第五章 窓木 (3)
五
「ねえ、相沢さ」
「何?」
「絶対おかしいと思わない。この組み合わせ」
「別に」
「絶対間違ってる」
「言いも悪いも関係ないよ。クジで決めたんだから、確率の問題だと思う」
「さすが年が上だと賢いよね。中途半端に」
「中途半端は余計だよ」
最後尾を歩く美紀から漏れた不平を、輝馬は一蹴した。
二人の前を、黙って自分について来いと言わんばかりに、聡太が大手を振りながら大股で進み、一年生と三年生の男子が彼に不安な面持ちで付き従っている。
毎年恒例らしい肝試しは、クジで選ばれた五人ペアで順番に鎮守の森に足を踏み入れていくというものだった。
ルールとして、森の中にある大木の真下に置かれているであろうメダルを持ち帰る。当たり前だが、道に迷わないように、木々を沿ってロープが張られており、等間隔に提灯がぶら下げられている。住職が昼間のうちに作っておいたものらしい。
輝馬は、美紀と聡太と三年と一年の男の子。幸弥、里桜、梓はそれぞれ別のペアになった。
愛奈は頭痛を理由に参加しなかった。どうせ仮病だろう。妹は小さい頃から暗い場所が苦手なのだ。
「幸弥くんに譲ってあげたらよかったかな」
「相沢だって、里桜とペアになれなくて残念だったね」
「別に」
美紀の文句にはうんざりしていたので、適当に言ったつもりだったが、思わぬ地雷を踏んだらしい。間髪入れずに、彼女の拳が輝馬の頭を叩いた。かなり痛い。
「何すんだよ!」
「相沢は、里桜といるのがそんなに嫌なの」
辺りは薄暗いが、怒気のはらんだ美紀の瞳が突き刺さるのが分かる。輝馬が何かを言う前に、早足で彼を追い越していった。
輝馬もペースを速めて、美紀の横を歩く。
「僕が福田さんに悪い事でも言った?」
「里桜は関係ない。単に、あたしの虫の居所が悪いだけだから」
虫の居所が悪いというだけで、ぶん殴られた側はたまったものじゃない。
「嘘つくなよ。福田さんだろ?」
美紀がこちらを振り向くと、有無を言わさず、輝馬の頭に二発目をお見舞いした。先ほどよりも数段痛かった。
「分かってんならあたしに聞くなっつうの! 里桜を振ったのはあんたの勝手だよ。勝手だけどさ、まるで何事もなかったかのように振舞うなよ!」
「待ってよ。僕は福田さんに告白はされてない。彼女を断った覚えもない」
「じゃあ、なんで、あの子は泣いてたの?」
輝馬は仕方なく、里桜との経緯を説明した。友達がいじめで転校した部分は黙っていた。
「そっか……あの子はまだあの事を悩んでいたんだ」
「知ってるの?」
「うん。知ってるも何も、転校したその子は、あたしなんだから」
美紀は涼しげな顔でさらりと言ってのけた。
輝馬は理解できずに「え?」と聞き直してしまう。あまりにも意外だが、しっくりこない点がある。件の子は転校したはずだ。
「あたしね、四年生の頃に一度転校したんだ。だけど、去年の春にまたあの学校に戻ったの。家族に思いっきり駄々をこねてさ」
「どうして、そうまでして?」
「逃げたくないって思ったからかな。いじめに遭った奴がなんで逃げなくちゃいけないのがおかしくてさ。逃げるのは平然と人を傷つけた奴の方だろ。あたしがあの学校から逃げなくちゃいけない理由なんてないの。親や先生は、転校してもいいって進めたけど、あたしにも今いる世界から消えろ、そう言われた気がしたから、余計にショックだった。あの時のあたしは、里桜よりも内気だったの」
下川原小学校に再編入した美紀は、偶然にも里桜と一緒のクラスになった。最初はお互いに距離を置いていたが、次第に美紀の方が話しかけるようなったという。いじめの件を話題にする事は決してなかった。
「福田さんを憎んだりはしなかったの?」
「しなかったって言えば嘘かな。逃げてばっかりのあの子を怒鳴り上げて、とことん追いつめてやろうとも思った時もあった。でもさ、あの子はあれで必死だった気がするの。本当の事を話していたら、あたしの代わりにいじめられる。あの時、里桜は自分を守るので精一杯だっただけ」
「それでもおかしい。なかった事のように振舞うなんて」
そう言うと、美紀は首を振った。
「なかった事にはできないよ。いくら仲良くなっても、消えてなくなるわけじゃない。あの思い出は、あたしとあの子の間で古い溝として残り続けるの。いい思い出と混ざり合って。これからもずっと。それでもね、あたしはずっと、里桜と友達でいたい」
「そうだったのか……」
言霊が描いた過去の風景には、描ききれない続きがあったのだ。輝馬は、人のつながりの深さを思い知った気がした。
「もしも、あの子が告白してきたら、その気がなくても優しく断ってあげてね。里桜はいつも自分を守りながら生きているだけなんだから。でも、あの子を泣かしたら承知しないから、そのつもりで」
それはハードルの高い希望だと思う。しかし、真剣な眼差しを放つ美紀に押されて輝馬は約束すると、やっと小さな笑顔を覗かせた。
「あ、そうそう、ずっと言い忘れてたんけど、幸弥を助けてくれてありがとうね」
美紀はそう言い残して、先頭の聡太の横に並んで一緒に大声で歌い始めた。輝馬も思わず彼らの列に加わった。
六
肝試しの目的地に着くと、聡太が悲鳴を上げた。目の前に立つ大木を指さした。
「あれ、坊主が言ってた窓木じゃねえか」
細い木々の中に立つ一本の大木。その幹は途中で輪になっていた。風穴の向こうには、吸い込まれそうな闇が広がっている。今にも何かが飛び出してきそうだった。
「ほんとにあったんだ……舌を抜く女も出てくるかな」
「そんなわけないじゃないの」
美紀が早速巻物を見つけた。さっきまで勇猛果敢だったはずの聡太は、「は、早くトンズラしようぜ」とうろたえている。
それにしても――輝馬は、目的地の大木の周りを見渡した。森の中なのに、やけにゴミが落ちている。空き缶にたばこの灰皿、雑誌、スナック菓子の袋、中には弁当箱まで捨てられていた。大木にも落書きがしてある。
「ひどい有様だね」
「地元は馬鹿ばかりなんだよ。暴走族とか大学生とかがここをたまり場にしてんだ。坊主が言ってたけど、いくら掃除をしてもゴミは減らないんだって」
「鎮守の森じゃないの、ここって」
「そんなの、ここらじゃ誰も信じてないよ。信じてんのはあの坊主ぐらいだ」
耳をすませると、捨てられた品々の声が耳に入ってくる。
(我々をゴミと言わんでくれ)
(私らからすれば、あんた達人間の方がゴミよ。こんな所に私達を捨てて)
(よくここで僕らを捨てていけるものだ)
捨てられた物達が口々に訴える。輝馬は大木の方へ近づいた。幹の横面に突き刺さるものが見えた。スキーに使う棒だった。それを掴んで、力一杯に引き抜いた。
「何やっての、相沢。早く帰ろうよ。こんな薄気味悪いところにいたら、本当に何か出てきそう」
さすがの美紀もおびえた様子をしている。器物達の訴えを肌で感じ取ったのか、わずかに鳥肌が浮いている。
「今から言う事を笑わずに聞いてくれる」
班のメンバーを目の前にして、輝馬は言った。
「ここに捨てられているのを片づけようかなって」
ここに捨てられている物の八百万が訴えているんだ、なんて口が裂けても言えない。二人の反応は予想通りだった。美紀は呆れるように溜息をつくし、聡太は早く帰ろうと何度も言う。
「僕一人でやるから、先に帰っていいよ」
リュックの底には、下着やタオルを入れておくための袋を持って来ていた。輝馬は底に入るだけのゴミを集めて、余った物は一か所に集めた。途中から総太と美紀も手伝ってくれた。
「これでよし。さあ、帰ろうか」
(ありがとう……)
大木がかすれた声を発した。もちろん、美紀や聡太には聞こえない。八百万は器物や自然に宿る。最近分かって来たのは、昔からあるもの(例えば、《八百堂》の埴輪様や古い木々)ほど、老練で老人を思わせる雰囲気を思わせ、逆にスマホや車など現代の器物ほど、若々しく声を出す。
(どういたしまして)
輝馬は無言の言霊を放った。八百万との会話を無言でもできるのだから便利だ。一人で声に出してばかりいるのを、事情を知らない者からすると、頭がおかしくなったと思われてしまう。
(君が輝馬だね? 驚く事はない。我らの声を持つ童がここへ来る。西の風が運ぶ噂でそう聞いた)
(へえ、そうなんですか)
風の八百万が運ぶ情報は、ネットよりも速く正確だ。まさか、こんな田舎にまで及んでいるとは思わなかった。
(あなたが鎮守の森にある窓木ですか?)
(私の事が、人間の耳から口、口から耳へ伝わっているのは知っている。低俗な作り話に過ぎん)
やはりあの和尚の作り話だったか。
(私は、君達人間が生まれる前からここで育ってきた。深い森に守られ、川と雨の恵みにより、今日まで年輪を重ねた。だが、君のような童に会うのは何百年、何千年ぶりだ。古の力を残す人間が減った証であろうな)
(刺さってた刺は抜きました。痛かったでしょ?)
(ここに集まる若造は詰まらん事ばかりする。亡者だの、物ノ化など、この世にはおらん。人の作った幻に過ぎん)
(八百万の神様はいます。それでだけでも不思議だと僕は思います)
(我々にとっても同じだ。人間ほど奇奇怪怪な種族はおらん)
「相沢、ボランティア活動も終わったし、早く帰ろうよ」
美紀が欠伸をしながら催促する。
「ちょっと待って、珍しい木だから少し見てから帰る」
「ちぇっ。相沢はいつからエコロジストになったの……」
(刺を抜いてくれてありがとう。お礼をしたいところだが、私は木だ。人にできる事と言えば、体を切らせてやるぐらいしかないが)
(そんな痛い事はさせないよ。ただ、教えてほしい事があります)
輝馬は今まで頭の中で考えていた質問を言霊にした。
(僕の力は、なんだか少しずつ強くなっている気がするのです。最初は八百万の声しか聞こえなかったのに、言霊も聞こえたり、言霊から昔の風景が見えたり……。僕は一体どうなるんですか?)
大木はしばらく沈黙していたが、やがて声が聞こえ始めた。
(私の窓が見えるかね?)
(はい。見えます)
三メートルぐらいの高さに、窓のように円に歪曲する幹の部分があった。
(ここまで登ってこられたら、君に教えよう)
輝馬は少し悩んだ末、足をかけられる箇所を探した。「今度は何してんの?」と問い質す美紀に、「見れば分かるだろ。木登りだよ」と返す。うまい具合に手足をかけながら、やっとの思いで大木の窓に辿り着くと、そこに腰かけた。
(よろしい。窓を覗いてごらん)
窓の向こうには他の木々の枝葉が映るばかりであった。そう思っていると、急に白い光が中心に光り始めた。
窓が映画のスクリーンのように、光景を映した。
草原をかける人の群れ。荷馬車を駆っている。彼らの着ている服は、幾何学模様の布を重ねたものだった。髪を黒光りする飾りで留めている。男女ともに服を着こみ、装飾品を身に付けている。古代人にしては洗練されている。
(これは、私が君よりも小さかった時の記憶だ)
(いつの時代ですか?)
(君達が、縄文時代、旧石器時代と呼んでいる時よりも、はるか昔の時代だ。その頃、高度に発達した文明があった。彼らを古の民と呼ぶとしよう)
映像が変わる。
彼らの住む集落が見えた。いや、村と言うより、町と呼んでも過言ではなかった。石造りの建物が軒を連ね、水路が至る所に走っている。広場には噴水まである。
(彼らがここまで発展したのは、機械による文明ではない。聞こえざる耳と言わざる口を持っていたからだ。今の君のように)
彼らが「岩」と呼ぶと、目の前の岩肌が勝手に削れた。手を使わずに家を建築してしまう。広がる畑は自然に実り、太陽と雨と風が稲穂を垂らす。
(まさか、八百万に言霊を送ったのですか?)
(そうだ。古の民は森羅万象と通じていた。彼ら自身も万物の一部だった。故に、彼らは自然と尊び、共存共栄を旨としていた。もちろん、彼らの心は透き通っていた)
牧歌的な映像が切り替わった。
一人の男が何人もの村人に捕縛されている。男の手には木の実が握られていた。すぐそばに布に包まれた物が置かれている。その端からはみ出る青白い足に、輝馬は戦慄を覚えた。
「あの男の人は、木の実を盗むために人を殺した……」
誰かが教えた訳でもないのに、何となくそう思った。
布袋の横で幼い兄弟が泣いている。亡骸はこの子達の母親だろう。
(一人の欲が一人の命を奪い、一人の悲しみ、そして、一人の憎しみを生んだ)
兄と思しき少年が手に持った鍬を捨てると、燃える瞳を男に向けた。そして、何かを口走った。すると、男が力なく倒れた。白目をむいて、口と耳から赤い泡が溢れさせて。
恐ろしい光景を目の当たりにしながらも、輝馬は自分でも信じられないぐらい冷静でいられた。
「男の名前を呼んだんだね。死を望みながら」
言霊で万物を操る人にとって、彼ら自身もまた万物の一部に過ぎない。名前を呼び、命令するだけで他人の心を操ることもできる。だが、それは彼らのタブーになっていたはずだ。誰もが、それを乱用すれば文明など容易く壊れてしまう。
(そうだ。この少年は禁忌を破った最初の人間。人の子であるならば、誰が非難できようか。だが、これがきっかけとなり、裂け目は広がり、すべてが瞬く間に決壊した)
窓木の声の言う通り、今まで抑え込んできた人の欲望が、濁流のごとく国から国へ伝播していく。まるでインフルエンザのように人心を蝕んで、道徳やモラルを腐らせていく。不和、喧嘩、犯罪、内紛……そして、国同士の戦争。雪だるま式に膨らむ憎悪が、森羅万象の小国を赤く染めた。やがて、紛争が国同士の争いに発展していく。
人々の意識に根づいた疑心暗鬼。名前を知られたら殺される。名前を誰にも教えるな。誰も信じるな。他人を疑え。自分より弱い奴はだませ。一度崩れた心の壊乱は、純粋に戻る事を決して許さない。
目まぐるしい血の歴史に、輝馬は知らず涙を落した。
やがて、自分の名前を知られないように、人々はお互いに名前を隠すようになった。誰が自分の命を狙っているか分からない。隣人、友人、もしかしたら家族にいるかもしれない。心の不和は恐慌に形を変え、内部から殺戮をもって集団を崩壊させていった。緑の草原は死屍累々で埋め尽くされた。腐った肉の腐臭がどこへ行こうと立ち込めて体にこびりつく。長い戦乱が終わる頃、すっかり人のいなくなった国の残骸だけが残り、長い年月をかけて風化と共に土へ還っていく。
映像が唐突に終わり、窓の向こうが元の暗闇に浮かぶ木々に戻った。
(数百年続いた戦乱は終わった。が、人の心に取りつく闇は消える事はなかった。古の民はいつしか八百万との疎通を忘れていった)
「この人達はどうなったの?」
(自分の手足を疎かにしてきた彼らに、耳と声を失った事で生きる術はなかった。だが、それは彼らが自ら選んだ未来に他ならない)
人は一度絶滅した。そして、正史の旧石器時代の原人からやり直したというわけか。
「自分達の力の恐ろしさに気づいて、自制できればよかったのに……」
(君と同じ考えに至れば、古の民はもう少し長生きできたかもしれんな)
「僕の力も古の民と同じなんですか?」
(先祖返りだ。力がこのまま続くか、徐々に弱まって消えるかは、残念ながら私には答えられん)
つい一週間前の出来事を思い出した。実との喧嘩により、言霊がどれだけ恐ろしいのかが分かった。
「僕は間違った事をした。いじめっ子に仕返しするのに、八百万と言霊を利用した。あの時、自分の力がいかに恐ろしいか分かった」
(だが、君は傷を癒しにここへ来た。自分だけではない、素晴らしい朋輩達に導かれて)
「はい。美紀も幸弥も里桜も大切な友達です」
「あ・い・ざ・わ!」
その時、下から美紀の大声が聞こえた。
「そろそろ帰りたんだけど?」
「ごめん、今降りるから」
「ありがとうございました」
(こちらも礼を言う。少年よ、これから何が起きても自分を見失ってはいけない。この世は不条理だが、自身の道で決められるのは己しかいない)
「はい」
(気をつけるといい。嵐が近づきつつある。不穏だ……)
大木はそう言い終えると、まどろみの寝息を立て始めた。
静貞寺の門前に戻って来ると、心配する住職や幸弥達に迎えられた。美紀が遅れた理由を不平たっぷりに説明した。結果として住職は感心された。
「最近の都会の子供は偉いな。やはり幸弥の友人だ」
当の輝馬は窓木の言葉を何度も頭の中で反芻していた。




