第99話 『怒り』
「――お父さん!!」
ヒナにとってそれは、絶望の底より深い絶望なる光景となった。
突然として、フューズの背後から現れたセルケトが、溶岩の剣でフューズの背中を突き刺した。
フューズは、口から血を吐き、溶岩の剣が刺さっている部分は熱で焼け焦げ始めている。
ヒナは溢れ出る涙で霞む視界のまま、フューズの元へと走り出し、黒刀をセルケトに向かって突き刺す。
セルケトはフューズから溶岩の剣を抜き、ヒナの黒刀を避けると、ファルフィール達の元に移動し、倒れ込むフューズと、寄り添うヒナに向かって嘲笑う。
「あーあ、出しゃばるからだよ」
だが、今のヒナにはセルケトの声など全く聞こえない。目の前で生死を彷徨うフューズの姿を見て、ただただ涙が溢れ出るだけだ。
「お父さん……!! お父さん、しっかり!!」
「ヒ……ヒナ……」
震える声と、虚ろな目でヒナを見つめるフューズを、ヒナは優しく抱き抱える。
「死んじゃ……やだよ……お父さん……」
「ヒナ……私は……ヒナ、の……父親、として……何も、してやれなかった……お前を、守ると……ユリナとの、約束も……果たせなかった……すまない……」
「直ぐに助けるから……!! 今は喋らないで……!! リューズベルトさん!! 治癒魔法は……」
ヒナの言葉に、リューズベルトは申し訳無さそうに視線を逸らした。そして、何も出来ない自分を責める様に奥歯を噛み締めた。
「そんな……」
「ヒナ……何としても、あの者……達から、逃げろ……お前は……私と、ユリナ、の……宝物なん、だ……だから……生きて、くれ……」
「お父さんが居ないと……私は……」
涙が止まらないヒナの頬に、フューズが優しく手を当て、親指で涙を拭うと、
「ユリナ……と、同じで……私も……ヒナを、愛してる……私の、誇り……だ。ヒナを……置いて、逝くのを……許して、くれ……最愛の…………娘…………よ――――」
その言葉を最期に、フューズの手が力無く地面へと落ちる。父親の最期を目の当たりにしたヒナは、その場に泣き崩れる。
「嫌……嫌ぁぁぁぁぁぁ!!!!」
辺りには、ヒナの泣き叫ぶ声だけが響いていた。絶望と化したマッドフッド国で、未だ終わりを告げない絶望を見せ続ける『大罪騎士団』の悪辣なる行動は、許し難いものだった。
すると、その光景を見届けたファルフィールが、両手をポケットに突っ込んだまま、
「ご臨終。父親との最期の会話を邪魔しないでやったんだからさ、感謝しろよな」
その言葉に、ヒナの憎しみと怒りは、頂点に達した。目が充血し、今にも血の涙が溢れ出そうな程に、強くファルフィールを睨み付ける。
「……さない」
「あ? 聞こえねぇよ」
「許さない!!」
ヒナがそう叫んだ瞬間、フューズの隣に居たヒナの姿が突然として消える。その場には、黒色のテラだけがチリチリと音を立てていた。
ファルフィールが気付いた時には、ヒナはファルフィールの背後に回り込み、黒刀を振りかざしていた。
「――っ!!」
「ファルフィールお兄ちゃん!!」
すると、とっさにヴァルキリアが神器グラーシーザでヒナの黒刀を防ぐ。だが、神器グラーシーザは一瞬にして灰と化す。
「欲を、貰う」
ケプリがヒナに向かって手を伸ばすが、その手をヴァルキリアが掴んで止める。
「近付いちゃ駄目!! 今直ぐ距離を取って!!」
ヴァルキリアがそう言葉にすると、全員はヒナから距離を取る様に離れる。
「急になんなのさ」
「セルケトお姉ちゃんも気付かない? 今のお姉さんは、お姉さんじゃないよ」
「あ? どういう意味だそれ」
ファルフィールが見つめる先には、全身に黒色のテラが渦巻く様に纏っていて、瞳の色は赤く光っているヒナが、無言のまま見つめていた。
「前に、黒のテラを所有してるお兄さんと戦った事があるんだけど、その時と同じ現象が起きてるの。渦巻く黒色のテラ、赤く光る瞳……あの状態は正しく無敵だよ。魔法が効かなければ物理攻撃も効かないからね」
「んだよ、それ。ずりぃじゃねぇかよ」
「――――」
ヒナは暫く、ファルフィール達を見つめると、一気に地面を蹴り、距離を詰める。
「生け捕りに、すれば、いい」
ケプリが人差し指を向けると、指先が白く光り出した瞬間、ビームの様なものを放つ。だが、ビームはヒナに近付いた瞬間に灰と化した。
「ちょっと、ケプリお姉ちゃん、話聞いてた? 魔法は効かないんだってば」
「じゃあ、どうする? このまま、撤退、するの?」
「馬鹿言ってんじゃねぇよ。折角、面倒臭ぇのに戦ってるんだからさ、任務は遂行するに決まってんだろ」
こちらに向かって来るヒナに、ファルフィールが両手を翳す。だが、何も起こらない。
「チッ、俺の魔法も無意味かよ」
「こうなった以上、撤退する他ないかもね」
ヴァルキリアがそう言葉にした瞬間、四人以外の別の誰かの声が、その場に聞こえて来る。
「――撤退する必要は無い。俺がやる」
走るヒナとファルフィール達の間の空間が歪み、そこから『大罪騎士団』のリーダーである、ハルと『色欲』を司る、コペルニクス・ファイルドが現れた。
「ハル兄!!」
ハルがヒナに向かって手を翳すと、ヒナは突然として後方へと吹き飛んで行く。
深く被ったフードを脱ぐと、ハルの素顔が見える。無造作な髪型に黒髪で、長さはミディアム。
左目の部分に痛々しい傷跡があり、黒色の瞳をしている。全身黒色の軍服の様な服を着ていて、フードの付いたローブを羽織っている。
『色欲』を司る、コペルニクス・ファイルドは、腰辺りまでの長さの金髪のストレートロングヘアー。
今にも折れそうな程の華奢な体つきで、その体のラインが分かるピチッとしたドレスの『大罪騎士団』の騎士服を着ている。
碧眼でおっとりとした妖艶さの漂う目つきをしていて、非常に美しい顔立ちだ。
「やはり、手こずっていたか。随分と遅いと思ってな。予想通り、暴走していたか」
「暴走?」
「黒のテラの特徴の一つだ。コントロールしていない者が、長時間黒のテラを使い続けると、黒のテラの力に負け、暴走を起こす。そうなれば、黒のテラ本来の力を発揮し、お前らでも敵わない程の強さへと変わる。その分、暴走し続けると死に至るがな」
吹き飛んだヒナが立ち上がり、新たに現れたハルとコペルニクスを睨み付ける。
「生け捕りにする場合は、暴走を止めなくてはならん。ここからは、俺がやる。コペルニクス、手伝え」
「はい。ですが、何故私なのでしょうか? 今回の任務、私は不参加の筈ですが」
「お前の能力は役に立つ。さっさと決着つけるには最適だ」
「そうですか。では、尽力を尽くさせて貰います」
すると、ハルが手を伸ばすと、テラで武器を創りだす。黒色の細く長い長剣で鍔が無く、フェンシングの剣と似ている形だ。
意識無く暴走するヒナと、新たに登場したハルとコペルニクスが睨み合うのを見ていたリューズベルトの元に、全身傷だらけのラシャナが駆け寄って来る。
「リューズベルト……ごめんなさい……シュリが……」
「まさか、シュリまで……くそ……」
ラシャナの言葉を察したリューズベルトは、悲しみの表情を浮かべて、肩を落とした。
最強騎士団と謳われていたグランディア騎士団の隊長格である、ガイエンとシュリが殺され、クザンは意識不明の植物状態。
これ程まで圧倒的にプライドを傷付けられ、リューズベルトとラシャナは完全に戦意喪失していた。
そして、父親を殺されたヒナも黒のテラの暴走を始め、絶望はまだまだ終わりを告げてくれない。
「――――」
ヒナは、黒刀の剣先をハルに向けると、地面を一気に蹴って距離を詰める。
ヒナが振りかざした黒刀に合わせる様に、ハルも剣を振りかざす。二人の剣が交わった瞬間、衝撃波が辺りの地面を更に削って抉っていく。
「コペルニクス」
「はい」
ハルの合図で、コペルニクスが手をハルに向けて翳すと、ハルの体に赤色のテラが纏い始める。
すると、ハルは剣を一気に振り切り、ヒナを弾き飛ばす。物凄い勢いで転がり建物に衝突すると、砂埃が辺りに舞う。
「まだ来るぞ、次に備えろ」
ハルがそう言葉にした瞬間、砂埃が一瞬にして消えると、黒色の槍の様な物がハルに向かって飛んで来る。
ハルは何もしないまま、飛んで来る黒色の槍を迎え入れる。すると、ハルに刺さる目前で、突然として黒色の槍が黒白く光り出し、大爆発が起きる。
最大級の爆風に、リューズベルトとラシャナは吹き飛ばされ、ヴァルキリア達も吹き飛んでいく。
「痛って……なんつー威力してんだよ、怠ぃな」
数メートルは吹き飛ばされたファルフィール達は、体勢を整えて足で踏ん張り、爆風に飛ばされない様に堪えている。
やがて爆風が弱まっていくと、爆煙が風に流されて消えていき、そこにはハルとコペルニクスが平然と立ち尽くしていた。そんな二人の体には、黄色のテラが纏っていた。
「事が早いな、コペルニクス」
「いえ、タイミング的には的確なタイミングですよ」
「それに、大した威力だ」
無傷のハルの目の前に、ヒナが突然現れると、顔目掛けて黒刀を突き刺す。だが、ハルは顔を逸らして避けると、ヒナの腹部に手を当てがう。
「だが、これで黒のテラは貰った」
ハルはヒナから黒のテラを奪おうとし、ヒナの腹部に当てがっている手に、透明なテラを纏わせる。だが、その瞬間にヒナもハルの腹部に手を当てがう。
その瞬間、ハルの着ていたローブがボロボロと消化していき、灰と化していく。
「チッ」
ハルはとっさにヒナから距離を取ると、ローブを脱ぎ捨てる。やがて、ローブは完全に灰となり、風と共に散っていく。
「流石に消化が早いな。次は、それよりも早く貴様の黒のテラを奪ってやる」
すると、今度は青色のテラがハルの体に纏う。その瞬間、ハルはヒナの背後に瞬間移動し、背中に向かって手を伸ばす。
だが、何かを感じたハルは伸ばす手を途中で止めると、直ぐにヒナから距離を取った。その瞬間、ヒナを中心として黒色のテラがドーム状に拡大していき、約五メートル程でその形状を留める。
「中に閉じ籠ったか。くだらん考えだな」
すると、黒色のテラのドームから大量の棘が伸び始める。それはまるで針山の様になっていた。棘は、自在に曲がってハルの元へと突き刺す様に伸びていく。
ハルは軽やかな動きで棘を避けていくが、地面からも無数に伸び始め、ハルの逃げ場は段々と狭まっていく。
「面倒だな」
ハルは、剣を横に一振りすると、全ての棘がバラバラに砕けていく。だが、棘は直ぐに修復し、再びハルに襲い掛かる。
地面から伸びる棘の範囲は、徐々に広がり始め、リューズベルトとラシャナにも危険が及んでいた。
「ラシャナさん、取り敢えずは離れますよ!!」
「えぇ、このままでは巻き込まれてしまいますね」
二人はヒナとハルが戦闘を行う場から距離を取る。その間も、棘は次々に伸び始め、ハルを襲っていた。
「その芸にも、そろそろ飽きて来た頃だ」
ハルはそう言葉を零すと、剣が黒白く光り出す。そして、剣を一気に横に振り切る。
その瞬間、何キロにも及ぶ程の斬撃が一瞬にして、マッドフッド国の建物や、近郊の山を一刀両断する。
黒のテラの棘も全てが一瞬で砕け、ヒナを囲っている黒色のドームにもヒビが入る。
「なんて斬撃だ……あんな物、人間が防げるレベルじゃない……」
その光景を目の当たりにしたリューズベルトは、息を呑んでいた。そして、黒色のドームに出来たヒビが範囲を広げると、粉々に砕ける。
「――――」
ドームが砕けると、中には黒色のテラが渦巻く様に纏っているヒナが、赤色に光る瞳でハルを睨んでいた。
「これ以上は貴様の体が保たんぞ。暴走で死に果てるよりも先に、黒のテラを奪わないとな」
そう言うとハルは、ヒナの元へと走り出す。ヒナも黒刀を構え、ハルを迎え撃つ。
ヒナが横に振りかざした黒刀を、ハルが剣で防ぐ。だが、その隙を突いて、ヒナが左手でハルの体に触れ様とする。
「甘いな」
ハルは右手でヒナの手を振り払うと、回し蹴りでヒナの腹部に足底を当てる。だが、ヒナの体に触れる前に黒色のバリアがハルの蹴りを防いでいた。
ハルは直ぐに黒色のバリアを土台にして後ろに飛ぶ様にして離れ距離を取るが、ヒナはすかさずハルの目の前まで一気に距離を詰める。
「――――」
ヒナは再び手を伸ばすが、ハルはその手首を掴み、右足の膝の裏をヒナの後頭部の部分に引っ掛ける様にして、そのまま一気に真下に足を振り下ろし、ヒナを地面に叩きつける。
ハルはそのまま着地すると、ヒナを押さえつける様に背中に片足を乗せて踏み付ける。
「貴様は十分に足掻いた。これ以上、足掻く必要は無い」
すると、ヒナの全身に渦巻いていた黒色のテラが消え始め、赤く光っていた瞳も元の碧眼に戻っていく。
「ハァ……ハァ……ぐっ……」
「暴走が止まったか。辛うじて生きている様だが、テラを殆ど消費しているな。貴様はもう動けん。そのまま大人しくしてろ」
ハルはそう言葉にすると、右手に透明のテラを纏わせる。だが、突然ハルを青色の雷が襲い掛かる。
「小鼠が、無駄な邪魔を」
青色の雷がハルに近付いた瞬間、青色の雷は弾ける様に消えていく。そして、ハルが視線を向ける先には、リューズベルトとラシャナが立っていた。
「ヒナ様から離れろ」
「これ以上、貴方達に好き勝手させる訳にはいきません」
ハルは何も言い返さないまま、左手をリューズベルト達に向けて翳す。すると、小さな黒色の玉が掌の前に浮かび上がる。
「邪魔者は消えろ」
ハルがそう言葉にすると、小さな黒色の玉をリューズベルト達に向けて放つ。
小さな黒色の玉は地面を抉りながら、物凄いスピードでリューズベルト達に襲い掛かる。――その時、
「――くそが!!」
リューズベルト達の前に、突然現れた人物が黒色の刀で小さな黒色の玉を弾き飛ばす。
弾かれた黒色の玉は、遠くの方で爆発を起こし、その辺り一帯を吹き飛ばす。
「君は……」
リューズベルトが現れた人物の背中を見つめていると、その人物はハルに怒りを露わにする。
「これ全部、お前がやったのか……?」
「貴様に会うのは二度目か……タクト、だったか?」
エルヴァスタ皇帝国で六大国協定会談を行っていた卓斗が、漸くマッドフッド国に到着した。だが、その到着は遅過ぎた。
滅茶苦茶に破壊され、もはや国とは呼べない程にまで変貌したマッドフッド国を見た卓斗は怒りを抑える事が出来ない。
「絶対に許さねぇ……」
「貴様に許される筋合いは無いな」
ハルは殺意の篭った目で睨み付ける卓斗を、遇らう様に鼻で笑う。すると、
「――隙ありっス!!」
ハルの背後から、ヴァリが拳に黄色の雷を纏わせて振りかざしていた。
「それで隙を突いたつもりか?」
ハルは体を逸らして避けると、ヴァリの背中に蹴りを入れて蹴り飛ばす。ヴァリは卓斗の方へと転がり、体勢を整える。
その瞬間、ハルは突然何かに吹き飛ばされる。否、卓斗が『斥力』の力で吹き飛ばしたのだ。
「黒のテラで攻撃してくるとは、考えたな」
体勢を整えたハルは、平然と立ち上がり、卓斗を睨み付ける。すると、倒れ込むヒナの元にエティアが到着する。
「ヒナちゃん、大丈夫!?」
「ハァ……ハァ……」
エティアの問いにヒナは答えないが、生きている事は確認出来た。そして、マッドフッド国の現状を見たエティアも、絶望と怒りを露わにした。
「酷い……こんな事を……」
「援軍のつもりかも知れないが、今更来た所で遅い。ついでに、貴様の黒のテラも奪っておくか」
「お前らは今ここで……ぶっ殺してやる!!!!」
廃墟と化したマッドフッド国、多くの民やグランディア騎士団の犠牲者、そして倒れ込むヒナ。それらを見た卓斗の怒りは頂点を通り越していた。
『大罪騎士団」のリーダーであるハルと、卓斗との二度目の対峙が始まる。