第19話 ワガママ王女
外交官ヴァルダー伯爵が、感動のあまり泣きながら帰国してから数週間。
帝国には、つかの間の平和が訪れていた。
……はずだった。
「まあ! ここがガルア帝国の皇城ですの? 聞いていた通り、煤けていて陰気な場所ですわね!」
キンキンと響く高い声が、謁見の間の静寂を切り裂いた。
現れたのは、フリルとレースを過剰なほどにあしらったピンク色のドレスに身を包んだ、金髪縦ロールの美少女。
隣国サンクレール王国の第一王女、エレオノーラ殿下だ。
彼女は、出迎えに並んでいた近衛兵たちを「邪魔よ」と扇子で払いのけ、玉座に座るカイル陛下の元へと一直線に歩み寄った。
「お初にお目にかかります、カイル陛下。わたくしがエレオノーラですわ。……ふふ、噂通りの『冷徹な美貌』。わたくしの婚約者にふさわしいですわ!」
彼女は挨拶もそこそこに、カイル陛下の腕にギュッと抱きついた。
豊満な胸を押し付け、上目遣いで媚びるその姿に、周囲の空気が凍りつく。
「……離れろ」
カイル陛下が氷点下の声で告げるが、王女は聞こえないふりだ。
「つれないお方。でも、そこが素敵! ねえ陛下、ヴァルダーから聞きましたのよ? この国には、なんでも美味しくする『魔法の料理人』がいるとか。……でも、そんな地味な女より、高貴な血筋のわたくしの方が、貴方の隣には相応しいと思いませんこと?」
彼女はチラリと、玉座の脇に控える私を一瞥し、フンと鼻で笑った。
その目には、明らかな敵意と優越感が浮かんでいる。
(……なんですって?)
私のこめかみに、青筋が浮かんだ気がした。
カイル様が、私のものであることは帝国内では周知の事実。それを知りながら、正面から喧嘩を売ってくるとは。いい度胸だ。
「……おい。俺の伴侶を愚弄するなら、タダでは帰さんぞ」
カイル陛下が殺気を放ち、腕を振りほどこうとする。
しかし、エレオノーラ王女は不敵に微笑んだ。
「あら、怖い。……では、勝負しましょうか?」
「勝負?」
「ええ。その料理人とわたくしで。……わたくしは、この国の料理なんて認めませんわ。もし、わたくしを『料理』で満足させられなかったら、カイル陛下はわたくしが頂きます。サンクレール王国との国交も、白紙に戻しますわ」
なんて勝手な理屈だ。
でも、ここで断れば、せっかく改善した両国の関係が悪化してしまう。
カイル陛下が「ふざけるな」と怒鳴ろうとしたその時、私は一歩前に出た。
「……お受けしますわ」
「リリアーヌ!?」
驚くカイル陛下を制し、私はエレオノーラ王女を真っ直ぐに見据えた。
「その勝負、受けて立ちます。……ただし、私が勝ったら、二度とカイル様に指一本触れないでいただけますか?」
「ええ、よろしくてよ。……では、お題を出しますわ」
王女は扇子をパチンと閉じ、意地悪く告げた。
「わたくしが食べたいのは……『白くて黒くて、甘くて苦くて、そして雪のように溶けるお菓子』ですわ。……ふふ、こんな矛盾した料理、作れるはずがありませんわよね?」
白くて黒い。甘くて苦い。
普通の料理人なら頭を抱える難題だ。
けれど、私の脳裏には、即座にある「大人のスイーツ」が浮かんでいた。
「承知いたしました。……その矛盾、最高の一皿に変えてご覧に入れます」
* * *
私は厨房に入ると、すぐにウィンドウを開いた。
今回のお題に応えるための最強のカード。それは、イタリア生まれの極上ドルチェ『ティラミス』だ。
まずは、「黒くて苦い」要素。
私は深煎りのエスプレッソを抽出し、そこにカルーア(コーヒーリキュール)を少々加える。
香ばしく、大人の苦味を含んだシロップの完成だ。
これを、フィンガービスケットにたっぷりと染み込ませる。
次に、「白くて甘い」要素。
ボウルに卵黄と砂糖を入れ、白っぽくなるまで泡立てる。
そこへ、この世界にはない『マスカルポーネチーズ』を投入する。
このチーズが重要だ。酸味が少なく、濃厚なミルクのコクと滑らかさを持つ、ティラミスの命とも言える食材だ。
さらに、別に泡立てておいた生クリームとメレンゲを加え、さっくりと混ぜ合わせる。
ふわふわで、とろとろの純白のクリームができあがった。
あとは、組み立てだ。
ガラスの器に、コーヒーシロップを吸ったビスケットを敷き詰め、その上にマスカルポーネクリームをたっぷりと乗せる。
これを二層、三層と重ねていく。
白と黒のコントラストが美しい。
最後に、冷蔵庫(魔道具)で冷やし固め、仕上げに純ココアパウダーをたっぷりと振るう。
雪のように舞う黒い粉が、白いクリームを覆い隠していく。
「完成よ。……『大人の恋のティラミス』」
ティラミスには、「私を元気づけて」「私を連れて行って」という意味がある。
カイル様を連れ去ろうとする彼女への、皮肉も込めた一品だ。
* * *
一時間後。
王女の前に、私は角切りのケーキを差し出した。
表面は漆黒のココアパウダーで覆われ、断面は見事な白と黒の層になっている。
「……何ですの、これ? 土の塊みたいですわね」
王女は相変わらずの減らず口を叩きながら、フォークを入れた。
スッ……。
抵抗なく沈むフォーク。
彼女は一口大に切り取り、口へと運んだ。
パクッ。
「……っ!?」
瞬間、エレオノーラ王女の目が大きく見開かれた。
「……な、何ですのこれ!? 口に入れた瞬間、消えましたわ!?」
彼女は慌てて二口目を頬張る。
「最初はココアのほろ苦さが来て……次に、濃厚なチーズの甘みが広がる。でも、全然しつこくない! まるで雲を食べているみたいに軽いですわ!」
「下の層も味わってください」
私が促すと、彼女はコーヒーの染みたビスケット部分を口にした。
「んんっ……! 苦い! でも、上の甘いクリームと混ざると……ああ、なんて芳醇な香り! 甘いのに苦くて、白いのに黒くて……お題通りどころか、想像以上ですわ!」
彼女はもう、カイル様のことも忘れて夢中でスプーンを動かしていた。
「悔しい……! こんなに美味しいお菓子、美食の国にもありませんわ! 体が熱くなって、ドキドキしますの……!」
あっという間に完食した彼女は、空になった皿を見つめ、はぁ、と熱っぽい息を吐いた。
そして、悔しそうに私を睨みつけた。
「……負けましたわ。約束通り、カイル陛下は諦めます」
「賢明なご判断です」
「その代わり! このお菓子の名前を教えなさい!」
「『ティラミス』です。……意味は、『私を元気づけて』」
「ティラミス……。ふん、生意気な名前ね。でも、確かに元気が出ましたわ」
彼女は立ち上がり、ドレスの裾を翻した。
「勘違いしないでくださいね? 今日は貴女の料理に免じて引くだけですわ。……でも、この国の料理がこんなに美味しいなら、また来てあげてもよろしくてよ?」
どうやら、胃袋を掴まれてしまったツンデレ王女が、また一人誕生してしまったようだ。
彼女が嵐のように去っていった後、カイル陛下が呆れたようにため息をついた。
「……やれやれ。あいつも相当な変人だが、それを料理一つで手懐ける貴様も大概だな」
「あら、褒め言葉として受け取っておきます」
私が片付けようとすると、カイル陛下が私の手首を掴み、自分の方へと引き寄せた。
「……それで、俺の分はないのか?」
「え?」
「貴様、さっきあいつに嫉妬していただろう。……俺にもその『甘くて苦い』やつを寄越せ。それと、俺を元気づけるのも忘れるな」
彼は少し拗ねたような、でも甘えるような目で私を見つめている。
……バレていたらしい。
私は顔を赤くしながら、冷蔵庫に残しておいた彼専用のティラミスを取り出した。
「はい、カイル様。……あーん」
彼がティラミスを口にし、満足げに目を細める。
その口元についたココアパウダーを、私が指で拭ってあげると、彼はその指にキスをした。
「……甘いな。やはり、俺には貴様という糖分が必要だ」
ライバル王女の襲来は、結果として二人の仲をより深めるスパイス(ココアパウダー)になってしまったようだ。
ほろ苦くて甘い午後のティータイムは、こうして更けていった。




