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第一章 冬の熊 (2)

 諸注意

 少年時代、大晦日の醍醐味と言えば、ド●えもん(旧)の三時間スペシャル、その後に控える二時間ものの超常現象検証番組(宇宙人だかUMAだか大槻教授とか出てくるの)でした。

    

      三


「気分は落ち着いたかい?」

「少しだけ」

「無理もない。さっきも言ったが、君ぐらいの子が数年の昏睡から目を覚まるのは、極めて珍しいケースだ。事実を話すのはいつにするべきか迷ったんだが、できるだけ早い方が悩む時間がほしいと持ったからなんだ」

「はい」

 輝馬は部屋の中を観察した。深谷医師の診察室には、おかしな物がたくさん置いてある。文様の刻まれた粘土細工の壺に、埴輪、土偶、振り絵が飾られている中、ひと際目立つのが、釣鐘の形をした物だった。

 輝馬の興味に気づいたのか、深谷が「これはね、銅鐸と言うんだ」

「銅鐸?」

「古代に存在した道具でね。何かの儀式に使われたらしいが、詳しくは分かっていない。もちろん、ここにあるのは全部レプリカだけどね」

 銅鐸には、四つの絵が刻まれている。棒人間が杵を振り上げている絵。弓矢や槍で獲物を追いかける絵。後の二つは削れていて詳細ではない。

 深谷はファイルを開いて、診察の結果を報告する。その度に、後ろに控える和郎と博美が一喜一憂しているのが気配で伝わる。

「体調は良好。後遺症はなし。今の君がしなければいけない事は、まず、体力造りだ。君は六年半ベッドに横になっていた。その間、骨や筋力は他の子よりも遅れている。今も歩くのは辛いだろ?」

「はい」

 ベッドのある八十六号室から診察室までは一直線だが、松葉杖と使い、おまけに薫の補助がありながらも、半分と行かずに挫折した。普通に歩けば一分もかからないだろう。輝馬は地団太踏みたい思いでいた。

「足の力は歩くのに必要なのは言うまでもない。手の力も、物を持ったり運んだりするのにも欠かせない。輝馬くん、君はリハビリを受けなければいけない」

「リハビリ……」

「正確にはリハビリテーション。事故や病気で体を不自由にした人が、元通り歩けるようにしたり、物を持ったりできるようにする訓練の事だ」

「リハビリはすごく大変ですか?」

「大変だよ。おそらくリハビリの先生をすごく嫌いになると思う」

「ぼくは、その、リハビリを絶対しないといけないんですか?」

「元の体に戻りたければね。君の足は歩く方法を忘れている。君の手も物を持ち運び操作する術を忘れている。現に、君はこの部屋に来るのに車いすや杖を使ったが、本当の輝馬君にそれらは必要ないはずだ」

 確かに車いすとかを使わないと満足に歩けなかった。まるで足に力が入らない。手もろくに手すりに捕まる事もできなかった。こんな状態が一生続くなんて嫌だ。

「あの先生、輝馬の知能についてはどうですか?」

 後ろから和郎がおずおずと質問した。

「どこまで勉強ができるかと言う事ですね」

「そうです。本来、この子の年齢はからして中学生ぐらいになる。しかし、勉学に空白がある以上、小学校を卒業するわけにはいかないでしょう?」

「学力については近日中に検査します。今の彼には負担が大きい。まずは基本的な体力の回復を最優先すべきです」

「しかし……」

「お気持ちは分かります。しかし、輝馬くんが覚醒したのは昨日の今日ですよ。焦る必要はありません。彼の親として、もっと気長に見守ってあげて下さい」

 諦めたように和郎は肩をすくめた。

「いいかい、輝馬君。先生は、君ができればリハビリを明日からでも始めてほしいと思っている。心の整理がついていないだろうから、どうするかは自分で決めなさい」

「本当?」

「輝馬くんは納得しないと思うが、今の君は十二歳なんだ。勉強がどれだけできていようが、それぐらいの年齢になったら、自分の事は自分で決めなければならない。だから、リハビリは強制しないよ」

 自分で決めなければならない。輝馬は深谷医師の言葉を飲み込んだ。

「やってみます」

「よく言ったね。リハビリの先生に君の件を伝えておくよ。今日一日家族と過ごして、明日からリハビリに励みなさい。自分のためと思って諦めないように」

「あの……リハビリの先生って、怖い人なんですか?」

 リハビリの話を聞いた時から、何となくであるが大柄な強面で怒鳴るような怖い人だと想像した。

 深谷先生は小さく笑うと、「心配しなくてもいい。彼は面倒見のいい男だ。親身になって、君をサポートしてくれる」

 それを聞いて、輝馬は少し安心した。余計な心配をせずにリハビリを頑張れる。

「まあ、少し厳しいせいか、小児科の子供らの中では評判はあまり芳しくないだがね」

 先生はそう付け加えると、また乾いた笑いを漏らして場を紛らわそうとした。

 もうちょっと考えた方がよかったかもしれないと、輝馬は少し後悔した。


       四


 二度目に目覚めたその日は昼頃まで、数え切れないほどの検査を受けた。午後になると、家族と一緒に眠気が襲うまで語り合った。実際、こちらは質問して聞く方に徹していた。家族にしてみたら六年も長い時間が経っているが、輝馬にしてみれば、事故に遭ってから目が覚めると、今に至ったのだから、文字通り浦島太郎の状態だった。

 自分に眠っている間に、色々な出来事が起きたらしい。東北を襲った大規模な震災、消費税増税、そして、二〇二〇年の東京オリンピック……。聞けば聞くほど、別の世界での話に思えた。

「眠っていた時、輝馬はどんな感じだったの? 夢とか見た?」

 母がそう聞いてきたが、答えようがない。夢などは一切見なった。かすかな記憶を最後に意識は完全に途絶えていたのだから。自動車のクラクション、タイヤの軋む音に遅れて体が浮き上がる衝撃、地面に叩きつけられた激痛、けたたましいサイレン、そして、気がつけば病院のベッドの上だったのだ。

「分からない。なんだか、スイッチが切れた感じだった」

 電源が切れていたというのが正しかった。

「皆の方はどう?」

 輝馬に質問に、父は一瞬黙り込んだが、「変わりないよ。父さんも母さんも相変わらずだし、愛奈は来年、小学六年生になるぞ」

 妹の愛奈は三人の輪から離れて座っていた。それを父は見咎めた。

「愛奈、お兄ちゃんがせっかく目を覚ましたんだ。何か話す事があるだろ」

「いいじゃないの、あなた。この子が最後に輝馬と一緒にいたのは幼稚園の頃なのよ。覚えているはずもないわ」

「まあ、確かにそうだな。急にお兄ちゃんと言われてもな。輝馬の方も妹がこんなに大きくなっていてびっくりしただろ」

 最初は驚いたのは間違いないないが、段々心が落ち着いてくると、なるほど、確かに幼稚園の頃のわずかに面影があった。小学校に上がって忙しくなる前は、時々面倒を見てあげた。あの頃は本当に泣き虫でよく頼ってくれたものだった。

 結局、夕方になるまで愛奈は何も言わなかった。けれど両親と会えただけで、輝馬は満足だった。早く退院して家に帰りたい。その気持ちを秘めたまま、明日からあるリハビリに気持ちを切り替えた。

 そして、リハビリの初日――。

 看護師の薫に案内されて、ジャージ姿の輝馬は訓練室の前にいた。病院から借りた赤いジャージのサイズはピッタリだが、少し気恥ずかしく思った。「輝馬くんはカッコいいから赤は似合うよ」と薫が褒めてくれなかったら着なかったに違いない。

「ここから一人でいけます」

「本当に大丈夫?」

 輝馬は車いすを不器用に動かしながら、部屋の引き戸を開けた。あまり薫に迷惑をかけたくなかったし、一人で頑張れるところを見せたかった。

「水島先生は頑張り屋さんだから、きっと輝馬くんと馬が合うと思う」

「ありがとうございます。じゃあ、行ってきます」

 輝馬は一人で広い訓練室の中へ車いすを進めた。まだ誰もいない。早く来たせいかもしれない。その部屋には、壁際にマットが巻かれ、体育の授業で使うような用具や、大きなボールが何個も置かれていた。スロープや階段も設置されている。

 一分も経たないうちに、ジャージ姿の青年が足早で入って来た。輝馬よりも先に明るく挨拶した。なんだか、せっかちそうな印象だった。

「こんにちは、相沢輝馬くん。僕は、君の担当になった水島です」

 水島と名乗った青年は、少し地味な鼠色のジャージを着ている。挨拶とは裏腹に暗い感じがする。表情が乏しいせいだろうと、輝馬は思った。履いているスニーカーも長く使っているのか、白い部分はほとんど見当たらない。

「さっそくだが、訓練を始めさせてもらうけど、準備はいいかな?」

 見た目通りの言葉に、輝馬は背筋を正した。

「言わずもがな、お互い初対面だ。緊張をほぐすために世間話から入るのが定石だが、生憎、僕はそんな馴れ合いが苦手だ。それに、君には話のネタもないだろうし」

 少しひどい言い方だが、違うという訳ではない。

「なんたって、君は六年半も眠っていた。つまりだ、同世代の子より六周半遅れている事になる。このロスを取り戻すのは容易ではない。一日一歩、三日で散歩、散歩進んで二歩下がるみたいな、マイペースでは話にならない。分かるね?」

「はい」

「毎日が駆け足になる。今年中に車いすを使わずに歩き、重い物を運べるぐらいに回復するのが、最低の目標だ。それさえできなければ、紅白歌合戦を見ながら年を越させないから、そのつもりでいてくれよ」

「紅白は観ません」

「では、裏番組の異種格闘技はどうだね?」

「暴力は嫌いです」

「じゃあ、あれはどうだ? お笑い芸人が笑うと尻を叩かれる番組」

「テレビはあまり見ません」

 ついでに、ズケズケと言う先生も嫌いです。そこまで言うのはさすがに我慢した。

「そうか。やはり話のネタはないな。いい傾向だ」

 水島は自分だけで納得してしまうと、次に一枚の大きな紙を張り出した。

『奇跡の少年、相沢輝馬くん完全復活計画!』――と、派手なタイトルの下に、今日から来年二月までの予定が一時間刻みで書いてあった。朝八時から、三回の小休止と昼食を挟んで、夕方五時までの一日八時間、基本的な動作の訓練で埋められている。かなりのハードスケジュールだ。

「僕のリハビリを受ける上で、三つのルールを説明する。一つ、全部の課目を終わらすまで弱音を決して吐かない。二つ、僕を尊敬はしなくてもいいから、とりあえず指示には従う。そして三つ目、訓練は健康体である限り、サボらず毎日参加する。いいね?」

「はい」

「よし。まずは車いすから降りたまえ」

 輝馬は言われた通り、ゆっくりと車いすから降りようとした。さすがに一日経てば、直立のままでいられるが、両足が震えてぎこちない。

「本来の君に車いすは必要ない。本当に必要にしている者が、この病院にたくさんいる。彼らのために早く譲ってやるんだ」

 輝馬は拳に力を入れながら踏ん張った。その手にもあまり力が入らない。

「ラジオ体操から始めよう。訓練前には必ず行う日課とする」

 ラジオ体操は学校の体育で模した事があるので難なくできると思った。ところが、いざ始めると動く度に体が悲鳴を上げた。一つこなすと中断したが、水島は何度も再開させる。

「君の骨は長く動かしていなかった事で、全身の関節が凝り固まっているのさ。そもそも関節というのは、骨と骨を繋ぐ筋肉、そして、靭帯という細かいゴムからなる。これらは適度に使わずに、同じ姿勢のままでいると動かなくなってしまう。何を言いたいか分かるかい?」

「……分かりません」

「人は生きる限り、常に動き回らなければならん、というわけだ。ヘビーな話だろ」

 ラジオ体操が終わった頃には、満身創痍の状態だった。冬なのに全身が汗だらけで熱で火照っていた。全身が強く締め付けられるような痛みのせいで、松葉杖で支えて立つのがやっとだった。

「午後は少し早めにする」

 水島はそれだけ告げると、訓練室を後にした。

 輝馬はその背中に舌を向けた。あいつは、人を痛めつけるのが好きに違いない。初日を終えないうちに、水島が嫌いになった。あんな人と数カ月もマンツーマンの特訓をすると思うと、限りなく憂鬱な気分になる。

 午後の部では、手すりに捕まりながら、訓練室の周りを何周も歩かされた。一周歩く度マットの上でマッサージをするのだが、これがまた激痛の嵐だった。足が骨抜きにされたみたいに力が抜けて、何度も床に着いたが、その度に水島に無理やり立たされる。

「君の足は骨折してはいない。昏睡の間、それ相応に育ってくれたんだ。問題は筋肉だ。一切動かないままでいるから、運動を忘れてしまう。体に運動を思い出させろ」

 水島の解説を横で聞きつつ、輝馬は両手で手すりにつかまって、すり足で移動しようとした。すかさず、叱咤が飛んだ。

「足をもっと上げて。それが徒歩なら、靴底がすぐにすり減るぞ。靴屋が儲かる歩き方だ。ちゃんと片足ずつしっかり持ち上げて歩きなさい! そうだ、その調子」

 まだ一周もしていないのに、膝まで上がらない。輝馬は少しずつ足を上げて、一歩一歩をゆっくりと歩いた。

 三周目を歩く頃に支えから手を放して、床に座り込んだ。

「少し休ませて下さい」

「ダメだ。もう二周分頑張りなさい」

 冗談じゃなかった。もう足は動かない。歩けるはずがない。

「街中で今と同じ事をしてみろ? 恥をかくのは君だ」

 ここは外の世界じゃない。座っていてもいいはずだ。

「これを使え」

 水島が松葉杖を渡してきた。

「休むとそれが癖になる。人間と言うのは楽を選ぶ生き物だ。だが、今の君はいやでも苦労しないといけない。今を怠けたら、この先の苦労はどうなる? 自分の力で立って歩きなさい」

 輝馬は松葉杖を支えにして立ち上がると、それを脇に抱えて歩き始めた。歯を食い縛り、唇を噛み締める。どうして、こんな目に遭わなければいけないのか。自分が何をした? こんなの不公平だ。心の中で不平不満が止め処なく湧き上がる。

 目を覚ますと、六年近くも経っていただって。あまりにも馬鹿げてる! 一年生の次が中学生なんて、飛び級じゃあるまいし。家族もそうだ。何も変わっていないとアピールしながら、ちゃっかりと年を取っている。勝手に老けこんでいる。愛奈もそうだ。まるで他人みたいに振舞っている。喧嘩だってした事がないほど仲が良かったのに。

「その調子で続けるんだよ。継続こそがゴールへの近道だ」

「嫌いだ」

「何だって?」

「水島先生も、痛いのを我慢して歩くのも、なにもかも全部嫌いだ」

 ハッとして、輝馬は黙り込んだ。イラついた気持ちで、つい本音が濁流みたいに口から漏れ出たのか。彼は頭を下げて黙々と歩行を続けた。

「それでいい。大人への反抗は思春期の証だ。君の精神は年齢に追いつきつつある。いい傾向だ。もっと反抗しろ。ただし歩くのは止めるな」

 ホントにやな奴。輝馬は嘯きながら、淡々と科目をこなしていった。

 大人になって久しい今、大晦日は懺悔の日。あと数時間で一年が終わる。今年も無駄に過ごしてしまった……。来年こそは後悔しないように、と毎年同じ抱負に至るのでした。

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