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第三章 生き人形 (2)



       四


《八百堂》に入ると、招き猫と福助が安心したように安堵の声を漏らした。

(埴輪様、輝馬殿が到着しました!)

「一体どうしたの?」

 輝馬は棚の中で鎮座する埴輪様に聞いた。

(いつも来る女の子が人形を売りに来たのじゃ)

「女の子……? 月子って子?」

(そうじゃ。その人形なんだが、こちらが事情を聞いても何も話さん。何やら様子がおかしいのだ)

 輝馬は、彼らに月子がニュースに出ている行方不明者の一人である事を教えた。

(道理でどこかおかしいと思った。とにかく、人形に話しかけてみてくれんか)

 埴輪に促されて、輝馬は店の奥に進んだ。老店主は店の奥で頭を傾けてまどろむ横で、大きなガラスケースがあり、一体の人形が収められている。長く切りそろえた黒髪、作り物にしては異様に白い肌に浮かぶのは小さな鼻と、形の整った紅色の口。沈み込むようなガラスの瞳が虚空を静かに眺めている。擦り切れた赤い着物を身にまとい、手足はか細く、指先は繊細に形作られていた。

 ガラスケースには《新入荷》と貼ってある。

「あの、こんにちは」

 店主を起こさない程度にささやいた。

「聞こえますか? 僕は相沢輝馬といいます。あなたは人形ですね。僕はあなたのような八百万と話ができます。あなたは話せますか?」

(私に何か用?)

 人形が少女の声で喋った。だが、何かがおかしい。その理由がすぐに分かった。初めて会った時とは違うのだ。人形の声ではない。あの少女の声だった。

「もしかして、あなたは壱与野月子さんですね?」

 人形が頷いたように見えた。

「僕は、事情があって八百万の声が聞けるんです」

(八百万……)

「あの、大丈夫ですか?」

(たぶん、平気。苦しくもないし、痛くもない)

「あなたは、壱与野月子さんですか?」

(ええ)と、それだけ聞こえた。

 人形の姿になっているのに、彼女は妙に冷静に答えた。声に抑揚がない。本当に人形そのものだった。

(輝馬殿――)と、座布団に座る福助が遠慮がちに言った。(埴輪様の御提案として、この子を引き取ってもらえませぬか?)

「僕が……なんで?」

(声の主はその人形の八百万ではないからじゃ。人間の魂が人形に乗り移っておる。させられたのが正しい)

「させられた?」

(この人形の持ち主は、いつもここで店の中を眺めていた少女じゃ。悲しくうつろな目をしていた。ところが、今日は別人のように明るく、飄々としていた。そんな彼女に、人形は何かささやいておった)

「何を話していたの?」

(残念ながら聞こえんかった。じゃが、ただ事ではない。人形の八百万が人間の体を乗っ取るなど、わしの知る限り前代未聞じゃ。何か、よくない事が起こる予感がする)

「壱与野さんが消えたのも、それが理由かな?」

(おそらく)

 輝馬は迷った。埴輪様の言う通り、人形の中身が人間だとすれば、このままほっておくわけにはいかない。だが、事情が何やら深刻のようだ。人間の体に乗り移った八百万。人形に封じ込められた人間の魂。

 人形の顔は傾き、憂いを含んだ能面を虚空に向ける。事情を知った以上、無視はできない。問題が解決するまで引き取るだけなら、別にいいだろう。

 だが、ガラスケースの値段を見るなり、輝馬は目が飛び出しそうになる。

《¥50,000―》

「結構な値段だね」

 財布の中身は数千円しかない。確か、部屋に置いてある貯金箱に五万ぐらい入っていたかもしれない。眠っている間に、親戚や両親がくれたのだ。しかし――。

「あの、僕がこの人形を買うのに問題があるんだけど」

(何だね?)

「お小遣いはゲームを買う予定なんだけど……」

(ゲームなど止めておけ。時間の浪費じゃ)

 古代の埴輪に言われる筋合いはなかった。

(天命だ。あきらめろ)招き猫が付け加える。(バイトをして稼げばいいだろ)

「僕はまだ小学生だからバイトはできない」

(年をごまかせばいい)

「もうしてるよ」

 さすがに今の自分は高校生には見えない。

 福助もまた言った。

(拙者も一緒に買えば、幸福を呼んでしんぜよう)

 ホントに嫌な連中だ。


      五


 死は突然やって来る。人も物も同じである。トンカチと新聞紙を持つ輝馬に、豚の貯金箱は急に命乞いを始めた。

(待て! 私の体にはまだ余裕があるぞ。目一杯になるまで見逃してくれ!)

「ごめんなさい。時間がないんだ」

 準備を整える頃には、貯金箱の覚悟は決まっていた。

(冥土の土産に教えてくれないか。金の使い道は何だね?)

 悲壮な声で言う貯金箱に嘘はつけない。

「人形」

 貯金箱が(そうか。人形か……)と苦々しく答えた。

「人助けのためなんだ。君の死は絶対に無駄にしないよ」

(ありがとう。気が楽になった。さあ、割りたまえ。無駄遣いはほどほどに)

 少し悲しい気分のまま、叩き割った貯金箱の残骸から金を取り出して、急いで地下街の《八百堂》に舞い戻った。眠りこける老店主を起こし、恥を忍んで「これ下さい」と言った。子供が大金を持って、古い人形を買うなんていくらなんでも無理がある。お父さんかお母さんが同伴じゃないとダメとか言われるものかと、最初は思った。

 ところが、高齢の老店主は当たり前のように売ってくれた。

「いい買い物をしましたね。良い物ですよ、この人形は」

「あの……僕みたいな子供でも、売ってくれるんですか?」

「客は客です。客が若いから売らないでは、商売が成り立ちません。僕はお客さんぐらいの時には、親に内緒でよくヒロポンを買ったものですよ。すぐに飽きましたがね」

 飄々と老店主はそう言った。

 ヒロポンって何だろうとボンヤリ思いつつ、輝馬は人形を抱えて店を後にした。


       六


 部屋に持ち帰った月子人形を座布団に座らせ、輝馬は迷いながらも話を始めた。

「壱与野さんは誰に体を盗まれたの?」

 彼女は何も言わない。

「盗んだ奴は今、どこにいると思う?」

 黙ったままだ。

「家族は心配してるよ」

(あの人達は私の事なんか、どうでもいいの)

 やっと口を開いてくれた。人形の唇は当然閉じたままなのだが。

「どうしてそう思うの?」

(私が二人の期待する進路から外れたから)

「進路って、学校の事?」

 そんな事で子供をほっておく親なんているはずがない。テレビに映っていた彼女の両親だって、顔は隠してあったが、涙ぐみながら彼女の身を案じていた。

 その事を伝えると、月子はせせら笑った。

(君って単純なんだね。心にそう思っていても、テレビカメラの前で、うざったい娘が消えてホントによかった、万歳って喜ぶ訳がないでしょ?)

「それはそうだけど……家族なんでしょ? だからあれだけ心配してるんだよ、きっと」

(あれはポーズ。家の中では何事もないように暮らしているでしょうね)

 彼女はどうして、こうも家族を信じようとしないのだろう。

「このままずっと人形のままでいるつもり?」

(さあね。ナギニが約束を守ってくれるかどうか分からないし)

「ナギニ? そいつが壱与野さんの体を乗っ取った奴?」

(たぶん)

「ふざけないで。八百万の声が聞こえなかったら、あなたはずっとあの店で置かれたままだったんだよ」

 輝馬は自分のスマホの液晶をミラーにして、月子の前に突き出した。

「これが今の壱与野さんの姿だよ。少しは慌てたらどうなの」

 落ち着いて現実を見ろ。そう伝えたいのに、言葉がつい乱暴になってしまった。今更、後悔しても遅すぎた。

「ごめん……あなたが元の姿に戻れるように力にはなる。でも、当のあなたにその気がないのなら、僕はお金を溝に捨てたのと同じだ」

(私は人形のままでいい)

「どうして?」

(さっきと同じ答え。家族から見捨てられた子に戻るだけ)

「そんな家族に愛されないといけないなんて、なんか変だよ」

 思った事がそのまま口に出た。年上の女の子に向かって、差しでがましい言葉に後悔しながらも、輝馬は言葉を続けた。

「仮に、あなたの親があなたを嫌っていても、壱与野さんが人形のままでいてもいい理由にはならない。僕はそう思う」

(ありがとう)

 月子はそれだけ言った時だった。背後に気配を感じて振り返ると、いつからそこにいたのか、妹の愛奈が軽蔑の眼差しを向けていた。

「愛奈、なんで……?」

「今日は、私がパパに会いに行くって言ったんだけど……お兄ちゃんは用事があるみたいだね。ほんとキモい」

 言い訳を口に出す前に、ドアは容赦なく閉じられた。

 後ろでクスクスと月子が笑う。

(面白い兄妹ね)

「もう家族じゃない。僕が眠っている間に、親が離婚したんだ」

(眠ってる間……?)

「後で話すよ」

 輝馬は月子人形を机の横に優しく座らせると、「明日、壱与野さんの家に行くよ。家族を説得しに行くからね」

(無駄な努力で終わるだけ)

「無駄かどうかは僕が決める」

(私のために無理して、君は意外とバカなんだね)

「今まで怠けてきたからね」

 月子人形の頭をなでると、輝馬は部屋を出た。妹に何か言う前にごまかさないといけないし、話しておかないといけない事もあった。


      七


 愛奈はベランダで景色を眺めていた。住宅街を越えた向こうには淀川が流れおり、阪急線の陸橋が横断する。さらにその左手前には、双子の高層ビルからなる梅田スカイタワーが屹立している。夜になると、輝馬も時々考え事をするのに使っていた。

「愛奈、さっきの事だけどさ――」

「気にしないよ。人の趣味は色々あるから」

 そう言ってもらえると、ひと安心だった。

「でも、元妹としては幻滅するかな」

 きれいさっぱり忘れるつもりはないみたいだ。

「ねえ、愛奈、学校はどう? 学校の勉強は大変?」

「うん。ここから飛び降りたいぐらい辛い」

「友達はいる?」

「いない。一年からずっと一人ぼっち。一人の方が気楽でいいけど」

「いじめには遭ってない?」

「ない」

「じゃあ、その逆は?」

 愛奈が振り向いた。瞳に不審が浮かんでいる。

「なんで、そんな事を聞くの?」

「いや、してないならいいんだ」

 輝馬は妹の横に立ち、遠くにそびえる双子のビルを眺める。表面のガラスに反射する夕で赤く染まっている。

「お兄ちゃんが転校したクラスにさ、いじめがあったんだよ。今は少し落ち着いて、僕と同じ班にいる。ちょっとしたきっかけで立ち直ったってその子は言った。もしも、支える人が一人もいないなら、彼は自分や周りを憎むかもしれない。もしかすると、将来、他の誰かをいじめる側になるかもしれないって」

 愛奈は黙っていたが、唇を軽く噛んで、手すりに賭ける手をじっと見つめていた。小さい時から、泣く前兆にする仕草である。

「彼と友人になった。そんな事は起きないかもしれないけど、またいじめられて、その子が追い詰められる前に助けるつもりだ」

「なんで?」

「幸弥っていう子なんだけど、人を憎む幸弥も見たくないし、彼を見捨てる自分にもなりたくないから」

「お兄ちゃんは、わたしがいじめをしてるって言いたいわけ?」

「ううん。でも、そんな事をしているなら止めなきゃいけない」

「あの子が悪いの。何をされてもウジウジばかりしてるから。イラつくんだよ、見てるこっちがさ」愛奈が顔を向けて言った。「お兄ちゃんも馬鹿だね。会った事もない子の味方をするわけ」

「違うよ。僕は愛奈の味方だ。だから、いじめを止めろ。今すぐ謝るんだ。まだ手遅れじゃない。このままだと、愛奈が後悔する。一人が怖いなら、僕も一緒に謝る」

 愛奈は泣いていた。細い腕を振り上げて叩いてくる。

「なんでそんなの言うの! わたしの事なんかほっといてよ! 関係ないくせに」

「関係あるよ。僕らは家族だ。僕が兄で愛奈は妹。赤の他人じゃない」

「パパとママは別れたんだよ」

「紙の上だけだろ。これからも何も変わらない」

 愛奈は走り出すと、ベランダの窓を閉めて鍵をかけてしまった。そして、そのまま玄関から出て行った。あっという間の出来事で、輝馬はベランダに取り残されてしまった。後三十分くらいで父が帰ってくるはずだから、その間ここで待たなくてはいけない。

(君――)足元から声がした。(一世一代の買い物は済んだかね?)

 さっき、軍資金を取り出すのに破壊した貯金箱の残骸だった。生前の豚の頭だけが何とか残っている。

「うん。君のおかげで買えた」

(私のおかげではない。中の金がよかっただけだ。それと、私はもう貯金箱ではない)

「なんですか?」

(貯金箱だった物の残骸だ。このベランダで打ち捨てられるためにある。願わくば、今度の燃えるゴミに出してほして、供養してほしいのだが)

「分かったよ」

 輝馬はため息を漏らすと、花の枯れた植木に腰かけようとした。

(重いぞ)と苦情が聞こえたので仕方なく腰を上げた。八百万の声が聞こえて以来、自分だけの時間というものがなくなった気がする。

 その時、隣の部屋から女性の怒鳴り声が聞こえた。

「ご飯くらいさっさと喰え、このうすのろ! 食器の片づけできないだろ!」

「ごめんなさい、ママ」

 泣きながら謝る女の子の声だった。そこへ、別の声がかかる。

「止めろ、リサをいじめる奴は許さないぞ」

「後五分で食べ終わらなかったら、外に放り出してやるからね」

 荒い足音が消えると、少年の声が聞こえた。

「ごめんな、リサ。おれ、何もできなかった」

「ううん、ママは悪くないの。悪いのはリサだから。マサルがいてくれるだけでいい」

 隣は何する人ぞともいうが、輝馬も多分に漏れずに好奇心にくすぐられて耳をすませた。確か、鏑木という表札だったのを思い出した。乱暴そうな母親に、子供が二人いるようだ。互いに呼び合う感じから、兄妹かもしれない。

 タイミングがいいのか悪いのか、程なくして父が帰宅してきた。外から窓を叩くこちらに、「何やってんだ、輝馬、そんなところで?」と問いかけた。輝馬は答える余裕もなく、ばつの悪い表情を浮かべるよりほかはなかった。

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