プロローグ
プロローグ
あの日、俺は南部是と言う名前で羽田空港を出発し、雲居を背景に時計を見た。
時計を見ながらふと
「そろそろ…か。」
そう呟きながら、中東へと向かう飛行機は大空へ旅立ち、俺は機上の人となった。
2005年9月
「是様、相談役からお話があるそうです。」
「じいちゃんから?」
怒られることをした覚えは無いし、特にやんちゃをしたわけでは無いが、心当たりは…あり過ぎて困る程度には…あった。
「入るよ。じいちゃん」
「おぉ。是か。一寸こっちへ来なさい。大事な話がある。」
黒っぽい着物の裾から見えるシワだらけの手が、私を部屋の中へ誘導した。
「是や、よく聞きなさい。これより我が"南部運輸"を担うのは、お前だよ。」
「ぇ?」
耳を疑うのも無理は無い。
以前、父の南部 満男が弟の義男に会社を譲ると決めて以来、社長の椅子は俺とは無縁の存在だった。
これが経営者一族に育った養子の定かと、それ以降俺は相当にグレた。
「何言ってるんだよ。オヤジが義男に譲るって…」
「是や、今にわかる。今にわかるから、その時はしっかりやるんだよ。」
「…わかった。」
今話している祖父、南部 衷には息子が出来なかったので父 満男を養子にとった。
しかし、その父と母の間にもなかなか子供が出来ないので俺 是を養子にとったのだ。
間の悪いことにその直後に母が妊娠し、義男が産まれた。やはり実の子が可愛いのは世の常のようだ。
お払い箱となった俺は祖父に育てられたようなものだ。
送られた先のじいちゃんは、しつけに厳しかった。
勉強はかなりの高レベルで頭がついて行きづらい。運動はあまりさせられなかったが、替わりに家事やら何やらをやらされた。
ふと過去に思いを馳せた後、じいちゃんも遂にボケたかな。
と、そんな考えがふと頭を過った。
相談役として今でも会社を支えている祖父は、俺によく昔の話をしてくれた。
戦後の黒幕を味方につけて、大きな船を調達したとか、鉄のカーテンやらなんやらを破って日本製の飛行機で、即席麺を届けたとか。
そんな事など全くもって興味がない。
俺には心底どうでもいい話だ。
気になったのは真面目な顔で『福の神様が憑いていた!』とか何とか言っていた事だけだった。
祖父に呼び出されて暫く経ったある日の事、祖父の行方不明を知らせる一報が、新聞に掲載された。
あれは2005年の冬の事だっただろうか。
「聞いたか母ちゃん!じいちゃんが失踪したって!」
祖父に育てられた身としては相当ショックな出来事である事には間違い無かった。
母にその"重大事件"を報告するも、母は興味無さげに言い放った。
「私たちに解決できる問題じゃないよ、警察に任せなさい。私達にはどうせ何も出来ないんだから。」
全くもってそうだ。私たちには何も出来ない。
育ての親に対する敬意と執着であろうか、ただ出来ることをしようと思った。
東京の都心の更にど真ん中に、不思議な神社がある。その神社の名前は『若年神社』。
社はとても綺麗なのに、宮司も居なければ賽銭箱も無い。
普段なら不気味に思う筈のに、この時だけは祖父のために行かなければならないと思った。
何故だか分からぬが、本能的に会える気がししたのだ。…なにか運命的なものを感じるが如く
白い鳥居をくぐり、走りながら社に向かい、そして手を合わせた。
祖父に会えますようにと、祈りを捧げ、
礼を終え、ふと目をあげると、
如何にも神秘的といった雰囲気の白装束を着た少女が横に立っている。
「ただし?」
何故か俺の名前を知っている彼女だが、私は彼女の事を知らない。
名を知らぬのならば尋ねるのが世の常である。
「誰…ですか?」
常に従って尋ねる他ないであろう。
「覚えて無いのか?」
すこし幼さの残る顔に憂いのような色が浮かんだ。
ふと少女は合点がいった様に言った。
「そうか。覚えて無いのか。じゃあ、やる事をやらなきゃいけないね。」
やること?
やることとはなんなのだろうか?
「記憶が消えないうちに、約束を果たします。」
彼女が合点いっても、こちらの疑問は深まるばかりである。
「約束?貴女は何を言っているんだ⁉︎」
ふと少女は諭すような口調で言ったのである。
「ごめんね、ただし。でも、これは"ただし"との約束だから。」
「えっ?」
次の瞬間、辺りの景色が餅の如く伸び、周りが遠ざかって行った。
「"ただし"の捜索は不要ぞ。」
その声だけが延々と私の頭に響いていた。
気がつくと、俺はビルヂングの立ち並ぶ風景とは打って変わって筑波嶺の望めるような"見晴らしの良い"街へと出た。
然し、道路の配置は先程までいた東京の都心となんら変わりが無い。
只々"見晴らしの良い"だけの街である。
「ここは…」
よく見ると明らかにおかしい。周りの建物の所々に壊れているところがある。
夢かと心に問うたが、夢にしてははっきりしている。
あれこれ思案していると、いきなり後ろから声を掛けられた。
「どうかしましたか?道にでも迷ったのですかな?」
「若年神社はここら辺にありますか?」
俺はふと思い出した。
そうだ。俺は若年神社に来たからこうなったのだ。ヤツに断固抗議せねばならん。
男は一瞬おかしな顔をしながら、ふと幼いような、そんな笑顔を見せた。
「あぁ、若年神社ね。案内するから、ついておいで。丁度私も暇でねぇ。」
「ありがとうございます。」
歩きながらその親切な男は振り返り、何がおかしいのか、笑いながら。
「然しまぁ立派な服ですな。ドイツのお偉いさんか何かですかな?」
「いヽえ。俺は…南部…」
男の冗談めいた質問に、俺がそう言いかけた時であっただろうか。
「あぁ、ここですよ。」
到着を知らされ、
ふと見上げた先には"若年神社"、
鳥居には確かにそう書いてあるものの、先程までの妖しげな雰囲気とは打って変って、祠は先程より見窄らしく、ただ屋根が綺麗だというだけの神社だった。
「なぁんだ。裏手まで来てたのか。ありがとうございます。」
「へっへっ、何、このご時世私には時間が腐るほどありますから、案内なんてわけ無いですよ。」
そんな事を言いながら、男は去って行った。
道案内をして貰うまでも無かったのだ。
全くもって間抜けな話である。
石の鳥居をくゞると、そこには先程の少女がいた。
「おぉっ。来たか。」
先程会ったばかりであるのに、いかにも待ち焦がれたといった雰囲気である。
着ている服装も色々と違って、先程までの白装束ではなく、普通の着物を着ていた。
形容するならば、少し成長した座敷童子のような格好だった。
彼女の態度は全く理解できないが、彼女からは懐かしいような雰囲気を感じる。
「いきなり何をするんだ!」
「まぁののしりなさるな。妾は若年命。この神社の祭神じゃ。」
「神様だかなんだか知らんが、ここはいったい何処なんだ!」
若年と名乗った神を名乗る少女は余裕の表情で私に説明し始めた。
「まぁ座れ。其方を何の理由もなくここへ連れてきたのでは無い。お前の祖父が、妾に頼んだのじゃ。」
電気ショックが走ったようだ。じいちゃんがそんな事するタチじゃない。
「今、この国は戦争中でな、知っての通り敗戦も時間の問題じゃ。」
「何を言ってる?だって、今は、2005年だろ?戦争なんて起こるわけ…」
突拍子も無いことを言いだす彼女は至って真面目な風である。
若年はパチンと扇子を閉じて言った。あれ?どこに扇子なんか持ってた?
「お主も鈍いのう。妾はお主の年齢を変えずに、時間を遡らせたのじゃ。妾の記憶の内でな。」
この後の若年の話によれば、この時俺は裏声の様なとても滑稽な声を出したと言われた。
当然だ。ジュール・ヴェルヌの描いたタイムトラベルは、現在に至るまで実現していないことなど周知の事実というやつだ。
そんな事など知らぬが如く、彼女は当然のように話を続ける
「まぁ、其方の身は案ずることは無いぞ。其方の組は明治からあってのう、今も細々と続いておる。妾とは古い付き合いの弟橘媛に頼んで其方の身の上なんかは、ヤツに何とかしておいてもらったぞ。」
彼女の言っている意味は分からないまでも、「何とかしておいた」というその一言だけが、
茫然としている俺への唯一の救いだった。
「ここじゃ。」
「何でお前もついて来るんだ。」
「妾も時間を移動した故、この時間軸で信仰を持っているのはお主だけなのじゃ。あと、妾は他の人には見えんから、気狂いに間違われん様にな。」
道行く人は日本語を話し、おかしな目でこちらを見ている。
どう見てもここは日本の主権が及ぶ地域である事には間違いだろう。
すると、神を名乗る彼女は思い出したかのように言い放って、慣れたように入って行った。
「もうすぐ夜になる。消灯時間が近いぞ。」
南部運送。寂れた木製の看板には、そう書かれていた。
出迎えに来たであろう使用人といった雰囲気の男は、初めて見た筈の私の顔を見て、何の違和感も抱かない様子だった。
ただ、急いでいるといった雰囲気はしていた気がする。
「若旦那~!赤い紙の期限は明日だべ~~!早くきがえなせぇ。今の日本では国民服着なきゃ村八分だべな!」
「へ?」
終戦から60年と少し、此処はいったいいつなのだろうと考えた時、先程彼女が言った言葉を思い出した。
察したような己の雰囲気を隠しつつも、使用人に了解の会釈をした時、
「まぁ、妾がついとる。前線には送られん筈じゃ。一応、ドイツ留学から帰ってきたと言う設定じゃ。」
彼女は余裕のある雰囲気であった。
「ドイツ留学⁉︎」
「まぁ、上手くやれよ。」
英語しか話せないのに、何故ドイツ留学という肩書きまで付けられたのか。
「使用人は久蔵って名前じゃ。覚えておけ、後々世話になるから。」
久蔵の用意していた国民服に着替えて、久蔵に、"留学中"の話を聞いた。
「旦那様がいらっしゃらない間、うちの会社も戦争とは無縁で無かったべ。潜水艦の奴に今はもう船の半分も海のそこでごねとります。」
「半分⁉︎」
「そうです。もう半分は、軍への協力でやっと使えとる様なもんです。ダァ様のめえですが、大作様が満州に渡る途中にいなぐなっちまったのが、運のづぎってもんだ。そぉのあと、おもっしれぇくれえに船さ沈んでくんだ。」
既に戦局はここまで酷くなっている様だ。
大作?大作とは一体誰だろうか…
ふと思い出した家の仏壇に飾ってあった写真の裏には、確かそんな文字があった気がしないでも無い。
「旦那様、ふとつ、おねげえがあります。」
「何ですか。」
「ひとつは、戦争は今の日本では日本側に傾いとると言う報道がされとりますが、油もんを扱っとるわしらには日本が傾いている事など、言わんでもよぅ〜分かります。いずれ日本が負けた後でも、無事に帰って来てくだせ。」
「分かった。」
「ふとつ目は、」
そういった時、久蔵と紹介された使用人は、此処からが本題であるとばかりに雰囲気を変えた。
「まだあるのか。」
「ふとつと言ったではねぇが。ダァ様、前線に兵隊だの食べもんだの運ぶうち、おっ死んだもんが沢山おります。どうか、うちのもんの分も、この会社を盛り上げてくれませんか。」
「俺は、小なれども会社の長として、戻ってくる。なぁに、終わらない戦争は無い。日本はあと一年ももたんだろう。」
「ダァ様、ご立派になられた。」
よくこんな初対面の人に偉そうな事が言えたもんだ。
涙を浮かべ、喜んでいる久蔵を前に能天気にも俺はそう思った。
明日から、私は出征する。
夜、俺は久蔵の用意した煎餅布団で寝た。
…これは夢だ。そうだ。明日目を覚ませば、またいつもの日常が待っている。今日は寝よう。そうしよう。
「ダァ様、きげえてくだせぇ。」
然し翌日俺を起こしに来たのは、あの煩い電子音でははなく、昨晩と同じ久蔵の顔だった。