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第三章 生き人形 (1)



       一


 日曜日、輝馬は幸弥と一緒に、如月神社の境内を廻っていた。夜中に来た時は余裕がなかったが、各所に建つ社よりも緑が多かった。柔らかい風でそよぐ木々の音が小気味いい。

「改めて見ると、幸弥くんの神社って広いね」

「それほどじゃないよ。初詣や小正月以外はあまり誰も来ないし」

 確かに、境内には二人以外には欠伸を出しながら掃除をしている巫女さんしかいない。

 二人はまず、手水舎の前に来た。

「参拝者はまずここで手を洗うの。手を清める事で、心の穢れを取りは払うんだって」

 幸弥は説明しながら、手の洗い方を見せてくれた。柄杓に水を満たすと、手のひらにかけて、もう片方を濡らした。輝馬も同じように真似する。冷たい水が心地よかった。

昔住んでいた街には神社がなく、こうして本格的に参拝するのは初めてだった。

「ところで、君はどうして道の端を歩いているんだい?」

 彼の足は石畳の参道の端を歩いているのに気がついたのだ。輝馬の指摘を受けると、幸弥は小さく笑った。悪戯好きな小さい子供みたいで愛嬌があった。やはり自分は彼よりも年上なんだと実感した。

「入口に鳥居があったよね? そこから神殿までの道を参道って言うんだけどね、参道の中心は、“正中”って呼ばれて神様が通る道なんだ」

 だから、参拝者は参道を歩く際、道の端を歩いた方が神様の機嫌を損ねないで済むらしい。両端に鎮座する双子の狛犬が何やらささやいている。

(見ろ。あれが噂の耳を持ってる奴だ)

(まだ子供じゃないか。本当なのか?)

(風が嘘をつかん)

 二人は本殿の前にやって来た。輝馬は目を閉じて耳を澄ます。今まで話した八百万の声は、揃って自分達は神ではないと否定している。では、神社や寺院はどうだろうか。そういった場所になら、もしかすると神様か、それに近い何かががいるのかもしれない。

 幸弥は財布から十円玉を出して、賽銭に入れた。

「よく、御縁とかけて五円玉を入れる人がいるけど、あれはあくまで俗説なんだよ」

 輝馬は放り込む予定であった五円玉を財布に戻して、慌てて十円に置き換えた。さすが宮司の息子だ。下手に侮れない。

「次に、鈴を鳴らす。ちなみに神社の鈴は《お初穂料》っていうんだ。昔は初米を奉納していたから、その名になったんだよ」

 幸弥は得意気に言うと、鈴を三回鳴らした。

「こうやって鈴を鳴らすのは、神様を呼ぶためでもあるんだって」

 輝馬は、ふと、深谷先生の話を思い出した。銅鐸は神様の感謝を示すための釣鐘に使われていたと。雷に似せた音を出して。そう、確か神鳴りだったか。

 また鈴を鳴らし、教えられた手順、二拝二拍手一拝をしながら耳を澄ましたが、楠の枝葉が風で擦れる心地よい音がするだけで、神様の声はいっこうに聞こえはしなかった。本当は神様なんていなのか、はたまた先ほど、参道を真ん中に歩かなかったせいで機嫌を損ねたか。

 ――もしもし、聞こえますか?

 輝馬は心で話しかけてみる。目の前にいる誰かを連想した。次の瞬間、鼓膜が破れそうになった。返事は一つだけでなかったのだ。

(こちら、南からの風。風の便りは今のところなし) 

(こちら、土。昨夜の雨のため、少し柔し)

(こちら、楠。養分に過不足なし)

(こちら、石畳。参道の右から十四番目にヒビあり。修繕を求む)

(こちら、社務所。おみくじはいかが?)

 間近でこれだけが一斉に響いた。後は万物の大合唱だ。

「どうしたの、相沢くん?」

 キョトンとする幸弥に、「なんでもない」と返しつつ、(ごめん、聞いてみただけです)と返したのがいけなかった。森羅万象のブーイングが頭の中をかき乱す。

「この間は、ありがとう」

 幸弥が小さな声で言った。

「気にしなくてもいい」

「僕は憶病な自分を許していたんだ。いじめられていても、いつか忘れられる。他の人が標的にされたらいいなんて思った」

「誰でもそう思う。でも君は自分の力でお父さんに話した。そうだろ?」

 先日の失踪事件の後、幸弥は父の宗一と鈴村先生にかけ合った。間もなく、《裏ロクツー会議》は削除され、実に渡されたパスワードでログインしても見つからなかった。

 同じ頃、学級委員長の代理が決まった。幸弥の幼馴染である美紀が立候補したのだ。

「あたしも無理をするから」

 彼女にそう言われ、幸弥は恥ずかしげにお礼を言うと、「幸弥のためじゃないからね。あんたは学級委員長って柄じゃないの」

 ただ一つ気がかりなのが、いじめの黒幕である実だった。あんな言霊を心に秘めている相手である。今度は矛先が自分に変わると思い、輝馬は警戒していたものの、以前の騒動などなかったかのような平安のままだった。そして、七月を迎えようとしていた。

「輝馬くんのおかげだよ」

 幸弥が当たり前のようにそう言われ、輝馬は急に気恥ずかしくなる。

「ところでさ、ここってとても静かだね」

「神社だからね。どこの神社でも木々がたくさん立ってる事が多い。“鎮守の森”と呼ばれてるんだ」

「鎮守の森?」

「神社の周りにあるのはね、自然崇拝が根底にあるんだよ」

 別の声がした。幸弥の父の宗一が拝殿から顔を出した。

「神社での教えを神道としているが、神道自体は宗教ではないのだよ。人の数だけ正しい道がある事を説いているからね。それと自然崇拝だ」

「自然崇拝?」

「キリスト教やイスラム教と違い、神道には特定の神様はいない。この万物に存在するすべてのものに神が宿ると考えられてきた。器物や自然がそうだ。特に自然は、雨や雷、地震といった大気現象から、古代の人々は神様の存在を感じ取ったんだよ」

「それが八百万なんですか?」

「難しい言葉を知っているね。森羅万象に神が宿るという考えは、自然と征服するという西洋人とは違う」

 宗一は息子に似た笑顔を向けた。

「この間は幸弥がお世話になった。相沢くんには本当に感謝するよ」

「いいえ」 

「忙しいのを理由に、この子の話を聞いてやれなかった私にも責任がある。幸弥の友達になってくれて本当にありがとう、輝馬くん」


      二


 相沢家では朝食と夕食は二人の当番制だった。

 もっとも、男だけの所帯はルーズなものである。最近になると、お小遣いをもらう代わりに、両方とも輝馬の担当に定着していた。メニューの決まっている朝食ならともかく、日によって違う夕食のレシピを考えるのは大変だ。ネットや本の情報、そして自分の腕を信じてやりくりしていくしかない。

 いつものように、トーストと目玉焼き、サラダなどを置いていくと、都合のいいタイミングで父が欠伸をしながら起きてくる。「おはよう」の挨拶を交わしつつ、輝馬はなんとなしにテレビを点けた。

 ちょうど、梅田のニュースがやっていた。なにやら、物騒な内容に輝馬は耳をすませた。

(ここ三週間に、梅田駅構内を中心に続発している行方不明事件。警察は手掛かりすら掴めておりません。年齢、職業を問わず、彼らに面識もありません。まさに、現代の神隠しと言える不可解な事件は、いまだ解決の糸口すら見つからない状態です)

 幸弥の件で大変だったせいか、身近なところでそんな事件が起きているとは思わなかった。

テレビ画面に被害者達の顔が映し出された。途端、輝馬は釘づけになった。

(最初の被害者、高校二年生の壱与野(いよの)月子さんが深夜の駅構内で忽然と姿を消したのは、十日前でした)

 行方不明者の一人である女子高生は、地下街の骨董品店《八百堂》に初めて訪れた際、店に入ってきてすぐに立ち去った、あの少女だったのだ。

「どうした、輝馬?」

「なんでもない」

「お前も気をつけろよ」早々とトーストをかじりつつ、父は心配そうに言った。「警察官が何人か巡回しているのは見かけたが、まだ一人も発見されていないらしいからな」

「気をつけるよ」

 輝馬は生返事しながら、心ここにあらずの状態であった。

 ――壱与野月子。彼女の名は、月子というのか。


      三


 ある日の放課後、校門を出た輝馬に一人の男が近づいてきた。見覚えのある顔に嫌な記憶がよみがえったが、逃げるには遅かった。

「久しぶりだね、輝馬くん。あれから結構探したんだよ」

 露骨な猫なで声で、その男は言った。蕁麻疹になりそうな不快感が全身に絡みつく。

 しわだらけのワイシャツ、痩せた長身に骸骨に似た顔つき、目つきだけが異様に鋭い。いつぞや、病院で執拗に取材しようとしていた週刊誌の記者である。名前は石川だったか。

「ちょっと、お話を聞かせてもらえないかな」

「防犯ブザー鳴らしますよ?」

「ここが駄目なら、次は家の前に張り込んでもいい」

「僕に関わらないで下さい」

「こっちは君に用がある。聞きたい事が山のようにあるんだよ」

「何をですか?」

「君が昏睡する原因となった事故の件だ」

 そんなもの、こっちだって覚えていない。

「あなたに話す事は何もありません」

「君の周りは卑怯な連中ばかりだ。肝心な事実をひた隠し、君を被害者に祭り上げている事に躍起になっている。迷惑を被った被害者を差し置いてね」

 さっきからこの男は何を言っているのだろうか?

 石川は携帯の薄い端末機を取り出した。

「例えばね、加害者の運転手はどうなったと思う? 彼には奥さんと二人の娘がいた。結婚二十年目、赤字続きの中小企業の社長だが、子供が成人するまでは何とか持たせようと無理をしていたようだ。長女は結婚間近、次女もそこそこ有名な国立大学で在学。親の役目を終えるのにもうすぐだった」

 一旦言葉を切ると、石川は黄ばんだ歯をのぞかせた。

「ところがだ、彼は子供を車でひいてしまった。つい出来心でひき逃げをしてしまい、人生設計はあえなく破綻した。会社はもちろん倒産。保険もろくに入る余裕もなかったみたいだな。慰謝料や治療費を払うのに、彼とその家族は家を売り払うしかなかった。親の因果が子に報い、父親の不始末が新郎の親に知れ渡り長女の縁談は白紙になり、次女は心を病んで大学を中退した。妻は離婚した後、娘二人を残して行方知れず。絵に描いた一家離散だ」

 輝馬は絶句した。父は事故の事をあまり教えてくれなかった。

「事故現場の道が広い。公園から向かいのコンビニあの間には信号機はなかった。『止まれ』の標識もない。ただ、公園側には立て看板があったはずだ。『車がよく通ります。左右を確認して渡りましょう』ってね。当時の君はそれを無視して公園から道に飛び出したと、俺は考えている。目撃者はいないが、その推測も成り立たなくもない。つまりだ、輝馬くんは百パーセント被害者、というわけではないんだよ」

 石川は地面に向かってつばを吐いた。地面から怒鳴り声が響く。

(俺の顔に唾をかけおって。踏まれるのは耐える。だが、唾吐きは屈辱の極みだ!)

 混乱する頭を落ち着かせ、輝馬は考えた。この男は何が目的なのだろう?

「あなたは何がしたいんですか?」

「もちろん君への取材だ。ただ、テレビ屋とは違い、君の美談を報道するつもりはない。我々は求めている事実はその裏側になる」

「裏側?」妙な言い方だと思った。

「大衆は美談よりも醜聞、スキャンダルが好きなんだ。“他人の不幸は蜜の味”な読者を、私の出版社はターゲットにしている。これが愉快なほど需要が多い」

 石川はそう言うと、懐から手帳を取り出して読み上げた。

「さっきの加害者家族の末路や、君に献身的な介護をしてきたはずの両親が別居したとか、君の妹が学校でクラスメイトの一人に熾烈ないじめを加えているとか、話題も豊富だ」

 愛奈がいじめを……。知らされていない事実に、輝馬は再び驚かされた。

「極めつけは、もう一人の被害者。この子は本当に気の毒だぞ。君の巻き添えを食ったせいで、大事な足を失ったんだぞ。大好きなサッカーを二度とできなくなった」

「誰なの、その子は?」

「都合の悪い事だけは忘れたか。残念ながら教えられない。個人情報だからね」

 石川は地面に唾を吐と、地面がまた怒った。

(この痴れ者が! 天よ。わしの体に割って、こやつを下水道に落としたまえ!)

「これらを記事にする予定だ」

「名誉毀損で訴えてやる」

「ほほお、名誉棄損を知っているのか、賢いな。――やってみろや」

 石川がどすを利かせた声を洩らした。

 輝馬は硬直した。体中の血が固まったように、手足が動かず、呼吸もままならない。さっきまでの軽薄なたち振る舞いはウソだったのだ。目の前の男は危険だ。逃げないといけない。

「裁判するヨユーが、オノレの家族にあるんか? 世間知らずのガキが聞いた口抜かしおって。もう一人の被害者の家族は、我々の報道には賛同してくれとんのじゃ。おのれと、おのれの家族も、世間様に赤っ恥かかせたる」

 その時、突風が叩きつけた。

(取り込み中失礼する。相沢輝馬くんに告ぐ)

(誰?)

(私はここらで吹く風である。風の便りで、埴輪様からの伝達事項を伝える)

「埴輪様から?」

 石川が怪訝な顔で見つめている。

(おかしな事態が起きている。今すぐ《八百堂》に来られたし)

「分かった」

「一体、誰と話しとる?」

 輝馬は電光石火の動きで、石川の横をすり抜けようとした。

「あ、待たんか!」

 石川の手が袖をつかんだ。とっさに暴れようとしたその時、「先生!」と誰かが叫ぶのを聞いた。校門のそばで見覚えのある女子がいる。彼女が叫んだのだろう。クラスメイトの里桜だった。湧き上がる困惑をかき消すようにして、輝馬は目的地の《八百堂》を目指した。

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