里帰り
ツタの絡まった大きな門は、ギイ、と息の詰まるような音を開けてゆっくりと開いた。
日中でも薄暗い山奥にひっそりと建つ洋風のその屋敷。あたりからする音といえば、風に揺れる木の葉のこすれあう音や、ヒグラシのどこか物悲しい声だけで、もちろん、人の気配など微塵も感じられない。
門から玄関までの飛び石の隙間から、雑草が背高く伸びている。ここにも人が通った様子はない。雑草を踏み越え、玄関の前に立つとそのドアは遠目に見るよりも大きく、一層不気味に思えた。
元はまばゆい金色だったのだろうか。塗装のすっかり禿げたドアノブがおもちゃのようにドアにくっついている。できれば開かないでほしい、そう願いながらそれに手を添え捻ると、想像よりは容易く、ドアはキイと甲高い音を上げた――――。
「あの屋敷、でるんだってよ」
神社の境内にあるベンチで一緒に座っていた達也が急に言った。
「なにが出るの?ゴキブリ?」
「ばか!夏にでる、といえばあれしかいないだろ。ひゅ~どろどろどろ……」
妙な効果音を立てながら達也が手を胸の前あたりでぶらぶらさせた。そのポーズをみて、ああ、でるってそういうことか、と声に出さずに納得した。
僕らの間で、というかこの町で「あの屋敷」といえば、高校の裏手にある小さな山の奥にある「あの屋敷」しかない。思い出すだけでも不気味なあの屋敷なら、”出る”というのもうなずける。
そんなことを考えながら黙っていると、達也が待ちきれんとばかりに続けた。この暑さのせいか、興奮のせいか顔が少し赤らんで見える。短く刈った坊主頭は頭皮に滲んだ汗を隠していない。
「なんでも、だれもいないはずの屋敷の中から小さな女の子の声が聞こえるらしいぜ。中には、姿をみた、とか、ピアノの音が聞こえた、なんて話も……」
相変わらず手は胸の前。「幽霊ポーズ」を取りつづけている。おかしな効果音は止んだものの、手をぶらぶらさせる達也が次に続ける言葉は容易に想像できる。
「……で、肝試しにいこう、と」
「半分正解半分不正解。惜しいなわが親友よ」
ぶらぶらさせている片方の手を、妙に得意げにこちらへ突き付け、そのおかしな格好のまま、目をキラキラと輝かせた達也が続ける。
「夜に肝試しをするために、日中探検しておこう。というのが大正解。どう?せっかくの夏休み、思い出作りと行こうぜ」
話によれば、どうやら達也はクラスの女子を誘って肝試し大会がしたい。その主催者として、開催地の下見はしなければならない。でも一人で行くのは心細い。誰か一緒に行ってくれないだろうか……という具合に、僕に白羽の矢が立ったらしかった。
夏休みが始まって2週間あまり。お盆の前。7月初旬の高揚感も落ち着き、夏休み最終日に向けて徐々に加速する一日をどうやって過ごすか持て余していたころの誘いだった。部活にも所属していない、大した宿題もない、そんな高校生にとって「肝試し」という提案はひどく魅力的に聞こえた。
――――ドアがあげた甲高い悲鳴に共鳴するようにして、後ろで震えている達也が、ひっ、と小さく声を漏らした。
「おまえ、そんな様子で大丈夫かよ……」
「だ、だいじょうぶだ。いいから、は、はやく入れよ。」
ドアノブに手をかけたまま後ろの達也に視線をやると、達也は老人のように腰を曲げた姿勢のまま、僕の背中をぐいぐいと押した。これでは先が思いやられる。
ドアを開けた先は、絨毯がひかれた大広間になっていた。赤かったのであろう絨毯はすすけて、赤というよりは茶色に近い色になっている。ところどころ、雑草が生えている部分もあって、外の地面と変わりない様子だった。天井には大きなシャンデリアが飾られていた。すべてガラスでできているのだろうか、今にも落ちてきそうなそれは、二階の窓から入る日光を受けてキラキラと光っている。
正面には二階へと続く大きな階段。底が抜けそうな様子はない。
「中は思ってたより綺麗だな」
相変わらず腰を曲げた姿勢の達也がいう。確かに雰囲気こそあるものの、廃墟、という感じではない。「空き家」というのが正しいかもしれない。
「まだいく?もう帰る?」
「もうちょっとだけ行こうぜ。やばそうなら逃げればいいし」
僕の提案に、雰囲気に慣れてきたのか、達也が少し背筋を伸ばしながら言った。その後ろで、玄関のドアがバタンと大きな音を立てて閉まる。その音に、また達也が縮こまる。
二階には数室、部屋があるようだった。どの部屋もドアは開いたままになっていて、中にはドアのない部屋もある。一室一室、中を覗きながら歩く。どの部屋も同様に荒れていたが、その部屋の機能を示す家具類は残っていて、何の部屋だったかは容易に想像できた。
ここは書斎、ここは寝室、そういいながら歩いていると、一室に大きなグランドピアノを見つけた。明らかに他の家具から浮いている。
呼び止める達也の声を無視して、ピアノの部屋に一歩踏み入れる。
近づけば近づくほどそのピアノは僕の目に奇妙に映った。まるで今まで手入れされてきたようにつやつやとした表面。蓋を開け、鍵盤に手をかける。ポロン、と久しぶりに音を出したとは思えない、軽快な音が静かな部屋に響く。
「おい!」
「……え?」
達也が、部屋の入り口にしがみつくようにして、僕に呼びかけていた。
「もういいだろ、はやくいこうぜ」
鍵盤の蓋を丁寧に閉め、急かす達也に追い立てられるように部屋を出た。日光を受けてピアノがてらてらと不気味に光っていた。
屋敷を一回りして、早々に帰ることにした。もちろんのごとく、肝試しは中止。
達也と僕だけの夏のいい思い出にしようと言い合って、大きな鉄の門を閉めた。
さっきまでと打って変わって意気揚々と山道を下る達也の後ろ姿。
僕がピアノの音を聞いたことはとても言えそうになかった。
お盆。僕は、祖母と祖父のお墓参りに来ていた。
蝉がジュワジュワと鳴くなか、墓石に冷たい水をかけ、新しい青々とした花を生ける。
蝉の声に交じって、母親が柄にもなく口笛を吹いた。どこかで聞き覚えのある曲。
「……ドビュッシー?」
「あら、わかるの?音楽に興味があるなんて、お母さん知らなかったわ」
お母さんが大層驚いた顔をして僕を見つめる。いや、まあ、と言葉を濁す。
「亜麻色の髪の乙女。ドビュッシーの有名な曲よ。おばあちゃんが好きだったから、ふと思い出して」
「おばあちゃん、クラシックとかに興味あったんだ。」
僕のおばあちゃんは、僕が物心つく前に亡くなっている。なんでも、この町の名家だったそうで、一般家庭のおじいちゃんと結婚するときは周囲からかなり反対されたらしい。
「そっか。知らないのね。あのね、私のピアノの先生はおばあちゃんなのよ。小さなころからピアノを習ってたんだって。うちには大きなグランドピアノもあったんだーって自慢してたわ」
少し遠くを見つめるようにして、何かを思い出すような顔をしてお母さんが言う。
「さ、暑いから帰りましょ。お母さん日焼けしちゃう」
年甲斐もなくおどける母さんは、口笛をふきながら水の入ったバケツと柄杓を持つ。
グランドピアノ。屋敷で見た、あのピアノが脳裏をかすめる。
ドビュッシー。亜麻色の髪の乙女。相変わらず、蝉がジュワジュワと鳴いている。
―――「ねぇお母さん。高校の裏山にある屋敷って、昔は誰が住んでたの?」
不思議な話を書きたくてざざっと書きました。
やっぱり、ほのぼの系の話が肌に合ってるのかなーとか思いつつ。