二話 ジェラシー
条咲学園の文化祭『桜咲祭』のお話です。
誤字修正しました。
条咲学園を姉、琴音姉に勧められ、入学してから二カ月を過ぎ、六月初旬。『桜咲祭(おうさきさい』、俗に言う文化祭とやらはこの時期に行うらしく、一年B組のこの教室の窓から見える正門には受付入場待ちの人々で溢れかえっている。
天気は、晴れ。絶好の居眠りが出来る。
「来たよ蒼君~!」
「うぎゃ」
――僕の一つ上の先輩、小神ミユが居なければの話なんだが。
ミユと、既に呼んでいるのだが上下関係に関しては、いらんところで引っ張ってくる。例えば今、後ろから僕の首に両手を回して抱き着いているミユが居るのだが、両手首を手で掴み、引き剥がそうとすると「抱きつかれるのは先輩命令だからねっ!」と訳の分からない発言を仰っている。思わず腹の底から息が溢れてくる。あぁ、ため息です。
「今日、一日中一緒に私と回るんだよ! これは最優先事項です!」
どこぞの赤髪で眼鏡の先生の発言。驚きと焦りとなんでも良いと思っていたせいなのか、僕は阿呆みたいに口を開けて聞いていた。そんな僕の口に皮膚が這いつくばって侵入をしてくる。何事!?
「ちょ!」
皮膚、というのが語弊でもなんでも無いようにミユの右人差し指が僕の口内に本当に侵入をして、思わず口を閉じてしまい「きゃ!」なんて悲鳴が聞こえ、思いっきり口開ける。
いやいやいやいや。別にそういう趣味の傾向を持っているわけじゃないです。ミユの方へと身体を向けて、ただ目の前の右人差し指は唾液汁を被り……いやらしい。
「もう蒼君ったら」
「ミユのせいでしょ! ついでに言わせてもらうと、その右人指し指を自分の口の中に入れようとしない!」
瞬時にポケットティッシュをズボンから取り出して、ミユの右人差し指は、僕の唾液汁は保護された。頬を膨らまし「なんでー?」なんて仰るが常識だろってこの人はお嬢様でした。
「なんでもだよ。ところでミユ」
「話題を律義に変える蒼君、何?」
「そういう余計なツッコミ、次入れたら怒るよ?」
「蒼君の怒ってるところ、みてみたいなぁ」
「『手を繋ぎたいなぁ』みたいな感覚で言わないで。なんか純潔な心が汚れる」
「私の?」
「僕のだ。そんで……」
『その制服はコスプレ?』なんて聞けるわけも無く、ミユの頭からつま先まで見てしまった。セーラー+黒ニーソってコスプレっぽい。冬ならまだしもって余計なイチャモンを心の中で付けている間に、「何ニヤニヤしてんだ?」と誰もいない(訂正だ。ミユが目の前に居る)一年B組の教室で声がする。敢えて言うが左斜め前、厳密にはミユの隣に頭をボリボリと掻いて、銀髪ツインテを振りかざす深月先輩が居る。なんでだ? それにセーラーの上に家庭科の料理実習に使いそうなエプロンを着ているんだが。
「深月先輩――」「コスプレじゃねぇーよっ! か、勘違いすんなよ!」
呼んだだけで僕は距離を詰められて鳩尾へと深月先輩の右ストレートが腹を抉る。
「痛っ! いやいやいやいや、色々可笑しいよね。名前呼んだけなのに」
「名前呼ばれると……その、この格好馬鹿にされるって思ったから……だー! もう! 気付け阿呆!」
何にですか。謎の罵倒の後に何を思ってミユの後ろに隠れるんだろうか。僕の心は右ストレートに抉られた腹よりも悲惨な状況というのに。殴られた鳩尾を擦りながら、
「クラスの出し物ですか?」
なんて聞いてみると、深月先輩は首を横に振る。腹殴って隠れるとは新手の恥ずかしがり屋だな、畜生。
「他には……もしかして、子供のお世話とか。あはは、そんな――」
「悪かったな! 阿呆! 幼稚園の先生代理だよ!」
うわー凄いな。っていや凄いぞ! どこぞの幼稚園の先生代理だよ。
「え、えーっと、ミユ、今日どこ廻る?」
「無視すんなっ!」
いきなり深月先輩が飛び付いて、僕は勢いよく腰を床へとぶつけて悶絶。仰向けで寝転がっている状態にお腹のあたりでお約束の馬乗り状態。ミユまでもが悶絶をしているのか、口に両手をあてて目が泳いでいる。
「とりあえず、この格好……似合ってるか?」
「似合ってる」
即答。本来ならば『幼稚園児みたいで』という言葉を添えるところだったが、機嫌取りをしようと敢えて言わなかっただけだ。深月先輩の目線を合わせて喋ろうとすると、この状態からでは腹筋使用しなければいけないため、敢えて天井の黒の斑点へと向ける。
時々思うのが『この黒の斑点の意味は?』などと考えてしまう。きっと天井壁を作った業者の悪戯であろう。
「本当? それは誠か?」
「えぇ、存分に誠であります」
理解不能な日本語を交した後、深月先輩は一安心したのか深呼吸をして胸を撫で下ろす。ちなみにその深呼吸のおかげで息を吸うタイミングで僕の腹筋へと負荷が掛るのをお忘れなく……要するに意識すると下半身に血の気が言ってしまうと言う訳だ。男子高校生の生理現象である。
呼吸の乱れを消して、深月先輩は馬乗りから解放をしてくれて大分助かった。ため息交じりの深呼吸。正門周辺を見渡せる窓側の方へ向き直り、両手を天井へ向けて伸びをしてるのも束の間、夏服Yシャツの右裾が引っ張られ、再び反転。
「どうしたのミユ?」
お嬢様らしさが皆無になってきたミユは、涙目でこちらを上目遣いで見つめてくる。
どういう状況なのか誰か説明をしてくれ。ややパニックである僕は自分への説明のしようが無く、非情に困っている。
「え、えーっとミユさーん?」
「……今日一日中一緒に回ってくれるかな?」
この場合は、えーっと……、
「いいとも!」
だよな。すかさず乾いた音が教室に響いたのは僕の右頬の腫れが引いたときにでも説明を入れよう。
「――時に尋ねよう部長様」
「どうした愚民」
「その罵倒の方がどうした? って聞きたくなるよ!」
教室には大分一年B組のクラスメイトが集まり始めて、女装メイド喫茶をやる、ということで早速、さっきまで居た窓側の方は大量のダンボール箱で楽屋的な何かが出来ている。
別に僕は今回、生徒会長の浦安会長の御指名をご達しを承っているので、女装メイド喫茶の餌食になることはない。葉也の事に関しては、あれほどのイケメンであるが故に『岩槻君女装化決定!』とクラスメイトの女性陣が念を押して、進行形であのダンボール楽屋に居ると言う訳だ。
そして、僕は、
「アリスはどこ行ったんでしょうね」
なんて聞いて、深月先輩の左フックが音速の速さのように、空気を切り、僕の左頬に華麗に決まる。
「痛いですって! なんで両頬フック喰らわなきゃいけないんですか!」
右フックとは今さっき珍しくミユから右頬へ頂いた貴重なパンチのことであるって、客観的に説明してる場合ではなかろう。
深月先輩は鬼の仮面を(クラスメイトの小道具)被り、尻もちを床についた僕を見下ろすように仁王立ちをして、こうかましたのだ。
「俺の目の前で他の女の話をするな」
恐怖を生み出す、低い声。まるで新境地へと顔を覗かせて、レベルの高いモンスターだらけで腰を抜かして間抜け面を晒す勇者のように……。
「蒼君、それわかりづらいよ! 浮気面の夫を持つ妻のような心情って言った方が早いよ!」
やけに換気の良いクラスのせいなのか、心をミユに読まれていることに関してノータッチで目の前に広がる2人のスカートの中へと視線が注ぎこまれるように見入ってしまう。
不可抗力、という奴である。
「深月先輩」
「どーした」
「ミユ」
「な、何かな?」
「三次元が縞々――」
「おい、蒼汰。歯を喰いしばれ」
「蒼君……久しぶりのこのピストルの威力、味わいたい?」
深月先輩は生徒会からこのクラスへと支給されたパイプ椅子。ミユは短いスカートの中からオモチャのピストルを手にしてビービー弾を3発仕込む。世で相手側のこの状況は鬼に金棒。
そして僕は、絶体絶命である。
「喰いしばっても意味が無いと思うよ! どっちかと言うと頭蓋骨損傷だよね! あとミユ、ちゃっかり中身が青い色をしたペットボトルを制服から取り出すな!」
何も考えず過ごしている日々。僕はややこの日常が好きだ。可愛いくて、世間離れしてるのか分からない、サクランボのような髪留めでアップテールをするお嬢様のミユ。
ぶっきらぼうでこういうふざけたことをしてちゃんと怒る銀髪ツインテ深月先輩。
そして、僕の実姉の琴音姉。何もかもが楽しくてたまらない、そんな日常を送れることに感謝を注ぎながら今日もはしゃぐのである。
『浮気も行けないけど蒼君、コト先輩を崇拝するKFK、琴音様ファンクラブの人たちには注意してね。アキちゃんを探すのも良いけど……少しは私と一緒に回ってね! 絶対の絶対のぜっっっっっったっいだからね!』
――釘を心臓に二本刺された、ミユに。
あのジェットコースター以来に訊くKFK。だが実態はKFCだろ、とかツッコミを入れたくなる。
『KFC、あぁ、貴様、死ぬか?』
ミユの似非女性執事・レーデルさんを思わせる女子生徒の入澤萌香が、そんなことを言っていた。だが貴女は横暴。無理やり事実を曲げて、敢えて貫くようで、これ以上深く足で踏みにじって行くのはやめようと思い、言及はしなかった。
「アリスいないかなぁ」
この学園には私立らしくと言えば語弊なのかもしれないが、中庭を校舎で長方形のように型取り、大きな桜の大樹が立っている。立派なその大樹の元には2人が座れるぐらいの木製のベンチが存在。夏は優しく涼しげに背中に向かい吹いてくれて、冬は建物で密集してくれて温かく感じるのだ。不思議な空間である。
中庭散策と称して、靴を履き大樹の方向へと向かう。ここからだとベンチに座っている長髪黒髪で前髪パッツンにセーラーを来て、黒ストッキングを履いた条咲学園の女子生徒と清純そうな爽やかな笑顔を振りまく同男子生徒が座っている。青春、というものだ。
どんどん近付いてくと女子生徒の方の顔がはっきりと目に移る。
「アリス?」
その女子生徒は手に持つ、缶のお茶を制服へとこぼし、男子生徒がフォローに入るかのように、スカートをハンカチで吹き始める。なんだろう、目眩なのだろうか。
僕は急に思考回路が停止をして、
「……蒼汰違うの!」
そんなアリスの声が耳に入って来て、我に返る。
「いやいいんだ」
何がだ。なんも良くない。
「えっと、僕にはミユと深月先輩が居るし、これ以上はハーレムになっちゃうから丁度良かったよ」
いや、自分良く分からないぞ。ハーレムという語源を調べたくなったぞ!
「アリスとはいろいろあったし、知らなかった方が良いことも世の中にはある。ただそれだけのことだしな」
正直、正直な話だ。これと言ってイライラしているわけでもなく、落ち着いて喋れてる筈だ。それも今まで以上に冷静にだ。語弊としては『今まで以上』なのだがこの際、どうでも良い。純粋に心の奥底でモヤモヤした気持ちが生まれて、焦っている。
別に昔仲良かった女の子が今になって再会して、前みたいに仲良くなれる。なんて、思ってはいなかった。これが現実と言う奴だ。
このモヤモヤはどういう感情表現なのだろうか――
「蒼君、心配のしすぎだよ。単なる実行委員同士とかじゃないの?」
私の事はそんなに心配しないのに、なんて付け加えてミユは何か言いたげな表情で缶のストレートティを口にする。
自動販売機が設置されている女子寮と男子寮の間、正しくは2階の一番東側にある食堂の中である。ここは在校生のみの入場可能な場所であって人気は少なく、出入り口手前のテーブル番号21番にお互い向き合うように腰を下している。
「そうかなぁ、僕の観察能力はそんなに低いかな?」
「観察能力って……」
なんかミユの表情が引きずり、次第に怪訝そうな表情へと移り変わってしまう。
「まぁ、蒼君はモテモテだよ」何をどう、総合的に捉えたらそうなる。
「蒼君が思ってるほどアキちゃんとその男の子の謎の関係は、恋愛方向に働かないし、良い方向じゃないと思うよ。きっとね」
「なんでそんなにキッパリ言えるの? ある意味失礼じゃないかな?」
「良い方向じゃないって言うのは、生徒会執行部の一員っぽいところ。彼氏彼女の関係とかじゃないほうだよ! 何勘違いしてるの蒼君は!」
ご立腹とは頬を膨らますことで表現できるものなのか? という疑問は少し日本語読解に難を感じる。どうでもいいけど。
「ご、ごめん。でもなぁ」
「もしかして……秋ちゃんのこと、好きなの?」
「その『もしかして』はどこをどう捉えたらそうなるんだ。絶対ない。好きって言うのは僕は、友達として好きなだけだよ」
「友達として、好きねぇ」
ミユのジト目という奴は微妙にSっぽさを感じさせる。そういう性癖は無いんだが、寒気を感じてしまう。僕は目の前の季節はずれのコンポタージュ(温かい)の缶を開けて、口にする。甘ったるく感じたりコーンが取れない時のイライラなどは半端ない。じゃなくてだ、僕は一体、どういう感情をアリスに向けていたのか、が議題というのを忘れてはいけないよな。
「ということは」
「ん?」
「ジェラシーね! 蒼君も可愛いところあるわね」
なんで私にはジェラシーを抱かないのか些か不快だけど、とまたも余計に付けくわえて、僕を凝視するミユ。
なるほど。ただそんなことに僕はイライラしていたのか。
日常における感情なんて全知していたはずだった。それなのに僕はジェラシー、嫉妬という感情に気付けなかった。なるほど。
――って
「僕はなんで嫉妬をしてたんだよ」
「私に分かるわけないよー」
そりゃそうか。ため息を吐きかけて僕の右肩に物理的に重力が加わる。振り向いてみると、そこには――
「……蒼汰、アリスに散々言ってたのに……」
走り回って探していたのか分からないのだが、自慢の綺麗な黒くて長い髪がボサボサになり、昔から癖っ毛である前髪がやや浮きあがり、アホ毛を作りだしているアリスが立っていた。
表情は明らかに心配をしていたのか、涙目で何かを訴えてきてる。制服も乱れ、何もかもがひっちゃかめっちゃか。スカートに関して言えば、後ろが捲り上がっている。
「えっと……ごめん」
「……良いよ。でもね」
「ん?」
「……穴埋め。アリスと一緒に桜咲祭、一日中回って」
今日の空は真夏とも言える程の暑さを放つ太陽が燦々として、晴れていた――僕の心の中は正反対と言うのに。