本番だぜ……えーっと……名前は?」
「僕は繭歌。君はスヴァロだったよね」
「マユカ……女が強いって事を、俺に証明してみろ!!」
その時、スヴァロの目の前に白色の小さな球が飛んでくるのが見えた。この濃霧の中ではスヴァロの視界に影響は無い。普段見ているかの様にスヴァロには見えている。
そして、その小さな球は繭歌の視界にも微かに見えた。それと同時にその球を投げ込んだのは蓮だと即座に理解した。その瞬間――、
「――っ!?」
白色の小さな球は、霧よりも真っ白な光を放ち、スヴァロの視界を遮断させる。だが、繭歌の視界にはスヴァロの姿がはっきりと見えていた。
「神谷くん、これは……」
「科学魔法の一つだよ。閃光玉と呼んでる物で、使用した当人が敵と認識している者にだけ、目眩しの効果を与える。逆を言えば、使用した当人が味方と認識している者には、目眩しの効果を与えない。なんとも都合のいい科学魔法だよ」
「確かに、都合がいいね。科学魔法ってのはそういうのばかりなんだね」
シルヴァルト帝国の開発技術に、繭歌は感心と同時に恐怖すら覚えていた。日本の都市伝説に未来は人工知能に支配されると聞いた事があった繭歌だったが、シルヴァルト帝国の開発技術を見ていると、その話も都市伝説ではなくなるのでは無いかと、思ってしまう程だ。
現に、繭歌と蓮は真っ白に光る空間でも視界に影響は無く、目を抑えてたじろぐスヴァロの姿が見えている。この様な技術を可能にしたシルヴァルト帝国には、恐怖を感じてしまう。
「じゃあ、今が絶好のチャンスだね」
繭歌はそう言うと、剣をスヴァロに向けて斜めに振り抜く。その瞬間に辺りに蔓延していた濃霧は一瞬にして消え、繭歌達にも漸く空が見えてくる。
左肩から右の骨盤に向かって切られたスヴァロは、傷の痛みと血の熱さで戦いを実感しているのか不敵な笑みを浮かべていた。
「クハハハハ……!! 女に斬られてるようじゃ、俺もまだまだだな。それに、そっちの男も珍しい魔法を使いやがる……完全に舐めてたぜ……!! 認めてやるよ、マユカ。俺に血を流させた女はお前が初めてだ。だから、敬意を込めて俺も本気で行く!!」
「やっと本気で戦ってくれるんだね。なら僕もベストを尽くして君を倒すとするよ」
繭歌とスヴァロは戦いを楽しむかの様に笑みを浮かべながら、見つめ合う。そして、スヴァロは長刀を鞘に収めると、
「俺の全力でお前らを喰ってやる!! ――獣人化!!」
突然スヴァロの全身から紫色のテラが、姿が見えない程に溢れ出し包み込んでいく。
「くっ……!! これ程のテラ量……!! 来たね、獣人化……!!」
そして、爆発するかの様に紫色のテラが弾け、辺りに白色の煙が立ち込める。繭歌と蓮の瞳には、白煙の中で蠢く大きな影を捉えていた。
姿が見えなくとも、二人の本能が悍ましいものだと瞬時に理解してしまう。肩が震え、足が竦み、見つめる白煙の中に蠢く影の姿が見えてくる。
「この感じ……かなりやばいかもね……」
白煙が徐々に消えると、そこには空を覆い尽くす勢いの大きさの鯱が空を海の様にして飛んでいた。
巨大な飛行船程の大きさで、真っ黒の皮膚に白色の皮膚が所々にあり、大剣より大きな鋭い背ビレと尾ビレを持った鯱だ。
「鯱……? 鯨……? これ程大きな生物は見た事が無い……」
「鯱鯨って所かな……ネーミングセンスのダサさはともかく、迫力は半端が無いね……白鯨以上とも言えるよ……」
繭歌はスヴァロの獣人化の姿を鯱鯨とネーミングした。そんな呑気な事を言いつつも、鯱鯨の圧倒的な存在感と威圧感に完全に気圧されていた。上空を泳ぐ様に飛び、大地が揺れる程の大きく悍ましい鳴き声を上げる。
「くっ……!! なんて鳴き声なんだ……!!」
すると、耳を塞ぐ二人の元へ鯱鯨は一気に上空から下降し、突っ込んで来る。繭歌達に逃げる隙を与えない程の速さで下降し、その大きさから走って逃げるには到底間に合わない。
「神谷くん!!」
繭歌はそう叫ぶと、氷の柱を地面から生やし、それに乗って一気に移動する。蓮の腕を掴んで柱に引き上げ、鯱鯨の下降してくる範囲外へ向かう。
「間に合って……!!」
その瞬間、鯱鯨は繭歌達を捉える事が出来ずに、砂漠の地へと落下する。その衝撃は凄まじく、大地が大きく揺れる程だった。繭歌と蓮の乗っていた氷の柱も割れ、二人は砂漠の上に放り投げられるかの様に落ちる。
「ぐっ……!!」
鯱鯨が突っ込んだ場所には空高くに大きな砂飛沫が飛び、砂の大津波が繭歌と蓮に襲いかかる。
「呑まれたら終わり……!!」
砂漠の上を転がっていた繭歌は咄嗟に体勢を整え、地面に両手を当てがう。すると、砂の大津波は繭歌の手前で氷漬けになり、勢いを止めた。
「ハァ……ハァ……たったの一回の攻撃だけでこの規模……ちょっと、まずいかな……」
「楠本さん、僕が足を引っ張ってしまって、申し訳ない……」
「大丈夫だよ、神谷くん。ただ、完全に庇い切れるかは自信が無いから、先に謝っておくね」
科学魔法が使えると言えど、蓮の戦闘力は繭歌に比べて低い。仮に、この場に蓮が一人しか居なかった場合、先程の鯱鯨の攻撃で死んでいたであろう。
「あの巨大な魔獣と、どうやって戦おうかな……氷漬けにするには大き過ぎて無理だし、アレを使うしか……」
すると、またしても大地が激しく揺れ始める。繭歌と蓮は倒れない様にしゃがみ込み、辺りを警戒する。
「今度はどこから来る気……?」
大地は揺れるが、鯱鯨は姿を一向に現さない。あれ程の巨大な体で姿が見えないとなると、繭歌が導き出せる答えは一つだ。
「まさか、下……!?」
揺れが更に強くなると、繭歌は蓮に向かって氷の柱を放つ。優しく蓮の体を捉えると、その場から離す様に突き飛ばす。
「ぐっ……!! 楠本さん!!」
そして、鯱鯨は繭歌の足元の地面から、大きな口を開けて飛び跳ねて来る。食べられまいと繭歌も大きな氷のバリアを張るが、そのまま鯱鯨と共に空高く上がっていく。
「くっ……!! 地中も自由に動けるんだね……!!」
鯱鯨は空高く上がると、軌道を変えて縦に一回転し、繭歌を叩き落とそうと大きな尾ビレを振るう。
「まずい……!!」
繭歌は全身を覆う様に氷を球体型のバリアにして尾ビレを防ごうとするが、尾ビレがバリアを捉えた瞬間、繭歌の視界が歪む程の衝撃が走り、砂漠の地へと一直線に落ちて行く。
「――っ!!」
落ちた瞬間に大きな砂飛沫が上がり、砂が波打つ様に円形に広がって行く。それは、蓮の足元にまで広がっていた。
「楠本さん!! そんな……」
鯱鯨は次に蓮を標的にし、地面スレスレの低空飛行で一気に蓮の元へと突っ込んでいく。
砂埃を吹き上げながら、かなりの速さで突っ込んで来る鯱鯨を目にし、蓮は何も出来ないでいた。恐怖心や繭歌がやられてしまったという絶望感からか動けなかった。
体の芯を圧迫する程の鯱鯨の咆哮に、蓮は思わず尻餅をついてしまう。普段、感情を乱す事は殆ど無い蓮だが、鯱鯨の脅威を前に死を悟り、生を願った。――否、
「――っ……!!」
突然、鯱鯨の動きが蓮の目前で止まったのだ。蓮にはその原因が一瞬で分かっていた。繭歌が鯱鯨に背を向けた状態で、氷のバリアと左腕で抑えていたのだ。
「楠本……さん……?」
繭歌は下を向き大きく息を切らしていた。額や頬、口から血を流し、マントコートや黒タイツも所々が破れ、ボロボロの状態だった。そして、鯱鯨を抑える左腕は肘まで氷が覆い、爪も長く龍の手の様になっていた。
「ハァ……ハァ……神谷くん……怪我は、無い……?」
顔を上げて蓮の瞳を見つめながら言葉にした繭歌を見て、蓮は鯱鯨とは別の恐怖心に襲われていた。
繭歌の左目は白色の部分が黒色になり、瞳の色は真紅の色に変色していた。その瞳を見た蓮は、そこに繭歌の存在を感じなかった。繭歌の様で繭歌では無い。そう思えてしまう程、目の前にいる繭歌は別人の様だった。