第104話 『終焉の音』
――全ての物が欲しい。
――全ての欲が欲しい。
――この世界が欲しい。
彼女のあくどい欲は、世界を終焉へと齎すだろう。『強欲』を司る、ケプリ・アレギウスは、存在する全ての物を体に取り込む。触れた者の五欲を奪う。
「何もかもが欲しい……あくどい欲っスね……」
龍精霊騎士ヴァリ・ルミナスは、ケプリの『強欲』の異能の前に、息を呑む。
目に見える物、見えない物、その全てがケプリの体内へと吸い込まれる様に取り込まれていく。
ヴァリ自身すらも、吸い寄せられていくが、龍精霊ティアラとの合体で生えた金色の尾を地面に刺し、吸引から耐える。
そして、ヴァリの視界に黒色の煙が見えた瞬間、ケプリの吸引の力は収まっていく。
「何スか、この煙……それに、吸引が止まった……」
空中に浮遊していたケプリが、ゆっくりと地面に着地する。赤色と青色に光っていた瞳は元に戻り、無表情でヴァリを見つめる。
「貴方、との、戦いは、ここまで。これは、ハルの、魔法。邪魔は、許されない」
「ここまで? 逃げるっスか?」
「貴方達、全員は、ここで、終わり。さようなら」
ケプリの言葉を聞き届けた瞬間、ヴァリの意識は暗闇へと堕ちていく。
――全ての事に対し、怒りが込み上げてくる。
――全ての者に対し、怒りが込み上げてくる。
――全ての怒りに対し、その怒りを欲する。
彼女の激しい怒りは、世界を終焉へと齎すだろう。『憤怒』を司る、セルケト・ランイースは、自身の怒り、相手の怒りを自らの力に変える。
「成る程、これが『大罪騎士団』なのね……確かに、滅茶苦茶ね……」
ガガファスローレン国国王女アスナ・グリュンデューテの側近であるサムは、セルケトの怒りに気圧されていた。
憎悪の篭った怒り、殺意の篭った怒り、全ての怒りがセルケトに対しての恐怖心を煽る。
そして、この場にも黒色の煙が流れてくる。その瞬間、セルケトから伝わって来た様々な怒りが、突然として消える。
「煙……? これも、youの仕業?」
「これは僕じゃない。ハルがもう終わりだって言ってんのさ。僕の手でお前を殺せなかったのは悔しいけど、お前の怒りはなかなか良いものだったよ」
そう言って、八重歯をチラつかせながら不敵に微笑むと、サムの意識は暗闇へと堕ちていく。
――全ての物が自分に相応しい。
――全ての者が自分より劣る。
――自分の力こそが何よりの正義。
彼女の世界を侮り見下す態度は、世界を終焉へと齎すだろう。『傲慢』を司る、ヴァルキリア・シンフェルドは、自分より弱い者からのダメージを許さない。
「まだ子供なのに、こんなにも戦闘に慣れてるなんて……」
マッドフッド国国王女である、エティア・ヴァルミリアは、ヴァルキリアの戦闘力の高さに、驚かされていた。
まだ子供である少女に対し、戦闘は気が引ける思いだったが、その様な事を言っている場合でも無い。
自分よりヴァルキリアの方が、遥かに戦闘力や人を殺めてきた数が多い。
子供だと油断をすれば、自分の命など儚く散る。そう思わせる少女に、恐怖心を抱く。
すると、この場にも黒色の煙が流れてくる、ヴァルキリアは深く溜め息を吐くと、手に持っていた神器グラーシーザを消す。
「はぁ、ハル兄怒っちゃったのかな。この魔法を使ったって事は、もうここには用が無いって事だから終わりだね。お姉さんまたね」
「用が無い……? これだけの事をして置いて、もう用が無いって言うの? 信じられない……行かせる訳無いじゃない」
エティアはそう言うと、ヴァルキリアに向けて桃色の炎の波動砲を放つ。だが、その波動砲が黒色の煙に触れた瞬間、煙に呑み込まれていき、消えていく。
「消えた……? この煙は何なの……」
「だから、終わりだって言ったじゃん。終わりってあれだよ? 死ぬって意味だよ? お姉さん達は全員、煙に呑み込まれて消える。それは、死ぬのと同じだよ。既に死んだ大事な国民の皆に会えるね」
その言葉を聞き届けたエティアの意識は、暗闇へと堕ちていく。
――全ての事が怠い。
――弱き者と戦う事が怠い。
――負ける事を知らない自分が怠い。
彼の傲慢とも言える怠惰さは、世界を終焉へと齎すだろう。『怠惰』を司る、ファルフィール・オルルカスは、ダメージを負えば負う程に強くなる。
「余が卿に恐怖を抱くとわな……」
ガガファスローレン国国王女である、アスナ・グリュンデューテは、『怠惰』の異能を前に、初めて恐怖という感情を抱いていた。
小さい頃から剣技や魔法に長けていて、一対一では負けを知らず、世界に『戦女神』という肩書きを轟かせた。
殺戮国家とも呼ばれるガガファスローレン国を纏める彼女にとって、恐怖という感情は存在しない。
だが、ファルフィールに対して初めての恐怖心を抱き、「負け」という言葉が脳裏に過る。
すると、この場にも黒色の煙は流れ、ファルフィールの全身を包み込んでいた赤色のテラが消え始める。
「チッ、結局こうなんのかよ、怠ぃな。んじゃ、帰るわ」
「逃げるのか? 余を前にして逃げれるとでも思っているのか?」
アスナはそう言うと、全身から紫色の雷を放出し、太刀を一気に振りかざす。
紫色の雷の斬撃が、ファルフィールに向かって一直線に放たれる。だが、黒色の煙に触れた瞬間に斬撃は消えていく。
「何だこの煙……魔法を消す効力でもあるのか……」
「流石に、ハルの野郎の魔法は『戦女神』でも何とも出来ねぇよ。諦めて死んでろ」
ファルフィールの言葉に、言い返す間も無く、アスナの意識は暗闇へと堕ちていく。
――全ての物を愛し。
――全ての物から愛される。
――世界からの愛が性への満たしとなる。
彼女の世界そのものから取り込む性への満たしは、世界を終焉へと齎すだろう。『色欲』を司る、コペルニクス・ファイルドは存在する全てのエネルギーを取り込む事で、不老と若返りの力を得る。
「ハァ……ハァ……僕の最大の防御魔法で……威力は抑えたものの、これ程のダメージを負わされるとはね……」
龍精霊魔導師フィトス・クレヴァスと龍精霊セシファは、コペルニクスの桁違いの魔力に圧倒されていた。
かつて百九年前に『災厄の魔女』と呼ばれ、世界を震撼させた彼女は、世界に存在するありとあらゆる物からエネルギーを取り込み、自身の寿命を延ばし、老化を浄化させた。
セシファは、百九年前に起きた第一次世界聖杯戦争で、一度コペルニクスと対峙し、勝利を収めていた。だが、それはセシファ一人の力では無い。
当時はセシファの他に、龍精霊ティアラ、龍精霊シャルもその場に居て、三人の契約者も居た。
この人数でも苦しい勝利となったが、現在はセシファ一人とフィトスだけだ。当時とは圧倒的に戦力が足りない。
それだけに、セシファの『時戻りの力』という特異な異能を持ってしても、圧倒されてしまう。
すると、この場にも黒色の煙が流れてくる。
「これは、黒色の煙……まさか、『黒煙』の黒のテラの魔法……」
「その様ですね。どうやら、セシファさん達との戦いは、これで終わりみたいですね。黒のテラを宿す貴方を、黒煙で消すという事は、ハルさんは何か他に考えがある様ですね」
「君程の実力者が、何故ハルという男に付くんだい? 言ってみれば、君一人でも世界をどうにだって出来る。だって、君は『災厄の魔女』だからね。僕にはそこが不思議で仕方がないよ」
フィトスの疑問は、『災厄の魔女』と呼ばれるコペルニクスが、ハルの元に付いている事だった。
簡単に言えば、コペルニクスはラスボスに匹敵する程の実力者。だが、そのコペルニクスはハルの下に付いている。
一体、ハルのどういう所に魅力を感じ、惹かれたのか。それとも、ハルがコペルニクスを圧倒する程の実力者なのか。
フィトスとしては、後者の方の答えだった場合、最早それは絶望でしか無い。コペルニクスをも遥かに超える実力者を相手に、自分達は戦えるのか。
その様な相手から世界を終焉から救う事など出来るのか。傲慢な性格のフィトスでさえ、その不安は消せなかった。
「私が愛するのはただ一人だけです。私に愛を与え、私の愛を受け止めてくれる……特別な存在だからですよ」
コペルニクスのその言葉を聞き届け、フィトスとセシファの意識は暗闇へと堕ちていく。
――戦場と化したマッドフッド国は、壊滅的な状態だった。国土の半分は破壊され廃墟と化し、犠牲者は数知れない。
朝方を迎えても尚、絶望は止まらない。マッドフッド国を覆い尽くす程の黒煙が充満し始める。
「何だ……この煙……」
「リューズベルトさん……私達も、ここまでの様ですね……」
黒煙の脅威に、只々何も出来ずに立ち尽くしているのは、グランディア騎士団第一部隊隊長リューズベルト・ラズウェルと第三部隊隊長ラシャナ・ユニファースだ。
『大罪騎士団』との戦いで、何とか生き延びたものの、黒煙を前に二人は死を悟った。
既に、『大罪騎士団』との戦いで犠牲となった、第四部隊隊長のシュリ・ラバードと第五部隊隊長ガイエン・シュヴァルツ、ケプリに五欲を奪われ植物状態となった、第二部隊隊長のクザン・エディード、隊長格三人が犠牲となり、マッドフッド国としても被害は甚大だった。
「許せない……」
リューズベルトは、ここまでの事をした『大罪騎士団』と何も出来なかった自分に苛立ちを募らせた。
それは、ラシャナも同じで、目の前でシュリが殺された映像が脳裏から離れない。その度に怒りと憎しみ、悲しみの感情がラシャナを襲う。
だが、そんな滅茶苦茶な感情に襲われながらも、黒煙はどんどんと範囲を広げていき、やがてリューズベルトとラシャナの意識も暗闇へと堕ちていく。
黒煙が広がる中、ハルの元に『大罪騎士団』のメンバーが集う。黒煙を自由に操るハルは、コペルニクス達に煙が触れぬ様にし、黒煙は生きているかの様に『大罪騎士団』のメンバーだけを避けていく。
「ハル兄、黒のテラは良かったの?」
「あぁ、こいつらからわざわざ奪う必要も無くなった。『斥力、引力』と『重力』と『消化』と『事象』の黒のテラは次に宿った奴から奪う」
「んだよ、折角動いたのにこれかよ」
ハルの言葉に苛立ちを募らせたのは、『怠惰』を司る、ファルフィール・オルルカスだ。
「まぁそう言うな、ファルフィール。お前の働きも、役には立った」
「チッ」
『大罪騎士団』による宣戦布告は、圧倒的なまでの強さを見せつけ、終わりを告げ様としていた。
『封印』の黒のテラを宿していた、アスナの祖父であり、エレナの執事であり、『賢者様』の肩書きを持つウィル・ヘスパー襲撃から始まり、大勢の犠牲を伴った。
ヒナの父親のフューズ、グランディア騎士団のクザン、シュリ、ガイエン、マッドフッド国の民、ここから『大罪騎士団』の世界を終焉へと導く活動が、本格的となる。
――俺は……負けたのか……死んだのか……世界を終焉から救う事は……出来なかったのか……。
真っ暗な暗闇に堕ちていく卓斗。何も見えず、何も聞こえない。ふわふわと体が浮いている感覚、死んだ事は無いが、これが死だと悟った。
それと同時に、様々な感情が溢れ出てくる。
「三葉……」
最初に卓斗の脳裏に浮かんだのは三葉だ。日本からこの世界に飛ばされた時から、ずっと共にした人物だ。
卓斗が想いを寄せ、三葉もまた卓斗に想いを寄せている。だが、お互いにその気持ちには気付いていない。
そして、死の間際に三葉の顔が思い浮かんだのには、好きだという理由以外にももう一つあった。それは、約束を果たせなかった事だ。
『世界を救ったら、一緒に帰ろ?』
この世界を終焉から救い、三葉や悠利達と日本に帰る。それが、卓斗達の交わした約束だった。
誰一人欠ける事なく帰る事が、何よりの目標であり絶対だった。その約束が果たせず、三葉だけでなく悠利達の顔も思い浮かび、卓斗の胸は締め付けられる。
次に卓斗の脳裏に浮かんだのはエレナだ。この世界に飛ばされて間もない頃に出会い、そこからずっと一緒に居る人物。
王都の王族カジュスティン家の第三王妃で、一緒に居ればよく喧嘩するが、居心地は良かった。
性格や自分に対しての扱いに、時折腹が立つ事もあるが、絶世の美女とも言われるエレナを憎む事は出来ず、むしろ可愛いと思ってしまう自分が悔しいとも思う程だ。
そんなエレナは、密かに卓斗に恋心を抱き、その想いも伝えられないでいる。当然、卓斗はエレナの気持ちに気付いていない。
だが、それでもエレナの顔は脳裏に思い浮かんだのだ。副都でも良く行動を共にし、セレスタ救出の際は言い合いもした。
聖騎士団に入団してからも、同じ部隊に配属され、この先もずっと行動を共にすると思っていた。
仲違いを繰り返していたセレスタやエシリアと、仲直り出来た時は、自分の事の様に嬉しかった。それだけ、エレナの事は放っておけず、特別な存在となっていた。
次に卓斗の脳裏に思い浮かんだのはセラだ。セラとは思わぬ出会いが始まりだったが、副都で再会し、行動を良く共にした。
当初は傲慢な性格からか、誰とも仲良くなろうとせず、一人で居る事が多かった。その為か、卓斗も少し苦手意識はあった。
だが、三葉と仲良くなりセラの考えも改まり、徐々に周りと打ち解けていった。
卓斗自身も、「女々男」というあだ名を付けられ、副都での卓斗達の代のトップクラスの実力と共に信頼を置いて居る。
三葉やエレナと比べ関わりは少ないが、自分が黒のテラの力に呑み込まれ、暴走してしまって世界を終焉へと導く事になった時は、セラに自分を殺す様にお願いしていた。
それだけ、セラの実力には信頼を置いていた。
この他にも、今までに会った人達の顔が次々に思い浮かんでくる。涙が溢れてくるが、今の卓斗には自分が泣いているのかも分からない。
「死」というのは、ここまで恐ろしいものなのか。天国だとか、地獄だとかどうでもいい程に、「死」の恐怖が勝ってしまう。
――生きたい。
――死にたくない。
そう思っても、もうどうにもならない。三途の川など、存在などしない。暗闇を只々彷徨う。戻る道も、死への道も分からない。
きっと、このままこの暗闇を彷徨い続けるのだ。それが、「死」の世界の本当の在り方かも知れない。すると、
――ト……。
微かに、誰かの声が聞こえた。音の無い世界の筈なのに、卓斗の耳元に確かに聞こえた。
――クト……。
誰かが確実に声を出している。卓斗は無我夢中でその声を聞こうとする。
――タクト……!!
何処か聞き覚えのある声で、自分の名前が呼ばれた。――その瞬間、真っ暗な世界は一瞬にして真っ白な世界へと変わる。
そして、卓斗の視界は段々と光りを取り戻し、真っ白な世界から段々と景色が見えてくる。
その景色は、先程まで自分がいたマッドフッド国の景色だ。それも、破壊された状態。そして、段々と消えていく黒色の煙も見えた。
そして、『大罪騎士団』のメンバーと、こちらを強く睨み付けるハルの姿が、卓斗の視界に映る。
「う……?」
何が起きたのか、暗闇の世界は夢だったのか。そう思わせる程、卓斗の脳裏には疑問符でいっぱいだった。
すると、先程聞こえた声が卓斗の隣から再び聞こえてくる、
「タクト」
卓斗がその方向へ振り向くと、そこに立っていたのは――
「フィオラ……?」
「久々……でも無いね。でもなんか、凄く久し振りに会った気がするよ」
綺麗な白髪のストレートロングヘアーで、真っ白なワンピースを着ている。宝石の様な碧眼で、幼くも美しい顔立ち。
正しく、フィオラがその場に立っていた。以前の邂逅と違い、二人だけの精神世界でなく、現実世界での再会だった。
「何で……フィオラが……ここに……」
現実世界で異質を放つ程の美しい存在感を放ちながら、フィオラは優しい笑顔を卓斗に見せた。