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第六章 付喪神の国 (3)

       七


 輝馬達は地下街に向かった。狭い通路に並ぶ店内では、売り物の器物が宴を催していた。食べ物が、本が、化粧品が飛び跳ね、うるさく騒ぎ立てる。どの店も臨時休業の札がかかっていた。当然、地下街に人の姿はない。

 目的地の《八百堂》に到着すると、その扉には他の店と違ってシャッターが下がっておらず、臨時休業の札もなかった。いつものように営業している風景がそこにあった。輝馬達は早速店内に足を踏み入れた。

「ごめん下さい」

 いつもはそう言わないが、今日は事情が違う。

「はい、いらっしゃい」

 優しげに答える店主の老人が奥のカウンターから手を伸ばした。こんな異常事態だというのに、本当に営業しているなんて。輝馬は内心呆れつつ、店主の勤勉さと鈍感さに感謝した。

「おや、いつぞやの常連さんですね。なんだか、今日は外が大変騒がしいですな」

 騒がしいどころの話じゃない。この人はあまりテレビを見ないのだろう。

「おじいさんは避難しないんですか?」

「私はこの店が家のようなもんですよ」

「怖くないんですか?」

 老人はケラケラ笑った。

「この年になると怖いものはなかなかありません。物が話しかけた時はさすがに驚きましたがね。しかし、逃げるほどの事ではありませんね」

 そう言えば、ここだけ静かだ。他の店と違って、八百万が乱痴気騒ぎを起こしていない。

「すみません、おじいさん。ある商品と話をしないといけないのです。お時間をいただけますか?」

「構いませんよ。見て回るのもこの店の楽しみです」

 老人が快く承諾してくれたおかげで、輝馬は早速、いつもの三人衆に話しかけた。なぜか、埴輪様が沈黙していた。

「埴輪様、話せますか?」

「……」

「埴輪様?」

「聞こえん。聞こえんぞ。おぬしの声など一切聞こえん」

「聞こえてますよね。実は大変な事が起きてるんですが――」

「わしは何も知らん。他を当たってくれ」

 どうした事だろうか。いつもの埴輪様なら、自分からいろいろ教えてくれたはずなのに。

 その時、隣の招き猫が首をめぐらせて、おずおずと言った。

「埴輪様は今、心が沈んでいるのだ」

「どうして?」

 猫の隣に鎮座する福助が答えた。

「埴輪様は己の出生の秘密を知ってしまった」

 すると、当の埴輪様が円柱の体を震わせながら嘆き始めた。

「一体どうしたの?」

「うう……私は大嘘つきだった。長年、我知らず、皆を欺き通してきた」

「埴輪様が嘘を? どういう事なの?」

 埴輪様は体を横にすると、自分の底面を見せた。そこにはこう刻まれていた。

『○×遺跡観光ホテル売店。2008年製造』

 さらには、『メイド・イン・チャイナ』

「何が弥生時代から生きている、だ? 弥生時代どころか君やそこのお友達と変わらん、平成生まれだったのだよ。しかも、外国生まれときたもんだ。そうとも知らず、わしはずっとここで生き字引や長老のように振舞って、君らを騙してきた。邪馬台国やら、古墳やら、戦国やら、皆、売店のテレビで知ったものばかりだ。こんな情けない話があるか!」

 寝ころんでいた埴輪様はタイヤみたいに転がり、そのまま台の上から落ちようとした。招き猫や福助、輝馬の手が咄嗟にそれを止めた。

「何をするのだ、埴輪様!」

「放してくれ。砕け散ってお詫びしたい」

「何も死ぬ事はないじゃないか。我々は何も騙されてはいない。そうだろ、皆?」

 輝馬も頷いたし、店内の骨董品も説得してくれた。

「埴輪様、聞いて下さい。あの人形の魂、ナギニが何かを始めたんです。このままほっておくと大変な事になる。何か知恵を隠してほしいのです」

「わしになんか聞いても仕方がないぞ」

「埴輪様しかいないんです。今までだって、僕を助けてくれたでしょ? 生まれなんか関係ない。埴輪様は埴輪様だよ。あなたの頭には日本史の教科書数冊分の情報が詰まってる。全部テレビの受け売りだけど」

「少年の言う通りだ。埴輪様は今日に生まれた若輩者だとしても、我々の長老だ。例え、産地偽装していたとしてもな」

「埴輪様こそ我々の頭脳でございます。地方の古びたホテルの売店の土産物であっても」

 招き猫と福助もフォローしてくれた。

「みんな……ありがとう……本当にありがとう」

「埴輪様、知恵を貸してくれませんか?」

 直立した埴輪様は、いつものような威風堂々とした佇まいを見せた。

「よかろう。いいかね、ナギニは我々八百万に自由を与え、人間から魂を奪っている。おそらく、それらを小石か何かに封じて、すべてを破壊するつもりじゃ」

「止められる方法はないの?」

「ナギニを元の人形に戻すのじゃ。さすれば、そこの女の子の魂も元の体に戻れるはずじゃ」

「でも、どうすれば?」

「あやつの前で本当の名前で呼びかけるのじゃ。そして、命じろ。物の器に戻れとな」

 輝馬が感謝すると、埴輪様はさらに付け加えた。

「ただし気をつけるがよい。ナギニもそれを知っておる。それに、彼奴は言霊を操る術を持っておる。名前を呼ばれると操られてしまうぞ。まともに彼奴と対面してはならぬ」

「はい」

「ナギニは八百万の国の女王になるつもりじゃ。そのために我々に自由を与えた。だが、我々八百万は人と共に生きている。大半が人のために作られた。人の世がなくして、我らは生きていけん」

「止めてみせます」

「気をつけるがよい、輝馬くん。それに如月神社の御曹司殿」

 素性を知っている埴輪様に、幸弥は驚いたようだった。

 輝馬は店を後にする時、店主にお礼をした。

「お邪魔しました。おじいさんも危なくなったら外へ避難して下さい」

「ありがとうございます。いいお客様に恵まれて幸いです。お気をつけて」

 老店主はそう告げると、禿頭を深く下げた。


      八


 地下街から地上に出た輝馬達の耳に、アナウンスが流れた。それは月子の声だった。

(兵庫県〇市からお越しの、相沢輝馬様、家族の方、ならびにナギニ様が探しております。至急、グランフロント大阪内施設ナレッジキャピタルへお越しください。なお、お越しいただけない場合は……ご家族の魂を頂戴いたします)

 輝馬は拳を握りしめながら向かおうとするのを、幸弥が止めた。

「ダメだ。きっと罠だよ」

「そんなの分かってる。でも行かないと愛奈が危ない」

 輝馬の手を振り払うと、歩道橋に向かった。霧が包む中、なぜか輝馬の周りだけが晴れていた。まるで道に迷わないように。それとも、誘い込むためなのか。とにかく、一刻の猶予もない。決着をつけないと、妹の身が危ない。

「冷静になって」

 背中に乗る月子が言った。

「僕は冷静だ。何もしないよりはましだろ?」

「このままナギニと会えば、あなたはきっと何もできないまま負ける。両親も愛奈さんも助けられない。それをあなたがよく分かっているはず」

「急にどうしてそんなに優しくなるの?」

「……輝馬くんに、危ない目に遭ってほしくないから」

 月子の言葉に、輝馬は立ち止った。頭の中の霧が覚めた。ナギニの術中に嵌っていたのかもしれない。この霧の中にいると、五里霧中という言葉通り冷静に物事を考えられなくなる。後先を考えずにナギニに出会ったところで、ろくに勝算がなければ愛奈は助けられない。

 輝馬は引き返そうとしたが、構内がどこにあるのか分からない。歩道橋の手すりにつかまり、何とか戻ってみると、幸弥の姿はなかった。

「幸弥!」

 無人の駅にむなしく響き渡る声以外に返事はなかった。

 彼を探そうとしたが、再びあのアナウンスが流れた。やや、テンポが速く聞こえる。

(兵庫県〇市からお越しの、ナギニ様が探しております。至急、グランフロント大阪内施設ナレッジキャピタルへ。さもないと……)

「クソッ!」

 輝馬はやはり、目的地へ歩き出した。策は何もないのは確かだった。だが、このまま手をこまねいていたら、愛奈の命が危ない。ナギニはここまで人間社会に干渉している。もう、人間の一人や二人を殺すのに躊躇などありはしないだろう。


       九


 グランフロント大阪は三棟の高層ビルからなる複合施設である。その中にあるナレッジキャピタルは、企業や大学による展覧会や講演会の会場のレンタルが行われている。夏休みが始まったばかりなので、来場者が行きかっているはずなのだが、この日ばかりは違っていた。

 いつか暇がある時に行ってみようと思っていたのだ、こんな日に足を運ぶ事になったのは皮肉なものだと、輝馬は思った。幾何学模様の床を歩きながら、頭上に広がる何層もの吹き抜けを見上げた。やはり、ここにも人の気配はない。しかし、どこかにナギニがいるはずだ。どこかに隠れてこちらをうかがっている気がしてならなかった。

 エントランスの中央に、大がかりな特設の舞台が用意されていた。入口に置いてあるパネルから、講演か何かが行われる予定だったらしい。

 舞台の前にはパイプ椅子が並べられている。前列には誰かが座り埋っていた。輝馬は急いでその面々を確認して一人に駆け寄った。

「愛奈!」

 だらりともたれながら妹を揺さぶったが、反応はない。それどころか、力なく床に倒れそうになり、慌てて支えた。目に光りはなく、虚空を見つめている。まるで、空っぽになった状態、人形に似ていた。

「魂を取られたの」

「ナギニの仕業か?」

「私の家族も」

 月子の言う通り、観客席に座っているのは、壱与野家の面々、そして数人の若者、どれもテレビのニュースに出ていた最近行方不明ばかりである。そして、輝馬の両親もいた。

「父さん、母さん……」

 二人もナギニに魂を奪われてしまった。どうして、ここに来ていたんだろうか? 愛奈が一人で帰ったのと関係があるのか。

 その時、人の気配を察知して、輝馬は舞台の上に立つ人影が捉えた。

 目もくれるような赤い着物に身を包んで、長い黒髪の女。いつか、《八百堂》で出会った月子である。あの頃と比べると頬が痩せている。青白い肌に薄い唇が潤っていた。今の彼女の体にとりつく付喪神のナギニの魔力によるものなのか、化粧なのかは分からない。

「ふふ……」

 ナギニが小さなく笑った。

「そなたに会いたいと思っておった。今日は誠によき日じゃ」

「妹を返せ」と、開口一番と、輝馬は共に彼女を睨んだ。

「それと、八百万を元に戻せ」

「まあ、急くな」

 ナギニは月子の顔を歪ませて失笑した。

「人外にものを喋り、動き回るのが、そんなに不服か?」

「それが元のままじゃないか」

 そう言った途端、上が騒がしくなった。吹き抜けとなった上のフロアを、小さな機械の群れが包囲していた。手のひらに収まるぐらいの大きさで、表面に液晶で占められた長方形の機体。それらはすべてスマホだった。表面の液晶が割れていたり、角が欠けていたり、汚れているのが目立つ。まるで、自分達の対決を見物しているギャラリーのようだ。

「物の心を知るそこもとなら、分かってくれると思ったが……」

 長い着物を引きずりながら、ナギニは舞台の上を歩いた。所作があまりにも芝居じみているのに、輝馬は苛立ちを覚えた。

「ほお……今時の小童にしては、やたら殺気立っておる」

「今は平安時代じゃない。時代遅れの人形め」

 ナギニはまるで楽しんでいる。

 輝馬はある事に気づいた。月子に似ているのだ。人形が人の真似をしているのか、それとも、月子が影響を受けたのか?

「そこもとは、わらわを誤解しておるようじゃ。わらわが乱心になって、人の世を滅ぼさんと欲する。そう考えておるのではないのか?」

「違うのか?」

「違う。八百万ではなく人を救うために、わらわは自らの命を持った。わらわはそう考えておる。我らの声を消えるようなそこもとが、お節介な人助けをするようにな」

 突然、広場が暗くなり、舞台のスクリーンに映像が映し出された。うず高く積まれたゴミの山、次々と伐採される森林、ヘドロで汚れた湖……まるで、学校の社会科の授業で見たような内容だった。

 映像は自然から人の姿を映し出していく。一人ベンチで座る老人、ゴミだらけの部屋で取り残された子供、毎日ニュースで取り沙汰される異国での戦火、難民、骨と皮だけの体でうつろな目を向ける子供……。

「どう思う?」

「平安時代の人形が環境問題と世界平和に関心があるなんて意外だな」

 いつもの減らず口が思わず出た。ややナギニが眉を吊り上げかけたのを見て、咄嗟に付け加えた。

「あなたは自分の力でこれらを解決できると思った。だから、今回の騒動を起こした」

「半分当たっておる。わらわはこの人と八百万の世を救いたい。いわば救世じゃ。じゃが、それらを為せるのはわらわではない。すべてを決めるのは……そなたじゃ」

「僕が?」

「そちは生身の人でありながら、我々八百万の声を聞く耳を持つ。やがて、言葉に宿る言霊が聞こえるようになり、さらに、それらに秘められた記憶も見えるようになった」

 ナギニの言う通り、五年の眠りから覚めて以来、輝馬には不可思議な力が宿った。そして、それは徐々に大きくなりつつあるのを感じた。

「元はと言えば、わらわも初めは物言わぬ人形に過ぎなかった。ある時突然、前触れもなく心という器が身の内に生まれた。考え、思う。そのうち、我欲が生まれた。しばらくすると、今度は手と足が自由に動くようになった。人心を操るまでに至った。因縁とは思わぬか?」

「僕はあなたのように魂を取ろうとはしなかった」

「それは怠けていただけじゃ。ただ、類まれぬ力を持ちながらも、何も為さんとは不実であろう」

「あなたは僕に何をさせたいんだ?」

「風を伝えてほしい言葉がある。そちはそれだけを言えば良い。後は風に乗った言霊が八百万から人の心へと染み込むだろう」

「それが僕の力なの?」

「そちは八百万の声に従い、言霊を介して様々な人に接した。時には心を癒し、時には傷つけた。それで人に変化をもたらしたのであれば、そちの力じゃ」

「あなたにはないの?」

「限られた力ならばある。例えば……相沢輝馬、石になれ」

 ナギニがそう言った途端、輝馬の体が硬直した。全身の鼓動が止まる。手足に力が入らなかった。しまった、と心の中で叫んだ。

「相沢輝馬、元に戻れ」

 ナギニの言葉と共に、輝馬の体に自由が戻った。思わずバランスを崩して、並んでいるパイプ椅子にぶつかった。

「人もまた八百万に過ぎん。万物の長とは思い上がりも甚だしい」

「わらわが人を操るのは、その者の名前を知っている者のみ、物言わぬ聴衆を見よ」

「皆に何をした?」

「魂を取ってやった。だが、すべて月子の知っている者ばかりじゃ。そなたの家にいた妹を尾行して知った」

「お前……」

 走り出そうとした時、ナギニはまた叫んだ。「相沢輝馬、足を止めよ」

 足が動かなくなり、つんのめって床に倒れた。

「さあ、話は終わりじゃ。わらわの要求に従ってもらおう。吹きかける風に念じろ。魂だけになり楽になろう、とな」

「どうしてこんな事をするんだ?」

「人の世は限界にある。わらわは人と虐げられる八百万のために、そなた達の心を自由にしてやる。疲れた肉体を捨て、魂だけの存在となる。それが人の世を、この大地を救う事につながる。そちもそう思うであろう」

 輝馬はナギニの言葉を理解できなかった。まるで支離滅裂だ。一つの答えが浮かんだ。狂ってる。目の前の付喪神は狂っているのだ。不相応な力と心を手に入れ、人形の器から抜け出た時から、この人はおかしくなったのだと思った。

「そして、この現世を器物達が跋扈する。かの絵師が描いた百鬼夜行は、魑魅魍魎ではない。人の変わり、この世を練り歩く新たなる民じゃ」

「狂ってる」

「無理強いはせん。もがけば、妹の魂を洋菓子に入れて、そなたの目の前で食って終わりじゃ」

「やめろ!」

「ならば従え。人の魂の救済、八百万の世のために。相沢輝馬、自由になれ」

 足の呪縛が解けて、輝馬はそのまま前に倒れた。膝小僧を床に強か打った痛みに耐えながら、舞台の上のナギニを睨んだ。

「どうして僕を操って、そうさせない。その方が楽なはずだ」

「自然の八百万は恐ろしい。生半可な存在の願いなど聞いてはくれない。邪に動けば雷が落ちて黒焦げにされてしまう。さあ、風に訴えろ。言霊を送れ、相沢輝馬」

 口が勝手に動く事はなかったが、ナギニは、恐ろしく歪んだ月子の顔を浮かべていた。このままでは本当に未奈も貴史達も殺されてしまう……。

「分かった……あなたの言う通りにする」

「言い心がけじゃ。案内いたそう」

 すると、ナギニは細い手で輝馬を招いた。

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