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第六章 付喪神の国 (4)


     十


 ナギニに連れられ、エレベーターに乗る輝馬の光景に、幸弥は為す術もなく柱の陰で立ち尽くしていた。

 飛び出して彼を助けるべきだったのに、それができなかった自分が情けなく思った。霧の中に飛び込んだ友人を追いすがるべきだったのに。そのまま悩んでしまったのがいけなかった。

 憶病な自分のせいで、大切な親友が恐ろしい目にあってしまうというのに、自分がこんな所で泣いている場合ではないと、必死に目を抑えた。

 一体どうすれば……。

「幸弥……」

 ポケットの中から声がした。最初は空耳かと思った。

「幸弥」

 今度こそはっきりと聞こえ、幸弥はポケットの中に入っていた筆箱を取り出した。蓋の隙間から光が漏れている。そして、自分を呼びかける声に聞き覚えがあった。とても懐かしい感じがした。

 筆箱をゆっくり開けると、中に収まっていた大切なお守りが白く輝いていた。声はそこから発していたのだ。

「どうして泣いているの、幸弥?」

「僕……友達を助けられなかった……」

「泣かないばかりしては駄目よ。輝馬くんを助けたいのでしょう?」

 幸弥はゆっくりと頷いた。そして、涙を拭き取った。

「心配はいらないわ。鏡を使いなさい」

「鏡?」

「如月神社に奉納されている鏡。それを使って」

 そうか! 幸弥は本殿にあった古い鏡を思い出した。あれさえ使えば。

「友達を救えるのはあなたしかいない。まだ手遅れではないわ」

「ありがとう」

 そうだ。この声は聞いた事がある。遠い昔に……。

「あなたならできる。優しさと勇気のあるもの」

 お守りから細い光の筋が伸びて、霧の壁を貫いた。この先に如月神社があるのだと直感で分かった。幸弥は静かな声で別れを告げた。

「さようなら、お母さん。僕、頑張るから」

 お守りの道しるべを頼りに、幸弥は霧を裂いて走り出した。


      十一


 二人を乗せたエレベーターは、グランフロント大阪北館の九階で止まった。扉を抜けると、緑豊かな広場『テラスガーデン』に出た。田舎が都会の便利さに憧れるように、都会もまた自然に憧憬するものだが、大阪の新興施設であるここもご多分に漏れず、緑の景観と摩天楼の展望を併せ持つ、広大な空間を湛えていた。普段ならば、人の姿も少なくなかったはずだが、薄い霧がまとう庭園には輝馬と、月子の体に憑依したナギニ以外にいなかった。

「こっちじゃ」

 ナギニに導かれて、輝馬は慎重な歩みでついて行った。ここで、彼女の名を叫べば済むが、愛奈や両親達を人質に取られている。包まれた噴水のある通路に花が咲いている。強風が肌を叩いていた。

 風に訴えればいいだけだ。ナギニはそう言った。そうすれば、言霊は大気に乗せられ見えない速度で世界中を駆け巡るだろう。人間よ。魂だけになれ、と。きっと、世界中の人間が肉体を捨てて魂だけにあれば、この地上には生きた人間は一人もいなくなる。

 ナギニの力でこの地球に八百万の器物や自然が練り歩く。

 どうしてそれが人のためになるのか?

 中世の時代に生まれてから、人形に過ぎなかった存在が心を持ち、なぜ、今の時代になってこんな大それたことをしようと思ったのか?

「船が沈んだとする」

 ナギニの背中がいきなりそう言った。

「何が?」

「例え話じゃ。投げ出された男は、一枚の板切れに何とかつかまっていると、他の溺れていた人達が男の板切れに捕まろうとした。大勢で捕まると板切れが沈んで、自分まで溺れてしまう。男は他の者達を振り払って溺れ時にさせてしまう。助かった男は裁きにかけられる。じゃが、男に無罪が下される。命のかかった状況では止むを得ないという理由でな」

 まるでどこかで聞いた事のある話だった。

 ナギニはゆっくりと振り向いた。すごく楽しげな表情をしている。

「人が人を突き飛ばして、己だけが助かろうとする。益を他者よりも多く得ようとする。それを当然、仕方がないと断じて恥じない風潮。己のためならば、道端に倒れる虫の息の者から財布を抜き取り、服をはぎ取る。弱肉強食、自分は悪うない。悪いのは、弱い他人だ。まさに末法の世だと思わんか?」

「分からないよ。あなたは何がしたいの?」

「人の心を救う」

「人間から魂を奪うのが、どうして救いになるの?」

「月子の親に会っただろ。人の親とは思えん。生まれた頃から家族に愛されなかったあの子は、自分を殺める事で自信を救おうとした」

 ナギニは片手を差し出して袖を払うと、手首に古い傷痕が走っていた。その意味を、輝馬は最近知るようになったため、動揺を禁じえなかった。

「だが、できなんだ。できたところで何とする? あの子の心は救われん。そんな人間がこの世界にはあふれておる。そちもそうであろう?」

「僕は……違う」

「嘘じゃ。心と体がずれたまま、この汚れた世を生きていく勇気があるか?」

「ある」

 何とか吐き出した言葉は霧の中へと消えていく。

「以前、わらわがかどわかした者達は苦しんでいた。人間関係、不和、争い、抑圧、貧窮。人の心が救われる術は一つしかない。この世から消える事じゃ」

「僕は消えたいとは思わない。大事な友人だっている。心配してくれる人もいる。これからも出会うかもしれない。あなたのしている事は思い上がりだ」

「人と人は交わる故に争う。そちの遠い祖先の末路がそうであったように」

「あれは遠い昔なんだ。もう、八百万の声を聞ける人はいない。言葉で支配して、魂を奪う奴だって要らない」

「否。聞けぬ声、見えぬ言葉におびえ、人は他者を信じずに疑うようになった。人の世は不信によって崩れ消えようとしておる」

「だから、人が絶滅した方が幸せだというの?」

「それがうぬらの幸せじゃ。人の世がなくなれば、その地を八百万が闊歩する。我らとうぬらの違いはなんだと思う? 互いに不信というものがないということだ」

「他人を信じる人だっている。あなたの知っている人間ばかりじゃない」

「その手前勝手な期待が、月子やお主を苦しませてきたのではないのか?」

「僕や彼女が戦う事を避けてきたからだ。拒否すればいいだけの話だったんだ。自分の意思を閉じ込めてしまったから」

「そして、今度は他人を苦しませるか?」

「他人を信じられる自分を、一番信じられるようにするんだ。その人の立場に自分を置き換えたらどう思うか考えるべきなんだ。あなたにはできないでしょ?」

「絵に描いた餅じゃな。そんな人間、砂に紛れる砂金ほどしかおらぬわ」

「どんなに少なくても、僕はそっちの側にいたいし、いる事を信じたい。それを消す権利なんか、あなたにはないはずだ」

 二人はいつの間にか、テラスガーデンの西にある一角、空中庭園に到着していた。霧が生き物のように二人のいる空間から晴れていく。

「あなたがしようとしているのは救いじゃない。血が出ないだけの虐殺だ。僕は人間だから分からない。でも、人のいなくなった世界で八百万達だけが生きていけるとは思えない」

「思い上がりじゃな」

「あなたほどじゃない。あなたは、人の心を知っただけですべてが分かったような気がしているだけだ。人間になりきれていない、ただの狂った考えなんだ」

「わらわは狂うてなどおらん。人は死して楽になる。これのどこがおかしい?」

「おかしいよ! 人と八百万は一緒にいなければいけないんだ。あなただってそうだ。いつも人と寄り添い今日まで生きてきたんでしょ。人と八百万は共存していくのが悪いとは、僕には思えない」

「口を慎め、相沢輝馬」

 口が縫い合わせたように固くなった。けれど、ナギニは明らかに動揺したままだった。

「無用な討論など栓もない。わらわの願いを叶えれば、家族は助けてやろう。逆らうのならば家族と共に死んでもらう。わらわに逆らうでない。さあ、この世の人の心に言霊で訴えよ。すべての肉体を捨てよ、と。それだけですべてが終わる。口を開くがいい、相沢輝馬」

「できる訳がない」

「できる。今のうぬは先祖返りで、言霊で人を操る力も目覚めておる。すべての命運はうぬの胸三寸で決まる。すべては宿命じゃ。うぬが目覚めたのも、わらわが心を持ったのも、月子とうぬが出会うたのもな」

 空は積乱雲がゆっくりと近づいている。風が運んでいるのだ。遠くで鐘が鳴るのを聞いた。

 ふと、深谷医師の診察で話を思いだした。銅鐸は釣鐘で、雷の代わりだったのだと。

 雷か……。輝馬は目をつぶった。

 できるかどうか分からないが、一か八かやってみるしかない。

 輝馬は目を大きく開くと、遠くに漂う暗雲に向かって言霊を送った。

 お願いします。僕に力を貸して下さい。どうか……。何十回も呪文のように念じ続けた時、頭の中で声が響いた。手が震えるような厳かな声に物怖じしそうだった。

 ――何のために?

『救うために』

 ナギニが何かを読み取ったように、輝馬の肩を乱暴につかんで揺さぶった。

「なにをしておる? うぬは何を呼んでいるのじゃ!」

 ナギニの命令で、高層ビルのすべての窓から、無数の物体が這い出てきた。さきほど、ナレッジキャピタルで見た、スマホの群れだった。横からはみ出た数本の細い配線が手足のように伸びて、壁面を伝ってよじ登って来た。

 屋上の庭園に到達すると、輝馬に向かって殺到した。現代を象徴する文明機器でありながら、人々に消費された末に廃棄された哀れな器物達。彼らは輝馬の体に張り付くと高熱を発した。次から次へ覆い被さっていくスマホの群れに、身動きが取れなくなる。

「愚かなわっぱめが」

 輝馬は一身に空を統べる何かに向かって訴えた。力を。今一度だけ力を貸しく欲しい。自分のためではない。人と八百万という関係ではない。人もまた八百万の一部なのだ。分け隔てて、どちらが偉いか劣っているかの問題ではない。すべてのものが生きる、それが大切なのだと気がついたのだ。

 ナギニの人に対する慈悲は優しさではない。狂気をはらんでいる。誰かが止めなくてはいけない。

 全身を覆う熱に、輝馬の意識が遠くなる。もう限界だと思った矢先――。近くでけたたましい咆哮が鼓膜を震わせた。

「なんじゃ、あれは……?」

 動揺を含んだナギニの声が流れる。張り付いていたスマホ達が一斉に離れていく。

 自由になった視界に映るのは、二体の猛獣だった。最初は動物園のライオンかと思ったが。だが、彼らの全身はごつごつしていそうな薄い灰色をしており、瞳のない目がこちらを睨んでいる。ライオンにしてはタテガミもないようだ。それに彼らをどこかで見た事があった。

「輝馬くん、大丈夫?」

 二体のうちの片方の背中に乗る少年が言った。

「幸弥くん……」

 思い出した。二体に猛獣は、如月神社の参道に鎮座していた狛犬だった。日がな一日同じ位置に座ったままで面倒臭いとぼやいていた彼らを、幸弥が連れてきたのだろう。

 輝馬の前を守るようにして、二体の狛犬が唸りを上げた。スマホ達が怯えたように下がっていく。その後ろでナギニが怒りを湛えた顔を向ける。

「童の分際で、わらわの慈悲を邪魔するか?」

 彼女の合図で、無数のスマホが幸弥の乗る狛犬に襲いかかろうとする。幸弥は咄嗟に円形の鏡を取り出した。表面はくすんだ色にしており、縁には文様が施されている。それは如月神社の本殿に祀られていた鏡である。

「それは……」

 ナギニの目から赤い涙が流れ出し、顔を覆った。主の力が弱まったせいか、スマホ達が動きを止まる。

「僕が止めるから。輝馬くん、今のうちだよ!」

「ありがとう」と、輝馬はもう一度空に向かって祈りを送った。

 ナギニが片方の手を差し出した。

「わらわがうぬの妹を握っているのを忘れたか?」

 輝馬はまたも祈りを中断してしまう。ナギニの手の先には、蛍のように小さく輝く玉が浮かぶ。仄かな水色の魂。愛奈だとすぐに分かった。

「名を呼ぶ必要もない。そのまま握り潰せばいいだけじゃ」

「よせ!」

 突然、輝馬のリュックから飛び出した何かがスマホの波を駆け抜けた。そして、その先に立つナギニの手に取りついた。勝ち誇っていた彼女の顔が驚愕する。

「まさか、月子か、何をする?」

 月子人形は、愛奈の魂を庇うようにして、ナギニの手を張りついた。

「わらわを裏切るのか?」

「自分が正しいと思う事をしているの」

 人形の首が動いて、輝馬を向いた。

「早く、祈りを」

 輝馬は再び目をつむり、天を仰いだ。ある光景を思い浮かべる。空から大地を突き刺す光の針。稲妻だ。古代の人々がきっと、神様を見出した大気現象である。その閃光と轟音は人々に畏怖を与え、時には稲の豊作を促せた。深谷医師の言葉を思い出し、輝馬は呼びかける存在を認識した。

『……雷を落として』

 ――何のために?

 彼方から飛来する声が体を震わせる。全身の血を沸騰させ、骨を軋ませる。物怖じすれば、声は消えてしまうだろう。

 輝馬は、自分を守る幸弥や月子を見た。そして、目を開けると空に言霊を放った。

『皆を救いたい。僕の友達や家族、同じように友達や家族のいる多くの人を。彼らを支えている八百万のすべてのために』

 頭の中で考える暇はなく、口から出た言葉の洪水をほとばしった。

「無駄じゃ。天が人の声など聞くものか。下賤の声を聞く耳など持ち合えてなどおらぬわ!」

 ナギニの嘲笑が響いた。

「天は自然。人の味方にあらず。我ら八百万の味方じゃ」

 ナギニがそう言い終わった刹那――一筋の光りが庭園に落ちた。

 鼓膜が破れるほどの轟音が世界を揺らし、放電が視界を覆う。真下にいたスマホ達が吹き飛んだ。月子や幸弥を乗せる狛犬に張り付く彼らも、一瞬で黒こげに変えてしまった。周りの音が途切れた。ツゥゥゥと重低音だけが流れる。幸弥も呆然としているのが見えるが、声は全く聞こえない。

 ナギニは驚愕の表情を浮かべていた。かすかに聞こえてきた彼女の言葉で、輝馬はやっと何が起きたのかが分かった。

「天は狂うたか……」

 そう、さっきここへ稲妻が落ちたのだ。

 空を覆う暗雲が光りを発し、二度目の落雷が起こった。間髪入れずに三度、四度、五度と幾度も庭園一帯に叩きつけた。

 何千といたスマホ達の大半が黒焦げになった。輝馬と幸弥は、疾駆する狛犬に乗って、雷の雨をかろうじて避けていた。

 月子は無事だろうか。今まで人形になった自分自身を諦めて、他人に関心を持った事のない彼女が人を助けた。ナギニから妹の魂を守ってくれた。

 月子を救いたい。輝馬は強くそう思った。

 輝馬は必死に彼女達の行方を探した。止め処なく落ち続ける稲妻によって、あまり耳が聞こえなくなっている。落雷の閃光で目もかすんで来ている。幸弥の狛犬がいなければ、地上で右往左往しているか、とうに黒焦げになっていたかもしれない。

 いた。視界の端にナギニの姿が映った。その直後、一瞬の出来事がスローモーションで目に焼きついた。彼女の頭上に落ちた落雷。その時、何かがナギニを押し飛ばし、代わりに直撃を受けた者がいた。

 ボロボロになった着物を身にまとう小さな人の形をした器物。それは月子人形だった。

「月子さん!」

 輝馬は叫んだ。狛犬に命じて彼女の元に駆け寄った。先程の一撃を最後に落雷が止んだ。そして、冷めたような雨がポツリポツリと降り始めた。立ち上る黒煙を消していく。

 機械の焦げた臭いに周りに立ち込める中、輝馬は倒れている月子を助け起こした。

「月子さん、しっかりして!」

 ガラス玉の目は両方とも割れていた。小さな手が差し出してきた。そこには、弱々しく輝く小さな玉が浮遊している。輝馬は震える手でそれを受け取った。

「輝馬くん……妹さんはあなたを憎んではいない」 

「もういいから話さないで」

「もう話せないかと思うから話すの。魂はね、嘘をつかない。本当の心が込められていた。未奈さんはあなたに言った事をずっと後悔していたの。もしも、家族が元通りにならなくても、いつかあなたに謝るつもりだった」

 輝馬は、手のひらで乗る魂を見つめた。

「大事にしてあげて。あなたの家族を」

 人形の細い手が地面に落ちた。人形が急に軽くなった気がした。輝馬は泣きながら、彼女を激しく揺さぶった。

「ダメだよ、月子さん! 目を覚ましてよ! 月子さん!」

 後ろから伸びた手が人形に触れた。月子の姿をしたナギニだった。その手には小さな手鏡が握られている。

「ナギニ……」

「わらわの名を知っておるか?」

「うん」

「わらわに命じておくれ。人形の魂に戻れと。そして、同じく月子に命じろ。元の体へ戻れと」

「でも……あなたは人を消したいと……」

「早うせんと、月子が死ぬぞ。よいのか?」

 幸弥から受け取った鏡をかざして、輝馬は言った。

「藤原実家の娘、凪児姫、元の人形に戻れ」そして、続けざまに言った。「壱与野月子、元の体に戻れ」

 人と人形から抜け出た魂が交差して元の体に入っていく。月子は頭を抱えながら目を開けた。人形は虫の息だった。輝馬は同じように鏡を向けた。

「藤原実家の娘、凪児姫、家族との思い出の夢を見て」

 ガラス玉の目に輝きを取り戻す。小さな声で、「父様、母様……」と漏らした。徐々に丸くなっていく。まるで小さな子供のようだった。

 それが最後だった。ナギニの人形は沈黙して、二度と動く事はなかった。


      十二


 輝馬が倒れている月子を起こすと、彼女はゆっくりと目を開けた。

「月子さん?」

「輝馬くん……私は死んだの?」

「じゃあ、僕も死んでいるよ。こうして生きてる」

「そうなのね。ナギニは?」

「月子さんの体を返して、元の人形に戻った。もう動かない」

「そう」

 月子は静かにそう言った。小雨が降る空中庭園。先ほど覆っていた濃霧が薄まり始めて、隣に立つ南館の横腹が鮮明になってきた。

「私、輝馬くんに謝らないといけない事があるの。実は、私はナギニと通じていたの。人形になってからも、あなたの行動を彼女に伝えていた。あなたの家族の事も全部話したのは私」

「どうしてそんな事を?」

「ナギニを唆したのは私なの」

「そんなの、嘘だ」

「本当なの。ナギニと出会った頃から、私は彼女と会話ができていたの。私達は姉妹のように心が通じ合っていた。学校や家での辛い事を打ち明けて、今まで生きてきたの。彼女も色々な話を聞かせてくれたわ。歴史や巡り合った持ち主との出会いや別れ。色々と……」

 月子は壊れた人形を膝に乗せて、焦げた顔を濡れた手で拭いた。

「ある時、私は彼女に言ってしまったの。こんな世界、なくなってしまえばいいって」

「月子さんがそんな事を考えるはずがないよ」

「あなたぐらいの頃からずっと考えていたのよ。こんな世界なんて、家族なんて消えてなくなればいいって。ナギニは悪くない。彼女は純粋だったの。私があなたの家族を誘拐するように言ったの。そうすれば、きっとあなたはここへ来るだろうって」

 月子の言葉に嘘はあるのか。輝馬には分からなくなっていた。

「あなたが言霊を送れば、あなたの家族や友達だけは人のままにしようと思った。そこで私達は八百万と共に生きるの。限られた人達と八百万の自然と器物に囲まれて……」

「そんなの夢なんだよ。現実は違う。勝手に進路を指図する親もいるし、酷い事をするいじめっ子もいる。自分に都合のいい人ばかりじゃない。他人にとって、僕らが都合の悪い人間のように。人は人に勝手を押しつけて、弱い人がそれを受けていく」

「でも、ナギニの言う通りよ。悪い人間、都合の悪い人間がいなくならないと、この世界の汚れは消えない。だから私は変えたかった」

「関係のない人を巻き込んでも? リサやマサルはそれでも生きている。人も八百万も同じだ」

「……ごめんなさい……ほんとうにごめんなさい」

 月子はとうとう泣きだした。雨に混じる涙が魂の消えた人形に伝う。

「親と喧嘩すればいい。僕もそうする。いじめっ子がまた何かを悪さしたら注意するし、しまいには怒る。人と人はもっと喧嘩してもいいんだ。最後にはどこかに落ちつくから」

「私も、そうすればいいと思う?」

「色々な人と会えばいいんだよ。決めるのは、月子さんだ」

「それが怖いの」

「僕も怖いよ。誰だってそうさ。いい結果ばかりになるか分らないから。でも、今よりきっと何かが変わる。何もしないよりはいいと思えたら、僕らの勝ちだ」

 空の暗雲はいつの間にか晴れていた。

 同時に体が重くなり、輝馬の意識は遠のいた。

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