ブルーのご子孫さま
プロローグ
――西暦二千××年◯月△日。わたしは兄を捨てた。
自分の分身を。自分の映し身を。自分の……影を。
思えば本当に情けない、頼りない、ダメな兄だった。
自分ひとりでは何も決められない。判断出来ない。なすがまま。なされるがまま。
何故わたしが毎日着ていく服どころか下着まで選んであげないといけないのだろうか?
空気の様に透明で、植物の様に意志のない兄。
そしてその兄には、わたしが存在する限り、決して陽は当らない。
常にわたしと比較され、常に劣る側として、黒く、黒く塗り潰される。
陽の当たらない植物は、いつか枯れてしまうのだろう。
だからといって自分を抑制し、手を抜いて生きる気はわたしにはさらさら無かった。
自分の能力の限界を――存分に試してみたかった。
自分の存在の意義を――絶対に証明してみたかった。
此処ではない、何処かで。
もとより。幼くしてこの世の理をほとんど解してしまったわたしには。
ダメな兄のコト以外、とても、とても退屈な日々。
だからその時、微塵も迷わなかった。
『ソレ』が現れた時、わたしはそれを受け入れた。
そう。
もう二度と逢えないという、究極の選択肢を。
「――さようなら。わたしのダメなお兄ちゃん――」
――その日。わたしは兄を捨てた。
お気に入りの黒猫のぬいぐるみと、星形の髪留めだけを持って、わたしは旅立った。
そこにはなんの躊躇も、逡巡も、後悔も、心残りも無かった。
そしてもう、一生、二度と、絶対に、永遠に、逢わない――ハズだった、のに。
第一章 ブルーのご子孫さま
「あ、あの、双芭さんっ! ぼ、ぼぼぼ僕と、つつつ付き合って、くくくれません、か?」
放課後の校舎裏。大きな銀杏の樹の下で。
草食系を超えたヘタレの中のヘタレ、『植物系男子』こと刻任紫音の一世一代の大勝負。
相手は――無謀にも学年トップクラスの美少女、『双芭星華』。
九星高校一年生男子の過半数が彼女を好きなのでは、と推測される才色兼備のお嬢さま。彼女は中学生、いや小学生の頃からありとあらゆる告白を冷酷に断り続け、難攻不落、攻略不可能、断崖絶壁アイガー北壁、つまりは超の付く高嶺の花とされていた。
そして彼女に付いた異名は――『氷の星崋』。
成功の確率は限りなくゼロ。
しかし。奇跡は起こる。
その長い睫毛の下で不思議な魅力を放つ、儚げな黒い瞳が紫音の方を向いて。整った顔に天使の様な清らかな笑みを浮かべ、白くて細い首を、ゆっくりと、ゆっくりと縦に――
「……は」
「チョット待っタアアアアアアアアァァァアアアア――――――――――――――ッッッ!!!」
「「――――――!?」」
突然の頭上からの大絶叫。
びくっと同時に肩を振るわせ、咄嗟に顔を上げる紫音と星崋。
そして。ずざざざざざ――っと、銀杏の枝の間から何かが墜ちて来たかと思うと――ぼふっという衝撃と共に、紫音の視界が真っ暗、いや……真っ青になった。
正確には、ブルーの中に大小の白い星がいくつか。
そのまま仰向けに倒れた紫音は、自分は後頭部を強打したショックでたくさんの星が見えているのだと理解した。
でもその星たちはちかちかと瞬きはせず、もぞもぞと動いている。
しかも、なんだか生温かい。
「あいタタタタ………………」
星が喋った。
「いヤー、失敗失敗。百十一年分の土壌堆積物による地表高低差を演算スルのをすっかり忘れてたゾ」
星が意味不明な事を呟いている。
いや、どうやら正確には誰かの発した声が、星の両側から伸びた脚から震動として紫音の両耳に直接伝わっている様だ。
(――ん? 脚?)
紫音は、仰向けに倒れたまま戦慄した。
(ま、まさか、このブルーバックのラヴリースターズって、パ――)
「――ン? エ? …………ウ、うっぎゃああアアアァァ――――――――――ッ!? ナ、ナニすんダこのヘンタイッ! コノッ! コノッ!」
そのホワイトスターズの持ち主は、がばっと勢いよく立ち上がったかと思うと、足裏で紫音をげしげしっと蹴り始めた。状況がまるで呑み込めない紫音は、地面に倒れたまま頭を押さえて逃げ惑う。
「い、痛っ!? やっ、やめっ! ちょ、ちょっと待ってよ!」
「『ちょっと待って』だトォー!? ソレはコッチのセリフだヨ! ソレより今の行為であたしはもうお嫁に行ケ……ガリッ」
何か噛んだらしい。
「うっワーッ!? マ、マズ! ペッ、ペッペッ!」
先程の落下中に口に入ってしまったらしい、何故か昨年から落ちずに熟っていた銀杏の実を吐き出している相手に対して、ようやく紫音は少しの余裕を得た。そして相手の顔を確認し――さらに、驚愕した。
――それは、自分自身。
(――??? ど、どういうコト?)
それは、毎日鏡の中で見飽きた、自分の顔。
もしかしてコレは、俗に言う『ドッペルゲンガー』とかいうヤツなのだろうか? 自分自身の姿を見た者は死んでしまうという。
(だとしたら僕、近いうちに?)
しかし。顔は確かに自分そっくりなのだが……。
――カッコウが、女の子だ。
短い丈の白いタイトなワンピース。立った衿の辺りからスカートの裾まで、ギザギザにブルーのラインが入っている。その服の素材は、柔らかさと弾力性を兼ね備えた様な不思議な感じで、薄く透けた表面から、微かに銀色のラメが内部に輝いて見える。
そこからすらりと伸びた白い脚には、同じ様なブルーのラインの入った白いロングブーツ。腰には星形のバックル? の白いベルト。
あまり見ないカッコウだ。しかも顔立ちも、よく見ると女顔の自分よりもさらに女の子っぽい。そして星を散りばめた様に輝く瞳。自分とほぼ同じ長さの髪に、ブルーのラインで縁取られた、白い星形の髪留め。
(――ああ)
刻任紫音は、嘆息した。
周りにお前は女顔だとか女みたいな名前だとか性格だとか言われ続けたあまり、遂に女の子になった自分の幻影を見る様になってしまったのか。それとも自分では気付かないうちに、もういっそ女に成ってしまいたいというイケナイ願望が密かに膨らんでいたのか。
(でも、そんなハズはない! だって、だって僕は今日、この場所で――)
「だ、大丈夫ですかっ? 紫音くんっ」
天上から響く様な澄んだ声に、紫音ははっと我に返る。
それまであまりの事態に驚いて言葉を失っていた星崋が。まだ地面に座り込んでいる紫音を助け起こそうと、その華奢な両手を差し伸べている。
星崋は何故だかふたりきりで話す時だけ、紫音を下の名前で呼んでいた。そしてそれが紫音を告白へと踏み切らせた、大きな理由のひとつでもあった。
(そうだ、もし告白が成功したら、自分も“星崋さん”と、し、下の名前で――)
「コラーッ! コノ“胸ペタひんぬー女”! あたしの紫音に近づくナーッ!」
「「――!?」」
紫音と星崋は、またふたり同時にびくっとして固まった。
(む、胸ペタひんぬー女? な、何てコト言い出すんだこの自分の……女バージョンはっ! 確かに……双芭さんの胸は、かなり控えめだけど)
それは他の多くの男子生徒の間では、ほぼパーフェクトな美少女である星崋の、唯一かつ大変残念なトコロとされている。そしてさらに、
「スグに立ち去レッ! そしてモウ金輪際、あたしの紫音に近寄るんじゃナイッ!」
右手を自分の腰に当て、星崋の顔前にびしっと左手の人差し指を突き付ける、紫音の顔をした少女。今にも掴み掛からんとする程の勢いで。
星崋はもう訳も分からない様で、その控えめな胸の前に両手をあて怯えている。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
自分の顔をした少女に襲われそうになっている告白相手を助けようと、ヘタレの少年は慌てて起き上がるが――
ガッ!
地面から隆起している木の根につまずいて…………、コケた。
「う、うわっ!」
「ヒャッ!? ………………ン、ンッ!?」
その瞬間。なにかとても柔らかいモノが紫音の唇に当たり、その眼前にはまるで鏡を合わせた様に、同じ驚いた顔が……。
「わっ!? ま、まずっ!」
突如口の中に広がった銀杏の苦い味に、紫音は反射的に分身の唇から離れる。
そう。
彼は気付いた。自分は事もあろうに、告白相手の眼前で――
「……ヒ、ヒドイッ! あたしにあんなコトしテ、今、胸までサワッテ、キ、キスしテ、それでソレデ、『マズい』だなんテ……。ハ、初めてだったのニッ! ウ、エ、ウ……うええエエエエエエエェェェェエエエエエ――――――――――――――――――――ンッ!!」
紫音の顔をした少女は、倒されたまま激しく泣き出してしまった。
(自分の分身に『初めて』って言われても……。ぼ、僕だって初めてだったし! 初めてのキスは、銀杏の味。しかも相手は、じ、自分!? 最低だよ! ……ん? 胸?)
ようやく、自分の左手が少女の胸の上に乗ってしまっている事実を認識する。
こちらも星崋に負けず劣らず控えめなせいか、失礼ながらまるで気が付かな……
「紫音くんっ! ……最低っっっ!!!」
ばっしーん! という派手なビンタの効果音と共に、後方へと吹っ飛ぶ紫音。
「え、え……???」
銀杏の樹の幹にぶつかって止まった紫音は、眼を白黒させて自分の左頬に手を当てる。
じんじんと痛む。
きっとそれはもう見事なもみじマークが出現しているコトだろう。銀杏の樹の下でもみじマーク。なんてシュールなのか。
「さよならっ! 紫音くんっ! もう話しかけないで下さいっ!!」
その黒い瞳に涙を溜めながらそう言い残すと、たたたっと女の子らしい走り方で長い黒髪をなびかせ去って行く少女。ただそれを、呆然と見送る少年。
(…………………………………………フラれた)
紫音の全ての勇気を振り絞って敢行した人生初の告白は、とんだ闖入者のおかげで見事失敗に終わった。
(とても、悲しい。こんなコトなら、女の子なんかに興味を持たず、勇気なんか出さずに生きていけばよかったよ……)
刻任紫音は――近頃の草食系男子の成れの果てか、異性への興味が薄かった。
でも。周りで彼女がデキた奴の自慢話とか、街で幸せそうにしている恋人同士などを見て、なんだか少し楽しそうだな、とはほんの少だけ感じていた。
(『彼女がいる』って、一体どんなキブンなんだろう? ……でもそんな時。僕の側に双芭さんが現れ――)
「ウ……エ……ひっク、ひっク……」
自分の側に現れた自分が、まだ地面にしゃがみ込んで、めそめそと泣いている。
(この娘に、全てブチ壊された……)
でも紫音はその自分の分身を、何故か怒る気にはなれなかった。
「ねえ、君。ごめんね。僕が悪かったよ」
「ウ……」
涙を拭いていたその娘の両手が、ぴたりと止まった。
「だからもう泣かないでよ。ホラ、これで涙を拭いて」
訊きたいコトは山ほどあった。でも彼女が落ち着いてからゆっくり話をしようと、彼女の側にしゃがみ、常備している白いマイハンカチでその顔を拭いてやる。
(よく見ると、綺麗な顔立ちだな……。って、僕とほとんど同じなんだけど)
でもまた暴力を振るわれるかも、と紫音は少し警戒していたが、意外にもその娘は大人しくなすがままにされている。すると、
「……オンブしテ」
「えっ?」
「許して欲しかったらオンブしテッ! そしてあたしを紫音の家へ連れてっテ!」
「な、なんで? どうして!?」
「いいカラ早クッ!」
たしかに今誰かにこの現場を見つかったら、とてもややこしいコトになりそうだ。早く立ち去った方が得策かもしれない。
紫音はそう判断すると、その娘の前にしゃがみ込み、せーので背負う。
「――よっと。お、重……」
「エ?」
「……くない。はは、軽い軽い」
失礼なコトを言いそうになったと気付き、咄嗟に誤摩化す紫音。実際、その娘は紫音と同じ位の身長だったが、女の子だからだろうか、紫音より少し軽かった。
そして自分の分身を背負った少年は、学校の裏門を目指す。
(背中に何かとても控えめなモノが当たっている様な気がする……)
「ね、ねえ、この状態を誰かに見られたら……」
「大丈夫。《不可視☆障壁》デ、見えない様にスルカラ」
「――は???」
紫音は、意味不明な事を言う自分の分身が、もしかして電波系なのではと心配になった。
この服装も、きっと何かのコスプレなのかもしれない。
すると背中のその少女は、星形の腕時計の様なモノをはめた左手の指で、数個の不思議なサインを連続して作った。親指と小指、中指と薬指、という風に……。
――ポウ。
微かな音と共に、ふたりは淡い、薄い光に包まれる。
丁度そこで裏門に差し掛かったが……、本当に、誰からも見えていない様だ。
付近で立ち話をしている数人の生徒たちは、こんなに目立つ状態の紫音たちに対し、見向きもしない。いったい、彼女は何をしたのか?
「ね、ねえ君は――いったい、誰なの?」
少しの静寂。『紫音』と答えられたらどうしようかと紫音は緊張するが、
「……『イオ』」
その少女は、ぽつりと答えた。
(何故だろう? 初めて聞く名前のハズなのに。何故だかとても、懐かしい感じがする)
でも特に、何かを思い出す訳でもない。脳内で、シナプスが上手く繋がらない。
「君は――何処から来たの?」
「…………」
答えない。
(黙秘? もしかして、何か答えられない特殊な事情でもあるのかな?)
スー。スー。
(寝てる……)
背中から聞こえる平和そうな寝息。疲れていたのだろうか?
起こすのも悪いなと、紫音はそのまま刻任家へと向かった。
既に大きく傾いた陽が、重なったふたりのシルエットを紅く染め上げる。
背中に背負われたその少女は、何故かとても幸せそうに、その瞼を閉じていた。
幸い刻任家は学校から近く、徒歩で十分とかからない。紫音はヘタレにつき肉体労働は得意ではないが、汗だくになって何とか体力の限界ギリギリでたどり着く。
共働きでいつも遅くまで働いている両親はまだ帰宅していない。
一瞬、躊躇する紫音。
(いくら自分と同じ顔といっても、年頃の女の子を部屋にあげちゃってイイのかな?)
でも、他にどうしようもない。
意を決した少年は、イオと名乗った少女を二階の自室に運び込む。そして眼を覚まさない様に気を使いながら、ゆっくりと自分のベッドに横たえる。
(――やっぱり綺麗、なのかな?)
刻任紫音は、とうとう自分の頭が本格的におかしくなったと思った。
だって相手は、自分の分身の様な少女だ。
でも自分より明らかに、女の子っぽい顔だちをしている。
長い睫毛。艶やかな唇。透き通る様な白い肌。短めだが、サラサラとした髪。
そしてその華奢な体型と、短いスカートからすらりと伸びた、見事な美脚。
自分のベッドで、すやすやと寝息を立てている美しい少女。
呼吸をする度、その薄い胸が上下する。
(そ、それにしても、この娘はいったい何者なんだろう? 自分に姉妹はいないハズだけど……。ま、まさか、両親のどちらかの隠し子!? とか)
ベッドのフチに腰掛けた紫音がその少女に見入っていると。唐突に、イオはぱちっと眼を覚ました。そして身の危険を感じたのか、咄嗟にベットの上でずざざっと後ずさり。
「ヤ!? 止めテッ! コレ以上ナンかされたラ、あたしホントにモウお嫁ニ……ッ!」
「ち、違うよっ! とんだ誤解だよ! 僕の家へ連れてけって言ったのは、えと、イオ、君でしょ? しかもオンブしてる間に寝ちゃうし……」
「エ? ソウだっケ?」
「そうだよっ! ……で、君は、いったい何処から来たの?」
イオはにっと笑うと、薄い胸を張って自信満々にこう答えた。
「コノ時代カラ、百十一年後の未来!」
…………やっぱりこの娘大丈夫かな? とますます心配になる紫音。
「へー。それはスゴい、ね……。で、君は今、歳いくつなの?」
今度は『百十一歳』とか答えられたらどうしようかと不安になるが、
「十五歳! 今の紫音と一緒だヨ? ネエ、嬉しイ?」
イオは悪戯っぽく笑い、紫音の同じ顔を覗き込む。
「えと、うん、まあ、そうだね。で、君は――いったい、何者なの?」
するとイオは、突如歪んだ微笑をその顔に浮かべ、
「フフフのフ! 実はあたしの正体ハ……『ドッペルゲンガーの死神』ダァー! オマエの魂を貰うゾ! 刻任紫音――――ッ!!」
「ギャ――――――――――――っ!?」
急変したイオの態度に、腰を抜かさんばかりに驚く紫音。
「ア、アハハハハハハ! ジョ、ジョーダンだヨ! 記録どおりノ、ビビリだネ? あたしの『ご先祖さま』」
「な、なんだ冗談か……。え……? ご、『ご先祖さま』――!?」
そしてお腹を抱えて笑っていたイオは、ベッドの上で腰に両手を当て、すくっと立ち上がった。
「あたしハ、キミの『ご子孫さま』だヨ! 紫音――――」
(……とても、悲しい)
その少女は、自室の白いレースの天蓋付きベッドにうつ伏せになり、枕を濡らしていた。
(せっかく好きになれたと、思ったのに。とうとう見つけたと、思ったのに。こんなコトなら、男のヒトになんて興味が無いまま、生きていけばよかった)
双芭星崋は――幼い頃から、極度の男性恐怖症であった。
幼少の時点で既に美少女然としていた星崋は、よくヘンな大人に付け回された。
その様な事態を重くみた双芭家は、星崋専属の私設警護団『星崋団』を結成し、リムジンでの送迎通学に切り換えた程だ。
そして少し大きくなって、小学校の高学年になった頃……、星崋は気付いた。
同級生の男の子たちの、自分を見る眼が――怖い大人の男たちの眼と似てきた事に。
――その眼が、怖い。
そして小学生のうちに、何人かの男の子に告白された。
中学生になると、毎月、いや多い時は毎週の様に誰かに告白される様になった。
でも、一度として相手の眼を真っ直ぐ見るコトが、出来なかった。
その眼は、自分の容姿――表面しか、見ていない。
そして何かを、とても怖い何かを、その眼の奥で考えている。
それは、ただの思い過ごしかもしれない。でも、そうとしか思えなかった。
それでも。周りで彼氏が出来た友達の話とか、街で幸せそうにしている恋人同士とかを見て、なんだか楽しそう、とはほんのちょっぴり感じていた。
(『彼がいる』って、一体どんなキブンなのでしょうか? わたくしはこのまま一生、ずっと男のヒトを避けて生きて行かなくてはならないのでしょうか?)
――このままじゃ、いけない。
一度は決めた女子校行きを思い切って変更し、男女共学のこの学校に進学した。
いつか。いつかきっと。自分にも、自分の運命を変えてくれる様なヒトが――
(そして、席が隣の男の子。紫音くんと出逢った。紫音くんの眼は、怖くない。とても……温かい。初めて、男のヒトとまともにお話が出来た)
――告白された。とても。とても嬉しかった。
(嬉しかった、のに。何かが変わると感じた、のに。彼なら、わたくしの内面を、本当のわたくしを見てくれると――)
許せなかった。突然に現れたあの娘と、あんなコトをした紫音が。
それは事故だとは判っていた、のに。自分を助ける為だった、のに……。
(最低なのはわたくしの方です。わたくしは自分で、自分の夢を壊してしまった)
少女は、紫音を叩いてしまった右手の平をじっと見つめる。
(……でも。あの娘は何者なのでしょう? 紫音くんとそっくりなあの娘は?)
『わたしの紫音』と言った、あの娘。姉妹がいるとは聞いていなかった。
(いったい………………………………誰?)
「し……『子孫』っ??? ぼ、僕の……?」
「ソウだヨ? あたしは紫音ノ、四代後のご子孫さま! だカラ紫音はあたしノ、ひいひいおじいちゃんだネ」
全く、信じられない。
「えっ……と? 僕はまだ十五歳だし、子孫を作った覚えも無いけど……?」
「だカラ! 未来から来たっテ、さっきカラ言ってるでショ! 証拠はコノ顔だヨ、ご先祖さま!」
イオは自分の顔を指差して、ずいっと紫音の顔に近づけた。そして部屋の隅にある立ち鏡の方を向く。そこに映ったふたりの姿は、まるで双子。でも、
「たしかにソックリだけど……、じゃあ、なんでわざわざ未来から、その、タイムスリップ? して来たの?」
「フフフのフ……。ソレハ! 刻任紫音! キサマの魂ヲ……」
「ソレはもういいから」
「エ? ア、ソウ? ふーン。えート…………、ソウダ! あたしは怒ってるんだヨッ! モウ激怒だヨ! 憤慨だヨ! ダメな先祖の紫音に対しテ!」
何故? さらに困惑する紫音。
(僕はこれまでの十五年あまりの短い人生で、子孫にダメ出しされる様な何か悪いコトでもしちゃったのかな? 例えば末代まで祟られる様な……。ああ! そうか、さっきの)
「さっきはゴメン。その、わざとやったんじゃないんだ。決して」
「わざとじゃナイ!? うっワー、余計ムカツク……」
何故か唇を尖らせて紫音を睨むイオ。
「ソウじゃなくっテ! 紫音が将来、アノ『胸ペタひんぬー女』と結婚しちゃうカラだヨ! ソノおかげデ! ソレが強烈に遺伝したあたしはなんと不幸にモ!」
イオは再びベッドの上に仁王立ちすると、両手の親指を立ててその自分の薄い胸をびっと差し、絶叫した。
「――――――ご覧ノ、有様だヨッ!」
静寂。紫音は、たっぷり三十秒は呆けていただろうか。
その間に耐えられなくなったイオは、少し顔を赤らめながら、言葉を続ける。
「だカラ! あたしはコノ残酷な運命を変えるタメニ! 遥か百十一年後の彼方カラ! 紫音とアノ胸ペタ女がくっつくのを断固阻止シ! 別の豊乳女とくっつけるタメニ! はるばるやって来たんだヨ! そういうコトでヨロシクッ!!」
もはや紫音は、言葉も無い。が、
「……そんなくだらない理由で、わざわざ未来から来たの?」
「ク、『くだらない』だトォー!? あたしはわざわざ未来カラ、『悪い胸ペタ女に騙されたダメな先祖』を救いに来たんだヨ!?」
「今ちょっと論点をすり替えたよね!? でもそれって、大きなお世話……」
「ヒ、ヒドイッ!? ヒドイヨご先祖さま……。あたしにとっテ、ホントにホントに大事なコトなのニ。ぐスッ。……マタ、泣いちゃうゾ?」
顔を歪め、本当に泣きそうになってしまうイオ。
「ご、ごめん! でも僕が将来双芭さんと、け、結婚するだなんて……ホント?」
「残念ながラ、ホントだヨ! あたしがおじいちゃんから貰ったアルバム見ル?」
「う……うん」
イオは先程の様に、左手の指で不思議なサインを五つ程作った。
すると星形の腕時計の様なモノが薄く発光し、紫音の眼前にぼんやりと何かが浮かび上がる。やがてそれは、ハッキリとした立体映像へと変わった。
「うわ…………!」
まるでSF映画のワンシーン。だが、それより紫音が驚いたのは……、純白のウェディングドレスに身を包んだ星崋の、あまりの――
「…………」
白いタキシード姿の緊張した面持ちの自分にエスコートされ、清らかな笑みを浮かべている花嫁は。まるでどこかの映画女優と見間違わんばかりの、美の化身。
「コラーッ! ナニ見とれてんだヨ!? 騙されるナ! 胸、ペッタンコでショ! 次ッ!」
怒ったイオが素早く指を動かす。すると次に切り替わった映像は、病院のベッドの上で幸せそうに赤子を抱く星崋と、それに寄り添う自分。
「コノ赤ちゃんハ、あたしのひいおじいちゃんだネ! ……さあ、ココカラ! 最後に紫音がおっ死ぬマデ、ダイジェストでイッてみよーカーッ!」
――そんなバカな。
「うっ、うわああああぁぁあああ――――――――――――――――っ!? 止め止め止め止めっ! そっそんなの、見たくない! 見たくないよっ!」
「エー!? ソウ? オモシロイのニ」
「面白くないっ! ……あれ? でもそうすると? 双芭さんも、イオのご先祖さまってコトじゃないの? 僕がもし違う女と結婚しちゃったりしたら……、イオは、いったいどうなっちゃうの?」
「フフフのフ! ソノ点ナラ、心配ご無用!」
至極当然な疑問に対し、自身満々に控えめな胸を張り、ちっちっと人差し指を振るイオ。
「紫音、キミのDNAは超強力! 濃いんだヨ! キミの遺伝情報ハ、世界中どんな相手と結ばれようとモ、何代後になろうとモ、ほぼ九十九パーセント発現スル。『究極☆優性遺伝子』ってヤツだネ!」
“遺伝子が濃い”って、ナンかヤだな、と渋い顔をする紫音。だが、いつも影が薄いとか存在が希薄とか言われているので、“濃い”っていうのは初めてかも。
「デモ、ただヒトツ――『胸の大きさ』っていう項目を除いテ! ツマリあたしはあたしのままデ、胸の大きさだけが紫音のお相手によって変化スル。そしてアノひんぬー女、セイカの遺伝子ハ、『胸の小ささ』だけが超強力に遺伝スル。まさニ、末代までの祟リ! 百十一年殺シ! おかげであたしは超不幸にモ、ご覧ノ――」
「ソレも、もういいいから」
「エー? 大事なコトなのニ。あたしは一人っ子だヨ? コノ胸のおかげでお嫁に行けなくっテ、紫音の子孫があたしの代で途絶えちゃってもイイノ!?」
「そ、それは、よく無いけど……? でも」
「『でも』じゃナイッ! とにカク、アノ胸が太平洋女の代わりニ、遺伝が強力な胸がヒマラヤ山脈女を探し出して紫音とくっつけれバ……、アラ不思議! あたしの胸がエベレストニ! ちなみにコレガ、《遺伝☆演算機》の予想演算結果。ホラ、こんなニ……」
今度は立体映像が、胸がご立派になったイオの姿を映し出す。何故かそれは、ブルーに白い星柄のビキニ姿。うっとりと、嬉しそうにそれを眺めるイオ。
(……よく分からないけど、たしかに胸が大きくなったイオは、我が子孫ながら普通の男なら簡単にまいっちゃうくらい魅力的なのかも。でも、自分の胸を大きくする為だけに先祖を入れ替えるなんて大それたコト、ホントにしちゃっていいのかな?)
さらに。自分の星崋への告白は、失敗に終わった。
従って、さっきの映像のような出来事が素直に実現するとは、とても思えない。
(――でも。さすがにそういうコトに興味が薄い自分でも、あの、幸せそうなウェディングドレス姿の双芭さんには……)
――がたっ。
「――――――っ!?」
不意に部屋の扉の外から聞こえてきた物音に、飛び跳ねんばかりに驚く紫音。そして何やら、ひそひそ話まで聞こえて来る。
(おい、押すなよ、委舞)
(私にも聞かせて下さいよ、汰紫さん。だってあの紫音が部屋に女の子を連れて来るだなんて、初めてじゃないですか? 誰かの若い頃に似て、とっても奥手なウチの紫音もついに“男の子”に……。どうしましょう汰紫さん、今夜はお赤飯ですかね?)
これはいわゆる大ピンチ。親バレというヤツだろうか?
「あわわわっ! ど、どうしよう? いつもは帰りが遅い父さんと母さんが、今日に限ってもう帰って来ちゃったよ! えっとイオ、何処でもいいから隠れてっ!」
うろたえる部屋主の紫音に対し、来訪者のイオはいたって冷静に、
「エー、もうバレてるヨ? どのみち子孫とシテ、紫音のパパとママにはご挨拶しようと思ってたシ。それに紫音に新しいお相手が見つかるまデ、しばらくココにご厄介になるシ」
「は!? そ、そんなの、急にはムリだよきっと! それにイオが子孫だってのも、信じるかどうか……」
イオは再び人差し指を、小刻みに左右に振る。
「チチチのチ。ソレも心配ご無用だヨ! 《強制☆精神操作》を使えば、万事穏便ニ――」
――がちゃっ。どどどっ!
突如部屋のドアが開いてしまい、聞き耳を立てていた父と母が倒れ込んで来た。
紫音の両親――刻任汰紫と委舞は、高校生の子供がいるにしては若めで、ふたり共外見的にはとても優しそうである。その顔つきは、それぞれなんとなく紫音に似ている程度。ちなみに委舞の胸の大きさは、並。なかなかの美人さんである。
「と、父さん、母さん……。何もそんな子供じみたコトしなくても……」
「いや、邪魔してスマンな紫音! お前の初めてのガールフレンドが気になってな! 玄関の女物ブーツを発見して、父さん本当にビックリ…………………あ?」
「た、汰紫さん、この娘……?」
汰紫と委舞は、息子の初めてのガールフレンド(?)を見て、眼を丸くした。
その理由は、明白。その顔は、息子と同じ。
「初めましテ! 紫音のお父様、お母様ッ! あたしはあなた方から五代後の子孫、刻任イオと申しマスッ! コノ時代から百十一年後の未来から来ましタ! 訳あって今日カラしばらくの間、こちらでお世話にナリマスッ! どうぞヨロシクお願いシマスッ!」
イオはいつの間にかベッドから降り、床の上に正座して三つ指を揃えていた。
だがその礼儀正しさも束の間。左手で素早く何パターンかのサインを形作ると、手首の星形を汰紫と委舞に向ける。
そして、《強制☆精神操作》起動の為に星形が点滅を始める、が――
「……へー、俺たちの子孫かあ、そいつはスゴいね!」
「汰紫さん、私、女の子も欲しかったのよ」
全く意外な事に、イオの現実離れした挨拶に対する両親のリアクションは平然。
「実は俺もだ。よく来てくれたねイオちゃん、こちらこそよろしく! 俺は汰紫」
「私は委舞。初めまして。でも、なんだか初めて会った気がしないわね? 紫音にそっくりだからかしら? まるで私たちの子の様ね。歓迎するわ、イオちゃん」
「俺たちのコトは、本当の親だと思ってくれていいよ」
「困ったコトがあったら何でも言ってね? そう、ちょうど隣の部屋が空いているから、そちらを使ってもらおうかしら?」
「エ……? ア、ハイ。アリガトウゴザイマス……?」
「……???」
《強制☆精神操作》を起動させるまでもなく、とんとん拍子に話が進んでしまい、拍子抜けする刻任イオ。そして紫音は両親のあまりの柔軟さに、しばらく呆気にとられていた。
――とんとん、がちゃっ。
「紫音ーッ、起きてるカー? 入っちゃうゾー!」
着替え中だった紫音は、慌てて地味なグレーのパジャマのズボンをズリ上げる。
「うわっ! ちょっと待っ……て、あれ? イオ、その制服ウチの学校のだよね……? どうしたの?」
「エヘヘのへ。コレ、ウチのおじいちゃんが持ってたんダ。ドウ? 紫音、似合うカナ?」
ブルーのふわっとしたスカーフが特徴の制服に身を包んだイオは、ちょっぴり照れながらも、その場でスカートの裾を押さえてくるくると廻ってみせた。
紫音は、まるで自分がソレを着ている様にも思えて、ちょっぴり赤面する。
「に、似合ってるけど、もしかしてイオ、それで学校に?」
「ご名答! だっテ紫音に相応しいお相手を探すにハ、常に一緒にいないとダメでショ?」
「ふーん……。でも、そんな簡単に転入許可とか……まさか!?」
「ソウ! 《強制☆精神操作》と合わせて《強制☆情報操作》を使えバ、一発だヨ!」
「……やっぱり未来って、色々便利なツールが揃ってるんだね。でも、イオのおじいちゃん――僕の孫って、制服マニアの変態かなんかなの?」
「ちがーウッ! 超有名ナ、立派な科学者だヨ! ナンてコトぬかすんだコノ『ダメ先祖』! おじいちゃんに対する侮辱は赦さないゾ! マア、ちょっとマッドサイエンティスト入ってたケドネ」
自分に対する侮辱はOKなんだと、紫音はちょっぴり理不尽さを感じつつ、
「へえ、それはスゴいね……。僕の孫が、科学者? えーと、じゃあ、イオのお父さんとお母さんは? ひとり娘がこっちに来ちゃったら、心配じゃないかな?」
一瞬の間。そして急に元気がなくなって、俯いてしまったイオ。
「――心配なんか、出来ないヨ……」
「えっ? どうして?」
「エ、エヘヘのヘ! ソレハ、訊かない方向デ!」
再びイオは笑顔を作り、その小さな胸の前で両手をバッテンにする。
(どうやら何か、込み入った家庭の事情があるのかも。まさか、い、家出とか?)
「じゃア、あたしは委舞とおフロに入ってくるカラ! 覗いちゃあダメだヨ? コレ以上の狼藉ハ、ゼッタイ許さないんだカラッ!」
「のっっっ!? 覗かないよっ! だ、誰が母親と子孫の入浴シーンを……!」
「アハ、どーだかネ? あたしソノまま隣の部屋で寝ちゃうカラ、今日はもうオヤスミだヨ! 紫音、また明日ネ!」
イオは、紫音に向かってわざとらしくウインクしながら投げキッスをかますと、部屋を駆け足で飛び出して行った。まるで、小型台風が去ったかの様。
「……ふう」
紫音はベッドにばったりと横になり、今日の出来事を回想する。
初めての、告白。
――失敗。
自分と同じ顔をした、子孫(?)の出現によって。
しかもそれは、同い歳の女の子。
今日から、同居?
(――――――――なんて、一日だろう)
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