第24話 国境の炊き出し
雪解け水が小川を流れる頃、私たちは帝都を離れ、北の国境砦へと向かった。
そこは、ガルア帝国と、私の祖国ルーン王国を隔てる最前線。
本来なら厳重な警備が敷かれ、緊張感が張り詰める場所だが――今の状況は、それとは少し違っていた。
「……ひどい有様だな」
砦の城壁の上に立ったカイル陛下が、眼下に広がる光景を見て眉をひそめた。
砦の外、荒野に広がるのは、みすぼらしいテントの群れ。
ルーン王国から逃げてきた難民たちのキャンプだ。
「おい、水だ! 水をくれぇ!」
「腹が減った……。もう、甘いだけの腐ったパンは嫌だ……」
風に乗って、うめき声と腐敗臭が漂ってくる。
彼らは皆、頬がこけ、目は虚ろで、皮膚は土気色に変色している。
明らかに、正常な栄養状態ではない。
「……報告通りですわね」
私はハンカチで口元を押さえ、悲痛な思いで彼らを見つめた。
聖女エレナの『祈り』によって味を変えられた腐敗食を食べ続けた結果、彼らの体は毒素に蝕まれているのだ。
「甘い」と感じるのに、体は拒絶反応を起こして吐き戻す。その繰り返しで、生きる気力すら奪われている。
「カイル様。……始めましょう。まずは、彼らの胃袋を『洗浄』しなくては」
「ああ。……だがリリアーヌ、無理はするなよ。貴様が倒れたら、俺がこの国境ごと焼き払うことになるからな」
「ふふ、過保護ですね。大丈夫です」
私は砦の広場に降り、兵士たちに指示を出した。
設置されたのは、大人が五人は入れそうな巨大な大鍋が三つ。
これから作るのは、弱った体にも優しく、かつ栄養満点で、冷え切った体を芯から温める最強の汁物――『豚汁』だ。
まずは、たっぷりのごま油を熱した鍋に、ささがきにしたゴボウを投入する。
ジュワッ! という音と共に、土の香りと香ばしい油の匂いが立ち上る。
この「香り」こそが、食欲を呼び覚ます呼び水だ。
続いて、一口大に切った豚バラ肉。
脂身の甘い肉を炒め、そこへ大根、人参、里芋、こんにゃくを次々と投入する。
根菜類は体を温める効果があるし、食物繊維が豊富で、毒素の排出にも役立つ。
全体に油が回ったら、水を注ぎ、あくを取りながらじっくりと煮込む。
野菜が柔らかくなったところで、隠し味の生姜をたっぷりと。
そして最後に――この世界には馴染みのない『味噌』を溶き入れる。
ふわり。
大豆の発酵した、芳醇でどこか懐かしい香りが広場に充満した。
「……なんだ、この匂いは?」
「嗅いだことのない匂いだ……でも、なんだか体がポカポカするような……」
砦の外にいた難民たちが、鼻をヒクヒクさせてこちらを見ている。
私は仕上げに、刻んだネギと七味唐辛子をパラリと散らした。
「さあ、炊き出しの始まりです! 並んでください! 温かい『豚汁』とおにぎりをご用意しました!」
門が開け放たれると、人々は雪崩を打つように入ってきた。
しかし、兵士たちが整列させ、一人一人にお椀を手渡していく。
老婆がお椀を受け取り、震える手で口に運んだ。
ズズッ……。
「……ぁ」
老婆の目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「温かい……。そして、美味しい……!」
「お婆ちゃん、大丈夫?」
「ああ、なんて優しい味なんだろう。……野菜の甘みと、お肉の脂が溶け合って……冷え切った内臓に染み渡っていくようだねぇ……」
周りの人々も、豚汁を啜るたびに「ううっ」「あああ」と感嘆の声を上げている。
「俺たちが今まで食ってた、あの甘ったるいスープはなんだったんだ!」
「こんなに具だくさんで、野菜の味がちゃんとするなんて……!」
「生き返る……! 本当に、生き返るようだ!」
豚汁の味噌の塩気と、豚の脂、そして根菜の滋味深い味わいが、彼らの毒された味覚と体を癒やしていく。
その光景を見て、カイル陛下も満足そうに頷いた。
「……ふん。やはり、貴様の料理は『魔法』以上の劇薬だな」
「ええ。美味しいものは、人を正気に戻しますから」
難民たちの顔色が、みるみるうちに良くなっていく。
その時だった。
遠くから、馬蹄の音と、聞き覚えのあるヒステリックな声が響いてきたのは。
「どきなさい! 平民ども! そのスープは、高貴な私たちが先に飲むべきものですわ!」
「おい、道を開けろ! 私は王太子だぞ!」
その声を聞いた瞬間、豚汁を食べていた難民たちの手が止まった。
歓喜に満ちていた空気が、一瞬にして凍りつき、そして――ドス黒い憎悪へと変わっていく。
現れたのは、泥だらけの豪華な馬車と、そこから転がり出てきた数名の男女。
かつて煌びやかだったドレスは薄汚れ、髪は乱れ、目の下には濃いクマを作っている。
聖女エレナと、元婚約者セドリック王太子。
そして、その取り巻きたちだ。
「……リリアーヌ! そこにいるんだろう!?」
セドリックが、充血した目で私を見つけた。
彼は私の手元にある、湯気を立てる大鍋を睨みつけ、涎を垂らしながら叫んだ。
「ああ、いい匂いだ……! 味噌と肉の匂いだ! 早くそれを寄越せ! 私はもう、エレナの祈りで作った『甘い泥水』は飲みたくないんだぁぁぁ!」
「ひどいですわ殿下! 私が一生懸命お祈りしたのに!」
エレナが金切り声を上げるが、彼女自身も豚汁の匂いに釘付けになっている。
あまりにも醜悪で、滑稽な姿。
かつて私を見下していた彼らが、今は一杯の汁物を求めて這いつくばっている。
私はお玉を置き、カイル陛下の隣に並んで彼らを見下ろした。
カイル陛下の魔剣が、鯉口を切る音と共に冷たく光る。
「……よく来たな、亡者ども。ここが貴様らの墓場だ」
断罪の時は来た。
美味しい豚汁の香りが漂う中で、最悪の再会が果たされたのだった。




