第115話 『シエル・レアコンティ』
「私が産まれた時の事、もっと詳しく知りたい」
隔離室で産みの母親であるシエル・レアコンティと再会を果たしたユニは、真剣な表情でそう話した。
「いいわよ。話は、ユニが産まれるより少し前に遡るわ」
――話は今より、十八年前に遡る。
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――十八年前。
当時のシエル・レアコンティは十六歳。髪も肩上と短く、容姿も幼い。そんな彼女は、副都で教官を務めていた。
そもそも、シエルは十四歳にして副都に一期生として入団していた。同期にはステファ・オルニードやカジュスティン家の王妃である、トワ・カジュスティンなどが居た。
一期生の中でシエルは最年少で、成績も優秀であり、副都を卒団したのと同時に、前教官であったアリサ・カジュスティンの推薦で二期生の教官を任されていた。
それ以降も教官を続け、現在では四期生の教官を務めている。日本で言う所の六月で、四期生の教官を担当して二ヶ月が経っていた。
そんなシエルは、教官室で副都の総責任者であるアリサに呼び出されていた。
「――お呼びですか、教官」
「教官は止しなさい。もう、シエルの教官ではありませんよ。教官は貴方なんですから」
副都の総責任者であるアリサ・カジュスティン。トワ・カジュスティンの母親で、エレナの祖母でもある。
真っ赤な髪色に、腰辺りまでの長さのロングヘア。白色と赤色の漢服の様な服を着ていて、気品が溢れている。
「私にとって、教官はいつまでも教官ですよ。私を副都の一期生として誘ってくれた日から、アリサさんは私の教官です」
今より二年前、シエルはアリサからの誘いで副都に入団する事になった。その当時、十四歳だったシエルの実力は、当時の聖騎士団よりも上だった。
だが、王都ではカジュスティン家の王妃であり、アリサの娘であるトワ・カジュスティンが天才として名を轟かせていた。
その事もあり、シエルの名はトワに隠れてしまっていた。だが、アリサはそこを見逃さなかった。
「すみませんね、二期生以降からの面倒を見てもらって……」
「いえ、私も教官として充実しています。ステファさん達は聖騎士団で活躍し、トワさん達はトワさん達で頑張っています。ですから、私も副都で出来る事をするまでです」
十六歳とは思えない程に、しっかりとしたシエルに、アリサも感心していた。
近年の王都では、聖騎士団の高齢化などが問題視されていた。若い子供の育成が、現国王のルイス・ルシフェルからの提案だった。
アリサは、そんなシエルを見ていてると、新たな可能性のある未来が見えて来る。
「私のバカ娘も、シエルを見習って貰いたいものですね……」
「あははは……確かに、トワさんは自由ですよね。それでも、実力は誰よりもある。誰からも文句なんか言わせない程に強くて、優しくて、そんな人だから自由にやって行けるんだと思いますよ? 流石に、聖騎士団に入団しないって言った時は、驚きましたけど」
「何の為の副都なのかを分かっていないんですよ、あの子は。まぁ、国の為に戦っているだけマシですがね」
当時の世界は、六大国同盟を結ぶ前であり、王都ヘルフェス王国は、特にマッドフッド国やガガファスローレン国などと度々争っていた。
小さな戦争が増え始め、いずれ全世界を巻き込む大きな戦争が起きるんじゃないかと、民達も不安を募らせている時代だ。
この時より三十二年前の第二次世界聖杯戦争は国と国というより、ナデュウ率いる獣人種族との戦争であった。
六大国同士が戦争を行なったのは、九十一年前の第一次世界聖杯戦争が最後だ。それ以降は、六大国同士は睨み合う形となり、小国との戦争が増えていった。
「こんな時代ですからね……私も、聖騎士団で活躍出来る子を、ちゃんと育成していきます」
「それで、シエルを呼んだのには、あるお願いがあったんです」
「お願い……ですか。もしかして、中途入団ですか?」
「いえいえ、副都は関係ありませんよ。少し、私に付いて来て貰えますか?」
そう言うとアリサは立ち上がり、歩き出す。シエルは、気になりながらもアリサの後を追った。
副都を出て王都へと向かい、到着したのは国王が住まう王邸だ。当時の国王は、セレスタの祖父であるルイス・ルシフェルだ。
「――来たか、アリサ」
「貴方の顔は二度と見たくないと思っていましたが、今回は仕方がありませんからね」
エレナやセレスタの代と違って、アリサやルイスの代の王族は仲が悪かった。ジュディやシルヴァの代も仲は悪いが、それ以上の仲の悪さだった。
アリサとルイスは、過去に激しく戦闘を行った事がある。それは、王都ヘルフェス王国の歴史に残る程の内戦となっていた。
「ふん、わしかてお前に頼みたくもなかった。だが、今回の件はお前の助言も必要となる。――シエル、急に呼び出して悪かったの」
ルイスはそう言ってシエルの方に視線を移す。そして、真剣な表情をしながら、
「私に、何の用ですか、国王様」
「もう時期、来る頃だな。暫く待て」
ルイスがそう言うと、その場に沈黙が流れる。誰が来るのかとシエルが考えていると、シエルの隣の空間が突如白く光り出した。
「――っ!?」
「心配するな、わしらの客だ」
光りがやがて消えていくと、そこには新たな二人の人物が立っていた。一人は、金色の髪色で足までの長さで、それを二つに束ねた少女。一枚の布を羽織っただけの服装だ。
もう一人は、背の高い白髪の男性。黒色の燕尾服を着ていて、無表情で少女の後ろに立っている。
「――久しぶり、でいいんですかね。王都ヘルフェス王国の国王……それから、王族カジュスティン家の王妃」
金色の髪色の少女は、そう言うと軽くお辞儀をする。それに続く様に後ろに立つ男性も頭を下げた。
「ナデュウか……第二次世界聖杯戦争以来だな」
そこに現れたのは、ヴァルディア国の王ナデュウと、その側近であるアラだった。
「ナデュウって……本物なんですか……?」
シエルはナデュウの姿を見て驚いていた。なにせ、ナデュウは遥か昔に生まれ、不老不死として歴史書に記されている人物だからだ。
三十二年前の第二次世界聖杯戦争で死んだと、歴史書に書かれていた筈なのに、今目の前に居る事が信じれなかったのだ。
「初めまして、貴方が……シエル?」
その上、自分と歳が変わらない程の見た目にも驚かされた。千歳はゆうに超えている筈なのに、見た目は十代など可笑しな話だ。
「そうですけど……私に用っていうのは……」
「立ち話もなんですから、座りませんか?」
ナデュウはそう言うと、ソファに腰掛けた。アラは座らず、ナデュウの座るソファの後ろに立つ。
アリサも向かいのソファに腰掛けると、シエルも続いて腰掛けた。独特な空気感に、若干の気味の悪さを感じていたシエルは、ナデュウへの警戒を解かないまま、ジッと見つめている。
「そんなに気を張る事は無いですよ。今回私がここへ赴いた理由は一つ。同盟の件です」
「同盟……」
「はい。私は近々、大きな戦争が起こると予測しています。その時に備えて、我がヴァルディアとヘルフェス王国の同盟をと思いましてね。こう見えても、獣人種族は年々数が減っていまして、大きな戦争が起きれば、滅亡も危ぶまれます。そこで、ヘルフェス王国と手を組み、大きな戦争を乗り越えたいという私の願いです。ヘルフェス王国の国王からも、同盟の件については了承を得てくれました」
ヘルフェス王国国王のルイスからしてみれば、ナデュウと手を組める事には利益があった。
第二次世界聖杯戦争での獣人種族の強さは、ルイスもアリサも幼少だったが知っている。数では圧倒的に不利だったヴァルディアが、戦争の終決寸前まで優勢だった事も事実だ。
そんなヴァルディアを束ねているナデュウからの申し出を、断る理由が無かったのだ。
「その同盟と私に、どういう関係があるんですか?」
「本題はここからです。貴方はお若いので、知らないと思いますが、我々獣人種族である人間は魔獣の血が混じっている事から、混合種と呼ばれています。そして、貴方達を汚れの無い血という事から、真性種と呼ばれています。その事もあり、古来より混合種と真性種は争い続けていました。ですが、三十二年前の第二次世界聖杯戦争の時に、私達は敗れ獣人種族は滅亡した……そう思われています。ですが、実際は数名ですが生き延びて居ます。場所は、ここでは言えませんけどね。そして、我々が同盟を結ぶのと同時に、ヘルフェス王国には、我々とある約束をして欲しいのです」
「約束?」
「我々、獣人種族の存在を公にしない事。ここに居る三人さん以外に、私達がここへ赴いている事を知りませんから、ここに居る三人さんは他言無用でお願いしますね。理由は、獣人種族を嫌う者が多く、生き残っている事が知られれば、滅亡させられるやも知れませんからね。仲間を思っての事なので、ご了承下さい。それともう一つ、人質と言えば聞こえは悪いですが、ヘルフェス王国から一人でいいのでヴァルディアに預けて貰いたいんです」
ナデュウからの条件とはその二つ。口封じと人質だ。そして、この場にシエルが呼ばれているとなると、
「私が人質になるって事ですか……」
シエルにとっては、納得のいかない話だった。何故自分が人質に選ばれたのか。
「教官と国王様は、どうお考えなのですか?」
「わしとしては、ナデュウ率いるヴァルディアとの同盟は喉から手が出る程に魅力のある話だ。かつての第二次世界聖杯戦争での活躍、いつ起こるか分からない大きな戦争に向けて、ヴァルディアと同盟を組めば、ヘルフェス王国も安泰じゃからの。だが、その為には国から人質が必要となる。シエルには申し訳ないが、ヴァルディアへ人質として行って貰いたい」
「ルイスの説明だと、シエルが納得出来ませんよ。――シエル、私は最初は反対でした。副都での仕事もありますし、今の四期生達も卒団までまだ四ヶ月あります。シエルとしても、今すぐに他国へ行ってくれと言われても、納得出来る筈が無いでしょう。ですが、これはシエルにとって、大きな任務とも言えるんです。ヴァルディアと王都を繋ぐ為の重要人物になるという事です。ヴァルディアと同盟が結ばれれば、大きな戦争を乗り越える事は出来ます。ですが、同盟出来なければ、大きな戦争で王都の被害は甚大なものとなるでしょう。シエル、貴方は王都を守る為にヴァルディアへ行く、そう思って欲しいんです」
アリサとルイスからの説明を受け、シエルは思い悩んでいた。王都の為と言われれば聞こえはいい。だが、人質には変わりない。
それでも、シエルにだって王都への思いはある。小さな頃は聖騎士団に入団して、王都を守りたいと夢みていた頃もあった。
今でこそ、副都で教官を務めているが、その夢は変わる事は無い。副都に入団した者を強く育てる。それが、自分の夢に繋がると信じている。
ならば、自分がその大役を任されたのであれば、シエルはそれを成すしか無かった。何故、自分が選ばれたのか不思議だが、断る理由も無かった。
「分かりました……ヴァルディアへ行きます」
「そうですか。ならば、直ぐに行きますよ、シエル」
そう言うとナデュウは、シエルに向かって手を差し伸べた。この手を掴めば、シエルは王都を離れる事になる。
「今直ぐ行くのであれば、私を知る友人達や副都の四期生の皆にはどう説明するんですか? この事が極秘なのであれば、私は死んだ事にされるのでしょうか……」
「死んだ事にするのは流石に胸が痛みますから、娘達にはシエルは長期の国外任務へ行っていると伝えて置きます。ナデュウからも定期的にシエルの情報は伝えて貰えるよう約束していますから」
「そうですか……分かりました。お世話になりました、アリサさん」
シエルはそう言うと、ナデュウの差し伸べる手を掴んだ。その瞬間、視界が一瞬にして眩み、気がつくと王邸では無く、見覚えのない部屋に居た。
「――っ!? こ、ここは……」
「驚かせてしまいましたね。ここはヴァルディアです。アラの能力である転送魔法で飛んだんですよ。人に見られない為には、便利な魔法です。アラ、ジンを呼んできて貰えます?」
「はい」
ナデュウにそう言われると、アラは部屋を出て行く。いきなりの事でシエルは未だに混乱した状態だった。
そんなシエルを見て、ナデュウは笑顔を見せながらソファに腰掛けた。
「まだ信じれないですか?」
「いえ……転送魔法を経験したのは初めてで……」
「そうですか。まぁ、大抵の人は転送魔法に酔って倒れちゃうんですが、流石はシエルですね。アリサとルイスが認めるだけの事はありますね」
暫くすると、部屋を出て行ったアラが戻ってくる。その後ろには、また新たな男性が一人付いて来ていた。
「ジン、紹介しますね。この人は王都から来たシエルです」
ジンと呼ばれた男性、紺色の髪色で肩下程の長さで一本に束ねた髪型。キリッとした目に黄色の瞳をしていて、見るからにシエルと歳は変わらない見た目だ。
背丈は177センチ程あり、スラッとしたスタイルのいい体。アラと似た、黒色の燕尾服の様な服装をしている。
「そのお方がですか。――ご紹介にお預かりました、ジンと申します。シエル様、何卒よろしくお願い致します」
ジンはそう言うと、頭を深く下げた。状況を呑み込めないシエルが戸惑っていると、
「ジンは、シエルに仕える執事だと思って下さい。ここでの生活の事は全てジンに聞くといいですよ」
「執事……ですか。私の見張りって事ですよね」
「見張りだなんて、聞こえの悪い事を……ヴァルディアを動き回る際にはジンをお供させる事を絶対として下さい。部屋に居る場合は、ジンは別の部屋で待機していますので」
そんな生活が、これからずっと続くのかと考えると、シエルはゾッとしていた。
すると、ナデュウとアラは部屋を後にした。見知らぬ部屋で、見知らぬ人と二人きりにされたシエルは不安を募らせていた。
取り敢えず、一度ソファに腰掛けて落ち着こうとした。それでも、やはり不安は取り除かれない。
副都の四期生達や、友人だったステファやトワ達の事も気になり、ますます不安は取り除かれないでいた。すると、沈黙を破るかの様にジンが徐に口を開いた。
「シエル様は、お幾つですか?」
「え? 私ですか……? 十六歳ですけど……」
「十六歳ですか……私と同じ歳なのですね」
「へぇ、同い年だったんですか。ごめんなさいね、私なんかの付き人にさせて」
「いえ、私はこの仕事に誇りを持っていますから。元々、真性種と混合種は仲が悪かったですが、私は手を取り合うべきだと思っています。今回の同盟の話は私も賛成でしたし、その重要人物であるシエル様は大事な客人です。その付き人をさせて貰えるなど、光栄な事です」
ジンは無表情でシエルにそう言葉をすると、軽くお辞儀をしてシエルに対し敬意を見せた。
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――それからというもの、何処へ行くにしろジンはシエルの側に付いていた。食事の時も、散歩の時も、部屋から出れば必ずジンが側に居る。そんな生活が二年も続いていた。
この二年間で起きた出来事は、殆ど無かった。強いて言うならば、ナデュウが衰弱していく速度が速く、アラ達が戸惑っているという事くらいだ。
大きな戦争が起きる事も無く、シエルとしても平凡な日常を送っていた。
そんなある日の夜、シエルはヴァルディアの城の頂点に位置する屋根の付いた屋上で、月を眺めていた。
砂漠の壁が空高く伸びている様に見え、穴が開いてそこから空と月が見えている感じだ。
当然、そのシエルの後ろにはジンが目を瞑って立っている。当初は、どこにでも付いてくるジンに対して、違和感しか感じなかったシエルだったが、二年も経てば慣れてくる。
ジンが側に居る事が当たり前で、居ないと何故か寂しくも感じていた。
「――ねぇ、ジン」
「何でしょうか」
「ジンは獣人種族に生まれて幸せだなって思った事ある?」
「そうですね……今の所は、幸せですよ。争いも無く、こうして大事な人の側に居れてますから」
ジンのその言葉に、シエルは頬を赤く染めながらも溜め息を吐いた。
「ほんと、無自覚でそういう事を言うんだから……」
十八歳になったシエルは、度々ジンのこういった言動に悩まされていた。ジンとしては仕事としての発言なのだが、シエルにとっては火照らされて、いい迷惑だった。
それでも、シエルの中でジンに対する気持ちは、出会った当初より変わり始めていた。
「ステファさんやトワさん達も、こうやって恋してるのかな……」
時折、シエルは月を眺めて思い耽る。誰に何の相談も出来ないまま、ヴァルディアへ来る事になり、友人や教え子達がどんな風に思っているのか気になっていた。
シエルの情報はナデュウからアリサへと伝わっているが、アリサから伝わって来る情報には、シエルの知りたい事は無かった。
その為か、王都が今どうなっているのかは、シエルには何の情報も入って来ない。
「ジン……私、寂しいよ……」
シエルは今までの事を思い出し、目に涙を浮かべていた。例え国の為の任務とは言え、ヴァルディアで一人なのは心細い。
肩を震わせて、月明かりに照らされ涙を流すシエルをジッと見つめるジン。徐に歩き出し、ジンはシエルを優しく抱き締める。
「美しい涙ですけど、シエル様に涙は似合わないですよ。私に悪戯をされる時の楽しそうな笑顔や、美味しいものを食べて幸せそうな笑顔の方が、よっぽど似合っていますよ」
ジンの言葉に、シエルはより一層涙を流した。シエルにとって、ジンの存在はヴァルディアで生きていくのに、必要で大切な存在へと変わっていた。
この日を境に、二人の距離は縮まっていた。ジンの対応は今までと変わらないが、関係性は付き人から恋人へと変わった。
人質としてヴァルディアへ来ても、こうして幸せを感じれる時もある。
――数ヶ月が経ったある日、世界の歴史は大きく動き出す。
「来ましたね、シエル」
シエルはジンと共にナデュウの部屋へと赴いていた。この二年間でナデュウから呼び出しを受けるのは初めてで、シエルは王都に何か起きたのではないかと、不安を募らせていた。
「何か用ですか」
「世界の歴史は大きく動き出しましたよ」
「動き出した? どういう意味ですか?」
「二年前から懸念していた大きな戦争……第三次世界聖杯戦争が勃発しました」
ナデュウからの言葉にシエルは目を丸くして驚いた。小国との小さな戦争が続く中、とうとう大きな戦争が起きてしまったのだ。
「勿論、我々は王都の味方です。ですが、暫くは様子を見ます」
「何でですか!? 王都とは同盟を結んでるんですよね!?」
「そうですが、私の体調もよろしくありませんし、まだ戦争は始まったばかりです。王都はエルヴァスタ皇帝国とも同盟を結んでいますので、今直ぐ我々が出る場面でも無いんですよ。我々の存在は極力公にしたくありませんので、ここぞという時まで待ってください」
ナデュウの言葉はシエルには理解出来なかった。友人達が命を懸けて戦っている中、何も出来ないなどシエルには耐えられない。
第三次世界聖杯戦争が始まったのを皮切りに、シエルのナデュウへの不信感は強まっていく。
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第三次世界聖杯戦争。王都ヘルフェス王国、エルヴァスタ皇帝国の同盟軍と、マッドフッド国、サウディグラ帝国、ガガファスローレン国の三国同盟軍、二つの軍に小さな国々が同盟を結んでの大きな戦争となっていた。
戦力で言えば、それぞれの軍は互角だ。至る所で激しい戦闘が行われ、各場所の被害や犠牲者は、始まって間もないが計り知れなかった。
ヴァルディア国のあるエリオ砂漠には、戦争の影響はまだ及んでいない。誰も近付けない様に仕掛けが施されている為だ。
被害は日を追う毎に拡大していき、戦争が始まって数ヶ月で既に状況は最悪な状況だった。
シエルも何も出来ない状況で、歯痒さともどかしさで苛立ちを募らせていた。それでも、ジンは優しくシエルに接し、いつしかシエルの部屋で共に過ごす様になっていた。
そんなある日、シエルの体に異変が起きていた。
「ねぇ、ジン」
「何でしょうか」
「聞いて驚かないでね?」
何を話すのかと、不思議に思いながらもジンは黙って頷き、シエルの言葉を待つ。
「私とジンの子供が出来た……みたい……」
シエルからの言葉を聞いて、ジンは目を見開いて驚いた。この戦争の最中、突然の報告にジンも喜びが隠せなかった。
「本当……ですか? 私とシエル様の子供が……私は、父親になれるんですか……?」
「えぇ、私は母親になって、ジンは父親になるの……!!」
二人は涙を流しながら抱き合った。新たな生命を身篭った事は、シエルにとっても非常に嬉しかった。だが、それと同時にある思いも芽生えた。
「それでね、ジン。相談があるの……」
「相談……ですか」
「この子には、自由に生きて欲しいの。ヴァルディアでなく王都で。だから、私はこの子を産んだら、ヴァルディアを離れたい」
シエルからの相談にジンは言葉を詰まらせた。シエルがヴァルディアを離れる事は、ヴァルディアと王都の同盟剥奪を意味する。
つまり、シエルはナデュウから命を狙われる可能性があるという事だ。
「私は勿論、賛成です。シエル様と子供の三人で幸せに暮らしたいと思っています。ですが、ナデュウ様がそれを許すとは思えません……ヴァルディアとしても、王都との同盟は有難い事なので……」
「私は、正直言ってナデュウが信じられない。同盟の件もそうだし、今回の戦争の事だって……だから、ちゃんと話し合ってくる」
シエルはそう言うと立ち上がり、部屋を出ようとする。ナデュウの元へと行って、直談判する気なのだ。
「私も行きます」
シエルとジンはナデュウの部屋へと赴いた。戦争が始まっても、相変わらず動きの無いヴァルディア。その理由の一つ、シエルの視界に映ったナデュウの姿だ。
ベッドに横たわり、顔色も悪く酷く咳き込んでいる。元々病弱な体なのだが、ユールの『一角獣』の力を持つ者がヴァルディアに居ない為、ナデュウの体力は衰えていく一方だった。
そんなナデュウの側にはアラが付きっ切りで見守っていた。
「ゲホッ……ゴホッ……シエルですか……どうしました?」
「大丈夫ですか、体の方は」
「えぇ……時折、苦しいですが……大丈夫です。それを聞きに来ただけでは無いですよね……? ゲホッ……ゴホッ……」
ナデュウはベッドに寝そべりながら、顔だけをシエルに向けて話していた。
ここまで症状が酷いと、戦争などしている場合でも無いのが、ヴァルディアの現状なのだと、シエルも理解はした。
それでも、産まれてくる子供には自由に育って欲しい。ヴァルディアという縛りなど無い暮らしで。
「私、ジンとの子供が出来たんです」
「それは、おめでたい話ですね……ゲホッ……ゴホ……」
「それで、この子を産んだらヴァルディアから離れたいんです」
その言葉を聞いて、ナデュウは目を細めてシエルを見つめた。殺気が溢れている訳でも無く、動揺した素ぶりも無い。
「ゲホッ……ゲホ……それは、同盟を剥奪したい……という事ですか……?」
「そういう訳でもないです。ただ、同盟を結んでもう二年が経ちます。ヴァルディアに人質の必要性を感じなくなったんです。王都が貴方達の所在を明かす訳でも無いですし、裏切る事もしない。なら、私は産まれてくるこの子と、ちゃんとした人生を送りたいんです。幸せになって欲しいんです。だから、この子を産んだらジンと三人でヴァルディアを離れます」
「そうですか……ゲホッ……ゴホッ……確かに、シエルの言う通りですね……人質という感覚は無かったですが……ゲホッ……ゲホッ……アリサとルイスは忠実に約束を守ってくれていますからね……分かりました……」
予想だにもしなかったナデュウからの言葉に、シエルは思わず驚いてしまった。
これで、ヴァルディアという縛りなど無く、家族三人で幸せに暮らせると、安堵したシエルとジンだった。
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――十ヶ月後、シエルはヴァルディアの城のとある部屋で、出産を行なっていた。
遂に、シエルとジンの間の子供が産まれて来るのだ。それと同時に、シエルのヴァルディアでの生活も終わりを告げる事になる。
長時間の末、シエルは無事に赤子を産み、新たな生命の誕生となった。その数日後、シエルも出産の疲労から回復し、ヴァルディアを離れる日が来たのだ。
「やっと……やっと私は……」
シエルは赤子を抱いて、そう言葉にした。そんなシエルをジンは優しく見守っている。
ヴァルディアでの狭苦しい生活が終わり、家族三人での新たな人生が始まろうとしている。
「シエル様、そろそろ行きますか。転送魔法装置で、王都に飛びますよ」
「うん……ここでの生活も、漸く終わるのね……もう三年か……」
すると、シエル達の元にナデュウとアラが姿を見せた。ナデュウは既に歩ける状態では無く、車椅子に腰掛けてアラに押されていた。
「もう行くんですね」
「ナデュウ……貴方にはお世話になりました。王都との同盟の件は、私から国王に伝えて置きますから」
「お願いしますね。その子が、シエルの子供?」
ナデュウはシエルの子供を見るのは初めてだった。出産の際には体の体調が悪く、立ち会う事が出来なかったのだ。
「はい、そうです。女の子で、名前はユニって言います」
「ユニ……きっと貴方に似て、美しい女性になりますね」
そんな微笑ましい会話が続いてたその時、突然としてユニの体が金色に光り出した。
「――っ!! なに!?」
突然の事にシエルも動揺が隠せない。ジンも何事なのかと驚いた表情をしていた。ただ、この状況を冷静に見ていたのはナデュウだけだ。
「これは……」
暫くすると、金色の光りは収まりユニもスヤスヤと眠っている。怪我などしている様子も無く、シエルは不思議そうに首を傾げている。すると、ナデュウが、
「シエル、突然ですが貴方達がヴァルディアを離れるのは禁止です」
ナデュウからの突然の言葉に、シエルとジンは理解出来なかった。一度は許可を出した筈のナデュウが、突然として意見を変えたのだ。
「どうしてですか!? ヴァルディアを離れていいと、言った筈でしょ!?」
「確かに言いました。しかし、状況は変わってしまいました。シエルとジンがヴァルディアを離れる事への禁止では無く、その赤子です。どうしてもヴァルディアを離れたいと言うのであれば、赤子はヴァルディアに置いて行って下さい。どちらにせよ、赤子は私が預かります」
シエルからしてみれば、ナデュウの言葉には理解のしようが無かった。何故、自分の子供を預けなければならないのか、何故、ナデュウはユニをヴァルディアから離れさせたく無いのかが。
「ユニを……どうするつもりですか」
「どうもしませんよ。ただ、『一角獣』を宿してしまった以上、私の側を離れる事は出来ません」
「『一角獣』?」
「『一角獣』とは、初代ナデュウの娘である、ユールの力の事です。その力は、ナデュウの為にあり、ナデュウと共にするもの。ユニがそれを宿しましたので、私の側に居る必要があります」
「ふざけるな!!」
ナデュウの説明を受けても理解の出来ないシエルは、激昂した。幸せを壊すナデュウへ怒りと憎しみの感情が一気に溢れ出たのだ。
それはシエルだけでなく、父親になったジンも同じ気持ちだった。
「それはあんまりです、ナデュウ様!! この子は私とシエル様の娘です。どうこうするかはナデュウ様でなく、我々に決める権利があります!! ユニの親はナデュウ様ではありません……私達です!!」
「黙りなさい、ジン。私の言う事が聞けないのであれば、仕方がありません……アラ」
「はっ」
ナデュウがそう言葉にすると、後ろに立っていたアラがシエル達の元に走り出した。ジンはシエルを背後に回して剣を抜き、アラに向かって振りかぶる。
だが、アラは剣ではなく腕だけでジンの剣を防いだのだ。血も出る事無く、何故か金属音が鳴り響いた。
「ジン、それは私とナデュウ様へ向けた刃……裏切ると捉えていいのだな?」
「娘とシエル様を守る為です……!! そう捉えて貰っても、構いません!!」
こうなってしまった以上、シエルとジンに残された考えは、強行でヴァルディアを離れる事だ。
「ならば、貴様を裏切り者と捉え、殺す」
アラは器用に腕でジンの剣を弾くと、手を手刀にしてジンの顔に向けて突き刺す。
ジンはそれを間一髪躱すが、頬を掠めて少量の血が垂れている。だが、その隙を突いてアラはジンを蹴り飛ばす。
「ぐっ……!!」
「ジン!!」
「シエル、赤子をこっちに渡せ!!」
アラはそう言うとシエルの元に走り出す。シエルはヴァルディアの生活の際に、剣を持つ事を禁じられていた為、腰に携えていなかった。
だが、シエルは手を翳すと桃色の光で作った剣を手に持つ。
「お前も歯向かうのだな!!」
アラは手刀を振りかざし、シエルはそれを光の剣で受け止める。ユニを片手で抱いた状態では、存分には戦えないだろう。そんなユニも戦闘音に驚いたのか泣き出していた。
「シエル、こんな醜い戦いをする事はありませんよ。ユニさえ渡せば、シエルとジンがヴァルディアを離れるのは許しますよ?」
ナデュウは車椅子に腰掛けたまま、シエル達が戦っているのを眺めている。そういった姿にも苛立ちが募ってくる。
「だから……この子は私とジンの娘だって言ってんのよ!! あんたなんかに渡す筋合いはないわ!!」
シエルと睨み合うアラの元に、ジンが走り寄って剣を突き刺す。だが、アラは体を背けて避ける。
「アラ様……どうか私達の気持ちを分かって下さい……!!」
ジンはそのまま回し蹴りでアラを蹴り飛ばすが、アラはすぐさま体勢を整えて、悠々と立ち尽くす。
「ユール様の力を宿した以上、ヴァルディアから離す訳にはいかない。諦めろ」
「くっ……話し合いでは済みませんね……シエル様、なんとか隙を作って、あの転送魔法装置に辿り着きますよ。この状況で使えば、どこへ飛ぶかは分かりませんが、ヴァルディアを離れる事は出来る筈です」
「分かった……なら、ユニをお願い」
シエルはそう言うと、ユニをジンに渡す。そして、もう片方の手にも、桃色の光の剣を作る。
「最悪、ユニとジンだけでもヴァルディアから離したい……私はなんとかして後からヴァルディアを離れるから」
「何を言ってるんですか、シエル様!! ユニには……私よりシエル様の方が必要です!! その役目は私が負います!! それに、たった一人でヴァルディアから離れるなんて、絶対に無理です!!」
「ジン」
シエルはジンの方に振り向くと、笑顔を見せながら、
「ユニを頼んだわよ」
そう言うとシエルは走り出す。アラもすかさず、手を構えながら走り出す。
「シエル様!!」
ジンの叫びも虚しく、シエルはアラとの戦闘に集中した。隙を作り、愛する夫と愛する娘をヴァルディアから離す為に。
アラとの激しい戦闘を繰り広げ、シエルは傷だらけになりながらも、必死に隙を作ろうしている。
「諦めろ、シエル!!」
「嫌よ!! ユニは……ユニだけは、絶対に渡さない!!」
そして、光の剣の刃を鞭の様に変形させると、アラの全身に巻きつかせる。
「今よ!! ジン!!」
シエルが叫ぶと、ジンは暫くシエルを見つめる。溢れ出そうな涙を堪え、手に持っていた剣を転送魔法装置へと投げる。
上手い事、スイッチに剣が当たり、転送魔法装置が作動すると、円形の台の様な所から、紫色の光の柱が伸びる。
「行かせませんよ」
すると、ナデュウがジンの方に向かって手を翳すと、紫色の小さなテラの球体を作る。
「大人しく、ユニを渡しなさい……ゲホッ……ゴホッ……」
「ナデュウ様!! 今の状態で魔法を使われては危険です!!」
アラの制止を無視して、ナデュウは無情にも小さな紫色のテラの球体を放つ。
まるでピストルの銃弾の様に、鋭くジンの腹部を貫通していく。
「がっ……!?」
「ジン!!」
ジンはその場に跪き、震える手で抱き抱えているユニを見つめる。血は大量に流れ、口からも血を吐く程に、ジンのダメージは大きかった。
「ユニ……!! ユニだけでも……助かって、下さい……!!」
ジンは力を振り絞って立ち上がる。ナデュウも体の衰弱状態で魔法を使った為か、口から血を吐いていた。
ジンが立ち上がったのが視界に映ると、ナデュウは逃さんとばかりに、再び手を翳す。
「ゲホッ……ゴホッ……!! しつ、こい……です……よ……!!」
「ナデュウ様!!」
シエルの光の鞭に縛られていたアラが、突然として全身の筋肉を増幅させて鞭を千切ると、ナデュウの魔法を止めようと走り出す。
シエルも、ジンとユニを救おうと二人の元へと走り出す。
「ジン!!」
ジンは力を振り絞り、ユニを優しく下手投げで、転送魔法装置の方へと投げる。
ナデュウも手を翳していたが、全身に激痛が走って、大量の血を口から吐く。
「ガハッ……ゲホッ……」
ナデュウは前のめりになって倒れ、車椅子から転げ落ちる。だが、そのお陰でユニは転送魔法装置から伸びていた紫色のテラの柱に触れて、何処かへと転送され姿を消す。
「ぐっ……!!」
力を振り絞った為かジンにも激痛が走り、その場に倒れ込んでしまう。その場に、シエルが駆け付けてジンを抱き抱えるが、その目は虚ろで、もう後がない事がシエルには分かってしまった。
「ジン!! しっかりして!! 貴方が死んだら……私は……ユニは……どうすればいいの!!」
「シエル……様……どうか……ユニ、を……」
ジンはそう言葉にすると、目を閉じた。その瞬間にシエルの目から涙が溢れ出す。
「嫌……ジン……!! 起きてよ、ジン!!」
その後ろでは、アラも同様にナデュウを抱き抱えていた。口からは大量の血が溢れ、口元と布の様な服は真っ赤に染まっていた。
「ナデュウ様!! そんな……」
ナデュウの体が白く光り出し、その体は徐々に薄く透明になっていく。
「アラ……次、の……代……も、頼み……まし、たよ……?」
そう言葉を残して、ナデュウの姿は消えていく。抱き抱えていた腕からナデュウの姿が消え、アラは悔しそうに地面を叩いた。
「お前らが……お前らがユニを渡していれば……!!」
アラは倒れ込むジンの元で泣き崩れるシエルを睨み付けた。そして、その場に落ちていた車椅子を軽々と片手で持ち、転送魔法装置の方へと投げる。案の定、転送魔法装置は破壊され、紫色のテラの柱も消えてしまう。
「シエル、お前は一生をここで暮らし、罪を償え」
アラの言葉は、シエルには聞こえていた。だが、何も答えなかった。目の前で最愛の夫が死に、娘の後を追う事すら出来ず、シエルは深い悲しみと絶望感を伴う事となった。
アラは立ち上がって、部屋を出て行くとナデュウの部屋へと向かった。そこには、ナデュウが使っていたベッドが置いてあり、そこには一人の赤子がスヤスヤと眠っていた。
「ナデュウ様……」
二十代目ナデュウは死んだものの、代替わりをしてまた新たなナデュウが生まれてくる。
ナデュウは遥か昔の初代より、それを繰り返して来た。だが、アラはその代のナデュウが死ぬ事に、深く悲しんだ。
二十一年間もの間、二十代目ナデュウの側に就き、アラとしても感慨深いものがあった。こうして、また新たなナデュウが生まれてこようとも、その代のナデュウは二度と生まれてくる事はない。
シエルも悲しみに暮れ、ヴァルディアから逃げる気力すら失っていた。その日を境に、シエルは毎晩の様にジンとユニを思い出しては涙を流した。
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「――これが、ユニの生まれた日の出来事よ」
シエルから話を聞かされたユニは、思わず言葉を失っていた。シエルの壮絶な人生に、涙が頬を伝った。
「そんな事が……」
「これだけは言える……私とジンは、どこの誰よりもユニを愛している……」
十五年の沈黙を破り、シエルは最愛の娘をその手で抱き寄せた。
二十一代目ナデュウは、そんな二人を見ていると背景にジンの姿が見えた様にも思えた。
二人の再開を喜んでいるかの様に、優しくて、暖かい笑顔を見せている様に感じた。