第四章 となりの声 (2)
三
マンションの近くにはコンビニしかなかった。
スーパーまでは徒歩では遠い。炎天下を自転車で走るのも面倒だ。結局、距離が近い理由からコンビニを選んだ。
普段、あまり立ち寄らないせいか、コンビニのボッタクリな値段に驚かされた。それでも時間の節約と自分を言い聞かせながら、割高なバナナとプリンを買ってしまった。月子人形の痛い出費といい、金難の相でも出ているのかもしれない。
買い物を終えて炎天下を走り、やっとマンションの廊下まで戻ると、相沢家の左隣の鏑木家の扉をノックした。しかし、返事はない。
「約束通り買ってきたよ」
なお、返答がないので、輝馬は郵便受けの隙間から、バナナとプリンを入れた。部屋に戻り、壁を数回叩いて返事を待った。
「約束通り、ポストに入れといた」
「恩に着る」
小さな子供にしては妙な言い回しだな。輝馬は壁にもたれて腰を下ろした。
「ドアぐらい開けてくれてもいいんじゃないの?」
「すまん。おれは歩けないんだ。リサは目が見えない。おまけに立っていられないぐらい疲れている」
「リサって、君のお姉さんか妹? 君の名前はなんていうの?」
返事はなかった。挨拶はこちらからしろというわけか。
「僕は輝馬。相沢輝馬。十三歳だけど、訳があって小学六年生なんだ」
「名前に負けず、おかしな状況だな」
「名無しの上に、隣から食べ物を乞うよりはマシだと思うけど」
「まあ、そう腐るなよ。おれの名前はマサル。もう一人の子はリサ。おれ達は血のつながりのない家族だ」
リサとマサル……。顔の見えない隣人の姿を、輝馬は想像した。少なくとも、マサルは生意気なそうな奴に違いない。
「君達の親はどうしてるの?」
「あいつらはもう帰ってきやしない。おれらは捨てられたんだ」
「仕事で出かけたとかじゃないの?」
「仕事だって? あいつらが仕事なんかしてるわけがない。昼間から酒を飲んで、球を転がす遊びに金をつぎ込み、それに負けて機嫌が悪いと、リサをいじめやがる。自分をかばうことも、逃げることもできない、目の見えない子をだぞ。いなくなった方がせいせいすら」
虐待。マサルの言葉から思いつく単語が脳裏によぎる。
「親父には言うなよ」
「でも、警察や児童相談所とかに助けてもらわないと駄目じゃないか」
「信用できねえよ。今まで誰も助けてくれなかった。一度助けられた事もあるが、あいつらが騒ぐと、簡単に手放しやがった。結局は他人事なんだよ。他人の家のガキがどんな目に遭おうが、自分の子供さえ元気で健やかなら、奴らはそれでいいのさ」
輝馬は反論できずに黙っていた。歯がゆい気分だが、父の言葉を思い出すとあながち間違いではなかった。
「俺はどうなってもいい。だが、リサはあまりにも可哀想だよ。まだ四歳なんだぞ。幼稚園や保育所、公園にだって行った事もない。その上まで親に愛されなかったなんて、神様はリサに死ねといっているようなもんだ」
マサルは彼女の兄なのかもしれないと思った。同じように妹を持つ自分とは他人ごとではない気がした。こっちは死ぬほど恨まれているが、それでもまだ家族として一緒に暮らしたかった。難しいかもしれないが、長い時間をかけてでも溝を埋めたかった。
「マサルは優しい家族だよ。僕なんかよりもずっと立派だ」
「お前は兄弟がいるのか?」
「妹が一人いる。愛奈っていうんだ。でも、今は別々に暮らしてる。愛奈は僕の事を嫌ってる」
「喧嘩したのか?」
「ううん。僕が悪いのさ。長い病気でずっと両親が付きっきりになって、あの子はずっと一人だった。二人の愛情を、僕が一人占めしたせいだ」
「病気だったんだろ。それならそれで仕方がない」
「でも、両親が離婚したんだ。僕のせいで家族はバラバラになってしまった」
――お兄ちゃんなんか、死ぬまで眠っていたらよかったんだ。
病室で言われた言葉が今も胸に突き刺さったままだった。その針を抜く努力をするのはとうに諦めた。実奈はきっと、自分を憎んだままだろう。忘れようとした病室での記憶がよみがえり、閉じた目から涙を漏れた。嗚咽がマサルに聞こえないか心配だった。
お互いに押し黙ったまま、壁越しの会話がしばらく途切れた。開いた窓から涼しい風が入り、頬をかすめる。この近辺には緑が少なく、セミの鳴き声はあまりしない。飛行機が過ぎ去る音が響いて、ベランダの窓を震わせた。
「きっと元に戻れるさ」
マサルの声がした。先程より低くなったみたいだった。
「そう?」
「ああ。」
「血を分けた兄妹ならいつかきっと仲直りできる。お前の親もそうだ。時間が過ぎれば、大切な物に気づく」
「マサル?」
なんだか、マサルの声がツギハギみたいに途切れ途切れになっている。
「リサの親は、最低だった。だから、せめて……俺だけでも、最後まで……そばにいてやりたい」
何だか様子がおかしい。
「どうしたの、マサル?」
「切れそうだ、電池が……まったくよ、本当に不便な体だよ」
「何を言ってるんだよ!」
「食べ物くれて、ありがとうな、てる、ま――」それが最後だった。何度呼びかけても、反応がない。
輝馬は裸足のまま外に出ると、隣のドアを叩いた。
「ドアを開けてよ!」
反応がない。さっきまで当たり前のように話していたのに。
輝馬は郵便受けから顔をのぞかせた。部屋の中は薄暗く、奥の部屋はカーテンで閉め切られているようだ。だが、隙間から漏れる光りで部屋の真ん中に横たわっている誰かを見つけた。スカートをはいている。リサに違いない。マサルの姿は郵便受けからは見えない。
「リサ! 起きるんだ!」
呼びかけるが反応はない。輝馬は廊下に人がいないのを確かめると、鏑木家のドアに向かって呼びかけた。
「僕の声が聞こえますか? 僕はあなたの声を聞く事ができる人間です」
(……うむむ)
低い唸りが聞こえた。もう一度、やや強い調子で質問した。
「喋られますよね」
(何用か?)
鏑木家の扉の声は、気難しそうな老人のイメージだった。いかにも融通の効かない、頑固じいさんといった風情で、嫌な予感がしてならないが、今は一刻を争う事態である。あまり遠回しに言わずに、単刀直入に頼むのが無難だろう。
輝馬は身も蓋もなくこう言った。
「ドアを開けて下さい」
(ならん)
「中に小さな子供がいるんです」
(ならば、余計にここを開けるわけにはいかん。吾輩は、この部屋を守る最後の砦だ)
最初の砦はどこにあるんですか? なんて尋ねようものなら、きっと元の木阿弥だなと思いつつ、今度は言葉を選んでみた。
「あなたが守る部屋の中には、小さな子供が二人いて、親は一週間も帰っていないんです。このままだと、彼らは飢え死にしてしまう。さっきまで、男の子と話していたから、まだ間に合うかもしれません。お願いだから、ここを開けて下さい」
(化けの皮が剥がれたな、忌々しい小童め。お前は嘘をついたぞ)
「嘘なんて言ってません」
(我が家人は三人。子は一人しかいない。嘘つきはコソ泥の始まりとはよく言ったものだ)
「そんなはずないよ」
(とにかく、ならぬものはならぬ! 賊にここを開けさせるわけにはいかん。吾輩を開けられる唯一の存在は、御鍵様だけだ)
「おかぎ様?」
最初は、お菓子のせんべいかと思った。
(左様。別の名にキーとも呼ぶ。そして、それを持つ家人だけが、私の錠前を外す資格を有している)
「だから言ってるじゃないか。ここの人達は子供を捨てて出て行ったんだ」
(ああ、聞こえんなあ。吾輩は耳が遠くなってのお)
ドアの声は急に年寄りみたいな口調になった。完全に馬鹿にされている。
輝馬は我慢できずに汗まみれの顔を拭いた。外の気温は太陽の南中により、その日の最高潮に達しつつあった。通路の手すりから向こうに広がるオフィス街や、その彼方に屹立する梅田スカイビルが揺らいで映る。込み上げる苛立ちにとうとう根負けし、輝馬はドアを強く蹴った。
「開けろよ、人の命がかかってるんだぞ、この馬鹿ドア!」
つい暴言を吐いてしまい、輝馬は慌てて口をつぐんだが、覆水盆に返らず。
(汝のために開く事は未来永劫あり得ない)
噛み締めるような宣言が耳に流れたきり、扉は無言を貫いたままであった。
こうなったら別の手段しかない。ここはマンションだ。マンションには管理人がいるはずだ、確か、須貝という初老の男だった。外から来る人にはもちろん、住人にさえニコリともしない不愛想な管理人だった気がする。だが、今は一刻を争う時だ。
輝馬は階段から一階まで一気に駆け降りた。そして、管理人室の扉を叩く。
「すみません、管理人さん、いませんか?」
(留守でござる)
管理人室の扉が古めかしい言い方をする頃には、輝馬は正面の受け付けに回っていた。そこには唖然となる伝言が残されていた。
『一週間ほど海外旅行に出かけます。御用のある方は、下の番号まで連絡を』
こんな時に旅行なんかに行くなよ。心の中でそう叫ぶと、急いでその番号を暗記して部屋まで戻って電話をかけた。三回のコールの後に流れたメッセージを聞き、輝馬の手から受話器が滑り落ちた。
『弊社は、夏季の休暇に入っております。ご迷惑をおかけしますが、御容赦下さいまし』
ご迷惑どころじゃなくなるのに、どうして軒並み休むんだ。
結局、鏑木家のドアの前に戻るしかなかった。
「一生のお願いです。ここを開けて下さい」
(ならぬ)
「開けろ、バカっ!」
(悔しければ踊るがいい。もっとも、天の岩戸のように開けたりはせんがな)
おどけるように言うものだから、輝馬はガンガンとドアを殴ったが、自分の拳が痛くなるだけだった。
その時、相沢家の右側のドアが開き、中年女性が顔をのぞかせた。某野球チームのカラーである虎模様のハッピを着ており、怪訝な目つきでこちらを睨みつける。
「大声出して何しとんの、あんた?」
「すみません。静かにしますから」
(ならば立ち去れ)
「うるさい!」
輝馬の独り言に、おばさんは自分の事を言われたのかと勘違いしたのか、すこぶる不機嫌に顔をしかめた。
「けったいな子やね」
「待って、ここの家の子が――」と続こうとした言葉は、ドアの閉じる音で容赦なくかき消された。室内からテレビの野球番組とおぼしき大音響が聞こえてくる。
輝馬は他の部屋も回ったが、ほとんどが留守であった。他のフロアへ向かおうと思ったが、その間にもマサルやリサが危ない。
そうだ――急に妙案が浮かんだ。ドアが駄目なら窓ならどうだろうか。輝馬はベランダに向かった。そして、下を見ないようにして手すりを乗り越えて、隣のベランダへ移動した。一縷の望みを込めたが、案の定、窓が閉まったままであった。
結果が分かっていても、念のために聞いてみた。
「ここを開けて下さい」
(ならん。扉と私は義兄弟だ。部外者を許可なく入れるわけにはいかん)
「畜生めが!」
輝馬は思いっきりガラスを叩いた。こんなマンションなんか、とっととぶっ潰せばいいのだ。もう最後の手段として、窓を割るしかないかとあきらめかけた矢先、ある事を思い出した。このマンションにも八百万が宿っている。上手く説得すれば、うまくいくかもしれない、いや、もうそれに賭けるしかない。
「マンションの声さん、聞こえますか?」
(何かな?)
「ここの窓に、鍵を開けるように言って下さい」
(それは難しい相談だよ、少年。物が人の力なしに動いてはいかん。それが我々のルールなのだ。もっとも、八百万の中には、ポルターガイスト現象と称して、いたずら目的で動く輩もいるがな)
「つまり、できないわけではないのですね?」
マンションの主が言葉に初めて詰まる。どうやら、当たりのようだ。
「ここで人が死んだら困る。あなたはさっき、僕にそう言ったよね?」
(言ったとも)
「この部屋の中に子供が取り残されているんです。ほっと置いたら死んじゃう」
(それも残念ながら運命だな)
「でもさ、ここで死なれたら、困るのはあなたの方じゃないんですか?」
(ムム……)
「子供が死んだ部屋に誰が住むと思うの? ここの地価、あなたの価値が下がってしまいますよ」
(それは由々しき問題だ)
「今なら間に合います。奇跡のポルターガイスト現象を起こして下さい」
(よせ! ここを開けられたら、防犯の責務を背負った私の立場がないじゃないか!)
窓が抵抗の叫びを介入してきた。輝馬は無視して、なおも言った。
「ここを開けて」
(よせ、やめろ、子供の声に耳を貸すな)
「曰くつき! 事故物件でいいの?」
(ええい、ままよ!)
窓の声が悲鳴を上げた。直後、カチリと状が外れた音を確かに聞いた。
輝馬は乱暴に窓を開けて室内に押し入った。途端、熱気が肌に刺さった。ゴミ袋の山が床を埋め尽くし、涙が出るほどの腐臭を放っていた。到底、人が住めるところではない。
リビングの真ん中に、小さな少女が倒れていた。そばには人形のおもちゃと、プラスチックの空のカップが転がっていた。さっきコンビニで買って差し入れたプリンだ。
輝馬は慌てて駆け寄り、小さな体を助け起こす。
「しっかりして!」
小枝のようにやせ細った体はぐったりしていて動かない。干からびた唇にはプリンのかすがこびりつき、口から漏れる虫の息と並行して、弱い脈拍を感じるだけだった。青白い顔に生気はなく、汗の玉が浮かんでいる。室内の蒸し暑さからして熱中症にかかっているのかもしれない。
リサの右手の指はプリンの欠片がついていた。手づかみで食べたのだろう。輝馬は泣いた。どうして、もっと早く、彼らに気づいてやれなかったのか。気づけたはずだ。もっと周りに目を配り、耳を傾けていれば、こんな事にはならなかったはずだ。
冷蔵庫は電源が消えていた。カビが生えた何かにハエがたかっていた。台所の蛇口も水が出ない。電気も水道も止められているのだ。
ふと、天井に付いたスプリンクラーを見つけた。
(あれから水を出して、お願い!)
輝馬が心からそう叫んだ直後、頭上のスプリンクラーから水が勢いよく吹き出した。人工のスコールを全身に浴びながら、少女を抱き上げ、手の平の水を口元に運ばせると、口がわずかに動いた。まだ大丈夫だ、急げば間に合う。
「もう大丈夫だからね」
輝馬がそう励ました。すると、リサが小さな声で何かを言った。耳を傾けて彼女の言葉を聞いた。
「分かったよ、きっと約束する」と返してから、急いで玄関へ向かった。真昼の通路に出ると、さっきのオバさんが飛び出してきた。全身ずぶ濡れだった。
「なんやのよ、これ! 急にスプリンクラーが作動したで!」
輝馬と、彼におぶさる少女に気づくと、「どうしたん、その子は?」
「救急車呼んで下さい!」
「は?」
「急いで!」
血相を抱えた輝馬に圧倒されたオバさんは、慌てて自分の部屋に戻った。
四
駆けつけた救急隊員に救助され、リサが担架で運ばれる傍らで、通報してくれた隣のオバさんが泣き崩れていた。
「今まで気づいてやらんで、ごめんな……ほんまに堪忍して……」
心から後悔しているのは、言霊を聞いても確かだった。このオバさん――伊出さんというらしい――には同じぐらいの孫がいて、時々会いに来てくれるというのを後で聞いた。
「電話してくれてありがとうございます」
「あんたも大変やったやろ」
「いいえ。でも助かってよかったです」
「でも、どうやって、部屋の中に入ったん?」
「鍵が開いていたんです。きっと、神様があの子を助けてくれたんだと思います」
輝馬は(ありがとうございました)と言霊を送った。
リサを乗せた救急車を見送った後、ゴミ屋敷然とした鏑木家に戻った。自分の勉強部屋の壁に近い部屋に入ると、すぐに“マサル”を見つけた。彼のそばには、皮の剥かれていないバナナが一本転がったままだった。
「リサは助かったよ」
マサルを持ち上げて、背中のフタを開けた。電池が二本入っている。家にあったはずだと、一旦マサルを持ち帰り、新しい分を取りかえる。スイッチを入れてやると、マサルは手に持ったシンバルをパンパンとたたいた。猿の顔が白い歯をにこやかに見せる。
「君がマサルだったんだね」
彼の正体は猿のおもちゃだったのだ。足の裏には、『かぶらぎまさる』と持ち主の名前が書かれている。鏑木家のドアは、部屋の中に子供は一人しかいないと言っていた。その時から、マサルの正体が人ではない予感があった。
(ありがとう、輝馬。この恩は忘れない)
「壁越しだと全然気づかなかったよ。本当の名前はなんていうの?」
(おれに名前はない。マサルはおれの本当の持ち主だった子だ。リサの兄でもある。片方の親が違うけどな、本当の兄妹みたいに仲が良かった)
ところが、ある事情で二人はバラバラに暮らす事になった。さよならを言う機会もなく、兄のマサルは、自分の大切にしていた人形を残した。
彼女が“マサル”の声が聞こえる理由は、輝馬には分からなかった。おそらく、親の虐待と兄のいない孤独がきっかけだったかもしれないが、今となってはどうでもいい。
(リサがあまりにもかわいそうだった。だけど、悪気がなかったなんて、いまさら言い訳にならない。あの子が目の見えないのをいい事に、おれはずっとあの子に嘘をついてきた)
「でも、リサは君のために今日まで生きてこられた」
(それでも、あの子はずっと兄と一緒にいると思い込んでいる。だが、いつかはばれてしまうものだ。きっと傷つくに違いない)
「リサは君の正体に気づいてるよ」
(何だって?)
「リサがさっき言ってた。マサルも助けてあげて、お猿さんの人形なのって」
(……そうか)
「あの子は気づきながらも、君を頼りにしている」
輝馬はマサルを持ち上げた。
「リサの元に連れてってあげる。でも、約束してほしい。リサが信じられる大人や友達を見つける手伝いをしてあげて。意固地になっても、あの子のためにならない」
リサの両親は、彼女を放置して家を出て行った。最低な大人だ。でも、きっと、あの子を大切に思う人も見つかるかもしれない。あのおばさんだって、気付けなかった自分を本当に後悔していたのだ。
(そんな人間がいるかな?)
「きっと、どこかにいる。リサのために信じてあげてほしい」
猿の人形は笑顔を浮かべたまま、一度だけシンバルを勝手に鳴らした。
(よし、お前を信じよう。お前みたいな良い奴がいるのだから、他にもいるかもしれないしな。新しい家族が見つかるまで、おれがあの子を見守る)
五
輝馬はリサの病室にいた。手にはマサルを携えて。
ここに辿り着くまで結構苦労した。救急車入ってしまった後だったので、近くの病院を探し回る羽目になった。目ぼしい病院に着いたら着いたで、受付の人を上手く説得してリサの病室を聞き出すのにも知恵を絞った。
目の前のリサは安静で眠っている。結局、一言も話す機会はなかったが、愛嬌のあるかわいらしい寝顔を向ける。
ただ目が見えないだけなのだ。たったそれだけの理由で、どうして、こんな子を叩いたり、簡単に捨てたりできるのかと、輝馬は腹立たしくそう思った。
そして、その枕元にマサルを置いた。
「じゃあね、マサル」
(お前こそ元気でな)
輝馬が立ち去ろうとした時、(輝馬!)手のシンバルを鳴らして呼び止めた。
(引きこもってばかりいるなよ)
「大きなお世話だ」
そう言いながらも、輝馬は笑いながら踵を返した。家に帰った後に何をすべきか決めていた。月子にさっきまでの経緯を話して聞かせよう。元気づかせたいわけじゃない。ただ話したいだけである。それから、幸弥にメールしよう。合宿に参加しよう。もう少し、外に出て頑張ってみよう。
遠くで日暮らしが鳴く黄昏色に染まる家路を、輝馬は軽い足取りで駆けた。




