第117話 『月夜の森』
獣人種族についてとヴァルディアの場所を聞くべく、卓斗達はエルヴァスタ皇帝国へと赴いていた。
だが、エルザヴェートからはユニの救出任務は中止するようにと言われてしまった。
その理由は一つ、ナデュウの強さが異常であるという事だ。エルザヴェートによると、その実力はフィオラと同等かそれ以上との事。それを聞き、卓斗は思わず言葉を失っていた。
「ナデュウってそんな強ぇのかよ……」
「魔獣界最強とまで呼ばれた奴じゃからの。下手に関われば、其方等は簡単に全滅させられて終わりじゃのぅ」
すると、一番後ろで黙って話を聞いていた守屋七星が突然として口を開いた。
「俺は簡単にはやられない。なんでもいいからさっさと場所を教えろ」
その瞬間、エルザヴェートの全身に濃い紫色のテラが纏うと、忽然と姿を消し、七星の目の前に瞬間移動する。
その速さに卓斗達は反応出来ず、七星の目の前にエルザヴェートが移動したのにも関わらず、まだ目で追えなかった。
そのままエルザヴェートは紫色のテラで剣を作り、七星に向けて振りかざす。その瞬間、金属音が鳴り響く。
「流石の反応の速さじゃの、アカサキ」
「陛下からのお褒めの言葉、有難き幸せです。ですが、何の真似でしょうか? 仮にも彼は、私の部下なのですが」
間一髪、アカサキが七星とエルザヴェートの間に割って入り、防御魔法で防いだのだ。そこで漸く、卓斗達も目が追いつき後ろを振り返る。
「エルザヴェートさん!? 何してんだよ!!」
「なに、此奴の口の聞き方に少し苛ついただけじゃ。本当に切るつもりは無かったのぅ。して、初めて見る顔じゃが誰じゃ此奴は」
エルザヴェートは全身を纏っていたテラを消すと、七星をジッと見つめる。そんな七星も、表情一つ崩さずエルザヴェートを見つめていた。
「(此奴……動揺一つ見せんとはの……出来る……)」
「そいつは新入りの守屋って奴だ。態度がでかいウザい奴だよ」
「随分な言い分じゃのぅ。モリヤとやらも人との付き合い方はきちんとしておった方が身の為じゃよ」
七星は黙ったまま目を細めてエルザヴェートを睨む。すると、エルザヴェートは自分の座っていた場所へと戻って行く。
「ともあれ、先ずはここに泊まっていけ」
「は!? エルザヴェートさん、俺らにはそんな暇ねぇんだけど……」
「何にしろ、夜動くのは危険じゃ。明日の朝になったら、ヴァルディアの場所を教えてやるからのぅ。ただし、ヴァルディアがまだ残っておるかは知らん。妾の知ってる場所にヴァルディアがあれば、そこに獣人種族は居る。兎に角、今は休め」
そう言うとエルザヴェートは、再び歴史書を読み始めた。こうして、卓斗達一行はエルヴァスタ皇帝国で夜を明かす事となった。
*************************
数時間後、卓斗達は男と女に分かれて客室に寝泊まる事になり、今は女子達がお風呂に入りに行っている。
そして卓斗は何かを決意し、勢い良く立ち上がった。
「よしっ!!」
勢い良く立ち上がった卓斗に驚いた蓮が、本を読むのをやめて声を掛けた。その一方で七星は既にベッドに横になり、卓斗達に関わらない様にしているが。
「急にどうしたの、越智。まさか……」
「蓮……止めないでくれよ。ちょっくら散歩に行ってくるだけだからよ」
そう言って卓斗は客室を出て行く。呆然とその背中を見届けた蓮は、首を傾げながら再び読んでいた本に視線を戻す。
「お風呂場に向かった……いや、まさかね」
客室を出て廊下を歩いていると、卓斗の背後から誰かが声を掛けた。卓斗は思わず驚き、振り向くと、
「びっくりした……エルザヴェートさんかよ……」
「そんなに驚く事じゃないじゃろ。どうしたのじゃ、そんなに慌てて」
「え、いや……その……ちょっと散歩にでも……あははは」
激しく動揺する卓斗にエルザヴェートは不思議そうに見つめている。
「それよりタクト。モリヤとやらの事じゃが……」
「へ? え、あ!! 守屋ね!! うんうん、守屋がどうかしたか?」
「彼奴には気を付けて置け」
突然真面目な顔をしたエルザヴェートがそう言葉にすると、動揺しきっていた卓斗も、冷静になる。
「気を付ける?」
「彼奴が完全にタクト等の味方とは言い切れんという事じゃ。仮に裏切る様な事があれば、彼奴は厄介な敵になるじゃろう」
「裏切る……そんなまさか……何の為に?」
「まだ確定した訳じゃない。妾の思い過ごしになるやも知れん。じゃが、その可能性もあるという事を肝に命じて置け」
エルザヴェートからの言葉は完全には理解出来なかった。七星が自分達を裏切る時が来るのかなど、信じたくもない話だ。
だが、一部納得してしまう部分もあった。七星の性格上、何かの気まぐれで聖騎士団を抜けると言い出し兼ねないという事だ。
それだけで済めばいいが、戦闘になる可能性もあるという事を、エルザヴェートに指摘され、卓斗に新たな悩みが増えてしまった。
「分かった。気を付けて置く」
「ふむ。では妾はまだ忙しいのでのぅ、タクトは早よぅ寝るんじゃぞ」
「てか、さっきから思ってたけど、エルザヴェートさん忙しそうにしてっけど、何かあったのか?」
「ちょっとの。マッドフッド国で面白い事を聞いてのぅ。色々と調べておるんじゃ。いずれ、タクトにも手伝って貰う可能性もあるから、その時にでも話すとするかのぅ。ではの」
そう言ってエルザヴェートは去って行く。調べ物が気になるが、卓斗は決意した事を実行する為に、再び歩み出した。
「エルザヴェートさんも、色々と大変なんだな……今でこそいい人だけど、昔は世界を終焉に導こうとしてたんだもんな……」
エルザヴェートはかつて、黒のテラの暴走により自我を乗っ取られ、世界を終焉へと導こうとした。だが、その際はフィオラやセシファ達によって止められたという過去がある。
そんな諸悪の根源であったエルザヴェートも、今では平和を齎そうと、国を纏めて奮闘しているのは感慨深いものがあった。
しばらく廊下を歩くと、卓斗の視界にお風呂場の入り口が見えて来る。
「ふぅ……」
卓斗は恐る恐る歩き、お風呂場の入り口へと近付いていく。その瞬間、
「――よっ!! 兄貴!!」
「っ!? びっくりしたぁ……!! なんだよ、お前かよ」
突然卓斗に声を掛けて驚かしたのは、エルザヴェートの弟子であるラディス・ラ・エヴァだ。
「何してんだ、こんな所で」
「何もしてねぇよ。つうか、いきなり声掛けんなよな。ビビるだろうが」
「こんな事でビビる奴だったか、兄貴って。なんかこう、不動明王みたいな感じでさ、恐怖心がねぇって感じだったと思ってたけど」
「お前の中で俺はどんな解釈されてんだよ……元からビビりだっつの俺は」
卓斗のリアクションが良かった事に、満足気なラディス。すると、ラディスの視界にふと、お風呂場の入り口が見える。
「あ、まさか兄貴」
「な、何だよ……」
「女風呂覗こうとしてたな!!」
突然のラディスの言葉に卓斗は思わず吹いてしまう。
「ぶぅ!!!! ば、馬鹿かお前は!! そんな訳ねぇだろ!!」
「いいや、絶対に覗こうとしてたもんな。動きが怪しかったもん」
「覗く訳ねぇだろ、馬鹿!! 後、声がでかいんだよ、馬鹿!! 大体な、エレナとセラが居んのに覗く様な命知らずみたいな事は絶対にしねぇからな!!」
卓斗が大きな声でラディスに説ていると、お風呂場の扉が徐に開く。
「――何してんの、あんた達」
卓斗とラディスが扉の方に視線を向けると、バスタオルを体に巻いたエレナが扉から顔を出していた。そして、その目は不審者を見る様な蔑む目をしていた。
「え、いや……その……ちょっと散歩に……」
「俺は兄貴を見かけたから話し掛けただけ」
「嘘ね」
その瞬間、卓斗とラディスにはエレナから凄まじい覇気を感じた。それと同時に死を覚悟したのだ。
「この……!! 変態コンビ!! お風呂場覗こうとしてたでしょ!!」
エレナは片手でタオルが落ちない様に押さえながら、大きく右腕を振りかぶる。
「ちょ、ちょちょちょ!!!! 待て待て待て!!!! 誤解だって、エレナ!!」
「兄貴はともかく、何で俺もなんだよ!! エレナ姉ちゃん!!」
そして、エルヴァスタ皇帝国の王邸に重くて鈍い音が幾つも鳴り響いた。
「ぐっ……なんでだよ……」
「兄貴の……所為……だからな……」
お風呂場の前の廊下には、これまでかという程にボコボコにされた卓斗とラディスが横たわっていた。
お風呂場の扉はエレナが怒りに任せて閉めたのか、ヒビが入っていた。
「お前が大きい声出すからだろ……」
「兄貴が覗こうとしてたからだろ……」
「だから、俺は覗く気なんかねぇって……そうだ、ラディスさ、ヴァルディアって聞いた事あるか?」
口から出ていた血を拭って、立ち上がった卓斗は、ラディスにそう質問した。ラディスも立ち上がると、
「聞いた事はあるぜ。行った事はねぇけどな」
「そこに行きたんだけど、場所知ってたりするか?」
「んー、前に師匠にチラッと聞いた事あったけど……確か、エルヴァスタ皇帝国より上の方に位置してるって聞いたかな……方角的には北の方だぜ!!」
「北の方角か……分かった、サンキュなラディス」
そう言うと卓斗は歩き出す。ラディスはその背を見つめて、首を傾げていた。
「まさか、一人で行く気なのか兄貴……おっとと、俺も早く師匠ん所に行かなきゃ!!」
*************************
ラディスからの説明を受け、卓斗は一人エルヴァスタ皇帝国の正門前に立ち、腕を上げて全身を伸ばしていた。
「んー……!! よし。あいつらなら後で来れんだろ。俺は休憩なんかしてる暇じゃねぇし……一刻も早くユニの元に行ってやらねぇと、きっと孤独で寂しいだろうからな……待ってろよ、ユニ」
明日の朝まで待つ事が出来ず、卓斗は一人でヴァルディアへと向かおうとしていた。
他のメンバーは休憩させる為に、誰にも内緒で出て来たのだ。
そして、卓斗はエルヴァスタ皇帝国より北の方角へと向かった。詳しい場所は分からないが、北へ進んで行けばいつか着くだろうと考えていた。
村や小さな国を見つけては、ヴァルディアなのかを尋ね、また北の方角へと進む。
そうこうしている内に、卓斗はやがて砂漠の手前まで来ていた。その砂漠とは、世界最大の砂漠である、エリオ砂漠だ。
月明かりが照らす砂漠の風景は絶景で、卓斗は思わず見惚れていた。
「すっげぇ……こんな所に砂漠なんかあったのか……でも、すっげぇ遠くまで地平線が見えてっけど、本当にヴァルディアなんかあんのかよ……でも、行くしかねぇか」
歩きにくい砂の上を歩き、遥か彼方の地平線を目指した。風が砂っぽく、少し息苦しいがひたすらに歩いた。
一時間程歩くと、眠気と疲労からか卓斗の足取りは重くなっていた。そして、肝心のヴァルディアは一向に姿を見せない。
「まじであってんのかよ……これ……違ったら、ラディスの野郎しばいてやるからな……」
その時、突然卓斗の目の前の空間が歪み出した。過去に何度も見た事のある歪みに、卓斗は嫌な予感がしていた。
「嘘だろ……」
すると、そこから水色の髪色をお団子ヘアにした一人の少女が出て来る。そしてその人物は、卓斗が幾度と無く邂逅した人物だ。
「――うわ、お兄さんじゃん。まさか、こんな所で会うなんてね」
「てめぇは……ヴァルキリア……」
現れた少女とは、『大罪騎士団』のメンバーで『傲慢』を司る、ヴァルキリア・シンフェルドだった。
「何してるの、こんな所で」
「それはこっちの台詞だ。『大罪騎士団』の奴が、何でこんな所に居る」
「私が先に質問したんだけど」
そして、卓斗は臨戦態勢に入り、黒刀を手に作る。だが、
「ちょっと待った。お兄さんの相手してる暇ないんだよね、私。行かなきゃいけない所があるからさ、お兄さんの相手はまた今度ね」
「俺がお前ら『大罪騎士団』の奴らを目の前にして、やすやすと見逃す訳がねぇだろ」
卓斗はそう言うと、一気に地面を蹴ってヴァルキリアへ詰め寄る。そして、静かな砂漠に金属音が鳴り響いた。
「人の話聞いてる? お兄さんって結構傲慢な人だよね」
「お前の話なんか聞いてられっかよ。マッドフッド国での事、絶対に許さねぇからな」
ヴァルキリアは腰に携えていた普通の剣で卓斗の黒刀を防いでいた。
「ここでお兄さんと戦うつもりは無いから。そんな暇無いって言ったでしょ? 私の言う事はちゃんと聞かなきゃね」
「だから、聞いてられねぇって言ってんだろうが!!」
「しつこい……」
ヴァルキリアは交えていた剣を素早く上に振り上げると、卓斗の腕も上に上がり、隙の出来た腹部に回し蹴りを決め込む。
蹴り飛ばされ砂漠の上を転がる卓斗は、体勢を整えてヴァルキリアを睨むと、その手には神器グラーシーザが握られていた。
「じゃあ、望み通りにここで殺してあげよっか?」
「やれるもんならやってみろよ」
すると、ヴァルキリアが神器グラーシーザを振りかざす。その動きを見て、卓斗もすかさず黒刀を構える。
瞬きをした瞬間、目の前に青白いテラの斬撃が迫っていた。神器グラーシーザの特異な能力、無限射程の斬撃且つ、目視不可の速さを誇る斬撃だ。
斬撃が黒刀に当たる衝撃を感じ取った瞬間に、横に振りかぶって斬撃を弾き飛ばす。
斬撃は卓斗の後方の地面に当たり、水飛沫ならぬ砂飛沫が上がり、砂が舞い散る。
「慣れたもんだな、お前のそれも!!」
卓斗は一気に走り出し、手を翳すと、『引力』の力でヴァルキリアを引き寄せる。
「お兄さんのそれもね」
ヴァルキリアは引き寄せられる力を使って、神器グラーシーザを振りかざす。
卓斗はその瞬間にスライディングをして斬撃を避ける。だが、その隙に『引力』の力が解け、ヴァルキリアは地面を勢い良く蹴ってジャンプし、スライディング状態の卓斗へ向かって斬撃を二発放つ。
先程より大きな砂飛沫が飛び、衝撃音がエリオ砂漠に響いた。
地面に着地したヴァルキリアは、不敵な笑みを浮かべながら、砂埃が舞う場所を見つめている。
「この感じ……」
その瞬間、砂埃が一瞬で舞い散ると、黒色の斬撃がヴァルキリアに向かって飛んでくる。
その斬撃には、白色の雷の様なものが雷鳴と共に纏い、砂を吹き上げながら、ヴァルキリアへ近付く。
「これ程のテラ量……でも、甘いね……お兄さん」
ヴァルキリアは足に桃色のテラを纏わせると、右方向に飛び跳ねる様にして斬撃を避ける。
体にギリギリ触れない程度で避けるが、その瞬間にヴァルキリアは突然として吹き飛んでいく。
「っ!!」
砂漠を転がるヴァルキリアは、体勢を整えると斬撃の方を見やる。斬撃はどんどんと空へと飛んでいき、やがて小さくなって消えていく。
つまり、斬撃はヴァルキリアには当たっていないのだ。だが、確実にヴァルキリアは吹き飛ばされている。
「今の斬撃……」
「――へっ、驚いてんな、俺の編み出した新技に」
月明かりに照らされながら、卓斗は誇らしげな表情をしてヴァルキリアを見つめていた。
「斬撃に『斥力』の力を混ぜてたの? お兄さんにしては考えたね」
「もっと改良して、更にダメージを大きく出来ればな……やっぱ、『大罪騎士団』が相手じゃ、そんなにダメージはねぇか」
「じゃあ、ちょっと本気で行こうかな」
ヴァルキリアはそう言葉にして神器グラーシーザを構える。卓斗も、ヴァルキリアの動きを見逃さまいと神経を研ぎ澄ませる。すると、二人の居る場に微かな風が吹き始める。
風は徐々に強くなり、砂嵐が吹き起こる。目も開けられない程の突風と砂に、卓斗とヴァルキリアは動きを封じられていた。
「――っ!? なんだよ……これ……!!」
「自然現象……では無さそうだね……!!」
そして二人は、突風の強さに負けて体が宙に浮き上がる。そして、卓斗の意識は暗闇へと落ちていった。
*************************
突然の砂嵐に襲われ卓斗は気を失ってしまっていた。ふと気がつくと、見覚えの無い森の中に倒れ込んでいた。
目の前には大きな湖があり、月明かりが水に反射して美しい光景になっていた。
「ぐっ……どこだ、ここ……」
卓斗は起き上がり辺りを見渡すが、先程まで居たはずの砂漠の景色はどこにもなかった。
「突風に飛ばされたのか……? 夢でも無さそうだし……ヴァルキリアの姿もねぇ……あいつも飛ばされたのか……」
何が起きたのかを考えながら湖を眺めていると、背後から女性の声が聞こえてくる。
「――こんな所で、何をしているんですか?」
卓斗が振り向くと、そこには足までの長さの金色の髪を二本に束ね、布一枚だけ羽織った、ジト目の少女ナデュウが立っていた。
「えっと……誰……?」
「初めまして、私は通りすがりのしがない女の子ですよ」
――ナデュウとはつゆ知らず、卓斗とナデュウの思わぬ邂逅となった。