第25話 拒絶される王族たち
「よ、寄越せ! そのスープを私に寄越せぇぇぇ!」
セドリック王太子は、泥だらけの靴で雪を踏みしめ、湯気を立てる大鍋へと突進してきた。
その目は血走り、口端からは涎が垂れている。
かつての「美しい王子」の面影は、見る影もない。
「待ってください殿下! 私が先ですわ! 聖女である私が毒味をして差し上げます!」
エレナもまた、ドレスの裾を踏んづけながら、彼を押しのけて前に出ようとする。
彼らの後ろに続く側近たちも、飢えた獣のような目つきで鍋を睨んでいる。
彼らの視線の先にあるのは、ただ一つ。
味噌とごま油の香りが漂う、具だくさんの『豚汁』だ。
「……あさましい姿ね」
私はため息交じりに呟き、彼らの前に立ちはだかった。
お玉を持ったまま、冷ややかな視線を浴びせる。
「リリアーヌ! 邪魔だ! さっさとそれを器に盛れ! 具は多めだぞ!」
セドリックは、私がまだ彼の言いなりになると思っているようだ。
私は彼の手が伸びてくる寸前で、一歩下がった。
「お断りします」
「……あ?」
「この豚汁は、貴方たちのためのものではありません。……貴方たちの愚策によって飢え、病に倒れた、罪のない民のためのものです」
私の言葉に、セドリックは顔を真っ赤にして怒鳴った。
「ふざけるな! 民など後回しでいい! 王族である私たちが生き残ることこそが国益だ! さあ、早くその味噌の香りがするスープを……!」
「――黙れ、下衆が」
ドォォォォン……!!
空気が振動した。
カイル陛下が、ただの一歩を踏み出しただけで、その場にいた全員が圧力に押されて膝をついた。
セドリックもまた、無様に雪の上に転がる。
「ひぃっ……!? な、なんだこの殺気は……!」
「俺の伴侶に指図をするな。……それと、その汚い手を鍋に近づけるな。豚汁の味が落ちる」
カイル陛下は魔剣の柄に手をかけ、氷点下の瞳で彼らを見下ろした。
その威圧感に、セドリックたちはガタガタと震え上がり、後退りする。
すると、エレナが涙目で叫んだ。
「ひ、ひどいですわ! 私たちは被害者なんです! リリアーヌさんがいなくなったせいで、美味しいご飯が食べられなくなったんです! 責任を取って、私たちにもそのスープを振る舞うべきですわ!」
「……責任?」
私は呆れて物が言えなかった。
しかし、その代わりに声を上げたのは――私の後ろで豚汁を啜っていた、難民たちだった。
「ふざけるな!!」
一人の男が、空になったお椀を握りしめて立ち上がった。
「俺たちが腐ったパンを食わされている間、あんたたちは城で宴会を開いていただろう! 『甘くて美味しい』と笑いながら!」
「そうだ! 私の子供は、聖女様の『甘い祈り』がかかったミルクを飲んで死んだんだ!」
「自分たちだけ助かろうなんて許さない! 帰れ! 二度と俺たちの前に顔を見せるな!」
石が飛んだ。
雪玉が投げつけられた。
難民たちの怒りは、限界を超えていたのだ。
「きゃあ! な、何をするのよ汚らわしい!」
「ええい、鎮まれ! 私は王太子だぞ! 不敬罪で処刑するぞ!」
セドリックが喚くが、誰も聞く耳を持たない。
豚汁によって正気と活力を取り戻した民衆は、もう「裸の王様」には従わなかった。
「……くそっ! こうなったら実力行使だ!」
セドリックは狂乱し、腰の剣を抜こうとした。
だが、それより早く、エレナが奇声を上げて前に飛び出した。
「もういいですわ! そんなに意地悪をするなら、私がこのスープを『浄化』してあげます!」
「なっ……!?」
彼女は両手を広げ、大鍋に向かって走り出した。
その手には、あの不吉なピンク色の光が宿っている。
「スキル発動――『聖女の甘い祈り』!! この茶色くて塩辛そうなスープを、砂糖菓子のように甘く、トロトロに変えて……!」
彼女の狙いは、豚汁の「味変」だった。
もし、この絶妙な塩加減と出汁の効いた豚汁が、シロップのように甘くされたら――それはもう、食べ物ではない。ただの「温かい生ゴミ」だ。
「やめろぉぉぉぉ!!」
難民たちが絶叫した。
彼らにとって、この豚汁は命綱なのだ。それを汚されることは、死刑宣告に等しい。
「させるか」
ザシュッ――!
一閃。
カイル陛下の魔剣が、目にも留まらぬ速さで空を斬った。
エレナの目の前の雪面に、深い亀裂が走る。
その衝撃波で、エレナは「きゃあああ!」と吹き飛ばされ、雪だるまのように転がった。
「……次にそのふざけた光を出したら、腕ごと切り落とすぞ」
カイル陛下の低い声が、死神の宣告のように響く。
エレナは顔面蒼白になり、失禁してその場にへたり込んだ。
「リリアーヌの料理は、そのままで完璧なのだ。……貴様の歪んだ『祈り』など、冒涜でしかない」
陛下は剣を納め、冷たく言い放った。
「失せろ。この砦に、貴様らの席も、食い扶持もない」
兵士たちが槍を構え、一歩前に出る。
その後ろには、怒りに燃える数千の難民たち。
そして、湯気を立てる豚汁の香り。
セドリックは、空腹と恐怖で涙と鼻水を垂れ流しながら、それでも未練がましく鍋を見た。
「あぁ……豚汁……味噌……肉ぅぅ……」
「……行こう、セドリック」
側近の一人が、諦めたように彼を引きずった。
彼らは砦を追い出され、吹雪が吹き荒れる荒野へと消えていった。
温かいスープ一杯すら恵んでもらえなかった彼らの末路は、語るまでもないだろう。
「……皆様、お騒がせしました。スープが冷めないうちに、おかわりをどうぞ」
私が気を取り直して告げると、広場には「万歳!」の声が上がった。
老婆も、子供も、兵士も、みんな笑顔で豚汁を啜っている。
その光景を見ながら、私はカイル陛下に小さくお礼を言った。
「ありがとうございます、カイル様。……豚汁を守ってくださって」
「礼には及ばん。……俺も早く食いたいだけだ」
彼は少し照れくさそうに鼻を鳴らし、私に空のお椀を差し出した。
私は笑って、一番大きなお肉と、味の染みた大根をたっぷりとよそった。
外は極寒の吹雪。
けれど、この一杯の豚汁がある限り、私たちの心は折れない。
これが、本物の「聖女の奇跡」なのかもしれない。




