第23話 新年の訪れ
激動の一年が終わり、ガルア帝国に新しい年が訪れた。
元旦の朝。
帝都は、きりりと冷え込んだ澄んだ空気に包まれていた。
雪化粧をした皇城の屋根が、朝日に照らされてダイヤモンドのように輝いている。
「……あけましておめでとうございます、カイル様」
私が新年の挨拶をすると、カイル陛下は少し照れくさそうに、けれど力強く私の肩を抱いた。
「ああ。……今年もよろしく頼む、リリアーヌ。貴様と共に迎える新年が、これほど晴れやかなものだとはな」
去年までは、冬といえば飢えと寒さに耐えるだけの季節だったという。
けれど今は違う。
城内からは、兵士たちの笑い声と、そして何より――厨房から漂う「いい匂い」が溢れているからだ。
「さあ、カイル様。お正月といえば、これですわ!」
私が執務室(兼ダイニング)に運んだのは、湯気を立てる朱塗りのお椀と、香ばしい匂いを放つ平皿。
「……なんだこれは? 白い塊がスープに浮いているが」
「『お雑煮』です。そしてこちらは『焼き餅(磯辺焼き)』。私の故郷……の、さらに遠い東の国の伝統料理です」
私は、七輪の上で焼いたばかりの餅を指差した。
網の上でプクゥーッと膨れ上がり、表面に焦げ目がついた白い塊。
そこに、醤油をハケで塗り、海苔を巻いたものだ。
ジュッ……!
醤油が焦げる、日本人のDNAに刻まれた暴力的な香りが漂う。
「……焦げた醤油の匂いか。唆るな」
カイル陛下が、手掴みで磯辺焼きを口に運ぶ。
パリッ、という海苔の音。
そして――。
「んむっ……!?」
彼が噛み切ろうとした瞬間、白い塊がビヨーーーンと伸びた。
「な、なんだこれは!? 生きているのか!?」
「ふふ、お餅はお米をついて粘りを出したものですから、よく伸びるんです。……喉に詰まらせないように、よく噛んでくださいね」
陛下は驚きつつも、そのモチモチとした食感と、香ばしい醤油の味に目を見開いた。
「……面白い食感だ。噛めば噛むほど、米の甘みが口の中に広がる。それに、この黒い紙(海苔)の磯の香りが、淡白な餅と絶妙に合っている!」
彼は伸びる餅と格闘しながらも、あっという間に一つを平らげた。
続いて、お雑煮へ。
透明なカツオと昆布の合わせ出汁に、鶏肉、小松菜、そして紅白のかまぼこが彩りを添えている。
「……優しい味だ」
汁を啜った陛下が、ほう、と息を吐いた。
「昨夜のローストチキンのような派手さはないが、体に染み渡るようだ。……芯から温まる」
「お雑煮には、『一年を無事に過ごせますように』という祈りが込められているんです」
「なるほど。……貴様の祈りなら、神よりも効き目がありそうだ」
私たちは穏やかな新年の朝を過ごしていた。
窓の外では、雪かきをする兵士たちが、私が差し入れたお汁粉を食べて歓声を上げている。
フェンリルのルナも、足元で鏡餅のように丸まって寝ている。
平和だ。
帝国は今、かつてないほどの繁栄と幸福の中にある。
――しかし。
その平穏を破る知らせは、突然やってきた。
コンコン。
控えめなノックの後、ガルド将軍が顔を出した。
その表情は、正月の浮かれたものではなく、戦場のような険しいものだった。
「……陛下。皇后陛下。お食事中、失礼いたします」
「どうした、ガルド。元旦からそんな顔をして」
「国境の警備隊より、早馬が到着しました。……隣国サンクレール王国との国境付近で、奇妙な動きがあります」
サンクレール王国。
あのワガママ王女エレオノーラの国だ。
また彼女が何か言ってきたのかしら?
「いや、サンクレールではありません。……そのさらに向こう。陛下と皇后陛下の『祖国』である、ルーン王国の方からです」
その国名が出た瞬間、場の空気が凍りついた。
ルーン王国。
私を「無能」と罵り、追放した国。
そして、元婚約者セドリックと、聖女エレナがいる場所。
「……あそこがどうした。俺たちはもう関わりを絶ったはずだが」
カイル陛下が不快そうに眉を寄せる。
ガルド将軍は、一枚の羊皮紙を差し出した。
「国境に、ルーン王国の難民が押し寄せているそうです。……その数、数百名」
「難民……?」
「はい。彼らの証言によれば……ルーン王国は今、『地獄』のような状態だとか」
報告書を読み上げるガルド将軍の声が、重く響く。
「昨年の凶作に加え、原因不明の疫病が蔓延。備蓄していた食糧は底をつき、パン一つを巡って貴族と平民が殺し合いをしているそうです。……さらに」
将軍は私をチラリと見て、続けた。
「聖女エレナの『祈り』を受けた食糧を食べた者たちが、次々と謎の腹痛や衰弱死を遂げている……と」
「……!」
私は息を呑んだ。
恐れていたことが、起きてしまったのだ。
エレナの力は、味を変えるだけのもの。腐った食材の毒素は消えない。
飢えに苦しむ人々が、甘い匂いに釣られて腐敗した食糧を食べ続けた結果――パンデミック(感染爆発)が起きたのだ。
「……自業自得だな」
カイル陛下が冷たく言い放つ。
彼は餅の入ったお椀を置き、報告書をテーブルに放り投げた。
「奴らは、食の安全を守っていた『要』を自ら捨てた。その報いを受けているに過ぎん」
「ですが陛下。……問題はここからです」
ガルド将軍が、さらに一枚の封書を取り出した。
そこには、ルーン王家の紋章が押されている。
「ルーン王国のセドリック王太子より、親書が届いております。……内容は、『我が国を救うため、直ちに食糧援助を行え。また、人道的配慮に基づき、リリアーヌを返還せよ』とのことです」
返還。
まるでモノのような言い草に、私の中でプツンと何かが切れた。
同時に、カイル陛下から凄まじい殺気が噴出した。
部屋の温度が一気に下がり、窓ガラスがガタガタと震える。
「……返還、だと?」
陛下が立ち上がる。
その紅い瞳は、激しい怒りに燃えていた。
「俺の伴侶を、使い捨ての道具のように扱い、ボロボロになるまで酷使した挙げ句、捨てたのは貴様らだ。……それを今さら、自分たちが苦しいから返せだと?」
バリバリッ!
彼が握りしめた拳の中で、空気が悲鳴を上げる。
「……ガルド。国境警備隊に伝えろ。難民は人道的に保護し、粥を与えよ。だが、王族および貴族の入国は一切認めるな。……特に、セドリックという名の男が来たら、その場で斬り捨てても構わん」
「はっ!」
ガルド将軍が退室した後、カイル陛下は私を強く抱き寄せた。
「……すまない、リリアーヌ。新年早々、不愉快な話を聞かせた」
「いいえ、カイル様。……予想はしていましたから」
私は彼の腕の中で、静かに決意を固めた。
同情はしない。
けれど、罪のない民が苦しむのは見過ごせない。
そして何より、あの愚かな元婚約者と聖女には、きっちりと「引導」を渡してあげなければならない。
「行きましょう、カイル様。……春になったら、国境へ」
私が告げると、彼はニヤリと凶悪に、そして頼もしく笑った。
「ああ。……俺たちの『幸せな食卓』を邪魔する奴には、死よりも辛い『絶望』を味わわせてやろう」
新年の穏やかな空気は消え失せた。
帝国と王国。
食を愛する者と、食を冒涜した者。
その最後の戦いが、始まろうとしていた。




