帝国厨房の主
カイル陛下への朝食提供を終えた私は、その足で城の裏手にある厨房へと向かった。
これから毎日、私が食事を用意するにしても、部屋でこっそり作るわけにはいかない。
拠点が必要だ。
「ここね……」
重厚な扉の前で足を止める。
中からは、怒号と金属音が響いてくる。
私は意を決して、その扉を押し開けた。
ムワッとした熱気と、油の酸化したような臭いが鼻をつく。
広々とした厨房では、筋肉隆々の男たちが大鍋をかき混ぜたり、巨大な肉の塊をナタのような包丁で叩き切ったりしていた。
料理というよりは、解体作業現場に近い。
「なんだ、あんたは!」
入り口に立った私に気づき、一人の大男がドシドシと歩み寄ってきた。
身長は二メートル近いだろうか。熊のような体躯に、白いコックコート(油で茶色くなっているが)を着ている。
彼がこの厨房の主、料理長のガントだろう。
「ここは女子供が遊びに来る場所じゃねぇ。怪我しないうちに帰んな、お嬢ちゃん」
ガントは太い腕組みをして、私を見下ろした。
威圧感はすごいけれど、私は公爵令嬢として、もっと陰湿な貴族社会を生き抜いてきたのだ。これくらいでは動じない。
「初めまして、料理長。私はリリアーヌ。今日から陛下の食事担当になりましたので、ご挨拶に伺いました」
「あぁ? 陛下の食事担当だと?」
ガントは鼻で笑った。
「冗談言うな。陛下の体を作るのは、俺たちが作る『帝国式パワーシチュー』だけだ。貴族の嬢ちゃんが作るような、軟弱な飾り菓子なんぞ必要ねぇんだよ!」
「パワーシチュー……あの、深緑色のスープのことですか?」
「そうだ! 野菜も肉も皮ごとぶち込んで、半日煮込んだ栄養満点の傑作だ!」
なるほど、原因が分かった。
アク取りもせず、皮も剥かず、ただ煮込み続けるから、野菜のエグみと雑味が凝縮され、あのようなドブ色……いえ、深緑色になるのだ。
「……では、勝負しませんか?」
「あ?」
「私がそのシチューを、もっと美味しく、見た目も美しく作り変えてみせます。もし私が勝ったら、この厨房の一角と、私の指示に従う権利をください」
「ハッ! 面白い。俺たちの魂のスープを否定するなら、やってみろ!」
ガントが指差した鍋の前には、泥のついた根菜と、筋張った肉が置かれていた。
私は袖をまくり、ウィンドウを開く。
「まずは下ごしらえですね。……召喚、『ピーラー』」
私の手に現れたT字型の器具を見て、男たちが「なんだあれは?」「武器か?」とざわつく。
私は野菜を手に取ると、ピーラーを滑らせた。
シュッ、シュッ、シュッ――!
小気味よい音と共に、野菜の皮が薄く、均一に剥かれていく。
包丁の数倍の速さで、あっという間に山盛りの野菜がツルツルの裸になった。
「な、なんだその速さは!? 皮が紙のように剥がれていくぞ!?」
「魔法剣か!?」
驚く男たちを無視して、私は肉の筋を切り、適度な大きさにカット。
そして、鍋に油を敷き、肉と野菜を炒める。
ここで重要なのは、煮込む前に「炒める」ことで旨味を閉じ込めることだ。
水を入れ、沸騰したら丁寧にアクを取る。
この「アク取り」という工程を知らない彼らは、不思議そうに私の手元を覗き込んでいる。
「そして、仕上げはこれよ」
私は小袋から、茶色いキューブを取り出した。
『コンソメキューブ』。
牛と野菜の旨味を凝縮した、現代の魔法石だ。
鍋に投入すると、スープの色が濁った緑色から、透き通った黄金色へと変わっていく。
立ち上る香りは、青臭さではなく、食欲をそそる芳醇な肉と野菜の香りだ。
「で、できたわ。これが『真・帝国スープ』よ」
私が小皿にスープをよそい、ガントに差し出すと、彼は震える手でそれを受け取った。
「こ、こんな透き通った汁が、スープだと……?」
彼は疑わしげに口をつけた。
そして――。
「う、うめええええええ!!」
野太い絶叫が厨房に響き渡った。
「なんだこれは! 雑味がねぇ! 野菜の甘みと肉の味が、喧嘩せずに手を取り合って踊ってやがる!」
「おい、俺にも飲ませろ!」
「ずるいぞ料理長!」
群がってきた男たちが、次々と鍋のスープを味見し、次々と膝から崩れ落ちていく。
「かあちゃん……俺が今まで作ってたのは、家畜の餌だったのか……」
「野菜って、こんなに甘かったんだな……」
涙を流して感動する大男たち。
ガントは空になった皿を置くと、私の前で膝をつき、深々と頭を下げた。
「……完敗だ、リリアーヌ嬢。いや、師匠!」
「師匠?」
「あんたはすげぇ。その『皮剥き魔法剣』といい、『黄金の味の素』といい、未知の魔法だらけだ。頼む、俺たちにその極意を教えてくれ!」
「教えてくれ!」
男たちのキラキラした(むさ苦しい)視線を浴びて、私は苦笑した。
どうやら、胃袋だけでなく、帝国の台所も掌握してしまったらしい。
「ええ、いいわよ。まずはその泥だらけの手を洗うところから始めましょうか。衛生管理は料理の基本よ!」
「「「イエッサー!!」」」
こうして私は、帝国厨房という新たな武器を手に入れたのだった。
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