表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/30

第23話 新年の訪れ

 激動の一年が終わり、ガルア帝国に新しい年が訪れた。


 元旦の朝。

 帝都は、きりりと冷え込んだ澄んだ空気に包まれていた。

 雪化粧をした皇城の屋根が、朝日に照らされてダイヤモンドのように輝いている。


「……あけましておめでとうございます、カイル様」


 私が新年の挨拶をすると、カイル陛下は少し照れくさそうに、けれど力強く私の肩を抱いた。


「ああ。……今年もよろしく頼む、リリアーヌ。貴様と共に迎える新年が、これほど晴れやかなものだとはな」


 去年までは、冬といえば飢えと寒さに耐えるだけの季節だったという。

 けれど今は違う。

 城内からは、兵士たちの笑い声と、そして何より――厨房から漂う「いい匂い」が溢れているからだ。


「さあ、カイル様。お正月といえば、これですわ!」


 私が執務室(兼ダイニング)に運んだのは、湯気を立てる朱塗りのお椀と、香ばしい匂いを放つ平皿。


「……なんだこれは? 白い塊がスープに浮いているが」


「『お雑煮』です。そしてこちらは『焼き餅(磯辺焼き)』。私の故郷……の、さらに遠い東の国の伝統料理です」


 私は、七輪の上で焼いたばかりの餅を指差した。

 網の上でプクゥーッと膨れ上がり、表面に焦げ目がついた白い塊。

 そこに、醤油をハケで塗り、海苔を巻いたものだ。


 ジュッ……!

 醤油が焦げる、日本人のDNAに刻まれた暴力的な香りが漂う。


「……焦げた醤油の匂いか。唆るな」


 カイル陛下が、手掴みで磯辺焼きを口に運ぶ。

 パリッ、という海苔の音。

 そして――。


「んむっ……!?」


 彼が噛み切ろうとした瞬間、白い塊がビヨーーーンと伸びた。


「な、なんだこれは!? 生きているのか!?」


「ふふ、お餅はお米をついて粘りを出したものですから、よく伸びるんです。……喉に詰まらせないように、よく噛んでくださいね」


 陛下は驚きつつも、そのモチモチとした食感と、香ばしい醤油の味に目を見開いた。


「……面白い食感だ。噛めば噛むほど、米の甘みが口の中に広がる。それに、この黒い紙(海苔)の磯の香りが、淡白な餅と絶妙に合っている!」


 彼は伸びる餅と格闘しながらも、あっという間に一つを平らげた。

 続いて、お雑煮へ。

 透明なカツオと昆布の合わせ出汁に、鶏肉、小松菜、そして紅白のかまぼこが彩りを添えている。


「……優しい味だ」


 汁を啜った陛下が、ほう、と息を吐いた。

「昨夜のローストチキンのような派手さはないが、体に染み渡るようだ。……芯から温まる」


「お雑煮には、『一年を無事に過ごせますように』という祈りが込められているんです」


「なるほど。……貴様の祈りなら、神よりも効き目がありそうだ」


 私たちは穏やかな新年の朝を過ごしていた。

 窓の外では、雪かきをする兵士たちが、私が差し入れたお汁粉を食べて歓声を上げている。

 フェンリルのルナも、足元で鏡餅のように丸まって寝ている。


 平和だ。

 帝国は今、かつてないほどの繁栄と幸福の中にある。


 ――しかし。

 その平穏を破る知らせは、突然やってきた。


 コンコン。

 控えめなノックの後、ガルド将軍が顔を出した。

 その表情は、正月の浮かれたものではなく、戦場のような険しいものだった。


「……陛下。皇后陛下。お食事中、失礼いたします」


「どうした、ガルド。元旦からそんな顔をして」


「国境の警備隊より、早馬が到着しました。……隣国サンクレール王国との国境付近で、奇妙な動きがあります」


 サンクレール王国。

 あのワガママ王女エレオノーラの国だ。

 また彼女が何か言ってきたのかしら?


「いや、サンクレールではありません。……そのさらに向こう。陛下と皇后陛下の『祖国』である、ルーン王国の方からです」


 その国名が出た瞬間、場の空気が凍りついた。

 ルーン王国。

 私を「無能」と罵り、追放した国。

 そして、元婚約者セドリックと、聖女エレナがいる場所。


「……あそこがどうした。俺たちはもう関わりを絶ったはずだが」


 カイル陛下が不快そうに眉を寄せる。

 ガルド将軍は、一枚の羊皮紙を差し出した。


「国境に、ルーン王国の難民が押し寄せているそうです。……その数、数百名」


「難民……?」


「はい。彼らの証言によれば……ルーン王国は今、『地獄』のような状態だとか」


 報告書を読み上げるガルド将軍の声が、重く響く。


「昨年の凶作に加え、原因不明の疫病が蔓延。備蓄していた食糧は底をつき、パン一つを巡って貴族と平民が殺し合いをしているそうです。……さらに」


 将軍は私をチラリと見て、続けた。


「聖女エレナの『祈り』を受けた食糧を食べた者たちが、次々と謎の腹痛や衰弱死を遂げている……と」


「……!」


 私は息を呑んだ。

 恐れていたことが、起きてしまったのだ。

 エレナの力は、味を変えるだけのもの。腐った食材の毒素は消えない。

 飢えに苦しむ人々が、甘い匂いに釣られて腐敗した食糧を食べ続けた結果――パンデミック(感染爆発)が起きたのだ。


「……自業自得だな」


 カイル陛下が冷たく言い放つ。

 彼は餅の入ったお椀を置き、報告書をテーブルに放り投げた。


「奴らは、食の安全を守っていた『リリアーヌ』を自ら捨てた。その報いを受けているに過ぎん」


「ですが陛下。……問題はここからです」


 ガルド将軍が、さらに一枚の封書を取り出した。

 そこには、ルーン王家の紋章が押されている。


「ルーン王国のセドリック王太子より、親書が届いております。……内容は、『我が国を救うため、直ちに食糧援助を行え。また、人道的配慮に基づき、リリアーヌを返還せよ』とのことです」


 返還。

 まるでモノのような言い草に、私の中でプツンと何かが切れた。

 同時に、カイル陛下から凄まじい殺気が噴出した。

 部屋の温度が一気に下がり、窓ガラスがガタガタと震える。


「……返還、だと?」


 陛下が立ち上がる。

 その紅い瞳は、激しい怒りに燃えていた。


「俺の伴侶を、使い捨ての道具のように扱い、ボロボロになるまで酷使した挙げ句、捨てたのは貴様らだ。……それを今さら、自分たちが苦しいから返せだと?」


 バリバリッ!

 彼が握りしめた拳の中で、空気が悲鳴を上げる。


「……ガルド。国境警備隊に伝えろ。難民は人道的に保護し、粥を与えよ。だが、王族および貴族の入国は一切認めるな。……特に、セドリックという名の男が来たら、その場で斬り捨てても構わん」


「はっ!」


 ガルド将軍が退室した後、カイル陛下は私を強く抱き寄せた。


「……すまない、リリアーヌ。新年早々、不愉快な話を聞かせた」


「いいえ、カイル様。……予想はしていましたから」


 私は彼の腕の中で、静かに決意を固めた。

 同情はしない。

 けれど、罪のない民が苦しむのは見過ごせない。

 そして何より、あの愚かな元婚約者と聖女には、きっちりと「引導」を渡してあげなければならない。


「行きましょう、カイル様。……春になったら、国境へ」


 私が告げると、彼はニヤリと凶悪に、そして頼もしく笑った。


「ああ。……俺たちの『幸せな食卓』を邪魔する奴には、死よりも辛い『絶望』を味わわせてやろう」


 新年の穏やかな空気は消え失せた。

 帝国と王国。

 食を愛する者と、食を冒涜した者。

 その最後の戦いが、始まろうとしていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ