第118話 『分かち合う二人』
静寂な森と、月明かりが照らす湖のある場所で、卓斗はナデュウとの思わぬ邂逅をしていた。
だが、卓斗はナデュウの姿は見た事がない為か、その人物がナデュウだとは気付いていない。
「通りすがり……見た感じまだ幼そうだけど、一人でこんな所散歩してたら危ねぇぞ」
「お気遣いありがとうございますね。でも大丈夫ですよ? ここは私の庭みたいな所ですから」
「庭……じゃあ、俺が不法侵入してるって事か……悪りぃ、ちょっと迷い込んじまってさ」
「いえいえ、大丈夫です」
ナデュウは優しい笑みを浮かべると、卓斗の方へと近付き湖を眺める様に立つ。
「美しいですよね、ここの景色。私も時々、ここでこうしてボーッとするのが好きなんです。嫌な事も、辛い事も忘れて、この景色に癒されに来るんです」
「ふーん、確かにすげぇ落ち着くよな、ここ。てか、嬢ちゃんは幾つなんだ?」
「私は十五歳です。もっと下に見えましたか?」
「正直な……一個下には見えなかった。でも、十五歳で嫌な事とか辛い事とかあるって大変そうだな」
卓斗はそう言うと湖の方へと向いて、その場に座り込む。ナデュウも隣に座り込み、二人は湖を眺める。
「大変でしたね……今までの辛い事も嫌な事も覚えてて、私じゃないのに私が行う感覚が本当に辛いです……」
ナデュウは代替わりの宿命に悩まされていた。だが、そんな事など知らない卓斗は、理解が出来ずに首を傾げてていた。
「良く分かんねぇけど、嬢ちゃんも苦労してんだな。俺も色々と大変なんだよな……」
「貴方はどんな苦労を?」
「当たり前だった筈の生活が一変して、毎日毎日死ぬ思いをして、何故か世界を救えるって期待されてて、仲間の国が襲われて、後輩が連れ去られて……もう休む間も無く色んな事が起きるんだよ」
「後輩……」
「そう、ユニって言うんだけど、俺の事を先輩って呼んで慕ってくれるいい奴なんだ。たまにムカつくけど、可愛いんだよ。あ、この可愛いは後輩として可愛いって意味な」
「そう、貴方が……」
ここでナデュウは、卓斗がユニの言っていた先輩なんだと理解した。エリオ砂漠に侵入者の反応があり、自分の気の安らぐ場所に砂嵐によって飛ばされた人物を確認しに自ら来たのだが、まさかユニの慕う人物だとは思ってもいなかった。
「ん? それはどういう……」
「いえいえ、何でもありません。先輩って呼ばれてるんですよね? なら私も、先輩さんってお呼びしてもいいでしょうか?」
「へ? あー、全然いいけど、嬢ちゃんの名前わ?」
「私の名前は訳あって言えないんです。ですから、嬢ちゃんのままで良いですよ」
「嬢ちゃんってもしかして……どっかの国の王妃様とかか?」
「ウフフフ、正解です。私は王の立場ですから、あまり身分を明かす訳にはいかないんです」
そう言ったナデュウの横顔を見た卓斗は、その表情から悲しみと寂しさを感じた。
「そっか……こんな世界だもんな。身分を明かして殺されたり、連れ去られたりする世界だもんな……てか、俺そんな事しねぇからな……!!」
「大丈夫ですよ。先輩さんからは、いい人なのが伝わって来ますから。それで、先輩さんがこの世界を救えると期待されているというのは?」
「あー、『大罪騎士団』って組織が居てさ、そいつらが世界を終焉へと導こうとしてんだよ。それで俺は、フィオラって人に世界を救うようにと頼まれてる。何の根拠があるのか分かんねぇけど、俺なら出来るって言い張ってるし」
「フィオラ……」
ナデュウは勿論フィオラの事を知っている。初代ナデュウが幾度となく、フィオラやエルザヴェートと戦っていた記憶は鮮明に残っているからだ。
「まぁ最初は面倒臭い事に巻き込まれたなーって思ってたけど、今では俺もこの世界を救いたいし、絶対に『大罪騎士団』の好き勝手はさせねぇ」
「先輩さんは、頼もしい人なんですね。世界の救世主に選ばれるという事は、それ程強いって事なんですね」
「そうでもねぇよ。俺は色んな人に助けて貰って、協力して貰って、一人じゃ何にも出来ねぇからさ……それに、無駄な争いなんかしたくねぇし、『大罪騎士団』の奴らも、獣人種族の人らも、話し合いで分かち合えたら、一番いいんだけどな」
ナデュウは卓斗の人柄に感心していた。ナデュウ自身も、人間と獣人種族が分かち合える日が来る事を願っていただけに、卓斗の考えには共感出来ていた。
争う事無く、話し合いで分かち合い、平和を維持していく。それが、一番の理想だった。
「私もそう思います。争いなどしてはいけない……悲しみを生み、憎しみを生むだけですからね。私はお姉様が一人居るんですが、その姉とも上手くいってないんです。度々争ったり、無駄な争いをして来たんです。先輩さんが言う様に、話し合いで分かち合えたら嬉しいんですけどね」
「姉ちゃんと争ってんのか……それはなんか、悲しいよな……でも、嬢ちゃんならきっと仲直り出来るぜ!! こうやって話してると、嬢ちゃんもいい奴だって伝わって来るしな」
「本当ですか? なら私も、先輩さんの言う様に、無駄な争いは避けて行きますね。皆が自由に笑って暮らせる世の中になれば……私も生きている間に、そんな世界を見てみたいです」
そう言ったナデュウの健気な笑顔を見た卓斗は、胸が熱くなるのを感じた。それと同時に、何としても世界を守らねばならないと、更に心に強く誓った。
「俺が絶対に世界を守ってみせる。啀み合いも、争いも無い世界にしてみせる。その時は、嬢ちゃんの名前教えてくれよな」
卓斗はそう言うと、ナデュウに向かって拳を突き出した。ナデュウは暫くその拳を見つめると、卓斗の目を見て笑顔を見せながら、
「えぇ、約束します。先輩さんも、無茶のない様に頑張って下さいね」
卓斗の拳に合わせる様に、ナデュウも拳を突き出す。二人は黙ったまま湖を眺めた。心地いい沈黙が流れ、月明かりの照らす湖に癒される。
暫くすると、卓斗はこれまでの疲労の為か眠ってしまっていた。ナデュウはそれに気がつくと、優しく卓斗の頬に手を当てながら、
「ユニの事は私に任せて下さい。先輩さん達の元に、ちゃんと戻しますからね」
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ヴァルディアの古城では、突然ナデュウが姿を消した事に騒ぎになっていた。
「ナデュウちゃん、どこに行ったんだろう……」
ユニも心配していた。『一角獣』の力を持つ自分と、離れればナデュウは衰弱してしまうからだ。すると、部屋の扉が開きナデュウが入って来る。
「ナデュウちゃん!! どこに行ってたの!?」
「ちょっと散歩に行ってました」
ユニの声を聞いて、アラも慌てて部屋に飛んで入って来る。古城を走って探し回っていたのか、息を大きく切らしていた。
「ハァ……!! ハァ……!! ナデュウ様!! 何方に行かれていたんですか!!」
「何も言わず、ごめんなさいね」
「エリオ砂漠に侵入者の反応があったので、ナデュウ様が居なくなり心配しましたよ。今の状態で戦闘など以ての外ですよ」
「その事なら心配ありません。ユニ、貴方を王都に返しますね」
ナデュウの突然の言葉に、ユニとアラは目を丸くして驚いた。ユニの後ろに居たシエルも、不思議そうにナデュウを見つめていた。
「ナデュウ様!? いきなりどうされたんですか!? ユニ様が居なくなれば、ナデュウ様は衰弱していくだけなんですよ!?」
「本当だよ、ナデュウちゃん!! 急にどうしたの?」
「確かに、ユニがここに居れば私は元気になります。ですが、それだと悲しむ人も居るんです。ユニ、貴方はお友達や先輩さんと一緒に居るべきです」
「どうしてナデュウちゃんが先輩を……?」
「ユニ、先輩さんはいい人ですね。あの人について居れば間違いありませんよ。それから、シエルも王都に返しますね」
「ナデュウ?」
ユニやアラだけでなく、シエルもナデュウの言葉に首を傾げていた。
「ナデュウちゃん、もしかして先輩に会ったの? 近くに先輩が来てるの!?」
「えぇ、会いました。ユニを助けに来たと言っていましたよ?」
「先輩……」
もしかすればとは思ってはいたが、助けに来てくれた事は嬉しかった。だが、ナデュウの元を離れる事も心配ではあった。
「ナデュウ様、ユニ様を王都に返すという事は、『一角獣』の力はどうなされるんですか? ユニ様が近くに居ないと、ナデュウ様の体は……」
「その事なら大丈夫ですよ。二日間程、眠ってテラを溜めればユニの体から『一角獣』の力を取り出す事が出来ます。『一角獣』の力をアラに取り込めば、今後も問題ないかと」
「確かに、その案は可能だと思います……代替わりしない不老不死の私が、『一角獣』の力を持つのは最適かと。ですが、折角ユニ様と……っ!!」
すると、ナデュウは人差し指をアラの口元に当てて、言葉を止めると、
「だからこそですよ、アラ。もし、ユニと私が逆の立場だったら、ユニも同じ事をしていたと思います。友達の為にとは、こういう事ですよね、ユニ」
「ナデュウちゃん……」
「では、時間が掛かりますので準備に入ります」
ナデュウはそう言うと、自分の部屋へと向かう。アラとユニはその後を追い、部屋までの間は沈黙が流れていた。ユニもナデュウの背中を見つめながら、寂しそうな表情を浮かべていた。
部屋に着くと、ナデュウは二人に笑顔を見せて、ベッドに横たわる。ユニの体から『一角獣』の力を取り出す為に、ナデュウは二日間眠るのだ。
「ここまで、他人に優しいナデュウ様は初めてです」
すると、ナデュウを見つめたままのアラがユニにそう話し出した。
「ナデュウ様からお聞きかも知れませんが、私はヴァルディアで唯一の不老不死で、初代ナデュウ様の時からずっと側に就ています。当初は獣人種族の数も多く、その中で私はナデュウ様に気に入られ様と戦果を上げました。そして、初代ナデュウ様に気に入られ、側近として選ばれ、その際に不老不死の力を与えられました。その時はかなり悩みました。不老不死になれば、決して死ぬ事が無い。そうなれば、未来の私の周りには何も残らない……家族も、友人も、恋人も……それでも、ナデュウ様の側に就く事を決め、不老不死を受け入れました。ですが、肝心のそのナデュウ様が代替わりをする不老不死だと、初代ナデュウ様が亡くなった時に知りました。記憶は残り、容姿は変わらぬものの性格は全く違い、ナデュウ様の様でナデュウ様じゃない、そんな感覚でした」
「アラさんは、どの時のナデュウちゃんが好きだったの? やっぱり、初代?」
「それは愚問ですよ、ユニ様。私は、どの代のナデュウ様も好きですよ。ただ、私が惚れたのは初代ナデュウ様です。強く、逞しく、仲間想いな人でした。恐ろしく感じる時もありましたが、それを仲間に向ける事は一切しなかったですからね。どの代のナデュウ様より強いお方でした。私の憧れでしたよ……今のナデュウ様も、優しいという面では尊敬出来ますけどね」
アラからの話を聞いて、ユニは感慨深い想いだった。千年以上も生き続け、ずっとナデュウを側で見守り続けているアラの気持ちは、誰にも理解出来るものではないだろう。
ナデュウが代替わりをする度に、悲しい思いをして、また次の新たなナデュウに仕える。ナデュウに記憶が残っていると言えど、性格が違えば、アラからの視点は変わってくる。
アラが惚れた初代ナデュウは、二度と生まれてくる事は無い。そう思うと、ユニは悲しくなった。
「私は、今のナデュウ様には長生きして欲しいんです。ここまで他人を想いやれるナデュウ様は、そう生まれて来ないですからね。今のナデュウ様なら、真性種である人間とも分かち合えるのではと思います。絶滅の危機に晒されている獣人種族からすれば、今のナデュウ様が命綱の様な存在ですから」
「私もナデュウちゃんの事、好きです。だからこそ、ナデュウちゃんには、混合種と真性種の蟠りなんか無しに、一人の女の子として生きて欲しい……私が王都に帰っても、ナデュウちゃんとの関係は切りたく無いですし、ずっと友達で居たいです。だから、私も長生きして欲しいって思います」
「ユニ様がヴァルディアに来てくれて、感謝しています。我々は『一角獣』の力を持つ者を必死に探していましたが、ナデュウ様は反対されていましたから……その者の人生を変える訳にはいかないと。なので、もしかすればナデュウ様は、最初からこうする事を考えていたのかも知れません。ユニ様から力だけを取り出し、王都に返すと」
「ナデュウちゃん……」
ユニは眠るナデュウを見つめて、その優しさに胸が苦しくなった。ユニを側に置いておけば、初めての友達と色んな事を経験出来る筈。だが、自分の事よりユニの事を考え、王都に返すと言った事が、ユニにとって複雑なものだった。
王都に帰りたいという気持ちもあるが、ナデュウの側に、友達として居たいという気持ちもあったからだ。
「アラさん、私も今日はここで寝てもいいですか?」
「構いませんよ」
「ありがとうございます」
ユニは少しでも長くナデュウの側に居ようと、隣に寝転んで添い寝をする。
アラは暫く二人を見守ると、静かに部屋を出て行った。
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――翌朝、エルザヴェートの部屋では卓斗が居ない事で騒いでいた。
「どこに行ったのよ、あいつ!! ちょっと、レン!! あんた、なんか知らないの!?」
人一倍騒いでいるのはエレナだ。昨晩、ラディスと共にお風呂を覗こうとしていた事に、まだ怒りが収まっていない様だ。そもそも、それはエレナの勘違いなのだが。
「部屋を出て行ったのは知ってるけど、散歩に行くって言ってた。その後、僕は寝てしまったから、越智がいつ帰って来たとかは知らない」
「散歩!? モリヤ、あんたは?」
「知るか」
七星の相変わらずの態度は、エレナの怒りを強めるだけだった。
「しかし困りましたね。タクトさんが居ないとなると、私達だけでヴァルディアへ向かう事になりますね」
「女々男の事だから、何か理由はあると思うわ。でも、アカサキさんを困らせたから、痛い目には合わさないといけないわね」
「セラちゃん、程々にね……!!」
無表情でそう言葉にしたセラに対し、三葉はたじらっていた。セラの性格を考えると、卓斗の命の保証が無いと三葉は思ったのだ。
「昨晩は妾と話しておったんじゃがのぅ。あの後に何処かへ行ったという事かの。ラディス、何か知らぬか?」
「んー。そういや、ヴァルディアへの行き方を聞かれたな。もしかしたら、一人で行ったのかもしんねぇ」
「は!? 一人で行った!? ったく、あの馬鹿!! でも、考えれない事もないわね。あいつの性格上、ジッとはしてられないタイプだから……なら、私達も早くヴァルディアへ行くわよ!!」
慌てて部屋を出ようとするエレナを、エルザヴェートが止める。
「まぁ待て、エレナ。其方らはヴァルディアの場所を知らぬじゃろ」
「っ……!! そうだった……どこにあんのよ、そのヴァルディアっての」
「言っておくが、妾の知ってる場所に、まだヴァルディアがあるかは知らぬぞ。五十年前の第二次世界聖杯戦争の際にヴァルディアのあった場所は砂漠と化したからのぅ。ここより北の方角に、エリオ砂漠ってのがある。昔はそこにヴァルディアがあった。妾の知ってる事はそこまでじゃ。獣人種族がそれからどうしたかまでは知らぬ」
「では、一度エリオ砂漠へ行ってみましょう。手掛かりを得られるかも知れませんからね。それから、獣人種族との戦闘を踏まえた上で、戦闘力の低い方はここで待機という形でいいですか?」
アカサキはそう言うと、ステファの方を見やる。ステファは黙ったまま頷くと、口を開いた。
「アカサキの言う通りだな。モニカとジュリアはここで待機していろ。 カミヤ、お前はどうする?」
「僕は非戦闘員だけど、ナデュウって人に用があるからね。付いて行くよ。極力、足は引っ張らない様に気を付ける」
「そうか。昨日の獣人種族の奴の戦闘力を考えると、単独での行動は禁物だな。アカサキ、お前らの隊とジョンの隊は一緒に行動した方が良さそうだな」
「そうですね。どれ程の実力者なのかは知りませんが、ステファさんがそう仰るなら、それにお任せします」
「なら、ここより北の方角にあるエリオ砂漠へ向かうぞ。エルザヴェートとやら、情報を感謝する」
「なに、行った所でヴァルディアが存在していない可能性もある。感謝するには早いかのぅ。ともあれ、気を付けての」
アカサキ達もエリオ砂漠へと向かおうとしている中、卓斗は未だに森の中で眠っていた。